Kawaura's Interspace
電話と言えば、距離の無化を強調することが少なくなかった。そうした見方を大きく転換させたのが、いたずら電話や無言電話などの「迷惑」電話であり、かたやテレフォンセックスや電話カウンセリングだろう。これらに共通しているのは、言うまでもなく「匿名性」の高度な保証である。顔を見せずとも、名前を語らずともコミュニケーションが図れる。電話が日常化した今となっては、こちらの方が、電話コミュニケーションの代表的な顔と言うベきかもしれない。
電話がかかってきた時の応対にしても、まず相手が誰なのかを確認してから名乗るようにマナーも変わってきているし、留守番電話にしても自らの電話番号を告げるだけの案内が少なくない。他方、電話帳ヘの番号掲載率も低下する一方である。全国では8割近いものの、都区内にかぎれば半数以下の時代を迎えている。電話を使ったサービスでも、匿名を前提にしたものが少なくない。遠くにいて会えないから電話をかけるのではなく、たとえ近かったとしても、つまり距離とかかわりなく、フェイストゥフェイスと異なるコミュニケーションをしたい。そんなときに使うメディア、それが「電話」なのである。
そして、電話や手紙を核とするこれまでの匿名コミュニケーションに、新たな仲間、パソコン通信やインターネットなどのコンピュータコミュニケーション(Computer-Mediated Communication)が加わろうとしている。このメディアは、これまでに見られなかった質の匿名性を備えている点で注目に値する。
電話でもパーティラインのように3人以上の集まりが参加できる場はある。しかし、こうした広場コミュニケーションは、電話において必ずしも一般的な利用形態とは言えない。今後、多様なサービスが出たとしても、二者間通話は依然として主流を占めるのではないだろうか。音声だけで複数人を弁別するのは至難の技に近いし、口元と耳元で使う受話器の形態もそうした傾向を維持しよう。
それに対し、コンピュータネットワークは、中数、多数者間のやりとりを得意とするばかりか、こうした使い方をむしろ標準とする。それゆえコンピュータコミュニケーションの世界は、しばしば「コミュニティ」なる言葉で評される。電子コミュニティしかり、オンラインコミュニティしかり。また、その成立契機から関心コミュニティないし情報コミュニティと呼ぶ人もいる。さらに、フェイストゥフェイスによる出会いを前提にしないため、バーチャルコミュニティ、匿名コミュニティと呼ばれることさえある。それぞれ着眼点は異なるものの、いずれも、コンピュータコミュニケーションになんらかのコミュニティ性、社会性を認める立場である。
コンピュータコミュニケーションにおける代表的な交流形態として、電子会議(メーリングリストによる討論を含む)と、電子掲示板(ニュースグループを含む)があげられる。書き込まれた個々のメッセージには、誰の発言なのか、発言者を示す一種のコード名が自動的に付される。いわゆるIDやメールアドレスである。筆者を例にとれば、yk@yokohama-cu.ac.jpがそれに相当する。氏名はともかく、日本(jp)にある研究教育機関(ac)、横浜市立大学に所属していることぐらいはただちにわかる。しかしパソコン通信やネットワークプロバイダーの利用者になると、所属はもちろん氏名に関する手がかりさえ得られにくくなる。したがって、本人が明かさないかぎり、IDにもとづくアイデンティフィケーションはむずかしい。ただ匿名状態でも特定の者同士のコミュニケーションに支障はない。
匿名には、大別して2つのタイプがある。1つは名前の隠蔽である。投書で見かける「匿名希望」さんは、その典型例と言えよう。もう1つは、実名(リアルライフでの名前)を隠しながら別の名前を用いる、いわば仮装ないし仮面としての匿名である。すぐに思いつく例は、ぺンネームやニックネームの類だ。こうした二分法はコンピュータコミュニケーションにも当てはまる。
前者の隠蔽コミュニケーションには、IDのみで発言する場合が相当する。ただメールアドレスになると、前記のように当該ネットワークの利用者、ふつうは当該組織の一員であることは知られ、それだけ形式上の匿名度は下がる。本来の意味に近い匿名は、むしろROM(リードオンリーメンバー)や、潜伏者(Lurker)かもしれない。つまりメッセージを読むだけで、発言という痕跡を残さない、あるいは聞き耳を立てた聴衆である。システム管理者はともかく、誰が読んでいるのかふつうの利用者には知りようがない。
