高島レラティヴズの歴史

2001年

内容
1998年 1月 1日 親戚同士で草野球チームを作るという案が浮上。
当時のチーム名は「高島ゼミナール」。
しかしその後の進展はなし。
2001年 1月 1日 草野球案再浮上。
チーム名を「高島レラティヴズ」とし、
本格的に活動することを宣言。
2001年 2月 16日 「高島レラティヴズ」活動開始。
インターネットで草野球の情報収集。
2001年 3月 3日 チームを「草野球の窓」に登録。
2001年 5月 3日 太子橋河川敷にてチーム初の合同練習。
2001年 6月 中旬 ユニフォーム完成。
2001年 6月 17日 試合直前の総会。
監督、コーチ、キャプテンの決定。
チーム規約を作成。
2001年 6月 24日 蒲生野球場にて初試合。開幕戦は1-29の惨敗。
2001年 7月 8日 鯰江運動場で初試合。
2001年 9月 16日 長居野球場へ初の遠征試合。
2001年 9月 23日 蒲生野球場にて初のダブルヘッダー試合。
2001年 9月 30日 柴島での試合。
初の雨天中止となる。
2001年 11月 23日 蒲生野球場にて1年目最終戦。
この年は8試合で勝ち星なしに終わる。
2001年 12月 2日 1年を締めくくる総会。
監督、キャプテン等の役割変更。規約の改定。

2002年

内容
2002年 1月 14日 柴島で初めて紅白戦を行う。
2002年 3月 3日 結成2年目、蒲生野球場でこの年の初試合。
2002年 3月 21日 蒲生野球場で試合。
この日も勝てずとうとう10敗目。
2002年 4月 29日 GW5連戦初日。
南寝屋川で今季初の遠征試合。
2002年 5月 3日 蒲生野球場で試合。チーム初のサヨナラ負けを喫する。
2002年 5月 4日 蒲生野球場で今季初のダブルヘッダー試合。
2試合とも大差で敗れる。
2002年 5月 5日 蒲生野球場でGW5連戦最終試合。
チーム結成以来、15試合目にして遂にチーム初勝利をあげる。
ウイニングボールは会長の家に。
<画像>ウイニングボール
<写真>会長宅に飾られるウイニングボール
2002年 6月 23日 豊里中央公園で初試合。
前回に続く勝利でチーム初の連勝となる。
2002年 7月 20日 蒲生野球場で試合。7点差を逆転しチーム初のサヨナラ勝ち。
連勝記録を3にのばす。
2002年 8月 4日 南寝屋川での遠征試合。
連勝は3でストップ。
2002年 8月 4日 試合中、T.Aが負傷退場する。(骨折・全治3ヶ月)
2002年 8月 18日 鯰江運動場で試合。
Hoppers戦で連勝する。
2002年 9月 16日 深北緑地で初試合。 チーム職人戦2連敗。
2002年 9月 23日 豊里中央公園で試合。
3度目となる加陽戦で初勝利を挙げる。
2002年 10月 14日 3ヶ月振りとなる蒲生野球場での試合。
T.Aが4試合振りに復帰する。
2002年 11月 10日 初の住之江公園遠征試合。
<画像>敗戦後の風景
<写真>試合に大敗し、トボトボと球場を後にするレラティヴズ一行
2002年 11月 23日 鯰江運動場で試合。
3度目となるチーム職人戦で初勝利を挙げる。
2002年 12月 8日 第2回総会開催。
試合決定方法などについて話し合う。
2002年 12月 22日 蒲生野球場で試合。
Rookies戦で4連敗を喫する。
2002年 12月 23日 深北緑地で2年目最終戦。
最後も白星で飾ることはできなかった。

2003年

内容
2003年 1月 13日 久宝寺緑地で紅白戦。
昨年に続き、今季も紅白戦で幕を開ける。
2003年 3月 中旬 TRワッペン完成。
ユニフォームの左肩に装着。
2003年 3月 21日 久宝寺緑地で開幕試合。
3年連続開幕黒星スタートとなる。
2003年 3月 23日 蒲生で試合の予定が、紅白戦へ変更となる。
2003年 4月 27日 練習をはさんで恒例のGW4連戦。
初戦、太子橋河川敷で初試合は黒星スタート。
2003年 5月 5日 GW4連戦最終戦。
チーム初の引き分けに終わる。
2003年 5月 25日 舞洲運動場での初試合。
Hoppers戦の連勝ストップ。
2003年 6月 15日 中鴻池リージョンセンターで臨時総会。
今後のチーム方針についてなどを議論した。
2003年 6月 22日 太子橋河川敷で練習。
この日以降、毎週河川敷での練習が始まる。
2003年 7月 13日 松島野球場での初試合。
初の雨天コールドで今季初勝利を挙げる。
2003年 7月 27日 10人打ちを行う。
2003年 8月 10日 蒲生野球場での試合。
初めて審判を雇っての試合を行う。
2003年 8月 16日 鳴尾浜臨海公園での初試合。
2003年 8月 31日 太子橋河川敷にて、バーベキュー大会を行う。
2003年 9月 15日 鶴見緑地運動場で初試合。
今季2度目の引き分けに終わる。
<画像>試合後の打ち上げ
<写真>試合後のカラオケで盛り上がる某レラティヴズ選手
2003年 9月 23日 柴島浄水場グラウンドで初試合。
2003年 10月 13日 東中浜運動場で予定していた試合が雨天中止となる。
2003年 11月 3日 海老江河川敷で予定していた試合が雨天中止となる。
2003年 11月 9日 鳥飼上で予定していた練習が雨天中止となる。
2003年 11月 24日 柴島での試合が雨天ノーゲームとなる。
2003年 12月 14日 第3回総会開催。
総会後、忘年会を行った。

