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 『佳人』小論

  −−表現放棄の表現者という罠について−−

島貫   真  




 およそ文学というものが、読む者をして、いかなる様相のものであれ活性化された混沌の中に送り返す力を持ったものであるとするなら、石川淳の作品もまた、文学と呼ばれてしまうのだろう。実際、石川淳の小説は、あるとまどいを持たれながらもそういう形で文学の範疇におさめられてきた。しかし、自己韜晦の戯作者的風貌を本質とみて済ませるにしても、逆にそういう姿勢から、内に闘われている文学的課題の切実さを見、「表現放棄の表現者」という逆説で迎えるにしても、装いを変えた作家と作品、主体と表現という仕組みをそこに見出し、石川淳の作品を文学として、文学的表現として受け止めようとしてしまうのは、文学的な視線と石川淳の小説の関係が作り出している不幸というべきかもしれない。
 一般に、石川淳の作品は、生身の生活から自立している、と言われながら、結局作家自身について論じられることが多いのも、主体を求め、その表現を求めてしまう読者自身の文学的視線の欲望ゆえ、と考えることができるのではないか。(注1)また、一方では、だまされまい、だまされまいとして目をこらすふるまいそのものが、みずからだまされることをひきよせてしまう視線の欲望から自由になりえていない批評も多い。(注2)
 しかし、石川淳の作品が、なによりも作者と作品、作品と読者という二重の二元的な主体区分を求める視線に対して演じられる見せ物であることから出発していることに、人はもう少し注意深くあってよいのではないか。
 『佳人』はそのような形で読者の前に登場するのである。
 諸家の指摘するところだが(注3)、『佳人』の「わたし」は弁明する「わたし」だ。誰に向かっての弁明か。文学的な視線=読者に向かっての、である。それを作中の「わたし」は「諸君」と呼ぶ。呼ばれたからといって返事をする人もいないまいが、文学的視線は、とりあえずそれに答えようとするほかないだろう。読者を演じる、といってもよい。
 では、その「諸君」に対して「わたし」はどんな弁明をするのか。物語が書けずに、しかも自分自身の叙述が取り返し不可能なものとしてあってしまう以上、「わたし」自身のことについて書くほかない、と繰り返し弁明するのだ。
 この時、物語がかけない、と愚痴るからには「わたし」は物書きだ。その物書きが安穏と物語を書くことができないまま、自己の身の置きどころの問題に捉えられ、外部の観測点(へそ)も内なる観測点(「死につつ死ぬことを意識」しつくすような自意識の点)も確かなものとして持ち得ず、死にぞこないのコキュ、およそ無意味な生のありようまで落ち、妻の姉にいだいた性欲があからさまになるところまで叙述されて終わる、というのは、昭和10年代における書き手の自意識の問題を誠実につきつめた作家として、石川淳が存在する証拠ではないか......。(注4)
と盛り上げていってしまうのは、とりあえずの役割としての読者にすぎないものを、無前提なものと取り違えた結果だろう。なぜなら、文学的視線は、どこにでも必ず主体を読みとり、みずからも主体たらんとしてしまうからである。だがそれは同時に『佳人』の手口でもある。というのは、『佳人』という作品そのものが、「わたし」が主体たらんとして、その相手に読者を「諸君」と呼びつけ、共犯に仕立て上げようとする欲望を、ことばのレベルで行為しているからである。ところが、作中の「わたし」は、なによりもまず、作中において書かれた叙述の中のことばであった。作中の「わたし」が書き手として安定した位置を保っているのならば、読者は「諸君」という割付に甘んじてもよいし、あるいは擬制の書き手「わたし」の投入による作品全体のことばの自己運動化という文学的な自由を味わうこともできよう。しかし、「わたし」は『佳人』において、書き手であると同時に、その「わたし」によって書かれたことばでもあるとすれば。
 あらためてみるまでもなく、「わたし」の叙述自身への自己言及は、全編に溢れている。ここでは、「わたし」ということばは、主体−表現という二元論が、虚構のもの(自己自身の無根拠性を隠蔽しなければ成立しないもの)としてあり、しかもそうであるがゆえにかえって執拗に主体−表現という二元論的な欲望が生動してくる場として読まれるほかないだろう。自己言及がなければ主体−表現(ペンとインク)という区別は生まれないにもかかわらず、まさにそのことによって、その区別が循環してしまうという矛盾。そこでは精神の自由が追求されているのでもなければ、また無人称のことばの自己運動がなされているのでもない。人間の発することばが、主体への欲望をあおりたて、同時に拒むという決定不能な見せ物が演じられているのだ。このとき、見せることによって隠し、隠すことによって見せる、ことばの徹底した素早い往復運動として『佳人』は読まれていく。(注5)



