那須の湧水説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: タイトルb  那須のふじ作 ■ホームに戻る

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24.造り酒屋のその後

本稿の#6にて那須野ケ原にある造り酒屋を紹介しました。中でも大田原市には“六つ蔵”があるとし

てそれぞれを案内しましたが、それから11年余り過ぎた現状を見てみましょう。

@  池島酒造梶i大田原市下石上)

「池錦」の銘柄にて当地で醸造していましたが平成28年に杜氏が体調を崩し、以降醸造は停止して

いたようです。再興を図っていたもようですが実現せず。その後、令和3年には事業再生機構の仲介

で鹿沼市所在の酒類販売店「小林酒店」に事業譲渡されたそうです。小林酒店では「池錦」銘柄の復

活をめざしているらしいですが、地元民として是非実現してほしいですね。

A  鳳鸞酒造梶i大田原市住吉町)

社名と同じ「鳳鸞」の銘柄にて当地で日本酒の醸造、加えて最近は売上拡大を目指してワインの製造

も手掛けていました。しかし日本酒の需要低下が続き、ワインの販売も思うようにいかなかったよう

です。残念ながら令和元年12月に会社は倒産、醸造は停止されてしまいました。建物も一部は取り

壊されています

B  兜ス山酒造店(大田原市片府田)

「藤の盛」の銘柄で販売していたようですが、その後も酒店等で見かけたことはありません。前回紹

介した時点で“自醸していないらしい”と記しましたが、その通りだったようです。一般販売もして

いないらしく、入手は困難でしょう。

他の三つの蔵、渡邉酒造()、天鷹酒造梶A菊の里酒造鰍ヘ現在も醸造を続けているようです。那須野ケ

原は前項で紹介した様に湧水に恵まれ、豊かな土壌にも支えられて現在もおいしい米が生産されていま

す。それらから生まれる“清酒”は那須野ケ原の恵み、そのものと思います。私自身は高齢化に伴う体調

不良から清酒を飲む機会もめっきり減りましたが、日本酒は大好きです。残された“三つ蔵”の関係者に

は是非頑張ってほしく、また本項を目にとめた皆さんには日本酒をもっとたくさん飲んでほしいですね。

                                  令和5年1月15日 記

23.湧水と池

 川の源流は降雨時でなければ殆どは山から水が滲みだしたものです。谷筋にはたくさんの湧き水があ

り山登りでは疲れた体をいやしてくれます。ところが比較的平坦なところでも窪地から水が湧き出るこ

とがあります。那須野ケ原にもたくさんの湧水地がありますので紹介しましょう。特に那須野ケ原の中央

部を流れる蛇尾川の周辺に多く、これは中流部が伏流水となっていて水無川であること(4項で紹介しま

した)によるものと思われます。

下図は後で紹介する「出釜湧水地」の説明版で紹介されている那須野ケ原に湧水地分布です。157箇所

もあったようですが、灌漑施設の整備、戦後の人口増加に伴う取水増加による枯渇、あるいは住宅化等で

相当数が見られなくなっているようです。環境省が紹介している「栃木県の代表的な湧水」でも39箇所

が紹介されており、うち那須地方(大田原市、那須塩原市、那須町)に25箇所あります。確認が難しく

なっているところがあるものの那須野ケ原には豊富な湧水地があることがわかります。

 

水源は住民にとって生活上必要不可欠です。飲料水としてのみならず生活用水、更に稲作用にも水量の

豊富さが重要視されてきました。下図は那須地域の温泉神社、湯泉神社の所在を示したものです。那須

の山間部には温泉が湧いていますが平地にも関わらず夥しい数に「温泉」、「湯泉」と命名されているの

は何故でしょう。どうやら暖かくなくとも温泉、湯泉とよばれているようです。温泉と湯泉は同義語と

して使われています。大田原市内だけで100超える温泉神社があると言われています。この分布をみ

ると上図の湧水分布とほぼ合致していることから湧水が「神社」という形とともに尊ばれていることが

分かります。

 

