070 冬木立
せいらさん作
(1)
「ねえ、映画 観に行かない?」
ユキからそう誘われた古代は、少し驚きながらも「いいよ」と答えた。
彼女が外出に誘うなんて、どれくらい振りだろうか。
『あの日』までは、休日の度に二人して出掛けていたというのに・・・。
そう、『あの日』からユキは少し変わってしまったように、彼には思えた。
二人が離れ離れになり、そしてそれぞれの戦いの後に再会した『あの日』。
あれからユキは、古代の苦しみも自分の苦しみも、全て抱え込んでしまった。
そして、彼がふと気付いた時には、寂しげな笑顔で伏目がちに人目を避ける彼女になっていた。
古代は、そんな彼女に対してどうしてやればいいのか分からないまま、戸惑うばかりの日々を過ごしていた。
ユキが思いついたように誘い掛けて来たのは、そんな日々が続いた、雪の降る寒い午後だった。
「雪が綺麗ね・・・」
真っ白なコートを羽織ったユキが、空を見上げて呟いた。
音もなく降りしきる雪の中で、両手を広げて天を仰ぎ見るユキの姿は、雪景色に白いコート姿が溶け込んでしまいそうだった。
それは、そのまま遠い世界へ恋人を連れ去ってしまわれそうで、ほんの少し古代を不安にさせるほど美しかった。
「うん、本当に綺麗だ」
古代が長いコートの襟をかき寄せながら答えた。
通りはすでに、うっすらと雪化粧を始めていた。
(2)
大昔にヒットしたというドラマのリバイバル映画。
死んだと思っていた恋人が10年後に記憶をなくして現れる・・・そんな設定が、ここ数年の戦争で大切な人を亡くした人々の切ない願望を掻き立て、今また大流行しているという訳だ。
やたらと泣いてばかりいるヒロインと、やたらと笑顔の爽やかな主人公。
それぞれに、相手を心底思い合う4人の男女がおりなす恋愛模様。
まるで、古代とユキと、サーシャとアルフォン・・・
画面には美しい雪景色が広がり、切ないメロディーが流れた。
♪もう二度と逢えないと言うのなら
忘れてしまいたい
溢れ出る思いの全て
僕の心をつかまえる君の全てを
君に逢いたいと願うたび
僕は ボロボロに傷ついていく
そして僕の心は
そこから動けなくなってしまう
どんなに忘れようとしても 君を忘れられない
たった一人の人を愛することが
こんなに苦しいことだなんて知らなかった・・・♪
古代は、繰り返されるこのフレーズを聞きながら、あの頃の自分を思っていた。
ユキのいないヤマトの艦内。
第一艦橋で、食堂で、展望室で・・・
ユキの姿を探してどれほど彷徨っただろう。
探しても探しても居る筈が無いと分かっていながら、そうせずにはおられなかった。
仲間達の好意で空いたままにされていたユキの部屋の前で、何度も佇んだ。
その部屋の主がいないことを認めるのが怖くて、扉を開ける勇気どころか、手をかける勇気すら出せず、扉の向こうの気配を息を詰めたまま伺っていた・・・そんな日々。
おそらく、誰の目にもぼろぼろだった自分。
信じる気持ちともう一つの気持ち。
ユキを想うだけで立ち竦んでいた心。
あの時の気持ちは、今でも突付けば真っ赤な血を流せそうなほど痛かった。
映画の内容はどうでもよかったけど、古代の胸がひどく痛んだ。
(やっとできたかさぶたを、無理に剥がされているみたいだ・・・)
古代は、スクリーンから目を逸らして隣に座るユキを見た。
(3)
♪すべて覚えている
目を閉じれば
ほんの小さなことも浮かんでくる
星に願い 待ちつづけた日々
あなたは遠い
手の届かないところへ行ってしまった
愛してるという言葉も
待ち続けるという言葉も 伝えられないまま
今でも信じられない
あなたにこうして 再び逢えるなんて
そんな奇跡 思いもしなかった
やっとあなたを愛してるとやっと伝えられる
どんなに遠く離れていても
あなたはずっと私の胸で生きていた
どうか このまま私と一緒に 永遠に・・・♪
雪もまた、そのフレーズにあの時の自分を重ねていた。
このヒロインは、死んだと聞かされた恋人を10年思いつづけた末、再会した。
私はたった数週間だったけど、それでもこの身を引き裂かれたような日々だった。
『古代は死んだ』
そう聞かされ、絶望のうちに過ごしたあの日々。
(今、自分だけが生きている意味は何なのだろうか・・・)
それを使命として全(まっと)うすることで、辛うじて生き長らえようとしていたあの頃。
そして、アルフォンからのあの申し出と自分の決断。
その時その時にできた、自分なりに精一杯の判断だったと思っている。
信じる気持ちともう一つの気持ち。
いつでも変わらない彼だけを愛しているという心。
再び逢えた幸せと小さな願い。
(でも、やはり私は間違っていたのだろうか・・・)
様々な噂や中傷の中で、あれから何度、自分にそう問い掛けてきただろう。
今でも時折、後悔や不安で押し潰されそうになるユキがいた。
ユキが古代を見ると、二人の視線が絡み合った。
(4)
映画館を出ると、すでに雪は降り止み空には星が瞬き始めていた。
朝からの雪が街に一面のヴェールを被せ、ライトアップされた建物が幻想的な世界を作り出していた。
「少し歩かない?」
ユキが、古代の腕に手を絡ませながら呟いた。
「寒いぞ」
そう言う古代に、ユキは「ちょっと待ってて」と、2本のマフラーを買って来た。
青い1本を古代の首に、ベビーピンクの1本を自分に。
