ぱすてるチャイム
Pastel Chime

アナザーシーズン
Another-Season
〜もうひとつの恋の季節〜







第X章 Train Project(仮)






 うじゃうじゃと行進するように襲い掛かってくる敵を睨みすえ、カイトは右腕を振りかぶった。
 呪文の詠唱を終え、韻で練り上げた魔力を開放する。
「行くぜ………Flame Wave!!」
「ていやっ…です!」
 気の抜けた掛け声と共に、びよん、びよん、と矢が飛ぶ。
 武器にも使い手の魂が宿るのか、なんか…ヌケてる音がする。
 それでも狙いと威力は確かなもので、炎の嵐をレジストした残敵を的確に仕留めた。
「やりましたね♪」
 セレスは嬉しそうにカイトを振り返った。
 パタパタと尻尾を振る子犬を連想し、カイトは頭を撫でかけた右手を押さえる。
「ああ、なんとかコンビネーションも様になってきたな。俺達も」
「はい。そう言ってもらえると、嬉しいです」
 地上へと戻る転移装置から、地下一階の出口へ向かう。
 地上に出る瞬間。
 微かに感じる、お馴染みの違和感と抵抗感。
 モンスターよけの結界を抜けると、夕暮れの校庭が待っていた。
 カイトは施設の入り口にあるベンチに腰掛け、今日の実習パートナーの着替えが終わるのを待っていた。
 自動販売機から買った冷たい缶ジュースを手に、ぼーっとする。
 カイトはそんな時間が、つまらなくは無かった。
 何人かの実習帰りの生徒を眺めていると、パタパタと慌てた感じで翠髪のエルフ娘が駆け出てくる。
「はあ、はあ、お待たせしました。カイトさん」
「あのさ、セレス………そんなに慌てなくてもいいんだぜ? 毎度のコトだけど」
「い、いえ。そういう訳にはいかないですし、はい」
 ふたりは寮に向かい、何となく並んで歩き出す。
 肩に背負った武器がなければ、どこにでも居る普通の学生と変わりはない。
 冒険者になる技能訓練を受けるカイト達も、普通の年頃の若者には違いないのだから。
「あの…ところで…カイトさん」
 体育館の屋根に沈む夕日を見ていたカイトが振り返る。
 夏も盛りになろうかという今日この頃。
 日も長くなっている。
「えーと…その、ですね」
「何だよ?」
 セレスは膝の前に下げたカバンを両手で握り、俯いたまま続けた。
「あの………明日、お時間とれますか?」
「ん、ああ。いいぜ、どっか行くか」
 カイトはセレスの誘いに、微かに苦笑して頷いた。
 セレスと一緒に出掛けるのは初めてではない。
 今日のように一緒に実習した後に、何度か街に遊びに行く約束をしている。
 それは所謂、世間一般で言われるところの『デート』だったかもしれないが、カイトに断る理由は見つからなかった。
 理由が見つからない以上、カイトにとってセレスに付き合うのは嫌ではなかった。
「良かったです。…それじゃ、何処に行きましょうか?」
 小動物のように無防備な笑顔を見せるセレスが提案する。
「カイトさんが好きな場所で良いですよ?」
「そうだな。今まではセレスに色々案内してもらってたからなぁ」
 絵画展や植物園など、セレスの趣味と人柄が解るような場所。
 だが、改めて考えたカイトに、適当な候補地は思い浮かばなかった。
 もともと何事にも淡白な上に無趣味なカイトは、休日に外出するのも稀だった。
『暗いな………俺』
「あの………カイトさん?」
 遠くを見て涙するカイトに、セレスは不安げに問い掛ける。
「あ、イヤ…そうだな」
 取り繕うカイトは、ちょうど目に入った学園施設に頷いた。
「プールなんか、どうだろう?」
「はいィ?」
 妙な声で返答したセレスに気づかず、カイトは柵越しに学園のプールを眺めていた。
 部活動なのか、日が暮れかかった今でも何人かが泳いでいる。
 もっとも、舞弦学園は冒険者を育成するための専門学校なので、普通の部活動はあまり活発ではない。
 現に水着姿の生徒も二年生だった。
 太陽が眩しい季節だけに、いかにも気持ち良さそうだ。
「うん。明日はプールに行こうぜ。市民プールでいいよな?」
「はいィ?」
 変に裏返った返事に振り返ると、セレスは不自然なほどにこやかに微笑んでいた。
 なんか、動きがギクシャクしている。
「駄目かな? 明日も天気良いって予報だったけど」
「いいえ。良いんじゃないでしょうか。プールですか………気持ち良さそうですよね」
 何故か、遠い目で明後日の方角を眺めるセレス。
 だけど、あの額に浮いているのは、冷や汗だろうか。
 しばし、無言で歩を進めるふたり。
「じゃ、プールに決定だな」
「…えっ!?」
 ビクン、と痙攣するように硬直するセレスに、何となく意地悪げな顔をしたカイトが振り返る。
「良いよな、セレスも?」
「…は、はは、はい」
 なんか、セレスの汗が凄かった。
 夕陽も大分傾き、涼しげな風が吹いてきていたのだが。
「楽しみだな〜、プール」
「そ、そうですねっ」
「何か急に、すげェ楽しみになってきた」
 カイトは本気で楽しそうに、だが何処か面白そうに続ける。
 というか、自分でも止まらなくなってきていた。
「競泳とか、潜水とか競争しようぜ? 確か、飛び込み台もあったよな〜♪」
「…あう、あうあうあう」
 泣きそうになってきたセレスに、笑いを引っ込めたカイトが振り返った。
「ずばり………泳げない!」
「はぅ…」
 突きつけられた指先に、セレスは涙目で頷く。