仮装コミュニケーションに用いられる仮面は、利用者の間で「ハンドル」と呼ばれる。ハンドルとは、ハム通信仲間が用いていたニックネームを意味する言葉である。
筆者らがパソコン通信(ニフティサーブ)利用者を対象に行なった調査によれば、ハンドルには次のようないくつかのタイプが見られた(カテゴリー化に当たっては、Phillips(1990)を参考にした)。
(1)本人の名前に由来するもの
省略・一部・短縮形:ヒロ=宏典の一部、鈴信=鈴木信夫から
音の類似・ローマ字化:鱸=鈴木だから、U2=勇二、イヅム=泉という名前とイズム(主義)の合成で「自分主義」を意味
別読み・アナグラム:KC=啓治をひろしと読んでくれないならいっそ、マコサ=雅子
外国語化:ベルウッド=鈴木
(2)本人の名前に由来しないもの
特徴(身体、パーソナリティ、趣味や嗜好):ぷし☆=猫(プシキャット)に似ている、イタ=料理上手、鉄ちゃん=鉄道マニアだから、T定規=建築士だから、ポートピア=神戸出身だから
信条・理想:Eagerness=なにごとも熱心に取り組みたいから、よはん=好きなサッカー選手の名前から、nora=野良猫のような生活をしているから
できごと:エッフェル=エッフェル塔に登ったら気持ちがよかったので、疲れ目=初めてキーを打ったとき目が疲れていたから、ぽん太=学生時代によく通った雀荘
文化的ステレオタイプ:ちょはっかい=肥満気味、マス夫=サザエさんに登場する彼と同じく、妻の実家に同居しているから
家族・友人:おきろん=恋人の名前norikoを逆さ読みしたもの、彩=子どもの名前、梅屋敷の友=亡妻と長らく住んでいた場所近くの駅名と公園名
その他:ギララ=語感から、DZ=キーをデタラメに打っていて、あくま=印象に残ると思って
体系的な整理ではないが、雰囲気だけでも味わっていただけただろうか。
このように、ハンドルには、なんらかの形で自己の一部を投映したものが少なくない。リアルライフですでに与えられた名前に対し、本人が自ら命名した名前は、バーチャルラィフにおけるアイデンティティを体現する。「わたしは、これこれこういう人間としてバーチャルライフ空間を生きる」との表明でもある。したがって、場の性格や雰囲気に応じてハンドルを使い分ける人も少なくない。たとえば同一人物が、赤ちゃんのテーマを扱う電子会議では「おうたのママ」(子どもによく歌をうたってあげるから)、コンピュータ関係の会議室では「ちくん」(由来は不明)といった具合である。
ついで、ハンドルの機能を確かめるベく、使用者たちに「もしハンドルが使えなくなったらどうなると思うか」たずねた。寄せられた回答を整理したところ、つぎのような3つのパターンが抽出された。
(1)自己呈示に関係する機能
自分の雰囲気を伝えられない、相手のイメージがわかない、個性を発揮できない、氏名プラスアルファの情報が欲しくなる
(2)非日常性に関係する機能
実生活の延長みたいでつまらない、遊びの雰囲気がなくなる、知らない人との会話に入りにくくなる、気分転換できない
(3)匿名に関係する機能
発言が慎重になる、警戒心が増す、気楽に発言できなくなる、堅苦しい雰囲気になる、プライバシーが損なわれる、裸をさらすようでいやだ、書いたことが悪用されないか心配
このほか、「特になにも感じない」という回答もみられたが、その多くは「全員が実名であれば」との条件つきであった。ハンドルの使用者にとって、コンピュータネットワークは、自己像がコントロールでき、非日常的で、匿名が保たれた世界としてとらえられていると言えよう。
もちろん、利用者全員がハンドルで参加するわけではない。今回、回答してくれた589人に限っても、ハンドル使MQ<T$O314人と、半数をやや上回った程度である。では、ハンドル使用者と非使用者(実名使用者)を比較しながら、バーチャルライフの内実をさぐってみよう。
結論から先に書くと、ハンドル使用者には人間関係に対する強い志向がうかがえる。まずコンピュータコミュニケーションにおける「知己」のサイズをたずねた結果からみていこう。使用者における平均知己人数は約7人であったのに対し、ハンドル非使用者は同2.5人であった。これらは以前からの知己を含む数値であるが、さらに、コンピュータネットワークで初めて知り合った人との限定を付けて、その数をたずねたところ、両群の差はもっとひろがった。ハンドル使用者で約4人であったのに対し、非使用者は1割にも満たない0.3人にとどまる。つまり、ハンドル使用者はネットワークにおいて旧来の知己とも交流を深めるだけでなく、新しい人間関係を作っていくことにも積極的であると言えよう。