 

次の図は那須のふじさんが現地を訪問して調べた現在でも確認できる湧水地です。那須野ケ原の西側

となる上流側から順に紹介しましょう。なおこの地方の河川の上流部(上記湧水地分布図の鉄道の北西

部)には湧水も少ないことから明治期に農地開発のため灌漑施設が設けられました。那須疎水と呼ばれ

日本三大疎水の一つとされています。那須疎水は下流側の大田原地区まで伸長されているため湧水の

必要性が低下、湧水地の放置、埋め立てなどの要因になっているものと思われます。

@  出釜湧水地

国道四号線を下り、西那須野地区から東那須地区の間にある蛇尾川に架かる橋の手前左手の集落の

中にあります。見学路が整備されており清水に直接触ることもできますが、湧水は夏季から初冬

での間だそうです。地図でも分かるように蛇尾川に近いため伏流水が湧き出ているようです。

  ・案内板有 駐車場有

A  津室川湧水地

出釜湧水地より西那須野地区に近く、国道四号線をライスライン方向に右折して400m程の左手

にあります。出釜湧水地とは異なり管を埋めて周囲の湧水を集めたものだそうです。少々趣に欠け

ますが清水に変わりはありません。集水管は戦時中から戦後にかけて中島飛行機製作所関係工場の

工業用水確保のため敷設されたようです。駐車場の脇(写真左)では少し広い水路となっていますが

見学用の通路を進んだ先(写真右)が水源です。湧水期は夏季から初冬の間とされています。

・案内板有 ・駐車場有

     

B  乃木清水

西那須野駅の東部1kmほどの所に明治期の軍人、乃木希典大将を祀った乃木神社がありこの境内

の北西裏手に湧水が出ていて「乃木清水」と呼ばれています。写真の左手、橋の奥の石積みの間か

らコンコンと水が噴き出ています。また量は少ないものの右手からも湧き出ておりかなりの水量と

なっています。当地には乃木大将の別荘があり当人も愛飲したと言われています。神社の境内とた

めか良く整備されているので見やすいと思います。参拝がてらご覧ください。ここも冬季は渇水と

なります。

 

・案内板有 駐車場有

C  池の御前湧水地

大田原市の市街地から北に5kmほどの田圃地の中にあります。場所は大田原市富池894のすぐ西

側となります。窪地の中に池がありここから水が湧いて流れ出ています。希少淡水魚のイトヨが生

息しているようですが、近年は保護が進められているようです。周囲は整備されていますが最近は

少し荒れているようです。  ・案内板有 駐車可

 

D  おかんぢじ湧水地

市野沢郵便局の西北西500m程の田圃地の中で上記池の御前湧水地近くにあります。コンクリ

ート製之土手下から清水が湧き出ています。よく手入れされていて清潔感がありますがコンクリ

ートが興ざめです。かなりの水量があり農業用水としても有用でしょう。・案内板有・駐車可

 

E  水元神社

大田原市街地の中、大田原高校の道向かいにある公民館併設の社脇にあります。コンクリート管か

ら流れ出て小川となって市街地に流れ出ています。この上流部には水路等はないので間違いなく湧

水で、神社名もそのことを表しています。良く手入れされていて小さな公園風になっており清水を

手ですくうこともできます。道向かいに駐車もできるため利便性も良く、珍しくほぼ通年で湧水が

見られます。         ・案内板無 駐車場有

 

F  なめり川水源(頭無湧水地)

大田原市街地から東に4kmほど、大田原市北金丸2041-3の民家の南西200m程の所にありま

す。数本の木がある先が湧水口で、量は多くはないものの周囲に水気の無い2m程度の窪地から忽

然と湧き出ている様は感動的です。石柱が目印となり、また冬季は渇水するようです。手入れはさ

れているものの道路はなく田圃地の土手を進むので長靴が必須です。 ・案内板無  駐車場無

 

