竜園
Original Novel

-迷宮神話-



第T章  旅立ち









 風が頬を掠める。
 草原を凪ぐ風には、土と草の匂いが染みている。
 小高い丘の頂きに、ひとりの男が立ち尽くしている。
 彼が纏っているのは、農民の作務衣。
 乾いた空気にばらける黒髪が、陽に焼けて薄焦げている。
 頚下で一房結われた後毛が、肩越しに背中にたなびいていた。
 立ち尽くしている男は、風に溶けていきそうな、風景の一部のように見えた。
 まるで、枯れ木のように。
 二十歳を越えているのは確かだが、その表情には齢に相応しい生気が宿っていない。
 それなりに整った容姿が故に、死顔からはぎ取られたマスクのようにも見える。
 彼は風に吹かれながら、身動ぎもせずに瞳を閉じていた。
 例え誰であろうと、その顔から内面をうかがい知る事は出来ないだろう。
 耕かされた畑は、緑色の海原のように遠く波打って見えた。
 『カグヤ=レイロード』
 彼の足元の小さな墓標に刻まれた名前。
 それは、彼の妻。
 それは、彼がただ一人愛した女性の名前。
 それは、彼の名前。
 それは、彼女と共に、死んだ自分への弔い。
 真新しく掘り返された土山には、白木の十字架が刺さっている。
 一目で素人が作ったと知れる、拙い細工の墓標。
 だが、どれ程の想いが込められて彫られたのか、また、一目で見て取れた。
 墓標に掛けられた、三ッ葉の白綿花で編まれた冠が、草原を渡る風になびいた。
 彼は瞳を開ける。
 右手の薬指から、安物の銀のエンゲージリングを抜く。
 カグヤの名が彫られた指輪を、そっと墓標の上に置いた。
 同じデザインの、小さな指輪の隣に。
 彼の妻の指輪には、同じように小さく文字が彫られていた。
 レイと擦れた文字が読める。
「さよなら」
 呟いた彼は、二度と振り返らなかった。
 彼は足元に置いていた荷袋を担ぎ、小さな村を後にする。
 正面にそびえる山の向こうへ、彼が行かなければならない場所を目指して。





 迷宮都市ラグナロク。
 メザイア。
 シャリアメイ。
 ヴァリウス。
 ツクサミ。
 ディーバリエ。
 聖五王朝の中心に位置する、完全自由自治都市。
 都市の周囲は、強固な城壁がそびえている。
 それは、外敵の侵入を阻むという目的とは逆に、都市中心部と外界を隔離するための障壁だった。
 ラグナロク迷宮。
 ワーズアース大陸の中央に口を開けた、深淵へ続く入り口。
 人間が大陸に足を踏み入れる遥か以前から、存在し続けていた。
 無数の魔獣が湧きだす、底無しの無限迷宮。
 数百階層とも言われる迷宮の続く先は、地獄とも神界とも伝えられている。
 迷宮内の時空間が歪んでいるのは、確認された事実だった。
 幾人もの探索者が、精霊界や異世界から生還している。
 魔獣が潜む迷宮の封印という目的で建設されたラグナロク砦だったが、いつからか内部の財宝や魔獣を狩る冒険者が現われ始める。
 大陸中から命知らずや、一攫千金を狙う戦士達が集まると、それらの探索者を目当てに集う商人などが砦を街に造り替えていった。
 一時は、罪人や流刑者が溢れて無法地域となった事もある。
 迷宮の生み出す予想外の利益に、五王朝が武力干渉を行使した事もあった。
 それらの苦境は結果として、迷宮探索者の団結を招く結果となった。
 探索者支援組合=シーダーズギルドの基である。
 探索者=シーダーが迷宮で身に付けた戦闘能力は、五王朝の親衛隊に勝った。
 五王朝とシーダーズギルドは盟約を結び、迷宮都市ラグナロクが誕生したのである。





 迷宮都市ラグナロクは、普通より遥かに高い城壁に囲われている。
 上空から展望すれば、都市を覆う城壁が星五角形を描いているのが解っただろう。
 過去の五王朝からの侵略にも揺らがなかった強固な壁は、しかし、内側からの脅威を想定して築き上げられた代物だった。
 都市の唯一の出入口である城門も、幾つもの施錠が降ろされる分厚い鉄扉だった。
「流石に、でかい………」
