が来る!
― square of the MOON ―

短編 After Story





ラブラブな日々で行こう!
(Original Version)





Thursday:

祁答院の酔える木曜日


後編










 コウヤとの超常バトルから一月が過ぎようとしていた。
 様々な傷を、そして思いと記憶とを残した戦い。
 だが、桜水台学園・天文部のメンバーにも賑やかだが、それなりに平穏な日常が戻ってきていた。










「…すーぴー…チロぉ………やっちゃえ♪やっちゃえ♪やっちゃえ♪」
「…ひっく…くすす…えぐえぐ」
「…酒やあ! 酒ぇ買ってこんかい、兄ちゃん!」
「…五十六番、新開健人! わざわざ着込んだ羽村のジャケットをバンプアップして破きます!!」
「…(無言で腹筋をしている)」
「…うっしゃあ! 気分爽快、第二ラウンドの開始だぜ!!(抱き締めた便器の穴に叫んでいる)」
「…聞いて下さいよぉ。モモちゃんが…モモちゃんが…(郵便ポストに頬擦りをしている)」

 何と言うか………ここは
更に凄い地獄と化していた。










「物足りないわね………天文部対抗隠し芸一発屋大会!!」
もはや何が何なんだよ、お前は」

 突然、訳の解らない事を絶叫提案する鏡花に突っ込む。
 既に場は、場所を変えない二次会へと突入していた。
 なあ………皆、そろそろ帰ってくれないか?

「…四十四番、新開健人! 無理やり履いた羽村のGパンをバンプアップして破きます!!」

 着々と俺の服を駄目にしてる新開さんは、取り合えず置いておいて。
 クロゼットの中をカラにすれば自然に収まるだろうし。
 しかし、疲れた。

「ご苦労だったな、羽村」

 痺れた肩を揉み解していると、祁答院が料理の盛られた皿を手渡してくる。

「ああ…サンキュ」
「複雑な顔をするな、それはこちらで持ち込んだ物だ」
「いや、何で『ご苦労』なんだろうと思って」
「それは………そんなに重いものを担いでくれば、疲れるだろう?」

 祁答院の視線の先には、石のお地蔵様が鎮座していた。

「何だアレは」
「地蔵だ」

 祁答院の答えは簡潔だった。
 グラスいっぱいの純米酒を一気に呷る。

「何でお地蔵様が俺の部屋に居られる」
「お前が担いできたのだろう? どうしても必要だ、いや絶対必要なんだと駄々を捏ねてな。強情な男だ」


 …

 …

 …


 ふっ………全然
記憶に無い

 思い返すと、記憶が所々抜け落ちているようだな。
 ひょっとして、真っ直ぐ歩けないほどに部屋に溢れるオブジェは、俺が掻き集めて来たのか?
 天文部室にある意味不明のブツも、俺が?

「何を落ち込んでいる。私は誉めているのだぞ? これだけの数の重量物を担いで街中を走り回り、息切れ一つもしないとはな。私が居ない間も、修練を怠っていなかったのだな」
「止めろよ。頼むから」

 俺はフォークに突き刺したから揚げを口に放り込む。
 これ以上飲むのは危険だな。
 自分で酔っている自覚は無いのだが、そういうのが危険な状態なのだろう。
 アルコールにはそれなりに耐性があるつもりだったんだが。

「………祁答院は酒に強いみたいだな?」
「そのようだな」

 祁答院は不敵に微笑んでグラスの酒を呷る。

「何分、酒を飲んだのは今回が二度目だから勝手が解らんが………」
「おいおい!?」

 あれか、一回目は学園祭の打ち上げの時か。
 顔色や動作が変わらないから解らなかったが、実は危険な状態なのか?
 まあ、祁答院に限って………お。

「ハイ♪ 亮。いっぱいいっぱい飲んでる?」
「…ご機嫌だな、鏡花?」
「うん! まだまだこれからだもん………くー…すー…」

 いきなり寝るか?
 それも膝枕で。
 ったく………しょうがないな。
 テーブルに皿を戻しかけたが、寝返りをうった鏡花に手元がずれる。
 慌てて手を伸ばした先で、祁答院が素早くフォークを掴んでいた。

「…おっと、サンキュ」
「うむ。………お前が落としたフォークは、この金のフォークか? この鉄のフォークか?」

 至極マジメな目で俺に問い掛ける祁答院。
 何処に金のフォークがあるんだ?
 ていうか本当はだいぶ酔ってるだろう。

「あのな、祁答院…」
「正直に答えなければ返してやらん」

 鉄のフォークと答えれば、その戦闘態勢で構えたフォークを俺に突き刺してくるのか?
 正直者のご褒美に、二本のフォークで刺された自分の姿を夢想する。
 何故、俺を怖い目で睨むのでしょうか、祁答院?

