緋色の記憶3






「今日は随分とお客様がいらっしゃいますねぇ〜……」


少し驚いたような声音で輝が呟く。

今日は他道場の門下生が練習にやってきている。
いつもは薫と弥彦の掛け声ぐらいしか聞こえない道場も、今日は随分と賑やかである。


「そうかしら?……まぁ、ウチの道場が少なすぎるだけなんだけれどねぇ〜……」


苦笑いを浮かべながら、薫が輝と同じ方へ視線を向ける。
さらしを巻き胴着に身を包んでいる薫は、いつもよりも凛としていてそしてどこか楽しそうで。
そんな彼女を見ていると、輝もなんだか心が躍ってくる。
しかし、まさか自分もやってみたいなどとは言い出せず。
そう思っていたからこそ、次の薫の言葉はすぐには信じられないほど嬉しいものだった。


「そうだ、輝さんもやってみる?」

「!?い、いいんですかっ!!?」


がっし、と両肩をつかまれ、喜びに打ち震えているといった表情の輝が覗き込んでくる。
あまりの剣幕に薫は一瞬たじろいでしまった。
薫としては半分冗談で言ったつもりだったので、こうも嬉しそうな反応が返ってくるとは思ってもみなかったので。
が、そこまで言った手前断れることなどできるはずもなく。


「も、勿論!!」


やや顔を引きつらせながら、それでも胸を張って薫は答えた。



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「なんだ、輝さん上手いじゃない。才能あるわ。」

「ほ、本当ですか!?」

「ええ、それじゃあこの調子で練習を続けてね。」


にっこりと輝に笑いかけ、薫は道場の中へと足を向けた。
薫の姿が道場の中へ消えたと同時に、中で怒号が響く。


「こらそこぉ、サボるんじゃないっ!!!」


  自分が怒られたわけではないのに、輝は思わず身を小さくしてしまう。
そしてそんな自分に気付いて苦笑が零れる。
自分はあんなに優しく教えてもらって良かったんだろうか?と思いながら、


「よし、頑張ろう!」


輝は素振りの練習を再開した。



数十分後。




「よぉ、頑張ってるなっ!」


胴着の袖で流れる汗を拭いながらこちらに向かってくる少年。


「弥彦くん」


素振りの手を止め、輝は呼びかけた相手ににっこりと笑いかけた。


「ちょっとサボり、な」


そう言って石に腰掛けると、うーん、と大きく伸びをした。
あっちぃ〜、などと言いながら、弥彦は目を細めながら雲ひとつない空を仰ぐ。
なんだかその様子が妙に良さ気だったので、輝は弥彦の隣に腰掛ける。


「うっわ、お前暑いって言ってんだからひっつくなよ〜っ!!」


そう言う弥彦の目は笑っていたけれど。


「い〜い天気ですねぇ〜……」

「ああ」


二人の間を心地よい風が通り過ぎる。


「こらぁ、二人ともなにサボってんのっ!?」


静かな時が突然の怒号によって破られる。
二人は振り向かずに顔を見合わせて。


「まずい、薫だっ!!逃げるぞ輝!!」

「へっ!?」


言うが早いか、弥彦は輝の腕を掴むと一目散にその場から逃げ出した。
後から薫の怒声が追いかけてきたが、薫が追ってくることはなかった。



「な、なんで逃げるんですかぁ……?」


ハァハァと肩で息をしながらその場にへたり込む。
ようやく輝の腕を放すと、


「は、反射、的に……っ!」


同じく息を切らせながら弥彦もその場に座り込んだ。
二人は顔を見合わせると、同時に。


「「ぷっ……くくく……」」

「あーっははははっ!」

「えへへ……」


なんだかすごく馬鹿馬鹿しくて、笑いがこみ上げてきた。
道行く人々が何事かという目で二人を見てゆく。
二人はもう一度顔を見合わせ、肩をすくめてからもう一度くすりと笑うと、


「さ〜て……どうすっかなぁ……」

「怒られに行きますか?」

「ははは〜……逃げなきゃ良かったか?」

「今更どうしようもないこと言わないでくださいよ……」


苦笑いを浮かべながら、輝はぱんぱんと胴着に付いた砂埃を払う。
……と。





「キャーっっ!!!!!」

「アイツ等おかしいぞっ!!?」

「た、助けてくれーっ!!」





東京は大きな街だ。
喧嘩やいざこざなどは日常茶飯事の事である。
……しかし、何か様子が変だ。


「何か、あったんでしょうか……?」

心配そうな表情で、輝は声のした方へ顔を向ける。
空気が変わったような気がした。
弥彦は竹刀を握り締めると、

「お前はここにいろ、いいな!?」

そう言うが早いか、騒ぎの中心へと駆け出した。


「どう……しよう……」


ここにいろ、といわれた以上、ここに居るべきだとは思ったが。


「弥彦くん……」


やはり弥彦一人では心配だ。
竹刀を握り締め、騒ぎのあった方向をきっと見据える。
輝も弥彦の向かった方へ走り出した。



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「……たっ、助け……」


這い蹲りながら初老の男が助けを求めている。
腫れあがった痣や生々しい斬り傷。
常人のする行為ではない。


現に、男を傷つけた者たちは一様にイカれた目をしていた。


「はっ、死ね!!」


一人の男が刀を衝き立てようとした瞬間、


「待ちやがれっ!!」


その場に少年の声が響き渡った。
その一瞬、男の注意が逸れる。
それを声の主は見逃さない。


「はぁっ!!!」


男の横っ腹に強烈な胴を叩き込むと、


「じいさん、早く逃げな!」


視線は男たちへ向けたまま、少年は老人に逃げるよう促す。


「さぁって……」

「(ひぃふぅみぃ……十人……)」


今目にした限りでは十人。
しかし、隠れている者もいるかもしれない。
一度に相手をすれば一気に囲まれ、負けは必至だ。
しかもこの場合、負けることはそのまま死を意味する。
ならばどうするか?


