10:Fallen ―閉幕― 白い雪に覆われたテラスには、夜目にもそれとわかる、赤い髪の青年が先客でいた。 「……エドヴァルド、様……?」 「おー……お前か。どうした?オルフェと踊ってくりゃいいじゃねーか」 「少し、外の風に当たりたくなったんです……オルフェ様は他の方と踊っていらっしゃいますし。 エドヴァルド様こそ、どなたかと踊られないのですか?」 「そういうガラじゃねーだろ?」 「そういうものなのですか?」 「そーいうもんなの」 結い上げた長い髪が風で崩れてしまわないよう、そっと手を添える姿は実に艶やかだった。 口さえ開かなければ、エドヴァルドの目にも、彼女は一つの宝石のように映る。 事実、彼女は美しい。 豪奢なドレスを着なくても、高価な宝石で飾らずとも。 ただ、確かにナオジが言うように、彼女を飾る言葉を見つけようとすれば困ってしまう。 「エドヴァルド様……」 「ん?どした?」 思わず見とれていたことを、フリーデリカに気取られないよう、エドヴァルドは平静を装う。 「……その…………先ほどは……」 「さっき?」 「申し訳、ありませんでした……その、失言でした……」 「失言?」 何かあっただろうか、と思い返してみたのだが。 フリーデリカから浴びせられた暴言は多すぎて、一体どれのことを言っているかエドヴァルドは悩む。 さっきというくらいなのだから、今日のことなのだろう。 だが、今日の彼女とのやりとりでのことならば、むしろ自分の方が言い過ぎたのではと思う。 「……その……『迷惑』だなんて……言ってしまって……」 「あー……それか。気にすんなって」 「……申し訳ありません……」 「だーかーらー、たった今、気にすんなって言っただろ? ……っていうか、俺に素直なお前って調子狂うぜ、全く……」 「なっ!?……ひ、人が下手に出ていれば……っ!」 「おう!そーそー、そのくらいじゃねーとなっ!」 風にさえ、乱すことを許さなかった彼女の髪を、わしゃわしゃと撫でた。 綺麗に髪を纏めていた髪飾りが外れ、夜空に光の筋のような金の髪が放たれる。 漆黒の闇に、その光はよく映えた。 「もう、エド様!?っぁ……!」 抗議しようとフリーデリカはエドヴァルドの名を呼んだ。 だが、今日はずっとオルフェレウスと行動を共にしていた所為か。 はたまた、彼に気を許した証拠だとでもいうのか。 普段は呼ばない、彼の愛称が、口をついて出てしまった。 「…………『エド様』…………?」 それは不思議な感覚だった。 たとえば、そう。 自分でもすっかり忘れていた失くし物を、何かの拍子に見つけたような。 エドヴァルドの胸に一つの感情がこみ上げてくる。 「今のっ、は……!そ、その……きょ、今日はオルフェ様とずっと一緒で。 オルフェ様が、貴方様のことを『エド』ってお呼びになっているのが、きっと伝染って…… 別にあな…………エドヴァルド、様?」 フリーデリカに『そう』呼ばれたのは初めてだった。 拒否している、とエドヴァルドが思う程には、彼女は頑なだったし。 彼に対する彼女の反発っぷりは、彼を嫌悪しているとしか思えなかったから。 それでも、彼は構わないと思っていた。 彼女はオルフェレウスと親しげに見えたから。 彼の恋が成就すればいいと思うエドヴァルドにとって、自分の呼び名など、どうでもいいはずだった。 そう、そのはずだった。 なのに。 「エド、様……?」 彼の胸にこみ上げてきた感情の名は『喜び』だった。 彼女に『そう』呼ばれることが、嬉しいと感じた。 「(くそっ……)」 口元が緩みそうになる感じを覚え、エドヴァルドは慌てて片手で覆う。 ホールの光を背にして立つ彼の表情は、フリーデリカにはよく見えない。 黙ったままの彼を見ているうちに、彼女は逃げ出したいような気持ちに駆られた。 「……あ、あの、私……そろそろホールに戻ろうかと思うのですが……」 「ぅあ……っと……ま、待てよ!」 「……え?」 「……一人で、ホールに戻るのも間抜けだろ?エスコートしてやるよ」 「え、えっと……あ、ありがとうございます……?」 「……ほら、お嬢さん?」 「…………」 どうしてだろう、とフリーデリカは不思議な気持ちになった。 今の今まで、エドヴァルドの前から逃げ出したいと思っていたのに。 手を差し出された瞬間、そんな感情は煙のように消えてしまった。 この手を取っても大丈夫だと、自分の中の誰かが囁く。 それは、彼女の中に、他人を信じる気持ちが芽生えた証。 「エド、様……」 「どうかなさいましたか?お嬢さん」 「……なんだか、変な感じですが……今日は、ありがとうございます……」 「!?……お、う……どういたしまして」 ホールは明るい熱気に満ちていた。 宴は最高潮を迎え、夢のような時は終わりへと歩き出す。 それなのに、生徒達のほとんどはそのことに気付かない。 まるで、この時間が永遠に続くのだと信じきっているかのように、言葉を交わし、ダンスを楽しむ。 「一曲、お相手願えますか?お嬢さん」 「……え?」 フリーデリカとエドヴァルドがホールに入った時、運よく新しいワルツの曲が始まるところだった。 ヴァイオリンが、静かな調べを奏で出すと、甘い雰囲気の男女が、ゆったりとステップを踏み出した。 「……あー、言うな。言いたいことはわかってる。『踊れるのかしら?』だろ?」 「……ふふ、よくお分かりになりましたね」 「ったく馬鹿にしやがって……これでも一応、子爵家の長男なんだぜ?」 「え?……きゃ、ぁっ!」 軽く手を引かれたと、フリーデリカが思った次の瞬間。 あっという間に、彼女はエドヴァルドによってホールの真ん中程まで連れてこられていた。 彼の逞しい腕に引き寄せられたときに、一瞬胸が高鳴ったような気がしたが。 それは、きっとこの曲の雰囲気のせいだと、彼女は自身に言い聞かせる。 だって、そんなことは、ありえないのだから。 「……お前さー……もう少し楽しそうに踊れないのかよ?」 「申し訳ありません、こんなにお上手だなんて、意外すぎて……」 「…………喧嘩売ってるだろ、お前」 ―――1935年12月。 ローゼンシュトルツ学園に入学して最初のクリスマスは、波乱に満ちた幕開けに始まり。 様々な想いが踊る中、静かにその幕を閉じた。 後日。 「……では、反対者無しということで、この議題は可決された、な」 そこには疲弊しきった、シュトラールが4人。 たかが、木を1本伐るかどうかを決めるために、オルフェレウスの熱弁を二時間も聞かされた末の姿だった…… [Ende] あとがき |