百人一首とは

解 説



1 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ 天智天皇
秋の田の、仮小屋の屋根は苫の目が荒いので、私の袖は夜露にぬれている(かりほ=仮庵。を…み=が…ので。苫=かやを編んだもの)。
2 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山 持統天皇
春が過ぎて、夏が来たらしい、今年もまた白い衣が干されている、あの天の香久山に(香久山では人の言動の真偽をただすために神水にひたした衣を干したという言い伝えがある)。
3 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 柿本人麿
山鳥の尾のあの垂れさがった尾にも似た、長い長い秋の夜ながを、ただ独りで寝ることになるのか、想う人には逢えないままで(あしびきの=山にかかる枕詞)。
4 田子の浦に うちでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 山部赤人
田子の浦に出かけてきて見渡すと、みごと、まっ白に、富士の高嶺に雪が降っている。
5 奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きくときぞ 秋はかなしき 猿丸大夫
奥山に紅葉の落ち葉踏みわけて鳴く鹿の、声を聞くときにはしみじみ秋が物悲しく思われる。
6 かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける 中納言家持
鵲が橋をかけ渡すという夜空はすっかり冷えわたり、宮中御橋に霜が白く降り置いているのを見ると、いかにも夜がふけたという感じがする(大伴家持は衛門府のもののふの長だった)。
7 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも 阿倍仲麿
空をはるかにふり仰ぐと、春日の三笠山で眺めたのとおなじ月が出ているなあ(仲麿は留学生として唐に渡り故郷をなつかしみつつ異国で没した)。
8 わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり 喜撰法師
私の家は都の東南、このように宇治山に住んでいる。世の中を憂しと思ってのことだろうと人はいうのだが。
9 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 小野小町
花の色はあせてしまったなあ。ふりつづくながあめのように、むなしくわが身の世にふるさまをながめているうちに。
10 これやこの ゆくも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉 丸
これがあの、東へ行く人も京へ帰る人も、知り人も知らぬ人も、別れてはまた逢うという、有名な逢坂の関なのだ。
11 わたの原 八十島かけて 漕ぎいでぬと 人には告げよ あまのつり舟 参議篁
大海原を、たくさんの島々に向かって漕ぎ出して行ったと、人に伝えておくれ、釣舟の漁師さんよ(篁が隠岐へ配流された時の歌)。
12 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 僧正遍昭
天の風よ、天上への雲の間の通路を吹き閉ざしておくれ、天女の姿をもうしばらく地上にとどめておきたいから(宮中の五節会での舞姫へのアンコール)。
13 つくばねの 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる 陽成院
筑波山の峰から落ちる男女の川が、淀めば淵となるように、私の恋もつもって底知れぬ深ものになってしまった。
14 みちのくの 忍ぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに 河原左大臣
陸奥のしのぶもじずりの乱れ模様のように、私の心は乱れ初めたが、それは誰のせいだろうか、私ではない、あなたのせいなのだ(ならなくに=ないことだ)。
15 君がため 春の野にいでて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ 光孝天皇
あなたのために春の野に出て若菜を摘む、その私の袖には雪が降っている(昔は衣を「そ」と発音した)。
16 立ちわかれ いなばの山の 峰におふる 松とし聞かば 今帰り来む 中納言行平
あなたと別れて因幡の国へ出発するが、稲羽山に生いしげる松のように、あなたが持つというのを聞けば、すぐにでも帰って来よう。
17 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平朝臣
不思議なことがあったという神代にも、水の括染なんて聞いたことがない。竜田川が紅葉で真紅に染まっているよ(千早振=神の枕詞。くくるは、水に潜るではなく、絞り染のこと)。
18 住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ 藤原敏行朝臣
住ノ江の岸に寄る波のように、来る夜も来る夜もあの人のもとに通う夢を見る、その夢の中でさえ、人目を避けているのはどうしたわけか。夜だから人に見られる心配はないのに。
19 難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや 伊 勢
難波潟のみじかい芦の節の間のような、わずかの間でさえ逢わずにおれない私なのに、逢わないでこの世をすごせとあなたはおっしゃるのですか。
20 侘びむれば 今はたおなじ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王