「ほら、ね。映画の二人と一緒。」
なんだか嬉しがってるみたいで嫌だ、と言う古代を無視して、ユキは微笑んだ。
なんとも儚い微笑だった。
最後にユキの屈託の無い笑顔を見たのは、いつのことだったか・・・。
古代には、なんだか遠い過去のことだったように思えた。
サーシャのことで、守のことで、そして彼女の手を離してしまったことで・・・古代は随分と自らを責め、苦しんできた。
苦しんで苦しんで・・・やっと少しずつそれらを消化しはじめた自分がいる。
それはもちろん、自分ひとりの力ではなかった。
真田の、仲間達の、そしてなによりユキの、古代を想う気持ちが少しづつ彼を這い上がらせてきたのだ。
その間、古代にとってユキは文字通りなくてはならない存在だったと思う。
古代が自分に精一杯でいた間に、つい、見過ごしてしまった彼女の中の心の傷。
彼女が様々な噂や中傷の矢面に立たされてることを、知らないではなかった。
しかし、いつも自分より古代を優先しようとするユキの姿勢が、その傷を本人すら気付かぬままに大きく広げてしまっていたのだ。
古代は、ユキがしてくれたように彼女を癒すことのできない自分に腹が立つこともある。
どうしたらよいのか分からない自分がもどかしかった。
「ユキは強いよ。おまえが黙って側にいてやるだけでいいんじゃないか?」
島にそう言われて、古代はしばらく地上勤務できるよう希望を出した。
「そんな・・・私の心配は要らないから、あなたの思うようにして欲しいの」
ユキはそう言って困惑した顔をしたが、
「俺がこうしたいんだ」
と言う古代に押し切られて、曖昧に笑うだけだった。
(5)
二人は総合レジャー施設を出ると、隣接した森林公園に向って歩き出した。
公園の中は派手なライトアップもされておらず、雪を被った木々の上に星が瞬いているのを見ることが出来た。
古代は、コートのポケットに両手をつっこんだまま、黙って並木道を歩いていた。
少し遅れて歩くユキに、なにか気の利いた言葉の一つも掛けたいのだけれど、何を言うべきか分からなかったのだ。
「ポラリス・・・」
ユキが呟いた。
「えっ、何?」
「ポラリス。北極星よ。そうね、『こぐま座α星』って言うほうがいいかしら?」
ユキが、少し意地悪く言うと小首を傾げた。
「北極星は知ってるさ。それが、何?」
「私のポラリスはあなただわ。」
「・・・あっ・・・」
少し逡巡してから、古代は今見た映画のセリフを思い出した。
『すべての星が移動しても、ポラリスはずっと同じ場所で輝いている。僕が君のポラリスになってあげるから、君はもう道に迷うことなんてないよね』。
そういえば、そのセリフを聞きながら『自分のポラリスはユキに違いない』と思っていたのだ。
かつて、旅人が道に迷ったときに、自らの進むべき方向の目印にしたという北極星。
ほっておけば、糸の切れた凧のように飛んでいってしまう古代の、帰るべき場所を示してくれたのはいつもユキと言う存在だった。
「今の私は、迷って立ち竦んで動けないの。
古代君、あなたはいつでも私の心の真中で私の進むべき道を示してくれている。
だから、私が道を見つけるまで少しだけ・・・もう少しだけ、私の側に居て欲しいんだけど・・・」
そう話すユキの瞳が、不安げに揺れていた。
例えどんな状況になろうとも、愛する者の手を引く役目を他人に委ねる事など、いまの古代にもユキにもできよう筈はなかった。
今必要なのは、だた互いの存在だけなのだということは、二人ともよく分かっているのだから。
「今度のことで、俺が俺であるためには君が必要なんだってこと、よく分かったんだ。君のためだけじゃなく、俺自身のためにもそうさせてくれないか」
古代を見上げたユキの顔が、たちまち花のようにほころんだ。
古代が久しぶりに見る、ユキの美しい笑顔だった。
二人は雪化粧した冬木立の中を、互いの温もりを確かめ合うように寄り添って歩いた。
真新しい雪の上には、二人の足跡が残されている。
ときに重なり、ときに離れ。並んで続く二人の足跡は、永遠へと続くようだった。
♪君を強く抱きしめたい
この体の震えが伝わらないように
もう二度と 離さないよ
僕に預けて欲しい 君の全てを
どうか このまま僕と一緒に 永遠に・・・♪
(終わり)
『永遠に』公開当初から、「二人はこのまま再会してハッピー、とはいかないのでは?」という気持ちがありました。
爆弾解体に際しては、ユキの存在が大きかっただけに、それを面白く思わない人々のバッシングも大きかったでしょう。
そして、事後のバッシングや興味本位の発言は、時として事件そのものよりも当事者の心を塞がせるものであるように思います。
ちょうど、そんな時期の二人でしょうか。
若い二人には、試練の時です。
二人がこの試練を乗り越えた時、二人は飛躍的に成長します。
ジャンプする為には、一度屈まなくてはならないように、この先はいろいろな面で大きくなれるでしょうけれど。
そんな苦しい時期の、いたわり合う二人です。
二人がみた映画?
それは・・・そう、「あれ」ですよ(笑)。冬景色の美しさが思い浮かんだのもですから。
by せいらさん(2004.9.17)
※当作品は、TVドラマ『冬のソナタ』から連想された作品で、作中の歌も当該作品の主題歌の歌詞の内容を一部引用しています。
(背景:pearl box)