 シヴァは入国許可待ちの列に並んだまま、迷宮都市を見上げていた。
「昔話のまんまだな」
 ラグナロクでは常に探索者を募っているので、入国審査は容易い。
 逆に都市から抜ける時には、莫大な税金と審査があった。
 それはシーダーが所有する強力な魔道具の国外流出を防ぎ、徴税によって都市の財政を潤すためだった。
 実際、迷宮探索者を志して集まる者達は多いが、街の外に戻れる者は数少ない。
 程なくしてシヴァも、門警備兵の詰め所に辿り着いた。
「あんたも、シーダー志願者かい?」
 椅子に座った恰幅のいい警備兵は、シヴァの姿を見て聞いた。
 如何にも農民出らしい着古した作務衣に、護身用の小剣を腰に提げている。
 肩に背負った小さな荷物袋だけが、シヴァの持ち物だった。
 長い、旅をしてきたのだろう。
 薄汚れた外見に、鈍色の瞳が警備兵の意識を引き付けた。
 手際よく書類を記入していく警備兵の様子から、シヴァのような者には毎日顔を合わせているのだろう。
 そして、生きて街を出ていけるものは、一握りにも充たないに違いない。
「まずは、シーダーズ協会で登録を済ませるこったな。ストリートの東側に入会を請け負ってる支部がある。赤煉瓦の三階建ての建物だ、すぐに解る」
「有難」
 数枚の銀貨を渡したシヴァは、礼を言って一枚のコインを上乗せた。
 警備兵は軽く驚いてシヴァを見直した。
 何百人というシーダー志願者を扱ってきた警備員だったが、まともな返答を受けたのは初めてといって良かった。
 シーダー志願者は、わざわざ普通の暮らしに見切りを付けてやってくる者達だ。
 数少ないまともな連中も、これからの冒険に心ここに在らずになるのが普通だ。
 だが、目の前の若者は、心踊るようでもなく血気逸る風でもない。
 褐色の瞳が、門の向こうに向いている。
「死に急ぐなよ」
 驚いて振り返ったシヴァだったが、そんな忠告を口にした警備兵自身も驚いていた。
 後ろ手を振ったシヴァは、振り返る事無く城門を潜っていった。





 探索者協会の第三支部は、赤煉瓦造りの洋風館だった。
 人の出入りも疎らだが、途切れる事はない。
 帯刀し鎧姿のままで歩く人の姿は、ラグナロクだからこそだった。
 シーダー協会の本部は都市の中央に位置し、ラグナロクの行政を管理している。
 本部に出入りが許される上級シーダーは、一騎当千の英雄クラスといえた。
 上級クラス者は第三階梯以上を指す。
 ラグナロク迷宮に降りるためには、必ずシーダー協会に所属しなければならない。
 とはいえ数百人を数えるシーダーを統括するのは難しく、階梯に応じた免許証を発行する形式を取っている。
 総てのシーダーは週に一度協会に出頭し、会費納入と能力鑑定を受ける義務がある。
 死亡、又は行方不明となったシーダーは、一切の財産を協会に没収される。
 ラグナロクへの入植者は多いが、大半が迷宮から帰らぬ人となる。
 第三支部の一階は、シヴァが思っていたよりは混んでいた。
 カウンターは幾つかの窓口に分かれており、区役所のシステムに似ていた。
 能力鑑定の部署は列をなしていたが、新規入会の窓口は暇そうに見えた。
 田舎から上京したおのぼりさんのように興味深く見回していたシヴァも、案内板を見つけて窓口に向かう。
「あら? いらっしゃい。初めての方ですね」
 お茶と煎餅を噛っていた受付嬢は、いささか慌てて顔をあげる。
 一日に何十人も入会希望者が来るわけではなく、入会窓口は閑職に近い。
「それじゃあ、えーっと。お名前は? そうそう、入会金は準備してあるかしら?」
 砕けた口調に、シヴァは面食らって年若い受付嬢を見詰めた。
 シーダー協会の制服を着た娘は、外見上では16、7歳に見える。
 鼻先に掛けた眼鏡は、田舎では見られない珍しい道具だった。
 だが、微かに尖った耳の形から、妖精種族と人間の混血児である事が解る。
 妖精エルフは、不老長寿と繊細な容姿から、人間に迫害された種族だ。
 ワーズアース大陸では、普通の人間がエルフに会う事は皆無だ。
 彼女は亜麻色の髪を兎の尻尾に結い、大きな眼鏡をかけていた。