あなたとの関係がうわさになって、つらい思いでいるのだから、今はもう同じこと、たとえ身を亡ぼす結果になっても逢おうと思う(不倫の恋の歌。「難波なる」は水脈つ=澪標の添え詞)。
21 今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな 素性法師
今来ると、あなたがいったばかりに、秋の夜長を待ちつづけ、有明の月の出をひとり眺めたことだった(長月=九月。有明の月=夜明けごろの淡い月)。
22 吹くからに 秋の草木の しほるれば むべ山風を 嵐といふらむ 文屋康秀
吹くとすぐに秋の草木をしおらせるから、なるはどそれで山風のことを、荒々しい風、嵐というのであろう。
23 月みれば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど 大江千里
月を見ればさまざまに物悲しい思いがする。わが身一人の秋というわけではないのに(「ちぢ」は「ひとつ」と対照させてある)。
24 このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 菅 家
今度の旅では供え物の用意もできなかった。その代わり手向山の紅葉の綿を捧げ、神のみ心のままに受けていただくことにしよう(菅家は菅原道真)。
25 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな 三条右大臣
逢って寝るという、名前をもっているのならば、逢坂山のさねかづらよ、かつらの実をたぐるように、そっと人に知られず通う方法はないものかなあ。
26 小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ 貞信公
小倉山の峰の紅葉よ、もし心があるならば、今一度のみゆきがあるまで、散ろないで待っていてほしい。
27 みかの原 わきて流るる いずみ川 いつみきとてか 恋しかるらむ 中納言兼輔
瓶原(京都府相楽郡) に湧いて流れる泉川の名のように、いつみたというので、あなたのことがこんなに恋しいのであろうか。
28 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば 源宗干朝臣
山里の冬はさびしさもひとしおだ。恋しいあの人にも蓬えず、草も枯れてしまったかと思うと(人めかるは、人目が離れる=人の訪れがとだえろのと、媾離る=恋人に長い間逢えぬ、の両意とする山本健吉説に従う)。
29 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花 凡河内躬恒
あて推量で折るなら折りとってみようか、初霜が一面におりて、同じ白色で見分けのつかなくなっている白菊の花を。
30 有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり 憂きものはなし 壬生忠岑
有明の月のようにそっけなく見えた別れをしてからというものは、私には暁ほどつらい思いのするものはない。
31 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 坂上是則
夜がうっすらと明けるころ、有明の月の光かと見えるほどに、吉野の里には白雪が降っていた。
32 山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり 春道列樹
山あいの川に風の作った柵が懸っている、流れきらないでたまりた紅葉の落ち葉なのだ(「志賀の山越えにて詠める」という詞書がついている)。
33 ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 紀友則
光のどかな春の日に、なぜ、気ぜわしく花が散るのであろうか(久方のは、天、雲、月などの枕詞)。
34 誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに 藤原興風
いったい誰を友にしようか。昔の友は皆死んで自分一人になった。高砂の松がいるが、やはり松では友にならないなあ。
35 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞむかしの 香に匂ひける 紀貫之
人は、さあどうだか、心のうちはわからないが、このなじみの土地では、梅の花が昔どおりの香りで匂っている。
36 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ 清原深養父
夏の夜は短く、まだ宵だと思っているうちに明けてしまったが、月は雲のどの辺に宿っているのだろうか。
37 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける 文屋朝康
風の吹きしきる秋の野では、葉末の白露が、緒で差し通してとめてない玉のように散り消えている。
38 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな 右 近
忘れ棄てられるわが身のことはどうでもいいが、愛の誓いをやぶった科で神罰をうけるあの人の命がいとおしい。
39 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき 参議 等
じっとこらえるけれど、どうにもこらえきれない、なぜあの人がこんなに恋しいのか(浅茅の生えている野の篠原まではシノの序詞)。
40 忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで 平 兼盛