■頭無の呼び名について

上記のなめり川水源と次の生駒湧水ともに「頭無湧水」と言われているようです。なめり川水源につ

いては大田原市市政だよりの中で「頭無湧水」と紹介されていました。また頭無湧水の調査時、なめ

り川水源の少し下流部で草刈りをしていたおばあさんに所在をきいたところ「頭無湧水はこの上の

方、石碑の脇でバシャバシャ流れているところ」と言われました。これが次項の生駒湧水地でした。

頭無」は地元では湧水を意味しているようです。また@項で紹介した「出釜」も同じく湧水地の

当地呼称だそうです。

G  生駒湧水(頭無湧水地)

なめり川水源から北西600m程の所、道路脇にある石碑右手のコンクリート管から流れ出ていま

す。その量は左手の道路両側ある水路より多そうなので湧水の水源になっていると思われます。す

ぐ下流では水草も見られ人家脇の間を清涼な様子で流れ下っています。なお石碑には「生駒之碑」

「種壯?馬駒沢號」と刻んであり有力な馬を讃えたもののようです。生駒湧水の名称は現地で聞かれ

たとおり頭無湧水が正しいのかも知れません。

・案内板無 駐車場無(道路脇に駐車)

 

H  大杉神社(加茂神社)湧水

大田原市街から県道48号線(奥州街道)を5.5kmほど南下した親園地区にあります。養福院

(大田原市親園1345)と親園南地区公民館の脇の道に右折するとすぐ右手に林がありこの南側が

湧水地となっています。林の中に大杉神社あるいは加茂神社とも呼ばれる社があり小道を挟んだ下

が湧水口です。手すりの付いた階段の下とそこから西側に10mくらい離れた2箇所から清水が湧

き出ています。西側の湧水口を見るには長靴が必要でしょう。 ・案内板無 ・駐車可 

  

    手すり下が湧水口          西側の湧水口

I  実取湯泉神社(湯前神社)と裏手の湧水

大田原市街の南西部5kmほどの所、栃木ニコン工場の南部にあります。大田原市実取780-3のす

ぐ西側にある林の中、社殿2つとその境内裏手の林の中に湧水地があります。

社殿南東部にある鳥居には「湯泉神社」と書かれています。参道正面に湯泉神社社殿があり、また右

手にも同規模の社殿があります。板壁が赤く塗られていてこちらは「淡島神社」だそうです。この2

つの社殿の裏手に湧水地があります。窪地からまさに染み出すように水が湧いていました。出水量は

多くはなく降雨期の短い間のみ流れ出しているようです。歩道、踏跡もない林間を行くので長靴が必

須です。なお当社は地元では「湯前神社」とも呼ばれているようです。・案内板無 ・駐車可 

  

    湯泉神社鳥居         湯泉神社社殿          淡島神社

J  清水屋

黒羽地区の南部、小船戸地区と那珂川の間にあり那須扇状地の末端に位置しています。那珂川の河

岸段丘から染み出すように流れ出て清水屋と呼ばれています。近くに本稿でも紹介した二ツ室塚古

墳、観音塚古墳がありこの林の東側となりますが湧水口は複数箇所あるようです。写真のパイプは

湧水を直接水田に取り込むために農家が設置したようです。    ・案内板無 ・駐車可

 

■ほかにも調査が不十分ではあるものの湧水地あるいはそれらしき場所が有りますので紹介しましょう。

<自宅近くの湧水地>

 自宅は35年ほど前に今の地に引っ越したものですが、市街地の近くにもかかわらず湧水地がありま

す。民家近くの3m位の窪地から夏期に清水が湧き出ていて稲作に利用されていましたが周囲の市街化

が進むにつれてU字構となり風情が無くなってしまいました。湧水口は以前のままですが手入れがされ

ていないため草に覆われて湧水の様子も見ることが出来ません。やがて埋め立てられる可能性もありそ

うです。

  

