が来る!
― square of the MOON ―

短編 After Story





ラブラブな日々で行こう!
(Original Version)





Friday:

ホッシーのそれでも幸せな金曜日


後編










 コウヤとの超常バトルから一月が過ぎようとしていた。
 様々な傷を、そして思いと記憶とを残した戦い。
 だが、桜水台学園・天文部のメンバーにも賑やかだが、それなりに平穏な日常が戻ってきていた。










 合宿先の古びた温泉宿に到着すると、既に夜の帳が辺りをおおっていた。
 ローカル線を乗り継いだ終着駅。
 山間の小さな温泉郷。
 木造の小さな温泉宿。
 街中とは明らかに違う、風の音と空の声が聞こえる。
 その宿の、小さな宴会場に桜水台学園天文部メンバー(プラス二名)が揃っていた。
 鴨肉の朴葉味噌焼き。
 豆腐皮の豆乳しゃぶしゃぶ。
 霜降和牛のステーキ。
 牡蠣の石焼き。
 刺身の船盛。
 コの字に並べられたお膳を飾る料理は豪華なんだけど、
部費で賄ったんですか、いずみさん。
 そもそも、旅館に到着(強制連行)してから、宴会場に直行だったんですが。
 部活動やら使命とやらはどうなったんでしょうか。
 ………どうでも良いんですか?。
 俺個人は、もはやどうでも良いです。
 疲れた………
 酷く疲れた。
 そして―――今、現在進行形で疲れ続けている。

「「「乾杯〜♪♪」」」

 グラスの打ち鳴らされる音。
 しゅわしゅわと泡の出る、小麦色のジュースをじっと見詰める。

「………乾杯」

 呟いて、じっとグラスを見詰める。

 見詰める………。
 見詰める………。
 見詰める………。

「どうした、羽村? 飲まんのか?」

 据わった目でグラスとお膳を睨んでいる俺を、一気にグラスを乾した祁答院が気づかう。
 グラスに写りこんだ俺の目は、お膳に据えられた尾頭付きの鯛よりも無機質な色をしていた。
 両隣の座席の奴らも、俺と同じ死んだ魚の目をしていた。

「………この恰好で何をしろと?」

 すなわち座布団も許されず畳に正座させられ、後ろに腕を捩じ上げられたまま親指同士を針金で結わえ付けられ、足の親指も同じ様に縛られ、それらが結合されているという状態だ。
 なあ、鏡花?
 どこで学んだんだい? こんな
実戦的な縛術を?
 これだけ的確なポイントを縛られていれば、新開さんの怪力を持ってしても脱出は不可能だ。

「放って置きなさい、マコト」
「なんやなんや、お雛様みたいやな〜兄ちゃん等」

 江戸時代の罪人のように晒された俺と新開さんと百瀬を肴に、グラスを呷るキララ。
 へぇ〜………キララはこんな
不気味な雛壇を持ってるのか。
 子供の情緒教育に、悪いとは思わないのかな?

「どうでも良いけど………解け」
「ああ〜ん? 自分の立場が理解できてないんじゃないのぉ?」

 悪の組織の女幹部のように、邪で勝ち誇った嘲笑を浮かべる鏡花。
 似合ってるじゃないか。

「………反省の色が無いわね」
「顔を素足で踏みにじるのは如何なものかと思いますが」

 顔に乗せた右足を、ぐりぐりと動かす鏡花。
 鼻が痛いです。
 これは暗に、
舐めろと仰っているのでしょうか。

「反省のっ、色がっ、無いっ、ようねっ!」
「流石の俺も、首の骨が折れれば逝ってしまうぞ」

 ガスガスと雨アラレのように振り下ろされる蹴りに、ミズキちゃんがブルブルと身体を震わせていた。
 なる程。
 公開お仕置きを見せつける事で、新入りの立場を解らせようとしているのですね。

「………兄ちゃん。顔面蹴られながら、何を
悟ったような目ぇしてアルカイックスマイル浮かべてんねん………メチャメチャ怖いんやけど」

「そ、それより亮君。物凄い打撃音が響いてるんだけど、痛くないのかい…?」
「………受身を取っているからな」
「両手両足を拘束されて、顔面に加えられる打撃を?」

 はっはっは、何を言ってるんだ、星川。
 手加減なんて言葉を知らない鏡花だぞ?
 何度も三途の川を行き来した俺は、身体に超人的な防御術が刻み込まれているのだ。

「ああ、もう! 足が痛いじゃない」
「何を威張っとるんだ、お前は」

 自分でも何をどうやっているのか解らない受身でダメージの無い俺に、鏡花が先に音をあげる。
 そうか。
 どうあっても
俺の悲鳴を聞きたいのか、鏡花。

「………何で嬉しそうな顔してんのよ、アンタは。本気でヤバイ趣味に目覚めてんじゃないでしょうね?」
「誤解だ。………ただ、浴衣姿というのも風情があって良い、というだけで」

 特に乱れた裾なんか、チャイナ服に匹敵すると思うな。
 まあ、問題があるとするならば。

「浴衣は着物ではないのだから。下着を履いた方が良いと思ったのだが………」
「―――死ね」

 回し蹴りが頚椎に叩き込まれる瞬間。
 又お会い致しましたね、ご先祖様。










「………首がぐらぐらする」

 首に手を当てたままグラスを呷る。
 ボキ…っと良くない感じの音が響いたが、気の所為だったらしいな、どうやら。

「気の所為じゃないと思うで………ウチは」

 明後日の方を向いたキララが、ぼそり…と呟いた。

「ま、まあ、些細な事はいいじゃない! 飲み直しよ!」
「………あのさ、鏡花。何でこっちを見ないんだ?」

 と言うより、全員の視線が泳いでるのがとても怖い。
 首の骨一本で女性陣の怒りが収まるのなら安いものだ―――だと思う。
 本当に折れてる訳じゃないだろ―――と思いたい。

