98年度 磐城女子高校一年国語科
詩のレポート作成資料

Tはじめに
 日常の中で「詩」を読んだり書いたりすることは、滅多にない。私たちは、ふつうの生活をしていて、ことばの根源的な力と出会う体験をほとんど持てなくなっている。そして詩を読むことが、詩のことばと自分自身の魂が共鳴する貴重な体験であるとするなら、その魂が震える体験なしに生きていくことは、端的にいって「貧しい」というほかないだろう。
 ことばの豊かな表情に出会い、詩人の繊細で大胆な心の叫びと共鳴し、そこに確固とした世界を立ち上げていくこと。ぜひ、現代の詩の豊饒な成果の一端に触れ、ことばと出会うことの喜びを共有したいものだ。

U作成の手順
1、詩を選ぶ(自分の気に入った詩を選ぼう。。)

2、班を作る(希望者多数の場合は調整し、必ず1班1編四人とする。

3、担当者を決める(項目ごとに担当者を決める。)

4、レポートの形式
・B4横の縦二段組(資料にあるレポートのモデルを参照のこと)
・右上をステープラーで閉じる
・左下にページを打つ
・分量はB42〜4枚まで。

5、レポートの項目
  @、本文…………レポート一枚目に収まるように工夫する。
  A、語句…………辞書的意味を簡潔に。
  B、表現分析……詩の中での表現の持つ意味、意義、詩語としての分析(一語一語丁寧に)を行う。ここがレポートのもっとも重要な部分になる。
  C、構造図………詩の言葉は必ず響き合い、自ら構造を持っている。
図を利用し、詩のもつ言葉の関係、構造を明確に示すこと。
表現分析に次いで重要な部分。
  D、主題…………その詩がもっとも表現したいことの中心を簡潔にまとめる。
  E、鑑賞…………レポーターがその詩をどう受け止め、解釈し、味わったか、を述べる。
  F、作者と作品…作者とその作品について特徴的なことを簡潔にまとめる。年譜や年表を 写すだけにならないよう工夫すること。
  G、参考文献……利用し、参考にした本については必ず、正確に記載すること。
  H、レポーターの番号、氏名(必ず忘れずに)。

6、レポートの作成
 夏休み中、連絡を取り合って、レポートを作成する。分担ごとにバラバラに作るだけでは、各部分の表現が矛盾したり、ちぐはぐになってしまう場合があるので、必ずレポーター会議を持ち、全員の責任でレポートを作成すること。

7、レポートの提出(八月二四日始業式の日に、現代文担当の先生まで提出)

8、発表
・教師が、事前にレポートを印刷して配布しておく。
・各班ごとに二〇分程度で発表する。
・質問、意見を受けつけ、答える時間を持つ(約一〇分)。

9、評価
・発表ごとに、聴く側は評価表に記入し、全ての発表が終了した時点で提出する。
・その評価表も成績に加味する。(評価表は後日配布)

Vレポート作成上のポイント
 代の詩は、ことばそれ自体が詩語(普通の文章では使われない、詩固有のことば)で書かれているわけではない。何の変哲もない、どこででも使われている単語によって書かれている。だとすれば、詩が詩である理由は、一つ一つの単語ではなく、その使われ方にあるはずだ。
 行の中での前後の関わり、関係。他の行の語句との響き合い。全体の中でのそのことばの役割など。つまり、使われ方とは、関係・関わり・響き合い・役割、と言い換えられそうだ。
 といっても無数の赤があり、また同じ赤でも隣に白があるのか黒があるのかによってまったく印象が変化してしまう。ことばもそれ自体のイメージが様ざまであるばかりでなく、前や後ろ、右や左にどんなことばがあるか、によって、それ自体のイメージががらりと変わってしまうのだ。
 から、詩を読むときには、ことば一つ一つの持つイメージを深めると同時に、ことばの響き合いの様子、ことばとことばとの関係を一つ一つ丁寧に読み取り、一つ一つの言葉が、その詩全体の中で、どんな役割を果たしているのかを確かめることが必要になる。宝石のような詩の一句は、その構造の中で初めて宝石の輝きを放つのだ。
 のような意味で、表現分析は、まず縦糸(ことばそのものの持つイメージ)を確かめ、次に横糸(詩の中の他のことばとの響き合い、関係)をじっくりと見ていくことが大切である
 に重要になのが、構造図だ。ひとつひとつのことばの意味を分類した上で対比し、ことばとことばの関係図というか、仕組み図、詩の設計図を示していく作業である。詩が一つの作品としてまとまった形を成している以上、かならず緊密な構造を持つ。ことばは決してばらばらに輝くことはありえないのだから。
 は構造によって初めて詩となる。ひとつひとつの単語は全て辞書の中にあるのに、詩人がそれを並べ替えなければ、辞書の中の単語は永久に「詩」とは呼ばれないからだ。そこには、ことばによって世界を作り上げようとする詩人の意志の磁場が存在する。そういう意味で、構造とは、詩人が詩に与えた磁場のことだ、といってもいいのかもしれない。私たちはその磁場に感応して魂を震わせる。
 とはおそらく、詩にとどまらない。絵画の構図や配色がそうであるように。また、音の羅列が音楽となるために、秩序立てられた構造が不可欠であるように。
 上、表現分析と構造図がレポートの中心になることを述べた。それらを補うために、主題・鑑賞・作者と作品・語句などの項目がある。一緒に配布されたレポート見本を参考にして、充実した詩のレポート作成をしてほしい。

