彼の者の名は





屋敷へと戻ったエドヴァルドを待ち受けていたのは、父である子爵からの呼び出しであった。

待っているのは、今日という日に屋敷を抜け出した自分への小言だろう。

どんなことを言われるのだろうと思えば、父の部屋に向かう彼の足取りは、自然と重くなった。

部屋の扉の前まで来たものの、その扉を叩く勇気が出ず、彼はしばらくの間躊躇していた。

だが驚いたことに、扉は、エドヴァルドが叩く前に中から開けられた。

子爵自ら開けてくれたのだった。

ばつが悪そうにしているエドヴァルドを見た子爵は、苦笑いを浮かべた。



「そこで立っていても仕方がないだろう?……入りなさい」


「……はい」



子爵は自分の椅子にどっかりと腰を掛けると、エドヴァルドにもソファーに掛けるように促した。

その様子は、どこか疲れているように、彼の瞳には映った。



「父さん……その、今日は……」


「……まあ、いきなり異母妹(いもうと)を迎えると言われて、そう簡単に納得できないのも無理はないだろう」


「……ごめん……」


「お前が謝ることはない。それに……彼女はこの屋敷には住まないことになった」


「……え?」


「……ヘンリエッテが、どうしても聞き入れなくてな……フリーデリカ……お前の異母妹の名だが、

 彼女を別荘に住まわせるという条件で、その場を収めたのだ」



エドヴァルドの予想通り、ヘンリエッテ……彼の継母であり、子爵家正夫人は黙っていなかったようだ。

父が疲れている風なのも、きっとそのことが原因なのだろうと、彼は思う。



「……お前も複雑だろうが、フリーデリカは新しい土地で不慣れな思いをしているだろう。

 私も、できる限りのことをしてやるつもりだが、異母妹を支えてやってはくれないだろうか?」


「……わかったよ……」



そう、返事をしたものの、エドヴァルドは俯くことしかできなかった。

まだ見ぬ異母妹に与えられた境遇に、同情しないではないのだが、彼にはどうしようもないことだった。

しかし、ここにいないとなれば、彼女と会うのは一体いつになるのやら。

それよりも、今彼女は一体どこにいるのだろうか。


ここで少し、ブラウンシュヴァイク家のことに触れておこう。

ブラウンシュヴァイク家はクーヘンでも歴史ある名家の一つである。

子爵位ながらも、代々、優れた施政者を輩出していて、常に国政に深く関わってきた。

現当主ブラウンシュヴァイク卿も国政の要職についており、その資産は潤沢だ。

その為、国内に大小いくつかの邸宅を持っている。

つまり、別荘に追いやられたと言われても、一体どこの別荘にいるのか、エドヴァルドは疑問だったのだ。



「……ところで、父さん。俺の異母妹君は、どこの別荘に住まわせることに?」


「ああ、それなんだが、湖の近くにある別荘にした。あそこは水も空気も良い。静かに暮らせるだろう?」



父親の顔で優しく微笑んだ子爵とは逆に、エドヴァルドは驚いた顔でソファから立ち上がった。



「と、父さん……フリーデリカってどんな娘なんだ?」



息子の様子に、子爵は怪訝な表情を浮かべたが、つとめて落ち着いて答えた。



「私も、会うのは初めてだったが、すぐにわかった。彼女は母親によく似て、大変に美しく育っていた。

 彼女の母親は純粋な金髪だったが、彼女は赤みがかった金髪で、エメラルドのような新緑の瞳。

 幼い頃から修道院で育った所為だろう。物静かで、思慮深そうな娘だ。お前もきっと好きになる」



子爵の言葉に、エドヴァルドは激しい衝撃を受けた。

それでは、先ほど自分が出会った謎の美しい少女は、件の異母妹君であったというのか!

その衝撃の中にあっても彼は、その事実を今知ることができて良かったのかもしれないと、思おうとした。

知らぬまま彼女の面影を追い求めていれば、悲しみも衝撃も、今とは比べものにならなかったかもしれない。

しかしそれにしても、子爵の最後の一言は、彼にとって皮肉にしか聞こえなかった。


『お前もきっと好きになる』


全くもってその通りだった。

一目見た瞬間に、何も物事が考えられなくなり、彼女以外のものは霞んでしまった。

子爵夫人が彼女の母親を知っていたかどうかは定かではない。

しかし、自分の夫をたぶらかした女の娘の美貌を、誰が好ましく思うものか。

夫人が彼女を傍に置いておきたくなかった理由が、彼にもわかるような気がした。



エドヴァルドはこれからのことを思い、子爵にわからないよう、小さなため息をこぼした。





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2009.05.17