2004年

内容
2004年 1月 11日 毎年恒例、鯰江での年明け紅白戦。
今年は2人の副キャプテンがそれぞれチームの指揮を執った。
2004年 1月 13日 レラティヴズメーリングリスト作成。
2004年 1月 25日 柴島にて、開幕前の練習試合。
4年目にして初の完封負けを喫する。
2004年 3月 20日 太子橋にて初めてビジターでの開幕試合。
初の開幕白星スタートとなる。
2004年 3月 30日 レラティヴズ創立者、F.Oが殿堂入りする。
2004年 3月 31日 新たにレラティヴズメンバーをスカウト。
MLで試合参加を呼びかける。
2004年 5月 4日 寝屋川公園で初試合予定も今季初の雨天中止。
2004年 5月 5日 12歳の最年少スコアラーが誕生する。
2004年 5月 22日 レラティヴズ新メンバー2名のユニフォームが完成する。
2004年 6月 6日 今津運動場で初試合。
人数不足のため、メンバー2名を相手チームにレンタルする。
2004年 6月 13日 焼鳥無料ツアーを賭け、チーム焼鳥萬領と初対戦。
初戦はレラティヴズが勝利を収める。
2004年 7月 19日 9ヶ月振り、助っ人なしの純粋レラティヴズメンバーで試合に臨む。
2004年 8月 29日 助っ人Naが、助っ人史上初となる本塁打を放つ。
2004年 9月 5日 レラティヴズ新メンバー1名のユニフォームが完成する。
2004年 9月 20日 Tai.Aが弱冠8歳4ヶ月にして最年少出場を果たす。
2004年 10月 24日 異なる球場でダブルヘッダーを行う。
第1試合:太子橋河川敷にて9時試合開始
第2試合:深北緑地にて15時試合開始

2005年

内容
2005年 4月 3日 N.Aがインフルエンザのため予告先発回避。
2005年 5月 3日 助っ人TaTがユニフォームを着て試合に参加。
2005年 5月 4日 寝屋川第2公園での初試合。
助っ人を含め、選手全員がレラティヴズのユニフォームを着て試合に臨む。
2005年 5月 4日 Tai.Aがスコアラーデビュー。
最年少記録を更新する。
2005年 5月 5日 本拠地蒲生野球場で、初めて3塁側ベンチに座る。
2005年 5月 5日 GW連戦を初めて5割で乗り切る。
2005年 6月 19日 H.O、監督代行として初めて指揮を執る。
2005年 6月 26日 K.Ar、ドクターストップにより無期限出場停止。
2005年 6月 26日 バントヒットの1安打のみに抑えられる。
2005年 7月 10日 T.A、監督代行として初めて指揮を執る。
2005年 7月 10日 スコアラー・マネージャーともに不在で試合に臨む。
記録は選手の記憶のみ。
2005年 7月 18日 助っ人を除く、純レラティヴズ打線はノーヒットに抑えられる。
2005年 8月 7日 TaT、助っ人としては初の4番打者となる。
2005年 9月 25日 メンバー遅刻のため、相手チームより1名レンタルする。
2005年 11月 3日 ノーヒットノーランを喫する。

2006年

内容
2006年 4月 9日 主将の代行の代行にT.Aが使命を帯びる。
2006年 4月 29日 焼鳥争奪戦シリーズ開始。
今シーズン、焼鳥萬領戦に勝ち超せば焼鳥半額ツアー決行。
初戦は4点差を逆転負け。
2006年 5月 5日 焼鳥争奪戦ダブルヘッダー。
この日は1勝1敗で通算1勝2敗。
2006年 5月 5日 N.A幻の本塁打。フェンス越えもネット直撃はインプレイに。
2006年 5月 5日 H.O、6打数連続安打で1割台の打率から一気に首位打者へ。
2006年 5月 28日 助っ人Im、2球でセーブを挙げる。
2006年 6月 18日 Ms.O負傷により片手打法。後に骨折と判明。
2006年 7月 23日 3年振り、3回終了時点で降雨ノーゲーム。
2006年 8月 13日 K.Ar、14ヶ月振りに試合復帰。
2006年 8月 13日 T.H、交代制の特別ルールながら初スタメン。
2006年 8月 13日 焼鳥争奪戦4回戦はチーム初となる6回途中降雨コールドゲーム。
特別ルールにより6回途中までの記録を有効とし勝利。
これにより焼鳥争奪戦は2勝2敗のタイ。
2006年 9月 18日 H.O監督不在のため、K.Amが監督代行として初めて指揮を執る。
2006年 9月 18日 骨折完治したMs.Oが4ヶ月振りに捕手復帰。
2006年 9月 23日 助っ人Kiが前試合から驚異の8打数連続安打でチーム記録を樹立。
Ko以来の大物助っ人となる。
2006年 9月 23日 開幕年から6年連続となる9.23加陽戦。
打線が爆発し記録的な勝利となる。
2006年 11月 23日 2試合連続サヨナラ負けを喫する。
2006年 12月 17日 総会。助っ人Kiが正規メンバーとなる。