W詩の本文(省略)
 もっと強く 茨木のり子
 甃のうへ 三好達治
 崖 石垣りん
 サーカス 中原中也
 永訣の朝 宮沢賢治
 小景異情 室生犀星
 聞こえるか 谷川俊太郎
 樹下の二人  高村光太郎
 くらげの唄 金子光晴
 帰途 田村隆一

Xレポート見本
詩のレポート0班   レポーター 島貫真


1、本文

「Between────」 富岡多恵子

1誇ってよい哀しみがふたつある

2部屋のドアをバタンと後に押して
3家の戸口のドアを
4バタンと後に押して
5梅雨の雨で視界のきかない表通りで
6一日の始まる時
7これからどうしよう
8これから何をしよう
9どちらにも
10味方でも敵でもないわたくし
11この具象的疑問を
12誰に相談しよう
13戦争嫌いで
14平和主義者ではないわたくし
15ただ目を見開いてゆくための努力
16その努力しかできない哀しみ

17誇ってよい哀しみがふたつある

18あなたと一緒にいるわたくし
19あなたがわからない
20だからあなたが在るのだとわかるわたくし
21だからわたしが在るのだとわかるわたくし
22あなたがわからない哀しみ
23あなたがあなたである哀しみ

2、語句
(辞書的意味。簡潔に)
1行目 「誇ってよい」
 →誇る 他に対して得意のさまを示す。自慢する。
11行目「具象的疑問」
 →具象的 具体的、ということ。一般的という意味  での抽象的に対し、事実的・個別的なさま。

3、表現分析
(意味の縦糸と横糸を考え、丁寧に分析する)
---前半---
1「誇ってよい哀しみ」
 作品のテーマが提示されている。「誇ってよい」とは、自らにいいきかせていることでもあるだろう。
 哀しいことは、普通ならマイナスのイメージのものである。しかし、ここでは「哀しみ」という切ない感情と「誇る」という他者を意識した自慢するプラスの感情とを敢えて結び付け、「哀しみ」という感情を強く肯定している。若い女性への励ましのメッセージとしても読める。

2〜4「バタンと後に押して」「家の戸口のドアをバタンと後に押して」
 後ろ手に戸を音を立てて閉める、というのは、後ろを振り向かず、世界に向かって踏み出そうという意志の表明。それを「部屋」と「家」と二度繰り返すことによって(反復法)、強く印象づけている。「部屋」は今までの自分、「家」は家族をイメージさせる。いずれも自分を守ってきた殻のようなものだ。そこを出て、自立しようとする若い女性の一途でけなげな思いを表現している。

5「梅雨の雨」
 さっそうと外には出たものの、そこは決して陽光に満ちたものではなく、じめじめして暗い印象である。それは「わたし」に迷いやあせり、戸惑いをもたらし、その場に立ちすくんでしまう。
5「視界のきかない」
 不透明で、先が見えない。直接的には雨について表現しているが、主人公(わたくし)の行き先の不透明さを暗示している。

6「表通りで」
 「部屋」・「家」と対比される概念。しかし、見知らぬ異邦のようなまったく生活から離れた場所ではない。

7・8「これからどうしよう」「これから何をしよう」
 後ろ手にドアを閉めて出てきたものの、行き先や、やるべきことは決まっておらず、迷わず進んでいくことができない状態。5行目と響き合っている。人が動くためには、まず方向を見定めなければならない。ところが自分に正直であろうとすればするほど、自然にふるまおうとすればするほど、行き先が不透明で見定めのつかない自分に気付くのである。。

9「どちらにも」
 ここではどちら、の内容は示されていない。後ろに出てくる「味方」と「敵」を指すか?

