【シモンイモの起源】シモンイモとは?
ブラジル原産の皮も中身も白いサツマイモ(類縁種)
発見者・シモン教授
教授の名前をとってシモンイモと名付けられました
日本には、1973年に「止血イモ」としてもたらされました
現在・シモンの伝統を守った人々、そしてブームの仕掛人!
1)中尾勉氏 現在シモンイモは沖縄、鹿児島、熊本、宮崎、大分など九州に主な産地があるが、自家用にシモンを栽培している人はそれこそ日本中にいる。そしてこれらの殆どの苗は大分県宇佐市の中尾勉氏が提供した苗だと推測される。果樹農家だった中尾さんは1977年、大分県下毛郡三光村の知り合いからシモンを紹介されて栽培。家族でシモンイモのジュースの飲んでいるうちにその効果に驚き、本格栽培を決意。農薬を使わない農業をめざしていた彼は数々の試行錯誤の結果、山の赤土と雨水の自然が育てるシモンにいきつき、現在では日本最大のシモン生産者といえる。中尾氏はまた、それまで生でしか利用できなかったシモンを乾燥・粉末にし、一年中シモンイモを利用できるようにした。氏は粉末を携えて80年に沖の島に楊先生を訪ねたところ「これがあれば一年中シモンが食べられる」とたいそう喜ばれたという。その後まもなく先生は亡くなられたので、中尾氏は今となっては先生の面影を知る数少ないシモン関係者である。
2)齋藤勝氏(1944−97) ミミズ養殖の推進者だった齋藤氏は人を介して80年代前半に中尾氏と出会う。中尾氏のシモンイモに注目した齋藤氏は東京で普及活動を担当することとなる。「シモンと健康を考える会」を設立し普及活動に努めてきた氏は、折からの健康ブームに乗り95年11月、テレビ番組「土曜大好き」の健康食品コーナーでシモンイモを紹介、シモンは一気に全国的に利用者を得、同会は最大規模のシモン普及組織となる。97年12月、齋藤氏は心膜炎により突然死去。以後、同会関係者は分裂。