2007年

内容
2007年 3月 21日 T.A新監督、黒星スタートとなる。
2007年 4月 1日 Ms.Oが史上はじめて柵越えの本塁打を放つ。
2007年 4月 15日 豪腕Ki、鮮烈の投手デビューする。
2007年 4月 15日 萬領にサヨナラ勝ちする。2-1での僅差での勝利は初。
2007年 6月 17日 レッドスターズと3年ぶりに対戦する。
2007年 7月 16日 チーム萬領、意地の五分に。試合後、突然の大雨に遭う。
2007年 8月 12日 T.A意地の完投も泥沼7連敗を喫する。
2007年 9月 24日 Ki、チーム初のノーヒットノーランを達成する。
2007年 11月 18日 焼鳥萬領戦、劇的なサヨナラ勝ちで萬領戦の年間初の勝ち越しをする。
初の年間2桁勝利をあげる。
2007年 11月 23日 恒例の11.23、今年も大勝で6月以来の勝率5割に戻す。
2007年 11月 25日 最終戦に勝ち越しならず、借金1で年間終了する。
2007年 12月 16日 定例総会を行う。K.Amが最年少監督に就任する。

2008年

内容
2008年 1月 14日 紅白戦を3年ぶりに開催する。
焼鳥萬領ツアーを行う。
Mat氏を新たにメンバーに要請する。
2008年 3月 2日 三年連続黒星スタート!!
2008年 4月 29日 BRIMによるリーグ戦スタート!!
2008年 7月 21日 ワースト2位タイの8連敗!!
2008年 8月 17日 リーグ戦4連敗!!初代制覇の可能性なくなる!!
T.Hがスタメンで守備でも初のフル出場を果たす!
2008年 9月 28日 リーグ戦5敗目を喫し、最下位決定!!
2008年 10月 19日 初の延長10回を経験。見事激戦を制し、
チーム通算50勝目を挙げる!!
2008年 11月 30日 14敗目を喫し、年間最多敗戦記録更新してシーズンを終了する。
監督・主将は総会待たずして辞意表明!!
2008年 12月 21日 定例総会を行う。TTTが第7代レラティヴズ監督に就任する。
高島一族以外からでは初。

2009年

内容
2009年 1月 12日 去年に引き続き、紅白戦を開催する。
2009年 3月 20日 K.Am、3年連続開幕投手を果たすも、4年連続黒星スタート!!
2009年 3月 22日 MaRRBIリーグ戦開幕、イケメンズに逆転勝利!
T.H、最年少安打と猛打賞、打点と勝利打点を挙げヒーローに!!
2009年 4月 12日 MaRRBIリーグ戦第2戦、王者BEE'Sにまたしても苦杯。
2009年 4月 19日 H.Oチーム初の柵越えのグランドスラムを放つ
T.H最年少登板を飾り、見事2回を無失点。
2009年 5月 4日 対戦相手にブチられ急遽練習となる。
2009年 5月 31日 MaRRBIリーグ戦第3戦、豪腕Kiの復活により
王者BEE'Sに土をつける。
2009年 6月 7日 H.Oチーム初となる先頭打者本塁打を放つ。
2009年 6月 21日 MaRRBIリーグ戦第4戦、宿敵萬領に2本のアーチが出るも惜敗。
通算100敗目に到達。
2009年 7月 12日 MaRRBIリーグ戦第5戦、宿敵萬領に全員安打での歴史的大勝。
2009年 9月 21日 MaRRBIリーグ戦第6戦、難敵ルーキーズに引き分け。
2009年 10月 11日 東淀川高校で初めてのダブルヘッダー
2009年 11月 3日 MaRRBIリーグ戦第7戦、豪腕Ki好投も難敵ルーキーズに敗れ、
リーグ制覇の途がたたれる。
2009年 11月 15日 MaRRBIリーグ戦最終戦、イケメンズにも敗れ、
リーグ戦2年連続負け越し。
2009年 11月 23日 年間3度目のダブルヘッダー。連敗し今年も年間勝ち越しならず。
2009年 12月 20日 定例総会を行う。Teが第8代レラティヴズ監督に就任する。