竜園
Original Novel
- 銀のHYDRA -
第Y章 竜虎あいまみえる日
「ぅ………」
フィズの褐色の尻尾が、乱れたシーツに波打つ。
可愛く唸って机上の煙草に手を伸ばすが、下肢の感覚がまったく無い。
「煙草ぉ」
「ほれ。あーんしな」
灰色の柔毛指に火の点いた煙草が差し出され、くわえさせて貰う。
満足気に呻いたフィズは、仰向けに転がり直す。
決して大きくはないが、形の良い乳房が左右にたわむ。
力瘤が目立つ程身体を鍛えているフィズだ。
色黒の肌には、うっすらと無数の刀傷が走っている。
「んんー…ッ! ぁ………もぅ、犯られたって感じ」
「ぁ…お尻の中。滑…っとして変な感じですわ………」
毛布に包まったローンは、ゆっくりと抜出される異物にびく…びく…っと痙攣した。
膣洞を固い肉瘤が滑り抜け、奥に残った濃ゅい粘液が熱い。
「ん…ぁ。糸引いてる…凄ぇ、エッチな感じだぁね」
「ぃ…やぁ、グレイ様の意地悪ぅ。見ないで…下さぃ」
後背位のローンに胎内射精したてのグレイは、たっぷり脂の乗った臀部を撫でた。
ねば…ねばぁ…っと粘液で繋がった性器同士を、何時までも触れ合わせた。
「い…ぁ…いぁ…いぁ…感じてきちゃうますぅ」
「お前等、今朝はどうしたの? いきなり抱いてくれなんてサ。おまけに、その…胎内射精まで許してくれたし」
「聞くな。そんな気分だったんでぇ」
ぷい…っとそっぽを向いたフィズは、ベッドから降りて下着を足に通す。
パジャマ代わりに着ていたグレイのワイシャツに腕を通し掛け、何時の間にか消え失せた自分の服を探す。
「おい、グレイ。俺の服は?」
「やん…やん…やん…やぁーん」
「くッ…ぅ…ぅ………もっかい、中に出して…いい?」
「ぁ…ら…らして下さぃ」
「てめぇ等ぁ! 何ヤッてんでぇ」
胎内に射精されている真っ最中のローンは、潤み切った瞳でフィズに手を伸ばす。
立て続けの絶頂に失神したのか、可愛くあくめに達してぽて…と手が沈む。
「はあぁ…最高。癖になっちまいソ。胎内で終わるのって………気っ持ちイイ」
ローンに覆い被さって、うっとりと呟くグレイ。
フィズは右脚を上げ、無言でグレイを蹴った。
「俺等、グレイの為を思って、妊娠しないように気ぃ使ってたんだぜ! それを…ッ、馬鹿野郎ぉ」
最近涙脆くなったフィズの腕を掴んだグレイは、ベッドに引き込んで貼りつける。
「止めろォ! もぅ、騙されねぇ…ッ。離せ! 噛み付いてやる」
「んだからぁ、俺んコトおいでよ。ふたり位、面倒見るからサ」
夢現つだったローンも、暴れていたフィズも吃驚してグレイを見詰める。
「家出しちゃえ。大丈夫、何とかなるって」
グレイはローンも一緒に抱え、お気楽に断言する。
「実家の公爵家にいちゃもんなんざつけらんねぇだろうし。いざって時にゃ、尻尾丸めて国外逃亡って………駄目?」
「でも、それじゃ…グレイが」
「御出でって。何の保障も無いんだけどサ」
「いく………行きます。面倒見て下さぃ」
「お、俺も!」
グレイは深い満足感と、一寸だけの後悔にふたりを抱き締めた。
だが、満たされた時間は唐突に終わりを告げた。
エプロン姿のミリュウが乱暴に扉を蹴飛ばし、フライパンとお玉を打鳴らしたのだ。
「飯だぞ」
カムイとの安穏な幸せの日々を過ごしていたミリュウにとって、グレイを含めた闖入娘ふたりは邪魔者でしか無かった。
ミリュウが望む暮らしとは、日がな一日カムイと日向ぼっこし、一緒に抱き合って眠る事である。
だが、グレイの情婦ふたりは、居座ったまま帰ろうとしない。
ミリュウは機嫌の悪さを隠そうともしなかった。
「カムイ。なぁ、カムイ、カムイ」
「N…?」
古びた羊皮紙の書物を読んでいたカムイは、眼鏡を押し上げてミリュウを振り返る。
表紙には焼印で、『攻性生物の考察』と読めた。
