ぱすてるチャイム
Pastel Chime

アナザーシーズン
Another-Season
〜もうひとつの恋の季節〜







第Y章 け・せら・せら






 清々しい朝の空気が心地良い。
 舞弦学園の校舎を、まだ優しい陽射しが照らし出していた。
 朝露を宿した草木の香りと、グラウンドの土の匂いが、生徒たちに朝の始まりを告げていた。
 毎日変わらずに訪れる朝。
 けれども、少しずつ何かが変わっていきそうな、朝だった。





「あっ………カイトさぁ〜ん♪」
「お、セレス」
 カバンを肩に担いで寮を出たカイトが、若草色の髪をしたエルフの娘に気づいた。
 恋人の姿を見つけ、嬉しそうに、そして懸命に手を振るセレスの姿は子犬のようだった。
「おはよう御座います〜、カイトさん」
 わざわざの出迎えにちょっと驚いたカイトだったが、知らず笑みを浮かべて頬を掻く。
 付き合っている、という事は、こういう事も『アリ』なのだろう。
 お互いが寮生の身の上では、わずかな距離しか一緒には歩けないのだったが、嬉しくないと言えば嘘になる。
「おっす、おはよ。セレス」
「は…はぅ。か、カイトさん………?」
 問答無用で頭を撫でられるセレスは、戸惑ったような顔をして頬を染める。
 それでも、どこか嬉しそうで、尻尾があれば左右に振れているのは間違いない。
 試しに、右掌を上に向けて差し出してみる。
「あ、あの…カイトさん?」
「…」
「あぅ………」
 期待に満ちたカイトの視線に、意図を察したセレスが俯いて汗をかく。
「…」
「あの…」
「…」
「その…」
「…」
「あうぅ…」
 キラキラと物凄く嬉しそうなカイトの瞳攻撃に、屈したセレスが左手を掲げた。
 そして、ぽん…とカイトの手に重ねる。
「おおっ! ホントに『お手』をしてくるとは、流石セレス!」
「ひ、酷いですぅ…カイトさん」
 大喜びするカイトの姿は、傍目に見て非常に馬鹿だった。
 少なくとも、拗ねた仕草でカイトにじゃれ付くセレスとセットになった姿は、登校中の男子達の殺意を掻き立てるのに充分だった。
 男子寮の門前で『そんな真似』をしていれば、とても目立った。
 だが、そんな周囲を囲んだ殺意の波動に気づくほど、マトモなふたりではなかった。
 歯軋りの音さえ聞こえるあからさまな男集団を、ひとりペースを崩さない苅部が通り過ぎた。
「愚か―――ですね」
 その呟きは、とても的確にカイトの一日を暗示していた。





「………どーゆーコト? ミュウ」
「………どういう事なんだろね? コレット」
 窓枠に腕を乗せて洗濯物のように身を乗り出したコレットが、登校路を見下ろしたまま問い掛けた。
 困った表情で曖昧な笑みを浮かべたミュウは、頬を掻きながら同じ問いを返した。
 だが、その視線はコレットと同じ場所に向けられている。
 そこには、仲睦ましく登校してくるカイトとセレスの姿があった。
「ど〜ゆ〜コトなのよ〜〜〜、コレはぁ?」
「あ、あはは…どーゆー事なんだろうね…」
 溶けたバターのように窓に垂れたコレットが、同じ台詞を繰り返した。
 虚ろな笑いを繰り返すミュウの額にも、汗の玉が浮いていた。
「どうゆうコト?」
「………ぇ?」
 くるり、と振り返ったコレットのジト目に、ミュウは半歩ほど後退る。
「な、何で私に聞くの?」
「今更…」
 眉間を押さえたコレットが、腕と足を組んでミュウに向き直った。
「ミュウがそんな様子だから、あの『馬鹿』が………『あんなの』に引っ掛かっちゃってるんでしょ!」
「あんなの…って」
 窓の下では『あんなの』が、何も無い道路で『馬鹿』を巻き添えにすっ転んでいた。
「そっ………かな?」
「でしょ?」
「そー………かも、ね。あは…は」
 それでも乾いた笑いを浮かべるミュウ。
 笑うしかないという状況も、確かにあるのかも知れない。
 親友同士が同時に失恋した朝、なんてのは。
「でも………コレットは、その…大丈夫?」
「えぇ? アっタシぃ!?」
 椅子からずり落ちそうになりながら、大げさな仕草で自分を指すボディランゲージをして見せる。
「なぁんで、アっタシがあの馬ぁ鹿を気にしなくちゃいけないの?」
「それこそ………今更、でしょ?」
「ぁ、う゛…」
 その引きつった口元が答えになっていた。
「………解ってた?」
「まぁ…ね。ちょっとは、何となく、確信的に…かな?」
 今度は溶けたバターのように机に突っ伏したコレットの頭を、ぽふぽふとミュウが撫でた。
「訳わかんないよぅ…」
「解るから、それは。親友だからね…?」
「あう…」
 それはある意味。
 ふたりにとって、何かを失って、何かを失わずにすんだ出来事だった。
「さいてー…」
「何が、かな?」
「あの馬鹿に彼女が出来たコト。それで、アタシがその馬鹿を好きだってコト」
「う〜ん、ダブルだねぇ」
 気持ちは良く解った。
 ミュウにとっても、それは全く同じであったから。
 そう、両肩に重荷を乗せられたかのように。
「へぇ〜…やるわね、相羽君。朝っぱらから、見せつけてくれるじゃない」
「………ちょっと、陽子ちゃん?」
 おんぶするようにミュウの背中に寄り掛かった陽子が、彼女を助け起こそうとして噴水に突っ込み掛けている馬鹿を見下ろした。
 明るい色の自分の髪を、指先で絡めるように弄る。
 無論、陽子の表情は感心しているというより、呆れているといった方が正しい。
「隣のクラスの娘か………同じクラスに可愛い幼馴染がいるっていうのに。何を考えてんのかしらね?」
「知ってる娘?」
「直接、知り合いって訳じゃないわ。まあ、目立つ子ではあるんだけれど」
 見れば解るというものである。
「で………ミュウはどうするの? 略奪してみる?」
「あ、あはは…」
 挑発するような陽子の問いかけに、ミュウは困ったように苦笑した。
 それができるようなら、とうの昔にカイトに想いを告げていた筈だ。
「あ〜もう! どうでも良いわよ、あんな馬鹿の事なんかっ」
「二号さんの方が先にキレたか…」
「誰が二号さんよ! 誰がっ」
「コレット、落ち着いて」
「落ち着いてられますかってーの………てか、授業なんか受けてられますか」
 机を叩くように立ち上がったコレットが、ミュウの腕を掴んだ。
「遊びに行こ!」
「こ、コレット…?」
「やってらんないわよ、こんな日は。ぱーっと遊んで、がーっと美味しいモノでも食べに行こ?」
「そんな…」
 戸惑っていたミュウが、ふと笑った。
「そうね。そんなのも良いかな?」
「うん!」
「………ミュウがサボるなんて珍しい」
 連れだって教室から出ていったふたりを、見送ったクレアが呟いた。
「まあね、そんな気分の日もあるでしょ?」
「そーかなぁ」
「そういうものよ」
 机についた肘に顔を乗せたクレアに、主人の居なくなった机に腰掛けた陽子が答える。
「第一、その方がヤなモノ見ずに済むし………」
「え?」
 振り返ったクレアは、ニヤリと笑った陽子にちょっと退いた。
「いや、それも面白かったかも」
 腕組をした陽子の視線の先では、怪しげな同盟を結成した男子達が息巻いていた。