「うぅ…ど、どうして解ったんですか?」
「俺の洞察力を舐めてはいけないな」
 本気で感心するセレスの瞳から視線を逸らし、明後日の方向を見据える。
「しかし、本気で泳げないのか?」
「………そーなんです」
「確か、冒険者資格の必修項目に、水泳技能って無かったか?」
 実は存在した。
 他にもロープ登坂技能とか自転車運転技能とかある。
 役に立つのか、本当に必要なのかは、別として。
 何しろ冒険者資格証明は、ベルビア国が発行する国家免許証なのである。
 パスポート、時には通行手形も兼用する。
 自国の看板を背負った冒険者が、外国でヘマをやらかせば、国の評価にも関わってくる。
「…あうっ」
 だが、まあ………何だ。
 カイトは何も無いトコロで躓くセレスに、さり気なく手を貸す。
 冒険に関係の無い、人として最低限のスキル保持は、やっぱ必要かもしれない。
「あの………私、エルフです」
「俺のひとり言だから、突っ込みは認めない」
 だって、そうだろう。
 ダンジョンでなら兎も角、デパートの中で迷子になってみたり。
(受付けのお姉さんに呼び出して貰った)
 右足でバナナの皮、左足で子供が落としたソフトクリームを踏んで空を一回転してみたり。
(アレは凄かった。青い空を舞った)
 そのまま公園の屑篭に頭から突っ込んでみたり。
(子供からお年寄りまで、みんなからお捻りを貰った)
 公園の噴水で溺れかけてみたり。
(口から金魚を吐き出した時には、敗北感を感じた)
 帰りのバス停では迷う事無く、隣の国直行便に乗り込もうとしたり。
(帰巣本能を試してみたかったが、本気で二度と逢えなくなりそうな予感がしたので、発車直前に窓から引き摺り下ろした)
「………せめて乗り込む前に教えて欲しかったです。ニヤニヤして見守ってないで」
「親心だ。人は試練を乗り越えなければ、成長しない」
 肩を落として、『どうせ…エルフです』とか『カイトさんは親じゃないです』とかブツブツ愚痴っているセレスの頭を鷲掴みにしようとして、手を止めた。
 どうせならもっと衝撃的に、じゃなくて効果的に。
 セレスの性根を叩き直す、というかセレスの根本的な問題を解決しなければならない。
 あくまでもセレスの為に。
「解った。俺がセレスを特訓してあげよう!」
「…はい?」
「承諾の返事は、しかと受け取ったぞ。俺が責任を持ってセレスを泳げるようにしてあげよう!」
 セレスは良く解っていない笑顔で小首を傾げている。
 チリン、とチョーカーの鈴が鳴る。
「あの、カイトさん…何を…?」
「セレスは心配する事は無い。特訓メニューは、俺が徹夜してでも作り上げてみせる!」
 説得、というか物事を押し通すには、相手に考える時間を与えない事。
 舞弦学園スカウト教師、まる秘交渉術その壱。
 俺はあの先生の、テストに関係の無い授業内容が、結構好きだ。
「取り合えず、明日はスイマーで行こう!」
「…はい?」
 そう、あくまでもセレスの為に。





 ドーナッツを咥えたコレットが、目の前の屍を見下ろす。
 今日は朝からずっと同じ状態だった。
 隣の席で腐っている死体。
 いささか、鬱陶しい。
「ちょっと、ばカイト。お昼ご飯も食べないの?」
「…」
 昼休みのチャイムが鳴ってからしばらく経つ。
 購買で昼飯を購入してきたコレットだったが、カイトの様子は同じままだった。
「えい♪」
 ゴス、と鈍い音が響く。
 コレットの落とした肘が、カイトの頭を攻撃。
 机の天板との間に挟まれたカイトの頭は、二乗の衝撃に鈍い音を響かせる。
 これぞ、試割りの理論。
「…」
「えい♪えい♪えい♪」
 ゴスゴスゴス………と断続的に、を通り越して持続的にカイトの頭が超振動する。
 衝撃の反作用が反射したその瞬間に、次の衝撃を打ち込む事により、物体を完全に粉砕する。
 これぞ、破壊の奥義・二重の極み。
「…」
「もう、まだ寝てられるなんて、信じらんない奴!」
 なんか机の上が真っ赤に染まっていたが、いつも通りの風景なのでクラスメートは騒ぐどころか注目もしない。
「アンタは一生そこで死んでなさい」
 カイトを突いて遊ぶのにも飽きたコレットは、紙袋から新しいドーナッツを摘み出すと、談笑するミュウのグループに混じっていった。
「………何で」
「おや、まだ生きてたのかい? あはは」
 現在進行形で死につつある級友を、シンゴとかが温かい目で見守っていたりする。
 カイトは『セレス・スイマーズ計画表』を握り締めたまま、最後の一言を漏らした。
「………何で子供用プールなら兎も角、目洗い用のアレで溺れるんだ………」





「はわ…はわわわ! 死ぬ、今にも私、死にます」
「か、勘弁して下さい〜…カイトさぁん」
「それだけ衝撃的だったというコトだ」
 実際、カイトの声帯模写は、気持ち悪いくらい見事だった。
 自分でも最近気づいた特技だ。
 ついさっき、死の淵から蘇ったばかりのカイトがやると、洒落にならないような気もしたが。
 しかし………俺も大概に頑丈だ。
「まあ、それはさて置き」
「は、はィ」
 セレス・スイマーズ計画緊急会議室(スカウト教室ともいう)で、椅子に座ったセレスが姿勢を正す。
「何で泳げないんだろう? ていうか、何で沈むんだろう? ………人の身体は水に浮くような構造になってる筈なんだが」
 それ以前に何故、陸上で溺れる?