宮廷錬金術師レヴィは、外見と性格に似合わず、王都でも有数の蔵書家だった。
建物の南側に面した日光浴空間には、葡萄の蔦が巻き付いたサンルーフがあった。
ミリュウがカムイと陽なたぼっこを楽しむ為に、早速改装している。
幾つもの手作りクッションに寝転がり、カムイの後毛を引っ張る。
「どうしたの?」
「彼奴等、何時まで居るんだ? 図々しいぞ」
本に栞を挿んで閉じたカムイは、転がってミリュウと向かい合う。
おでこを突っ突かれたミリュウは、ん…っと呻いて目を瞑る。
「あの子達も一緒に迷宮に潜ってくれるんだよ。仲良くしなきゃ、駄目」
「…や」
一寸むくれたミリュウは、カムイの綺麗な銀髪を弄った。
「私がちゃんと役に立つよ。独りでもカムイの事、守れる」
「そうじゃなくて」
心無し身体を寄せてくるミリュウに、カムイは乾草の匂いのする髪に顔を埋める。
「あの子達以外と強いんだよ。特に、神官の娘が居てくれると、いざって時にね」
「カムイには傷一つつけさせないから、いい」
カムイの背中に腕を回したミリュウは、断言して顔を胸に当てる。
黒地の胸の開いたランニング姿のカムイは、甘えてくるミリュウを抱えたまましばし涼風と体温に浸った。
すん…すん…っとカムイの匂いを嗅ぐミリュウは、ぺろ…っと胸板を舐めた。
髪の毛を梳ってくれるカムイが嫌がっていない事を認め、今度は唇に舌を伸ばす。
応えてくれるカムイの舌と、濃厚に自分のを戯れ合わせた。
ちゅ…くちゅ…くちゅ…っと淫らに唾液が粘つく。
頬が火照ってきたミリュウは、カムイの瞳を見詰めておねだりをする。
「カムイ………欲しい」
「くす…後でね」
優しく、だが初めて拒否されたミリュウは、泣きそうにカムイを見詰める。
だが、ピクッと獣耳がそばだち、理由を悟って振り返る。
テラスの入り口に立った闖入者ふたりに、ミリュウはカムイを強く抱き締めたまま、威嚇の意味を込めて低く唸った。
「あ、悪ぃ。邪魔した」
「お構いなく。どうぞ、お続けになって下さいな」
話し掛けるタイミングが見つからず、計らずとも覗いていたふたりは、悪怯れたところなく情事の続行を勧める。
むくれたミリュウの髪を撫で、カムイは身体を起こして眼鏡を掛け直した。
「適当な所に座っていいよ。明日の打ち合せの件だね?」
「あ、ああ。、まぁ…そんなトコ」
妙に歯切れの悪いフィズを、ローンが肘で突っ突いた。
「ミリュウさん。お茶、煎れ直してきてくれるかな?」
最高に気分の悪いミリュウだったが、カムイの言葉だからと渋々従った。
三つ編みの尻尾を振り振りミリュウが消えると、カムイは煙草に火を点けて紫煙を吐き出した。
フィズとローンのふたりは、お互いを促しながら言葉に詰まっていた。
何か言いたい事があるらしいが、関係のない天気の話題を議論したりする。
カムイはそんな様子を、微かに微笑して見守る。
「………茶だ」
トレイに煮だった紅茶を煎れて戻ったミリュウは、些か乱暴に給仕をする。
案の定、飛び散った飛滴がフィズの腕に掛かる。
「ぁ…ちぃ」
「どうも有難う御座います。ミリュウ殿」
ニコニコと礼を述べたローンに、外方を向いたミリュウはカムイの隣に腰掛けた。
そして当然のように、カムイの腕を取って身を寄せる。
フィズとミリュウの間に、形容しがたい緊張が生まれる。
おろおろするローンの心情も知らぬげに、カムイはのんびりと口を開いた。
「グレイは?」
「はぁ、グレイ様ならスゥを呼びに出掛けられましたわ」
「なっ、スゥも迷宮探索に行く心算なのか?」
「何か、都合でも悪い訳? カムイさん、サ」
眉を寄せカップから顔を上げたカムイを、皮肉げに口元を歪めたフィズが揶揄する。
含みのある挑発的な態度に、触発されたミリュウが代わりに牙を剥いた。
「馬鹿だな。騎士叙勲の身辺整理で、忙しいだろうに………」