隠していたけれど、顔色に出てしまった、私の恋は。物思いをしているのかと人が問うほどまでに、はっきりと。
41 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見
恋をしているという、私の浮名が早くも立ってしまった。人に知られぬよう、ひそかに思い初めていたのだが。
42 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは 清原元輔
誓い合ったではありませんか、互いに涙を流しながら。末の松山を浪が越さないように、行末まで心変わりはしまいと。
43 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物も 思はざりけり 権中納言敦忠
あなたと逢い見ての後の、この切ない心にくらべれば、昔は物思いなどしなかったといってもよいくらいだ(「昔は物も」ともいう)。
44 逢ふ事の 絶えてしなくは 中々に 人をも身をも 恨みざらまし 中納言朝忠
逢うことが全くないならば、かえって人をもわが身をも、恨むことはないだろうのに。
45 あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 謙徳公
あわれだと嘆いてくれるべき人があるとは思われないので、私はこのまま空しく死んでしまいそうだ。
46 由良のとを わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな 曾禰好忠
由良の瀬戸をわたる舟人が揖をなくしてしまったように、ゆくえもわからないわが恋の道だなあ(「と」=水流の出入ロ)。
47 八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり 恵慶法師
八畳むぐらの茂ったこの家のさびしさゆえに、人の姿こそ見ないけれど、秋はちゃんとやって来たよ。
48 風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな 源 重之
風が激しいので岩を打つ波がくだけるその波のように、自分の方だけが千々に心くだけて物思いに悩む昨今である(片思いのつらさ)。
49 御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ 大中臣能宣朝臣
御所の門を守る衛兵のたく火が夜は燃え昼は消えるように、私の恋心も夜は燃え上がり、昼は身も消えんばかり物思いに沈んでいる。
50 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな 藤原義孝
君がためには惜しくないと思っていたこの命までも、いざ逢ってみると、いつまでも生きて逢い続けたいと思うようになった。
51 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを 藤原実方朝臣
こんなにも(好きだ)とさえいえないでいるので、伊吹のさしも草のように燃える私の思いを、それほどまで(さしも)とはご存じないでしょうね。
52 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな 藤原道信朝臣
夜が明けてしまえば、やがてまた日が暮れるものとは知りながら、やはり恨めしいのは別れどきの朝ぼらけだなあ。
53 なげきつつ ひとりぬる夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る 右大将道綱母
嘆きつつ一人で寝る夜の明けるまでの間が、どんなに長いものか、あなたは知っているのだろうか(薄情な夫への繰り言)。
54 忘れじの ゆく末までは かたければ けふを限りの 命ともがな 儀同三司母
一生忘れまいといってくださるが、行末まではむつかしいことだから、幸福な今日を限りに、私の命がつきてしまってほしい。
55 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 大納言公任
滝の音が絶えて久しくなったけれど、その滝の名声は流れ伝わって今なお聞こえてくるよ。
56 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 和泉式部
やがて私はこの世から消えてゆくでしょう。あの世へ行ってからの思い出に、もう一度あなたとお逢いしたいのです。
57 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かげ 紫 式部
やっとめぐり逢って、見たかどうかもはっきりしないうちに、早くも雲がくれした夜半の月のようですね、あなたは(句尾を「月かな」としたものが多いが、大岡信・安東次男氏らの指摘のように「月影」が正しい)。
58 有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする 大弐三位
<おぼつかない(私の心が頼りない)などとあなたは言われるが>さあ、そのことですよ、どうして私があなたを忘れるものですか(有馬山から風吹けばまでは、いでそよにかかる序詞)。
59 やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな 赤染衛門
あなたの来ないことがわかっていれば、ためらわずに寝てしまったものを。夜もふけて、山の端に傾くまでの月を見たのです。
60 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 小式部内侍
大江山を越え幾野を過ぎてゆく道は遠いので、私はまだ天の橋立の地を踏まず、母の文も見ていません。