「………これはどういう事なの? 光代」
「………どういう事なんでしょうね? グロリア」
 3-Bの教室で、窓辺に並んだふたりが腕を組んだまま登校路を見下ろしていた。
 ブロンドの髪をソバージュにした少女が、不服そうに小指を噛む。
「なんなの、コレは?」
「何がですの? グロリア」
 艶やかな黒髪を短く切り揃えた相方の少女が問い掛ける。
 ふたりともそれなりに美人なのだが、纏っている雰囲気が酷く妖しい。
「面白くないわ」
「面白くありませんわね」
 暗いオーラがふたり組の背中から立ち昇る。
 クラスメート達はあからさまに視線を合わせるのを避けていた。
 だが何故か、皆の表情は嫌悪しているというより、呆れているといった方が正しい。
「これは問い詰めてみる必要があるわね、光代」
「そうですわね、グロリア」
 そう、この事態はふたりにとって。
「「納得いかない」」
 出来事であったのだから。





「それじゃあ、カイトさん………お昼に」
「おう…って、昼休み?」
 教室の前で別れ際に、セレスがさり気なく誘いを掛ける。
 カイトの教室は3-A、セレスの教室が3-B。
 隣なのだから、そんなに大げさに別れを惜しむモノではない、普通。
「は、はい…お昼ご飯とか、ご一緒に如何でしょう?」
「おっけ。ほんじゃ食堂で待ち合わせで」
 根本的な部分で、カイトは酷く少年のまま―――というよりは未成熟な餓鬼だった。
「そ、そ〜ゆ〜んじゃ無くて、ですね」
「奢りを期待しているのなら、俺は貧乏だぞ」
 ある意味、ツワモノ的な台詞を吐露するカイトに、頬を染めたセレスが耳先をへにゃっとさせた。
「そ、その屋上にでも………お弁当、作って、来ましたので」
「あ、そっか、弁当作ってきてくれたのか」
 こくこく、と頷くセレスの首元で、チリンチリンと鈴が鳴る。
「サンキュ、有り難く食わせて貰うぜ。手作り弁当なんて、久し振りだな〜」
「…ぇ、え?」
「ほんじゃ、昼休み、屋上で待ってるから」
 弾けるように顔を上げたセレスに気づかず、カイトは上機嫌で踵を返していた。
 セレスは、ふらふらとした覚束無い足取りで教室に入る。
「………久し振りって、誰から作って貰ってたんですかぁ。カイトさぁん」





「やあ♪ おはよう。カイト」
「オハヨウ、シンゴ」
 朝に相応しい、清々しい微笑を浮かべた級友に、何故かげんなりとした顔になる。
 入り口にトーテムポールのように立ち塞がられては、見なかった事にする訳にもいかない。
「退いてくれ。ってか、退かなくても良いから逝ってくれ」
「その心の底からウザそうな言葉は聞かなかった事にして」
「聞けよ、マジで」
 シンゴはカイトの肩を押さえて顔を伏せた。
「―――何も聞かず、今日はこのまま寮へ帰るんだ。友よ」
「何を馬鹿言ってんだ。退けよ、予鈴が鳴っちまうだろ」
 カイトは教室に入らせまいと、巧みにガードするシンゴを押し退けようとする。
 段々、イライラしてきたカイトは、無意味に完璧なガードを続けるシンゴの鳩尾に拳を押し当てた。
「じゃあな、親友」
「交際オメデトウ」
 躇わずに、渾身の力を込めた素手・狼撃を射ち込もうとしていたカイトの動きが止まる。
「隣のクラスのエルフっ娘らしいじゃないか? 中々可愛い娘のようだね、オメデトウ」
「誰から聞いたんだ………ってか、何で『オメデトウ』が棒読みなんだ?」
「本当にオメデトウ。何時から付きあい始めたんだい?」
「三日前からだが………いや! 何で、オマエにそんな事まで暴露せにゃならんのだ」
「君は実に手が早いね。その行動力は尊敬に値するよ」
「………尊敬されて、これほど切なくなったのは初体験だよ」
 目を見開いたシンゴは、懐かしい漫画キャラのポーズをとって驚く。
「初体験まで済ませたっていうのかい? 吃驚だね」
「俺は、オマエに目があった、というコトに吃驚だ」
 深海魚じゃあるまいし、そんな面白怖い生徒は存在しない―――筈だ。
「何故、人の顔をべたべたと触るのかな? 親友」
「もう一回、見せてみろ」
「君は動揺しているんだね。解るよ。性的経験談を暴露されれば、誰だって動揺するものさ」
「―――さっきから、オマエは何を言ってるんだ?」
「要するに、今日の君は、三日前までの君とは違うって事さ。『オトコ』になってしまったんだね? 初体験を済ませた、カイト君」
「…てめ、イイ加減に」
 カイトは再び拳に力を込めた。
 実際、何を暴露されようと気にする必要を感じないカイトだったが、セレスを晒し者にする事を許す訳にはいかなかった。
 必殺領域にまで闘気を充填した拳が―――止まった。
「………ったのか?」
 それは、針先のように僅かな疑問だった。
『初体験を済ませた』
 自分にとってそれは、まぁ、事実だった。
 だが。
 セレスも初めてだったんだろうか?
「………そ、いや…あんま、痛がってた様子は無かったし…そんな、まさかね…セレスに限って…いや、だがしかし…」
 それは、カイトには不慣れな感情―――嫉妬と独占欲だった。
「どうしたんだい?」
「取り合えず、オマエは逝け」
 ボクン、と凄く重い、危険な炸裂音がした。
 シンゴは身体をくの字にさせた恰好で、ロッカーまで吹き飛んだ。
 潰された蛙のような鳴声が聞こえたが、心配されるほどマトモな男ではない。
 カイトは寸勁を打ち込んだ恰好のまま、天井を見上げて呟いた。
「本当に初めてだったのかな?」
「「「知るか」」」
 唱和する重低音に、カイトの背筋が冷たくなる。
 カイトを取り囲むようにして、クラス中の男子が顔を引きつらせて睨んでいた。
「ど、どうしたんだよ? 皆」
「「「自分の胸に聞いてみろ。女ったらしが」」」
 不気味なぐらい台詞がハモるクラスメートの迫力に、カイトは後退りする。
「な、何言ってんのか、解んねぇよ」
「つまり、ですね」
 男子の壁を押し退けるように、苅部がカイトの前に進み出た。
 眼鏡を押し上げ、溜息をひとつ。
「苅部? 丁度良いぜ。こいつら何を言って…」
「―――罪人には罰を」
「はァ?」
 惚けたような顔をするカイトの前で、苅部が指を鳴らした。
「連行して下さい」
「「「おう!」」」
「な、何だ! 何なんだよ!?」
 手足を押さえ付けられたカイトと、クラス男子全員が退場していった。
 全員、という辺りが3-Aクラスの微妙な結束力を示している。
 ひとりだけ、残っては居たが。
「………退き所を間違ったわね」
「ふ、ふふふ………問題無いね。目的は果たした」
 掃除道具がしまわれたロッカーに突っ込んだシンゴは、陽子の呆れた眼差しに無垢な微笑を返した。
 全く手を貸そうとしない陽子も陽子だったが、雑巾やモップに埋もれているシンゴはとても満足げだった。
「友達を陥れるのが、そんなに楽しい?」
「彼女の居る奴なんか―――ダチじゃない、ガクっ」
「あああ、シンゴ君?」
「放って置きなさい、クレア。擬音付きで気絶するなんて、余裕がある証拠よ」
 机に乗せた腕に顎を乗せた陽子は、密度が半減した教室を見回した。
「焦らない、焦らない。第二幕も用意されてるんだから」
「………陽子ちゃん? ちょっと、笑顔が怖いかも」
 泣きそうなクレアの笑顔に、陽子は頬を掻いた。
「まぁ………ドロップアウトしてくれちゃった選手には、ペナルティが必要でしょ。ねえ?」
「ゴメン。私、本当に解らない」