顔を逸らして唇を噛むカムイに、スゥの心情を承知のフィズがいきり立つ。
「そんな言い方ないだろ、カムイさんサァ。スゥはあんたに逢いたいから………」
「あ! そうです、カムイさん。スゥ用に新しい魔剣を鍛えられたそうですね! 宜しかったら、見せてもらえませんか?」
一際大きく柏手を打ったローンが、有無を言わせぬ強引な割り込みをする。
「別に構わないけどね。そうだ、ミリュウさんの戦刀も魔封化しておいたよ。時間無かったから、一時的な代物だけどね」
「ん、有難。我が侭言って後免」
「いずれ、きちんとした魔封具プレゼントして上げるから」
無邪気に素直に喜ぶミリュウに、フィズとローンは毒気を抜かれて呆れる。
同性から評価しても並以上に容姿端麗で、冷たい優等生的な印象がするミリュウだ。
だがカムイが立ち去ると、一転して無表情になる。
そのギャップの差に、ローンは感心してしまう。
だがフィズは、馬の嘶きのように鼻を鳴らす。
「はん…ぶりっ子」
思わずカップに皹を入れてしまうミリュウだったが、カムイの言葉を回想し耐える。
再び険悪になった雰囲気に、ローンはカムイが早く戻ってくれるよう祈った。
なんとか間を繋ごうと、当たり障りのない話題を振ってみる。
「お茶………美味しいですわね。いい香ですわ」
「そ…そうか?」
人に誉められ慣れていないミリュウは、心無し赤面して照れた。
「ラベンダーの薫りが素敵ですけれど、ひょっとして自家製ですの?」
「ああ。庭に生えているハーブを調合したんだ」
「そりゃ、ご苦労なこって」
令嬢同士の話題に疎いフィズは、そっぽを向いて言い置く。
和みかけた空気を持続させようと、ローンが必死に取り繕う。
「ま、マフィンとかも手焼きですのね。お料理が上手で素敵ですわ」
「当然だろう? 女として」
フィズとは別の意味でお嬢様らしくないミリュウが、無理に気取って紅茶を飲む。
明らかに、フィズに対する挑発だった。
「好きな奴に、美味い料理を食わせてやりたいと思うのは、当たり前だろう?」
「馬っ鹿じゃねえの、あんたサァ」
実は、グレイに弁当を作り、散々呆れられた過去のあるフィズは切れた。
「あんた、カムイさんの何な訳? マジんとこ、相手にされてないん違う?」
「そ、そんな事はない! 第一、貴様にそんな事を言われる謂れはないぞ!」
思わず激したミリュウが声を荒げた。
「図星かよ」
「ローン。そんな喧嘩腰は…」
「俺は…っ、スゥの味方だぜ!」
唇を噛んだミリュウは、机の下で手を握り締めた。
何も言わずに泣きそうな顔をしたミリュウに、ローンは気になった事柄を聞く。
「ミリュウ殿。もしや、スゥが誰だか御存じないのですか?」
「関係ないッ。私には誰だろうと関係ない………」
血の気の失せた深刻な顔に、同情しかけたフィズは頭を振る。
毎晩のように同禽しているミリュウだが、カムイが寝言で幾度も呟いた事があった。
苦悩に染り、身を捩るカムイに、ミリュウの胸は激しく痛んだ。
女の名前を呟いた事より、その女の存在がカムイを苦しめている事実が、ミリュウの胸を刺した。
優しく微笑んでくれるカムイにスゥの事柄を聞くことも出来ず、嫉妬に胸を焦がす自分を浅ましく思って、独り悶々と悩む事もあった。
「私が、カムイを愛している事に、誰も、何も関係ない………」
ミリュウは無意識に、首輪を弄った。
一方的だったとはいえ、自分とカムイを繋ぐ証だったから。
見ている方が痛々しいミリュウの姿に、フィズはとうとう折れた。
「いや、だから…あんたの事、責めてるわけじゃなくって」
「スーシャイン=レイロード。カムイ殿の妹君です。王宮付きの大司祭長レナ様の娘で、姫付きの親衛隊騎士」
「お、おい! ローンっ」
「スゥは純粋な人間種ですわ。カムイさんとは血が繋がらない、義兄妹です」
ミリュウはじっとローンを睨むように凝視した。