<引用>
「わたしは・・・・・・ある老女のことから書きはじめるつもりでゐ たのだが、いざとなると老女の姿が全面に浮かんで来る代りに、わたしはわたしはと、ペンの尖が堰の口ででもあるかのやうにわたしといふ溜り水が際限もなくあふれ出さうな気がするのは一応わたしが自分のことではちきれさうになってゐるからだと思はれもするけれど、じつは第一行から意志の押しがきかない程およそ意志などのない混乱におちいってゐる証拠かもしれないし、あるいは単に事物を正確にあらはそうとすり努力をよくしえないほど懶惰なのだといふことかも知れない。」(全集第1巻P9)
<引用終了>

 以前、この冒頭文の発話構造を次のように分析したことがある。(注6)
I(0)は、「ある老女」の物語を語るべく登場するが、無前提に語り継ぐことができず、自己の内部から「わたし」という溜まり水I(1)が溢れてきて、ここでの実際の書き手I(2)(虚構の書き手)は、内部の溜まり水I(1)<インク>を、「當時のわたし」としてこれ以降書き次いでいく。ここでI(2)は言い淀んだり、叙述をずれこませたりするが、I(3)(作者)のペンはとどこおりなく進められており、I(2)とI(3)は区別される。
 一見すると、ここにI(0)-I(1)-I(2)-I(3)という発話レベルが定位されるかに見える。事実、そういった階層化を前提として多く『佳人』は読まれてきた。しかし、作品に氾濫する自己言及は、逆に読者を、I(2)の弁明そのものへ向かわせていくことになるだろう。
 たとえば、
<引用開始>
「かくはじめられた叙述の中ではもうそこからやり直すことが困難になってしまったのであるが」(全集第1巻P13)
<引用終了>

 といった、随所に見られる自己言及は、叙述I(1)と書き手I(2)の区別を、自己自身の指し示しにおいて成立させながら、同時に指し示されるものも指し示す主体も叙述に送り返すことによって循環させてしまうのである。当然のことだが、ここには「困難」や「支離滅裂」などありはしない。「やりなおすこと」も可能なのだ。とりかえせないのは、その自己言及が読まれている”今”のこの体験よりほかにないだろう。このとき、書き手の自意識を語るかに見えるI(2)の物語を信じてしまえば、そういった事情は見えなくなっていく。
 冒頭文について見直してみよう。「わたしは」の後につづく「・・・・・・」という中絶の存在は、それ以降くりひろげられるI(2)の自己弁明の恣意性を示している。仮に「・・・・・・」を読み落とすとすれば、作品は冒頭から淀みなくI(2)の書き手の自意識の物語として流れていくほかあるまい。だが、「・・・・・・」という瞬間の中絶は、遅れて立ち上がってくるI(2)によるI(1)−I(2)の区別が、作品のことば、わずかに「わたしは」とあるそのことばを読ませまいとして立ち上がってくる様子を明らかにしてくれる。老女の物語を書こうとして書けない、というのは、I(2)が叙述のメタレベルに立って読者に見せつけようとする自己弁明の物語にすぎない。「・・・・・・」は作品と物語の間の往復運動の最初の瞬間であった。
 そんなI(2)の事情は、次のような一文についてみればさらに明らかになる。

<引用開始>
 しかしこの日わたしはある興奮−−−それの愚かしさを諸君はやがて知るであろうが−−−にいっぱいになって、気もそぞろに足を浮かせ、あたかも籠に盛り上げた林檎をこぼすまいとして駆け出す子供のやうに感動をぢっと抱きしめてかへりをいそいだ。(全集第一巻P9)
<引用終了>