「問題ないだろう。さぁ、飲め、羽村!」
「問題ないぜ。さっさと飲もうぜ、羽村先輩!」
「………だから、何で目を合わせないんだよ。ふたりとも」

 微妙に視界が傾いてるんだが、今日はアルコールの回りが早いな。
 まあ良いさ。
 
些細な問題だ。

「そうだよ、亮君。久し振りにボクたちが顔を合わせたんだ。ゆっくり飲み明かそうじゃないか?」
「………そうだな、星川。元気だったか?」
「ご覧の通りさ。それなりにやってるよ………何より、ミズキが側に居てくれれば、ボクはそれで満たされるのさ」

 穏やかにすら感じるその笑顔に、気負いや気取りは無かった。

「上手くやってるんだな」
「ああ、そうだね。
キミ達さえ余計な事をしなければね」

 星川の額に青筋が浮いていた。
 そういえば、さっきから微妙にプレッシャーを含んだ視線を感じるな。
 いずみさんと真言美ちゃんの間に座ったミズキちゃんが、星川と俺を疑惑うような眼差しでチラチラと覗き見ている。
 まさか、俺と星川が『出来てる』と思われてるのか?
 ここは星川の為にも、誤解を解いておくべきだな………。

「そういえば、キミも中々に恋多き男だね、亮君?」

 からかうような言葉を績いだ星川が、器用にウィンクなどしてよこした。

「…」
「鏡花とマコト、両方に手を出すなんて、キミの勇気は尊敬に値するよ」
「妬いているのか、星川?」

 吐き気を抑えて、しなを作ってみせる。

「安心しろ………俺の本命は貴様だけだ」
「い、イヤアぁ!!」
「ち、違うんだよ! ミズキっ」

 くっくっくっ。
 地獄へ堕ちろ、星川。

「………妙な遊びを覚えたようね?」
「ちょっとした洒落だ………なので、そんな心底の疑惑に満ち満ちた瞳は止めて下さい」

 泡の出る黄金色のジュースを手にした鏡花が、頭を振って頬笑んだ。
 良かった、どうやら機嫌は直っていたようだ。

「亮も一杯やんなさいよ。あ、そうだ。コレに部屋割りも書いてあるから♪」
「おう」

 グラスと一緒に受け取った『天文部特別強化合宿のしおり』を開いた俺の、呼吸と心臓が停止した。



天文部合宿お部屋割り♪〜

 
彼岸花の間  健人&亮
 
八重桜の間  壮一&翼
 
紫陽花の間  いずみ&真言美
 
百日紅の間  鏡花&ミズキ
 
三色菫の間  マコト&キララ




ちょっと待て!
「なぁ〜によ、亮? 何か文句でもあんの?」

 邪悪かつ、犯罪者的な微笑で、唇を歪ませる鏡花。

「………参考のためにお聞きしたいのですが、誰が、何時、どのような基準で部屋割りを決めたのでしょうか?」
「アタシが、ついさっき、気分で決めたわ」

 きゅ〜っとグラスを一気に乾す。
 とても楽しそうですね、鏡花さん。
 彼氏の貞操がどうなっても良いと言うのですか?

「あ。変な病気だけは移されないようにしてね♪」
「断固としてやり直しを要求する!!」

 畳を叩いて大声で主張する。

「なんやなんや〜、やっかましいな、兄ちゃん?」

 浴衣の袖をおっさん臭く捲くったキララが、一升瓶を肩に担いだまま座り込んだ。
 女の子なんだから、胡座は止めなさい、胡座は。

「亮ったら、部屋割りが気に入らないって駄々こねて、まったく子供みたいよね〜?」
「俺に
破壊獣と一緒の檻に入れと!?」
「………ああ。新開の兄ちゃんと一緒なんか」

 キララは固有名詞を的確に変換してみせる。

「せや!」

 膝を叩いたキララが拳を掲げる。

「こういう時はな―――王様ゲームや!!」

 キミって子は毎度、脈絡が無くて、酷く
危険な匂いのするイベントを発案するね、キララ。
 キララは早速、手にしたトランプの、ハートの1から9、及びジョーカーを選び出す。
 今………どこから取り出した。
 ひょっとしてキララも、火者としての怪しげな能力でも宿してるんじゃないのか?
 この際、些細な事には目を瞑ろう。
 俺は、早速マスキュラーポーズで浴衣の破壊を試みている先輩や、一人勝手にブーストしていく後輩を手招いた。
 他のメンバーも………取り合えず、まだ正気を保っているようだ。
 ただ、動かない真言美ちゃんが机に突っ伏しているが―――

「…ごー…ごー…ごー…」

 寝ているのかな?


「………ダンスマニアで踊るデブ。
 踊るファットに見るファット。
 同じファットなら踊らにゃ損損、所狭しとファットが暴れる〜。
 モニターの前で奇妙なステップ………」


 ―――
ハイエンドオタク、か。

 今更の疑問なんだが、いずみさんが吹き込んだという、例の呪文書代わりのMDプレイヤー。
 
本当は何を聞かせてるんですか、いずみさん?