「私、エルフですから………スイマーは無理なのではないでしょうか?」
 イヤ、そもそも、生物としてナニか間違ってるような。
 現に、他のエルフの生徒は泳げる訳だし。
 ん…?
 そういや、コレットも泳げなさそうだったな。
 オプション装備(浮き輪)付でアメンボのように泳いでた気はしたが。
「………本当に浮力が無いのか? エルフは」
「そんな訳ないでしょ。ヒューマンもエルフも、身体の造りは一緒ヨ? 同一の始祖から派生した、民族みたいなものなんだから♪」
「っ…ロニィ先生?」
 音も気配もない登場に、カイトは転びそうになるほど仰け反った。
「ハァイ♪ どうかしら、お話は進んでる?」
「気配を消して、背後に立たないで頂きたいんですが」
 カイトは心臓の位置を押さえて、深く深呼吸した。
 自分とセレスしかいない放課後の実技教室に、扉を開ける音すらさせずに出現である。
 どれほどのスキルを身に付けているのか、想像もできない。
 カイトにとって、あらゆる意味でもっとも『怖い』と感じる教師だった。
「実は、全然………駄目駄目みたいです」
「あらあら、まあまあ」
「済みません。折角、教室も貸して貰ったのに」
 しょぼん、と落ち込むセレスの耳が下がる。
 このふたり、実はかなりの仲良しだった。
 教師と生徒ではなく、お友達というか、姉と妹みたいな感じの仲良しだ。
 恐らく、ぽあぽあした波動が引き合うのだろう。
「ナニか、失礼な事を考えている目ね? カイト君」
「イ、いえ…決して」
 にこやかに微笑みかけられただけだが。
 正直………吐きそうなほど怖いです。
 胃痙攣とかおこしそう。
「良い薬が在るわよ?」
「人の心とか、勝手に読まないで頂けませんか?」
「そんなコト出来る訳ないでしょ? 泳げるようになる『お薬』があるの」
 正直、眩暈がしそうなほど妖しかった。
 薬物投与で水泳能力を付加しようと考える、思考形態が謎だった。
 ロニィは懐から取り出した小瓶をセレスに手渡した。
「うわぁ…有難う御座います♪ ロニィ先生」
 純粋に喜ぶセレスに、カイトは『自決用の毒を手渡されて喜ぶ死刑囚』のような感慨を抱いた。
 その場でいきなり呷ろうとするセレスから、反射的に薬瓶を奪い取った。
「あ、何をするんですか、カイトさん?」
「い、いや………人間、安易な手段に頼ろうとするのは良くない」
 まさか、死にたいのか? とは言えない。
 胃がキリキリと痛む。
「胃薬ならコッチの瓶よ?」
「だから…」
「人には向き不向きがあるでしょ? 自分が持っている可能性を発現させる、切っ掛けになるお薬なのよ」
 カイトはロニィのマジメな瞳に、なんて生徒思いの先生なんだろうと騙される。
 確かにセレスのカナヅチさ加減は、致命的といって良いだろう。
 宛ら、重金属のインゴットだ。
 溜息を吐いたカイトは、妖しい小瓶をポケットに入れた。
「解りました。コレは最後の手段として、俺が預かっておきます」
「その特攻隊みたいに覚悟した眼差しはとても失礼だわ」」
「………セレスを実験台にするのは、俺が許しませんよ?」
「や、やあね。そんなコトしないわ」
 微笑んだ額の汗が、とっても怖かった。
「でも、相羽君はセレスのコトが好きなのね。―――大事にしてあげてね」
「なっ! 何ば言いよっとですか!?」
 妙な方言を口走って赤面するカイトだったが、ニコニコと微笑むセレスだけが全然解っていなかった。





『俺はセレスの事が好きなんだろうか?』
 カイトはダンジョンの通路を歩きながら、何度目か解らない自問自答を続けていた。
 ロニィから突きつけられた認識が、意識から離れないのだ。
『確かに嫌いじゃない………でも、恋愛感情では無いような気が』
 実際、その通りだろう。
 放って置けないので構っている。
 子供や子犬の世話を焼いているのに近い。
 カイトの心理はその程度だった―――今までは。
『イヤ、しかし、可愛いとも思うんだよな』
 何となく楽しそうに隣を歩くセレスを覗き見る。
 カイトは心理的トラップに陥っていた。
 指摘された認識を否定しようとして、挙句深みに填まり込んでいる。
 つまりは『意識』してしまっていた。
『そういや、セレスはどう思ってるんだ? ………俺の事』
「どうか…したんですか?」
 視線に気づいたセレスが、無邪気に問い掛ける。
「何でもない………と、ここら辺で良いか?」
 カイト達の眼前に、とてもダンジョンの中とは思えない規模の地底湖が広がっていた。
 ここがセレス・スイマーズ計画VerUの舞台になる。
 本来は学園のプールでも良かったのだが、カナヅチだとばれるのは恥ずかしいというセレスの希望によって実習中のダンジョンが選ばれた。
 今更だな、という気がしないでもなかったが。