何かを言い掛け、口を噤んで視線を逸らした。
女同士の直感だろうか。
ローンにはミリュウの聞きたい事が理解できた。
「………えぇ。スゥはカムイ殿の事を、ずっと慕っているようでしたわ。最も、カムイ殿がスゥをどのように思っているかは存じませんが」
「ローンっ、お前」
「ミリュウ殿には、知る権利がありますわ」
突っ込むフィズを押さえ、ローンはミリュウの首輪を見詰めた。
『結儀式』の成就には、お互いに何等かの承諾が無ければならない。
少なくとも、カムイにもミリュウを受け入れる素養があったはずなのだ。
「私には、本当に…関係が」
「今から、来ますわよ」
台詞とは逆に、びくッと肩を震わせるミリュウ。
ローンは言う事を言ったとばかり、優雅な手付きで紅茶を啜る。
俯いて首輪を弄るミリュウを尻目に、フィズがローンを肘で突いた。
「おい、ローン。どういう心算なんだよ?」
「私、ミリュウ殿の事、気に入りました。この件に関しては、スゥとミリュウ殿の何方にも加担いたしません」
「おま………まさか、スゥとカムイさんくっつける気じゃ」
聞き流したローンは、フィズに微笑みかける。
「その事も関係してましてよ? 純粋にスゥを応援できる自信ないですもの」
「正直な奴っちゃなぁ」
「勿論、仲介は致しますけれど」
にっこりと微笑むローンに、フィズは内心敗北感を感じていたのだった。
繁華街を想い人と連れ添って歩く。
しかし、グレイの心中は、限りなくブルーだった。
それに、途轍もなくヘヴィだ。
グレイは重い溜息を吐いて韜晦した。
「グレイ。どうかしたの? 顔色悪いよ」
短く切り揃えた髪を揺らし、スーシャインがグレイの顔を覗き込んだ。
今日は闊達な、何時もの活動的な服装をしている。
短いスカートからすらりと伸びた健康的な脚。
戦闘服からアレンジした、流行のジャケットを格好良く着こなしている。
腰に差したレイピアでさえ、様になっていた。
「な、何でもないって。ちょっと、腹の調子が悪いだけだからサ」
「もぅ、しょうがないなぁ。男二人で暮らしてるんだもんね。ちゃんとした食事摂らなきゃだよ」
頬を膨らませて諭すスゥに、グレイは乾いた笑いを返した。
食生活が改善された理由を、未だスゥに話せないグレイだった。
心ここに有らずのスゥは、あっさりと納得して紙袋を抱え直した。
市場で買物をした中身は、スゥの得意料理の材料だった。
「スゥちゃん特製の、アイリッシュシチューを作って上げるからね」
「うわ、マジ? カムイの大好物じゃん」
知らず墓穴を掘るグレイの言葉に、スゥは赤面して顔を逸らした。
「そっ、そんな心算じゃないもん」
言葉が嘘の証拠に、耳のイヤリングを弄る。
「………兄貴の家に行くのは二度目かぁ。買った時に見にいっただけで、中に入った事ないし」
考えろッ、っとグレイは灰色の脳細胞を沸騰させる。
このまま家に帰ったら、絶対に破局が起こる。
天地神明に賭けて、スゥは傷ついて泣いてしまう。
プラスアルファ、今は危険人物達が居候している。
ミリュウさん一人だけならまだしも、フィズとローンは凄くやばい。
挙げ句、俺自身が求婚して、内縁の嫁さんにしてしまった。
状況が最悪だ。
「グレイ、顔が真っ青だよ? 本気で大丈夫?」
「あ、ああ。全然平気」
気づくと、背中が冷汗で湿っていた。
獣毛を通して顔色が解るのだから、余程やつれているに違いない。
「そ、そのサ。どっかの喫茶店にでも寄ってかない?」
「え…だって、もう着いちゃたのに?」
万事休す。
グレイは尻尾を巻いて、どこかに消えたいと切実に思った。
どことなく落ち着かなくなったスゥは、無意識に前髪を撫で付けたりする。
開店休業の玩具屋のサンルーフを抜け、取り合えず庭園にスゥを連込む。