それと関連して、ハンドル使用者はそうでない人たちにくらベ、より多くの電子会議に参加し、発言経験も豊富であるなど、ネットワーク内の活動に積極的にかかわっている。性や年齢、地位などに左右されない「自分の顔」をもとうとする人たちによって、ネットワークの活動は支えられているようすがうかがえる。こうした両者の相違は、コンピュータコミュニケーションの意義にも反映するものと考えられる。それを整理したのが表1である。ここでも、ハンドル使用者の人間関係志向、あるいはコミュニケーション志向の強さがうかがえる。意外にも変身願望を満たす場(同表の最終項目)とはなっていない。
表1 コンピュータコミュニケーションにおける二つの志向(複数回答)
--------------------------------------------------------------------------------------- ハンドル コンピュータコミュニケーションの意義 使用群 非使用群 全体 --------------------------------------------------------------------------------------- 1 いろいろな情報を手に入れる場である 74.2 72.6 429 2 趣味の一つである 74.2 50.4 *** 369 3 フリーソフトなどプログラムを入手する場である 55.4 47.4 302 4 仕事や勉強に役立つ情報を入手する場である 36.0 41.9 226 5 他人の考えや意見を知る場である 44.6 26.3 *** 211 6 各自の持っている情報を交換しあう場である 43.0 27.0 *** 208 7 わからないことを教えてもらう場である 39.8 28.9 ** 203 8 いろいろな人と知り合いになる場である 46.2 19.6 *** 198 9 友人とのコミュニケーションを密にする場である 23.6 22.2 134 10 肩書きや所属にとらわれないコミュニケーションの場である 30.9 12.2 *** 130 11 息抜きの場である 25.2 11.5 *** 110 12 自分の意見を書いたり作品やプログラムなどを発表する場である 23.9 10.0 *** 102 13 質問に答えたり、相談にのってあげる場である 19.8 8.5 *** 85 14 相談にのってもらえる場である 18.8 8.9 *** 83 15 生活の一部である 18.8 8.1 *** 81 16 ひまつぶしの手段である 15.0 11.5 78 17 損得を気にすることなくつき合える場である 19.8 5.2 *** 76 18 気の合う仲間を見つける場である 15.9 5.9 *** 66 19 共同作業をするための手段である 9.2 10.7 58 20 議論をする場である 7.6 5.6 39 21 匿名によるコミュニケーションが可能な場である 9.2 2.2 *** 35 22 いっしょに何かを作ったりする共同作業の場である 6.1 3.3 28 23 自分を確認する場である 4.8 0.7 ** 17 24 自分らしさを発揮する場である 4.5 0.7 * 16 25 実生活とは別の世界である 3.2 1.5 14 26 変身願望を満たす場である 1.9 0.4 7 --------------------------------------------------------------------------------------- 全 体 314人 270人 584人 (注)数字は、各項目に対して「はい」と答えた人の数を示す。ただし群別の数字は、%を示す. *** p<.001 ** p><.01 *p><.05 >
隠蔽、仮装のどちらにしても、コンピュータコミュニケーションには、一定の傾向が見られる。それは社会属性など発言 以外の要因が認識されにくいことによる影響である。
