静かな村だった。
昨日と同じ時間が流れているのでは、と錯覚するほどに。
……否。
おそらく、昨日も一昨日も、その前も。明日も、明後日も明々後日も。
変わらぬ時が流れていて。そしてまた、流れていくのだろう。
移ろうのは季節。
人はただ静かに年老いて、やがて訪れる永遠の眠りをこの村で迎えるのだろう。
そして、そのことを誰も疑ったりなどしな『かった』だろう。
「鬼婆……?」
使い先の家で、輝は奇妙な話しを耳にした。
最近、村中が少し騒がしい。
村の近くにある谷に行った者が、帰ってこないというのだ。
それも、もう数十人にのぼる。
最初の1、2人までは獣にでも襲われたのだろう、と。
気の毒だった、と。その程度で終わった。
しかし。
行方不明者がたった一週間で5人に増えた。
勿論、その村の者達ばかりではないが。
その次の週にはわかっているだけで9人は確実に行方不明となったのだ。
これはおかしいと皆が思い始めていた時、必死で村に助けを求めてきた者があった。
男はその問題の谷から逃げて来たと言う。
半狂乱になりながら男が口走っていた事。
『鬼婆だ。鬼婆が出たんだ……!!』
この一言で、事件は一気に溢れ出す。
以前ならば、誰も取り合いなどしなかっただろうが。
噂は瞬く間に小さな村を飛び出し、今や東京のそこかしこでも囁かれるまでとなった。
また、今でも行方不明者は後を絶たない。
……実は村の人々には、思うところがあった。
その事件が起きはじめた、丁度その頃。
村の南にある沼のボロ小屋に一人の男が住み着いたのだ。
見た人の話しによれば、随分と背の高い、若い男らしい。
おまけに表情はいつも暗く、不機嫌そうで。近寄りがたい雰囲気を持っていた。
刀らしき物を持っていた、と言い出すものも出てきた。
そいつが犯人に違いない、そうは思ったが、自らでは恐ろしくて出向く事も出来ない。
警察に訴えても、まともになど取り合ってはくれなかった。
皆、途方に暮れかけていた。
「……その方と、お話しなどはされていないのですか?」
輝のその一言に、話をしていた老人は一気に血相を変えた。
「『お話し』!?馬鹿言っちゃいけねぇ!そいつが犯人だったら、アンタ……俺等が殺されっちまう……っ!!」
もっともな話ではある。
相手をよく知らずに突っ込むのは、危険以外の何事でもない。
だが、それではなんの解決にならないのも事実で。
輝は少し間を置いてから。
「……なら……私が話しをしてきます」
この発言に、老人はたっぷりと、1分は唖然と口を開けていた。
はっ、と我に返ると、ものすごい剣幕でまくし立てる。
「!?む、無茶だ!大の男でもやられたヤツがいるんだぞ!?」
「なら、誰が行っても同じじゃないですか」
「そうじゃなくて……ってアンタ、まさか今行くつもりか!?」
荷物をまとめ始めた輝を見て、老人はさらに驚きの声を上げる。
外はまだ明るいが、南の沼まで、男の足でも四半刻以上はかかる。
もう半刻もすれば辺りは夕日色に染まり、幾らも経たない内に夜の帳が降りるだろう。
その場は事無きを得たとしても、道中もまた危険なのである。
「善は急げ、ですよ」
荷物を背中にくくりつけ、輝はにこりと微笑んだ。
どう見ても。その表情では虫も殺せそうにない。
引き止めようとしたが。
その手が伸ばされた時にはすでに、輝の背は数メートル先にあった。
そして、徐々に徐々に小さくなっていく。
「なんて、足の速さだ……」
老人はほんの少し呆れつつ、それでも、彼女の無事を祈らずにはいられなかった。
そして、罪悪感も。
自分が話しさえしなければ、こんな事にはならなかった、と。
「……どうか、無事で……」
輝の背中が見えなくなると、老人はとぼとぼと家の中へ入っていった。
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鬱蒼と茂る木々と沼地の所為か、地面は乾いているといえるような所が無く。
しかも、まだ夕暮れまで時間があるというのに、その付近はかなり薄暗かった。
時折、無遠慮に行く手をふさぐ、つたを払いながら、輝は慎重に足を進めた。
遠くから、獣の咆哮が聞こえてきた。
少し、心細くなった。
そんな考えを振り払おうと、輝は頭を振り、ぱんぱん、と強く両手で頬を叩いた。
剣の抜き具合を調べ、腰に差しなおす。
それだけで、ほんの少しではあるが奮い立つ。
さらに進むと、聞いた通りの古びた小屋が建っていた。
「…………」
本当に、鬼婆か何かが出てきそうな雰囲気だった。
何か、この世のものではないものの、住処のような気がした。
入ったら最後、出てこれないような気さえ、した。
しかし、ここで退き返してしまっては、村人と同じである。
気合いを入れなおすと、剣に手をかけつつ、足を中に踏み入れた。
「あの……どなたかいらっしゃいますか……?」
中は暗かった。
光源は、恐らく今自分が立っている戸口が唯一のものなのだろう。
その場にいたのでは、中の様子はほとんどわからなかった。
ごくり、と喉が鳴る。
恐る恐る、それでも3歩ほど。輝は足を進めた。
輝が再度口を開きかけた、その瞬間。
首筋に、冷たい『何か』が当たる。
……知っている。
これが何か。
『殺される』
輝の頭を、そんな考えがよぎった。
いや、それは推測などではなくて。
今首筋に当てられている刃物と同じくらい、冷たく、鋭い現実だった。
「何者だ、貴様?」
おそらく、刀の持ち主であろう。声。低く、その刀と同じくらい冷たい声音。
わっ、と汗が噴出してきた。怖くて、声が出せない。
何かの匂いが、鼻を掠めた。何処かで、嗅いだ事のある匂い。
生臭い、異臭。
何処か………それは一体何処でだっただろうか?
それを考える余裕は、今の輝にはなかったが。
「……喋らぬなら、殺す」
目の奥が熱い。
怖い。
指先が痺れる。
怖い。
喉の奥がひりひりする。
怖い怖い怖い。
「……わた……しの名前は、輝」
やっと、それだけ。どうにか音にする事が出来た。それでも、唇が震えて。上手くは喋れなかった。
刀は動かない。近づきもしないが、離れもしなかった。
ぴったりとくっついて。彼が気まぐれに力を込めれば、自分の命もそこで終わる。
怖い。
死にたくない。
「何の用だ?」
「……鬼婆の、正体を突き止めに」
怖かった。死にたくなかった。だが、何もしないで終わりたくはなかった。
これで、自分の命が終わるのならば。
だが、そんな事を考えた瞬間、違う、と誰かが言った。
『終わり』という言葉に反応して。
誰か、輝の中の誰かが。
叫んだ。
いや。
まだ、だ。
まだ、何もしていない。
まだ何も…………
遂げていない。
『遂げる』?
…………何を?
それは思い出せない。
だが、何かしなくてはならなかったのだ。
今、しなくてはならないのだ。
それは、覚えている。
私(この体)が、覚えている。
「……だ……」
「……?」
ふっ、と輝の体が大きく傾いた。
丁度、バランスを失った独楽(こま)か何かのように。
大方、恐ろしさのあまり失神したのだろうと、男は思った。
そんな事に動揺し、隙を見せるような生半可な実力の持ち主ではなかったのだが。
それでも、この年端も行かぬ少女が。
『そんな行動』に出るなど、その瞬間までは予想だにしていなかった。
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