だってあなたは、忙しい人だから。 邪魔しちゃいけないと思うの。 だから私は、これ以上あなたに近づかないわ。 あと、10センチ 「レイン、夜食を持ってきたの」 「ああ、サンキュ。今開ける」 白い湯気が立ち上るミントティーにジャムを添えて。 赤い縁取りの、白くてまあるいお皿に載せているのは、 ドライフルーツたっぷりのデニッシュクランツ。 彼が、私のノックの音にすぐに気付いてドアを開けてくれたのは、 とてもタイミングが良かったということ。 私がしたくてやっていることなのだから、彼がノックに気付かなくても、 彼は悪くないし、もちろん責める気なんてないのだけれど。 でも、やっぱりノックをして返事を待つ間、 一人ぽつんと廊下に立っているのは、ほんの少し寂しい気もするの。 ……そんなこと、私の我侭でしかないのだけれど。 「美味いな」 彼の言葉が嬉しくて。 彼の笑顔が嬉しくて。 彼と過ごす時間が嬉しくて。 ああ、ほらまた、こんなに喜んでしまっている。 もっと、彼に甘えてしまいたくなる。 でも、彼はとっても忙しい人だから。 だから、今夜はこれでお終いにしなくっちゃ。 「アンジェ?」 そんな声で呼ばないで。 今夜だって、ちゃんと部屋に戻るわ。 我侭なんて、言ったりしない。 「……アンジェ?…………泣きそうな、顔してる……」 不意にレインが手を伸ばしてくるから。 思わず、私は逃げてしまったの。 だって、それ以上近づかれてしまったら。 もし今、彼に触れられてしまったら…… ……そうやって、私はいつも、自分のことばかり。 なのに。 彼は軽く目を瞠った後、穏やかに微笑んでくれて。 「……アンジェ……」 とびきり優しい声で、囁かれる名前。 それだけで、何もかも赦されたような気分になってしまう。 駄目だと言い聞かせても、心が喜びで震えてしまう。 ……なんて、自分勝手な私。 「意地張ったって、良い事なんかないだろ?」 でも。 「……っ……」 ……でも。 「ほら、おいで」 レインの腕の中に飛び込むと、幸せで幸せで。 とろけてしまいそうだった。 ジャムがミントティーに溶けてしまうみたいに。 私も彼の腕の中で溶けて、彼と一つになれたらどんなに幸せだろう。 あと、10センチの距離。 それは、私が自分に甘えていた距離。 ---------------------------------- 考えてることなんて、お見通し。 |