 胸のネームプレートに、第三支部所属サリア=メイフェルと見て取れた。
 じぃと自分を見詰める男に、サリアは大袈裟に肩を竦めた。
「ハーフエルフを見るのが珍しい?」
「後免」
 不作法に気づいて俯くシヴァに、サリアは門番と同じようにちょっと驚く。
「別に、私は慣れてるから気にしないんだけどね。君、気をつけた方がいいよ。ラグナロクには、いろんな人間以外の種族が住んでるからね。血の気が多いのも、居るから」
 素直に首肯するシヴァに、サリアは余計かなとも思える忠告をしてしまう。
 如何にも田舎出の純朴な青年風の雰囲気は、ラグナロクでは珍しい。
 名前、出身地、外見的特徴。
 サリアは手際よく、シーダー登録用紙にシヴァの事柄を書き込んでいく。
「よしっと。それで、シヴァ君のレベルは幾つぐらいなのかな?」
 サリアは弟に話すような口調で、シヴァにペン先を向けた。
「レベル…?」
「そ。クラスチェンジとかって聞いた事ないかしら?」
 きょとと見返すシヴァに、サリアは呆れてしまった。
「君、ひょっとして、まるっきりの初心者?」
「見て、解らないかな」
 シヴァは薄汚れた作務衣姿の自分を見下ろす。
 今までの人生の中で、剣よりも鍬を握っていた時間の方が長いのだ。
 サリアは頷くと共に、ちょっとした肩透かしも感じていた。
 受付嬢を十年近くも勤めていれば、多少は力量の見定めも出来るというものだ。
 確かに、歴戦の強者には見えないが、普通の農民の小倅にも見えなかったのだ。
「そうね………。じゃ、いいわ。取り合えず鑑定してみましょう」
 サリアは奥の机から、幾つかの水晶玉がはめ込まれた魔道具を取り出す。
 それは、感応珠を組み合わせた、生体エネルギーの測量装置だ。
 レベル認定の際にも、もっと高性能な装置で測定をする事になる。
 シヴァは言われた通りに、感応珠に触れて目を瞑る。
「んん…やっぱり、外から来た割りにはEXPが貯まってるわね。属性は、と」
 サリアは少しだけ眉をしかめた。
 属性を表す感応珠は、奇妙な角度を示していた。
「でも…ま、正常許容値かな。レベルWの第一階梯。クラスは戦士…っと」
「レベル…W?」
「後、少し頑張れば、ミドルクラスにレベルアップできるわよ。頑張ってね」
 サリアの誉め言葉にも、シヴァは小首を傾げるだけだ。
 傭兵や、そこいらの戦士でも知っている基本知識がまるでないのだ。
 書類を登録して、カード発行の手続きを取っている間、サリアは待合所の方を振り返って溜息を吐いた。
 どう見ても、ラグナロクで長生きできるタイプではなかった。
 レベルカードも、無駄になる可能性の方が高い。
「今日はまた、随分と田舎者が来たわねー」
「なんだ、レナか。カードは出来た?」
 サリアは同僚から、銅板のカードを受け取った。
 レナはブラウンのストレートをボブにした、人間の女だった。
 遠視のサリアの眼鏡とは違い、近視用の大きな丸眼鏡を掛けている。
 理知的な感じを受けるブルーの瞳で、カウンター越しにシヴァを見遣った。
「食い詰めた農民って感じ? すぐに、おっ死んじゃいそう」
「でも、見所あるかもしれないわよ」
「賭ける?」
 シーダーギルドの職員の間で、新参者がどれだけ生き延びられるかという賭けが流行っていた。
 もっとも、今に始まった事ではない。
 カウンターからシヴァを覗き見た他の職員達も、レナに乗じて掛け金を釣り上げた。
「はいはい、一口十銀貨だよ。キファにメリー…もう、順番に言ってよ!」
「ちょ、ちょっと。生き延びられる方が私だけ!?」
 流石のサリアも冷汗をかいた。
 もし負ければ、二ヵ月分の給金をスってしまう。
 レナは悪戯っぽく眼鏡を押さえ、可愛く舌を出して念を押す。
「今更、取り消しはなしよ。たまには、サリアも大敗けしてみなさいな」
「いいわよ! こうなったら、意地でも一週間は保たせてみせるわ」
 冷やかすような声援を背に受けながら、サリアはシヴァを呼び出した。





 シーダーの一員になったばかりのシヴァは、第三支部から出た所で途方に暮れた。
