覚えているのは
猛り狂う炎と
紅く閃めく銀色の輝き
そして
トン
1人の男と、少女の肩がわずかにぶつかった。
往来では良くあることで、特に珍しくも何ともない光景。
軽く頭をさげ、その場を去ろうとする少女に、男の仲間が声をかける。
「おいおい、ちょっと待てよ。」
「何も言わずに行っちまうのかぁ?ちょぉっとつれないんじゃねぇ?」
少女の年の頃は14〜16歳程度だろうか?
色素の薄い髪と瞳、そしてこのご時世にはそぐわない、忍び装束を纏った姿が、随分と印象的だった。
「あ、あの……すみません……」
鈴の音のように澄んだ高い声が響く。
……しかし、その声は心なしか震えている。
「謝ってすむんなら、警察はいらねえんだよ!」
男の中の一人が、少女の顎をくいっと持ち上げる。
「……ヒュ〜♪ちっとばかしガキくせえが、こりゃ相当の上玉だっ!」
下卑た笑いを浮かべ、口笛を吹く。
少女は顔を歪め、必死で顔を背けようとするのだが、男の力は強く、抵抗は難しかった。
それを男達は愉快そうに見ている。
「さっき、ぶつかった時の礼がまだだったな……」
「ちょっと、俺等に付き合えよ!!」
手首を掴まれ、少女の体は軽々と宙に持ち上げられる。
「……は、離してください!!!」
少女のそんな叫び声も虚しく、彼女を助けるものはいない。
この辺りでは珍しくない光景なのか、道行く人々は一瞬哀れむような視線を向け、すぐにそそくさとその場から離れていく。
(可哀想に……)
(あ〜、嫌なご時世だねぇ……)
遠くから、そんな囁き声が聞こえてくる。
「騒ぐんじゃねえ!!痛ぇ目にあいてえのかぁっ!?」
男が、笑いながら少女に向かって拳を振り上げる。
咄嗟に少女は固く目をつぶった。
後にやってくるであろう痛みに備えて。
ぱしっ
音がした。
……が、痛くない。
それどころか、掴まれていた手首も解放され、足もちゃんと地についている。
少女が恐る恐る目を開けると…
……最初に目に飛び込んできたのは鮮やかな緋色。
それしか見えなかった。
他には何も見えなかった。
きぃん、と耳鳴りがした。
体中が悲鳴をあげていた。
……その理由は、彼女にはわからなかったけれども。
ぶんぶんと頭を振り、よく目を凝らすと、それは人だった。
その先には少女に絡んできた男達。
何故か地面に座り込んでいた。
「去れ……!」
その言葉に、男達は捨て台詞を吐きながら、散り散りに逃げていった。
何がなんだかわからず、少女が呆然としていると。
「大丈夫でござるか?」
たった今発せられた声とは全く違う、穏やかな声が少女に投げかけられる。
緋色の髪に緋色の着物。
なるほど、先ほどの少女の錯覚はこれの所為だったのだ。
そして、左頬に刻まれた十字の刀傷。
「……あ、有難う……御座います……」
どうやら助けてくれたようだが……そう思いながらも、少女は警戒を解かない。
彼女は気付かれていないと思っているようだが、どう見ても警戒心丸出しの少女に、青年は苦笑しながら、
「そなた……名は?」
少女を安心させるべく、落ち着いた声音で問い掛ける。
「…………ひかる……………輝です……」
無意識のうちに答えていた。
何よりも先に口が動いていた。
そして言ってから気付く。
「〜〜〜〜〜!!!」
急いで口を手でふさぐが、もう後の祭りである。
(ま、まだ信用できる相手と決まってないのに〜!!)
ぐるぐると、目まぐるしいほどの考えが、消えては浮かび、浮かんでは消えていった。
「ぷっ……くくく……」
(……???)
顔をあげると、必死で笑いを堪えている青年の姿があった。
ワケがわからない。
本当に怪しい人なのかもしれない、と少女……輝が本気で逃げようと考えていると、
「イヤ、すまない……ただ、そなたのくるくる変わる表情が面白くて……」
まだ笑いが抜けていないのか、咳払いをする肩は震えていた。
恥ずかしさと、情けなさとで、輝の顔がほんの少し和らぐ。
それから、輝もつられて笑い出した。
その表情に、ふっと、青年は吐息を洩らす。
「……この辺りは治安が良くないゆえ、良ければ送ってゆくが、家は何処でござるか?」
「……い……え……?」
その言葉に、ようやく見せた笑顔が凍りつく。
ズキン!
激しい頭痛が輝を襲う。
家
家族
帰る場所
帰る者
待つ者
安息
平穏
大切な場所
大切な人
フラッシュバックのように、様々な映像が駆け巡った。
しかし、そのどれもが頭に残る事なく消えていった。
ただひとつ。
緋色の記憶だけが、頭にべったりとこびりついて。
拭い去る事も出来ずに。
全てを緋く緋く染め上げた。
ワタシハダレダ?
ワタシハ……
「……輝殿?」
ハッとして2、3歩後退る。
体中から冷たい汗が流れ出ていた。
息が荒かった。
「どこか痛むのでござるか……?」
青年の酷く心配そうな瞳が、『誰か』と重なる。
「あっ、待つでござ……」
青年の制止を振り切って。
気がつくと輝は走っていた。
必死で走っていた。
青年から逃げたかったわけではない。
理由はわからなかった。
何もわからなかった。
何も『覚えて』いなかった。
「あの娘……なんという悲しい瞳を……」
少女の姿が見えなくなってから、青年は呻く様に呟いた。
何事もなかったかのように、人も時も流れていく。
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