「なんや、なんやあ! 盛り上がりが足りんなァ? 自分ら、加減してるんと違うかァ」

 一番正常に溺酔している(何だそれは)キララが、地獄のような俺の部屋を見回して肩をすくめる。
 なあ、これ以上盛り上がった世界って、どんな世界なんだ?

「………おわっ、眩しい。眩しいぜ…何だよ、この光に満ちた世界は!?

 百瀬が便器に顔を突っ込んで危険な台詞を連呼しているが、そーゆー世界なのかい?

「おっしゃ! こないな時はな―――野球拳や!!」
「また脈絡の無い」

 そんな正当性を求めるあたり、俺もだいぶ思考能力が退化してきてる。
 それにしても、野球拳ね………本当は何歳なのかな? キララ。
 言動が大分おっさん臭いぞ。
 しかし、宴会メンバーの半数が女性………ちょっとだけ止めたくない自分が嫌だな。

「したら最初の戦士は…」
「おう! 俺に任せろ!!」

 有無を言わさず戦場に足を踏み出す新開さんに、内心涙する。
 どうでも良いっスが新開さん。

 既に
ビルダーパンツ一丁で野球拳なんて正気ですか?
 不自然な笑顔で「マスキュラーポーズ」をするのは好い加減、慣れてきたんですが。

「せ、せやな、ほしたらチャレンジャーは…」
「…お、俺は負けねぇ…誰にもだ。ゴリポンなんかにゃ負けねぇぞ…」

 足とか腰とかガクガクさせた百瀬が、便所から復活してきた。

「ほう………百瀬にも火者としての覚悟が出来ているようだな?」
「ふ。良い根性だ」

 覚悟とか、根性とか言う前に、誰か
介抱してやれよ。
 顔色が信号機みたい。
 女性陣は―――

「…くすくす…えぐえぐ…うふふ…」
「…」

 ひとり百面相してるいずみさんは怖いから放って置いて。
 テーブルに突っ伏している真言美ちゃんが、何か呟いているみたいだ。
 耳を傾けてみると―――

「…寿限無寿限無五劫のすり切れ海砂利水魚の水行末雲行末風来末食う寝る所に住む所ヤブラ小路ブラ小路パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナ…」

 じゅげむ、か。
 そういえば、呪文を詠唱する早口言葉の練習しているとか聞いた事がある。
 無呼吸で詠唱してるのが、怖い。
 それはそれで凄いけど。

「…野ぁ球ぅ〜をすぅるなら〜ぁ♪」
「本当にするのかよ………」
「…こぅ〜ゆぅ〜具合にしやさんせ〜、アウト! セーフ! よよいの、よい!!」
「パー!(こめかみに血管を浮かび上がらせて)」
「グー…(今にも何処かに召されそう…)」

 喜びを込めた「アブ&サイ」ポーズでバンプアップする新開さん。

「…お、俺が負けた…?」
「…勝てや、モモの兄ちゃん。正直、これ以上ウチも見とう無いわ………」
「解ったぜ…俺も男だ。脱いでやるさ! さあっ、次の勝負だ!!」


 …

 …

 …

 …

 …

 …


 上着を千切るように脱ぎ捨てた百瀬を、俺たちは沈黙して見詰めていた。
 なあ………百瀬。
 その、全身に刻まれた
鞭の痕は何なんだい?
 真言美ちゃん………今日ほど君を凄い、と感じた日は無かったよ。

 なんていうか、
立派にマルチファイターだね。

「………百瀬、服を着てくれ」
「な、何でだよ?」
「モモの兄ちゃんの圧勝や…」
「ま、負けた………俺は、俺は」

 何を、どういう基準で競っているのか知らないが、兎に角、静かになってくれるならどうでもいいです。

「…ぉ…ぅ……ぅオゥオゥ………」

 遠い目で真言美ちゃんを見詰めていると、何やら妖しげな呻き声を漏らしていた。
 気持ち良さそうにテーブルに突っ伏している真言美ちゃんに耳を寄せる。

「…六甲颪に颯爽と蒼天翔ける日輪の青春の覇気美しく輝く我が名ぞ阪神タイガース!!オゥオゥオゥオゥ…阪神タイガース!!フレフレフレフレ…」

 まさか、こう来るとはな………六甲颪、か。

 
国歌斉唱だな。

「ふっ………本当に変わらないな。お前達は」
「悪かったな、祁答院」

 苦笑してグラスを傾ける祁答院に、半分皮肉、半分本気で頭を下げる。
 だが正直、別の意味で変わってしまったと思うんだが………
 俺はたまに、みんなの事が酷く遠くに感じるよ。

