(32歳、男性の方より)

初めて伺ったのは、夏の終わりでした。

 この頃は、仕事もプライベ−トも順調そのものだったのですが、なぜか心が満たされない、そんな状態でした。親しく言葉を交わす家族や職場の仲間そして友人たちをとても遠くに感じて、一緒にいるのに、私だけが違うところにいるのではないか? という感覚を覚えるようになりました。そして「いったい何のために生きているのだろう?」「私がやるべきことは他にあるのではないか?」といったことを考えるようになりました。先生の門を叩いたのは、こんな閉塞感を取り除きたい!という思いからでした。

 最初はとても不安でした。どんなことになるのだろう? どんな感情が起こるのだろう? 忘れ欠けた嫌なことを思い出すことになるのではないか? いっそ止めた方がいいのではないだろうか?

 先生といろいろと話すうちに、不安は安心に変わりました。 そして、都合の悪いことに背を向けて生きていくなんてフェアじゃない!何が起ころうともしっかりと受け止めるんだ!と、勇気が出ました。

 セッションは、リラックスした雰囲気ではじまりました。 鳥の声、風の音、そして時折通る汽車の音・・・ 特別なことなどなく、ありふれた昼下がりの時間に、はじまりました。

 しばらくすると、脳裏に、いつも夢で出てくる光景が広がりました。 中世ヨーロッパの光景、街の中心にある噴水の広場で、絵を描いている自分がいました。 (後で、これが前世だと気づいたのですが、このときは分かりませんでした)

 そして、傍らには4〜5歳くらいの女の子がジャレついて、この子が自分の娘だと、すぐに分かりました。そしてこの瞬間「これは夢ではない!」と確信しました。 私は独身で子供なんていませんから「我が子がいとおしい」という気持ちなんてわかりません。今まで感じたことのない、まったく新しい感情でした。 恐らく「我が子がいとおしい」という気持ちは、こういったものかな、と実感しました。

 娘と遊んでいる様子、妻といっしょに楽しく食卓を囲む様子が脳裏に浮かんで、幸せな気持ち、心がとても満たされている気持ちが、入ってきました。 しかし最後に、娘が手を引っ張って連れていったところ・・・

 それは、教会の外にある、とても暗い墓地でした。 そこには、泣き崩れている自分がいました。お墓の前にしゃがみ込み、冷たい土を握り締め、自責の念に駆られて爪を立てて、自分の胸を引っかいている様子でした。 とてもリアルでした。冷たい土の手触り、土の匂い、喩えようもない深い悲しみ、胸の痛み・・・ 私が遠くの街まで旅に出ている間に、妻と娘は不慮の事故(家が火事になった?)で命を落としていたのです。

 セッションの前に先生から「どこか身体で気になるところはありませんか?」と質問され、 「そう言えば、何でもないのに胸が痛くなることがある」と答えたばかりでもありましたので、この胸の痛みがこの時の経験から来ているんだと、分かりました。

 もうこんな悲しい気持ちは持ち続けたくない、そう思い、手放すことにしました。

 その後の前世での人生は、「自分の不甲斐なさを責め続けた人生」に終わったようです。 娘も妻も、死ぬ間際には、私を責めて死んだのではなく、「一緒にいて、とても幸せだった」という気持ちでこの世を去ったのだ、ということが分かってはいるものの、どこか自分が許せない、自分を愛せない、でいたようです。 臨終の瞬間は、生きていれば娘と同じ年の男の子の身代わりに罪を被り、いつも娘といっしょに絵を描いていた噴水の広場で、そこに設置された処刑台の上で、この人生を終えたようでした。

 セッションが終わり、ボロボロと涙を流していることに気づきました。 先生の手前少し恥ずかしかったのですが、「涙は自分を浄化させる」という言葉を頂き、人前で涙を流すことに抵抗はなくなりました。

 とても楽になりました。

 責め続けている自分、許せない自分。 それは今でも、何かあると自分の中に背負い込んでしまうようなところがありました。

 また先生から「前世そして現世で自分を責めているということは、一方で他の人を必要以上に責めているのではないですか?」と言われ、ハッとしました。 セッションを受ける数週間前、親しい友人を、自分の性急な行動で失った苦い体験が思い浮かんできました。 ひどいことをした、と反省する自分、半面、素直に謝れない自分・・・ 「なにか満たされないと感じていた気持ちは、これだったんだ!」と分かりました。

 「相手を許すこと、そして、自分を許すこと」 最後に先生からこの言葉を頂き、帰宅の途につきました。

 セッションの後、不思議と閉塞感はなくなり、自然に笑顔が出るようになりました。 今まで遠く感じていた人たちにも、違和感なく、元通り、接することができるようになりました。

 「相手を愛すること、そして、自分を愛すること」 言葉にすれば簡単なことですが、これがこの世で、私がやるべきことだと、気づくことができました。

 この3ヵ月後、秋の終わりに、2回目のセッションに挑戦しました。 他の前世で、凄腕の師匠のもと、ともに剣術を学んでいた大の親友の才能を妬む余り、その親友を殺し、師匠を殺して、自分が道場を継ぐといった場面にも遭遇して、「嫉妬の心」が心の中に根強くあるのにも気づきましたが、もうビックリはしませんでした。 そういった前世だったからこそ、「相手を愛すること、そして、自分を愛すること」が、この世に課せられた、課題なのだと、その時にはわかっていましたから。

 この世にあるすべてのことは、自分自身を成長させるための試練なのだから、都合の悪いことや嫌なことから逃げずに、果敢に立ち向かっていきたいと思います。

 ふと立ち止まって、自分の人生を振り返るところ・・・ 私にとって、ラーエンジェルと松永先生は、そういう場所です。

 私にこういう場を与えて頂いたことに、心より感謝申し上げます。