079 やきもち
いずみさん作


古代進は困惑していた。愛妻の雪の様子が何処となく変なのだ。
2人っきりの楽しい夕食のはずなのだが、何となく妙な雰囲気が流れている。

『いつからだろう・・・』

古代は夕食を口にしながら、考え始めた。


昨日、航海から帰ってくると雪はいつもと変わらぬ眩しい笑顔で古代を迎えた。久しぶりにちょっとシックなレストランでディナーを堪能し、夜のベッドでもお互いを堪能し合った。そして、今朝雪は元気に仕事に出かけていったのだが・・・。

『夕方帰ってきたときから、少し元気なかったかもな。やっぱり疲れてるのかなぁ。』

定時を少し過ぎたくらいの時間に帰ってきた雪。食事の前にさっぱりと、ということで風呂にも入ってもらい、古代自慢の『半日煮込んだビーフシチュー』の夕食に突入したのだが。何かどこか浮の空のようなのだ。

『そうだ、あの相原の電話の後から様子がおかしくなったんだ。』

今は司令部に所属している相原義一からの電話。最初は仕事の連絡事項だったが、1杯飲みましょうよとか、相変わらず雪さんモテモテですよねとか、さんざん突っ込んだあげく、最後に『さすが古代さんですよね〜。仕事はカッチリこなす雪さんを早退させるなんて。今日あった健康診断もサボって帰ったみたいですよ〜。』と言い残してやっと電話は切れた。

『早退した?』

何気なく古代が聞くと、雪は『相原君の勘違いでしょう。』と軽くいなしたのだが。

『あの後から何かおかしい・・・』

が、それが何なのか全くわからず、食事中雪をジロジロ見ているのも気詰まりになった古代、場の雰囲気を変えようとちょっとおどけてこう云ってみた。

「雪、俺になにか云う事はないか?」

古代がそういった瞬間、雪が固まった・・・。




古代雪は困惑していた。最愛の夫との2人っきりの楽しい夕食のはずなのだが、今ひとつ会話が弾まないし、ムードも盛り上がらない。それは自分のせいだとわかってはいるのだが。

『休暇の間中こんな調子じゃ、さすがに進さんだって気がつくわよね。話してしまえばいいんだろうけれど、でもこんなこと彼には云えない、絶対に。それに運の悪いことに明日は日曜日。ああ、どうしたら良いの、私・・・。』

心に渦巻く嵐を必死に堪えて、食卓を囲む雪。

『それに相原君も相原君よ。どうして私が早退したとか健康診断を受けなかったとか知ってて、進さんに電話してくるの〜〜。まさか気がついてる・・・とか・・・。』

雪が思いっきり疑心暗鬼モードに入っていたとき、古代が云った。

「雪、俺になにか云う事はないか?」

いつもだったら笑顔で切り返せる雪だが、とっさに固まってしまった。

『進さん、気がついてるのっ!!』

とっさにそう思ってしまった雪、目は宙を泳ぎ、顔色は一気に悪くなり、思いっきり怪しい態度をとってしまったのだった。




あまりに怪しい態度の愛妻に、困惑の度を深めていく古代。今や食卓の上は暗雲立ち込める怪しいバトルフィールドと化してしまった。そして、2人の間の緊張の糸がキリキリと引き絞られていき・・・。

プルルル・プルルル・プルルル・・・

その空気を引き裂くような電話の呼び出し音。その場の緊張感から逃れるように古代が受話器を取った。

その瞬間、受話器の向こうから流れ出てくる言葉の奔流。古代が一言も発する暇さえない。

「雪、円城寺だ。今日は本当に申し訳なかった。今、下に来てるんだ。すぐ、出てきてくれないか?」

「・・・・・。」

「雪、怒ってるのか?本当に俺が悪かった。すまない。でも今はそんな事を云ってる時じゃないだろう?雪、おい、聞いているのか、雪?」

「・・・どちら様でしょうか?」

冷ややかな古代の声に、うっと息を呑む電話の相手。

「これは・・・失礼しました。円城寺です。雪さん、いらっしゃいますか?」

「少々お待ちください。」

冷たい声で言い放つと古代は雪に受話器を渡した。じっと愛妻の目を見詰めたまま。

「・・・はい。」

その古代の視線を避けるように、うつむき加減に視線をそらせながら、ひと言ふた言答える雪。

そして電話はすぐ終わり、雪は古代にこう言い放った。

「出かけてきます。」




止める古代を強引に振り切って、雪は出て行った。

1人残された古代は、ぐるぐる回る頭でこう思っていた。

『これじゃあ、まるで、三角関係の修羅場じゃないか・・・。』




雪は昔からよくモテる。それは人妻になった今でも全く変わらない。いや、それ以上になったと近場で仕事をしている相原は言う。

『やっぱり、「ひとのもの」って思うと落としたくなるのが男の性なんですよね〜。「人妻ブランド」ってとこでしょうかねぇ。亭主はしょっちゅう宇宙(そら)の上だし。でもまぁ僕たち旧ヤマトクルーが目を光らせてますし、もともと雪さん身持ち固いし。』