 挿入句の部分に見られる「諸君」という呼びかけには、I(2)=話者、読者=聴者という関係の幻想をねつ造しようとしている様子が見てとれる。読者は、I(2)によって「諸君」と名指されることによって、とりあえず書き手I(2)の読者の役割を演じることになるのだ。そのうえ、「やがて知るであらうが」と、まだ書かれていない叙述を先取りすることによって得ようとするニセのスピード感は、読者の読まれている”今”を、物語の今と取り違えさせようとする手品の身振りなのである(I(1)の「感動をぢっと抱きしめて」駆け出すことの速さを、愚かしさと断じる身振りが、それ自体ねつ造された速さである、とは念の入った目くらましではある)。
 また同時に、I(1)自身も書き手の身振りをしてみせる。少し引用が長くなるが、

<引用開始>
 あくる日縁側の日向でわたしはわたしの手帖をひろげていた。
(中略)
手帖の一節−−−
<<自分の愛してゐるものの質が悪ければそれを愛する自分の質も悪くなる>>レオナルド・ダ・ヴィンチ
 今時分こんなことばを読まなければならないとは何たることだ。おれの目で底まで見すかしてしまったユラの中にまだ不透明な箇所があるとすれば、それは吸い取られたおれの血のかたまりよりほかのものではない。それが惜しいのだ。おれが何かをするといふことは、まずユラをわが身から引き剥すことにはじまる。(中略)當人のおれとしては、今気の立ってゐる矢先にかうしてレオナルドにおどかされてみると、酷の蒟蒻のと捏ねまはしてゐるひまにおれの質がだんだん悪くなって行くとしたならば、何が美しい仕方だ、それこそ取り返しがつかないぢゃないか、とこのほうがよっぽど身にしみる問題なのだ・・・・・・

 これは一週間ばかり前に書きつけたものだが、わたしは先を讀むのをやめ、いい氣なものだなと思った。ユラがこれを見たとしたらば、それはこっちでいふことよ、あたしの質が悪いように見えるとすればそれこそあなたの悪い質が傳染った證據ぢゃなくって、うぬ惚れもいい加減になさいよといふかも知れないし、さうなればなんのユラごときと見得をきるところであり、何もはじめから取り上げるには當らなかったことだ。(全集第一巻P17〜18)
<引用終了>

 手帖の「おれ」はユラへの愛を拒もうとしながら、その不可能にいらだちつつ、循環した言説を繰り返しながら時間をやり過ごしている「おれ」である。(「おれ」の言説も、「わたし」の言説も、同様に言説に対するメタ言説としてありながら、レベルを定位しえずに循環することばの見せ物として機能していることは当然指摘できる。ダ・ヴィンチと「おれ」、「おれ」の手帖と「わたし」という関係が、身を引きはがそうとしつつ循環していくありあさまh、作品が、ことばの多層な身振りをことばでなぞっていることを明らかにしてくれる。そういう意味ではサービス満点、でもあろうか)。I(1)は、手帖の中の「おれ」に対して書き手として対しつつ、「いい気なものだ」と批評しているかに見える。しかし、これはあの冒頭のI(1)とI(2)の関係に酷似してはいまいか?また、「何もはじめから取り上げるにはあたらなかった。」とはどういうことだろう。取り上げる必要のなかったことを語っている「おれ」について語るI(1)。明らかにここでのI(1)は、I(1)と「おれ」の区別を不必要に見せている。
 世界から自己を引き剥がそうとする欲望が堂々めぐりを続ける、というのがIたちの行為のモチーフであり、それはとりわけて言説の循環という形であらわれるが、同時に彼らは、それを見せることによってそこから自由になろうとする。みずからが見る者となり、あるいは見る者=読者を共犯に仕立て上げることによって。
 『佳人』末尾部の自己注釈の部分も同様である。従来は、そこに作者石川淳自身の声を聴く人が多かった。そういった人たちは、「内証ばなし」をするI(2)の共感の誘いにのせられてしまっているのである。I(2)はここで丁寧にも、読者を

<引用開始>
 世間一般をさすのではなく、この愚かしい叙述を親切にもここまで讀んでくだすったひとたちがあると假定して、そのひとたちにむかって告げることである。(全集第一巻P41)
<引用終了>