「ちょっと待ちなさい、セレス」
「顔を貸してもらいましょうか」
 教室に足を踏み入れたセレスの前に、腕を組んだ二人の女子が立ち塞がる。
 その顔は、子供が見れば逃げ出しそうなくらい邪まだった。
「あ、おはよう御座います♪ グロリアさん、光代さん」
 セレスはそんな二人に対して、純度100%の頬笑みで挨拶を返した。
「あ、御免なさい…おはよう、セレス」
「そ、そうね、おはよう。今日も良い天気ね」
 挨拶をされたら、自分も挨拶をするのが礼儀というモノである。
 そんな躾が身に付いている二人。
「そーですねー。天気が良いと、気持ち良いですよね…」
 無邪気なセレスの笑顔が、微かに曇る。
「ど、どうしましたの? セレス」
「ぁ…光代さん。なんでも、無いんです…」
「何でも無いなんて事はないでしょ? 話してみなさい」
「グロリアさん…」
 明らかに落ち込んでいるセレスを、光代とグロリアが教室の隅に誘導する。
「さ、どうしたんですの?」
「悩みなんて、話せば案外くだらない物よ」
「あ………ふたりとも、優しいです」
 嬉しそうに頬笑んだセレスに、二人の顔が硬直する。
「たまに思うんですよね。グロリアさんや光代さんみたいな友達が居る私って、本当に幸せ者だなって」
「な、何を言い出すのよ」
「勘違いしているのよ、貴女は」
「はい♪ そういうコトにしておきますね」
 嬉しそうに耳を跳ねさせるセレスに、身悶えする二人が地団駄を踏む。
「そう!………そもそも、私たちはセレスに聞きたい事があって」
「そ、そうですわ。何を寝惚けているんですの、グロリア」
「人の所為にしないで頂戴、光代」
「あああ、二人とも止めて下さぃ」
「は〜い、そこの仲良し三人組ちゃん♪」
 教壇の方から掛けられたハニーボイスに、教室の中が微笑ましい笑い声で包まれる。
 3-B担任であるロニィ・スタインハートは、可愛らしく小首を傾げた。
「そろそろ、授業が始まるから、続きは後でゆっくりなさいな?」
「「「は、はいー」」」
「では、授業を始めますよ♪」





