法人の概要
 

ごあいさつ

並河靖之(1845・弘化2年〜1927・昭和2年)は、明治・大正期に活躍し、帝室技芸員となった七宝家です。彼が営んだ「並河七宝」の《工場》と《店》からなる旧並河邸に2003(平成5)年4月より開設したのが、並河靖之七宝記念館です。

今季で18 年目の秋を迎えましたが、開館当初は、「ナミカワヤスユキ」の名前どころか、「シッポウ」さえも、まだまだ知られざる存在でした。また、開館と同時に七宝などの館蔵品より先に建造物や庭園が文化財となり、「七宝」以外の多方面からもご興味をお向けいただきました。

2008(平成20)年には七宝、下画、道具類が国登録有形文化財「工第2号 並河靖之七宝資料 千六百六十二点」となり、当館は建造物、庭園、館蔵品の全てに文化財価値を有する民間では希少な場所となりました。2015(平成27)年には当館を含む界隈が国重要文化的景観「京都岡崎の文化的景観」に選定され、人々の暮らしや生業など地域の風土により形成された文化性が高く評価されています。お陰様で今では、多くの皆様にご周知いただけるようになりました。

しかし、今から思えば靖之が営んだ明治の七宝業も当時は知られていない新興産業でした。そもそも靖之は川越藩京都留守居役の高岡家の三男として京都に生まれ、1855(安政2)年に数11歳で、青蓮院門跡坊官の並河家に養子に入り、天台座主・青蓮院宮入道尊融親王(後の久邇宮朝彦親王)に仕えました。主人が被る幕末維新の境遇に自身も翻弄され、先行きへの不安が絶えずあり、靖之は朝彦親王に仕える傍ら1873(明治6)年に七宝を手掛け、1878(明治11)年に専業とします。

当時、国内では幕末の尾張で開発された尾張七宝が盛んとなり産業としての将来性が期待され、京都においても関心が高まっており、靖之も満を持して七宝業に飛び込みました。実業の世界で紆余曲折を経ながら、やがて自身の七宝業を究めて、珠玉の並河七宝を創出し、日本の七宝を世界に冠たるものとしました。靖之が創始した「並河七宝」は19世紀の万国博覧会を通じて世界にその名を馳せ、類ない耀きと高雅を誇り、世界中の人の目を京都へと誘いました。

依然として落ち着かない世情ですが、皆様には当館にて、心穏やかにお過ごし下さい。波乱万丈の波に揉まれながら、稀代の七宝業を一時代で築き上げた「並河七宝」の人々の精美な技をご堪能いただき、彼らの魂が語る言霊に耳を澄ませ、心眼を開き、明治の代を生き抜いた靖之たちへ想いを馳せてみてください。

さて、今展覧会終了後、当館は2023(令和5)年春まで休館を頂戴いたします。1893年(明治26)4月に上棟、翌年に竣工された主屋は、靖之が住まい暮らし、来客をもてなす場として、並河家による常からの活用と数十年毎の修理を経てきました。この度は、公益財団法並河靖之有線七宝記念財団にて、文化財としての本格的な保存修理事業を行い、さらなる歳月を重ね未来へと繋いでまいります。

再 開を迎える2023年、主屋は築130年の節目となりますが、その時、皆様には「並河七宝を語りつぐ」お一人に是非なっていただけましたら、実に心強く、嬉しく、幸甚のみぎりです。

並河靖之七宝記念館

   〒605-0038 京都市東山区三条通北裏白川筋東入堀池町388 TEL/FAX 075-752-3277
   休館日:毎週月曜日・木曜日(祝日の場合は翌日に振替)
 
(C)2007 Namikawa Cloisonne Museum of Kyoto