 舞弦学園のダンジョンは、魔法装置によって世界中のダンジョンを『召喚』して創られている。
 本来存在している迷宮を、時空間を操作する事により、擬似的に学園の地下に接続しているのだ。
 何だかとっても危険な気がしたが、今まで問題が生じていないのだから大丈夫なのだろう、多分。
 カイトは自分に言い聞かせると、装備を湖岸に下ろした。
「では早速、準備を………うわォ!?」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 振り返ったカイトは、妙な恰好で硬直した。
 ぺた…と地面に座り込んだセレスは、お腹の前でクロスした手で制服の上着をたくし上げていた。
「せ、セレスっ…何を!」
 とか慌てたフリをして凝視しているカイト。
 だが、脱ぎ捨てた制服の下から現れたのは、学園指定の群青色の水着だった。
「あの………カイトさん。何で泣いてるんでしょうか?」
「いや、気にするな………う」
 普通の倍以上の時間をかけて、もたもたと服を脱ぎ捨てていくセレスに、カイトはどきどきしている自分に気づく。
 下に水着を装着しているのは解っていたが、こう…何というか、エッチ臭かったのだ。
 ズボンのポケットに手を入れ、姿勢を正す。
「あの………何故、前かがみに?」
「熱膨張だ」
「は…はぁ」
 不自然に腰を引いたカイトは、天井を見上げて理化学的思考に耽った。
 そんな程度で収まりがつくほど、カイトは枯れていなかったのだが。
「そ、そんなコトは取り合えず置いておいて―――特訓を開始するぞ!」
「は、はい。お師匠様!」
 ずる、と膝が挫ける。
「セレス、その呼び方は…」
「えっと…泳ぎ方を教わる訳ですし…可笑しいでしょうか?」
 水着姿の美少女(多少、天然が入っていたが…)に、『お師匠様ぁ♪』等と呼ばせて悦にイッている自分の姿を想像する。
「問題は無いな」
「はい」
 カイトは金属製の呼子を首にさげ、広大な地底湖を振り返った。
 巨大すぎて対岸が霞んで見えたが、どうなってるんだこの空間。
「まあ良い。では、先ずバタ足の練習から開始する」
「は、はい。お師匠様っ」
 学園指定のシンプルな水着に着替えたセレスは、ビートバンを手に敬礼する。
「クっ………凶器は反則だ」
「凶器って、私は何も持ってませんが………何で前かがみに?」
 釣られて前かがみになるセレスの胸元は、水着の生地がパンパンに張り詰めていた。
 一般にエルフと呼ばれる種族は、痩身で小柄な体躯をしている。
『だと言うのに………何を喰えばこんなに膨らむのだ、このエルフ娘は』
 問題は、セレスに年頃の娘としての警戒心が無い事だろう。
 無防備な姿を、無遠慮に晒すのだ。
 カイトはポケットに手を入れたまま天井を振り仰ぎ、呟いた。
「………僕は最低だ」





 ばちゃばちゃばちゃ―――
「げほっ…あうぅ…」
 ばちゃばちゃばちゃ―――
「あう、あうう…ぅ」
 ばちゃばちゃばちゃ―――
「…だ、駄目です………もう」
「頼むから静かに溺れてくれ」
 カイトはポケットに手を入れたまま、天井を見上げて懇願した。
 監視員ほどの役にも立っていない男である。
「ひ、酷いです。カイトさん」
 濡れ鼠のようなセレスが、湖岸にへたり込む。
 いっそ感心するぐらい、セレスのスイマー技能には上達の兆しが見られなかった。
「しかし………参ったな」
「あう…ぅ」
「他のクラスなら兎も角、スカウト専攻で水泳が出来ないとなると………」
 落第・留年。
 同じクラスメートから『先輩♪』等と、尊敬と軽蔑の等分に混在した眼差しで見つめられ―――
「それはそれで、面白そうだな」
「それだけは勘弁して下さ〜い!」
 実は自分も卒業が危ないカイトだったが、それは棚に仕舞い込んでおく。
「どうしたら良いんでしょう…?」
「う〜む…」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃあ〜ん。困った時のお助け天使、皆のアイドルプリティ・ロニィ先生でーす」
 足音も気配もなく、突如耳元で聞かされたテーマソングに、カイトは弾けるように振り返った。
「あ、ロニィ先生」
「…何処に?」
 振り返ったカイトが周囲を見回すが、ミュウと同じピンク色の髪をした教師の姿は無かった。
「行き詰まった二人。こんな時は………そう! 魔法のお薬を使うのよ!」
「先ほど頂いた…」
「…居ない。ていうか怖い!」
 セレスの視線を追ってみるが、カイトの視界にその姿を捉える事はできなかった。
 だが、気配はする。
 声も聞こえる。
「頑張りなさい。先生はいつも貴方たちを見守っているわよー………♪」
「はい。有難う御座います!」
 声と気配が、フェードアウトしていく。
「………あの人だけは敵に回してはいけないな」
