緋色の記憶5







静かな村だった。





昨日と同じ時間が流れているのでは、と錯覚するほどに。
……否。
おそらく、昨日も一昨日も、その前も。明日も、明後日も明々後日も。
変わらぬ時が流れていて。そしてまた、流れていくのだろう。

移ろうのは季節。
人はただ静かに年老いて、やがて訪れる永遠の眠りをこの村で迎えるのだろう。
そして、そのことを誰も疑ったりなどしな『かった』だろう。


「鬼婆……?」

使い先の家で、輝は奇妙な話しを耳にした。

最近、村中が少し騒がしい。
村の近くにある谷に行った者が、帰ってこないというのだ。
それも、もう数十人にのぼる。
最初の1、2人までは獣にでも襲われたのだろう、と。
気の毒だった、と。その程度で終わった。
しかし。
行方不明者がたった一週間で5人に増えた。
勿論、その村の者達ばかりではないが。
その次の週にはわかっているだけで9人は確実に行方不明となったのだ。
これはおかしいと皆が思い始めていた時、必死で村に助けを求めてきた者があった。

男はその問題の谷から逃げて来たと言う。
半狂乱になりながら男が口走っていた事。


『鬼婆だ。鬼婆が出たんだ……!!』


この一言で、事件は一気に溢れ出す。

以前ならば、誰も取り合いなどしなかっただろうが。
噂は瞬く間に小さな村を飛び出し、今や東京のそこかしこでも囁かれるまでとなった。
また、今でも行方不明者は後を絶たない。


……実は村の人々には、思うところがあった。
その事件が起きはじめた、丁度その頃。
村の南にある沼のボロ小屋に一人の男が住み着いたのだ。
見た人の話しによれば、随分と背の高い、若い男らしい。
おまけに表情はいつも暗く、不機嫌そうで。近寄りがたい雰囲気を持っていた。

刀らしき物を持っていた、と言い出すものも出てきた。

そいつが犯人に違いない、そうは思ったが、自らでは恐ろしくて出向く事も出来ない。
警察に訴えても、まともになど取り合ってはくれなかった。
皆、途方に暮れかけていた。


「……その方と、お話しなどはされていないのですか?」

輝のその一言に、話をしていた老人は一気に血相を変えた。

「『お話し』!?馬鹿言っちゃいけねぇ!そいつが犯人だったら、アンタ……俺等が殺されっちまう……っ!!」

もっともな話ではある。
相手をよく知らずに突っ込むのは、危険以外の何事でもない。
だが、それではなんの解決にならないのも事実で。
輝は少し間を置いてから。


「……なら……私が話しをしてきます」


この発言に、老人はたっぷりと、1分は唖然と口を開けていた。
はっ、と我に返ると、ものすごい剣幕でまくし立てる。

「!?む、無茶だ!大の男でもやられたヤツがいるんだぞ!?」

「なら、誰が行っても同じじゃないですか」

「そうじゃなくて……ってアンタ、まさか今行くつもりか!?」

荷物をまとめ始めた輝を見て、老人はさらに驚きの声を上げる。
外はまだ明るいが、南の沼まで、男の足でも四半刻以上はかかる。
もう半刻もすれば辺りは夕日色に染まり、幾らも経たない内に夜の帳が降りるだろう。
その場は事無きを得たとしても、道中もまた危険なのである。

「善は急げ、ですよ」

荷物を背中にくくりつけ、輝はにこりと微笑んだ。
どう見ても。その表情では虫も殺せそうにない。
引き止めようとしたが。
その手が伸ばされた時にはすでに、輝の背は数メートル先にあった。
そして、徐々に徐々に小さくなっていく。

「なんて、足の速さだ……」

老人はほんの少し呆れつつ、それでも、彼女の無事を祈らずにはいられなかった。
そして、罪悪感も。
自分が話しさえしなければ、こんな事にはならなかった、と。

「……どうか、無事で……」

輝の背中が見えなくなると、老人はとぼとぼと家の中へ入っていった。





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鬱蒼と茂る木々と沼地の所為か、地面は乾いているといえるような所が無く。
しかも、まだ夕暮れまで時間があるというのに、その付近はかなり薄暗かった。
時折、無遠慮に行く手をふさぐ、つたを払いながら、輝は慎重に足を進めた。
遠くから、獣の咆哮が聞こえてきた。

少し、心細くなった。

そんな考えを振り払おうと、輝は頭を振り、ぱんぱん、と強く両手で頬を叩いた。
剣の抜き具合を調べ、腰に差しなおす。
それだけで、ほんの少しではあるが奮い立つ。


さらに進むと、聞いた通りの古びた小屋が建っていた。

「…………」

本当に、鬼婆か何かが出てきそうな雰囲気だった。
何か、この世のものではないものの、住処のような気がした。
入ったら最後、出てこれないような気さえ、した。
しかし、ここで退き返してしまっては、村人と同じである。
気合いを入れなおすと、剣に手をかけつつ、足を中に踏み入れた。


「あの……どなたかいらっしゃいますか……?」


中は暗かった。
光源は、恐らく今自分が立っている戸口が唯一のものなのだろう。
その場にいたのでは、中の様子はほとんどわからなかった。
ごくり、と喉が鳴る。
恐る恐る、それでも3歩ほど。輝は足を進めた。


輝が再度口を開きかけた、その瞬間。




首筋に、冷たい『何か』が当たる。









……知っている。
これが何か。















『殺される』







輝の頭を、そんな考えがよぎった。
いや、それは推測などではなくて。
今首筋に当てられている刃物と同じくらい、冷たく、鋭い現実だった。




「何者だ、貴様?」




おそらく、刀の持ち主であろう。声。低く、その刀と同じくらい冷たい声音。


わっ、と汗が噴出してきた。怖くて、声が出せない。
何かの匂いが、鼻を掠めた。何処かで、嗅いだ事のある匂い。


生臭い、異臭。



何処か………それは一体何処でだっただろうか?



それを考える余裕は、今の輝にはなかったが。






「……喋らぬなら、殺す」





目の奥が熱い。
怖い。
指先が痺れる。
怖い。
喉の奥がひりひりする。
怖い怖い怖い。



「……わた……しの名前は、輝」


やっと、それだけ。どうにか音にする事が出来た。それでも、唇が震えて。上手くは喋れなかった。
刀は動かない。近づきもしないが、離れもしなかった。
ぴったりとくっついて。彼が気まぐれに力を込めれば、自分の命もそこで終わる。

怖い。

死にたくない。



「何の用だ?」

「……鬼婆の、正体を突き止めに」


怖かった。死にたくなかった。だが、何もしないで終わりたくはなかった。
これで、自分の命が終わるのならば。
だが、そんな事を考えた瞬間、違う、と誰かが言った。
『終わり』という言葉に反応して。


誰か、輝の中の誰かが。
叫んだ。














いや。


まだ、だ。


まだ、何もしていない。


まだ何も…………
















遂げていない。










『遂げる』?


…………何を?







それは思い出せない。

だが、何かしなくてはならなかったのだ。

今、しなくてはならないのだ。

それは、覚えている。








私(この体)が、覚えている。

























「……だ……」


「……?」




ふっ、と輝の体が大きく傾いた。
丁度、バランスを失った独楽(こま)か何かのように。

大方、恐ろしさのあまり失神したのだろうと、男は思った。
そんな事に動揺し、隙を見せるような生半可な実力の持ち主ではなかったのだが。



それでも、この年端も行かぬ少女が。
『そんな行動』に出るなど、その瞬間までは予想だにしていなかった。








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