スゥを残して家に駆け込み、カムイ達に釘を押そうとしたわけだが、カムイ、ミリュウ、ローン、フィズの全員がお茶をしていた。
それは、カムイ達にとっても唐突だった出来事なのか、表情が凍り付いている。
スゥは友人達に手を振ると、最愛の兄に、極自然を装って微笑みかける。
「ちわ、兄貴。お邪魔…するね?」
思わず返事を返しかけたカムイは、僅かに表情を歪ませる。
ローンは、それが感情を押し殺す仕草である事に思い至る。
場に満ちた奇妙な緊張感に気づかぬスゥは、抱えた紙袋を叩く。
「後で、台所貸してくれるかな? 栄養たっぷりのアイリッチュシチューを作って上げるから。ちゃんと、料理も勉強したんだからね」
言い終えたスゥだが、誰もが言葉を失っているのに怪訝な顔をした。
いち早く我に帰ったフィズは、反射的にミリュウの存在から注意を逸らそうと、場を盛り上げようと声を上げる。
「お、俺としちゃ、魚介類煮込みよか肉の方がいいよなあ! な、ローン」
「そっ、そうですわね! 私、菜食主義者なんですけれども」
「またまたぁ! この間、肉まんじゅう買い食いしてたじゃん」
「だって、お饅頭は別ですもの」
傍から見れば漫才じみたやり取りをする親友二人に頭を抱えたスゥだったが、カムイの隣で佇んでいる見知らぬ女性に気づいた。
美しいプラチナブロンドの牙狼種の娘で、自分を形容しがたい視線で見詰めている。
それは、敵意と嫉妬の入り交じった瞳だった。
グレイとフィズとローンは、スゥがミリュウに向き合うのに息を飲む。
唐突に辺りが陰り、遠くで雷鳴が響いた。
「兄貴。………その人、誰?」
無意識にカムイの手を握ったミリュウに、スゥが気づく。
常にスゥの前でそうしてきたように、カムイは眠たげな表情で口を開き掛けた。
が、先に言葉を発したのはミリュウだった。
「私はミリュウ、姓は捨てた。わ、私は、カ………」
「実わァ!! 彼女、俺の許婚だったりするんだ! これが!」
いち早くミリュウのお嫁さん宣言を察知したグレイは、幾つもの選択肢の中から、最も信憑性があって、最高に墓穴を掘る言い訳を選んでいた。
思わず、フィズは天を仰ぎ、ローンは頭を抱えた。
吃りながら抗議しようとしたミリュウだったが、グレイの滑稽な程に切羽詰まった表情に言葉が出ない。
唇を歪めたカムイは、俯いて髪を掻いた。
呆気に取られたスゥだったが、何処となくほ…っとした顔で吹き出した。
「グレイ、結婚するんだ? 何で教えてくれなかった訳?」
「あ、あはは…」
「そっか、それで様子が変だったんだ。もぅ、吃驚したよ」
一応筋の通った釈明に、ひとり納得するスゥ。
最早、グレイは泣きそうな顔で、乾いた笑いを続けている。
ミリュウの側に立ったスゥは、爽やかな笑顔で握手を求めた。
「初めまして。ボクはスーシャイン=レイロード。カムイ兄貴の妹です。これから、よろしくね」
「おりゃあサ。更に爆弾でっかくしただけだと思うぜ?」
「………何も言うな」
「知りませんわよ、私達。責任持てませんからね?」
「言うなっちゅうの」
厨房に篭もったスゥの、ご機嫌な鼻歌が耳に痛い。
グレイを挟んでソファーに腰掛けた二人は、どっぷりと自己嫌悪に浸った恋人を責め続けてた。
結局スゥも、明日の探索準備に備えて泊まる事になった。
決して広いとは言えないカムイの家だが、一階に使っていない部屋が幾つか合った。
急遽、手入れされて、簡易宿泊所になる。
涙ぐましい努力の甲斐あってか、スゥの料理は会心の出来栄えであった。
負けを自覚したのか、ミリュウはフォークを握って落ち込んだりした。
グレイ及び、フィズとローンの仲介で、危なげな晩餐が終わる。
外の天候は、雷混じりの豪雨となっていた。
赤煉瓦を叩く雨音は、夜も更けた時分まで続く。
カムイはベッドに腰掛けたまま、机上の二振りの魔剣の微調整を済ませていた。