「何を始めるの? キララちゃん」
「遠くの者は音にも聞け、近くの者は目にも見よ、や!」

 片手にトランプ、片手に一升瓶を抱えたキララが、無い胸を張ってふんぞり返る。
 どうでも良いけど………顔が痛いな。
 俺の頬っぺたに咬み付いたチロが、くるくる旋回してるんだが、何でキララの命令を受諾するんだ、チロ?

「………な、何でなすがままなんだい? 羽村君。見てる方が痛いよ」
「………慣れてふからにゃ」

 上手く喋れんな、無様だ。

「今から部屋割りを、王様ゲームを使って決めるんや。恨みっこなしの一回勝負!」

 疑問や反論を許さない手際良さでカードを配る。

「ジョーカー引いたんが王様で10番や。一から九までの番号でペア作って貰ぉか!」
「あ、あの…そんな無茶な」
「へぇ? 面白そうじゃない」

 既に泣きそうになっているミズキちゃんを遮るように、鏡花がニヤリと笑う。
 無駄に自信たっぷりだね、鏡花。
 ジョーカーでも引いたのか………さて、アパートまで走って帰ろうか。

「家まで何百キロあると思ってんのよ、アンタは。………ちなみにジョーカーじゃないわよ?」
「鼻でくるくる回られると、その、なんだ…千切れる」

 顔面に取りつけた竹コプターみたいにチロが回る。
 まさか、
コレで飛んで帰れと仰る?

「さあさあ! 王様は誰や!?」
「俺だ」

 一見、恥らっているようにも見えるサイドトライセップスを極めた新開さんが踊り出る。
 パリっと切れている筋肉が脈動する様に、ミズキちゃんが思い切り退く。
 まあ、
華麗にポージングを極める王様の裸など、見るのは初めてなのだろう。
 俺も初めてだ。

「では、貴様らの運命を決めてやる。三番と九番、四番と六番、二番と七番、五番と八番―――そして、一番が俺と一緒だ」

 自分のカードを確認する。
 この際、一番以外なら何でも構わない。

「い、イヤアァァ〜〜〜っッ!!」
「ミズキっ?」

 鼓膜を突き破りそうな絶叫があがった。
 皆そっちを見なかった(いずみさん除く)、無論、俺もだが。
 俺は―――三番だな。

「うちは八番やから


 
彼岸花の間  健人&ミズキ
 
八重桜の間  亮&真言美
 
紫陽花の間  翼&いずみ
 
百日紅の間  壮一&キララ
 
三色菫の間  鏡花&マコト


 ―――って事やな。
 なんや、モモと一緒やんか。妙な事しよったら、叩きコロスで」

「ボクは絶対に納得できないよ!!」
「俺も納得できねぇぜ!!」

 星川と百瀬が罵声をあげる。
 星川の苦悩は解るとして、何でそんなに必死なんだ、百瀬?

「それじゃ、宜しくね。真言美ちゃん」
「は、はは、ハイ。羽村先輩」
「………嬉しそうだな? 羽村」

 背中に押し付けられる硬い感触。
 これって、雷穿甲なんじゃないのでしょうか、祁答院さん。
 着火されたら背骨が砕けますよ。

「しゃあない奴っちゃな。納得できんのやったら、もっかいやり直そか」

 『恨みっこなしの一回勝負』という台詞を、自分で無視したキララがカードを切り直す。
 面白ければ何でも良いのかい? キララ。

「えっと、今度は私が王様だね」

 いずみさんが手にしたジョーカーのカードを掲げて見せた。
 部長の指示なら、まあ…角も立たないだろう。
 それ以前に―――この無茶苦茶な部屋割りゲームにノリノリですね、いずみさん?

「それじゃあ―――二番と四番、一番と九番、三番と七番、五番と八番。六番が私と一緒ね」
 結果発表。


 
彼岸花の間  健人&マコト
 
八重桜の間  亮&いずみ
 
紫陽花の間  壮一&ミズキ
 
百日紅の間  真言美&キララ
 
三色菫の間  翼&鏡花


殺されたいのか、羽村?
「何でイキナリ殺人恫喝を告知されるんですか、新開さん!?」
「………まあ、これはこれで面白いわな」
「あら、ヨク。私とヨリでも戻したいのかしら?」
「もう、男の子なんて信じられない………」
「誤解だよ! ミズキっ!」

 もう、なんかどうでも良くなってきたな………トックリを一気に呷ってみるが、何だこれは?
 ただのお湯でも入ってるのか?
 守護霊様が『もう止めておけ…手遅れだが』などと、申し上げているが、最近は頻繁にお会い致しますね、ひっく。

「では、第三回戦を開始しましょう〜」

 いずみさんが部屋の床の間に飾られている熊の剥製に向かって、嬉しそうに提案している。

「も………どうでも良いから、さっさと決めてくれ」
「あ、アタシが王様」
「ゴメン!! 前言を撤回させて下さい」

 ケロヨンの風呂桶を指先に引っかけて回す鏡花が、飛金剣よりも妖しく鋭く煌めいた。
 さて、帰るか………と考えるより先に立ち上がっていたが、周囲に散乱しているケロヨン桶に蹉いた。
 何で、宴会場に風呂桶が散乱してるんだ?