「いや、嬉しいんだ私は、多分………。ここには私の居場所がある。そう…思わせてくれるから」
「何、言ってんだよ」

 手に入らない宝物を眺める子供のような。
 そんな眩しげな目でみんなを見詰める祁答院に、拗ねた餓鬼のような変な声が出た。

「あるに決まってんだろ、居場所なんてここにも何処に居たって、祁答院は俺たちの大事な仲間で、大事な人ってのは好きな奴だって事だから、側に居て当たり前なんだ………………………て、何を言ってるんだ、俺は」

 実は大分酔っているようだな、俺。
 頬を染めて恥ずかしげに顔を逸らす祁答院、なんて幻覚を見るくらい酔っているようだ。

「有難う………羽村」
「い、いや」

 幻聴まで聞こえるようだ。
 何も悪いコトはしてないはずだが、この後ろめたさは何なんでしょうか。
 膝の上で大人しく眠っている鏡花さんがとても怖くて背筋が凍る感じですね。

「り、料理が足りないみたいだな。俺、なんか作ってくるわ」
「………台所は百瀬が占領してるようだぞ?」

 チィ、百瀬の奴め。
 大人しく便所に住み憑いていれば良いものを。

「仕方ないな。コンビニで適当に買ってくる」
「………さっきもそう言って出かけたが、真っ赤な郵便ポストを抱えて帰ってきたぞ?」

 ふっ…記憶に無い。
 故に反省のしようが無いな。

「えっと、えーっと、それじゃ…」
「何を焦っている? まあ、材料はある事だし、私たちの部屋で作れば良いだろう?」
「隣でか?」

 良く考えれば、祁答院とキララの部屋は隣部屋だった。
 荷物の整理が終わっていないにせよ、キッチンを使わせて貰うくらいならば。

「そうだな………ちょっと借りれるか?」
「良いだろう」

 膝枕で眠りこける鏡花に内心謝り、二つ折りにした座布団を代わりにする。
 買い置きした食材は、スーパーのビニール袋に入ったまま冷蔵庫の脇に置いてある。

 俺は
地獄から逃げるように外に出た。










「ふぁ………夜は少し冷えるな」

 俺は綺麗な銀色の月と、だいぶ存在色の薄れた真月を見上げて伸びをした。
 夜空を見上げる度に、改めて感じる。
 ―――僅かな誇らしさと、確かな仲間への信頼を。

「………多少、喧しい仲間だがな」
「祁答院…良いんだぜ? 飲んでても」
「部屋の鍵も持たずに出るからだ………第一、女性の部屋にお前ひとりを入れる訳にはいかんな」

 少し前までは、絶対口にしなかった冗談で苦笑する祁答院は、優しい顔をしていた。

「あー…俺、そんなに信用が無いかな?」
「皆から色々、話は聞いているからな」

 祁答院はポケットから取り出した鍵で、隣部屋の扉を開ける。

「羽村は女性の下着に異様に執着があるとか。………個人の趣味をとやかく言うつもりは無いが、私やキララの下着を頭に被って、夜な夜な街を練り歩かれては堪らん」
「…」
「違うのか?」

 握り拳を震わせる俺に、怪訝な顔をした祁答院が至極マジメに問い掛ける。

「俺にそんな趣味は無い」

 無い………筈だ。

 
少なくとも記憶には無い。

 誰か無いと言ってくれ!!

