が来る!
-Another of the Night-


Specification
Act.T
Nemesis of the Night.


 序章  火の護章









「誰よりも、貴方が幸せでありますように」
決して醒めない永遠の眠りには、悪夢ですら優しいゆりかごに等しい。
終わりがある故に、夢は悪夢たりえる。
明けない夜に、優しい子守唄を。
誰でもない、君だけに。







「…おい、亮。………羽村 亮! 返事をせんかっ」
「あ…ハイ」
 手足がビクン、と突っ張る。
 机と床が擦れてガタン、と音が響いた。
 周りから、クスクス笑いが聞こえる。
「睡眠学習か? ああん?」
「いや………俺、寝てないっスよ。先生」
 要求されてもいないのに起立し、オーバーアクションで無実を訴えた。
 後暗い人間の行動は、常に余計なほどリキが入るものだ。
「解った解った。取り合えず、口元のヨダレを拭け」
「げッ…」
 反射的に袖で拭う亮の仕草に、物理教師の目が光った。
「………バカ」
 呆れたような呟きが、隣から聞こえた。
 左隣に並んだ机のヌシが、机に突いた左手に頬を乗せていた。
 声を出さずに唇の動きだけで、もう一度『ば〜か』と繰り返す。
「…あのな、ミコト」
「羽村………余裕だな、お前。受験生の分際で。授業を受けるより、寝るか、女子と話してる方が良いのか? んん?」
 脂ぎった蛇のような物言いに、クラスの失笑が重なる。
「い、イヤ。マジでそんなコトはないです。先生」
「バケツを持って廊下に立ってみるか?」
「そんな、20年前の漫画じゃあるまいし」
「お前にとっちゃ、授業より有意義な時間だろう」
 嬉々として教室の後ろのロッカーからバケツを取り出す教師に、亮はそれこそ漫画のように肩を落とした。
「バカ」
 ミコトは興味を失ったように呟くと、再び教科書に挟んでいる週刊誌に視線を戻した。