圧縮銀製の細身の剣は、カムイが知り得る限りの技術を施している。
竜の顎を象ったナックルガードに填められた魔玉には、使い手であるスゥのパーソナルデータが認識されている。
個人に限定された魔道具になるが、使用者の精気変換効率が上がる。
素剣自体、かなり高価な代物だ。
一方ミリュウの戦刀は、精練した鋼造りの代物だった。
鋼に直接魔力を乗せる事は出来ないので、精魔石を刀身の表面に刻んでいる。
ミリュウの希望で風の属性を宿らせている。
あくまで一時的な魔属化であり、使う毎に劣化していく。
ただし、当初の斬撃力は高い。
「ふぅ…」
溜息を吐いたカムイは、額の汗を拭った。
多少肌寒さを感じる気温ではあるが、湿度があるせいか寝苦しい夜だ。
一瞬走る閃光に、轟雷の響きが重なる。
嵐の中心に差し掛ったようだ。
カムイはか細いランプの明かりを、火種だけ残して落とす。
天井を振り仰いでベッドに横たわる。
独りきりの冷たいベッドに、妙な違和感を覚えた。
ミリュウが側に居てくれるのが、当たり前だと感じていた自分を戒める。
流石に今日は、ミリュウは自分の部屋に篭もっているはずだった。
安らぎを知らなければ、寂しさを感じる事もない。
無償の奉仕に甘んじていた気分を自戒する。
いずれ、別れがあるのならば、慰め合う以上の感情を抱かせてはならない。
カムイは、冷たくキリキリと痛む心臓を無視した。
豪雨の背景曲を、空っぽの脳裏に流し込んでいると、不意に扉がノックされた。
あくまで小さく。
人目を憚るように細やかに。
ランプの明かりを僅かに強めたカムイは、小さく諦めの吐息を吐いて立ち上がった。
「しょうがないな………ミリュウさんも」
台詞とは逆に、冷たい無表情を弛ませたカムイが扉を開けた。
が、迸しった雷光に照らしだされた少女を認め、驚愕の表情が凍り付く。
続いて地を震わせる轟音に、深夜の来訪者は微かな悲鳴を上げてカムイに抱きつく。
反射的に抱き留めた細い肩は、小さく震えていた。
「す…スゥ………どう、して…?」
擦れた声に、雷光と轟音が唱和した。
王宮の避雷針に落雷したのか、小さな地響きさえ感じた。
「いや…ッ」
スゥは腕に力を込めて震える。
石化したように動けないカムイは、幼い頃からのスゥの性癖を思い出した。
雷が大の苦手のスゥは、よくカムイに縋った。
あの日も、そうだった。
夜更けに襲った豪雨に、温もりを求めての雨宿り。
お互いが幼い心算でいた。
子供だった時分とは、変わってしまった自分達に気づかずに。
ただ、影と化したふたりは、不意の静寂に我に帰った。
乱雲の中心は、全くの静寂になる事をカムイは思い出した。
「…スゥ」
「ぁ…ご、後免」
カムイの呼び掛けに、慌てて抱擁を解くスゥ。
兄の顔を直視できないのか、俯いた前髪が表情を隠す。
「カミナリ、まだ恐いのか?」
僅かな挑発を含めたカムイの物言いに、赤っとなったスゥは顔を上げる。
「しょ…しょうがないじゃないか。嫌いなものは、嫌いなんだい!」
自分の気持ちを落ち着かせるためにもスゥから離れたカムイは、ベッドに腰掛けて大きな溜息を吐いた。
兄と同じように、乱れた動悸を隠そうとするスゥも、椅子に腰掛けて吐息を吐く。
そして、机上に並べられた、二振りの魔道剣に気づいた。
仕官の給金で貯めたお金で、初めて買った自分の剣を、兄の手に預けたのだ。
それは、あの日以来、自分を避けるカムイに対して、何でもいいから絆を作っておきたいという打算があったからだ。
スゥは、見事に生まれ変わった剣を、吸い寄せられるように手に取った。
刀身の先まで感覚が行き渡り、腕と一体になったかのような、魔道剣独特の手応え。
スゥは驚いていた。
感覚同調の馴らしもせずに、ここまで馴染むなどありえない話のはずだった。
「お兄ちゃ…兄貴、この剣………?」
「あ、ああ。面倒臭かったぞ。暇潰しに作った駄作だけど」