 ラグナロク街の地図と睨めっこしている。
 文盲の入会者を考慮してか、絵柄で解りやすい地図だった。
 貴族や商人の子息ならまだしも、普通の農民は読み書きの教育は受けない。
 シヴァは頬を掻いて、宿を探しに歩きだした。
「ちょっと! ちょっと待ってよ。シヴァ君ッ」
「? サリア…さん?」
 シヴァを呼び止めたのは、第三支部から慌てて出てきた半妖精の受付嬢だった。
 急いで帰り支度をしてきたのか、シーダーギルドの事務員服姿のままだ。
 ずり落ちた眼鏡を押し上げ、戸惑うシヴァの顔を見上げた。
「これから、何か予定とかあるのかしら?」
「別に、ないけど」
「だったら、私がラグナロクの事、少しアドバイスしてあげてもいいんだけれど?」
 下心があるサリアは、白々しい自分の言葉を後悔した。
 だが、シヴァはサリアの申し出に、素直に頷いて礼をのべた。
 人を疑わない純朴さに、サリアは他人事ながら心配になってしまう。
「それじゃ、大まかな街の設備とか案内してあげるわ。武器とか、道具屋でも、素人さん相手に足元見る店もあるからね。堅実な所で良ければ、紹介してあげる」
「有難う、メイフェルさん」
「サリア、でいいわ。それから、感謝される程の事でもないわよ。シーダーの人をバックアップするのがギルドの役目だしね」
 シヴァはそういうものかと丸呑みで納得する。
「でも、有難。サリアさん」
「も、もう。何度も繰り返さないで。行きましょう」
 照れたように吃ったサリアは、シヴァの肩を叩いて促した。
 迷宮都市ラグナロクは、シーダーの後援のために建てられた街だ。
 ワーズアース大陸広といえど、ここまで戦闘のための施設が凝縮された都市はない。
 魔道ギルドや数多の神殿、五王朝の大使館なども派遣されている。
 サリアはシーダー協会で配布されている説明書順に、主要施設を巡った。
 ラグナロクの中枢に位置するのはシーダーズ協会本部、セントラルレギオンだ。
 白亜の見上げんばかりの建物は、城といってもいい規模だった。
 ハイクラス以上のシーダーのみが出入りを許され、療養所などの特殊な施設も内用されている。
 シヴァには馴染みがなかったが、両替所と呼ばれる施設もある。
 貨幣の両替だけでなく、財産の預かりも請け負っているとサリアは説明した。
 他にも、モンスターの死骸から採取される、精霊珠を換金できるシーダーにはなくてはならない施設だ。
「精霊珠って?」
「ラグナロク迷宮には、異世界に属する魔獣で溢れてるわ。そういったモンスターがこの世界で死ぬと、死骸は塵も残さず崩壊するの。その時に、存在力と呼ばれるエネルギーが物質化して残されるわ」
 サリアは街頭のランプを覗いて、芯にはめ込まれた緋色の水晶を指した。
 精霊珠=エレメンタルクリスタルは、加工の容易な純粋エネルギーだ。
「また、魔獣を倒したシーダー自身にも、エネルギーが流れ込むわ。それが所謂EXP、経験値って奴ね。シーダーは、そういった魔獣のエネルギーを取り込んでいきながら、自分自身の力を強化していくの。だから、EXPが多ければ多い程、強力な闘気を宿した戦士になれるわ」
「強い…戦士」
「そう。もっとも、この世界に居る獣なんかを倒した時も、同じようなエネルギーの移転現象が起こるそうよ。浅い階層の獣を倒した時には、精霊珠の代わりに毛皮か何かを取っておいてね。両替所で換金してもらえるから」
 シヴァは俯き、右拳を見詰めた。
「EXPが溜まれば、新しい力を得る事も出来るのよ。所謂、クラスチェンジね」
 属性強化と呼ばれる身体強化術は、この世界で古くから伝わっている。
 大量のEXPを利用する事により、身体能力や魔法能力のキャパシティを飛躍的に増大させるのだ。
 攻撃力を重視したタイプや、汎用に強化するなど、様々なクラスがある。
 条件さえ揃えば、多数のクラスを選びながら、自分自身を望むように強化出来る。
「シヴァ君はLevWだから、後Tレベル頑張ればバトラー、闘士になれるわよ」
「嫌、俺は………騎士になる心算だから」