「アンタが、持ってきて、撒いたの」
「記憶に無いな」
「ええっと、ですね。そろそろ夜も更けてきたので、これで最終決定とさせて貰いますね?」
「本気ですか、いずみさん。っていうか、それ以上そっちに進むとベランダから墜ちますよ?」

 既に落ちていた訳だが。
 反射的に駆け出した新開さんは流石だと思ったが、
フスマを突き破って廊下にダイブするのは何故なんだろう。

「それじゃ、決めるわよ」

 何事も無かったかのように流す鏡花に、みずきちゃんがガクガクと頷く。
 このメンバーのバランスofパワーを的確に学んだみたいだ。
 ………結局、部屋割りはこんな風に決まった。


 
彼岸花の間  健人&翼
 
八重桜の間  いずみ&キララ
 
紫陽花の間  壮一&真言美
 
百日紅の間  鏡花&ミズキ
 
三色菫の間  亮&マコト


 ホンキデスカキョウカサン?










彼岸花の間:

「それにしても、改めて久し振りだな? ホシよ」
「あ、ああ、そうだね。新開さん」
「貴様とは、一度ゆっくりと話し合いたいと思っていた」
「そ、そうなのかい。それより、なんでジリジリと近寄ってくるのかな?」
「そう、腹を割った………
漢同士の裸の話を」
「ボクはイヤだよ!?」





八重桜の間:

「はああああァ〜♪ ええ気分やなァ」
「もう、キララちゃん。食べて直ぐ寝ると、牛さんになっちゃうよ?」
「妙なトコでババ臭いな、嬢の姉ちゃん」
「ば、婆臭くないと思うんだけど」
「まあ、ええんやけど………良かったんかいな?」
「ん………後は鏡花ちゃんに任せてあるから」





紫陽花の間:

「しかし、問題なんじゃね〜のか? 学生が男女同じ部屋ってのはよ」
「モモちゃん♪ バックからアレ取って」
「俺はパシリじゃねぇってんだよ、ったく。どれだ?」
「一番下の方だよ」
「みっ、三輪坂っ…これは?」
「ん♪」





百日紅の間:

「はぁ〜あ、飲んだわねぇ」
「は、はい。あの…七荻さん」
「あ〜、アタシの事は鏡花、で良いわよ?」
「はっ、はい。鏡花さん…あの、その………は、始めないんですか?」
「あらら。ミズキちゃん、意外と鋭いじゃないの?」
「覚悟はしていました。でもっ…ツバサ君だけには」
「まあまあ、野暮は言いっこなしよ? 取りえず」
「あ、あの…これは?」
「先ずは、飲み直ししましょ」





三色菫の間:

「………っけ、結構、いい部屋だな。祁答院」
「ああ。そうだな」

 荷物を放り出したまま、天井を見上げて首をグルグル回す。
 六畳ほどの純和風の部屋に、俺と、大きい祁答院が居る。
 大きい祁答院というのは祁答院の事であり、小さい祁答院と言うのは偽関西製品の方を指し示す隠語だ。
 大きい祁答院は………大きい。

「おっ、大きいコトは良い事だな。祁答院」
「ああ。そうだな」

 訳の解らない俺の問いかけに、ストレートに同意する大きい祁答院。
 要するに、俺は非常に緊張しているらしい。
 背中に感じる大きい祁答院の視線を、嫌になるほど意識していた。

「そ、そのっ、だ。祁答院、そのっ…」
「………どうしたのだ? 羽村。先程から、オマエの様子はおかしい」
「いやっ、つまり、要するにこの奥がどうなってるのか気になって」

 フスマに区切られた奥の部屋を開ける。

「おうあっ」

 同じ間取りの薄暗い寝所には、ぴったりと並べられた布団と、枕もとにはライトと―――そして
謎のティッシュ箱

「どうした? 何かあるのか?」
「いやっ、何でもない、何でもないんだっ」
「―――やはり、少し様子がおかしいぞ? 風邪でも引いたのではないか」

 近づいて、その少し朱に染まった頬がはっきりと見える位置で、手を伸ばして俺の前髪を掻きあげて、おでこをくっつける。
 反射的に二の腕を掴み………硬直した。
 それはつまり、迷ったというコトだ。
 押すか、曳くか。


『つまりは、押し倒すか、曳き倒すか、ということだね?』
『どっちにしろ、布団に引っ張り込むつもりなのか、相変わらず鬼畜な野郎だぜ』

 俺の頭の左右に、白い翼の生えたプチ天使と、黒い羽の生えたプチ悪魔が浮かんでいた。
 む。
 久し振りだな、
酒飲み友達ヴァージョンUが見えるのは。

『さあ、迷える子羊よ。ウザイんでさっさとヤッちゃいなさい』

 エンジェルスマイルを浮かべた天使が、投げやりな口調で吐き捨てる。

『マジでウザイぜ、コイツ。こんなキモイ馬鹿放って置いて、さっさと飲みに行こうぜ?』

 ペッと唾を吐いたプチ悪魔が、プチ天使の肩を馴れ馴れしく抱いた。

『まったく、アナタも好き者ですねぇ』
『おおよ。好きだぜ、大好きさ』
『という訳で』
『後は勝手にヨロシクやってな、チキン野郎』

 揃って中指を突き出したプチ天使とプチ悪魔は、繁華街の灯りに向かって蛾のように飛んでいった。
 煩悩と一緒に良心も飛んでいった訳だが―――
俺の深層意識って、実は結構ヤバクないか?
 まあ、どうでも良いんだが。

「羽村………?」

 良心と煩悩との葛藤から目覚めた俺は、覗きこむような祁答院の瞳に飛び退った。

「あっ、そのっ、俺っ………風呂入ってくるよ」
「羽村っ………」

 背中に名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返らずに廊下に出た。
 ただ、真っ直ぐな瞳で見詰められるのが。
 耐えられなくて。
 そこを逃げ出していた。