Dubrovsky,Kiesler and Sethna(1991)の実験によれば、対面場面で見られた社会的地位の高低(大学院生と学部学生)による発言行動の差が、電子メディア場面では認められなかった。つまり社会的地位の高い方が低い地位にある人たちよりも有意に多く発言する傾向が、電子メディアを介した討論場面では見られなかったのである。また発言の影響力も対面では高地位者の方が強かったのに対し、電子メディアでは、そのような傾向は見られなかった。発言者の匿名化は、結果として発言の平準化をもたらしている。社会背最にまつわるさまざまな「お約束」を取り払ったコミュニケーションを、リアルライフで実現するのはむずかしい。それに対し、発言優位のこうした世界では、「文は人なり」を前提に人間関係の枠が広がる。
Chesebro(1985)は、社会属性を知らないまま成立する親密な関係を「電子友情」(Computer friendship)と名付けた。このような世界では、もはや発言がハンドルで書かれようと実名で書かれようと、実質的な違いはないように思われる。その意味で実名もハンドルの一種と言えよう。
コンピュータコミュニケーションの世界を匿名社会と位置づけたとき、名前の記号性が顕著になり、社会属性が後退することをみてきた。匿名状態におかれると、一般に人々は社会的抑制がとれ、攻撃性が促進されるなど「反社会的」なふるまいに出がちと言われる。特定個人ヘの中傷攻撃や詐欺事件などの報道を待つまでもなく、コンピュータネットワークでもこの種のトラプルは発生する。しかし、その発生率はコンピュータコミュニケーション以外の場面のそれよりもはたして高いのだろうか。
文字だけで交わされるメッセージは、匿名性とあいまって、しばしばFlamingと呼ばれる現象を引き起こす。一種の口げんかである。これについては、リアルライフでの発生率と比較すると、同じぐらいかむしろ低いとする報告さえある(Lea,O'Shea,Fung,and Spears,1992)。また数年前、ネットワークでの「けんか」経験をたずねたことがあるが(川上・川浦・池田・古川,1993)、そのときの調査結果では、コミュニケーションがうまくいかないでけんかに至った人は3%にすぎなかった。他方、社会的抑制が匿名状態によって綬和されても、自動的に反社会的な方向に作用するとはかぎらないとの指摘もある(Diener,1977)。
コンピュータネットワークでの匿名性は、たとえ名前を隠したとしても、そこで一定のコミュニケーションを図れば、それなりの自己呈示はなされ、一定の人物像が形成されていく。それゆえけっして匿名のままではいられない。また、この世界を自分にとってもう1つの生活空間と位置づけるのであれば、おのずから攻撃行動などは抑えられると考えるのが妥当であろう。コンピュータネットワークが作り出す世界は、リアルライフでさまざまな役割を担わされた(役割同士の相克もあろう)現代人にとって、それらから解放される手軽な場と言えよう。
Chesebro,J.W. 1985 Computer-mediated interpersonal communication. In B.D.Ruben (Ed.) Information and Behavior, Vol.1, Transaction Books. Pp.202-224.
Diener,E. 1977 Deindividuation. Social Behavior and Personality, 5(1), 143-155.
Dubrovsky,V., Kiesler,S., & Sethna,B. 1991 The equalization phenomenon. Human-Computer Interaction, 6(2),119-146.
川上善郎・川浦康至・池田謙一・古川良治 1993 電子ネットワーキングの社会心理 誠信書房
Lea,M., O'Shea,T., Fung,P., & Spears,R. 1992 'Flaming' in computer-mediated communication. In M.Lea (Ed.) Contexts of computer-mediated communication. Harvester. Pp.89-112.
Phillips,B. 1990 Nicknames and sex role stereotypes. Sex Roles, 23(5/6),281-289.
本稿は、「こころの科学」58号(1994)に掲載された拙稿「匿名社会と人間関係」に引用文献を付したものである。