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H14年度磐城桜が丘高等学校1学年国語科ディベート授業のまとめ
2002.11.11(月)


福島県立磐城桜が丘高等学校 H14年度1学年国語科 島貫 真

1、はじめに
 ディベートの授業は、だいぶ前から中学の国語科や社会科の授業で取り上げられているのは知っていた。また、前任校の湯本高校で公民にディベートを取り入れた授業実践も見学させてもらった。そうではあったものの、高校国語でしかも学年全体の取り組みということになると、なかなか踏み切れない。
 だが、子供たちはあまりに多くの情報を、毎日毎日湯水のように消費しながら生活を送っており、それでいてその情報を十分に生かして自分の生活を豊かに過ごしているとは言い切れない。その現状を見るにつけ、ただひたすら右から左に情報が流れていくのを傍観し、ときおり脈絡なく都合のよい情報だけを取捨して思考行為の代償としていくような振る舞いから、なんとかして身を引きはがす経験をさせたいという課題を自覚するようになっていった。
 そこで今回1年担任になり、H14年度1学年国語科のシラバスを3月から4月に作成するにあたって、生徒たちが受け身ではなく、自ら進んで論理的に思考し、聞き、書き、かつ話すという力を身につけるための基礎学習として、もっともふさわしいのがディベートの技術を習得することである、と考え、当初総時間10時間の予定で、2002年10月にディベート授業を計画することとなったのである。

2、授業のにおける生徒の目標
 @ディベートという模擬的な議論の仕組みを学ぶ。
 Aその方法を実際に使って、具体的に議論を体験する。
 B自らが調べ、考え、発表し、聞き、反論し、判断することができるようになる。
 C@〜Bを通して、情報を構造化し、みずから仮構された主体となる。

3、目標設定の理由
 @ディベートという方法
 ディベートは、議論の方法、順序、中身の種類が、あらかじめ決まっている。
 だから、そのフォーマット通りにやっていくと、模擬的な議論ができる。
 教室ディベートと呼ばれる中高生向けディベートの型は、議論の時間、話をする内容、順序などが標準化され、ディベート甲子園という一つのルールとなっている。
 もちろん、ディベート甲子園のフォーマットをそのままやる必要はないが、フォーマットをあらかじめ決めて、その中で模擬議論をしていく、という形は必然性があるだろう。
 論題はあらかじめ決定されていて(ディベート甲子園の場合は半年前)、地区大会から全国決勝まで、同じ論題で何度も何度も戦っていくのである。
 ディベートは、一見不思議なことに、同じ論題で何度でも試合ができる。そして、何度でもやればやるほど、その論題についての知見が広がり、論理的な思考が深まっていく。つまり、論理的に議論で競い合い、ゲームとして勝ち負けの決まるディベートという形式は、相反する主張をぶつけ合わせ、その論題に関わるすべてのことを明らかにし、可能な限りの議論をしつくして、「考える」ことそのものをその場所に出現させる可能性を持っている、といえる。さらに、物事を敢えて肯定側と否定側に分けることで、異なる立場、異なる主張に耳を傾ける訓練の場としての有効性が見えてくるのである。
 A今回の授業におけるディベートの意義
 私見だが、21世紀、少なくてもここ10年から20年ほどの日本の教育は、演劇の時代になるだろうと私は考えている。
 建前と本音という二重化された場所の間を任意に飛び移りながら利害を調整する言説は、もはや機能不全を起こしている。旧来の日本的な言説(言説とはすぐれて状況を定義するという意味では政治的=権力的なものであるわけだが)の有効期限が切れようとしているといっていいだろう。では私たちは、どんな言葉の仕組みを再構築して、私たちの声を支えていけばいいのだろうか。そのとき、与えられた役割を演じきる、語り尽くす、という演劇的言説(言説に限らず表現行為全体というべきかもしれない)は、私たちが新しいことばの空間を立ち上げなおしていく上で、大切な可能性を提示してくれるのではないか。
 異質なもの、価値の比較が一見困難なものを、それでも同じ土俵に乗せて、あえて選ばなければならないのが政治的な判断だとすれば、たんなる共同体の利害調整のような手法は、そこではもはや十分に機能しない。
 真実が明快に一つの言説として収斂していくのであれば、生徒は黙ってをれをノートすればよい。事実、いままでの高校教育(なかでも受験を意識したそれ)では、「正解「を理解し、記憶し、答案として再構成する能力が何よりも求められてきた。だが、自分にとっての真実という物語、社会にとっての正義という物語、国家にとっての利益という物語、学校にとっての、世界にとっての、アメリカにとっての、イスラムにとっての......という「真実の物語」ばかりが「情報」としてあふれている現実を前にして、どれが真実なのか、と問うことは、もはや必ずしも有効な教育のスタイルではないだろう。
 ではだれもが任意に「真実の物語」を立てればよいのか?自由主義の理念的スタイルにおいてはそうなのかもしれない。やれるものならやってみろ。他方、人生の芸術化という側面が、日本でもしだいに(というかなおも、というかこれは微妙だけれど。伝統の力はそういう意味では偉大だから。文学だけに限っても、わび・さび・俳諧・風流・私小説・日記などなど、この側面における伝統の力はあなどれない)大きくクローズアップされるであろうことは想像に難くない。だが、それはこの授業の目的地ではないだろう。単純な物語化を拒むことこそが時代の求める教育であるのだとすれば。
 それでは、今回ディベート授業が目指す場所はどこか?それは、「中間領域」とでも呼ぶべきところだ。パブリックな場所、「公共の」という形容がふさわしい場所を、教室に作り出す、その場所こそが目指す「場所」なのである。
 子どもたちだって、おそらく安定した状況の定義を求めていないわけではない。ただ彼らは新しい種類の困難にさらされているのではないか。たった一つの大きな物語も、それに対置されるたくさんの小さな物語も、ひとしなみにある種の「便利で豊かな」情報として目の前をただ通過していくよりほかないという新しい種類の困難さ。その困難さに敏感なだけのことなのではないか。むしろ無力だからこそ敏感なのだ、とも言えるかもしれない。ディベート授業の持つ可能性はおそらく、その無力さに縦軸の添え木を与え、鋭敏さに平面の基盤を与えることにある。それが、今回のディベート授業の意義、である。