10「味方でも敵でもないわたくし」
 味方でも敵でもない「わたくし」。外側の価値に頼るのではなく、自分自身に正直であればあるほど、価値のどちらにも属さない宙ぶらりんな自分に気づかされるのである。だがしかし、それは単なる迷いだけではなく、ある意味では、自分自身に正直であろうとして、間(between)に立つことを自ら選択している、とも考えられる。それは「誇ってよい哀しみ」とも響き合う。孤独で生きるべき方向はみつからないが、あくまでその「わたくし」の「哀しみ」から逃げずにいよう、という意志も感じられる。

11「この具象的疑問」
 7、8行の「どうしよう」「何をしよう」を指す。主義主張の問題ではなく具体的に自分が何をしていくか、という疑問。それは抽象的な説明や助言では解決できないものである。

13「戦争嫌いで」14「平和主義者ではないわたくし」
 戦争と平和、嫌い(感情的表現)と主義者(思想的立場)を結びつけながら対比している。
戦争は嫌いだが、平和を思想的立場として主張しているわけではない。という意味。 前にある「具象的疑問」と重ねて考えると、「戦争ぎらい」は感覚的、心情的、生理的なもので、だからといって「平和」を主義主張という抽象的なところで振り回すつもりはない。

15「ただ目を見開いてゆくための努力」16「その努力しかできない哀しみ」 
 抽象的なものに拠らない、としつつ、具体的に何かができるわけではない。今はただ「見る」こと、「見ようとする努力」しかできない。それは本来自分が望んだことではなく、無力感を感じるという意味で「哀しみ」と呼んでいる。
 しかし同時に、たやすく具体的なことを手当たり次第にやればいいわけではなく、といって外側にある主義主張に自分を重ねることを潔しとしない以上、今は間(Between)に立ち、目をこらして現実を見つめていく以外にないのだ、という決意を表してもいるだろう。
 「哀しみ」とはだから、「わからない」ことに耐えつつ「目」を見開き続けていくという困難さに与えられた「名」と考えられる。さらにいえば、「わからない」といい続けることは、自分自身の感じること、見ること、考えることにこだわりつづける、ということでもあるだろう。「誇り」はそのこだわりに対して発せられたことば、と見るべきか。
---後半---

17「誇ってよい哀しみはふたつある」
1にも出たテーマが繰り返されている。自分に言い聞かせると同時に、「哀しみ」を受け止めようとする人たちへの励ましのメッセージにもなっている。

18「一緒にいる」けれど19「あなたがわからない」という「わたくし」。体は近くに並んでいても、心は遠くに離れていたり、理解の及ばぬところがある「あなた」。ここでの「あなたは」異性でも同性でもよいし、犬やワニであってもよいかもしれない。より抽象的に、社会や世界と捉えることも可能ではないか。

20だからあなたが在るのだとわかるわたくし
21だからわたしが在るのだとわかるわたくし
 そして、分からない部分があるからこそ、「わたし」も「あなた」も存在する(価値がある)のだという。

22あなたがわからない哀しみ
23あなたがあなたである哀しみ
 「あなたがわからない哀しみ」とは、「あなた」をあるがままの「あなた」としてつかもうとする、不可能な愛にも似た、切なさをはらんだ感情だろう。本当は分かり合えるのが理想なのに、そうできていない哀しさ。
 だがここではそのことを敢えて「誇ってよい」のだという。ここには、一見常識とは逆だけれど、他者に対するあるべき「態度」が表明されている。「わからない」からこそ「あなたが在り」、「わからない」からこそ「わたし」がある。つまり、「分かり得ない」部分、相手が自分とは異質の理解不可能な面を持つということこそが、他者の他者性、どんな風にしても他者が他者でありつづける根拠なのであり、それは「哀しい」ことであるかもしれないけれども、その人がその人である大切な独自性でもある、という主張が感じられる。
 ここで、「あなた」と「わたし」は対になっており、一方「わたくし」は、その対におさまらない、あくまで間(between)に立ち、その二分法の外に立ってどちらからも距離をとりつつ、しかし目をそらさず見つめつづけようとするところに立つ自己を示している。

4、構造図

5、主題
(作品の中心となることがら)
 間に立つことの孤独・哀しみを感じながらも、中でも外でもなく、自己でも他者でもなく、敵でも味方でもなく、「間」に立ちつづける「わたくし」であることの哀しみを、誇りをもって受け止めてていこうという意志。

