が来る!
― square of the MOON ―

短編 After Story





ラブラブな日々で行こう!
(Original Version)





Wednesday:

真言美ちゃんの悩める水曜日


後編










 コウヤとの超常バトルから一月が過ぎようとしていた。
 様々な傷を、そして思いと記憶とを残した戦い。
 だが、桜水台学園・天文部のメンバーにも賑やかだが、それなりに平穏な日常が戻ってきていた。










「…それでですねっ♪ モモちゃんはヤダって言うんですけど、私がお願いすると叶えてくれるんですよ。それもちょっと嬉しそうに」
「…」

 アタシは新しく注文した紅茶を啜りながら、窓の外に顔を向けていた。
 マナちゃんのトークはトリガーハッピー状態になってしまい、今や無差別に銃弾をばら撒いている。
 店内のお客さんの何人かは、被弾してテーブルに突っ伏してたりしてるわ。
 ―――正確には悶えているんだけど。
 恐らく無意識に漏れ出した『言霊』が、マナちゃんの感情を言葉に乗せちゃってるんだろう。
 要するにラブラブなイメージを、問答無用で精神に叩き込まれているのだ。
 アタシの『サトリ』の逆バージョンみたいな感じかな?
 周囲からの視線は、痛いを通り越して………切ない
 なんて言うのかしら?
 物理法則に我がままを言うつもりは無いんだけど。

 今ほど、
イデアの壁を創り出せたらと思った事は無いわ。
 そりゃね。
 マナちゃんとふたりきりになっても、それはそれで物凄く困るんだけど。
 このまま席を立って帰っちゃっても、マナちゃんは気づかずに殺人ライブを続行するんじゃないかしら?

「あれ…どうかしたんですか、鏡花さん?」

 ………駄目だった。
 というか、お願いだから帰らせて。
 亮の部屋でまったりとしながらお煎餅が食べたい。

「ちゃんと聞いてますか? 鏡花さん♪」

 亮の部屋に帰ってゴロゴロしながら、亮の何となく優しい心の唄を聞きながらうたた寝ていたい。
 …て、アイツの事しか考えてないのか、アタシは。
 大分マナちゃんに精神汚染されたみたい。

「ふう…全く鏡花さんときたら」

 マナちゃんが呆れたようにコッチを見てるけど。

「あ、あら…どうしたの? マナちゃん」
「イエ、いいんです。大体解りますから…羽村センパイのコトを考えてたんですよね? 鏡花さん♪」
「違うわよっ」

 う゛っ…動揺しちゃった。
 マナちゃんは『総てお見通しですよ、鏡花さん』みたいな笑みを浮かべていた。
 後で酷い目にあわせちゃうわよ?

「まったく、本当にセンパイ達はラブラブですね。側に居る私たちの方が毒気に当てられちゃいますよ」

 言う?
 その台詞をマナちゃんが言う?
 喋る核廃棄物みたいに毒素を垂れ流しているクセに?
 バルブの壊れたガスのボンベみたいに毒素を垂れ流しているクセに?
 いずみが作った深紅のトムヤンクンみたいな毒素を垂れ流しているクセに?

「………物凄く""の込められた電波を感じるんですけど」
「気のせいよ♪」

 というより、妙なモノを受信するのは止めなさいよね。
 黄色い救急車に連れて行かれるわよ?

「で、結局のところ、マナちゃんは何を相談したかったの?」
「はい? あ、そのー…えーっと、ですね」

 強引に話の本筋に戻すアタシの一言に、マナちゃんの視線が泳いだ。
 まさか、忘れたの?
 それとも、最初から悩みなんか無かったんじゃないだろうか?
 壮一との惚気話を、誰かに聞かせたかっただけ………とか。
 もしそうなら。

「明日の放課後は、壮一と一緒に
お仕置きのフルコース決定ね?」
「ち、違いますよ! といいますか、お仕置きは勘弁して下さいっ」

 物凄い冷や汗をダラダラと流して手を振るマナちゃん。
 失礼ね、何だかとっても失礼だわ。
 アタシだって分別はわきまえてる。
 亮を折檻する時だって、ちゃんと手加減してるんだから。

「えーっと、羽村センパイ………最近、よく
『半分死んでる』みたいな状況で登校して来られますが」

 シュレーディンガーの猫じゃないんだから。
 現に亮は生きてるんだから、それはつまり手加減してるってコトなのよ。

「………『強引に』拡張されたファジー理論ですね」

 小難しい話で誤魔化そうとしても、駄目よ。

「あぅ…要するに、その………もっと、構って欲しいな〜…と言いますか。もうちょっと、モモちゃんに優しくして欲しいな〜…と」
「…へえ?