「あ痛…肩が痺れて」
 亮は自分の肩を揉み解すように擦りながら、椅子に寄りかかった。
「………律儀に水バケツを持ってるなんて、アンタも馬鹿よね?」
「馬鹿って言わないでくれないか」
「ドジ」
 ミコトは間髪入れずに、しかし極めてどうでも良さそうな声で継ぎ足した。
 常に気だるそうな声と仕草が彼女、ミコトという人間を端的に表していた。
 性格が影響しているのか、見た目ほどには社交性が無い。
 そう。
 容姿は整っている部類に入るのだろう、と亮は憮然とした顔で判断した。
 朴念仁を自覚している自分でも、それくらいの区別はついた。
 現にクラス女子に絶対秘匿で開催されている、『ザ・非公式・クラス女子美人コンテスト』でもナンバースリーから外れた事は無い。
 人見知りをする性格、という訳でもないのだろうが、クラスメートにも常に一歩退いた姿勢で対応している感じがする。
 馴染めない、といより、アレは。
 位置の違う場所に立って、こっちを観察しているような、違和感を感じさせた。
 亮の中では密かに『看守』もしくは『灯台守』という命名がなされていた。
 そんな、教室の空気からそれなりに浮いて、それでも不思議と違和感を抱かせない彼女だが。
「まぬけ」
 何故か、隣の席の男子を気に入っているらしい。
 勘弁して欲しいと、亮は切実に思った。
「ミコト………いい加減に」
「すっとボケ夫」
「祁答院」
 亮の一言に、ミコトは微かに不機嫌そうに頬を膨らませた。
 奥の手、という程でもないが、亮も徒手空拳ではない。
 四月から永遠と虐められていれば、子犬でも対処方法を学ぶ。
「祁答院。悪ふざけは…」
「止めて」
 顔どころか身体ごと窓の方に向き直ったミコトは、それきり黙ってしまった。
 ミコトは苗字で呼ばれる事を、何故か嫌っていた。
 亮がミコトを名前で呼んでいるのは、特に親しい間柄という訳ではなく、ミコト本人から命令口調での申し入れがあったからである。
 もっとも、それが他人からどう見えるか。
 亮にしてみれば、知ったこっちゃない、という感じだ。
「喧嘩か? 亮」
「嬉しそうだな、河原」
 会話を盗み聞きしていた級友が、身体を反転させて顔を見せた。
「おう。俺より幸せそうな親友の不幸は、とっても楽しいぞ」
「俺は幸福でも不幸でもない」
 ちらり、とミコトの方を見たが、いつも通り教室に背を向けた『灯台守モード』だった。
「………ついでに言えば、親友でもないだろうな」
「つれない台詞だな、親友。何百人と在籍する私立桜水台学園で、隣に机を並べる。これを運命と呼ばずして、なんと表現すれば良い?」
「偶然」
 最近、凄く疲れる。
 現代に生きる受験生としてそれなりに夜学に励んでいるが、どうも元凶は別にあるような気がしてならない。
 亮は天井を向いて、コリ固まった肩を揉んだ。
「だが、まあ。そんな幸せを逃がしてしまいそうな君に、今日は素敵なプレゼントがある」
「今回は何だ? 『頭が良くなる金のシャチホコ』か、『女にモテル紫布団の福助』でも売りつけに来たのか?」
 訳の解らない物品ふたつは、無駄なほどにバイタリティ溢れる級友が購入を推奨してきた物だ。
 身内に卸売り関係者が居るらしく、訳の解らない品を持ち込んでは、校内で行商していると聞く。
 返品された山積みの商品、しかも納品元は潰れて行方不明。
 そういった帳簿から消してしまいたい品(大抵はロクデモナイ代物だ)を二束三文で入手し、小遣いを稼いでいるのだ。
「まあ、待て。今回のブツは、今までのバッタモンとは訳が違うぜ」
「さて、帰るか」
「時価¥30,000円はする品なんだが」
 亮は足を止めた。
 なるほど今回は、少し毛色の違った品を仕入れてきたらしい。
 妙に潔癖なところのあるこの級友は、金銭に関しては妥協と虚偽を嫌う。
 時価¥1,000円といえば、実際店頭に同じ商品があってもそれより高価だった事はない。
 それを100円で売りつけ、仕入れ値は10円だったりする。
 もっともそれ以前に、口車に乗せられて入手した品で、後悔しなかったブツは無いのだが。
 ていうか、何で毎回買わせられるんだ、俺。
『話を聞くだけだ』
 だが、足を止めた時点で、亮の敗北は決定したといって良い。
「それで…幾らだ?」
「300円」
「さて、帰るか」
「待て待て、親友。今回は、ちと大量に仕入れ過ぎた。利益を削っても現品を始末しないと、眠る場所も無いのだ」
「………何考えてんだ。お前」
 演技だと解っていても、拝み倒されては心も揺らぐ。
「頼む! 親友を助けると思って」
『見るだけだ』
 そう自分に言い聞かせて、椅子に座り直した。
「………往生際の悪い」
 窓の方からそんな呟きが聞こえたが、ミコトは背中を向けたままだ。
「取り合えず。モノを見せてくれ」
「おお、では御覧あれ。これが巷で噂の『燃え上がりそうなほど幸せになれそうな気のするアミュレット』だ!」
 早速この場から逃げ出したくなったが、辛うじて堪える。
 ジャララ、と机に鎖の音が響く。
 河原が懐から取り出したソレは、円盤のようなトップに鎖が繋がれたペンダントであった。
 色合いからスターリングシルバーかとも思ったが、いくら何でも貴金属のブツを300円という捨値で売り払いはしまい。
 トップの円盤は、コインより一回り大きい程。
 女性にはハード過ぎる、だが繊細なデザインが彫られていた。
 悪くは無い。
 造型はどことなくクロム系の匂いを漂わせていた。
「………どうでも良いコトなのかもしれないが、品名なんとかならないか?」
「正確には、『火の護章』というらしいぞ」
「正確に伝えろ、情報は」
 亮は振り子のように火の護章を揺らしながら、溜息を吐いた。
 言われてみれば確かに、円盤の意匠は火が燃える様に似ていた。
「火、の護章…か」
「お客さんはお目が高い。本日は特別価格、300円となっております」
 掌を上に向けて差し出された河原の右手に、亮は黙って火の護章を乗せた。
「悪いな………趣味に合わない」
「ちッ…浅ましい奴め。税込み300円でいい」
 浅ましいのは貴様だ。
 所得申告する当ての無い売買で、消費税を吹っ掛けようとするんじゃない。
 亮は多少苛立たしげに眉間を揉んだ。
「そうじゃなくて、俺には必要、無い」
「持ってた方が………良いよ?」
 ぎくり、として身を引く。
 いつの間にか、こちらに向き直っていたミコトが、いつもの気だるそうな口調で忠告した。
「自分の幸運に自信の無い人は、特にね」
「………意外、だな。こういうの、信じるタイプだったのか」
「そう?」
 面白そうに、揶揄するように。
 挑戦するような色を湛えた藍色の瞳に、知らず息を呑まされた。
「女の子は、本質的にロマンチックが好きに創られてるの」
「それは、初耳だな」
「そして男の子はね、本質的にロマンチストに創られてるのよ」
 亮は机に手を突いて、大きく息を吐き出した。
 どうして、自分の周りには、こうした訳の解らないタイプが集ってくるのか。
「………300円だったな」
「毎度あり! 卜部河原商店をご利用頂き、感謝の極み」
 何でもいい。
 この不条理な空間から開放されるのなら。
 亮は溜息を吐いて、窓から空を見上げた。
 今日も、青い空を覆い隠すように、蒼い月が天空に浮かんでいた。
「ところで、ミコトさんも買わない?」
「いいえ。私は………」
 ミコトも亮の視線を追って、蒼い空と月を眺めた。
 真昼だというのに、冴え冴えと輝く、真月の光を。
 その、緋色の瞳に写した。
「―――私は、もう持ってるから」









Top Back  Next