<滝岡の延命水>

大杉神社湧水地から東方2.5kmほど、大田原市滝岡967の民家のすぐ西側にあります。滝岡公民館

と温泉神社を東に進み橋を渡って細い脇道を右折したすぐ先です。塩ビパイプから清水が湧き出して

います。「延命水」と名付けられ、管を打ち込んだところ噴き出したのだそうで水道ではありません。

ただしすぐ脇に百村川が流れているので、そこから染み出たものかも知れません。

 ・説明表示あり ・駐車可(民有地なので短時間に) 

  

<滝岡のミヤコタナゴ保護地>

湧水では無いようですが、延命水の近くにある施設を紹介しましょう。大田原市には国指定天然記念物

の淡水魚ミヤコタナゴが生息していますが、その保護施設が北西1km程の所にあります。(上記地図

参照)清水が導入された池が2つあり、水中観察施設もあります。その間の水路も手が加えられていな

い自然な流れで、癒されます。

   

保護池           観察池          案内板

<鶯谷公園> 

 大田原市役所の西側に小さな公園があり「鶯谷公園」と呼ばれています。この中心の沼には湧水が流れ

込んでいると聞かれ訪問してみました。沼にはコイが泳いでいて中ほどには東屋も設置されています。し

かし沼の底はコンクリートで固められているうえに時折注水して水位を維持しているようです。良くみ

ると右写真の水門脇にある塩ビパイプから水がモコモコと湧いているように見えました。上部に水路も

無いためここが湧水口なのでしょうか。 

 

■那須野ケ原の下流域にあたる大田原市は比較的水に恵まれていたことから江戸時代までに開発が進み

田圃での稲作が行われています。湧水に恵まれた面もありますが不足を補うために溜池も各地に設け

られました。以下に比較的規模の大きいところを中心に紹介しましょう。うち2箇所は冬季の白鳥飛来

でも知られています。

<羽田(はんだ)沼>

大田原市街地から北東に7kmあまり、県道72号線(奥州街道)沿いに案内板があり右折して1km

程先の左手にあります。大田原市の観光案内にも紹介されており羽田沼野鳥公園としてよく整備され

ています。名前のとおり野鳥の飛来が多く、冬季には写真のようにかなりの数の白鳥やカモを見ること

が出来ます。特に白鳥の飛来地として有名で時折テレビ等でも放映されます。灌漑用ため池ですが水源

は湧水とされていますので折を見て湧水口を探したいと思います。

  

<琵琶池>

 大田原市街地から南に10kmあまり、琵琶池ゴルフクラブの東側にあります。大田原市藤沢地区で箒

川の南部となるので蛇尾川水系とは異なります。この池も灌漑用ため池で水源は湧水によるものと思い

ますが近くでは確認できていません。羽田沼と同様に白鳥が飛来するために大田原市の観光案内でも紹

介されています。写真にも数羽写っています

<町井沢のため池>

 大田原市上奥沢の町井沢地区にあります。国道461号線を黒羽方向に進み、国際医療福祉大学の道向

かいにある細い道を進んだすぐ先です。初めて訪問した30年程前には満面の水を蓄えた池で、下流域の

水田を潤していました。息子と二人で魚釣りをした思い出深いところです。ところが現在は写真のとおり

水草が生い茂っていて手入れされていません。農業用水として使われなくなり放置されているのかも知

れません。今後埋め立てられる可能性もありそうです。

  

<篠原玉藻稲荷神社の鏡が池>

大田原市街地から東北東に7kmほどの所、大田原市蜂須地区に篠原玉藻稲荷神社があります。119

3年に源頼朝が、また1689年には松尾芭蕉が参詣したと伝えられる由緒ある社のようです。木立の

中、よく整備された参道を進むと正面に社殿がありこの右手脇に小さな池があります。「鏡が池」と呼

ばれる池ですが深さは1mも無く水が流れ出てもいません。湧水というのもためらわれますが、外から

流れ込んでもいないので湧き出た水たまりというところでしょう。池にまつわる伝説もあるようです。

   