 アタシの目は結構据わってたかもしれない。
 店内に入ってきた新客が、空き席を見回した格好でフリーズしてるし。

「実は憧れてるんですよ。鏡花さんと羽村センパイみたいな、自然で優しい関係みたいなのに」

 自然で、優しい…ね。
 どう、なんだろ?
 自分じゃ解んないものね。
 第一、亮の方はどう思ってるんだろう?

「アタシに実感は無いんだけどね」
「………鏡花さんは良いですよね。亮先輩は優しい人ですし」

 マナちゃんはセット商品のオマケについてきたマスコット人形を指先でつついた。
 それはアタシも知ってるグゥパーの新キャラクター『ツインティ-β』だ。
 マナちゃんが人形を、遠い目をしてコロコロと転がす。
 ふと。
 吸い込まれるような、逆に吸い出すような………意識が重なるように、もうひとつの風景が。
 これは…アタシの、火者としての『チカラ』。
 望まずに手に入れた、自分以外の想いを覚る力。
 自分では拒絶できない、それは一方的な記憶の受信。
 忌み嫌っていた『サトリ』の発現。











「やっぱり、子供っぽいですよね………私」

 私にも自覚はある。
 友達にも言われてるし、ママにも早く卒業しなさいなんて言われてたっけ。
 今までは気にもしていなかったけど、好きな男の人には子供っぽいなんて思われたくなかった―――
 羽村センパイだけには。

「別に気にする事じゃないだろ?」
「えっ…」

 ちょっとだけ考え込んだセンパイが、不思議そうに聞き返す。

「俺のクラスにだって、ジュースのオマケなんか集めている奴いるし」

 え〜と…私もジュースのオマケ、集めてたりするんです。

「ドッキリマン買ってる奴だっているんだから、それに比べりゃラッキーセットくらい―――」
「ドッキリ………私、買ってるんですけど…ドッキリマン…」

 正直に、言ってみた。
 怯んだ先輩の表情に、ちょっとだけ胸が痛む。
 やっぱり、センパイも子供っぽいって思うのかな?

「うっ…」
「ふぅ………やはりお子様ですよね…」
「ド…ドッキリだろうがガックリだろうが。好きなモノに年齢なんか関係ないって!」

 額に汗とか浮かべたセンパイが、必死に弁護してくれる。
 気を使われても、逆に傷つくコトだってあるんですよ、センパイ?
 だから、私は自分でも呆れたような顔を作って苦笑いした。

「いいですよ…そんなにフォローしてくれなくても…」
「お、俺だって朝よくあれ見てるぞ!」

 だけどセンパイは、諦める事無く真剣に話を続けてくれる。
 本気で、話してくれている。

「梵キッキですか?」
「えっと、そうかな…うん、それだ」

 嘘でしょ?
 センパイが梵キッキを見てるとは思えない。
 でも、そんな必死なセンパイの顔はとっても面白くて、優しくて。
 こんな人と一緒に居られたら、凄く素敵な事なんだと。
 そんな風に感じた。

「ああ、私も見てますよ!」











 ………そっか。
 そんなコトがあったんだ。
 うん、別に動揺してる訳じゃない。
 でも………正直、知りたくなかったかな。
 マナちゃんの中でも、今では『良い思い出』としての記憶みたい。
 亮だって、マナちゃんに下心があった訳じゃない。
 それどころか―――マナちゃんから恋愛感情を向けられていた事すら気づいてない。
 いずみもマナちゃんも、多分…亮の事が好きだった。
 少しだけ胸が痛い。
 亮が選んだのはアタシ。
 亮が好きになってくれたのはアタシ。
 でも、アタシはふたりの心を知って、亮を独り占めしようとしなかったのだろうか?
 フェアだと言い切る自信が、無い。
 皮肉、かな。
 『サトリ』なんて力を持ってても、自分の心も解らないなんてね。

