第4回 寺宝展「達磨大師・ダルマ展」 16年4月10日(土)〜17日(土)迄 庫裡2階展示室

    禅宗の祖、達磨大師に関する掛け軸25巻・像5点などを展示。
     「ダルマさんて、どんな人?」 「ダルマの眼はどちらから入れるの?」ダルマさんについての
     素朴な疑問を住職に聴いてみよう。達磨展を見て、皆で勉強をしてみましょう。

   達磨大師 ダルマさんについて
 釈尊から数えて28代目にあたる高弟。 震旦(真旦)初祖菩提達磨大師といい、その名の通り中国に初めて禅法を伝えた偉大な禅僧で、多くの人から「ダルマさん、だーるまさん」と親われ、愛され、今や世界的にも有名です。
 紀元6世紀頃、南インドの香至国(こうしこく、カンチープラ。現代のマドラス近辺)の第3王子として生まれる。名は、菩提多羅。インド仏教第27祖といわれる般若多羅の弟子となり、師事すること40余年。仏法の布教のため,3年かかって海路で中国・広州へ。 当時、中国の東西 の文化交渉は北のシルクロードと南路、南海貿易:海のシルクロードがあり、インド文化は南路と海のルートにより急速に中国にもたらされた。ちなみに、 西蔵法師は天山山脈越えの南路を取ったとされています。
 やがて、揚子江を渡り北魏へ(「渡江の達磨」「蘆葉の達磨」図として画題になっています。少林寺(497年に建立、中国河南省)に入り、 「面壁九年」の座禅行に専念。  二祖慧可との対面図や雪舟筆の慧可断ぴ図はよく知られています。
 インドで生まれて中国に渡り崇山少林寺で9年間座禅を組んで悟りに達したといいます(面壁九年)。あまり長い間座禅をしていたために足が腐ってしまったという俗説があのユーモラスなダルマ人形を生んだともいいます。
「郭然無聖」「無功徳」「不識」
 禅の公案の中に、達磨大師が中国に到着した時、梁の国の武帝(在位502-549)と交わした会話というのが伝えられています。それによると武帝が「私は今までたくさん寺を造り僧を育てて来た。これはどのくらいの功徳になっているだろうか」と聞くと達磨大師は「功徳は何もない」と答え、「では仏教における聖なる真理は何か」と聞くと大師は「空っぽで何もない」と答え、更に武帝が「何もないというのなら、お前は何者だ」と聞くと「知らぬ」と答えたといいます。時の大王に対しての会見にしては無礼な態度の様に見えますが、仏法の大意を曲げぬ毅然とした達磨大師には、さすがの武帝も感服し、さらに帰依をしたとされています。しかし達磨大師はこの国にはいつかず、魏の国の少林寺に行き厳しい修行に入ったとされています。
「不老長寿」
 536年頃に入滅、熊耳山(ゆうじさん)に葬られる。この時、150歳といわれる?。 (99年9月16日付けの毎日新聞によれば、この熊耳山のふもとで、 梁武帝撰とある菩提達摩大師の石碑 が発見されたとのこと。 今年5月、日本達磨学会が現地調査)。
その後、パミール高原で魏の宋雲が、片方の靴を手にした達磨に会った話 (白隠の「隻履達磨図」他)や、612年(推古12年)に聖徳太子が奈良の片岡村で 達磨に会った話もある。
10月5日を忌日としたのは、『景徳傳燈録』によるもの。
達磨忌には全国の禅寺で法要が営まれます。