法人の概要
 

「之が七宝の終わりか、今ひとつ花を咲かすのか」*

明治の世、当家の主、七宝家・帝室技芸員・並河靖之(1845〜1927)は、一代で築き上げた七宝業にて世界の舞台に駆け上がりました。しかし、創業から間もない頃、靖之は大変な損失を負い辛い挫折を味わいました。冒頭の言葉は、自事業の継続を思案し、自問する心情を伝えたものです。

皆様、本日は当館にお立ち寄り頂き、心より感謝申し上げます。靖之が「並河七宝」の《工場》と《店》をかまえた旧邸に、その偉業を将来に伝える記念館を開設してから、17年目の秋を迎えました。

この界隈は現在、国重要文化的景観「京都岡崎の文化的景観」に選定され、人々の暮らしや生業など地域の風土により形成された重層的な文化性が高く評価されています。近代、一帯は新生する京都の中心地で、新興する京都七宝の産地となりましたが、近世は京焼の古窯である粟田焼や金工の刀鍛冶などの生業があり、ものづくりに携わる人々の暮らしがありました。それ以前の中世には公家や貴族が別墅や寺院を営むなど、時代ごとに様々な文化があり、古の面影を今も随所にみる事ができます。

この地に代を重ねてきた並河家は、青蓮院門跡の坊官を勤める家柄で、靖之は川越藩京都留守居役の高岡家の三男とした京都の柳馬場御池に生まれましたが、1855(安政2年)、数11歳で養子に入り家督を継ぎました。天台座主・青蓮院宮入道尊融親王(後の久邇宮朝彦親王)に仕えるも、時代の変革期のため、主人が被る境遇に自身も翻弄されました。

明治維新後、混沌とする世情を生き抜くため、1873(明治6)年より兼業で七宝を手掛け、1878(明治11)年に専業とします。靖之が生きた時代、19世紀の万国博覧会は世界中の人々の目を日本の文物へと引き寄せ、陶磁器や漆、染織、金工など工芸品はとくに好まれ、中でも尾張や京都、東京で盛んとなった近代七宝は人気がありました。

並河七宝は、有線七宝技法による繊細で優美な図柄と光彩ある七宝釉薬が、類ない耀きと高雅さを誇りました。靖之は実業の世界で紆余曲折を経ながら自身の七宝業を究め、万国博覧会を通じて珠玉の並河七宝を世界に冠たるものとしました。

文明開化の波に揉まれながら、時代を生き抜き稀代の七宝家として大輪の花を咲かせた並河靖之と明治の人々の昔語りに、ひと時お付き合いください。世界中の人々が安寧であることを共に願いながら、心を穏やかにお過ごしいただけましたら幸いです。

*並河徳子『父を語る』(1963年)より
並河靖之七宝記念館

   〒605-0038 京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町388 TEL/FAX 075-752-3277
   休館日:毎週月曜日・木曜日(祝日の場合は翌日に振替)
 
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