 と区別して見せる。このとき、ここを読む読者は、この指し示しによって二重性を持たされることになるだろう。もちろんI(2)によって仮定された読者と、読まれる”今”を体験している読者とのふたつである。
 前者だけを演じてしまい、これ以下の部分を作品に対する作者の自己注釈として受け止めるのは、ある意味で正しいことなのかもしれない。一緒に「わたし」と内緒話をしていたい欲望は、文学の場にあって、さほど指弾されるべきとも思われない。
 だが、I(1)→I(2)、そしてI(2)→I(1)の往復運動をもたらす自己言及の氾濫は、I(2)と同じ高さから読むことの恣意性を、ことばの身振りにおいて示し続けているというべきではないか。その一瞬の移り身は、見えるものと見えないものの間を往復するのであり、その限りにおいて、作品のことばは徹底した見せ物として機能しつづけているのだ。




 作品のことばが、まやかしの主体区分としての叙述−書き手、書き手−読者という関係の幻想を成立させ、作品『佳人』とは違うものを見せようとしていることを1,2で見てきた。それでは作者石川淳は、そういったことばの身振りを見せる主体、I(3)として、機能しているのだろうか。
 寺田透は、戦後すぐの石川淳論で、”見せる人”石川淳を否定的にこう切り取ってみせる。(注7)

<引用開始>
 そのころ小説から作者の『わたし』を消去するための装置と、この装置に関する考案は次第に精密になって来つつあった(中略)しかし(中略)ともかくそのやうな人間の作用反作用を、作者は考へたのである。(中略)さういう考へ方の簡明卒直を好みだした僕には、石川淳の小説の、あの物語り手である『わたし』が事件の渦中の人物であるとともに、自由に事件を中断させることのできる事件の創作者となってゐる作風(中略)、作品にあくまで『現在』と『精神の運動そのもの』の定著といふ属性を保たしめようがための装置も、けしてそれらが作品から作者を消去させるための役割を果してゐるやうには見えず、ただ作品に解体と才気とにつきものの一種の甘美さを添へる調味料としてしか作用しない。(寺田透「石川淳」(注7)
<引用終了>

 寺田は、恥・恥辱にまみれたI(1)と、I(1)を恥として書くI(2)を見せることによって、I(3)(作者)みずからを隠そうとする主体「石川淳」を作品から抽出し、自己韜晦の認識者石川淳の、小説家としての不足を指摘していく。
 だが、果たしてそうか。他の評者のようには騙されない寺田であるが、見世物の意図を、作者の主体消失への欲望、として規定することによって、再び作品の側へ主体への欲望を招き返してしまっている(寺田の拠って立つところが、人間は主体への欲望から自由になり得ない、という厳しい自覚に支えられているとするなら、それは当然の帰結ではあるが)。 寺田は、ことばとしての「わたし」のありようを、修辞としてしか見ようとしない。従って、I(1)とI(2)の往復運動も、作者の自由に奉仕する(そしてその作者の自由に向けられた読者の夢見る視線に奉仕する)装置としてしか考えない。
 だが、『佳人』は、そういう作者を主体として見ようとすることそのものが、実は、ことばの往復運動の中で生き死にする恣意的な主体への欲望だということを、ことばの多層的な循環を自覚的に演じることで見せていく、見世物としての言葉、ではなかったか。寺田の批評は、石川淳の作品言語それ自体に対してではなく、石川淳の作品言語に引きつけられ、「精神の自由」とか「虚構のレアリテ」を引用しながら石川淳像を作り上げる評者に対して有効なものにすぎない。
 エッセイに繰り返される「虚構」という観念が、ペンとインク、主体と表現という二元論的な配置から生み出されるように見えながら、陳腐さを免れているのは、その二元論の二項は、どちらも、ことばによって演じられるフィクションから逆に立ち現れることに、作品言語が自覚的であることによる。『佳人』におけるI(1)とI(2)の往復運動は、生じると同時に風化していくことばそのもののありようを身をもって示しているといえよう。もしそこに不足があるとするなら、往復運動の一瞬が、一瞬のまま散乱している点であろうか。確かにI(1)とI(2)の往復運動は、一瞬ことばの生身を見せてはくれるが、同時に循環し、一瞬ののちには拡散していくものであり、その身振りは知的意匠として風化していく側面も確かにはらんでいるからである。ことばがその循環を確かな見世物として組織し、見えないものとしてのことばの身体性が生々しくあらわれるためには、焼け跡の少年、そしてIHSを孕む貞子の出現を待たねばならない。