61 いにしへの 奈良の都の 八重ざくら けふ九重に にほひぬるかな 伊勢大輔
古の奈良の都の八重桜が、今日はこの宮中で色美しく咲いている(旬ふはここでは色の美しさをいう)。
62 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言
夜がまだ浅いうちに、鳥の鳴きまねをして夜が明けたかのように番人をだまそうとしても、逢坂の関は許さないでしょう。私はあなたとは逢いませんよ(斉の孟嘗君が夜中に函谷関を抜けたときにこの手を使ったという中国の故事あり)。
63 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな 左京大夫道雅
今となっては、あなたのことはあきらめます、ということだけでも、人づてでなく、直接あなたに言うすべがないものか。
64 朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 権中納言定頼
朝ぼらけのころ、宇治の川霧があちこち少しずつ切れかかると、しだいに姿をあらわすのは瀬々の網代木だ(魚をとるための簀を支える杭)。
65 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ 相 模
恨み歎き、涙で袖のかわく間さえないというのに、なおそのうえに、噂を立てられて名をおとすのが口惜しいのです。
66 もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊
お互いになつかしいと思いあおう、山桜よ、花のお前よりほかに知合いは誰もいないのだ。
67 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 周防内侍
春の短か夜の夢ほどの果敢ない戯れで、あなたの腕を手枕にしただけなのに、つまらない浮名を立てられては口惜しいわ(かひなくは、腕にかかる)。
68 心にも あらで憂き世に 長らへば 恋しかるべき 夜半の月かな 三条院
心ならずもこの憂き世に生き長らえるならば、恋しい思い出となるであろう、この夜半の月が。
69 嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり 能因法師
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は、竜田川を錦に織りあげている。
70 さびしさに 宿をたちいでて 眺むれば いづくも同じ 秋の夕暮 良暹法師
さびしさのあまり、宿から歩み出して眺めると、どこもみな同じような秋の夕暮である。
71 夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろ屋に 秋風ぞ吹く 大納言経信
夕方になると、門さきの田の稲の葉をそよがせて、芦でふいた田舎家に、秋風が吹いてくる。
72 音にきく 高師の浜の あだ浪は かけじや袖の 濡れもこそすれ 祐子内親王家紀伊
うわさに聞く、高師の浜の立ち騒ぐ浪のような、浮気なあなたはよせつけませんよ、浪がかかって袖が濡れるように、あとで棄てられて泣きを見るのはいやですから。
73 高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 たずもあらなむ 権中納言匡房
高い山の峰の上の桜が咲いた、里近い山の霞よ立たないでいてほしい、桜が見えなくなるから。
74 うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを 源俊頼朝臣
つれないあの人のことで願かけしたが、初瀬の山おろしよ、お前のようにはげしくあの人が私に当るようにとは祈らなかったはずなのに(初瀬=長谷の観音)。
75 契りをきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり 藤原基俊
あれほどはっきり約束してくださった、頼りにせよとのさせも草の露のようなお言葉を、命のたのみとしてきたのに。あゝ、このまま今年の秋も過ぎてしまいそうだ。
76 わたの原 漕ぎいでてみれば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣
大海原に舟を漕ぎ出して見わたすと、空の雲かと見まがうばかりに沖の白波が立っている(ひさかたの=空や雲にかかる枕詞。雲居=雲の居る所=空、ここは雲)。
77 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 崇徳院
瀬が早いので、岩に堰きとめられた滝川が二つに分かれてもまた合うように、たとえあなたと割かれたとしても末にはきっと逢おうと思う。
78 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜ねざめぬ 須磨の関守 源 兼昌
淡路島へかよう千鳥の鳴き声で、幾夜ねぎめたことであろうか、須磨の関守は。
79 秋風に たなびく雲の 絶え間より もれいづる月の 影のさやけさ 左京大夫顕輔
秋風に吹かれてたなびく雲の切れ目から、もれ出でる月の光のさやけさ(澄み切った明るさ)よ。
80 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ 待賢門院堀河
末長く変わらないとおっしゃるあなたのお心はそのとおりかもしれないけれど、私の気持は寝起きの黒髪のように乱れて今朝は物思いにふけっている。
81 ほととぎす 鳴きつるかたを 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