 カイトは自分に言い聞かせるように呟き、上着の懐に手を入れる。
 硬い、ガラスの感触。
 それを取り出す。
 ふと、手書きのラベルが貼られているのに気づいた。
 【らぶらぶNOシンク溶液壱號
「あ゛あっ…投げ捨てちゃ駄目です!」
「わ、悪ィ」
 反射的に湖に投棄された薬瓶を、セレスはギリギリでキャッチした。
 NOシンク=沈まない。
 という部分は理解できるとして、『らぶらぶ』という形容詞が激しく謎だった。
「俺としては激しく不安なんだけど」
「ごくっ…ごくっ…ごくっ…」
「いきなり飲み干す!?」
 何の疑いも無く薬瓶を手に取ったセレスは、止める間もなく一気に呷った。
「また、命知らずな事を」
「あ、あはは…実は、私も結構不安なんですけど」
 セレスの手が微かに震えているのに気づいた。
「だったら」
「でも…でも、落第するのはイヤですから。カイトさんと一緒に卒業したいです…から」
「セレス………」
 一種告白とも取れる台詞に感動したカイトは、セレスの手を握って真面目に頷いた。
 ふざけている場合じゃない。
 セレスを泳げるように特訓しなければならない。
 カイトは反省していた。
 その眼差しは、ちょっとだけ男の光を宿していた。
「カイトさん…」
「セレス…」
「カイトさん…」
「…セレス?」
「カイトさぁん…(はぁと)」
 手を握り合ったまま見詰め合っていたふたりだが、微妙な誤差が生まれる。
 セレスの湖面のようなブルーの瞳が、潤んだようにぼやけていた。
「カイトさぁ〜ん…好きなんですぅ♪」
「………セレス!?」
 はっきりとした告白に、カイトは顔を真っ赤にして焦った。
 潤んだ瞳、握り締めてくる指先の熱さ、迫るように摺り寄せられる身体。
 明らかに様子がおかしかった。
 まるで、怪しげな薬を一発キメられたかのように―――
「………って、考えるまでも無いだろ! 原因はアレだ」
「好きですぅ…大好きなんです…カイトさぁん」
 子猫のように無邪気にじゃれつくセレスに、カイトは押されるようにして尻餅をつく。
「…ちょ…待って、ちょっと!」
 無様に慌てるカイトの指先に、投げ捨てられた小瓶が当たる。
 【らぶらぶNOシンク溶液壱號】と明記された、怪しげな内服液。
 NOシンク=沈まない。
 と解釈していたが、
 シンク(Sink)=沈む。
 では無く、
 シンク(Think)=思考。
 だったんじゃ無いだろうか?
 理性を取っ払うお薬か、ははは。
『ゴメンなさいね。間違っちゃった♪』
 その時、そんな声が聞こえた、気がした。
「笑い事じゃねェ! ていうか、絶対ワザとだろう? ロニィ先生!」
 ここに居ない、というか微かに気配を感じるが見えない相手に叫ぶカイト。
「カイトさぁん…好き」
 ゴロゴロと子猫のように喉を鳴らすセレスが、無邪気に甘えてくる。
 水着姿の娘にじゃれ付かれるカイトの肉体は、年頃の男の子として至極当然な反応を示す。
「ぁ…カイト…さん?」
「駄目だ。セレス」
 カイトは笑ってしまいそうな程、壮絶な笑みを浮かべてセレスの肩を押した。
「どうして…? カイトさん………私のこと、嫌いですか?」
「違うくて」
「ぁ…イヤです…嫌いにならないで」
「ッ…止めてくれ!」
 その、微かに媚を含んだ物言いに、苛立ちを誤魔化すように怒鳴った。
 ビクン、とセレスの身体が震え、瞳が涙を湛える。
「ご、ゴメン」
「御免なさい…御免なさい…カイトさん」
「違う、その………俺もセレスの事は好きだけど!」
 自分で何を言っているのか、カイトは解らないほど混乱していた。
 何か危険な台詞を口走った気もしたが、セレスに泣かれるのは耐えられなかったのだ。
「こんな、薬でなんて…なんか違う、だろ?」
 素面に戻った時。
 取り返しのつかない事になるのだけは避けなければならない。
 それに、好きだという感情を自覚し始めた途端、その相手に嫌われるなんて洒落にならない。
 だが、セレスはカイトの肩を押さえると、ぐっと身を乗り出した。
「………ちゅ」
「あっ」
「聞いてくれなかったんですか? 私は………カイトさんの事が好きです」
「だからっ、それは………んんっ!」
 重ね合わされた唇から、ちゅ…ちゅ…と微かな音が漏れる。
 麻痺攻撃を食らった時のように硬直するカイトだが、圧し掛かるように肩にしがみ付くセレスの手が震えているのに気づいていた。
「セ…レス、何で―――舌が、痺れ…?」
「ん………素直になれるお薬、だそうです」
 顔を上げたセレスが、真っ赤に赤面したまま告げる。
 唖然とした表情で口を開けたカイトの、唇から零れた唾液を舐める。
 味覚を麻痺させるような、魔法薬の味が残っていた。
「素直、に…?」
「は…ぃ。だから…もし、カイトさんがホントにお嫌なら…」