<黒羽駒込池>

大田原市黒羽地区の市街地北部、黒羽運動公園の西側あります。場所は大田原市大輪1703の裏手とな

ります。水田灌漑用の小さい溜池で水源は湧水によるものでしょう。当地における歴史上の有名人物で

ある那須与一宗隆に関する謂れが書かれた看板があります。

  

 

<樋沢の大池>

県道72号線(奥州街道)を北上し上記の羽田沼入り口先を更に2.5kmほど進んだ先の右手にあり

ます。鍋掛一里塚の少し手前となります。名称程の大きさとは思えませんが案内板のとおりなかなかの

言い伝えがあるようです。最近になって改修されたようですが、そこそこの趣が残っています。少し北

に那珂川が流れており、この水系と思われますが水源は少し上の湧水のようです。歴史ある街道沿いと

いうことでこのような伝説のある沼が残っているのでしょうか。      

   

 令和2年12月27日記 令和3年2月4日補記 令和3年10月2日再補記

22.校門

 学校の門といえば古いものでも両側に石柱が立ち、どちらかに校名が彫り込まれたものを思い浮か

べるでしょう。それが那須地方には昔の立派な屋敷の門のようになっている学校が2校あるので紹介

します。

@  大田原市立黒羽小学校通用門 「侍門」

この学校は黒羽地区(旧黒羽町)の中心部にあります。正門の右手に「侍門」と称される質素な

がら檜皮葺の古い様式の門を見ることができます。当地は旧黒羽藩があったところですが、この

学校の前身は明治4年に旧藩主の大関増勤氏が当地に藩学「作新館」を新築移転したものだそう

です。通用門は旧黒羽藩士の居宅門が寄贈されたもののようです。

  

A     栃木県立那須拓陽高校通用門 「大山門」

西那須野駅からこの学校に向かうと交差点脇に立派な構えの門があります。「大山門」というそ

うで、これも通用門として使われています。四脚門という社寺に多く使われている様式だそう

で、江戸時代には武士宅などにも普及したものだそうです。

学校の旧名称は那須農業高等学校で、その後普通科が加わって現在の名称となりました。農業科

目では農場での実習が不可欠で、県では戦後の生徒数増加に合わせて近く広大な農場(大山農場

の一部)を買収したそうです。当時の大山農場の地主は明治期の軍人、大山巌元帥一族でした。

買収にあたっては農場内にあった大山邸の洋館、和館と合わせてこの大山門も寄贈されました。

この洋館、和館も現存しておりなかなか見応えのあるものです。大山門は大山家が県内の市貝町

の旧家から買い取ったものらしく、江戸初期の様式を今に伝えています。

             令和2年10月21日記

 

21.大田原市狭原のラウンドアバウト

ヨーロッパでは交差点中央部に円形の島を設け、車両はそれを周囲するようにした構造の道路があ

ります。パリの凱旋門を周回する道路が有名ですね。この構成は「ラウンドアバウト」と称され本

6月に大田原市狭原にも整備されました。栃木県内では初の設置ですが全国的には80か所ほど

あるそうです。交差点部が環状(ドーナツ型)になっていて、道路標識に従い交差点を右回りに通

行する必要があります。交差点には信号機がありませんが、重大事故や渋滞が起きにくい方式とさ

れています。

           

設置前            工事完成後

 場所は主要道から外れた農村地の中で、交通量は少なく渋滞も考えらないようなところです。ただ

し3本の道路が交差するところで、信号も無かったことから事故の危険性はある程度あったのでしょ

う。ですが完成前から何度か通っていますが、特段危険と思うこともありませんでした。開通後さっ

そく通ってみましたが、通過時は当然減速が必要な訳で利便性は低下したように思います。やはり各

道路ともある程度の交通量があり信号が設置されているがために複雑な交通事情となっている場所で

効果が発揮されるものと思います。以前から那須の別荘地などの交差点に小規模な環状交差点があり

ますが、明らかに通行車両の速度を落とすためのものでしょう。大田原のラウンドアバウトは試験的

な意味合いと理解しています。

   

