法人の概要
 

ご あ い さ つ

日本の近代七宝は19世紀の万国博覧会を通じて世界に知られますが、その先駆けとなったのが七宝家 帝室技芸員 並河靖之(1845・弘化2年‐1927・昭和2年)です。当館は、かつて靖之が「並河七宝」の《工場》と《店》をかまえ七宝業を営んだ旧邸宅に、その偉業を将来に伝えるため2003(平成5)年に開館しました。

明治政府は1873(明治6)年のウィーン万国博覧会で初の万博参加をしますが、その目的は海外市場の開拓と西洋技術の移植による在来産業の育成にあり、輸出向製品が指向され、やきものや染織物、金工、漆工、木工などが輸出工芸の主流となりました。七宝業もその中に入りますが、明治初期の日本の七宝業は尾張七宝が主たる産地で、そのほかは小規模で、むしろこうした時期を過ぎてから本格的な進展をとげていきます。

靖之は川越藩京都留守居役の高岡家の三男として、京都の柳馬場御池に生れ、1855(安政2)年、数11歳で天台宗門跡青蓮院の坊官の並河家の養子となり、天台座主・青蓮院宮入道尊融親王(後の久邇宮朝彦親王)に仕えました。明治維新以後の混沌とした世情を生きぬくために、靖之は1873(明治6)年より朝彦親王に仕える傍ら七宝を手掛け、1878(明治11)年に専業とします。新生する京都の息吹の中で、紆余曲折を経ながら自身の七宝業を究めて、日本の七宝を世界に冠たるものとしました。

靖之が並河七宝を営んだ東山の地は、近世から京焼のひとつの粟田焼や刀鍛冶などの生業があり、ものづくりに携わる人々の暮らしがある土地柄でした。その風土や文化的環境に支えられ、近代には白川畔の界隈には、並河七宝が求心力となり七宝業が軒を連ねる京都七宝の産地が育まれ、一帯は日本の工芸に興味を持つ外国人たちの衆目を集めました。 並河七宝は人気が高く、多くが海を渡りましたが、大勢の人々もまた、海を越えて靖之の《店》や邸宅を訪れおり、その足跡は外国人旅行者たちの著作物や「並河家文書」(当館蔵)と総称する各種の史資料などにみることができます。

今展覧会では、外国人たちが旅を通して出会った靖之と並河七宝について史資料を交えながらご覧いただきます。記念館にて、明治の代に煌星のごとく輝きを放った並河七宝をご覧いただき、皆さまも束の間、時間旅行を楽しんでいただけましたら幸いです。


並河靖之七宝記念館

   〒605-0038 京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町388 TEL/FAX 075-752-3277
   休館日:毎週月曜日・木曜日(祝日の場合は翌日に振替)
 
(C)2007 Namikawa Cloisonne Museum of Kyoto