「では、女性物の下着を装着して、夜な夜な街を練り歩くという趣味は本当か?」
「俺にそんな趣味は無い!」

 無い………筈だ。
 少なくとも記憶には無い………
 俺は流し台に手を突いて、必死に自己否定を繰り返していた。

「だ、大体、誰からそんなデマを聞いてるんだ?」
「鏡花だ」
「あ、あのアマ…っ」

 まな板に突き立てた包丁が震える。

「他にも色々と聞いたがな………。鏡花の口から聞けたのは、お前のコトばかりだったよ。正直、羨ましいと…思った」
「…え?」

 俺は振り向いた姿勢で、硬直した。

「けっ、…祁答院!?」
「どうした?」

 祁答院がいつもと変わらぬ調子で、背後に立っていた。

「そっ、…そそその格好は」
「? 顔が赤いぞ? 酔っているのか…羽村」

 祁答院の手から脱ぎ捨てたTシャツが滑り落ちる。
 現在の祁答院の服装は、いつもの黒地のGパンに、ブラだけの半裸なのである。

「な、何故脱ぐ?」
「私も不本意ながら、多少は酔っているようだ。熱い」

 何でもない事のように言って腕を組む。
 そうか…そうだったのか、じゃあしょうがないな。
 混乱した頭をフル回転させて、自分に暗示をかける。
 そうだ…料理を作らねばならない。
 まな板に向き直った俺は、背後からのカチャカチャ…という音に再度硬直した。

「な、何故Gパンを脱ぐ?」
「熱いからな…」

 これは、ひょっとして、物凄くマズイ状況なんではあるまいか?
 ウィンナーを加工して蛸さんを作ってる場合では無い。
 だが、俺自身アルコールの侵蝕が著しい。
 状況の打開案を必死に思案しながら、両腕は素早く鶏肉を串に突き刺している。
 思考と身体の制御が一致しないな。

「な、何故歩み寄ってくるのですか?」
「寒いからな…」
「…だったら、服を、着て…くれ」

 下着姿の祁答院が、触れ合うギリギリの距離で立ち止まる。
 俺は流し台に磔にされるようにして、言葉と行動を停止させられた。

「エプロンが似合うな、羽村」
「祁答院も白が似合ってるな」

 馬鹿な会話をしてる事は、頭の片隅で何となく解った。
 だが、言葉に嘘は無い。
 祁答院のイメージ―――それは黒だった。
 他の色と混じる事も無く、一切の妥協を省いた清廉とした単色。

「羽村…」
「………待った!」

 伸ばされる指先を留めるように、祁答院の手首を掴んだ。
 その瞳が潤んで見えるのは、酔いの為か………それとも?

「何故…止める? 私には魅力が無いか?」
「そんなじゃない」
「抱きたい、と………思ってはくれないのか?」

 あれだ、これは俺を陥れようとするトラップに違いない。
 調子に乗って素っ裸になった瞬間に、ビデオとプラカードと
殺人武器を手にした鏡花がご降臨されるに違いない!

「酒の席での冗談にしろ、洒落がきつ過ぎるぞ、祁答院」
「うむ。気にするな………本気だからな」

 なお悪いです。
 さり気なく腰を押し付けてくるのは………嗚呼!なんかとっても、嗚呼!俺の畜生っ。

「羽村…お前が好きだ」
「御免っ、祁答院! 俺は鏡花が好きなんだ」

 鏡花を引き合いに出すのは卑怯かも知れないが、俺が本気で惚れたのは確かに鏡花だったから。
 俺には鏡花を裏切れないし、裏切るつもりも無い。
 そして、その事をはっきりと告げる事が、俺を好きだといってくれた祁答院に対する誠意になると思ったから。

「うむ。問題は無い………承知しているからな」
「………何ですと?」
「お前が鏡花を愛しているのは知っている。お前の部屋で同棲を始める事もな。将来を前提にした挨拶を両親に済ませているとか、七荻家には既に羽村の部屋が準備してあるとか、な」

 なあ………誰から聞いたんだ、祁答院。
 もしかしなくても鏡花なのかな?
 最後の当たりが妙に生々しいんだけど、もしかして冗談とか妄想とかじゃなくて、
リアルなのかい、鏡花?

「大丈夫か、羽村? 顔色が真っ青だぞ」
「と、取り合えずそれは置いておいて………あの、俺は、鏡花が好きなんですけども?」

 うん、大丈夫だ。
 鏡花への信頼は揺らいでない―――偉いぞ、俺。

「だから、問題は無いと言っている………二番目で良いからな」
「………もう一度言って貰えませんか?」
「だから、問題は無いと言っている………二番目で良いからな」

 一言一句、同じ台詞を繰り返されても、困る。

「所謂、愛人という奴だな」
「…何故にそんな考えが浮かぶ?」
「羽村が鏡花を気に掛けているのは知っていた。最初は諦めようかとも思ったのだがな。で、キララに相談してみたのだ………」

 絶対、相談する相手が間違っている。
 というか、年下の被保護者に何の相談を持ちかけてるんだ、祁答院。



『好っきなもんはしゃあないやろ? そない、簡単に諦めてどないすんねん。欲しいんなら寝取ってしまえば良いやん。負けた方が愛人になれば良いだけや。少なくとも同じ土俵に立つ事が大事なんや!』



「―――だそうだ。………私も、もっともだと」

 ―――納得するなよ。
 それより、キララ。
 一度じっくりと話し合いをする必要がありそうだな?