 資料のクラスチェンジ一覧を読むシヴァは、誰にともなく呟いた。
 サリアは少し驚いてシヴァを振り返った。
 一度クラスを確定してしまえば、後戻りは出来ない。
 シーダーの大半は、汎用性があり次レベルの選択も豊富なバトラーを選択する。
「ナイトはハイクラスへの昇級が難しいわよ? ま、本人の自由なんだけれど」
 騎士クラスが昇級するには、神属又は特殊属性の加護が必要だった。
 商店街の紹介を受けたシヴァは、メインストリートの突き当たりにあるコロセウムに気づいた。
「あ、あれ。闘戯場よ。シーダーズ協会司催の武闘大会なんか開かれるわ。美人コンテストとか、お祭りとかね。大きな武闘大会には、五王朝のスカウトも訪れるわ」
 小さな武闘会は週一で開催されているが、サリアはあえて話さなかった。
 少なくない賞金が賭けられているとはいえ、武闘会での死亡率は高い。
「それから、シーダー同士の私闘は厳禁なのを忘れないで。どんな理由があろうと、強制労働送りよ」
「うん」
「迷宮でも戦いに馴れるまで、無理はしないで。生き延びる事が大事よ」
 サリアは弟に言い聞かせるような口調で言った。
 実際、年齢はサリアが上だ。
 サリア本人も、下心抜きでシヴァの心配をし始めている自分に気づいていた。





 高い城壁に覆われたラグナロクでは、夕暮の訪れが早い。
 大まかな区域巡りをしたシヴァ達は、まじない通りを抜けて宿場街に足を向けた。
「あら? サリア、今日はどうしたの」
「エミュールじゃない」
 人影の少ないまじない通りの終わりに、小さな露天占いがある。
 机に水晶を乗せた簡易な占い屋は、メインストリートにも幾つかあった。
 もっとも、人通りの多い場所は場所代も高い。
 口元に半透明のベールを着けた妙齢の女魔法使いは、シヴァとサリアを見比べた。
「珍しいのね。彼氏と一緒?」
「違うでしょ。新しいシーダーの人を、案内してあげているのよ」
「あら」
 細い指を口元にあてたエミュールは、くす…と微笑んだ。
 探索者協会の職員とはいえ、シーダーの一人々まで世話を妬く必要なないのだ。
 綺麗なブロンドの髪を腰にまで波打たせたエミュールは、年中高温なシャリアメイ地方の露出度の高い衣装を着ていた。
 胸と腰回りだけに纏った異国風装束に、シヴァは心無し赤面して視線を外した。
「シヴァ…様? 拙い術ですが、占いなど如何ですか?」
「後免。占いとか、信じてない」
「何事にも、馴れ初めが御座いましょう。お代は要りません。戯れと思って、さぁ」
 サリアは、シヴァの手を取るエミュールに嘆息した。
「水晶に掌を乗せて、そう。………何も考えずに」
 エミュールはシヴァの掌の上に指を添え、小さく呪文を唱えた。
 そして、瞳を閉じたまま、トランス状態のままで心象を語り始める。
「………草原の囁き…若草の囀り…猛き漢達の国、ディーバリエ………」
 サリアはそっと肩を竦めた。
 幾通りにも解釈できそうな言葉が、エミュールの唇から紡がれていく。
 最初に無難な事柄を当ててみせ、お客の信用と興味を引き出す。
 占い師の常套手段だ。
 だが、エミュールの様子がおかしいのに気づいた。
 苦痛に耐えるように寄せられた額には汗が滲み、肩が小刻みに震えていた。
「失った悲嘆…怒り…悲しみ………そして、そして………」
 声色が変わった。
「………汝は暗黒への扉を開く。汝の路は茨が敷き詰められ、その両手は鮮血と血涙に塗れる」
「ちょ、ちょっと」
 紡ぎだされる言葉の邪々しさに、流石のサリアも顔色を変える。
 だが、背筋を逸らせた占い師は、不思議と確信に満ちた言葉を続けた。
 まるで、予め決められた、未来の記憶を語るように。
「煉獄にて藻掻く汝の手に、彼の三振りの剣が集う。終焉の鐘が鳴り響く時。汝の手に委ねられるは………」
「こらっ、エミュール! 洒落にならないわよ」
「はい?」
 サリアの怒鳴り声に振り返ったエミュールは、きょとんと答えた。
 白昼夢から目覚めたような、そんな表情をしていた。





 宿場街の片隅に『斑の木馬』亭があった。