そして、ウインクして云ったのだ。

『あの親衛隊もついてますしね〜。ちょっとやそっとの覚悟じゃ手を出せませんよ。』

『親衛隊』というのは周りが勝手につけた俗称で、正確にいうと『暗黒星団帝国地球占領時、雪と共に戦った部下とその一派』なのだが。あの激戦の最中、傷つきながらも雪は自分の小隊を率いて敵に反撃し、遂に重核子爆弾中枢を解体した。『絶対に、皆で生きて元気で家族や仲間のもとに帰るのよ。』と云い切って最前線で戦っていた雪。その姿は彼らにどれだけの勇気、安らぎ、希望を与えたのだろう。彼らは雪を憧れと羨望とそして深い憧憬の思いを込めて『隊長』と呼ぶ。その中にあいつ――円城寺 創平(えんじょうじ そうへい)がいる。

あの戦いのことは2度と思い出したくはない古代である。だが皮肉なことにそういうことに限って細部まで覚えているものだ。有人基地での束の間の逢瀬、あのターミナルでの自分の手から滑り落ちていくときの雪の瞳、それからの長い絶望、眠れぬ夜・・・。古代は雪への思いを必死に押し殺して指揮を取っていた。その時、雪も戦っていたのだ、ヤマトの無事を、古代の無事を願って、自分のことなど省みず――あの男、円城寺創平と共に。

いつしか古代は新しいブランデーの封を開けていた。無性に喉が渇いて仕方なかった。自分でも驚くぐらい立て続けにグラスを開け、盃を重ねる。本能的に彼は察知したのかもしれない。これ以上素面でいたら自分の心が潰れてしまうかもしれない、ということに。

『胸が苦しい・・・。』

古代は天井を見上げると大きく溜息をついた。

円城寺創平は兵士ではない。軍属の外科医だ。雪がヤマトに乗り組む前に勤務していた病院での同期でもあったそうだ。それがあの戦いで再会し、共に戦い、共通の苦しみ喜びを持ち、そして・・・。

『あいつは雪の傷の手術をしたんだ。』

古代が愛してやまない雪の輝くばかりの白い身体。其処に刻まれた痛々しい傷跡は今はもう無い。円城寺は自ら希望して雪の整形手術を行なった。彼の外科医としての腕は超一流だ。それは古代も認める。だが、あいつは雪の身体に・・・。

「雪は俺だけのものだっ!!」

やきもち、嫉妬、妬み、嫉み。そんな感情だけが古代の心に巻き起こり、降り積もり、全てを黒く塗りつぶしてゆく。

『どうしてこんなことになっちまったんだ・・・。』

古代を振り切って出て行ったときの雪の思いつめたような顔が甦る。

『ごめんなさい。帰ってきたらきちんと説明するから、今は行かせて。』

バタンと閉じられたドア。そこに1人残された自分。

『苦しい、苦しい、苦しい・・・。』

酒は苦く、夜は暗く、時の歩みは遅く。古代の心は底知れぬ暗闇の中に落ちていった・・・。




「ただいま。」

雪の声が聞こえたような気がして、古代は目を開けた。と、そこに襲ってくる頭痛・頭痛・頭痛。思わず頭を抱え、ソファの上でうめく。

くすくす笑いながら雪が差し出した水が、何と美味しかったことか。そして、間近から見る愛妻のなんと美しかったことか。

だが、古代は忘れていなかった、今までの修羅場を。そして来るべき修羅場のことを考えると、心が鈍る。だがもうこのままの状態では耐えられない。聞くのだ、愛妻の美しい唇から紡がれる言葉を。それがいかに彼にとって残酷なものであろうとも。