彼岸花の間:

「何故逃げる? ホシよ」
「何で、ハァハァしながら僕を追いかけるんだい? 新開さん」
「俺はただ、貴様と
腹を割ったコミュニケーションを」
「何で脱ぐんだい!?」





八重桜の間:

「おっしゃ〜♪ もう一杯いこか、嬢の姉ちゃん」
「御免、キララちゃん………私、もうギブアップ…かも」
「なんや、えらいヤワやなァ」
「………すぅ…すぅ」
「………つまらんなぁ」





紫陽花の間:

「…っ」
「…♪」





百日紅の間:

「はい、オッケ〜よ♪」
「えっ…?」
「問題無し、っていうか、まあ最初から解ってた事なんだけどね」
「あ、そんな投げやりな…」
「ま、今更、アナタが光狩に組みしてるなんて疑っちゃいないしね? 『里』の方からの指令がなきゃ、いずみだってこんな真似はしないって事よ。ま、わざわざ、こんな旅館まで予約してくれた疑り深い人達には感謝ってトコかな?」
「ええっと、つまり………私をダシにして豪遊できてラッキーって事ですか?」
「ま、まあ、そういう事ね」
「眠れないくらい悩んでたのに………」
「あ、あはは。ま、まあ良かったじゃない、これで無罪放免な訳だし?」
「ツバサ君に迷惑をかけるくらいなら死んじゃおうとか考えてた私って………」
「そ、そうだ! 
お風呂にでも入りに行きましょうか? ここは露天風呂らしいわよ」










 空を見上げると、満天の星空が広がっていた。
 大きく、白く輝く満月。
 そして、色彩りを失いつつもそこに『在り』続ける蒼き真月。

「ふぅ………たまには露天風呂ってのも乙だな」

 脱衣所にあった露天風呂マップを頼りに、旅館から全裸で歩くこと五分。
 ………遠過ぎないか?
 という切実に素朴な疑問はさておき。
 頭を冷やすには丁度良いのかもしれない。
 岩に囲まれた露天風呂の様子は、猿や熊が湯治に来そうな雰囲気だった。
 生い茂る木々の間から射し込む星の光が、雨のように降り注いでいる。
 都会の喧騒に慣れてしまった自分には、少しばかり寂しすぎるほどに。
 頭に手拭いを乗せ、肩まで湯に浸かって目を閉じる。
 頭を空っぽにし、感覚に身を委ねる。
 視覚を閉じても、周囲が手に取るように感じられる。
 自分の『力』。
 聞こえてくるのは星の囁き。
 月光の抱擁。
 虫の吐息。
 草木の寝息。
 風の子守歌。
 そして―――誰かの足音。
 目を閉じたまま感覚を向ける。
 足の運び。
 呼吸の間。
 そこに立っている誰かを、目を閉じたまま目蓋の裏に捉える。
 湯舟に立ち尽くし、コチラを見詰めている誰かが口を開く。

「………羽村」
「な…!?」

 その声に目を開けると、全裸の祁答院が身体を隠そうともせずに立ち尽くしていた。

「なっ、何で、祁答院がココに?」
「お前が風呂に行くといったから…」
「じゃなくてっ、何で男湯の方に」
「ここは混浴だそうだが…」

 くっ………
お約束という奴か!
 湯船の中に立ち、漂う湯気の中に浮かび上がる祁答院の裸は、月の光さえ誘われる程に妖しく幻想的だった。
 くっ………
熱膨張という奴か!

「羽村、聞きたい事があるんだ…」
「な、何だ?」
「正直に答えて欲しい…」

 その声の温度に気づいた俺は、温泉に浸かったまま悪寒に襲われた。
 人形のように立ち尽くす祁答院の瞳は、壊れ欠け硝子のような色をしている。
 それは、初めて出合った時。
 刺のような気配を身に纏っていた、何かを切り捨てていた火者としての祁答院の瞳だった。

「私は………邪魔者なのだろうか?」
「な、何を言ってるんだよ?」
「お前が、私を避けているのは感じていた…」

 それは事実だったから、俺は何もいえなかった。

「羽村と鏡花にとって、私は邪魔者に過ぎないということも解っていた…」
「それは違、う」
「解っていたさ…解っていたんだ。なのに…」

 俺は反射的に立ち上がって祁答院の肩を掴んだ。
 このまま崩れ落ちてしまいそうな、そんな不安を抱かせるほどに、その身体は軽かった。

「何で泣くんだよ、祁答院」
「お前の所為だ…ッ」

 力の抜けた拳が、俺の胸を叩く。
 節くれだち、無数の傷で荒れた、闘う者の証としての拳。

「お前に出合ってから、私はどんどん弱くなっていくっ! こんなに心が脆くなってるっ………私は、私は…『覚悟』を失ってしまった」
「それは、違う。祁答院」

 以前に、祁答院と初めて会った時。
 彼女から忘れられない言葉を聞いた。
 『
火者とは覚悟ある者の名だ』―――と。
 その言葉は俺の中に刻み込まれている。
 だが、その言葉を聞いた時。
 あの時に、その言葉を紡いだ祁答院に、俺は違和感を感じていたのを思い出した。
 『覚悟』は強さになる。
 それは間違いない。
 だけど。
 あの時の祁答院の『覚悟』とは、切り捨てる事への覚悟だったんじゃないかと思う。
 例えば、普通の女の子としての時間を。
 例えば、学園にかよう一人の生徒としての生活を。
 例えば、誰かを好きになるような、そんな自分の感情ですらも。