「………どうかしたんですか? 鏡花さん」
「ん。何でもない。そろそろ、出よ?」
「あ、はい♪」

 何故か、マナちゃんの顔を見れない。
 久し振りに、自分の力が………疎ましかった。










 外は夕暮れを越して、夜の帳が下りていた。
 結構、長い間ワックで話し込んでたみたい。
 正確には、一方的に聞かせられてたんだけど、ね。
 アタシはマナちゃんと分かれた後、星空を見上げるようにして街を彷徨っていた。
 仕事帰りのサラリーマン。
 部活帰りの学生。
 買い物をしている主婦。
 外食にきている家族。
 そんな人の流れの中に居ると、却って安心する。
 流れ込んでくる様々な思考と感情。
 罵声、歓声、悲嘆、怠惰………。
 総てが混じり合って、逆に誰の『声』も聞こえなくなる。
 灰色のノイズの中を。
 泳ぐように流離う。
 誰でもない誰かの心に、アタシの心が塗り潰されていく。
 アタシの中の不安も、自己嫌悪も………
 でも。
 多分。
 他の大事な何かも一緒に、曖昧な灰色に上書きされていくような。
 何かを失っていく焦燥感も、それすらも薄れて―――

「鏡花…っ!」
「…ッ?」

 アタシの名前を呼ぶ声に、『アタシ』が呼び覚まされる。
 自分が何処に居るのか解らなかった。
 空を見上げたまま街の中を歩いて。
 歩いて。
 歩いて。
 気づけば住宅街へ足が向いていたらしい。
 なんか………自分と、自分を含めた周囲が希薄だった。
 知っていて知らない街並。
 知っていて知らない月夜。
 知らないのに知っている人の顔、顔、顔………
 見た事なんか無い筈なのに。
 合った事なんか無い筈なのに。
 アタシは―――
 知っていた。
 視ってした。
 識っていた。
 アタシは―――
 アタシは―――
 アタシは―――…

電波でも受信してるのか?」
「誰がよっ!」

 アタシは目の前でひらひらと手を振る亮に、良い感じの角度でリバーブローを射れた。
 呼吸も呻き声すら出来ずに、その場に膝をつく亮。

「………全く、人がちょっと物思いに耽ってるってのに」

 腕を組んで、呆れたような表情を作って亮を見下ろすアタシ。
 でも、本当は………嬉しかった。
 怖いぐらいモノトーンに塗り潰された五感の中で、亮の姿が、亮の声が、亮の顔だけが『当たり前』に見えていたから。
 マナちゃんの事、笑えないかな?
 アタシも、こんな…自分を失いそうになっても、亮を見失う事が無いなんてね。
 ん?
 亮が蹲りながら、震える指先でチロを指差してる。

「で、電波じゃなければ…有線なのか?」
「チロ〜…ブーストぉ♪」
「シャー…(♪)ぎゅるるるるる!」

 亮のお尻に噛み付いたチロが、独楽のように高速回転する。

「はっ、早い! …て言うより痛い!」

 本当に懲りない男ね、我が恋人は。
 実はアタシにお仕置きされるのを、心待ちにしてるんじゃないでしょうね?
 どっちにしても、チロと新技を開発するのは、最近の趣味だし♪
 練習台には事欠かないしね。
 アスファルトに寝転がって、ビクンビクンしてる亮の元にしゃがみ込んだ。

「そういえば、どうかしたの? アタシのコト探してた?」
「…い、イヤ、偶然にな(探してた)
「ふ〜ん。どうしたのよ、一体?」
「…コンビニに買い物に(鏡花の顔が見たかった)
「へ〜え。欲しいものは見つかった?」
「…まあな。大したモノじゃ無いし(ああ…鏡花を探し出せたから)

 仏頂面で拗ねたように呟く亮を、なんていうか………撫で撫でしたくなってくる。
 今夜が満月でなくて良かった。
 多分、アタシの顔…今、赤くなってると思うから。

「アタシの事、心配になって探しに来たんだと思ったんだけどな」
「心配されるほど、弱くないだろ?(心配なんて…するさ)
「何よぉ、それは」
「鏡花が逆鱗に触れた相手を消してしまうんじゃないかって(鏡花が夜の中に消えてしまうんじゃないかって)
「…馬鹿?」
「馬鹿でした(馬鹿でもいい。鏡花と逢えたから)
「…ホントーに馬鹿ね」