ラウンドアバウト全景(市のHPより)     通るとこんな様子     令和2年10月20日記

20.蛇尾川の洗い越し

本文4項にて蛇尾川の上流部が水無川であることを紹介しました。そのために橋では無

く川を直接横断する道路が有ります。それが何と2ケ所もあるのです。地元住民の間で

はどう呼ばれているか知りませんが、一般的には洗い越しあるいは渡渉点と言う様です。

洗い越しはかなり珍しいものらしく、中には名所になっているところもあるようですが

今回紹介するところは地元でも知らない人が多いと思います。上流側は関谷地区から那

須町方向に行く県道30号線、塩那橋の下流側2.7km程の上横林と箕輪地区の間に

あります。勿論河川部は舗装されていませんが良く整備されています。幅は広く2台の

車がすれ違うことが出来るほどの道幅がありそこそこの通行量のようです。下流側はこ

こから3.7km程のところで国道4号線が通る那須野橋からは上流側3km程のとこ

ろです。接骨木(にわとこ)地区と笹沼地区の間にあります。やはり舗装はされておら

ず、道幅も上流側ほどではなく車両のすれ違いはすこしやりにくそうですが通行量が少

ないのでしょう。いずれも増水時は通行止めとなり、その案内板があります。ただその

際も何ら処置がされないようなので増水時も自己判断で通れそうです。洗い越しは河川

部分はコンクリート等で舗装されているところもあるようですが、蛇尾川ではいずれも

河原の中を少し整備したのみの砂利道です。橋を架ける程の利用も無いということは人

家からも遠いわけで、この道を通る時はかなりのワイルド感が有ります。

       令和2年3月14日記

20-03-13蛇尾川の洗い越し (2)上2020-03-04蛇尾川の洗い越し

 

 

 

 

 

 

 

 

左:上流側

右:下流側

 

 

19.那須野の農作物

那須野ケ原では少し変った、珍しいと思われる農作物があるので紹介しましょう。日本

国内では地でも生産されていると思いますが、栃木県内ではあまれ見られないものばか

りです。なお主要な農作物は米や各種野菜類、果物類でそれほど珍しくはないものばか

りですが、それでもイチゴ、アスパラガス、トウガラシシ、梨、リンゴ等が各地で生産

されています。中でも梨は大田原市湯津上地区でさかんに生産されていて旬の時期には

直売所が賑わうし、生産農家で直接買うことも出来ます。

@   

19-12-6須賀川の茶畑大田原市の東部、須賀川地区で生産されています。

隣接する茨城県大子町の「奥久慈茶」が有名なよ

うですが、その周辺であるこの地でも作られてい

るのです。この地での茶の生産は新潟県の村上茶

と並んで本格的に生産されている北限とされてい

るようです。需要が伸びれば最近の温暖化で生産

も更に北上するのかも知れません。あまり出回っ

ていないので飲む機会がめったに無いのが残念で

す。

 

 

 