「………嘘吐き…」
何処となく動揺したカムイの様子に、スゥは密かに呟いた。
カムイが嘘を吐く時、耳の先が可愛く跳ねる事をスゥは知っていた。
魔道剣に触れれば解る。
カムイがどんなに苦労して、剣を魔鍛したのか。
たわいもない事で、胸の奥に沸き上がる嬉しさを抑えきれない。
ふふ…っと可愛く微笑むスゥに、髪を掻き毟るカムイ。
何時もの癖で、煙草をくわえて精神安定をはかる。
「あれ? 兄貴…煙草、吸うんだ?」
「ま、な。慣れると止められなくて」
「もう、不健康だぞ?」
鞘に納めた剣を大事に抱えたスゥは、諭すように言聞かせる。
大人振った物言いに、カムイは愁いを含んだ横顔を見せた。
「雷を恐がるお子様が、生意気言ってんじゃないの。大体、スゥは親衛隊騎士になるんだから、振る舞いには気をつけなきゃ駄目だ」
「それと、これとは…」
むくれたスゥは、口篭もってぶーたれる。
「もう少し、思慮深く行動しなさい。………夜更けに男の部屋を訪ねるなんて論外」
「お兄ちゃん!?」
冷たく突放したカムイの言い方に、スゥは驚いたように声を張り上げる。
「スゥも子供じゃないんだから、世間の倫理も解るだろう? 昔とは、違うんだよ」
「な…何故………?」
口調は優しいが、反論を許さない物言いにスゥは俯く。
剣を握った手が、小さく震えた。
「何でそんな事、言うの? そ…ばに居ちゃいけないの?」
「解るだろう?」
「何がぁ!? 全然解んないよ! どうして離れようとするの、お兄ちゃん!!」
目尻に涙を滲ませたスゥは、椅子を鳴らして立ち上がった。
が、カムイは困ったような顔で溜息を吐いた。
「騎士位につけば爵位も貰える。折角、貴族になれるんだから、自分に益の無い者と付き合うのは愚かな事だ」
微笑みさえ浮かべるカムイに、スゥは信じられない思いで頭を振る。
「俺には、もぅ…近づかない事だね。身辺調査で引っ掛かったら、笑えないだろう?」
「じゃあ、要らないよ!? 貴族になんかなりたくないよッ。ボクが騎士になりたかったのは、お兄ちゃんを…」
スゥの台詞を聞き流すカムイは、雨戸を開けて夜風を部屋に入れた。
冷たく湿って吹き込む風に、銀髪が纏うように靡く。
雨は、もう止んでいた。
「明日は晴れそうだね………。もう、部屋にお帰り」
「馬鹿…」
スゥはカムイの背中に呟いた。
「お兄ちゃんの馬鹿ぁ!」
扉が勢いよく閉じられ、花瓶が揺れた。
カムイはしばらくして独りになった部屋を振り返る。
血の気の引いて紫色に染まった唇から、噛み締めた歯で切れた血の筋が滴れる。
決してスゥに見せなかった横顔は、紙のように白く、冷たく染まっていた。
唇が釣り上がり、無機質的に歪んだ笑みが浮かぶ。
「は………馬鹿、か。馬鹿は、お前だよ…スゥ」
ヒィィ………っと燐光の残像を残して、斬撃が打ち込まれる。
ギャリ!ッと刀身が噛み合い、火花が散る。
「っ…はあぁ!」
肩掛けから胴を薙ぐ打ち下ろしが難なく跳ね返される。
が、剣先が跳ね上がって、防御の空いた脇腹に放たれる。
先の一撃の囮に体制の崩れていた所為で、受ける事が出来なかった。
飛びのいたが及ばず、ギュジ…と鋼甲が削り取られた。
指先で斬られた場所を撫で、切断寸前まで抉られている事実に恐怖した。
尻の穴が窄まり、背筋の毛が冷汗で濡れる。
尚も間合いを詰めて切っ先を向けるスゥに、グレイは慌てて模擬戦中止を叫んだ。
「待てィ!! 止めぇッての、スゥちゃん!」
自らの愛刀『狼牙』を投げ捨てたグレイに、スゥはようやく我に帰る。
肩で息をするスゥは、無意識に前髪を掻きあげる。
「ひゅ…随分荒れてるな。今日のスゥの剣筋」
壁に寄り掛かり、口笛を吹いたフィズにローンが答える。
「そうですわね。ちょっと恐いくらい」
カムイ邸の庭園で、魔道剣の馴らしを兼ねた練習中だ。