6、鑑賞
(表現分析・構造図・主題をまとめて、レポーターの意見を十分に述べる)
 「ふたつ」の「哀しみ」とは、
@「その(目を見開いてゆくための)努力しかできない哀しみ」
 と
A「あなたがあなたである哀しみ」
 
@は、自分自身のことをこうだああだ、と安易に決めてしまわず目を見開いていくこと。その頼るべきもののない孤独、さみしさ。過去から未来に向かって生きようとする(構造図でいえば右から左に向かおうとする)ときに生じる哀しみである。
Aは、共に生きる恋人のような存在であっても、分かったつもりになるのではなく、「わたし」とは異なる「あなた」の価値(=「わからない」部分)をきちんと感じていくこと。そのもっとも身近な人間でさえ、「わからない」部分があること、そしてそれを見つめていかねばならない孤独、さみしさ。自己と他者の間の決定的な差異に気付き、自己と他者(構造図でいえば上下の関係)の間に立ちつづける哀しみである。

 二つに共通しているのは、他者と安易に同化せず、自己と他者の違いに目をこらしているという点だ。
 
 そこで注目すべきは、作中の「わたくし」が、その「哀しみ」を「誇ってよい哀しみ」として宣言していることだ。孤独やさみしさに負けないプライド。それは、右か左か、敵か味方か、わたしかあなたか、という単純な二分法に安住しないことだ。ものごとを徹底的に見つめていく強靱な瞳を持つことだ、といってもいいだろう。
 題名の「between」(=間)もまた、その孤独に係わる場所として受け止められるべきだろう。「わたし」ということばは「あなた」と対応する二分法の中の自己だ。それに対して「わたくし」ということば、その二分法に収まらず、「わからん」といいつづけ、見ることにこだわりつづけ、哀しみに耐えていこうとする自己である。
 「戦争ぎらい」と「平和主義者」の差異、一緒に暮らしながらも「わたし」と「あなた」が決して「同じ」ではあり得ないという当たり前の、しかしある意味では厳しいズレに瞳をこらすのか、目をそらしてしまうのか。そのわずかな差異が 「わたし」と「わたくし」という表現の違いにあらわれているのだ。
 
7、作者と作品について
(年譜の引き写しではなく、作者について、作品の内容に即して説明すること)
1935年、大阪生まれ。詩人・小説家。
 最近では、「男流文学論」(共著)で、フェミニズムの立場から、男性作家の小説がいかに女性のことを理解しないまま、男の幻想によって書かれているか、を厳しく批評した。
「富岡多恵子の詩の最大の魅力はもどかしいばかりの開放感である。このもどかしさと開放感のひねくれた共存に、私は、わたしたちの詩の自由の証しを見る」〔天沢退二郎)
「誰よりも人間をテーマとして自分の言葉を増殖していきながら、誰よりも深く人間に絶望している詩人であろう。絶望してしまっているからこそ、逆に強烈に人間に偏執するのだ」(八木忠栄)
「人称代名詞の濫用」(〃)
といった批評がなされている。

 三つの単語(部分)
わたし
あなた
「わたしたち」

「わたしたち」は
わたしとあなたに還元出来ない
だから
わたし
あなた
「わたしたち」

この詩の「還元出来ない」という感覚は、「あなたがわからない」「だからあなたが在るのだとわかるわたくし」という「between」の表現と対応している。ある種の断絶感、絶望感を感じさせると同時に、人称代名詞によって隔てられた自己と他者という対の外に出てしまう自由さが存在する。「誇ってよい」と「哀しみ」の関係も、その「自由」と「絶望」の関係に近いのではないか。

 はじめてのうた(部分)
きみのヒミツ
なんてたかがしれてるよ
きみは一日中
あるいたような気がしている
きみは
きょうも
死ぬまでの一日を
ヒマつぶしできた

「きみのヒミツ/なんてたかがしれてる」ということばは、「あなたがわからない」ということばと対極的であり、同時にどこかで乾いた感じが共通している。
 富岡多恵子は、ことばのもたらす幻想をつゆほども信じず、と同時にあっけないほどの自由や豊かさを、ことばによって提示する詩人であった。小野十三郎に師事した彼女は、後年小説を活動の中心としていくようになる。
 「わたし」「あなた」「わたくし」「わたしたち」といった人間を指し示すことばたちへのこだわりと、詩→散文への移行とは無関係ではないと思われるが、ここではそれを詳しく論じる余裕がない。他日を期したい。

8、参考文献
(正確に書くこと。無断で文献を引用するのは盗むことと同じです。)
 思潮社 現代詩文庫「富岡多恵子」

9、レポーター
一年三組 0番 島貫 真