A    キウイ

19-9-20大田原市蜂巣のキウイ畑これも大田原市の東部、蜂巣地区で撮影したもの

です。この他には大田原市の本町で見かけた程度

で、小規模な生産に留まっているようです。どこ

に出荷しているのか判りませんが、店で見かけた

こともありません。それでも妻が時折知人から頂

くことがあるので自家栽培している人も多いよう

です。我が家でも庭に植えていましたが成長が早

く蔓がどこまでも伸びるうえに、冬季には大きな

葉が枯れて落ちるので処置に困るようになりやが

て抜いてしまいました。広い場所が有れば栽培は

割と容易なようなので、この地の気候に合ってい

るのでしょう。しかし店で見かけるのは相変わら

ずニュージーランド産が多いので価格の面で競争力がないのかも知れません。

B    葉タバコ

19-8-28鍋掛のタバコ畑那須塩原市鍋掛で撮影しました。薄い黄緑色の

大きな葉で、遠目でも鮮やかに見えます。頃合

いを見計らって下の方から葉を取て出荷するよ

うです。この地以外では見たことが無いので珍

しいものです。勿論タバの原材料なのですが、

市場を考えるとこの小規模な生産がどのように

加工され販売されるのか不思議な気もします。

大田原市街の中央部に日本たばこ産業の工場が

有ったので、以前はかなりの規模で葉タバコが

生産されていてその名残なのでしょうか。子供

の頃には普通に見た気がするので、時の移ろい

を感じさせられます。

C   

19-9-9西那須野の桑畑那須塩原市西那須野地区の所々で見かけますこの

地の1軒の農家が今も養蚕をやっているらしく、

そのために栽培しているのでしょう。栃木県では

足利市が絹織物の産地として有名で、以前はその

周囲で盛んに養蚕が行われたようですが県北にも

有るとは知りませんでした。子供の頃にはその名

残で取り残されて大きくなった桑の木があちこち

にあり、その実を良く食べました。2−3cm位

の赤黒いもので食べると甘酸っぱくておいしいの

ですが、手が赤黒くなって洗っても落ちないので

困りました。トドメと言いましたが、その色の事

のようです。

令和1年12月22日記

18.那須野ケ原の並木道

17.那須野の国宝

16.やはり“塚”と言ったらこれ

15.何故人はこんもりしたものを造るのか

14.空を見上げれば・・・

13.那須も日本国 その二

12.巨大な構造物

11.那須も日本国 その一

10.面白い眺め@

9.那須野の戦争

@   旧金丸原飛行場:大田原市北金丸・南金丸

A   旧那須野飛行場(埼玉飛行場):那須塩原市埼玉・塩野崎新田8.会津中街道の一里塚

7.奥州街道(奥州道中)と一里塚

6.造り酒屋

5.人はどう動いてきたのか?

4.那須野の川

3.なぜ“那須”とよばれるのか?

2.那須野の山々

1.はじめに

栃木県の形を地図で見ると正方形を少しひしゃげて角を取ったような形をしています

ね。東西と北は山に囲まれて、それらの稜線境が県境になったのは自然のなすところで

しょうが、南の境は人の成した結果のようです。その北東部は上空写真などで見ると周

囲を緑に囲まれた一帯で盆地のように見えますが、実際は広大な扇状地で“那須野ケ原”

と呼ばれています。ここはもはや関東平野という人はいないでしょう。この形を見てい

ると確かに良く育った茄子のような、いやいや周囲を山並みという袋に囲われているよ

うな気がして来ます。すると風神やら布袋をも思い浮かべます。那須の語源と茄子は関

係ないようですが、風神は春先に実感させられることがあります。この那須野ケ原の範

囲は色々な見方があると思いますが勝手に那須塩原市、大田原市、那須町の域内として

話を進めます。住人は20万人余りですがその一人として、自然と歴史、人々の営みな

ど、見たまま、感じるままに書き記したいと思います。

 南から電車で来ると在来線にせよ新幹線にせよ初めてのトンネルをくぐるとそこから

先が那須野ケ原です。特に新幹線の場合は次にトンネルを抜けるともう福島なので那須

野ケ原の範囲が実に判りやすいですね。ですから東京から仕事を終えての帰りはトンネ

ルが出てきて「ああ、家に帰ってきた」とホッとしたものです。国道4号線では初めて

の切り通しを過ぎた先となりますが高速道路は自然の営みを無視して作られているので

判別しにくい。ですからお越しの際はぜひ電車の利用をお勧めします。

 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: ezu1 平成23年7月5日記