 ラグナロクの宿場街には、一晩五銅貨の安宿から、貴族風の高級宿場までがある。
 宿場街の奥には、財を成したシーダーの屋敷が並んでいる。
 通りの向かいには歓楽街が広がり、明け方まで喧騒が絶える事はない。
 斑の木馬亭は、初級シーダー向きの良心的な安宿だった。
 ラグナロクの宿屋にしては珍しく、食事場が地下の倉庫を改造して作られている。
 もっとも、簡単なメニューと酒類だけであり、本格的な食事を望むシーダー達は外食を済ませるのが普通だった。
 飲食施設が充実しているラグラロクでは、宿はあくまで寝泊りする場所だ。
「気にする事、ないわ」
 積まれた酒樽を背に座ったサリアは、慰めるように口を開いて葡萄グラスを傾けた。
 不吉な占いの内容は、エミュール自身何も覚えてはいなかった。
「かもしれない。でも、そう………前半は見透かされてた、かな」
「そうなんだ。………ね、どうして、ココに来たの?」
 地鳥の香草焼きに切り込んだ、ナイフが止まる。
 シヴァは唇を噛んで動揺を隠そうとしたが、その顔は泣きだしそうに歪んでいた。
「御免なさい。ラグナロクじゃ、過去を問わないのが不文律だものね」
「そんなんじゃない。捜し物があって、追い掛けてきた」
 頭を振るシヴァはグラスを呷った。
 ラグナロク名物の『大蛇殺し』は、文字通り火が点くほど酒精度の高い蒸留酒だ。
 酒熱い吐息を吐いたシヴァは、新しい酒瓶を注文する。
 サリアは心配げに顔色を伺ったが、飲み始めと全く様子が変わって見えなかった。
「捜し物、か。………ね、それって、女の人?」
「違う、けど、そうかも、知れない。俺には…解らない………」
 グラスの中身を一気に飲み干したシヴァは、ふら…と上体を揺らした。
 糸の切れた人形のように、背凭れに仰け反り掛かった。
 酔い潰れたのだ。
「ちょ…ちょっと、シヴァ君?」
 慌てて声をかけるが、完全に意識を喪失していた。
 普段は酒豪と呼べる程アルコールに強いシヴァだったが、長旅の疲れで緊張が弛んだのだった。
 サリアは鼻先に掛けた丸眼鏡越しに、シヴァを眺めた。
「っとに………無防備なんだから。襲っちゃうわよ?」
 尖った耳のピアスを弄ったサリアは、微かに笑みを浮かべてシヴァの鼻を摘んだ。





 ベッドボードに置かれていた丸眼鏡を、細い指先が摘んだ。
 脂芯を絞ったランプの明かりに、細い裸身がセピアトーンに照らされている。
 背中に流れる亜麻糸を掻き上げ、編み紐で纏める。
 床に散らばった衣服の中から、下着を拾った。
 サリアは椅子に腰掛けたまま、気怠い仕草でパンティを履く。
「っ…ぅ」
 狭い六畳程の部屋で、窓際に据えられたベッドでシヴァが呻いた。
 俯せに寝たシヴァは、疼く眉間を押さえた。
 振り返ったサリアは、悪戯っぽい流し目を向けた。
「正気に戻った?」
「ぅ、うん………えっ?」
 吃驚して顔を上げたシヴァは、脳天を鉄槌で殴られたような鈍痛に身悶えた。
 上体を屈めてブラジャーを胸に当てたサリアは、くすくすと微笑んだ。
 シヴァはずきずきと疼く頭を枕に埋めて、恐る恐るサリアの方を窺い見る。
 下着姿のサリアに赤面し、毛布に包まる全裸状態の自分に困惑した。
 シヴァは部屋を見回したが見覚えがなかった。
 開けられた窓を無意識に振り返ったが、手を伸ばせば触れられそうな程に近い隣宿の壁で、月も星も見えない。
 一泊五銀貨程度の安宿に、高価な機械仕掛けの時計があるわけはなかった。
「その様子じゃ、覚えてないの?」
 サリアは下着姿のまま、脚を組んでシヴァを見詰めた。
 見透かされて狼狽するシヴァは、サリアの悪戯っぽい表情に気づかなかった。
「ご、後免…」
「怒って、ないわよ? 私も久しぶりに愉しませてもらったし。シヴァ君も上手だったし…ね」
 記憶のないシヴァは、熱ぁ…と真っ赤に染まった。
 サリアはキスマークを刻まれた首筋に指を当てる。
「結構、強引だったけど」
「…」
「駄目だって言っても、お尻にまでキス痕を付けるんだもの」
 ベッドに突っ伏したシヴァは、羞恥心と罪悪感で動けなかった。