「―――では、裁判を始めます」
「ちょっと待て!」
 椅子に縛り付けられたカイトは、薄暗い部屋の中を見回した。
 分厚いカーテンが下ろされた教室は、普段から使われている形跡が無かった。
 その癖、妙に綺麗に、整然としている雰囲気が独房を思わせる。
「何処だよ? ココは」
「秘密の教室です」
 間髪入れずに答える苅部が、眼鏡を押し上げる。
「『とある組織』が管理している教室ですが、今回は特別に使用許可を取っています」
「何なんだよ! それはっ」
「被告は静粛に」
 どこから取り出したのか、木槌で机を叩く。
「被告って何だ!?」
「被告に発言権はありません」
 再び木槌で机を叩く音が響く。
 縛られたカイトを囲むように座った3-A男子も、無言で頷き合う。
「怖ぇよ…って、授業はどうすんだよ? サボりは良くないぜっ」
「ボイコット常習者が言っても、説得力がありませんね」
 再び無言で頷き合う男子一同。
 確かに、圧迫感は不気味なほど怖い。
「被告の罪状は、同クラスの無実の女子二名に、精神的暴行をくわえた事」
「………はぁ?」
「判決。有罪決定」
「「「意義なし!」」」
「速っ」
 もはや罪人となったカイトが、反射的な突っ込みを入れる。
「弁護士を呼んでくれ!」
「被告には弁護士を呼ぶ権利はありません。被告には上告する権利は有りません。………ついでに言えば基本的人権も有りませんね」
「近代文明開化は何処へ逝ったんだよっ」
「古今東西、学校の敷地内は治外法権というのが―――お約束というものです」
 断言した苅部の眼鏡が光る。
 そして、それが合図だったかのように、暴れるカイトにクラスメート達がにじり寄って来た。
「待って! ちょっとだけ待て! ひとつだけ聞かせてくれ!!」
「………まぁ、良いでしょう」
 再び銀縁眼鏡が煌めくと、ゴキブリのようににじり寄っていた集団の動きが止まる。
 カイトは問いただしたい好奇心を抑え、根本的な疑問を口にした。
「俺が、誰に、どうやって精神的暴行をくわえたんだ?」
 この台詞を聞いた全員が、カイトへの刑を『ぷちコロス』から、『コロス』にレベルアップさせる。
 苅部も俯いたまま、唇の端を歪めて笑った。
「君に、思慕を向けてた女子二人のコトですよ。………まさか、身に覚えが無いとは言いませんよね?」
「マジか!? 俺に惚れてた娘が居たって?」
 純粋に驚いたカイトの様子に、クラスメート達の断罪衝動が、『コロス』から『超コロス』に純化していく。
「勘違いなんじゃねーか? 俺、今までモテた試しなんかないぜ、マジで」
「あくまで、シラを切る心算ですか………この犯罪者は」
「大体、誰だってんだよ? それも二人も?」
 カイトは自分の台詞によって、振り切れんばかりにバロメーターを上昇させていくクラスメート達に気づかない。
 苅部の頬が、ヒクヒクと痙攣していた。
 普段の彼からは、とても想像できない崩れた顔に、カイトは縛られたまま後退る。
「ふ、ふふ………解りました、そうですね。自分の罪を自覚して逝くのも一興でしょう」
「い、イヤ、やっぱ遠慮する…」
「君の幼馴染の女性ふたりです」
 カイトは馬鹿のように口を開けたまま固まる。
 頭の中で検索を何十回と繰り返し、候補を選び出す。
 辛うじて候補に残ったのは、桜色の髪をした少女と―――
「まあ、この際、ミュウは置いておくとして」
 この言葉にクラス男子の約半分を占める、『ミュウ派』の連中がオーバーバーストした。
「もうひとりは、ひょっとして、もしかして、まさかとは思うが………コレット、か?」
 この言葉にクラス男子の残り半分を占める、『コレット派』の連中が怒りメーターを振り切った。
 そして、プラス一名も。
「何故! まさか、なんですかっ! 君って男は!!」
「な、何で苅部が切れるんだよ………………まさか、オマエ」
「なっ…何だって言うんですか?」
 心無し赤面した苅部が、顔を隠すように眼鏡に触れる。
 暫し、マジメな顔をしたカイトが、一言。
「―――ロリ?」
「死刑執行」





「キリー、礼、着席」
 委員長である陽子の声が、閑散とした教室に響いた。
 教壇に立った担任教師は、教卓に両手を突いて俯いていた。
 現実を拒否するように、眼鏡の奥で固く瞳を閉じたまま。
 大きく深呼吸をして目を開け、改めて教室を見回す。
 半分に減少した人口密度に、軽い目眩いを感じて天井を見上げた。
「あのー…ベネット先生? 気分でも悪いのですか?」
「ああ、クレアさん。何でもありませんよ、ええ。何でもありませんとも」
 クラスの半数がサボり、それも男子全員(約一名が逆さ状態でロッカーに填まり込んで失神中)だったとしても。
 この程度で驚いていては、3-Aの担任を続けられないのだった。
「で、では。取り合えず出席をとります」
 直視し辛い現実から目を逸らし、出席簿を手に取ったベネットが窓に顔を向けた。
 出席番号一番は―――
「あ、相羽くん…」
 窓側を向いたまま硬直したベネットが、出席簿を取り落とす。
「………うぃす」
「あっ、相羽君!? な、何をしているのですか?」
 窓の外に、『吊るされた男』状態のカイトが浮かんでいた。
 ロープで手首と足首を縛られ、恐らくは屋上からでも吊られているのだろう。
 薄汚れた制服が、彼の善戦を示していた。
「何をしてるかと聞かれては、返答に困ってしまうのですが」
「が、学園の中で危険な遊びをしてはいけません」
 こんな危険な遊びを好む生徒は、さすがの舞弦学園にも存在しないだろう。
「先生」
「………何ですか? 陽子さん」
 わざわざ手を挙げた陽子が、学生手帳を片手に発言する。
「舞弦学園規則には、『授業を窓の外で拘束されたまま受けてはならない』という項目は存在しません」
「おいっ、委員長!?」
「そ、そうでしたか………では、問題は無いのですね」
 著しく判断能力の低下したベネットは、自分に言い聞かせるようにして頷く。
「皆さん………申し訳ありませんが、何故か今日は体調が優れないので、自習にします…」
「センセっ、ベネット先生ーっ」
 夢遊病者のように教室を後にするベネットには、カイトの声が届かなかった。
「クレア、保健室まで送ってあげて」
「う、うん。陽子ちゃん」
「―――それで、そのまま看病してた方が、ヤなモノ見ずに済むかも」
「えっ…あ、あはは。うん………そうしちゃおっかな」
 ふたりの視線の先で、無言で席を立った女子一同が、窓際に集結していた。
「「「相羽君? 私たちの言いたい事は解ってるよね?」」」