「そういう訳だからな………気にせずにしよう」
「俺は気にする!」
「気難しい男だ。さっきは私を大事だ、好きだ…と言っていたではないか?」
「そっ、それは…否定はしないが、微妙に意味合いが。………第一、鏡花が納得するとは思わん!」
「つまり、鏡花が頷けば問題は無いのだな?」

 祁答院も命知らずな事を考える。
 鏡花を説得…それ以前にこんな話を聞かせること自体が
死亡遊戯だと思うぞ。

「うむ。………では、どう思う? 鏡花」
「え?」

 祁答院の視線の先には、玄関の扉。
 うわぁ、凄っごい冷や汗が出てきた。

「逃げたら、このまま羽村を押し倒すぞ?」
「…それは駄目!」

 激しく押し開かれた扉の向こうから、悲鳴にも似た制止の声があがった。
 玄関の明かりに照らし出される明るい色の髪に、ちょっとだけ呼吸が止まる。

「き…鏡花?」
「…亮ぉ…」

 泣きそうな目をした鏡花に心臓が軋む。

「ちがっ…鏡花、違うんだ!」
「ふっ、想い人を泣かせてはいかんな、羽村」

 皮肉かとも思ったが、祁答院は至極マジメに諭してくる。

「なあ………何処までが本当なんだ、祁答院?」
「私が冗談を好まないのは、お前たちも良く知っているだろう」
「本気なの………? マコト」

 鏡花が真剣な表情で詰め寄る。
 少なくとも、酔いは醒めているようだ。

「済まんな、鏡花。どうやら私はこの男が好きらしい」
「胸を張って宣言されても、困っちゃうんだけどね」

 鏡花も心無し毒気を抜かれたように、眉間に指を当てた。

「………大体、マコトはこの馬鹿の何処が好きなの?」
「うむ。総てだな。器用なフリして不器用な生き方とか、融通利かない馬鹿なところとか、自分の事より他人の事を優先してしまう間抜けた性格とか。全部ひっくるめて好きだ」

 ふっ…赤面する以前に、落ち込む。
 鏡花も怯んだように納得しているが、フォローしてくれ。

「………それって、ベタ惚れって言うんじゃない?」
「うむ。キララからも言われたな。自分では良く解らんが」

 祁答院………あの関西製の小悪魔に相談は、やめろ。
 それより、会話に置いてけぼりされているような感じがするのは、気のせいなのだろうか?

「でも………駄目だからね。亮はアタシの物なんだから」
「承知している」

 俺は『物』扱いですか、鏡花さん?
 だが、口に出しては言わない。
 口出しをすると彼岸に旅立つ羽目になると、俺の
守護霊が警告している!

「どうでも良いけど、明後日の方向を見るのは止めなさいね。亮」
「………俺の酒飲み友達を否定するは止めて貰おう」

 『彼』が見えると言う事は、俺もやはり酔いが回っているようだ。

「だから、私は愛人で良いと言っているのだが」
「ふざけないで!」
「私はマジメだ」

 嗚呼っ!?
 我が心の友が、ブルブル震えながら逃げ去っていく。
 俺も一緒に連れて行って頂きたい。

「ふむ………自信が無いのか? 鏡花」
「な、何ですって?」
「こう見えても私は、床上手だという自負がある。羽村を満足させてやる自信も、な」

 鏡花の顔が羞恥に、そして怒りに染まっていく。
 だけど、祁答院。
 セックスの満足感ってのはテクニックオンリーじゃないと思うぞ?
 本当に好きな相手と身体を重ねる、ってのが精神的な気持ち良さだと思うのだが。
 顔を赤くしたままの鏡花が照れたように頬を膨らませて………拗ねた。

「………要するに、アタシが下手糞だってコト?」
「そんなコトは考えておりませぬ」
「繰り返し言うが………私は本気なのだぞ?」

 祁答院の瞳が―――泣きそうに潤んでいた。
 俺は、そして鏡花も怯んだように顔を見合わせた。

「ずるいよ………マコト」
「無茶を言っているのは自覚している。だが、もう自分でも自分をどうやって抑えたら良いのか解らない………」
「そんなに…亮を愛しちゃったの?」