 不意に髪を梳かれて顔を上げると、ベッドに戻ったサリアが優しく見下ろしていた。
「本当に…貴方みたいに純情な人、ここじゃ居ないわよ。もっと小狡く、卑劣漢にならなきゃ駄目。自分の事だけ考えて、生き延びる事を考えなさい」
「………解ってる」
 仰向けになったシヴァは、自分に言い聞かせるように呟いた。
 シヴァは上体を起こして、改めて部屋を見回す。
 六畳程の長方形の部屋は、扉と窓、そして寝具と小さな机があった。
 卓上には酒瓶が数本乗っていた。
 どうやら、一度酔い潰れてから後も、サリアを誘って酒宴を催していたらしい。
 サリアが店主と交渉して、部屋を借りたのだ。
 普通、宿の賃貸契約は一週間単位が基本で、雑用費用を含めた二十銀貨をサリアが支払済だった。
 シヴァは天井から、半妖精に視線を向ける。
「なぁに?」
 琥珀色の蒸留酒をグラスの中で揺らし、サリアは可愛く小首を傾げた。
「何故………俺に、親切にしてくれるんだ?」
「好奇心、じゃすまないか…やっぱり」
 サリアは素直に、ギルド職員達との賭けの内容を話した。
 頭痛の疼きも治まったシヴァは、煙草を唇に挟んだまま天井を眺めた。
「ねぇ…怒った?」
 黙ったままのシヴァを、サリアがちょっと不安げに伺った。
 頭を振ったシヴァは、サリアの長耳に填められたルビーのピアスに指を触れた。
「抱かれたのも、そういう訳………?」
「説得力ないと思うけれど、シーダーの人と寝たのは貴方が二人目」
 グラスに酒を注ぐシヴァに、サリアが自分のグラスも差し出す。
 シヴァに付き合い、かなりの量を飲んでいるはずだが、僅かに頬を火照らせているだけだ。
 酒豪、又は笊と呼ばれる部類に違いない。
「なんて言うのかな、打算だけじゃなかったのかも。シヴァ君て…放っておけない感じがするのよね。こう、母性本能がくすぐられる感じ、かな」
「そんな、頼りなく見えるかな…やっぱり」
 シヴァは同じような台詞を、何度も言われた覚えがあった。
「外の世界じゃ珍しくないのかもしれないけれど、私は初めて見るタイプだからね」
「外の、世界?」
「言ってなかったかしら? 私はラグナロク産まれの、ラグナロク育ちなのよ。街を出る税金も高いし、外に伝手もないし」
 サリアは両掌でグラスを挟み、遠くを見るように視線を彷徨わせた。
「私が知っている世界は、城壁に囲まれた小さな箱庭」
「そんな、良い所じゃないよ。山があって、河があって、森があって………それだけ」
「馬鹿ね。そういう、当たり前の世界が見てみたいのよ」
「そんな、もんかな………」
 ベッドに仰向けに寝そべるシヴァの上に、サリアが悪戯っぽく微笑んで跨がる。
「忘れないで。ここは、外とは別の法則が支配している街。強者であれば、どんな願いも欲望も叶えられる。弱者は、虐げられて奴隷になるだけよ」
「奴…隷?」
 五王朝では、奴隷制度は廃止されている。
 サリアはYシャツの下からパンティだけを脱ぎ、シヴァの腰から毛布を捲り降ろす。
 シヴァの逸物は、細いサリアの指先の促しに、他愛無くそそり立つ。
 生々しく血管の浮き出したシヴァの逸物は、握り締めるサリアの指に余った。
 亀頭の激しい括れ具合に、サリアは自然と熱い吐息を洩らした。
 シヴァの逸物を扱きながら、逆の手で自分の秘所を慰める。
 淫唇をなぞるように蠢かしていた指先に、先ほど注がれた男精液が絡みだす。
「そう…よ。私の母様も、上級シーダーの奴隷だった。迷宮の中に棲んでいたエルフだったのね。死亡したシーダーの一切の財産―――これには、配偶者や娘、所有している奴隷も含まれるわ。シーダー協会に引き取られた奴隷は、競りに掛けられて売られる。シーダーの人達に」
 自分の話の内容に、暗く爛れた情欲を催したのか、サリアは自慰を止めて性器同士を結合させた。
「ぁん…あ。男達は次々に迷宮に入って死んでいく。残された女達は、街に囚われて呪縛されたまま。ん…一杯居るわ、私みたいな奴隷は。一生…街に飼われる性奴…よ」
「サリア…」
 小指を噛んだ半妖精は、顔を逸らして尻を小刻みに揺すり続ける。
