『泣かないで……』



優しい声。



『全く、君はいつになっても泣き虫なんだね……』



優しいぬくもり。


ずっとずっと感じていたい……










真昼の夢










「……ジェ……」



――なぁに?



「……アン……ェ……」



――いやよ、まだ……



「アンジェっ!」


「!?」



身体を揺さぶられる衝撃で、目が覚めた。

目の前には、険しい表情で見つめる、ベルナール兄さんの顔。

その顔は、初めて見るのでは、と思うくらいに苦しそうで、辛そうで。

一体、何があったというのだろう。

ああ、もしかして急ぎの依頼なのだろうか。

ならばこうしてはいられない。



「『依頼』ですね、兄さん……ごめんなさい、すぐ支度を……」


「……っ……寝ぼけているようだね、アンジェ……」



ふう、と盛大なため息をついて私の横に腰をかけると、ベルナール兄さんは親指で私の顎にそっと触れた。

一瞬、どきりとしてしまったのだけれど、その指はそのまま頬の上を滑っていく。



「あ……私……」


「こんなに涙を流して寝ているものだから、とても怖い夢を見ているんじゃないか、って心配になってね……」



目を細めて、端正な顔を歪めるベルナール兄さんの表情を見ていると、切なさでいっぱいになってしまう。

その理由が、この瞳から流れ出る涙の所為だとわかっていても、どうしても止められない。

止まってくれない。

悲しい夢ではなかったと思うのだけれど。

一体どうしてしまったというのだろう。



「おかしい、ですね……どうしてしまったのかしら……」



なんとか、ベルナール兄さんに安心して欲しくて、笑顔をつくったのだけれど、逆効果だったかもしれない。

だって、ベルナール兄さんの眉間の皺は、さっきよりずっと深くなってしまっている。

拭いすぎて、私の手の甲はすっかりびしょ濡れになってしまった。



「そうだわ、ハンカチを……」



部屋にハンカチを取りに行こうと、ソファから立ち上がった瞬間。

優しく、けれども力強く手首を引かれ、あっ、と思った時には、私はベルナール兄さんの腕の中にいた。



「に、兄さん……?お、重いでしょう……?」


「まるで、羽のような軽さだよ、小さなアンジェ……なのに。

 なのに、どうしてこんな君が、タナトスなんかと戦わなければならないんだ……?」


「……にい、さん……」


「まどろみの村のことを、思い出した……君がいたから、彼らは救われた……」



けれど、と兄さんは言葉を続ける。



「けれど、君がタナトスに襲われたら、誰が君を助けるんだ?

 そうしてもし……君が永遠の眠りについてしまったら、と。

 そう思ったら、自分の無力さと君を失う恐怖で、全身から血の気が引いたよ……」



兄さんの声は苦しそうだったけれど。

その腕の中はどこまでも暖かかった。



「ありがとう兄さん、心配してくれているのね。でもね、本当に悲しい夢ではなかったの」


「そう、か……そう……いや、それならいいんだ。あぁ、すまない……苦しかっただろう?」



慌てたように私の身体を開放すると、その優しい瞳で覗き込んでくる。

優しい優しいベルナール兄さん。

その優しさに、今は少しだけ、甘えてしまおう。



「いいえ、大丈夫です。そうだ、今日は何かご用だったんじゃないですか?」


「いや。少し、時間が空いたものだからね。君がどうしているか、気になって……」


「ふふっ。それじゃあこれから、天使の花束まで足を伸ばしませんか?」


「ああ、それは素敵だね」









花の絨毯が広がる天使の花束。

強い風が、たくさんの花びらを空高く舞い上げる様は、まるで天使が女王様の元へと還っていくようで。

神聖さすら感じる美しさに、私の目から大粒の涙がこぼれた。



「ア、アンジェ?」


「ごめんなさい、兄さん。とっても……とっても美しいものだから……感動してしまって」


「……そうだね。とても、美しい……」



そうして、天使の羽のような花びらが、私達の上に降ってきた。

その花びらは、もしかしたら、あの夢の欠片だったのかもしれない。

舞い降りてきた花びらが触れた瞬間、あの夢が、心の中でゆっくりと開くのを感じた。













泣かないで、愛しいアンジェ。


その涙が、喜びの涙であったとしても、今日は特別な日だから。


君の最高の笑顔を見ていたいんだ。


……全く、君はいつまでたっても泣き虫さんなんだね……


これじゃあ、ハンカチがいくつあっても足りない。


仕方がないなぁ……








その言葉の後、閉じた瞼にふれる優しいぬくもり。

ずっと、ずっと感じていたいと思うほどに。










そう、それは、とても美しい光景で。










「……アンジェ?」










ああ、いつか。










「……兄さん。私、きっととっても幸せなのね……今も。そして、未来も」










私はあの夢に再び出会えると、確信している。










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あふれる涙を拭いもせず。











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2009.01.20