「そんな、事…無い」
「あっ…」
 抱きすくめられたセレスは、小さく声を漏らしていた。





 ゆっくりと。
 擦られるように胸を揉まれ、セレスは頭を振るようにして呟く。
「…い…ぁ」
「御免っ…痛い?」
 岩陰に身を潜めるように座り込んだカイトは、背後から抱きしめるように抱え込んでいたセレスから手を離す。
「違…ぃます」
 セレスはカイトの手を握り締め、もう一度自分の胸に導いた。
「水着の生地が擦れて………くすぐったかっただけ…ですから」
「………ココ?」
「やっ、あ…カイトさぁん」
 カイトはスイカのように張り詰めた水着の膨らみの、両方の頂きで微妙な手応えを返す部分に指先を押し付けた。
 セレスを膝の上に抱いたまま、森の色をした柔らかい髪に顔を埋める。
 胸に抱え込めてしまいそうなセレスの身体が、ヒクヒクと痙攣する。
 自分は何をしているんだろう、という意識はある。
 だけど。
「―――気持ち、良いんだ? セレス」
「カイトさん…カイトさぁん…」
「剥く、よ?」
 カイトはスクール水着の肩を摘み、ヒクヒクと上下する長い耳元に囁いた。
「だ、駄目…です」
「脱がせたい。俺…セレスの胸が見たい」
 カイトの手首を押さえていた、セレスの指から力が抜ける。
 『正直になる薬』
 それが、カイトにとって自分の情動を正当化する免罪符になっていた。
 大胆になっている、とも言えた。
「………見て…下さい」
「うん」
 折り曲げた中指に生地を引っ掛け、左右に広げるようにして引き下げていく。
 二の腕を過ぎた頃。
 引っ掛かったように動きが止まる。
 中から押し上げる柔肉の圧力で、乳房は半分ほども姿を現していなかった。
「セレスの…でっかい」
「は…恥ずかしい…です」
 カイトの正直過ぎる感想に、セレスは赤子のように身体を丸めた。
 それでも、拒絶の意思を感じなかったカイトは、直接胸元に指を引っ掛けてずり下げた。
 水着から自由になったセレスの乳房は、たわむように、跳ね上がるように左右に揺れた。
 まさに塊、という肉感にカイトは表現する言葉を失う。
 サイズは如何ほどに該当するのだろうか。
 頂きで自己主張する朱鷺色の乳輪から、小豆のような突起が隆起していた。
「………や」
「セレス…?」
 顔を背けて泣きそうな顔をするセレスに問い掛ける。
「ゴメ…なさぃ…おっき、くて」
「何で、謝るかな」
「だって…格好悪いって…こんなの…邪魔なだけだって」
 そんな風に罵倒された事があるのだろう。
 だが、セレスの胸は綺麗だと感じた。
 確かにサイズは人並み外れていたが、不細工に肥大している訳ではない。
 どう考えても、ヒガミかヤッカミにしか思えない。
「ゴメンなさい…ゴメンなさい…」
 謝罪癖というか、自分という存在に自信が無いのだろう。
 カイトは言葉で慰めるよりも、行動で自分の意志を伝えることにした。
「ャ…あっ………か、カイトさん」
「痛かったら、言って。俺…加減が解んないから」
「ふ、あゃ…」
 下から持ち上げるようにして乳房を揉む。
 重い、と感じる手応え。
 張り詰めた乳房の感触は何処までも深く、指先が肌に食い込むように。
 乳首に中指を押し当て、同時に硬さを確かめるように転がした。
 セレスの背中がビクン、と痙攣するように震えた。
 カイトは宝物を扱うように優しく、だが執着する子供のように執拗にセレスの乳房に戯れた。
「カイトさんっ…あぁ…カイトさぁんっ…」
「硬い、こんな突っ張って…痛くない?」
 充血しきって張り詰めた乳首を、抓るように挟んで扱いた。
 そんなカイトの両腕を掴んでいるセレスの指が、無意識に深く爪を立てる。
「それとも………気持ち良いの? セレス」
「やッ…」
 ぶるっと首を振るセレス腰が痙攣した。
 小さく、断続的にその身体が震える。
 カイトにはそれが小さな絶頂に達した徴だとは気づけなかった。
 だが、泣き出しそうに潤んだセレスの瞳が、けして悲しみの所為じゃない事だけは理解できた。
「キス…したい。セレスと」
「は…ぃ。私も…カイトさんとキス…したい」
 振り返るように向けられたセレスと、優しいキスを交わす。
 そのキスは、次第に貪るような口づけに変わっていく。
 技巧としてのエスカレートではなかった。
 性に未熟な二人だからこそ、本能に囁かれるままに激しさを増していく。
 乳房をまさぐっていたカイトの右手が、セレスの腰まわりから水着を剥ぎ取っていく。
 カイトの両腕に自分の手を重ねていたセレスだが、その手の動きを留めさせようとはしなかった。
 剥き出しにされた白い肌が、興奮と羞恥で桜色に火照っていた。
「んんっ…あ、ふあッ…あー…あ」
「ん、く…セレス」
 強引に腰を浮かせ、足から水着を剥ぎ取る。