4、参考資料
@,VTR「小学校ディベート授業入門」学事出版
A,ファックス資料「中学校・高校ディベートワークシート」ネットワーク双書 
上條晴夫・池田修共著 学事出版
B,「中学校国語科ディベート入門」池田修著 学事出版 ネットワーク双書

5、授業計画(全12時間)

 導入部
1,ディベートのVTRを見る
資料1:「小学校ディベート授業入門」学事出版(40分)

2,フォーマットの解説。データ、根拠、主張という三角ロジックの演習。
資料2:プリントP1〜P3

 展開部

3,マイクロディベートの説明と第1回を実施。
・15分ほど手順を説明。
資料3:プリントP4〜P10
・組み分けはトランプを渡し、同じ数字の者を同じ組とする。1スーツ抜いて、ジョーカーを入れるとちょうど40枚になる。ジョーカーの子は、キャラをみて中に入れたり、タイムキーパーを手伝わせたりする。もしクラスに経験者がいれば、司会かタイムキーパーにあらかじめ指定しておいてもよい。
・論題「小説『羅生門』の下人は老婆の着物を引剥ぎすべきである」
・時間は肯定立論2分、否定尋問1分、否定立論2分、肯定尋問1分、
否定側反駁1分、肯定側反駁1分、審判2分、判定2分の計12分程度。
ただし間にフォローを入れながらなので実際はもう少しかかる(マイクロは、第2反駁はやらない)。
・3人全員にフローシートを取らせるようにする(資料P8〜10) 。教師は、あらかじめこのフローシートの取り方については学んでおく必要がある。フローシートが書けるようになると、ディベートの基礎はできたことになるので、3回やるマイクロで、このシートの取り方を理解させたい。

