ぱすてるチャイム
Pastel Chime
アナザーシーズン
Another-Season
〜もうひとつの恋の季節〜
第U章 焔の転校生
てふてふ、と男が歩く。
つとつと、と女が歩む。
さらさら、と雨が降る。
糸のように細い雨は、靄のように霧が立ち篭めて、灰単色に塗り潰していた。
淡色の景色の中では、総ての輪郭が解け出して酷く曖昧だった。
だけど、ふたりの影は暗くて、とても暗くて。
曖昧な景色を食い潰して、侵蝕するほどに。
酷く暗いイキモノ。
「あれ………?」
カイトは頭に被ったタオルを掻き回す手を止めた。
体育館から校舎への渡り廊下には、カイトがひとりいるだけだ。
そこから、改めてグラウンドに目をやる。
見間違いではなく、校庭に人がいた。
いつもならおかしな事ではないが、今日は休日であり、朝から雨が降り続いていた。
カイトは数日前から始めた筋トレからの帰りだ。
学校のトレーニングルームの使用は、生徒なら自由に使える。
ただ、今日は雨のせいなのか、校舎に生徒はいない。
『強さ』への誓いを立てたものの、何をすれば、何をしなくちゃいけないのか、解らない。
ただ、自分が考えつくことを、がむしゃらに。
カイトは寮に帰る足を止め、傘を片手に目を凝らした。
夕暮れよりも薄暗い背景の中で、切り取ったようにふたりの人影が浮いていた。
傘も差さず、雨に打たれるふたつの人影は現実味が無く、まるで幽霊のように。
カイトは少しゾッとして、音の無い校舎を見回す。
ダンジョンにも『お化けモンスター』がいるが、アレとはだいぶ雰囲気が違う。
カイトは見なかった事にして踵を返したが、その瞬間、人影の小さな方がくたり…とくず折れた。
「あっ…!?」
カイトは思惑とは逆に、進行方向を90度変更して駆け出す。
「おい! あんたら」
「…む」
人影は一組の男女だった。
黒い外套を羽織った長身の男が、長い黒髪の少女を庇うように立つ。
黒い制服は酷くレトロなデザインで、カイトにはどこの学校なのか解らなかった。
「君は…誰だ?」
その、男の視線は冷たく、カイトは一瞬怯む。
「俺は相羽カイト、この学校の生徒だよ」
「その生徒が、私たちに何の用だ?」
「ナニって…」
カイトは後ろ頭を掻くと、傘とタオルを差し出した。
「これは、何だ?」
「だから、やるよ。使ってくれ」
しばし、沈黙がふたりの間に降りる。
黒い男は、目の前に差し出された傘とタオルが何なのか解らないような、そんな戸惑った目で見つめていた。
そんな男ふたりに、抱えられていた少女が微笑んだ。
『この子…エルフなんだ』
カイトは意外な気持ちで、微かな笑みを浮かべる少女を見た。
引き込まれるような長い黒髪から、長い耳が覗いている。
エルフ種族は金髪か、明るい色合いの髪が一般であり、黒髪は珍しい。
少なくとも、カイトが見たのは初めてだった。
「ふふ…」
「どうした…何が可笑しい?」
「にいさま………この方は、私たちを気遣ってくれているのですよ」
「………そうなのか?」
「ま、まあ。いらないお節介だとは思うケド」
「いや、有難う。私は式堂 甲斐那。妹ともども礼を言おう」
「刹那、と申します。…どうも、有難う御座います」
改めて礼を言われ、カイトの方が萎縮してしまう。
時代掛かっているのは、服装だけではないらしい。
甲斐那と名乗った男は礼儀正しく一礼すると、受け取ったタオルで優しく妹の髪を拭き始めた。
なんとなく気まずいカイトは、あさっての方を向いたまま口を開く。
「………しかし、傘も差さずに何してたんだい?」
「ああ…迷宮を見に来たんだ。ここには神代期のダンジョンがあるんだろう?」
「そんな探索価値のあるダンジョンじゃないよ。冒険科の実習に使ってるんだ」
舞弦学園のダンジョン施設は、数百年も前の地下迷宮を基に作られている。
隠すものでもないし、学園案内のパンフレットにも載っている。
ただ、中は探索し尽くされ、配置されたアイテムやモンスターも学園側が準備したものだ。
「実習か………」
「………」
黒い兄妹は何か考えているように見えた。
だが、そのまま会話は無い。
甲斐那はカイトに向き直り、タオルと傘を差し出した。
「有難う。私たちはそろそろお暇するとしよう」
「待って、傘はいいって。持ってってくれ」
「しかし………私に傘は必要ないのだ」
甲斐那は少し寂しげな、総てを拒絶したようにはっきりと断る。
「…じゃあ、妹さん用に持ってってくれ。あんたは大丈夫でも、妹さんが倒れたら気分悪いぜ?」