「だけど、俺は、違うと、思うんだ」

 俺にとっての覚悟とは―――
 その子が、普通の女の子として過ごせる時間を。
 その子が、学園にかよう一人の生徒としての当たり前の生活を。
 その子が、誰かを好きになったら、その想いを持ち続ける事ができるように。
 『
守りきる覚悟』を持ちたいと、ずっと思っている。

「羽村…」
「だから、その、つまり………」
「―――つまり、マコトを守ってあげたい、ってコトでしょ?」
「ぶっちゃけ、そういうコトだ」


 …

 …

 …


 ………
逝ったな、俺。

「勝手に逝っちゃうのは自由だけどね? 亮」

 全裸で祁答院を抱き締めた俺の背後で、閻魔のように仁王立ちした鏡花の気配を捉えていた。

「前からアンタに聞きたいコトがあったのよねぇ?」
「な、何を、で御座いましょうか?」

 卑屈な声が出る俺に、
覚悟が足りないのは明らかだった。
 油の切れたブリキ人形のような動きで、ゆっくりとギコギコしながら振り返る。
 だが、微妙に予測から外れ、鏡花の表情は怒りというより―――いじめっ子の其れだった。
 いくら俺たち以外には誰も居ないとはいえ、岩の上に全裸立ちした鏡花の度胸には参ってしまう。
 肩にタオルを掛けただけで隠そうともしないその態度は、おばちゃん臭いと彼氏的に指摘したいのだが。

「…フ〜ン?」

 鼻で笑った鏡花の視線が、少し下にズレル。
 何というか、節操とか慎みとかいう単語を知らない、俺の
素敵愚息が憎い。

「あのさ? アンタにとって、アタシって何なの?」
「そ、そりゃあ、恋人というか…ステディというか…」

 …下僕というか。

「そういうコトじゃなくて。アタシは亮の重荷になってるつもりは無い、ってコトよ」

 意味が解らない。
 溜息を吐いて頭を振った鏡花が、もう一度俺に指を突きつける。

「じゃあさ? 何でアタシの事は『鏡花』、って呼び捨てる癖に、マコトの事は『祁答院』なの?」」
「そ、それは、お前が」

 鏡花本人から初対面の時に、ファーストネームで呼ぶように調教された訳だが。
 まあ、あれだ。
 そこだけは正直、真剣に勘弁して下さいチロさん。

「まーそーよね………亮に察しろ、ってアタシが馬鹿なのよね」
「その通り………あ、勘弁して下さい本気でマジで真剣に」
「まあ、真性馬鹿は放って置いて」

 冷たい汗が俺の全身から泌み出していた。
 熱い程の湯に浸かりながら、俺の足は氷りついたように動かない。

「マコトもさ?」
「………私が、どうかしたのか?」

 ただ、石のように硬直した身体では、空を見上げるだけが俺に許された唯一の自由だった。

「何でコイツのコトを『亮』じゃなくて『羽村』なんて呼んでるのよ?」
「そ、それは―――」
「言葉には力があるのよ? マナちゃんみたいな言霊とは違うでしょうけどね。いや、同じようなものかな?」


 
ああ、気がつかなかった。
 
こんやはこんなにも。
 
つきが、きれい―――だ―――


「帰還しなさい」
「はい。つまり、何を仰りたいのでしょうか、鏡花さん」

 コイツ馬鹿? という仕草をした鏡花が祁答院にも顔を向ける。
 胸を隠すように自分の肩を抱いた祁答院は、俯くようにして顔を真っ赤に染めていた。

「―――り、亮………私が、こう呼んでも…か、構わないのか?」
「あ」

 ドキリ、と心臓に突き刺さるような言葉だった。
 それは自分の名前に過ぎなかったが、俺の頭が真っ白になってしまうほどの『力』がある台詞だった。

「あ、ああ、構わない…ぜ?」
「で?」

 鏡花の揶揄するような促しに、祁答院を窺い見る。
 その、不安に、何かを期待するような、縋るような眼差し。
 つまり―――俺も、呼べと?
 馬鹿馬鹿しい、ママゴトじゃあるまいし―――勿論、言わせて貰いますよ、チロさん。

「まあ、その、だ。祁………じゃない」

 阿保か俺は、何でこんなつまらないコトでためらう?
 そうだ、マコトだ。
 大きい祁答院の名前は『マコト』。

「………マ」
「ま?」
「マコ…」

 くそ、何でコウヤ戦並に緊張してるんだ、俺は!
 簡単なことだ。
 そうだ、まずは深呼吸。

「マ…」

「…」

「マコ…」

「…」

「マコ…」

「…」

「マコ…」

「…」

「………亮、いい加減に………」


「マ、ママ………マコ、…
ガリッ!