注1 石川淳を「表現放棄の表現者」(『石川淳−作家論』)として考えてしまう佐々木基一がそうだろう。
「『佳人』において作者の書き得たことは小説が書けないということだ」
「石川淳の面白さは、目下のところおそらくは作者の意図する本来の小説概念に反して、描き出された作品世界の作者から独立した発展と示現にあるのではなく、むしろ描き出す作者の手つきそのものにある」(いずれも『石川淳−作家論』より)
 こういった逆説の中に石川淳像を作り上げ、そこに昭和初年から十年にかけての作家の自意識の問題を重ねるというのが石川淳評のスタンダードな形でもある。こういった視点からは、石川淳の戯作性、自己韜晦性が問題とされ、一方作品は純粋散文への志向や、精神の自由の希求といった形で論じられていく。
 しかし、書き手と叙述を同時に提示するメタ小説のをそこに見て、「表現放棄の表現者」という逆説を成立させ、精神という主体の自由を回復する図式は、読者の欲望に関わるものであろう。作品自体は、その欲望をあおりたて、不可視を可視に、可視を不可視にすばやくすり替えるふるまいを続けているのだ。
注2 加藤弘一氏の論文「コスモスの智慧」がそうだ。朱喜の理気二元論を石川淳の小説に重ね、ラカンの鏡像段階論をそこに援用しながら、石川淳の小説が「常に新たな生へのうながし」であるありさまを述べている。石川淳の「気」の分析についての部分は非常に学ぶべき点が多い。しかしながら、志賀直哉の気分に受動的な甘えを配置し、石川淳の作品に満ちた<気>を、切断という能動的なファルスを持ったものとして論じてしまう動かない図式の安易さは問題だろう。ことばが自己を演じ、その演技に読者が対応していく理不尽さが溢れた作品を「自己からの脱皮」「あらたな生へのうながし」といった進化論や活性化論として読んでしまう貧しさは指摘されねばなるまい。
 気−理という二元論とその裂け目から見える二分以前の生命力という立論は、初期から作品が保持していることばの生きた身振りそのものへのこだわりを、問題から取り落としてしまう結果を招いてはいないだろうか。

注3 岩瀬清雄氏「普賢試論」(福島大学教育学部国語国文学会『言文』29号所収。)

注4 野口武彦氏「石川淳論」P24「かくして『佳人』は一篇の作家の魂の誕生劇なのである」

注5 蓮實重彦「石川淳論または言葉の地層」(国文学−学燈社−S50.五月号P90)に「石川淳は、その束の間のまばたきを利用して(中略)人知を超えた迅速さで言葉と作品とを一またぎに往復するのであり」とある。

注6 拙稿「石川淳論−初期作品におけるわたしのかたち−」参照。

注7 有精堂日本文学研究資料叢書「石川淳・坂口安吾」所収の版による。他には
「けしてこの修辞は言ひたいことを打ちつけに言ふと陥入りかねぬをかしさを避けようがための修辞ではなく、言はないでもいいことを言ふための、言ふ意図を韜晦するための、しかし恥の上塗りのなかからしか取り出されない自己を抛り出して見せながら、この自己かそれとも恥を恥とする自己か、そのいづれが真の自己かをみだりに決定させないための修辞であるといふ点で−さきに僕の言ったことを立証するだらう。」
 とある。「修辞」というのはここでは作者の意図に奉仕する過剰な表現、というほどの意味だろうか。その過剰さにうなずいたり、あるいは寺田のように拒否したりせずに、作品言語の身振りのエナジーをまっすぐ受け止める術はないだろうか、と考えたのがこの小論の動機の一つだった。
     (1983年12月刊行 福島大学教育学部国語国文学会『言文』所収)

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