4,マイクロディベートの第2回、第3回を実施し、本ディベートのグループ分けをする。
・第2回、第3回のマイクロディベートは比較的スムーズに行くはず。
・その後、限られた時間で、相手の話をきちんと聞いて、それに論理的な反駁をしていくことがいかに難しいか、それを身に付けるための授業だ、と動機付けを確認させておきたい。この時点では反駁がほとんどできず、時間が余ってしまうはずである。ところが、たい興味深いことに、ディベート終了時にはこの時間が不足して悔しがる生徒が出てくることになる。この時点でまともにディベートが成立しないことはあまり気にせず、手順が身に付いたかどうかだけを確認しておくこと。
・論題「日本は年少者の脳死臓器提供を導入すべし」
・グループは必ず4人構成とする。40人クラスだと問題なし。少ない場合は3人の班を作る。5人以上は遊ぶ者が出てくるので、絶対にやっては行けない。時間の都合があるなら、授業を買うとよい。本番のディベートは生徒が全て取り仕切るので、授業者はフローシートを取る事以外に仕事はなくなるので、連チャン授業の無理が利く。ここまでくれば後は大丈夫である。

5,調べ学習1(パソコン室利用の場合)
・資料P11〜をまとめて渡す。このようにそれぞれのシナリオを作るのだ、ということを分からせて、仕事の分担をする。立論・尋問・第1反駁・第2反駁の4つである(今回は第2反駁まで実施する)。だが、バラバラではディベートにならないので、協力せざるをえないことになる。
・ブレストシートにメリット・デメリットを出してみる。(資料P12)
・そしてリンクマップを作る。(資料P13)
・班ごとに座席を指定し、4人で1台パソコンを起動させる。
・Googleでの検索(yahoo!はカテゴリー検索なので、むしろGoogleの方がよい)を指導し、いろいろなサイトがあることを分からせて、必ず資料印刷の方法を教えておくこと。
・放課後、土日など、自由に使える時間を確保して、それをきちんと生徒にアナウンスすること(資料P14)。そしてこの時点で、立論提出の期限(あまり充分な日数は取らない方がよい。安心は人間を怠惰に導くので)を示し、ちょっとがんばらないと間に合わないな、という雰囲気を出してプレッシャーを与えるとよい。一人ごとの課題なら逃げられるが、4人一組だとそうそうは逃げられない。インターネットの高速化が望まれるところだ。
・パソコン室を使わない場合は、図書館を利用。もしくはあらかじめ新聞を準備させておく。
6,調べ学習2
・クラス、パソコン室、図書館と3カ所を上手に使うとよい。できれば、担当者ごとに進度を1週間から10日ぐらいわざとずらすと、それらの部屋の確保がしやすくなる。
・あらかじめこちらで資料を充分に用意することだけはやってはならない。むしろ情報が少ない状態において、資料を求めさせる動機付けが大切。まったく資料がないと何をしたらよいか分からないという生徒も出てくる場合があるので、そのときには日本の論点2000、2001、2002や現代用語の基礎知識、新聞記事などから、抜粋して資料を少し与えてもよい。
(調べ学習中に土日をはさみ、調べ学習の時間を確保するとよい。)

<肯定側・否定側、2つの立論の提出日を設定>
・放課後6時まで、とすると5時過ぎから生徒がたくさんやってきてチェックを受けることになる。
生徒たちの立論をチェックしていくと、論理性を高めるための演習となるので、ここは一つ一つ丁寧にチェックしておきたい。          

7,第1回グループ対抗ディベート(1試合)


・机の配置

○教卓

□     □
肯定側   □        □   否定側
□           □
□              □

□ □ □ □
審判

一般席
□  □  □  □  □   □
□  □  □  □  □   □
□  □  □  □  □   □
□  □  □  □  □   □
  □  □  □  □   