「あ…」
「………わかった。借りておこう」
何か言いかける刹那を尻目に、甲斐那が傘を受け取る。
一瞬カイトが触れたその手は、酷く冷たい。
「どうも。重ね重ね有難う御座います…」
「では、失礼する」
「ああ、じゃあ」
カイトはそのままダッシュで校舎へと戻った。
振り返ってグラウンドを見た時。
黒い人影は、蜃気楼のように消えていた。
「おはよう。カイト君」
「おっす。ミュウ」
予鈴寸前に教室に入ってきたカイトが、ミュウといつものように挨拶を交わす。
カイトが遅刻しないのは、学園の寮に住んでいるからだ。
舞弦学園は基本的に全寮制であり、比較的街の外れに位置している。
それには理由がある。
厳重な結界で封印されているとはいえ、ダンジョンにはモンスターが棲んでいるのだ。
万が一の安全を考えても、市街地に建設は許されない。
生徒にしても、戦闘技能を習得した冒険者見習である。
武器の所持、魔力の限定解除は、学園敷地内でのみ許可されている。
カイトにしても入学当初は、剣や槍を担いで登校する生徒に、なかなかの違和感を覚えたものだった。
カイトが自分の席につくのと同時に、ベネット教師が教室の扉を開いた。
「皆さん、おはよう御座います」
いつものように始まる学校生活。
出席確認が終わり、短い朝のホームルームが終われば、選択教科の始まりだ。
三期生の授業はそれまでの共通授業とは趣が変わる。
より個人の適正に合った、実践的な講習を選択して受講する。
戦士であるならば、剣術や体術の講義を。
魔法使いであるならば、魔術理論や法術訓練を。
自分で選択して、冒険者としての技術を習得する。
だが、実際のところ、カイトは未だに自分の専門分野を決められないでいた。
運動神経は悪くない。
手先もそこそこ器用であったし、鑑定の結果では魔力適正もある。
半端に全ての素質を持っていたが故に、どれもモノになっていなかった。
それは、初めての実習で嫌というほど思い知らされた。
「………それから、初日のオリエンテーションの最中に起きた事故ですが」
窓の外に顔を向けたまま考え込んでいたカイトだが、我に返って正面を見た。
僅か地下一階に強力なモンスターが出現した原因は、『不明』のままだった。
何十ものセーフティが掛けられたダンジョンでは、本来あってはならない事件であり、学園側の調査でも原因は判明しなかった。
対策としてランサーと呼ばれる人型の魔動機を貸し出すことになったが、カイトには興味がない。
『何かに頼ってちゃ、強くなれねぇよな』
自分自身に確認するように呟き、無意識にミュウの方に視線を向けた。
「…?」
妙なものが見えた。
教壇側の出入り口の、扉についた覗き窓に………なんか狐の尻尾みたいなのが。
それも、断続的にふぁふぁと二房。
あれは………扉の向こうで誰かが跳ねているのだろうか?
だが、窓の位置はジャンプしなければ見えないような、高い位置にはない。
カイトの疑問に答えた訳でもないだろうが、直ぐに扉がノックされた。
咳払いしたベネットは、一度教室を見渡した。
「さて、先週言いそびれてしまいましたが、本日よりこのクラスに転校生が編入される事になりました」
教室が僅かにざわめく。
卒業年度である三期生に転入生があるのは珍しい。
「静かに! 皆さんも彼女を気持ちよく迎えてあげて下さいね」
静かに、といわれた端から、教室の約半分がボルテージを上げる。
即ち、男女は半数な訳だから。
カイトは背中を突かれ、後ろの席を振り向いた。
「彼女ってことは、どんな娘なんだろうね? カイト」
「シンゴ、って…そっか、女子の転入生か」
いかにも興味なさげなカイトの相槌に、普段のんびりとしたシンゴにしては珍しく溜息を吐いた。
「まぁ、君には関係の無い事態ではあるんだケド」
「おい、どういう意味だ」
どこか揶揄するような級友の台詞に、カイトは身体ごと振り向く。
というカイトだが、実際のところ興味が無い訳ではない。
ただ、自分でも訳の解らない罪悪感があるだけで。
「入ってもいいですか?」
「こほん…どうぞ」
「失礼します!」
その、ハキハキとした鈴が鳴るような声に、教室の半分が黙る。
カイトも反射的に姿勢を正すが、その後姿を見た女子生徒のひとりが、呆れたような溜息を漏らしたのを知らない。
クラスメートの注目を集めたドアが開かれ、ひとりの転校生が姿を表した。
『あ』
奇妙なざわめきの中の静寂という、矛盾した空気の中で、転校生は教壇に上がって黒板を背にした。