 アタシは俯いて亮の頬を抓った。
 何を考えてるんだこの男は。
 ちょっと、今のはキタぞ。
 指先にちょっとだけ力を込めてから、軽く小突いた。

「………いい加減、立ちなさいよ。風邪ひくわよ?」
「そ、そうだな(もう少し観賞させて頂きたい)
「って、アンタって男は」

 しゃがみ込んだアタシは学生服だったから、当然スカートだった。
 拳を握り締めたアタシだったが、何か可笑しくなって亮の頬をつついた。

「スケベ」
「…う゛っ(確かに否定は出来ぬ)
「大体、下着姿なんて見慣れてるじゃない?」
「…それはそうかも知れませんが(これはこれで好きなんです)
「ハァ………別にいーんだけど」

 少しは取り繕いなさいよ、アンタも。

「で、立つの? 立たないの?」
「ふっ………立ち上がりたいのは山々なんだが(別の部分が
勃ってしまったようです)
「チロ〜…いっぱいいっぱい♪」
「シャー…(はぁと)♪」
「か、勘弁して。ていうか絶対喜んでるだろ! チロ!?」

 え〜っと。
 その時の亮くんは、とってもイイ声で鳴きました。
 まる。










「………都合良く、終わらせるんじゃない」
「段々、回復が早くなってきたようね♪」

 嬉しそうに小首を傾げる鏡花。
 まさか、俺の耐久力を見定めて、どこまで虐待に耐えられるか試しているんではあるまいか?
 逃げるか?
 それとも退くか?
 退避するか?
 戦略的撤退?

「どうあっても逃げる事しか考えてないようね?」
「勝てない戦はしない」

 総てを見通した賢者の眼差しで、鏡花が俺を見下ろす。
「逃げられると思ってるの?」
「男には不可能にチャレンジする心意気が必要だ」
「へ〜え………」

 ああっ、鏡花が意地悪な笑みを浮かべていらっしゃる!
 甘えるように胸板に寝そべっていた鏡花が、そのまま上半身を起こした。
 背中に掛けられていた毛布が滑り落ち、余韻に火照った肌が露になった。

「んしょ…」
「う」

 微妙に腰を浮かせ、跨った位置を微調整する。

「さて。もう一回、同じ質問をしましょうか?」
「何の御心算りでしょうか?」
「…逃げられると思ってるの?」

 にっこり微笑んだ鏡花が、まるっきり同じ口調で繰り返した。

「何かと思えば…ああっ!」
「んふふ…イイ声で鳴くわね」

 妖しく微笑んだ鏡花が、妖しい台詞を囁く。

「な、何をした?」
「さ〜て…ね?」

 鏡花は両手で俺の肩を掴み、同時に脚を絡めてマウントポジションを固定した。

「アタシから逃げられると思ってる?」
「あの、鏡花さ…んあ、あ!」

 再び俺の股間から、痛みにも似た刺激が伝播した。
 大きく揺れたベッドが軋んだ。
 みっともない悲鳴が、俺の口から迸る。
 本気で恥ずかしいぞ、これは!

「アタシの気持ち………少しは解った?」

 いつもの勝気な鏡花の瞳が、確かに潤んでいた。

「毎晩、亮からこうやってイヂメられてるんだよ…」
「男と女では…あうあっ!」
「返事は『はい』でしょ…? 亮くん」

 形の良いベル型の乳房が、大きくたわむ。

「…ッ!」
「あ…ちょっと涙目になってる。可愛い、かな?」
「ちょ…鏡花!」
「でもね、許してあげない。亮だって…泣き出すアタシを無理やり押さえ込んで」

 あ、あれは!
 きょ、鏡花が可愛かったからで、ちゃんと謝ってるし!
 そんなに毎回という訳では―――あれ、考えてみると毎晩?

「………お仕置続行♪」
「勘弁っ………ああ!…あう!…はうあ!」

 鏡花が大きく身体を揺するたびに、ベッドと俺の悲鳴が唱和した。










「あ、アレね。いずみから借りた本で、ちょっと勉強したのよ」
「…勉強、ね」

 何て違和感の感じる台詞だ。
 というか、いずみさんから借りた書物って。

「そ。火者の里秘伝の『房中術』の本」

 また妖しげな努力を。
 全く、いずみさんも何でそんな本まで持ってきてるんですか、有難ういずみさん!

「お仕置きが足りなかったみたいね」

アレはアレで。………それに、途中から攻守逆転したじゃないか?」
「だ、だって」

 あられもない声を絞り出されていた鏡花は、隠れるように枕を抱き寄せる。
 御免な、鏡花。
 でも、夜のアドバンテージを手放す心算は全然ないけど。
 鏡花に対する、プライドの最後の砦、みたいなモノだし。

「…捨てなさいよ。そんなゴミは」
「まあ。奉仕して貰うより、俺自身が鏡花を愛してあげたいし」
「アタシだって………可愛がってもらう方が、好きだけど」

 呟いて、更に赤面する鏡花。
 ああっ、畜生…可愛いじゃないか!
 ていうか、無節操に元気になるんじゃない、我が愚息よ!