 ブバ…ッと湯船に赤い霧が舞った。

「は、羽村っ!」
「―――最っ低………」

 俺もそう思う、が。
 鏡花、その心の底から軽蔑した瞳は止めてくれ。

「見せてみろ」
「ほ、ほひ…やへれっ」

 ガシリと俺の顎を掴んで、正面から口腔を覗きこむ祁答院。
 舌を噛み切った訳でなし、そんな大げさな訳じゃない。
 というか、こんなのが死因だったら、俺は化けて出るね。

「ひんぱいいらにゃ…舐めてれは直る…」
「解ったから、動くな…」
「!!」

 舌が直接、舌に触れる。
 鉄のような血の味が、改めて舌先に塗り広げられる。
 そんな奇妙な感触。

「…んぅ」

 ねろ…とした粘ついた感触が、痛覚よりも鋭敏に脳に信号を通す。
 キスよりも深く唇を合わせた祁答院の向こうに、身じろぎもしない鏡花が見えた。
 その姿は、立ち尽くしたまま何も感じない彫像のように、揺らぎもしない。
 ―――そんなわきゃないだろ、
馬鹿か俺は

「んん………は、むら?」

 その、意外なほどに細い肩を押さえるようにして、身体を退かせた。
 紅を塗ったように赤い、その唇を指先で拭い落とす。

「要するに、答えを聞かずに逃げ回ってた俺が馬鹿なんだけどさ」

 つまりは怖かったわけで。
 鏡花が俺を、そして俺と祁答院をどういう風に見ているのか。
 それがどうしても気になって俺は――――、あ。

「………そういうコトか」
「そういうコト、よ?」
「?」

 頷いた鏡花が湯船に入って腰を落とす。
 何気に寒かったようだな。
 ただ祁答院は、まだ自分の居場所が解っていない小猫のような様子でじっとしていた。

「アタシは、亮の重りになってるつもりは無い、ってコト」
「ぇ…」
「要するに、亮が誰を好きになろうが、亮が誰とどんな関係結んでようが、アタシを言い訳にされるのは真っ平、ご・め・んってコトよ」

 つまりは、俺が浮気しようが二股掛けようがオーケー………。

「逝きたいなら、ね♪」

 ってな訳じゃなくて。

「そん時に、鏡花がどうのこうの、って言うなってんだろ?」
「そゆコト」
「………私には、何を言っているのか、解らない」
「俺が誰に惚れようが、鏡花とは関係が無いって訳だな」
「私が他の男に惚れても、それは亮にはどうしようも出来ないでしょ?」

 そうだな。
 
木刀持ってソイツを殴りに行くかも知れんが、俺にはどうこうできる事じゃない。

「鏡花は、羽村を愛しているのではなかったのか?」
「そんなの、好きに決まってるじゃない。どうしようもないくらい、イカれちゃってるわよ? 自分でも、ゲテモノ趣味だとは思うけど」

 ツッコミの一つも入れてやりたいけど、何か喉に詰まって声が出ない。
 大声で叫びながら、両手をグルグルと振り回して周囲を走り回りたい感じだ。

「それで、平気なのか、鏡花は?」
「アタシは亮を、アタシが亮を好きな以上に、惚れさせる自信があるわよ? 妥協するのは趣味じゃないから、一番好きにさせるための努力は、日々手を抜いてないし、ね」

 オーケー。
 つまり、調教されてるんだな、俺は。

「マコトはどうなの? この馬鹿のコト、本当に好き?」
「わ、私は………まだ、正直、解らない…」

 恐らくは無意識に寄せた身体が震えていた。

「ただ、は………り、亮と一緒に居ると嬉しい。亮の姿を見るとほっとする。亮と話をしていると楽しい、と思っている」
「…」
「亮と離れていると胸が苦しい。亮の姿が見えないと寂しい。亮と話が出来ない日はとても切ない………こんな程度しか、私は解らないんだ」
充分よ?

 なんだろう、この胸を締め付けるような愛しさは。
 抱き締めてやりたくなるような、この感情は。

「―――随分、心的印象が違うようね〜…亮ぉ?」
「風呂で泳ぐのは良くないぞ」

 顔を半分沈めた鏡花が、蛇のようにす〜…っと泳いでくる。
 殺気とは又違う、邪気を感じた俺は逃走を決意した。

「り…亮」
「マコトを抱きかかえて、何処へ逃げるつもりのかしらねぇ…」

 ははは。
 無意識に、守ろうとしたらしいな、俺は。
 オーケーオーケー、これは
即ち覚悟ができているというコトだ。

「それじゃ、覚悟を見せて貰いましょう………か?」
「うッ…!」

 新体操のポーズのように身体を折り曲げて姿勢を変えた鏡花が、両足を俺のそこに押し当てた。
 足の裏で、挟みこむようにソレを踏む。
 ッ…いくら何でも、足でソレは無茶だろっ。

「ふ〜ん………? なんか、全然、硬っくなってるんだけどね〜」
「…」
「へぇ〜…足でされても悦んじゃえるんだ〜…亮君は」

 両手で半分浮かんだ身体を支え、両足で器用に扱くように擦られる。
 ふっ………
これが調教の成果という奴か
 親爺臭いを通り越して、危険な領域に踏み込みそうで怖いが、これの何処で覚悟を試すというのだ?

「さて、マコト?」
「な、何だ…?」

 ちゃぷちゃぷと波打つ湯面を透かして、妖しい場所を凝視していた祁答院が我にかえった。

「そこで悦にイッちゃってる奴に、言わせたい台詞とかあるんじゃないの?」
「あ、あぁ………そうだ、な」

 潤んだ瞳がとても危険だ。

「亮………私の事を…マコト、と呼んでくれ」
「いや、だから、それ………
わ!

 背筋が突っ張った。
 刺激が痛みに変わる、ギリギリの圧力。

「………足りないわねぇ〜、覚悟が」
「ちょ、洒落になら………んァ!」

 自分の口から漏れた女のような嬌声に、顔が真っ赤に染まるのが解る。
 ちょっと待て。
 なんでふたりとも、瞳が潤んでるんだよ!?
 そんなに
俺を屈服させたいのか?

