ウミネコが、みゃあと鳴いて。 波がざぶーんと音をたてて。 アルテアが高らかに嘶いて。 くだらないおはなし 「きゃっ……!」 「あーあー、そんな靴履いてくるからだろ?」 歩くたびに砂に足をとられ、小さな悲鳴をあげるフリーデリカを、見かねてエドヴァルドは言った。 高く細いヒールは、さらさらとした砂の上では容易に埋もれてしまう。 「っ……私は、街で買い物するからって、聞いて……」 「しょうがねーだろ。アルテアがどうしてもっていうんだからさっ」 フリーデリカが、一歩前に進むのでさえ苦しんでいるというのに。 エドヴァルドはアルテアの手綱を掴み、悠然と彼女の前を行く。 「ほーらほら、置いてっちまうぞー!」 楽しげな笑顔が、今のフリーデリカにはこの上なく憎たらしい。 乾燥した白い砂は、彼女の小さな足をいとも簡単に飲み込んでしまうのに、駆け抜ける風がその足跡をかき消していく。 まるで、彼女が通ってきた道など、幻だったかのように。 まるで、彼女自身が幻であるかのように。 十数メートル先を歩くエドヴァルドは、フリーデリカのことなどまるで眼中にないように歩いている。 当然の如く彼女より重い彼の足跡も、アルテアの足跡も、砂上にはある程度の形を残していた。 自分の足跡は残らない。 振り返ってすらもらえない。 そう思った次の瞬間、フリーデリカは履いていた白い靴を脱ぎ、前を行くエドヴァルド目掛けてぽーんと放り投げた。 それは、残念ながら彼の元までは届かなかったのだが、少し後ろで鳴った砂の音に、彼はようやく振り返る。 その視線の十数メートル先には、もう一方の靴を握り締めるフリーデリカの姿。 さすがの彼もそれにはぎょっとした。 普段は淑女然とした彼女が、あろうことか靴下のままでそこに立っているのだ。 しかも結果は既にわかりきっているのに、めげていないのか、はたまた自棄になっているのか。 それでも彼女はきっと、渾身の力でもって放り投げたに違いない。 だが、悲しいかな、もう片方の靴は放物線を描いて、先ほどと同じような場所にぽとりと落ちた。 「何やってんだ?」 「エド様のばかーー!!」 なんとまあ、普段の彼女らしからぬことだろう。 あまりにもあまりな言葉遣いに、エドヴァルドは呆然としてしまった。 どこでそんな言葉を覚えたのかと問えば、きっと自分に返ってくるだけだろうから、彼は問わないけれど。 しかも、靴だけでは飽き足らなかったのか、靴下まで脱いでその辺に放り投げてしまった。 太陽の下、白い砂の上に晒されるうら若き乙女の細く白い足。 それを見ただけでこみ上げてくる浅ましい欲望を、エドヴァルドは必死で押しとどめる。 はしたないなんてことは、もう、フリーデリカにはどうでもいい概念だった。 歩きにくい靴から自由になった足は軽やかで。 走ることもできれば、飛び跳ねることもできた。 スカートを翻して波打ち際までくれば、冷たい海水が直に足を濡らす。 濡れた砂の上にははっきりと足跡がついていたので、フリーデリカは満足だった。 波の飛沫も、砂つぶもきらきらと光っていたので、フリーデリカは満足だった。 「お嬢さん?ちょっとおイタが過ぎるんじゃねーの?」 振り向くと、エドヴァルドが笑っていたので、フリーデリカは満足だった。 「エド様が、私を放っていかれるのが悪いんです」 フリーデリカは、エドヴァルドが敷いた彼のマントの上で悪びれることもなく言う。 自然に乾燥するのが良いのだと言って、足をぶらぶらさせている。 エドヴァルドが差し出したハンカチは、先ほどの靴下のように、ぽいっと投げ捨てられてしまった。 全く。 とんでもない。 見ないように見ないようにとは思うのだが、ついつい視線の端には彼女の白い足が映りこむ。 吸い寄せられてしまいそうになるのを、我慢するのに必死だというのに。 全く。 とんでもない女を好きになってしまったものだ。 「お前さー……他の男の前では、絶対にそんなことすんなよな……」 ほんの少し呆れたような、優しい眼差しで、エドヴァルドはフリーデリカを見つめていた。 ほんの少し意地悪な、楽しそうな眼差しで、フリーデリカはエドヴァルドを見つめ返す。 平和な時間。 ウミネコが、みゃあと鳴いて。 波がざぶーんと音をたてて。 アルテアが高らかに嘶いて。 --------------------------------- ああ、なんて平和な日々なんだろう。 |