 喫茶店『アーネンエルベ』。
 美味い紅茶と、美味いパイを出す店として、舞弦学園の生徒たちには密かに人気の喫茶店である。
 アンティークな装飾が、どこか物悲しいながらも不思議な安らぎを感じさせていた。
 仄暗い店内に射し込む光りは、壁に穿たれた四角い四つの窓だけだ。
 広くは無い店内に、学生服姿の女子ふたりが向かい合わせで座っている。
 テーブルの上にはポット煎りのアールグレイ。
 そして、敷き詰めるようにテーブルを占拠した、色とりどりのパイの山。
「う〜んっ、美味しい。やっぱ、チェリーパイが最高ね♪」
「コレット…お腹こわしちゃうよ?」
 小さな身体のどこに収納されるのか、目に見える勢いで皿を空にしていく。
「ちなみに、私はアップルパイが美味しいと思うな」
「………ミュウ、それ、三皿目」
 既に、今夜は体重計に乗れないような二人だったが、それだけ遣りきれない想いがあった。
「マスターっ、チェリーパイ追加。ロシアンティーもね♪」
「アップルパイと、オレンジペコお願いします」
「………まだ、喰うのか。あいつらは」
 人外の食欲を発揮している少女二人を、離れた席で観察していた男が呻くように呟いた。
 黒ずくめの職質されそうな妖しい服装に、胸元の緋色の十字架が更に妖しい色彩りを添えていた。
「不味いぞ、これ以上は。流石に目立ちすぎる」
 向かいに座った同じような男が、空になったクリームソーダのグラスを掻き混ぜるフリをする。
「うむ。目立つのは不味いな」
 目立つも何も、若い年齢層をターゲットにした喫茶店では、既に浮きまくってる男ふたり。
 ウェイトレスのあからさまな疑いの視線にも気づいていない。
「しかし、偶然とはいえ、見つけてしまった亜人の娘を放置するのは…」
「我らの教理に反するな」
「ああ。亜人は呪われた存在、排除されるべき存在だ」
 顔を突き合わせて危険な台詞を連発する男達に、警察に連絡するか迷っているウェイトレス。
 ちなみに、ヘアバンドと髪に隠れていたが、ウェイトレスの耳はコレットと同じ様に長く尖っていた。
「いや、待て、同志よ。何も焦る事は無い」
「どういう事だ?」
「あの小娘達の制服は、舞弦学園の冒険課三期生のモノだ。解るか?」
「解らんぞ………ていうか、何でそんなに詳しいんだ。同志」
「つまり、身元は割れているという事だ」
「………いや、俺が言いたいのはそーゆーことじゃなくて」
「俺はベルビア王国、全ての中・高校女子生徒の制服が判別可能だ」
 会話を漏れ聞いていたウェイトレスが、反射的に受話器を取り上げた。
「そもそも、舞弦学園といえば、亜人の巣窟………それも、思い切り武闘派の連中じゃないか。俺たちにどうこうできる所じゃないぞ」
「別に、俺たちが直接制裁を与える必要は無いさ」
「なる程…」
 顔を付き合わせたまま含み笑いをする男達を尻目に、ウェイトレスは躇わずにダイヤルを回した。





「さあ、セレス。正直に答えて貰いましょうか?」
「隠し事は無しですわ」
「あ、はい」
 昼休み時間の校舎裏。
 人目も人影も無く、放置された雑草が伸び放題になっている。
 セレスを壁に押し付けるように、グロリアと光代が立ち塞がる。
「あ、なるべく早めにお願いします。約束がありますので」
 教室を出たところで捕まったセレスの手には、大きなお弁当袋が提げられていた。
「そうね、前置きは無しにしましょう」
 くすみも無い見事なハニーブロンドを梳き上げたグロリアが、ビシリと指を突きつけた。
「ずばり聞くわ。………一体、どーゆーコトなの!?」
「…それは省略し過ぎだと思いますわ。グロリア」
 濡れたような艶の黒髪を梳き上げた光代が、眉間を押さえて呟いた。
「う、うるさいわね。要は、付き合ってるの? あの男と!?」
「ええっと、『あの男』…って、カイトさんの事ですか?」
 頬を染めたセレスが、にへら…と相好を崩す。
「そ、そうよ。その相羽カイトの事よ。で、どうなの? 付き合ってるの?」
「はい♪ 実は付き合ってるんです………けど、カイトさんのコト、ご存知だったんですか?」
「な、何の事?」
 腕を組んで顔を逸らすグロリアの顔に、一筋の汗が流れる。
「知る訳無いじゃない、あんな男の事なんか」
「『あんな男』って………なんというか、知り合いみたいに聞こえるんですけど」
「割りと有名な男子だからです。素行不良。成績不良。なにより、女癖が悪いと評判なのですわ」
 細い目を更に細めた光代がフォローを入れる。
「家が隣同士で幼馴染の彼女が居るというのに、同じクラスのハーフエルフの女子、更には他のクラスの女子、挙句には下級生男子にも手を出して玩んでいる外道でなのですわ」
「ほっ、本当なんですか!? そんな話は聞いてません………けど、何でそんなに詳しく調べてるんですか、光代さん?」
「な、何の事かしら?」
「この際、そんな些細な事はどーでもいーのよ!」
 明後日の方に顔を向けた光代を押し退けるように、グロリアが身を乗り出した。
「要するに、セレスもあの男に騙されて、玩ばれてるって事よっ!」
「………人聞きの悪い事を吹き込むのは止めて貰おうか」
「カイトさんっ?」
 振り返った三人だったが、そこには誰も居なかった。
「イジメられてるのか? セレス」
「人聞きの悪い事を言わないで頂戴っ」
「全くですわっ」
「そうですよ〜、お二人はお友達ですから♪」
「「だから、それは違うんだって」」
「イジメは良くないぞ」
「「それも違う、んだけど何処に居るのっ? ちょっと怖くなってきたじゃない!」」
「あの………カイトさん? 何をなさってるんですか?」
 セレスは空を見上げたまま、器用に首を傾げた。
「見ての通りだ」
「え〜と、私には『身体をグルグルに縛られたまま屋上から吊るされた男』にしか見えないんですけど…」
「その通りだ」
 ミノムシのように二階の位置に揺れているカイトは、今にも逝きそうな顔色で頷いた。
 丁寧にも、窓から見えないように調整した位置で吊るされている。
「―――男より、女の方が残酷なんだよな………初めて知ったよ」
 もっとも、床に引き降ろされたカイト(縛られたまま)が、弾劾されながらカラフルな下着のファッションショーを堪能していた罪も加算されているのだが。
「知ってたか? アッチ側の花畑の色は白いんだぞ?」
「怖い話は止めて頂戴っ」
「怖くは無いけど………このまま放置されたら、怖い存在になるな、俺が」
 学園の七不思議に、新しいエピソードが追加される程度だろう。
「兎に角、イジメは良くないぞ。俺の現在進行形の実体験から考えるに、凄く良くない」
「ふ、ふんっ…それがどうしたってのよ。…というか、まず降りてきてよ! 顔色が危険になってるじゃないっ」
「そう思うなら降ろしてくれ。頼むから」
 ロープを捕縛者ごと魔法で焼き切る、という手段で救出されたカイトは、実に半日ぶりに地面に降り立った。
「………何気に丈夫なのですね、貴方は」
「解ってると思うが、闘気術でサポートしてなきゃ、マジで逝ってるぞ。俺は」
 呆れ顔の光代に、胡座をかいて首を捻るカイトが突っ込む。
「ただ単に、頑丈なんでしょ? 身体だけは丈夫なんでしょうから」
「そうですわね。不死身なんでしょうから」
「………何か突っかかるな」
 お互いの顔を寄せて、これ見よがしに呟くふたりに、カイトは手足を擦りながら指摘した。
「あんま、気分良くないぜ? そういうの。………そんでなくても、今はスゲー気分が悪いんだが」
「あ、あんたにそんな事っ、言われる筋合いは無いわよ! この女ったらし」
「その通りですわ! 自分の事を差し置いて、何て言い様っ…行きましょ! グロリア」
 顔を真っ赤にして激昂していたふたりが、足音も荒く去っていった。
 あ然とした顔のカイトが、弁当箱を手にしたままのセレスに問いかけた。
「何なんだ? あのハチャメチャなコンビは?」
「あ、はい。同じクラスのお友達なんです。金色の髪の方がグロリアさん、黒いショートの方が光代さんです」
「友達?」
「はい♪」
 友達は選んだ方が良いんじゃないか、とも思ったが、口に出すのは間違っているような気もした。
 何故ならカイトには、セレスの顔が嘘を吐いているようには見えなかった。
「………カイトさんは、その…おふたりの事、ご存知だったんですか?」
「は? 俺が、どうして?」
「その…グロリアさんと光代さんは、カイトさんの事を色々知っていたみたいでしたから…」
 心無し視線を逸らしたセレスが、言い訳するように呟く。
「いや、あった事も無い………と、思う。んだけど」
「カイトさんっ?」
 不意に、カイトの身体が傾いだ。
 弁当箱を取り落としたセレスが、慌ててカイトの肩を掴んだ。
「ごめ…なんか、急に目眩いが…」
「謝らなくても良いです! 保健室、行きましょう」





