079 やきもち
なおこさん作
ユキは時々、左の薬指に指輪をする。

ナンパ除けの為に。カモフラージュだそうだ。

左の薬指の指輪には、それなりの御利益というか、威力というか、何かがあるらしい。



「進さんは、指輪するの嫌?」

唐突に彼女にそう聞かれた。

指輪とかブレスレットとか。オトコでもそういうアクセサリーの類を身に付ける奴はいるけれども、あいにく俺にそういう趣味はない。

「嫌っていうかさ。してるの見たことないだろ?」

「それは分かってるの。そうじゃなくって…えぇっと…あの…。」

何だか言いにくそうに言葉を濁す彼女の目線が、俺の左手に注がれている。

「ここに…。」

「うん?」

彼女が指差したのは、薬指。

「…あぁ。指輪って、結婚指輪のこと言ってるのか?」

「そう。進さんは普段そういうの付けないから。指輪するの嫌かしらと思って。」

彼女との結婚は、延期になったままもう何年も経っていて、そろそろ腰を上げなければとは思っているのだが。

突然そんなことを聞いてくるなんて、もしかして遠まわしにプレッシャーをかけているのだろうか…。

そんな訳で、どうしてそんなこと?と聞くのは、少し躊躇われた。

思いっきり墓穴を掘るかもしれない。
ふたりの結婚問題に関しては、圧倒的に俺の分が悪い。100%と言ってもいい。

とはいえここで、会話の流れをぷっつりと切るのも不自然だ。

「別に嫌じゃないけど?」

と無難に切り返してみる。嫌じゃないのは確かなのだ。嘘じゃない。

「そう?じゃ、してくれる?」

「してほしいのか?」

「して…ほしい。…ううん。して!」

“してほしい”とか“して”とか。それだけ聞いてたらまるで怪しい会話だ。
でも茶化せない。彼女の真意がまだ判らない。

ユキは俺に、結婚したら指輪をはめろという。
それはしごく当然の要求だろう。
しかしなんでまた、式の予定も未定の現在(いま)、そんな話になるのやら?

「ご要望は承りましたが、お嬢さん。突然そんなことを言うってのは、何かあったんでしょうか?」

「…あったというか、あったら困るからというか…。」

「何だよ?」

「……お買い物に行くでしょう?」

「ちょっと待て。結婚指輪をする、しないの話が、どうして買い物の話に摩り替わるんだ?」

「まぁいいから。最後まで聞いてちょうだい。」

へそを曲げられると困るので、取りあえず黙って先を聞くことにする。

「お買い物に行くじゃない。ふらっと入ったお店に素敵な椅子があるの。アンティークで、もうばっちり好みの。」

「うん。」

「座り心地もよさそうで。」

「うん。」

「ちょっと値段は張るんだけど。頑張れば買えるかもって。」

「うん。」

「でね。買おうかなって思うんだけど。よく見ると《ご売約済み》って、赤い札が貼ってあるのよ。」

「うん。」

「つまり、そういうこと。」

…そういうこと?

…どういうことだ?

「じゃあ何か?アンティークの椅子が俺で、指輪は売約済みの印だと?」

「そういうことね。」

…もしもし?

「だって。進さんのこと素敵だって言う人多いのよ?」

「そうなの?」

「そうよ。あなたが知らないだけで。」

「そうなんだ。へぇ〜。」

「『へぇ〜』じゃなくって。もぉ〜〜。」

「スミマセン。」

どうやらユキは予防線を張りたいらしい。

『好みの男が目の前にいたら、結婚しているかどうか、無意識に指を見て確認する』

と、同僚の女性職員が話しているのを聞いたのだという。
指輪がなければ、心の中で“よしっ!”とガッツポーズするのだと。

…そんなもんかね?

進さんはモテルのに、全っ然、自覚がないから…と小声でブツブツ言っているユキが可愛くて、俺はちょっと彼女をからかいたくなった。

「でもさ、ユキ…。」

「なぁに?」

「『買ってもいいかな〜?』くらいだったアンティークの椅子がさ、《ご売約済み》って分かった途端に、何が何でも手に入れたくなるってこともあるよな?」

「何ですって?」彼女の片眉がぴくりとあがる。

「あれ、不思議だよな〜。他人(ひと)のもんだと思った途端に、どうしても欲しくなったりするんだよ。なんでだろうな?」

「ちょっと進さん!?」

「たぶん、売約済みの一言が購買欲と独占欲に火を点けるんだよ。な?」

「知らないっ!!」


ユキは頬っぺたをぷぅ〜っと膨らまして怒っている。

…あ〜、それそれ。その膨れっ面も可愛いんだよ。

怒ったユキの顔をみて、俺がにや〜っと笑うので、彼女は益々ご機嫌大斜め状態だ。

…いやだから、それが可愛いんだって。



あのさ。

もし俺が、本当に『素敵』と思われているのなら、それは君が傍にいてくれるからで。

君がいないと、俺がどんなに腑抜けなヤツに成り下がるかは、俺自身が嫌というほど知っている。



それにね。

結婚しようとしてまいと、指輪があろうとなかろうと、俺はユキだけのものなのだよ。

それは君も分かってるでしょ?


大丈夫。

安心しなさい。


今だって。
俺の背中には大きな紙が張られている筈だ。



《ご売約済み・森雪サマ》

おわり


遠まわしな、ユキちゃんの「やきもち」と、今回はちょっと余裕でそれを受け止める古代君…といったところでしょうか。
男性が結婚指輪をしているのって、私は好きで、素敵な人がしていると、「あら残念」思う反面、益々、素敵〜っと思ったり、こういう人の奥さんは、やはりさぞかし素敵な女性に違いないと思ったり…
「やきもち」なお話になっていればいいのですが…
なおこさん(2004.2.4)

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