「アンタって、感情と…コレが直結してるの?」
「御免。自分でも最近、反省してる」

 覗き込むような鏡花の視線が、問い掛けるように絡む。

「アタシは………いいよ? お泊りでも」
「イヤ、延長料金は正直、痛い」

 行為に熱中して忘れていたが、ここはラブホテルなのである。
 道端で気絶した俺を、鏡花が引き擦り込んだのである。

「間違ってないけど、何か人聞きが悪いわね」
「苦学生には痛い仕打ちだぞ? ………最近、資金繰りが厳しいしな」

 まあ、主に鏡花とのデート代、ほとんど泊り込んでる鏡花の食費等で消費されるのだが。
 火者ってバイト料金は出ないのだろうか?

「妙に生々しいわね。………いずみに掛け合ってみようか? ま、アタシ達は正式な火者って訳じゃないんだから無理でしょうね」
「冗談だよ」

 贋物の火者、か。
 本物も贋物も、今の俺にとってどうでも良い事だ。
『火者とは覚悟が有る者の事だ』
 そんな祁答院の言葉を思い出す。
 信じあえる仲間とともに、惚れた女と夜を守る。
 今の俺には、その覚悟が有る、と思いたい。
 それだけで良い。
 誰かから与えられる資格は必要ない。

「でも、お金は欲しいと」
「………否定しない」
「じゃあ………アタシが部屋代、半分払おうか?」

 ご休憩料金分くらい、持ってるんだけどさ。

「じゃなくて………アパートの」
「…それって」

 えーと、つまり、正式に泊り込むという事は。
 同棲、ですか?
 確認を求めるように鏡花を振り返ると、睨みつけるような瞳が潤んでいた。

「亮が…ヤじゃなければ」

 嫌な訳は、無い。

「駄目………言葉で言って」
「…ヤじゃ、ないです」
「うん♪」

 その笑顔に、改めて鏡花が好きだと、確認する。

「でも、親御さんは大丈夫なのか?」
「う〜ん、多分大丈夫だと思うわ。ウチの両親は放任主義だし。亮の事は話してあるし…」

 親御さんに話………何なんだろうな、この汗は
 今更だけど、鏡花の両親に合った事はない。

「あ。そーいえば、一度顔見せぐらいは来て欲しいって言ってたわよ?」

 そこまで話をなさっているので?
 今もほとんど通い妻みたいな状況で、本当に今更なんだけども。
 いきなり散弾銃で撃たれる、なんて事は無いだろうか?
 早速覚悟がぐらつく俺だったが、鏡花の瞳は………マジメだった。

「手土産は和菓子でいーか?」
「うん♪」

 鏡花が嬉しそうに頷く。
 ふっ………何なんだろうな、この悲壮感は

「ま、いいっか。じゃ…行くか?」
「あ、待って」

 上着の袖を通した鏡花が、ベッドボードに置いてあったノートを開く。
 利用客の落書帳みたいなものだろうが、結構赤裸々な書込みがあったりする。
 また、悪趣味なお約束を。

「いいじゃない? 滅多に来ないんだし、記念にね」
「何の記念なんだ?」

 まさか、同棲記念日とか成立するのではあるまいか。

「名前書いてるカップルも結構多いみたいね」
「本名だけは勘弁しろよ」
「当たり前でしょ………て、結構本名っぽいのもあるみたいだけどね。うわ、ラブラブ傘…寒いを通り越して懐かしい。

『健人』『いずみ』だって」

「…」
「…」

 動きをフリーズした鏡花の背後から、問題のノートを覗き込む。
 だが、一番最初に目に入ったのは。
 ピンク色の蛍光ペンでデカデカと書かれた
『モモちゃん』『マナちゃん』の文字だった。


「…」

「…」

「…」

「…」


 本当に今更だけど、みんな何考えて生きてるのかな?

「………帰るか」
「………そーね」

 部屋を出る時。
 ふと思い出したように、鏡花は嬉しそうに微笑んで腕を組んできた。

「うん………『帰ろ』♪ ふたりと一匹で」




水曜日・前編へ♪  木曜日・前編へ♪