現代書道の父
「比田井天来から淺沼一道へ」

 潮音寺特別企画展として《現代書道の父・比田井天来から淺沼一道へ》を開催します。
比田井天来(明治5年~昭和14年) は、現代書道の黎明期に「書は芸術である」と主張し、学書の方法論を一新して現書壇の礎を
築きました。
 当山には、比田井天来先生の高弟である桑原翠邦先生、又その高弟である淺沼一道先生三代の作品が有りこの度、渥美書道部
の共催を受け、表記の展示会を企画致しました。天来先生の屏風一双を中心に三師の作品を展示し、初日に浅沼先生による作品
解説並びに講演を頂く事となりました。是非大勢の方にご高覧頂きたくご案内致します。

   ■と き 平成23年11月27日(日)~11月30日(水)
          期間展示 午前10時~午後4時(初日は2時より)
   ■ところ 田原市福江町 潮音寺檀信徒会館(庫裡2階展示室)

   ■「記念講演」  11月27日(日)午後3時から午後4時まで
            場所 潮音寺檀信徒会館(参加無料)
           ・午後2時30分~「作品鑑賞会」
           ・午後3時~4時 「講 演 会」
               講師 淺沼一道 先生
           ・午後4時~    「作品揮毫会」
               淺沼一道先生・(助手 淺沼啓雪先生・吉田玄峰先生)
○主 催:隣江山 潮 音 寺
 ○共 催:田原市文化協会渥美書道部
 ○後 援:田原市教育委員会・田原市文化協会
       中日新聞社・東愛知新聞社・東日新聞社

浅沼先生の記念講演
ご挨拶


揮毫会


先生を囲んで記念撮影

懇親会

懇親会


比田井天来(ひだい てんらい)(明治5年―昭和14年)
   長野県北佐久郡の出身。現代書道の父」と呼ばれる。
 天来は号で幼名は常太郎、鴻と改名し象之と署名した。早くから上京、二松(にしょう)学舎で漢学を学んだ。やがて書を日下部鳴鶴(くさかべめいかく)に師事、その感化によって碑法帖(ほうじょう)多数を収蔵し、深い造詣(ぞうけい)があった。古典臨書の研究を重ねて、新しい書の理念、独自の書風を確立、書壇に革新の風を吹き込んだ。彼の書道芸術社には彼を信奉する多くの若者が集まり、上田桑鳩(そうきゅう)、桑原翠邦(すいほう)、手島右卿(ゆうけい)ら、以後の書壇を牽引する逸材が巣立った。また、書学院を創立、法帖類の刊行は書道界に大きく貢献するものであった。東京高等師範学校講師、文部省習字科検定委員を歴任。仮名の尾上柴舟(おのえさいしゅう)とともに帝国芸術院会員に推挙(1937)された。『学書筌蹄(せんてい)』『天来翁書話』などの著作がある。夫人の小琴は仮名、子息南谷は前衛の書家である。
 大正10年、50歳の時、三州田原において5日間の書道講習会を開く。その間伊良湖に遊ぶ。


桑原翠邦(くわはら すいほう、明治39年9月20日-平成7年3月27日)
  北海道帯広市出身の書家である。本名 清美。翠邦は号で魚目とも号した。
 明治39年、北海道河西郡帯広町(現在の帯広市)に生まれた。大正10年、札幌鉄道教習所に入学し、大塚鶴洞に師事したことで、書を意識するようになった。また、後に同じく書家となる金子鷗亭、三宅半有とも鉄道教習所時代に出会っている。大正13年に鉄道教習所を卒業し、職に就くが、川谷尚亭、比田井天来が相次いで北海道に来遊、彼らから上京を勧められたことで、金子とともに昭和7年に上京、以降比田井天来に師事した。翌年、上田桑鳩が中心となって結成された書道芸術社に参加した。
 戦後は書壇と一定の距離を置いた一方で、師天来と同じように桑原も全国各地を遊歴して書を頒布し、天来の書法を広めることに努めた(ここから、旅の書家とも言われた)。現在でも桑原の書が各地に数多く残されているという。
 昭和47年、東宮御所書道御進講となった。平成7年3月27日に死去。なお、その年に桑原のインタビュー、揮毫の様子を撮影した映像が残されているが、桑原は映像中で「平成七年三月十九日」と書いており、最晩年まで矍鑠としていたことが分かる。


淺沼一道(あさぬま いちどう、昭和8年7月18日-)
  岩手県盛岡市出身。本名 栄一。作品には野人一道と号すことが多い。
 昭和27年、國學院大學入学、卒業後は同大学書道講師となる。昭和28年、桑原翠邦先生(元赤坂御所書道御進講)に師事、以来16年間師範代を務める。昭和32年、翠邦先生の命により昭和36年まで文部省検定教科書の編集著作に当たる。昭和33年、都立北野高等学校芸術科書道教諭となり、退職まで東京都高等学校書道研究会常任理事、全国書写書道教育研究会常任理事などを務める。昭和47年、東京日本橋三越で開かれた「比田井天来先生生誕百年記念門流展」に門流中最年少で出品。天来の会結成に当たり幹事となる。昭和54年、東京銀行が「桑原翠邦・淺沼一道」書二人展を八重洲店で開く。昭和60年、「墨」(芸術新聞社)「比田井天来特集」に天来の書碑の解説執筆。平成元年、長野県望月町にて「淺沼一道書展」を開催。平成5年、比田井家の墓(鎌倉建長寺)の墓誌揮毫。還暦記念「淺沼一道屏風作品展」並びに記念誌発行。墨場必携「楷書編」(同朋舎)に揮毫と解説執筆。平成6年、日本大正村の村額、題字などを揮毫。平成9年、「比田井天来の書碑」(天来書院)の編著。平成11年、全日本書芸文化院総務長就任。文部省検定教科書「高校書道Ⅰ」「高校書道Ⅲ」に参考作品掲載。愛知県隣江山潮音寺「信美殿」題額他多数揮毫。この後度々来訪し伊良湖に遊ぶ。平成14年、苫小牧講習30年記念、古希祝賀「淺沼一道展」開催。平成15年、全日本書芸文化院副代表就任。平成21年、甲子園に出場の花巻東高校のユニホーム右腕に「岩手」の二字を書く。平成22年「淺沼一道喜寿記念展」を東京銀座画廊で開催。


【特別出品】吉田秋光 Shuko Yoshida  1887 (明治20 )~1946 (昭和21 )59歳 日本画
本名:清二  号:秋光、穐光
 石川金沢出身。師、松岡映丘。 東京美術学校卒。
明43年に東京美術学校日本画科を卒業し、大正6年文展初入選。以後も出品入選をはたし、同11年には帝展「秋のけはい」で特選を受賞する。昭和2年帝展委員を任され、同10年には映丘を盟主とした国画院に同人として参加。同13年伊東深水らと日本画院を結成するなど活躍。トモエ会の会員としても活動する。作品は古典文学を題材にしたものを残す。 代表作に「松林」「初秋」「秋のけはひ」など。
〔主な作品所蔵館〕東京国立近代美術館など〔印 名〕「秋光」 「秋光印」 「穐光」 「田清二印」 「田情信印」    

※淺沼一道先生の妻惠子女史は吉田秋光画伯の娘さんであり、今回の展示会に特別展示をさせて頂きました。