「いや、もう、マジで何とも無いんだ」
「あうぅ…」
 セレスの長耳が、へにゃり…と折れる。
 引っくり返った洗面器から、氷り入りの水が床一杯に広がっていた。
 カイトは無理やり寝かされたベッドの上で、身体を起こして苦笑した。
「何で、こんな時に保険医さんが居ないんですかぁ…」
 既に午後の授業を告げるチャイムが鳴り終わっていた。
 カイトにとって見慣れた保健室には、セレスの他に誰の姿も無かった。
「え、居るの!? ウチの学園に保険医が?」
 心底驚きの顔をするカイトに、逆にセレスが驚いた。
「居るに決まってるじゃないですか。それはダンジョン実習時間は人手が足りないので、保健委員の皆さんが臨時で担当してますけど…」
 そもそも、他の保健委員とやらも見た事が無い。
 ぶっちゃけ、ヌシのように常駐しているウチのクラスの保健委員しか見たこと無いんですけど。
 死に戻り、つまりは気絶状態でダンジョンから強制排除されている回数が、ダントツに多い自分がそう思うのだから、間違いない筈だ。
 ―――激しく自慢にならないが。
「………あ、あの…カイト、さん?」
 ベッドに手を突いて、俯くように落ち込んでいるカイトが顔を上げた。
 椅子に腰掛けたセレスは、組み合わせた指で口元を塞ぐようにして、俯いていた。
「どうした?」
「その、実はカイトさんに、ですね………あの、伺いたい事が…」
「何だよ、改まって…」
 頬を掻いて苦笑したカイトが、ふと柏手をうった。
「丁度良いや、俺もセレスに………」
 初めての相手が俺だったのか―――聞ける訳が無いだろうが、馬鹿か俺は。
 再び突っ伏すカイトの隣で、同じくセレスが突っ伏していた。
「あのっ…」
「そのっ…」
「な、何でもないです……」
「あ、俺も、何でもない……」
 同じタイミングで顔を見合わせては、俯いてしまう二人。


『何をやってんのよ、あのふたりはっ』
『………何をやってるのでしょうね。私たちは』
 薬品や備品などが詰まっている倉庫の中から、押し殺した声が聞こえた。
 物が押し込まれた空間の僅かなスペースに、二人の女子生徒が背中合わせで座り込んでいた。
『このままでは只のデバガメですわ…』
『せ、先客は私たちなんだから、後ろ暗いコトなんてないわよ』
『そもそも、何故、私たちはココに居るのですか』
『………何故も何も、種馬男のコトが心配だったから様子を見に先回り―――"なんてコトをする筈が無い"って、言ったじゃない』
『弁明にすらなってませんわよ、グロリア』
『じゃ、光代は何で、ココに居るのよっ』
『機嫌が悪いので、保健室で休もうとしただけですわ』
『………それを言うなら、気分、じゃないの?』
「あっ?」
 漏れ聞こえたセレスの声に、二人は同時にドアに耳を付ける。


「あっ、あの………か、カイトさん?」
「あ、その………セレス」
 カイトはセレスを抱き締めた恰好のまま硬直していた。
 それは本能的な、取られたくない宝物を抱え込む子供のような、無意識の行動だった。
「………カイトさん? どうしたのですか?」
「…」
 どうしたもこうしたも、頭の中を真っ白に染めたカイトは、必死にフォローの言葉を探る。
「そ、その…セレス」
「はい…?」
「その、要するに、セレス…」
「はい…?」
 半分、ベッドに乗せられるように抱え込まれたセレスは、子供をあやすようにカイトの背中を撫でる。
 複数の女性を手玉に取れるほど、器用な人ではない―――と、不器用な抱擁に身を委ねるセレスには信じられた。
 痛みさえ感じる腕は、そう、確かに不器用であったから。
「シようか」
「はいぃ?」
 耳元の囁きに、うっとりとさえし始めていたセレスの声が裏返る。
「そうだよ、要は………実地検証しかねーよな。つー訳でシようか、セレス」
「な、なんのコトでしょうか?」
「つまりは、身体で確かめ合おうという訳です」
「ちょ、ちょっと待って下さいぃー!」
 そのままセレスを抱えたカイトが、位置を入れ替えるようにベッドに押し倒した。
 短く結われた若草色の髪が、微かに乱れてシーツに舞う。
「あっ、あっ…あの、カイトさんっ?」
「セレス」
 パニック状態のセレスに覆い被さったカイトが、マジメな声色で問いかけた。
「俺たちは恋人同士なんだよな?」
「そ、そうです…けど」
「それじゃ、シようか」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ。タイムです、タイムなんです!」
 手足をパタつかせるセレスの両肩を押さえたカイトが、じぃ…とセレスの瞳を見詰める。
 暴れていたセレスが、次第に緩慢になって大人しくなる。
「セレスが、マジで嫌なら………ここで止める」
「や、やっぱり………」
 ふい、と顔を逸らしたセレスが呟く。
「…訂正します。手馴れすぎです。信じられなくなりそうです」
「良く解んないんだけど」
「ですから、カイトさんは………んんっ?」
「信じられないなら、確かめるしか無いんじゃないかな?」
 もう一度。
 触れるようなキスを交わす。
「で、でも………」
 同級生に比べ、膨らみ気味の胸元から、スカーフ代わりのアミュレットを抜き取る。
「今は授業中で………」
 火照るように染まった頬に唇を寄せ、スカートのホックを外す。
「ここは保健室で………」
 ニーソックスに包まれた、震える太股を撫でるように探った。
「まだ、外も明るいです………」
「だから?」
 おでこを触れ合わせるようにセレスを抱くカイトが、そっと眼鏡を外させてベッドボードに置いた。
「つまり、その、ですね………」
「うん」
「………カーテンは閉めて下さい」