 祁答院の手を優しく握る鏡花。
 俺は………御免、鏡花。
 多分、顔が真っ赤になってると思う。

「本当に………良いの?」
「済まない………だが、私には総てなんだ」
「絶対に後悔するよ? マコトも…アタシも…」
「後悔する事も出来ないのは………もう、嫌だ」
「…うん…そう、だね」

 鏡花が祁答院の手を握ったまま目を瞑り、一瞬だけ身体を震わせた。

「御免ね………アタシ、解っちゃうから」
「良いんだ…鏡花は知っていてくれ」

 何だか解んないんですけど、ひょっとして俺に関する事を話していらっしゃる?
 『逃げろ!』と遠くで俺の守護霊が喚いているんですが。

「と、いう訳で………亮」
「何でしょうか、鏡花さん」

 逃げ切れませんでした。
 俺は直立不動で、鏡花と祁答院の前に立ち尽くした。

「そんな訳だから目を瞑りなさい」

 どんな訳で?
 視覚情報の無い状態で、俺に痛打をお見舞いするつもりですか?

「目を潰されるか、自分から目蓋を閉じるか………選びなさい」

 俺に選択権はありませんでした。
 鏡花さんの目は、限り無く真剣です。
 目を瞑った俺は覚悟を決めて、全身の力を抜いた。
 殴られた時のダメージは、脱力していた方が少ないからな。

「途中で目を開けたら………刺すわよ?」
「了解………ッッ!??」

 警戒していた所為だろうか?
 最初はその感触を、痛みとして認識した。
 反射的に目を開けてしまった。
 そこには、ナイフを構えた鏡花ではなく、目を閉じた祁答院の顔が迫っていた。
 というか、俺たちはキスをしていた。
 あ―――睫が長いな、祁答院。
 じゃなくて。
 身体を退こうとした俺の気配を察したのか、祁答院の手が俺の両腕を掴む。
 ああっ…唇が、祁答院の唇がっ、嗚呼! ちょっとだけ気持ち良いんですけど!

「ふぁ………羽村」
「け、祁答院…っ? きょ、鏡花っ…これは!」
「慌てない慌てない」
「な…何故、脱ぐのですかっ、鏡花さん!」

 薄手のトレーナーを頭から抜いた鏡花が、悪戯っぽく小首を傾げる。

「熱いから♪」

 俺は寒いです。
 というか、背中は冷や汗でべっとりなんですけど。

「マコトだけ半裸、ってのもフェアじゃないからね。アタシも取り合えず脱衣してみたりして」
「実は酔ったままなんだろう! 鏡花っ」
「そんなの………決まってるじゃない? もしかしたら、記憶とか無くなってるかもね。そうなったら亮が
凄い目に合いそうだけど♪」
「羽村…逃げるな」

 窓から飛び出そうとした俺を、背後から祁答院が羽交い絞めにする。

「覚悟を決めろ」
「無茶を言うな。冷静になろう冷静に…………………何故ズボンを脱がすのですか!?」
「フェアに行かなきゃね、フェアに」

 祁答院に拘束されたままの俺のズボンを、鏡花が手馴れた手つきで剥いでいく。
 鏡花を押さえようとした隙を突いて、祁答院が上着を一瞬にして剥ぎ取っていく。
 その手際の良さは、三途の川で亡者の服を剥ぐ脱衣婆’sみたい。
 何故に手馴れていらっしゃるのですか、おふたりとも?
 中学生とか裏路地に引き込んで、カツアゲと称して身包み剥いでたりしてるのか?

「………ふ〜ん。お仕置きが必要みたいね?」
「………そうだな。お仕置きが必要だ」

 うわぁ、すっかり意気投合していらっしゃるんですね。
 美女ふたりに迫られて、何で死の恐怖に怯えなきゃならんのだろう。

「「さあ、お仕置だ(よ♪)」」










「んっ…亮ぉ…」

 鏡花が甘えた声を漏らして、キスの続きを求める。
 今の俺は主導権を握る、なんて考える余裕すらなかった。
 呼吸をするのが、ただ苦しい。
 溺れているみたいに。
 親に甘える子猫のように、餌をねだる雛のように、鏡花の口づけが繰り返される。
 ソレはいつもより熱烈で、切実だった。
 俺は仰向けに寝かされたまま、左手を伸ばして四つん這いの鏡花を抱き寄せた。
 腕の中で微かに身じろぐ感触。
 これは………照れてるのか?
 頬を染めた鏡花が、拗ねたように二の腕を抓ってくる。