 貪るように手を蠢かし、柔らかな身体の感触を追い求める。
 その間もふたりは唇を重ねたまま、溺れるようなキスに耽っていた。
 泣き出しそうな表情のセレスに、唇から流れ落ちた唾液を舌先で掬い上げる。
 太腿の隙間で蠢かしていた指を、く…と手前に引き寄せる。
 肉づきの良いセレスの足が、震えるように強くカイトの手を挟み込んだ。
 ちゅ…っ―
 そんな音が下肢から聞こえ、ふたりの動きが同じように停止する。
「セレス………濡れ」
「やっ、あ!…やだっ…カイトさぁん」
「でも…凄い、こんな濡れる、んだ。女の子って」
 息苦しいような興奮から、カイトの台詞が途切れがちになる。
 カイトは散々弄り回してから、セレスの股間から指を引き抜いた。
 持ち上げようとするカイトの腕を、セレスは両手で握り締めて抵抗する。
「ぁ…や…許して…カイトさん」
「セレス…見て。俺の指が、糸引いて…粘々してる」
 目の前で指に絡みついた粘液を弄ぶ。
 セレスはぎゅっと目を瞑って、カイトの腕に爪を立てた。
「やだぁ………カイトさぁん、も…ぉ」
「うん、俺も………セレスが欲しい」
 砂地に身体を拭くためのバスタオルを敷き、全裸にさせたセレスを仰向けに寝かせる。
 儀式を受けるように姿勢を正したセレスは、両腕を顔を隠すように伸ばし、その規格外の裸身を統べてカイトの目にさらけ出した。
 膝立ちになったカイトは、上着を脱ぎ捨て、下着を投げ捨てた。
 心臓が警鐘のように激しく脈打っている。
 それに合わせるように、股間にそそり立つ逸物が痙攣していた。
 臍にまで反り返ったソレが、鼓動に合わせて脈打っている。
 余りにも素直な反応を示す愚息に情けなくなった。
「セレス…」
 セレスの上に跨る。
 返事は無い。
 それでも、激しく高鳴っている鼓動に合わせ、乳房が震えていた。
 水の張り詰めた風船のような胸が、左右に撓んで揺れる。
 足を開けさせる。
 ガチガチに力の込められた脚を、同じぐらい緊張した手が押し開いていく。
 自由に動かない自分の手に内心で舌打ちし、そのままセレスの脚を両肩に担ぐようにして身体を倒した。
「ぅ…ぁ」
「セレス…大丈夫だから」
 漏れ出した嗚咽に似た声に、カイトはセレスの顔を覆った腕を解かせてキスをした。
 案の定。
 セレスは不安と緊張の為か、泣き出す一歩手前になっている。
「カイト…さぁん」
「好きだよ、セレス…俺は」
 くの字に折り曲げられた姿勢のセレスは、それに気づいて表情を緩ませた。
 そっと、カイトの頬に手を当てる。
「凄ぃ…汗…ですよ?」
「俺、は」
「緊張…してるんですね。カイトさんも」
 両手でカイトの頬を挟み、自分から唇を合わせた。
「好き…です。カイトさん………だから、きて下さい」
「セレスっ…!」
「ィ…」
 吐息を喉の奥から搾り出させられる。
 そんな苦しげな顔から、歯を食いしばって苦痛に歪む表情に変わる。
 カイトの肩を握り締めた指先が震え―――力尽きる。
「…はあぁぁ…」
 最後の吐息を、一筋の涙とともに漏らした。





 木の葉。
 森の色。
 葉の一枚一枚を慈しむように、指先に絡めて梳く。
「ん…です」
 胸に寄りかかったセレスが、くすぐったいのか首を竦める。
 ふたりは全裸で抱き合ったまま、地底湖の天井を見上げていた。
 カイトは何か言いかけ、止めた。
 今の自分に後悔は無かった。
 腕を抱え込むようなセレスの重さが、愛しいと感じられたから。
『俺は………けど、セレスは?』
 答えを聞くのが怖い。
 『怖い』と感じてしまう感情を、自分はセレスに擁いていた。
「カイトさん…あの…」
「セレス」
「あ、あの…あのあの………ぁ」
 意を決して何かを告げかけるセレスだったが、カイトは言葉を封じるようにしてセレスに跨る。
「もう一回したい」
「ぁ…あぅ…」
 真っ赤になったセレスのメガネが白く曇った。
 太腿に押し付けられたカイトの逸物は、既に臨戦体制を調えていた。
 というより、先程から全然萎えていなかったのだ。
「でも………もう、三回目なんです…けど」
「…駄目?」
 掠れるような声に、セレスは慌てて頭を振った。
 カイト本人に自覚は無いのだろうが、泣きそうな瞳で切なげに声を震わせて訴えるのだ。
 ただでさえ後ろめたい部分があるセレスは、拒絶する事など出来なかった。
「だ、駄目ではないです………カイトさんなら、その…何回でも」
「うん」
「あ、ああっ…カイト、さぁん…!」
 真っ赤なまま迎え入れるセレスに、頷いたカイトは再び身体を重ね合わせた。
 小さく鈴の鳴る音が、しばし地底湖に響き渡っていた。





「その………身体、大丈夫か?」
「え、あ………は、はい」
 ふたりは寮に向かい、何となく並んで歩き出す。
 ちょうど一週間前と同じ風景、同じキャスト。