・肯定側立論  3分
 否定側尋問1.5分
 否定側立論  3分
 肯定側尋問1.5分
 (準備時間2分)
 否定側第1反駁2分
 肯定側第1反駁2分
 (準備時間2分)
 否定側第2反駁2分
 肯定側第2反駁2分
 審判     2分
 判定     2分
(以上25分のフォーマットである)
・ディベーターは前に出て論じる。
・尋問は両方壇に上る。
・ディベーターが論じるときは、全員フローシートを取る時間なので、いっさい私語はつつしむこと(徹底させること。司会に注意させるとよい)
・ねぎらいの言葉や、丁寧な挨拶を心がけ、けんかや無理な議論をしているのではなく、模擬的な議論をしているのだということを常に自覚させる。
・実際には、1時間に2試合完全に終わるのは難しい。審判のみ次時になたり、反駁から次の時間ということもしばしばであった。だが慣れてくるとしだいにスムーズに審判できるようになってくる。
・最初は審判への助言が不可欠である。場合によっては審判を連れて廊下に出て、生徒のフローシートを確認し、ポイントを教えてやる、などのことを最初やる方がいい場合もある。それほどのことが必要ない場合は、審判の脇にいて、フローシートで試合の流れをきちんとたどり直してやるとスムーズに審判できるようだ。審判が一番プレッシャーがかかる役割であることが、次第に生徒の間でも認識できてくるのがおもしろい点でもある。
・一般席の生徒も、審判と同じくフローシートを取り、自分なりのジャッジを記入して毎回提出を義務づける。すると、話をしっかりと聞こうという姿勢が身に付き、そのことによってディベートの試合のおもしろさに気づき、後半になると敵の立論や反駁をたしかめるために、提出した自分のフローシートを確認にくる生徒も出てきたりするので、ぜひ一般生徒に私語させたりぼーっとした状態をつくらぬよう、緊張感を維持させたい。

8,第2回   〃          (2試合)

9、第3回グループディベート(2試合)

<ここまでで予選終了>


終結部


10、決勝トーナメント(2試合)

11、決勝トーナメント(2試合)

12、決勝戦(1試合)および自己評価
・自己評価用紙(資料5)

6,授業計画の説明(補足)
☆導入部について
 ディベートになじみのない生徒に、あまり訳の分からないままマイクロディベートに入るのも不安が大きいので、そのあたりは配慮が必要。しかし、遅くても3時間目か4時間目にはマイクロディベートに入るようにしたい。説明がないと不安だが、説明が長いと興味がそがれる。難しいところである。VTR+簡単な説明を1時間で終え、2時間目に論理の演習が終了できるとよい。この時点ではまだ生徒たちは分かっていなくても大丈夫である。

☆展開部
@マイクロディベート
 マイクロディベートは、3人一組になって3回模擬的なディベートを行い、肯定側・否定側・審判と3つの役割を、交代して全てを経験するものである。この時点では、論題は調べ学習が不要なものが良い。今回は小説教材『羅生門』の学習を踏まえて、下人の行動についての論題「下人は老婆の服を引剥ぎすべきである」を設定して実施した。
 論題・反駁については、シナリオを用意し、自分の意見が出せないものは、最初の回についてはシナリオを読んでもよいこととした(資料P6〜7)。この時点ではきちんとしたディベートができなくてもいいから、流れと形式に慣れ、時間を区切って進行していく準備ができれば充分である。
 このとき、かならず全員にフローシートの書き方を教えて(資料P9〜10)、メモを取らせる型、を身に付けさせておくとよい。提出を求めるが、中身は見なくてもいい。メモを取りながら聞くという慣れ、が何より大切なのだから。

A調べ学習
 実際の所は、ここが授業の最大眼目の一つである。資料をここで確実に入手しておくことが後半のディベートを充実させる意味で欠かせない。教師がインターネットサイトをあらかじめある程度調べておき、調べ学習に適当な資料の量が確保できる論題を設定する方がよい。
 ここで注目しておきたいのは、マイクロディベートは価値論題(人間の生き方や価値観によって答えが変わるもの、たとえば生きるためには悪いことをしてもいいか、とか、死刑廃止の是非とか)の方がとりつきやすいが、本番のディベートは、政策論題(炭素税を導入すべし、や高速道路を民営化すべし、脳死臓器移植を禁止すべしなど、行政や立法など、具体的な政策・意思決定に関わって、具体的に利害、メリットデメリットが議論しやすいもの)の方がスムーズに議論が進行しやすいようだ。厳密に価値論題と政策論題を分けることはできないが、政策において議論するのが基本になっていないと、感情論や価値観の対立を招くこともあるので注意が必要だ。
 新聞の切り抜きなどが必要な場合は、論題をディベート授業以前に設定しておいて、あらかじめ情報のストックをさせておくべきである。
 ちなみに論題の「日本は年少者の脳死臓器提供を導入すべし」は、美貴ちゃん募金を生徒会が企画した直後だったため、この論題となった。