「……囲まれる前にカタをつけるっ!!」

「ガキが……いい気になるなぁっ!!!」



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最初の五人目まではなんとかなった。
しかし尋常ならざる体力と気力でもって、倒しても起き上がってくる男達。
六人目七人目となるにつれ、弥彦にも疲労の色が隠せなくなってきた。


(あと……二人……っ!)


八人目を気絶させたところで、残りの二人が同時に襲いかかってきた。


「ちぃっ!!」


舌打ちをし、ありったけの力を込めて打ち込む。
……が、威力が小さい。
うめき声をあげながらも、最後の一人が剣を振りかざす。


「だめぇっ!!!」


ばきっ、という鈍い音とともに、男が弥彦に向かって倒れてきた。
それを寸でのところでかわし、声の主に驚く。
いや、正確には声の主の背後に迫る影に驚く。


「輝っ!後ろだ!!!」

「え……!?」


振り向いた輝の目に映ったのは、振りかざされる刀。


「輝っ!!!」


だめだ、間に合わない。
そう弥彦が思った瞬間……全てがゆっくりと動いたように感じた。


トン、と男の腕は軽く受け流され、そのまま前に引っ張られ。
と、同時に足払いによってバランスを崩された男の体が嘘の様に宙を舞う。
それらをやってのけているのは……
……輝だった。
そして。


ドォォン……


軽い地響きとともに、男の体が地面へと沈んだ。

誰も身じろぎ一つしない。
誰もが呼吸すら止めてその光景を見つめていた。


「は……はは……」


へたりと少女がその場に座り込んだ瞬間。
わぁっという歓声とともに、周りで成り行きを見守っていた人々が一斉に二人を取り囲んだ。


「凄いぞ坊主っ!!」

「貴女強いのね……びっくりしたわ!」

「やるなぁ嬢ちゃん!」


口々に述べられる言葉、言葉、言葉。


「へ?へ??」

「ス、スイマセン、通してくださいっっ!!!」



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「はぁ〜……」

騒ぎを押しのけ、何とか静かな路地まで辿り着いた時、弥彦はようやく輝が持ってきた『モノ』に気付く。


「オイ……『そりゃ』なんだ……?」

「へ?……え、え〜とぉ、多分さっき私が投げ飛ばした人だと……」

「……なんでいるんだ?」

「……さぁ?」

「…………」

「…………」

「重い重いと思ってたら、なんでこんなヤツ連れてきてんだお前は〜〜っ!!!」

「すいませんすいませんっ!!」


ぎゃあぎゃあと二人が言い争って……というよりは一方的に怒鳴られていたのだが。


「ん……うぅ……」


地面から聞こえてきたうめき声に、ピタリと二人の動きが止まる。


「「まさか……」」


その事で騒いでいたにも拘らず、しっかりと忘れていたその存在へと二人は恐る恐る目を向ける。
そのまさか、男が目を覚ましたのだった。


「いってぇ〜……」


反射的に弥彦は輝を庇うように身構える。
しかし、次にこの男の口から出た言葉は。


「あぁ?…誰だ、お前ぇら…?」



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「じゃあ、ほんっっっっと〜〜〜にぃっ!!覚えてないんだな!?」

「だぁかぁらぁ、さっきからそう言ってるだろうが、クソガキぃっ!!!」


……先ほどからこの調子である。


「ホントのホントの……」

「しつけぇっっ!!!」

「あ、あの〜……もぉその辺で……」


溜息をつきながら輝がそう進言する。
これ以上は意味がないと判断しての事だが…


「なぁ、ホントなのか……?その、オレが暴れたってのは……」

「だから何度も言ってるだろうがっ!!」

「るせぇ!オレはこっちの彼女に聞いてんの!!な?それでオレがアンタに斬りかかったってのも……」

「全部本当っ!!!」

「いちいちうるせ……」

「はぁ、でもそうなんですよねぇ……」

「…………」

「へっ!」(勝ち誇った笑み)

「とにかくここで言い争っていても仕方ありませんし……一度道場に戻って考えませんか?」

「お、おい正気か!?こんなこと言ってるけどいつ暴れ出すか……」

「だからオレは身に覚えがねぇっつってんだろがっ!!」


「……だ〜か〜ら〜……」


その後も道場につくまで延々と言い争いは続いた。
しかし道場についたらついたで、怒り心頭の薫によって、その事とは関係ない男ともども二人は説教を受ける羽目になったのだが。






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