興味深そうにキョロキョロとしたコバルトブルーの瞳。
赤と黒のリボンで頭の左右に結わえられた蜂蜜色の長髪が、狐の尻尾のように跳ねる。
そして、エルフ種族特有の長く細い耳。
エルフ種族、ということでクラスがざわめいたのではない。
三年A組は担任のベネットからしてエルフだし、舞弦学園の全校生徒中二割弱はエルフなどの亜人種族が占める。
人種差別などは遥か遠い過去の、黒い歴史の中だ。
特にエルフ種族は身体の作りもDNAもほぼ人間と同じで、交配すら可能なほどに近い種だ。
「えっと、舞弦学園の皆さん、はじめまして。あたし、コレット………コレット・ブラウゼです!」
身を乗り出し、大きく礼をする姿は可愛らしかった。
本人には言えないが、西洋人形のようだと、クラスのほとんどは思った。
「前はディオスの光陵学園にいましたが、この度はおうちの都合でベルビアに引越ししてきました。得意な科目は魔法です。ハーフなんで、見た目こんなんですけど………皆さんと同じ17歳です」
そう、転校生の身長は140センチほど、人間では小学生の体格だった。
同時に本人の説明で、大半の生徒は納得した。
人間とエルフとの間に生まれた混血児はハーフエルフと呼ばれる。
そして、ハーフエルフは両親から両種族の遺伝的な資質を引き継ぐ。
人間の適応性に優れた、頑強な身体。
エルフの高い魔法適正、そして不老長寿。
そして問題は、遺伝する資質に均一の法則が無い、という事だった。
同じハーフエルフでも加齢のスピードや、魔力や身体能力が固々で違う。
種族として安定しているエルフは、細胞の成長が安定期になって成人するまでは、人間と同じスピードで成長する。
だが、この少女の場合、細胞の成長が安定期に入る前から『不老』の因子が発現したのだろう。
外見にしても、転校生の少女は一見純粋なエルフだが、逆に人間にしか見えないハーフエルフも存在する。
だが、元々エルフと人間との間に子供が生まれる確率は低い。
肉体的な変質も多く、異種族の婚姻はあまり推奨されていない。
「卒業までの短い期間ですが、よろしくお願いします!」
「はい、ではコレットさんの席ですが………」
教室を見渡したベネットの視線が、窓際から二列目、後ろから三行目で止まる。
自主早退した生徒の空机がある。
その席はちょうど。
頬杖を突いたまま、阿呆のように口を空けているカイトの隣だった。
「相場君、今日一日コレットさんのコトをお願いしてもいいかしら………相羽、カイト君!?」
「あ…は、はい」
カイトは我に返った。
ずっと、転校生の顔を見つめていた自分に気づき、赤面する。
見惚れていた、という訳じゃない。
何か、不思議なものを見ていた感触。
違和感に引き込まれてコレットという転校生を凝視してしまっていたのだ。
どのくらい没頭していたかというと、転校生が自分の目の前に立っている事実に気づかなかったぐらいだ。
コレットは気まずそうな上目遣いで、心なし赤面していた。
カイトは初対面の女子の顔を、マジマジと見つめていた無作法に狼狽する。
「わ、悪い。別に下心があったわけじゃ…」
「あ、あの…あなた………相羽っていうの?」
コレットが泣き出しそうなぐらい赤面しているのに、カイトの狼狽は頂点に達した。
「そ、そう、だケド」
「あたしのコト…覚えてる?」
「え?」
改めてコレット、という転校生を眺める。
覚えているか、という事は、当然過去に会った事があるかというコトだ。
今のコレットを更に幼くしてイメージする。
………考えるまでも無い。
「悪い………どっかで、会ったっけ?」
コレットは糸が切れたように肩を落とす。
俯いた顔の表情は見えず、次第に泣き出したように肩が震えだす。
カイトは助けを求めるように左右を見回したが、誰も今の会話を理解できたものはいなかった。
「あ…あた…」
「えっ?」
「あたし…あたしだって…」
金髪から覗く長耳が、真っ赤に染まっていた。
その瞳が光って見えたのは、涙なんかじゃない。
怪しい威圧感の込められた目は、激怒した獣の目だ。
野性の本能で危険を察知したカイトだが、後去った先は窓ガラスだった。
にゅ…っとコレットの制服の袖口から、マジックロッドの先端が顔を出す。
「あたしだって、あんたのコトなんか…」
「ちょ、ちょ…待っ」
ぼっ…っとマジックロッドの先端に、いかにも熱そうな火球が生じる。
熱そうな魔法の火球を、壁際に張り付いたカイトの両目が映し出す。