 光源が遮られた密室の中で、微かな衣擦れの音が聞こえる。
 曖昧に乱れた吐息が、カーテンに囲まれた場所から響く。
 ゆっくりと空を舞うホコリが、糸のように差し込む陽の光に翳されていた。
「………そっ」
 仰向けに寝かされたセレスは、跨がるように覆い被さるカイトに訴えた。
「…その、は…恥ずかしいです」
 自分で上衣を脱ぎ捨てたカイトは、両手で自分の顔を隠すセレスを見下ろす。
 制服を脱がされたセレスは、殻を剥かれた卵のように無垢な裸身をさらけ出していた。
 逆三角を形作ったウエストからバストのラインに、どうしようもないほど目が惹きつけられる。
 重力で微かにたわむ、張り詰めた果実のような乳房の膨らみ。
 頂きで震える桜色の突起が、外気と視線に晒されて緊張しているようにも見えた。
 制服の上からでは、想像もつかない豊かな大きさだった。
「そ、その…さ。触っても、良い?」
「は…は、ぃ」
 蚊の鳴くような肯定の頷きに、カイトの右手がゆっくりと差し出される。
 持ち上げるように、掌全体で触れる。
「…っ」
 セレスの足先が、ぴくり…と震える。
 確かめるように。
 それは、揉むというよりも撫でるように触れていく。
「…ァ…」
 カイトの親指が乳首の突起を掠めると、ひく…と背筋を震わせたセレスが鳴く。
 甘声を上げた自分に気付いたセレスが、赤面した顔を覆い隠すように腕を乗せる。
「………イイんだ? ココ」
「そんな…コトは、ァ…っ」
「膨らんできて、硬い」
 腕を突くように両掌を、セレスの両方の乳房に乗せたカイトが、親指の先で胸の中心を押し込むようにしながら揉んでいく。
 零れそうな桃果の膨らみは、カイトの指先が沈み込むと、面白いほどに柔らかく形を変える。
「ん………カイト、さん…乱暴なのは、ダメ…です」
「あっ、ゴメ」
 慌てて手を退けたカイトは、自分が興奮している事にようやく気付いた。
 息が乱れ、指先が震えるほどに昂っている。
 心無し上気し、解された感のあるセレスの乳房には、自分の指の痕が赤く残っていた。
 その、痣のように銘んでしまった痕にさえ、興奮する自分に呆れる。
「どう…したんですか…?」
 四つん這いのまま、黙って自分を見詰めるカイトに、セレスが不安げな声で訊ねた。
「あ、あ〜っと………………何考えてたか忘れた」
「わ、たしも…です」
 何となく、可笑しくなる。
 心臓の鼓動がばくばくと頭の奥に響いて、まともに働こうとしない。
 ただ、今考えているコトは。
「キス、したい…」
「私も、したい…です」
 左手で無意識にガードしているセレスの両手を押さえ、右手を頬に添えて唇を合わせた。
 餌を求める鳥の雛のような懸命さで、繰り返し溺れるような口づけを交わす。
「もっと、したい」
「はぁ…はぁ、はぃ…もっと、したい…です」
 セレスの澄んだ海のようなグランブルーの瞳が、燻るように潤んでいた。
 啄ばむようにキスをし、唇を合わせて舌先を遊ばせる。
 カイトは口戯に耽りながら、右手をセレスの下肢に這わせていた。
 驚くほどに熱くなっている太股の付け根を撫でる指先は、既にヌルリとした感触を伝えている。
「セレスは………エッチだ」
「ぃ、イヤ…です」
 呼吸の合間に唇を離したカイトの呟きに、夢見るような表情をしていたセレスが恥らう。
 その部分に、僅かに指先が進入すると、反射的に強く太股を締めた。
「や、です…動かさないで…下さぃ」
 両腕を頭の上で押さえつけられているセレスは、腰を捩るようにして微かな抵抗を示す。
「………ふぁ。カイトさんは、嘘吐きです…」
「ん、何で?」
 キスには素直に応えるセレスに、甘えるようにキスを繰り返す。
 子犬が戯れ合うように。
「さっき…イヤならしない…って言いました」
「うん」
 横臥するように腰を捩るセレスの股間で指を蠢かしながら、疑い無く頷く。
 深くに進入を果たした指先から、滑りのある液が伝っていた。
 ヌチヌチ…と響く音が微かだ。
「『セレスがマジで嫌だったら』止めるよ?」
「…」
 ふと、拒むようにリキんでいた力が緩んだ。
「ひきょー…です。カイト、さん」
「俺からすれば、そーゆー風に可愛く拗ねてみせたりするセレスが………すげーひきょーなんだけどな」
 例えれば、蜜に吸い寄せられる蜜蜂のような。
 逆らえない強制的な誘い。
「や、ぁ………耳は、ダメです」
「セレス、そろそろ…」
 逃げるように跳ねる耳元で、擦れ声で囁いた。
 セレスは太股に当たるカイトのソレが、爆けそうにいきり立っているのに赤面した。
「ぁ…熱い、です」
 ソレを確かめるように両手で握るセレスに、カイトは達してしまいそうになるのを堪えた。
「そ、じゃ…そのまま、いくね」
「は、はぃ…」
 自分の逸物をセレスに預けたまま、ソックスに包まれた脚を両手で掲げるように開かせる。
「………こんな恰好」
 二つ折りにされるように、V字に脚を抱えられたセレスの腰が浮く。
 無防備にさらけ出された股間に、ゆっくりと腰を下ろしていく。
「セレス…指、解いて」
「ぁ、あぅ…」
 先端が胎に潜り込んだ時点で、カイトが諭すように命じた。
 これ以上も無く勃起した逸物から指を離したセレスは、カイトの腰を押さえるように掴む。
 そのまま、導かれるように、ヌルリと根元まで挿り込んだ。
「ぁ…お腹が…いっぱい、です…」
「大丈夫?」
 苦しげに吐息を漏らしたセレスに、覆い被さったカイトが問う。
「あ、はぃ………カイトさん、だから」
「っ…じゃ、動く、よ?」
 背筋を震わせたカイトは、赤面した顔を隠すように俯いて確認した。
 ゆっくりと持ち上げるように腰を退き、再び根元まで射れる。
 セレスは暫くの間、ゆっくりとしたリズムに酔うように吐息を合わせた。
 押し付けられるセレスの脚が、バネのようにクッションを果たしている。
 歌うようなセレスの吐息が、転調したようにリズムを速める。
「ぁ、ぁ…うぁ…カイト…さんっ………ゆっくり、お願い…です」
「ゴメ…セレス、俺」
 倒れ込むようにしてセレスの尻を抱えたカイトは、タガの外れた衝動のままに腰を揺すり立てた。
「あっ…カイト、さんっ」
「セレス…っ!」
 安産型のセレスの尻を、しっかりと両手で抱き寄せたカイトが、激しく腰を震わせた。
 断続的に痙攣するカイトは、想いの昂りをセレスの胎に注ぎ込んでいく。
 セレスは縋りつくように小さく呻くカイトに、その背中を優しく撫で擦っていた。