「…馬鹿」

 だが、妙な新鮮さを感じて、物凄く可愛いんですけど。

「…羽村…ぁ」
「大丈夫だよ…祁答院」

 泣きそうな、迷子の子供のような祁答院の囁きに、その掌を握り締めた。
 何が大丈夫なのか、俺にも良く解らなかったが、祁答院は安堵したように目を瞑って再び腰の動きを再開する。
 小刻みに、揺れる鳥の羽のように、俺に跨ったまま小さく身体を揺らし続ける。
 とても控え目な、何かに怯えているような慎重さで。
 何が怖いのだろう?
 左腕を抱え込んだ鏡花が、キスの合間に悪戯っぽい瞳で問い掛ける。
 『解らないの?』、と。
 正直、解らない。
 しいて言えば、自分たちの置かれている状況も含めて。

「…いつもより元気になってる癖に」
「…御免、否定できないっス」
「ャ…羽村…羽村」

 祁答院が再び泣きそうな瞳で、組み合わせた左掌を強く握り締める。
 理由は解らないけれど、この子を悲しませるのは嫌だな。
 幼さを感じる祁答院の仕草が、普段のイメージとあまりにも掛け離れていて。
 そんな風に考えてしまう。
 だけど、同時に感じるのは………多分、後ろめたさだ。
 そんな背徳感に昂ぶってしまってる自分が、浅ましい。

「羽村、羽村っ…私…わたし」
「あ、ああ…俺もっ、だ」
「や…うあ! ………ぁ」

 祁答院の鍛えられた、だけどしなやかな野生の獣のような太腿が、俺の腰を挟みつける。
 跳ね上がる尻が押し付けられたまま、仰け反った祁答院の乳房が震える。
 熱い泥の中に沈み込んだ身体の一部が、搾られるような刺激に爆ぜた。
 肉欲の中で果てている間中、鏡花の観察するような視線を顔に感じていた。
 逃げる事も出来ず、ただ羞恥心に目を瞑って時を堪える。
 その所為か、随分と長く感じた射精感に奥歯を噛み締めた。

「は………あ」

 最後にブルリと痙攣した祁答院が、力尽きたように胸板の上に倒れ込んできた。
 シーツに広がる栗色の髪を、指先で梳くように撫でる。

「…合格、っかな? 最後はちゃんとマコトのコトを想ってあげてたね♪」
「ッ…です」

 鏡花に嘘は吐かない。
 例え総て心を見られていても、それは約束で、俺自身の誓いだから。
 そんな俺たちの表情を、祁答院がまた子猫みたいな瞳で覗き見ていた。

「う゛………こーゆーマコトは、ちょっと可愛いわね」
「…」
「何をぼぉーっとしてるのかな、亮くぅん?」

 抓っていた腕に爪を食い込ませる鏡花さん。

「………あ。また…おっきく」
「………亮?」
誤解だ

 鏡花の冷たい瞳が俺を睨む。
 断じて誤解だ―――と思いたい。

「ん…羽村ぁ」

 俺の身体に寝そべるように跨る祁答院が、擦り付けるように尻を蠢かす。
 それは性交というより、甘えるような。
 猫が身体を摺り寄せて匂い付けをするような、本能的な仕草に感じた。

「待って、マコト」
「ん…ャ」
「約束でしょ? 次は私の番だもん」

 誰が約束して、どのような取り決めが成されたのでしょうか。
 少なくとも俺に選択権が無いのは確かだった。
 祁答院は僅かに唇を噛んで、名残惜しそうに上から降りた。
 拗ねたように胸板に爪痕を刻む。
 こう…仕草がいちいち、可愛いんですが。

「…ふ〜ん。随分とマコトにご執心みたいね?」
「だからっ! 俺には状況とか、何がなんだか」
「往生際が悪い」

 同じように腰の位置に跨った鏡花が、後ろ髪を梳くようにして胸を張った。
 けして大きい訳じゃないが、酷く形の良い胸が弾むように揺れる。
 祁答院とは違い、気位の高いシャム猫、もしくは女王様みたい。
 嗚呼っ!
 鏡花さんが底意地の悪そうな微笑を浮かべている!