 だが、ふたりの間に流れる空気は変わってしまっていた。
 体育館の屋根に沈む夕日を見ていたカイトが振り返る。
「その………御免、セレス」
「あ、いいえ。その………平気ですから、五回ぐらい」
「ち、違うくて」
 違わないのだったが。
 頬を真っ赤にしたセレス以上に、カイトの顔は真っ赤だった。
 初体験であっただろうセレスに、獣のように襲い掛かった自分が酷く下種に感じられる。
 いくら治癒魔法でセレスの身体を癒していたとはいえ、一方的に欲望の昂ぶりをぶつけたのだ。
 下校時間のタイムアップ寸前までセレスを求め続けていた自分に、言い訳のし様は無かったのだが。
『あのままの格好で強制転移させられてたら、停学じゃ済まなかっただろうな』
「あの…カイトさん?」
「そ、その………無理やり襲っちまって、ホント御免な」
 カイトはその場で深く頭を下げた。
 実際、人目が無ければ土下座までする覚悟があった。
 怖くてセレスの目を見る事が出来ない。
「最低だよな。セレスの気持ちも考えずに………レイプ、しちまって」
「………カイトさん」
 ぷく…と頬を膨らませたセレスが、カイトの顔を覗き込んだ。
「好きな人から…エッチされるのは、強姦じゃないですよ?」
「えっ…?」
「だから、カイトさんのコト…好きだって、何回も言ってるじゃないですか♪」
「だ、だって、それは薬の」
「ああ。アレはですね」
 指を立てたセレスは、にこやかに事の顛末を語り始めた。
「相談したんです。その…恋愛相談を、ロニィ先生に」
 その段階で既に致命的なミスを犯していると言いたいカイトだった。
「好きな人が出来たんですけど、どうすれば良いんでしょうか…って」
「その………好きな人って」
「あの、その…カイトさんです」
 頬を染めるセレスが、あはは…と照れ笑いをする。
 嬉しい、と感じている自分は、とりあえずうっちゃって置く。
「それで、ロニィ先生が張り切っちゃってですね。『私に任せておきなさい♪』って」
「…へえ?」
「『恋愛のファーストステップはお互いの意思を確かめるコトね♪』って、次が『気持ちの確認が出来たら、愛を確かめ合うのよ。自分の身体を使って♪』だそうです」
「…ほお?」
 思いっきり一般的な手順をすっ飛ばしている気がしたが、カイトにそれを非難する資格は無い。
 それでも、ズキズキと痛むこめかみを押さえた。
「素直になる事、気持ちを高める事、そこでロニィ先生が懐から手を取り出して…」
「「あら、ちょうど良いお薬がこんな所に〜♪」」
 カイトとセレスの台詞がユニゾンした。
 何となく言葉を途切れさせるふたり。
 部活に精を出す下級生たちの声が聞こえてきたりした。
「………見事に騙されたのか、俺は」
「お………怒ってますか?」
「そうじゃない、けど…混乱してる」
 取りあえず、あの教師には思い知らせてやらなければならない。
 正面から戦争を仕掛けても勝てる相手ではないので、剃刀メールでも送り付けてやろうかと本気で考える。
 下足に画鋲を投入するとか。
 男子便所に誹謗中傷を落書きするとか。
 ―――カイトの想像力は著しく貧困だった。
 カイトは隣を歩いていた足音が消えたのに気づいて振り返った。
 立ち止まったセレスが、泣きそうな顔で見詰めていた。
 そっぽを向いて髪を掻いていたカイトだったが、そんな拗ねた子供のような態度を取っている自分に苦笑した。
「セレス」
「ぅ…は、はい………」
「俺もセレスの事が好きだよ。………というか、好きになっちまったみたいなんだ」
 弾けるように顔を上げたセレスの顔が破顔した。
「はい! 有難う御座いますっ…カイトさん」
 礼を言われる事じゃないと思ったが、如何にもセレスらしい返事だとカイトは思った。
 駆け寄ってきたセレスの手を、何となく赤面して握った。
「ロニィ先生に感謝♪ ですね」
「う゛…それは」
 折り菓子でも持参して御礼に行きそうなセレスに、カイトも多少考えを改めた。
『剃刀メールと折り菓子の中間で………剃刀入りの饅頭でも差し入れてみるか』
 後日、実際に実行したカイトはとても物凄い目に合ったのだが、この時点では真剣だった。
 嬉しそうなセレスに頬を掻いたカイトは、ふと意地悪げな笑みを浮かべた。
「ところで、セレスさん」
「な、何でしょう?」
「根本的な問題が解決していないのをお忘れですか?」
 ニコニコしていたセレスの顔が引きつっていく。
「泳げないのはマジだろ? 来週も特訓だな〜♪」
「あ、あうう………お手柔らかにお願いします」
 怪しげな訓練メニューを手にしたカイトに、少しだけ涙目になったセレスだった。







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