「おはよう御座います!」
 爽やかな朝の空気の中、校庭の片隅に隠れるように二人の兄妹が待っていた。
 朝日は既に顔を覗かせ、熱くなりそうな陽射しの中でも、その衣装は古粧した学生服のまま。
 それでも、ふたりにとっては、ポートレートに納められた風景の一部のように、違和感を感じさせないほどに似合っていた。
「おはよう」
「おはよう御座います。カイトさん」
「おはよ! 甲斐那さんっ、刹那さんっ」
 飛燕刀を手にしたカイトが、場違いな程のテンションで手を掲げる。
「ではさっそく始め………」
「カイトさん…今日は機嫌が宜しいようですね?」
 無機質に進めようとする兄を遮った刹那が、スキップするように準備運動をしているカイトに問いかける。
 実際、カイトも聞いて欲しかったのか、待ってましたとばかりに飛びつく。
 影で落ち込んでいる甲斐那を無視して、刹那に笑いかけた。
「何か…良い事でもありましたか?」
「あ、顔に出てた? 参ったな」
 脳みそが参ってそうなカイトの顔だったが、優しく頬笑んだ刹那は小さく頷いてみせる。
「宜しければ…お聞かせ下さいませんか?」
「いや〜…話すほどのコトじゃないんだけどさ。実は最近…」
「―――話すのか」
 冷静に突っ込みを入れた甲斐那を無視して、セレスと付き合い始めた件を披露する。
 ぶっちゃけ、人の色恋沙汰など聞かされて楽しいものではないが、刹那は傍目にも解るほど表情を曇らせていく。
 自分の話にテンションを上げていくカイトは気付かなかったが、当然に気付く男がひとり。
「………結局、俺の勘違い、っていうか、そんな事を気にすること自体が馬鹿だったなって。それが解ったのが嬉しいのかな〜」
「そう………ですか。良かったですね…」
「そういう事かな」
 どこか、切なげに頬笑んだ刹那に、笑って頷く。
「さて! 今朝も一発頑張って見ますか。それじゃ、刹那さん、宜しく頼むぜっ」
「ぁ…申し訳ありませんが」
 ぺこり、と小さく頭を下げる。
「今朝は気分が優れませんので………兄様、お願いできますか?」
「あ、ああ。委せておけ」
 もう一度、ぺこり…と頭を下げた刹那が踵を返した。
 その小さな背中は、どことなく寂しげだった。
「刹那さん………大丈夫かな?」
「そうだな、さあ! 剣を抜け、カイトっ!」
 珍しく気合の籠った掛け声を上げた甲斐那が、妖しく煌めく震電を引き抜いた。
「ど、どうしたの? 甲斐那さん」
「どうもしない。さっさと剣を構えろ!」
「切っ先から殺気をビシビシ感じるんですけど………ていうか、俺は魔法を」
「歯を食いしばって気合を入れろ………死にたく無ければな」
「目! 目がマジだって、甲斐那さん!?」
 それから暫くの間。
 激しい剣撃の音が、爽やかな朝の校庭に響き渡っていった。





「…」
「…」
 制服姿の女子生徒ふたりが、無言のまま列んで街を歩いていた。
 ワインレッドと白を基調した、舞弦学園の制服である。
「…」
「…」
 『校外の外出には制服を着用しなければならない』のであるが、律義に守る生徒はとても少数派だ。
「…」
「………凄いモノを見てしまいましたわね」
 黒髪の女子が誰にでもなく呟く。
 色白の頬が、心無し染まっていた。
「………凄いも何も、アナタは気絶しちゃってたでしょうが。光代」
「………途中から覚えておりませんわ」
 気を失っていたのだから、それは正しい。
「………最後まで見せられた私の身にもなりなさいよ」
 金髪の少女が、じと目で相方を睨む。
「それも三回戦もよ。学校の、授業時間の、保健室でよ! 信じられる!?」
「………見なければ良かったでしょうに。グロリア」
「か、金縛りにあってたんだから、しょうがないでしょ!」
 睨みあって、同時に深い溜息を吐く。
「…」
「…」
「…」
「………ねぇ? グロリア」
「………何よ、光代」
 暫く沈黙が続いた後。
 光代が空を見上げたまま呟いた。
「………もう、諦めませんこと?」
「………………イヤよ」
 唇を噛み締めたグロリアが、泣き出しそうな子供の顔で頭を振った。
「絶対、イヤよ! 認めるもんですか、今更っ」
「それは…そうなのですけれど」
「私は絶対に認めないわ! ………そうよ、悪いのはセレスなんだから」
「確かに………その通りですわ」
「そうでしょ? 悪いのはセレスの方なの!」
 断言したグロリアが、無言で頷いた光代と向き合った。
「「エルフなんか大っ嫌い(ですわ)!!」」


 その一言が―――
 彼女たちの―――
 ………運命を変えてしまったのかもしれない。



「―――話は聞かせて貰ったぞ」







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