「へえ? 偉くなったものね、亮も。アタシとマコトの身体を比べるなんて、ね?」
「羽村…?」
「ちっ、違うって!」

 右腕を抱え込むようにして丸くなっていた祁答院が、不安げな瞳で問いかけている。
 あの、鏡花さん?
 その握り締めたストップウォッチで何をなさるおつもりで?
 ていうか何処から取り出したんだ。

「それじゃさ、アタシとマコト………どっちが『イイ』の?」
「…くぅ!」

 からかい口調の詰問。
 だけど、その瞳は半分以上マジメだった。
 くっ…祁答院の目も真剣っぽい。
 この状況で、俺に選択せよ、と?
 どっちを選んでも、俺………
物理的に死ぬぞ

「ま。………答える訳ないわね」

 優しい鏡花の台詞に気を緩めた………愚かな、俺

「マコト、押さえててね」
「…承知した」
「ちょ………何を始めるおつもりで?」

 にっこりと微笑む鏡花の顔は、こんな状況でも魅力的だった。
 本気で馬鹿だな、俺は。
 祁答院に肩を押さえつけられたまま、遠い目で天井を見上げた。

「頑張ってね、亮(はぁと)」
「男を見せてみろ、羽村」

 鏡花の手の中で、カチリ…と音がした。










「おうおう………良い声で鳴いとるなー、兄ちゃん」
「ここに居たんだ? キララちゃん」

 亮君の部屋から、メンバーの半分が居なくなったのに気づいた私は、探しに出ようとして扉を開けた瞬間。
 姿を消した、宴の主役をひとり見つけていた。

「ああ、嬢の姉ちゃん。どないしたん?」

 隣部屋、つまりマコトとキララちゃんの部屋の扉の前でしゃがみ込んでいた。
 上着は…ちゃんと着てる、みたい。
 夜風は冷えるからね。
 いつの間に持って行ったんだろう?
 何故か、歓迎会が始まってからの記憶が曖昧だった。

「それは、なんぼ嬢の姉ちゃんでも、アレだけ無茶飲めば記憶も『正気』も飛ぶて」
「う゛ぅ………私、そんなにおかしかったかな?」
「イヤ、他のメンバーに比べたら遥かにマシやった」

 心底、呆れた表情で何度も頷くキララちゃん。
 年少の子に説教される私たちって………一体。
 落ち込む私を尻目に、所謂ヤンキー座りをしたキララちゃんが、缶ビールを呷る。
 本当に今更なんだけど、キララちゃんにお酒なんて飲ませて良いんだろうか?

「ところで、亮君たちは何処に行ったか知らないかな?」
「ウチ等の部屋に居るよ。今は料理中や♪」
「あ、そうなんだ。私も手伝おっかな?」

 何で泣きそうな顔をするのかな、キララちゃん?
 最近は自分で言うのもなんだけど、料理の腕も上がった筈なのに。
 健人君なんか、全身から物凄い汗を流してまで悦んでくれる。
 なんで汗をかくのかは、聞いても教えてくれなかったけどね。

「ま、まあ、ええて。今は義兄ちゃん料理されとるから」
「………言い回しと、発音が微妙に可笑しくないかな?」
「気にせんといてや。ウチ等は飲み直そ♪」

 素早く立ち上がったキララちゃんが、ぐいぐいと背中を押してくる。

「良いけど………何か企んでない、キララちゃん?」
「せやな。ま―――ちょっとした復讐と、恩返しや♪」

 その笑顔は酷く子供っぽくって、少しだけ大人の顔をしていた。










「………知らない天井だ」

 正確には、とても良く見覚えがあるのだが、微妙な模様などが違う。
 俺は上半身を起こした姿勢のまま、天井を仰いでいる。
 朝の空気の中で、裸のままでは多少肌寒かった。

「ぅ…ん…亮(はぁと)」

 カーテンの隙間から差し込んでくる朝日に、鏡花が可愛い寝言を漏らした。
 俺の右手を握り締めたまま、頬擦りするように布団に丸まっていた。

「ん…ぁ…羽村(はーと)」

 寒いのか布団の中で身じろぐ祁答院が、妙に色っぽい寝言を漏らした。
 大事な宝物をしまい込む子供のように、俺の左手を胸に抱き締めていた。
 天井を見上げて、もう一度だけ考えてみる。
 だけど。
 幾ら死に物狂いで脳みそをフル回転させても。

 
昨夜の記憶が無いな………俺。(;´Д`)

 さて。


 …

 …

 …

 …

 …

 …

 …

 …

 …


 
何処に逃げる?


「ん、ふあ〜…ぁ………おはよ。亮」
「ン………ふむ。おはよう、羽村」

 示し合わせたように、同時に目覚めたふたりが両腕を拘束してくる。
 俺は大きく深呼吸して―――覚悟を決めた。
 額を床に摩り付け、深く………とても深く土下座する。

「オハヨウ………御座います」




木曜日・前編へ♪  金曜日・後編へ♪