「雪、そこに座れ。」

「はい。」

「全てをきちんと説明してくれ。何があったんだ、円城寺と。」

古代の言葉にちょっと訝しそうな表情をした雪だが、少しはにかんだ表情でこう云った。

「あのね・・・、赤ちゃんが出来たの。今、病院で検査してもらったんだけど4ヶ月ですって。」

「あ・・・あ・・・あ・・・。」

修羅場しか想定していなかった古代の頭は、もうマッシロケの大パニック。とっさに何の言葉も出てはこない。

「もちろんあなたの子供よ。ドクター(円城寺)は、強引に病院に掛け合って時間外に検査を受けさせてくれたのよ。」

「だってあの時の電話は・・・。」

「あれはね、今日の午後早退して検査を受けられるようにドクターに頼んでおいたんだけど、連絡ミスでキャンセルになっちゃったの。それに夜になって気がついて、慌てて電話してきたのよ。健康診断受けなかったのも、もし赤ちゃんがいたらレントゲン検査受けない方が良いと思ったからよ。でも相原君良く見てるわね〜。もしかしたら気がついてるのかと思ってドキドキしちゃった。」

「そんなことなら、早く云ってくれよ〜〜。」

「ごめんなさい。でも、はっきりしてからあなたに話したかったの。大事なことだから。」

「そうか、赤ん坊か、そうか・・・。」

そう呟きながらソファにズルズル沈み込んでいく古代を慌てて支える雪。
地獄の暗闇の奥底から光り輝く天国へ急浮上してきた古代。その浮上のしかたがあまりにも急激だったせいか、修羅場が勘違いだったとホッとしたせいか、はたまた飲みすぎのせいか。古代の意識は急激にフェードアウトしていったのだった・・・。




意識が戻ったとき、古代は愛妻に膝枕され額には冷たいタオルが載っていた。

「大丈夫?そんなに飲んでたの?急に気を失うからびっくりしちゃった。」

頭の上から愛妻の優しい声、目の前には愛妻の愛しいお腹・・・。

古代の意識が急激に覚醒してくる。そして意識を失う前の会話が鮮明に思い出されていき・・・。飛び起きようと思ったが、頭が盛大にうずき古代はその努力を放棄した。囁くような声で雪に問う。

「4ヶ月って云ったけど、普通2ヶ月ぐらいで分かるもんじゃないのか?悪阻とか無いのか?昨日あんな激しいことしちゃったけど大丈夫なのか?」

くすくす笑いながら雪が答える。

「ええ、そうなんだけど、気がつかなかったのよねぇ。悪阻も無いし。あ、でも夜のほうは安定期に入るまで様子を見たほうがいいって云われたけど。」

普通、妊娠は毎月の身体の変化でわかる。だがたまにはその変化が後れてくる事もあるそうだ。それは珍しいことでもないらしい。だが今回妊娠したらしいと気づいた雪は、自分を妊娠2ヶ月と考えその受精日を計算した。すると・・・合わないのだ(4ヶ月ならバッチリ合うのだが)。そのころ旦那は宇宙の果て。そんなはずは無い。それで泡を食って知り合い(それがドクターだった)に相談し、速攻で検査することになったのだが、それが連絡ミスでキャンセルに。円城寺が焦って電話をかけてきたのにはこんな裏があるのだが、それはここだけの話しにしておこう。人間知らなくて良いことは山ほどあるのだから。

「それから、いいもの貰ってきたの。見て。」

雪が差し出す1枚の白黒写真。かなり不鮮明だが何だか人のようなものが2つ・・・。

「雪、これってもしかして・・・。」

「そう、私たちの赤ちゃん。それも双子みたいなの。」

「双子かぁ。それが今ここにいるんだな。」

古代の手が優しく愛妻のお腹を包み、その上に雪が手を重ねる。
そのとき、どこからともなく歌うような声が響いてきた。

『やきもち焼きのお父さん、こんにちは。』

『うっかりもののお母さん、こんにちは。』

2人の耳に宿ったばかりの赤ん坊の声が聞こえたような気がして、古代と雪はにっこりと微笑み合った。
そして、そんな幸せそうな2人を煌く星たちがくすくす笑いながら見守っているのでした。
 

おしまい


食卓を彩る恋愛レシピ第3弾、『雪ちゃんのお騒がせ妊娠編』です。

古代君、半日もビーフシチューをドロドロと煮込んだあげく、本人もドロドロになってしまいました(笑)。

やっぱり彼にとってはあの連絡艇で雪ちゃんの手を離してしまったことが一生のトラウマになっているだろうし、離れていた間、雪ちゃんは彼の知らない時間・人間関係を持っているだろうし。彼はそこには踏みこんで行けないが故に、暗く嫉妬してしまうのではないか・・・と。是非、心に体力があるときにお読みくださいませ。
byいずみさん2004.11.12)

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