ほととぎすの鳴いたほうを眺めると、鳥の姿は見えず、ただ有明の月だけが残っている。
82 思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり 道因法師
つれない人のことを思い嘆いても、どうにか命は長らえてはいるが、つらさに耐えきれず落ちるのは涙なのである(石田吉貞説では老愁の恋の歌)。
83 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成
世の中には憂さを逃れる道はないものだ、そう思いつめて分け入ったこんな山の奥にも、鹿が鳴いてうれいをさそわれる。
84 長らへば またこのころや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 藤原清輔朝臣
生き長らえれば、またこのころがなつかしくなるのであろうか、つらいと思った昔の世が今では恋しいのだから。
85 夜もすがら 物思ふころは 明けやらぬ 閨のひまさへ つれなかりけり 俊恵法師
夜どおし物思いするこのごろは、なかなか夜が明けないので、閨の戸の隙間までも私につれなく思われる。
86 歎けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 西行法師
歎けといって月が私に物思いをさせるのか、そうではないのに、月のせいにかこつけた様子でこぼれおちる私の涙であることよ。
87 村雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮 寂蓮法師
村雨の露がまだ乾いていない真木の葉に、霧が立ちのぼってくる秋の夕碁だ(村雨=ひとしきり強く降る雨。真木=杉・檜など良材となる樹)。
88 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ 身をつくしてや 恋わたるべき 皇嘉門院別当
難波江の芦の刈り根の一節のような短い一夜の仮寝のゆえに、ゆくすえ身をほろぼすまで恋い続けることになるのだろうか。
89 玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする 式子内親王
わが命よ、絶えるならば絶えておくれ。このうえ生き長らえれば、恋を秘めようとする心が弱って、おもてにあらわれてしまいそうだ。
90 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず 殷富門院大輔
お見せしたいものだ、私の袖を。雄鳥の漁師の袖がどんなに波に濡れたとしても、涙で濡れる私の袖のように色まで変わってはいますまい。
91 きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む 後京極摂政太政大臣
こおろぎの鳴く、寒い霜夜の狭筵の上に、片袖しいてひとり寝ることにするか。
92 わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かはく間もなし 二条院讃岐
私の袖は、潮が引いても姿の見えない沖の石のように、人は知らないだろうけれど、涙でかわく間がないのです。
93 世の中は 常にもがもな なぎさ漕ぐ あまの小舟の 綱手かなしも 鎌倉右大臣
世の中は変わらぬものであってほしい。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱で曳舟に引かれてゆく光景が身にしみる(常にもがもな=常の世であってほしい。がもは願望を表わす助詞)。
94 み吉野の 山の秋風 さよ更けて ふるさと寒く 衣うつなり 参議雅経
吉野の山の秋風が吹き、夜ふけの古都は寒々として、衣を打つ音がしている(衣うつ=柔らかくしたり艶を出すために布を木槌で叩くこと=砧をうつ)。
95 おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖 前大僧正慈円
自分には不相応なことながら、世の民の上におおいかけるのだ、比叡山に住む身となった私の墨染の僧衣の袖を(衆生済度の決意の歌。わが立つ杣=比叡山)。
96 花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり 入道前太政大臣
花の散るのを嵐がさそい、庭いちめんに花の雪降りだが、ふりゆくものは雪ではなくて、わが身のことであったわい。
97 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 権中納言定家
来ぬ人を待って、松帆の浦の夕凪どきに、焼かれる藻塩が火に焦げるように、私も焼かれて身も焦がれるようだ。
98 風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける 従二位家隆
風そよぐ楢の小川の夕暮は、もうすっかり秋の気配だが、みそぎの行なわれているのが夏のしるしなのだ(みそぎ=川の水で身体のけがれを清める神事)。
99 人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は 後鳥羽院
人がいとしく、また人が恨めしい。味気ない世の中だと思うゆえに、物思いにふけるこの私の身にとっては。
100 ももしきや 古き軒端の 忍ぶにも なほあまりある 昔なりけり 順徳院
皇居の古びた軒端に忍ぶ草の生えているのを見ると、いくら忍んでも忍びきれないのは、あの栄えた昔の御代のことである(百敷や=皇居・宮中にかかる枕詞)。

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