B本番のディベート
 司会台本、肯定側・否定側用にそれぞれディベータ台本(立論、尋問、第1反駁、第2反駁)、判定台本と、それぞれシナリオ(内容が空欄になっているもの)をもう一度事前に、全員に渡しておくとよい(資料P15〜肯定側第2反駁は省略した。いずれも参考図書2「ワークシート〜」を利用させていただいた)。
 今回は調べ学習と本番の間に、肯定立論と否定立論の2本の台本を自分たちで書き上げ、そのコピーを必ず提出させることとした。
4人一組のチーム対抗制。審判も4人で、一人がタイムキーパー兼司会、残り3人が判定者。
したがって、一度に3班12人が前に出てディベートを行う。残りの一般席の生徒はフローシートを取ることを毎時間提出の課題とした。フローシートは話を聞いていないと取れない。したがって、聞き手の間に緊張感が成立する。その代わり準備時間の2分×2の時は、書けなかった部分などを相談してもよいこととした。壇上にディベーターが立った時には、些細な私語でも早めに厳しく注意しておくと良い。途中で他人に聞いたら、それ自体が迷惑だということに気づくと、良い習慣づけにもなる。

C決勝トーナメントについて
 
これは、時間がなければ割愛しても良いのだが、実はここからが本当のディベートらしくなるので、時間に余裕があればぜひ実施しておきたい。二度目の試合から、見違えるような生徒たちの成長ぶりを見ることができる。

D自己評価について
 フローシートの提出、ディベートの状況など、評価する視点、資料に不足はないと思われるが、最後に自己評価を細かくさせ、それと教師の評価を付き合わせることによって、本人も納得した形で評価ができる。自分の分担した役割とディベーター、審判について、それぞれ反省点と良かった点を書かせるとよい。

7,終わりに

 ディベート学習を学年全体で実施してみて感じるのは、生徒が鮮やかに変化・成長するのがたった12,3時間で見えてくる、その手応えの確かさである。堰を切ったように言葉が出てくるようになるまでに、たった2回のディベーターの経験があればよいのだ。
 マイクロディベートのときはたった1分の反駁でさえ、時間をもてあましていたというのに、決勝トーナメントになると、反駁の時間が足りないといって悔しがるディベーターが一人や二人ではないのだ。
 部活動なら、当たり前の風景かもしれない。だが、今までの自分の授業で、生徒はこれほど生き生きと成長の姿を見せてきただろうか?私は自問せずにはいられない。それほどにも、今の時代と教室ディベートの授業はシンクロしている。いや、彼ら生徒たちの中であふれ出そうになっている欲望のエネルギーに形を与える授業の手法の一つが、たまたま教室ディベートだった、ということだろうか。語りたいという欲望、人の話を聞きたいという欲望が渦巻く空間、教室がそんな空間であったことが、過去のものであっていいはずはない。
 総合的学習であろうが、国語であろうが、あるいは社会の授業であっても英語の授業であっても、LHRであっても構わない。子どもたち、そして私たちが欲望している豊かであるべき空間=教室に適切な形を与える方法があるなら、任意にそれをとり、合わなければ勇気を持ってそれを捨てる。そういう決断を迫られているのではないだろうか。
 子どもたちを動かしつつ、その上で立ち止まって考えさせるためには、きちんとした仕組みが必要だ。今回は教室ディベートという仕組みにその可能性を探ったが、答えは無数にあるだろうと思われる。
 数年前から桜が丘で取り組みがなされている学年スピーチコンテストやNIEの発表会などもその一例だろう。だが、聴衆の緊張感は、ディベートの方が確実にまさっている。教室ディベートの可能性を、もう少し探っていきたい。

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