「あんたのコトなんかぁ…知るもんですかああぁ!!」
「ひい…ッッ!」
強くある事は難しい。
死を目の前にして、カイトはつくづく誓いの難しさを噛み締めていた。
心地良い。
ある意味非常に心地良い春風が、たまらない眠気を誘う。
ていうか、意識は半分以上寝ていた。
土曜日の昼休み時間。
教室の中は適度なざわめきと、いまだ慣れない微妙な緊張感が感じられた。
午後からのダンジョン実習に、パートナーを決めかねている生徒が右往左往してた。
だが、カイトは机に肘を突いたままうたた寝ていた。
原因はふたつ。
『熔けた』窓ガラスから吹く春風と、その穴を人の頭ごと熔かそうとした『ちんくしゃ』が隣の席に座っていたからだ。
その『金髪の悪魔』は、慈悲深い同情心を持った幼馴染が、『いぢめ』られないようにかいがいしく面倒を見ている。
ミュウの面倒見の良さは昔から知っているところだ。
『歪んだ化け狐』にもその哀れみを遺憾なく向けている。
「ちょっと」
なんか隣から『呪われた福助』より質の悪いコムスメの鳴き声がする。
「隣で奇妙で哀れっぽいうめき声あげないでよ、気持ち悪い」
「誰がうめき声だ! このテロ餓鬼が」
跳ね上がるように向き直ったカイトに、コレットはこれ見よがしに鼻で笑う。
「ちょっと…カイトくん、コレット」
ミュウは困ったような複雑な表情で間に入る。
もともと人見知り、という言葉の対極にいるミュウだから、コレットと何の違和感も無く友達になってしまっている。
「ミュウ、駄目よ。友達は選ばないと」
「おい、てめ…」
「いくら幼馴染だっていっても、こんな変質者境界線ギリギリみたいな奴といたら危険だわ」
カイトは無理やり笑顔を作ったが、そのこめかみに血管が浮いているのにミュウは気づいていた。
『ああ、カイトくん………我慢強くなったんだね』
と、半ば母親にも似た感慨を抱いたりするミュウだ。
「ま、小学生みたいな奴に大人気ないのも、なんだしな」
「そうね。中身まんま幼稚園児みたいなのに腹立てても、ね」
まあ、付け焼刃は脆いものだ。
カイトはコレットを睨みつけた。
「だから、何なんだよ、お前は!? 態度でっかいぞ、転校初日だってのに」
「そっちこそ、流行らないコト言っちゃって。あんた番長?」
反論する間もなく、コレットがカイトの胸に指を突きつける。
「なによなによ、今時バンチョーですって? 潰れ帽子被って、バンカラ履いて、木の枝でも咥えて、肩で風切って歩きなさいよ! 魔法番長校歌でも歌って、腹のソコから出した大声でモンスターでも倒して見せなさいよ」
「おまえ…っ」
一体どっから、その番長のイメージ持ってきてんだ。
つうか幾つだ、貴様。
とカイトは心の底から思ったが、口には出せなかった。
金ヤスリで削るような荒んだ空気に、溜息を吐いたミュウがふたりを引き離す。
「はい。ふたりとも、そこまで」
不自然なまでに仲の悪い二人に、間に入るように押し分ける。
まるで、昔からの親友の仲違いみたいに見えて、少しだけ腕に力がこもっていた。
「カイトくんにコレットも、そろそろ実習の時間が始まっちゃうんだからね」
「う、うん。そうだね」
「そっか………」
カイトは一度時計を見て、後ろ頭を掻いた。
そして、机の脇に下げていたカバンと、ロングソードを手に取った。
ミュウはカイトに口を開きかけた。
「あのね、カイトくん…」
「あ。悪ィ」
カイトはカバンを肩に背負って、ふと思い出したように言った。
「俺、今日の実習は苅部と約束しててさ。ミュウに言うの忘れちまったけど………今日の実習は勘弁してくんねぇか?」
「う、うん。それはいいケド…」
「悪いな。今度、昼飯でも奢るからよ。今日のパートナーはソコのちんくしゃで我慢してくれ」
「誰がちんくしゃだってのよ!」
後ろ手を振るカイトの背中に、コレットは真っ赤になって怒鳴った。
大声を出してスッキリしたのか、机に座るように背伸びをした。
「まったく………バレバレじゃない。恥ずかしい奴」
「あはは…でも、そういう人だから」
ミュウも幾分照れたように苦笑いする。
多分、今までも、そしてこれから先も変わらない。
性格とは又少し違う、その人の本質のようなもの。
「昔からあんな感じだから。悪い人じゃないんだよ」
実習の準備をしながら、ミュウはカイトを弁解するように呟く。
『………知ってるよ』
コレットは胸の中で答える。
そんな事は知ってる。
多分、ミュウよりもっと以前から。
相手が忘れていたとしても。