カムイが所用で登城している合間の暇潰しである。
明日に城下町を出、ファクナ迷宮街で一泊してから潜る予定だった。
「後免。グレイ、大丈夫?」
「いんや、平気だけどサ」
心配げに覗き込むスゥに笑みを返したグレイは、石畳に突き刺さった狼牙を抜く。
霊鋼製の巨剣を片手で担いだグレイは、改めて胸甲冑の傷に感心した。
「スゥちゃん、大分腕が上がったみたいだね? それとも、剣の力…っかな?」
「くす…きっと両方だと思うけど。神剣とは言わないけど、それ位凄い」
「まぁたまた。カムイの惚気にしか聞こえないぜ」
僅かに身動ぎしたスゥは、ぎゅ…っと剣の柄を握る。
指を立てたままお馴染みの自己嫌悪に浸るグレイだったが、何時もと違うスゥの反応に小首を傾げる。
声を掛けかけたグレイだが、振り返ったスゥの視線の先に気づいて顔が引きつる。
そこには、壁に寄り掛かって腕を組むミリュウの姿があった。
木漏れ日にプラチナブロンドを靡かせる牙狼族の娘は、新調された戦刀を脇に立て掛けて静かに睨み返していた。
「ぁ…じゃ」
空間に弾けるプラズマを感じたフィズは、顔面を覆って嘆息した。
おろおろと視線を彷徨わせるグレイが、何とも哀れに見える。
「ミリュウ…さん」
笑みとも見える微妙な表情をしたスゥが、静かに誘う。
「相手…お願いできる…かな?」
「ちょ! ちょっと…マ、マジ!?」
真っ青になったグレイが、助けを求めるようにフィズとローンを縋り見る。
だがしかし、ふたりにどうこうできる状況ではなかった。
「………承知した」
く…っと唇を歪めたミリュウの顔は、スゥの物と良く似ていた。
すらり…っと鞘から刀身を引き抜く。
血溝に添って掘り込まれた文様呪が、ミリュウの闘気の伝達に反応した。
不自然な空気の流れが刀身を覆い、風を巻き込んでいく。
グレイが止める間もなく、レイピアを構え直したスゥがミリュウと向かい合う。
殺気、とまではいかないが、類似した密度の高い緊張感に空気が震える。
スゥの構えたレイピアも、蟲の羽撃きにも似た響きを伴って発光した。
魔道剣と使い手の意識が同調すれば、付加した魔力が増幅される。
お互い無意識なのだろうが、試合というより、殺し合い並みに力が入っている。
フィズは冷汗を流して煙草を噛み潰す。
「ちょ…危険だぞ、マジっぽい」
「カムイ殿の腕、流石ですわね。初めて使うのに、ふたりとも完全同調値ですわ」
「今はやばいだけだろうがぁ!」
申し合わせたように刃が打ち合った。
鋼の鳴る硬質の響きに、魔力が反応して青白い火花を散らす。
互いに甲冑なしの身軽な体捌きで、縦横無尽に剣撃を交わす。
片や王国伝来の古流戦闘術、片や東方渡りの実戦武刀術。
型や技は違えど、見事に実力は伯仲していた。
いざとなったら身体を張ってでも止めようとしていたグレイも、まるで舞のような撃ち合いに見惚れていた。
スゥとミリュウも、思いの外腕の立つ相手に、何時しか奇妙な近親感を覚えていた。
何故かは理解不能だが、無性に引っ掛かるものを感じるスゥは、苛立ちと共に踏み込んで突きを放つ。
流れるような脚運びで躱したミリュウの、流れる長髪を幾本か切り落とした。
前に突っ掛けたスゥの側面から回り込んで間合いを詰めたミリュウは、スゥだけに聞こえる声で小さく宣誓した。
「カムイは…渡さない………」
思わず動きの止まったスゥの剣に、蛇が絡み付くような牙突が入った。
一際大きい残響に、空を舞うレイピアがグレイの尻尾に刺さった。
微かに痛覚を覚えたグレイが、雄叫びにも似た悲鳴をあげる。
思わず駆け寄って安否を気遣うフィズとローン。
実際、最近は騎士団模擬戦でも負け知らずだったスゥは、唖然と痺れた腕を抱えて尻餅を突いた。
背後に立ったミリュウは、澄んだ鞘ずりの音を響かせる。
「………私は本気だ。引く心算は、ない」