「まあ、そんなのは時間の問題だと解ってるんだけど」
「まだ、夜はこれからだからな」
「覚悟はできてるんでしょ?」
「証明して見せてくれ」
「「私たちにね♪」」










「………しゃ〜」
『迷える小羊よ。取りあえず飲みなさい』
『ご主人様に忘れ去られたって気にすんなよ』
「………しゃ〜(涙)」
『ああなったら、どんな聖人君子でもケダモノですからね…ヒック』
『まあ、飲め。先ず飲め』
「………しゃ〜(ごっごっご)」
『さぁ〜どんどんいきましょう♪』
『うっしゃ〜! 今夜は飲み明かすぜ〜』
「しゃしゃ〜♪」





彼岸花の間:

「………………………
ふぅ
「…」





八重桜の間:

「…zzz…」





紫陽花の間:

「…もう一回♪」
「…_| ̄|○」





百日紅の間:

「ハァハァハァ………」
「おお、どないしたんや? 新入りの姉ちゃん」
「………きゃ、あ、貴方は?」
「祁答院キララや、イカス名前やろ? 覚えとき、損はさせへんで〜」
「あ、その、祁答院さん…ですか? あのっ、これは?」
「まあ、一献つき合ってや。同室のツレが寝てもうてな、暇なんや。―――それから、ウチのコトはキララって呼びぃや。祁答院って呼ばれるのも悪ないんやけどな?」
「は、はいっ。キララ…ちゃん。と、ととと…」
「オッケー♪ グイッと行きやぁ。ええか? 名前には『力』っつうもんがあってやな…」
「っぷはあァアアアッッッー!」
「うわっ、な、なんや!?」
「―――な、何も見てません! 私は何も見てないんですぅ!!」
「ああ〜〜………そゆコトかいな」
「本当に何も見てないんです、聞いてないんです、私は露天風呂なんかに行って無いんですぅ!」
「なんや………まあ、慣れろや………」










 朝露が木の葉を濡らしていた。
 
涙で枕をズタズタに濡らした輩もいたらしいが。

「………ツバサ君? ツバサ君は何処?」

 それは俺にも解らないね、ミズキちゃん。
 俺の目が可笑しくなければ―――
大声で泣き叫びながら朝日に向かって駆け出した星川は、突然目の前に実体化した門のような超常現象に吸い込まれて行った。

 鏡花といずみさんが、その内帰ってくると、何故か確信的に保証したわけだが。

 
悔しくなんか無いよ? 俺は

 ただ、朝靄の中から射し込む朝日を見ると、涙がこぼれ落ちそうになる。

「おっはよー御座います〜♪」
「あら、マナちゃん? 朝から元気ね」
「はいっ。もう、気合充填完了ってな感じですよぅ!」

 元気良く旅館の玄関から飛び出してきた真言美ちゃんの後ろから、衰弱して目を窪ませた百瀬が現われる。

「………うす、早ぇな。せんぱい」
「………大丈夫か、百瀬? 朝からぶっ倒れそうな顔色だぞ」
「………おうっ、正直。俺はもう駄目かも知れねぇ」
「なんや、蹴り一発いれたら逝きそうやな?」

 本当にやりそうな小さい祁答院、ではなく、キララを押さえこむ。
 百瀬は虚ろな目で、肌をツヤツヤさせた鏡花と、同じく肌をツヤツヤさせた真言美ちゃんを見て、荷物を山のように持たせられて微動だにしない俺を見る。

「………ふ、
尊敬するぜ。先輩」
「何がだ?」
「おうっ。待たせたな」
「………おはよう御座います〜」

 二日酔いらしく、顔を青ざめさせたいずみさんと、
肌をツヤツヤさせた新開さんが現われた。

「アレは放置」
「放置やな…」
「………何で無駄に元気が溢れてんだよ、ゴリポンは」

 そりゃあ―――
チャージしたんだろ?

「それでは、そろそろ帰りましょう?」

 バックを手にしたいずみさんが、青い顔でメンバーを見回す。

「あれ………ひとり足りない?」
「あ、アタシたちは別働隊」
「ああ、御免。そうだったわね」

 手をあげた鏡花に、いずみさんが申し訳無さそうに頬を掻く。

「御免ね、本当は私の役割なのに」
「いいのいいの。そっちはついでだし、どのみち、行かなきゃいけない訳だったし、ね?」

 背中に石地蔵を背負ったように落ち込んでいる俺に、ありがたい戦友の声が掛けられた。

「覚悟を決めろ、羽村」
「漢になってこいよ、先輩」
「それじゃ、私たちは先に、大津名に戻ってるから」
「はいは〜い。それじゃ、また来週にね!」

 去っていく一行の後姿に、見捨てられた雑兵の気分にさせれるのは何故だろうな。

「覚悟が足りんのと違うか?」
「あのさ、キララ。お前、本当にサトリの能力に目覚めてないか?」
「顔見れば一発で解るのよ、亮は」
「しゃ〜…」

 昨夜から焼酎漬けにされていたチロが、青い顔で頷く。

「あ、清算終わったみたいね」
「マコト〜、遅いで〜っ」
「ああ、悪い。少し手間取った」

 バックを背負って玄関から駆け出してくる祁答院、じゃなくて………

「準備は出来てるのか? 亮」

 いつもと変わらないクールな微笑を浮かべ、荷物を放り投げる。
 それを寸前でキャッチし、頷いた。

「ああ、行こうぜ。マコト」





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