 白いYシャツで隠された淫肉の結合部から、ぶちゅ…ぶちゅ…と淫猥な粘音が響く。
 サリア自身は、幸運な部類に入る。
 奴隷の娘としてシーダー協会に養育された彼女は、性奴隷としてではなく、職員としての教育と役職を与えられたのだ。
 それでも、ギルドの奴隷である事には変わりない。
 いずれ、子供を胎ませられ処理されるか、競買に掛けられるか。
 五王朝の法が及ばないラグナロクでは、裏業者が奴隷の売買に集う。
 奴隷売買の収入は、ラグナロクにとって重要な財政元になっていた。
「はぁ…ぃ…ぃ。貴方…の大きぃ………引っ掛かっちゃ…う」
「腹の力を抜いて…もっと、脚も開いて」
 シヴァの胸板に突っ伏したサリアだが、それでも尻の動きは止められないらしい。
 ひくつくように腰を蠢かす。
 人一倍笠の張ったシヴァの亀頭が、サリアのGスポットを執拗に抉っていた。
 幼い頃から無理矢理に開発されてきた肉体は、胎内に込み上げる官能に抵抗する事を許さなかった。
「んっ…ぁ…はぁぅ」
 サリアが鼻を鳴らすように、甘い吐息を洩らした。
「ぁ…」
 シヴァはサリアの足首を掴み、股間を掲げるように鄙猥な格好にさせる。
 晒された結合部に羞恥が湧いたサリアは、淡い陰毛を隠すように恥丘に手を被せる。
「もぉ…大人しい顔して、エッチなのね」
「結構、傷つくから黙ってて」
 一度抜き、後向きにさせてから、胡坐をかいた腰の上に乗せられる。
 ぬちゃりとした肉が胎内に挿入される感触に、サリアはんぅ…と呻く。
「意外…エッチの仕方…上手。女の歓ばせ方…ぅ…解ってる」
 ベッドの弾力で腰を弾ませるシヴァに、サリアは胸板に寄り掛かって身を委ねた。
 サリアの身体に没頭していると見えるシヴァだったが、無言で腰を動かす姿は修業僧のように直向きだった。
 エルフらしく細身の太股を抱え、くちゅくちゅ粘鳴る股間に手を差し込む。
 下腹部を撫でるように恥丘を愛撫する。
 しゃり…と擦れる亜麻色の陰毛は、毟れば無くなりそうに控え目だった。
「薄い…」
「だって…だって、半妖精だもの」
 包皮から剥けた肉芽を擦られるサリアは、恥ずかしそうに身悶えた。
 妖精=エルフは髪の毛を除き、身体は完全な無毛質だった。
「ぁ…はっはっ…あぃ………い…ぃ」
 シャツの中で上下にたわむ乳房も、容姿に合わせるように可憐な膨らみだった。
 下着越しに確かめるように揉むシヴァに、コンプレックスを覚えているサリアが僅かに身を捩って嫌がる。
「だめ…ちっちゃい…から」
「んな事ない。可愛い」
 ぎゅ…とサリアの足の指が握られる。
「シヴァ…くん、私…そろそろ」
「いい、よ。俺も…いく」
「膣じゃ駄目…外に…外に…」
 痙攣するサリアを確認した後、折り重なるようにシヴァが達した。
「ぁ…ぁ…熱ぃ………」
「後免…」
「もぉ…馬鹿。謝るくらいなら、ちゃんと膣外に出して」
 本気で怒っていない仕草で、ぽく…とシヴァの額を小突く。
「我慢できなかったら、素直に言ってくれれば良かったのに………。私を待っててくれたのは嬉しいけど…ね」
「大丈夫な日だって言ってたの、思い出したから」
「そっか、思い出したのね。一回目も奥で射精されちゃったんだっけ。仕方がないなぁ、もぉ」
 シヴァの身体から降り掛けたサリアだったが、腹を抱き抱えられたままだった。
 振り返ったサリアだが、俯いたまま動かないシヴァに力を抜いて身を委ねた。
 サリアは、うなじに雫が零れ落ちたのを感じた。
「ねぇ。………泊まってって、あげようか?」
「うん………」
 精霊珠がランプの中で燃え尽き、部屋にモノトーンの帳を降ろした。





 シヴァは篭手のベルトを締め直した。
 継いで、具足、胸当て、兜の具合を確かめる。
 無論、初めて鎧を着るシヴァには、善し悪しなど解らない。
 着付けですら一苦労だ。
 武器屋『爺さんの金槌』で買った甲冑だ。
 儀仗兵とは逆に、一切の装飾を廃した実用的な鎧だ。
 シーダーメイルと呼ばれる基本的な甲冑だった。
 畑と家を売り払って手に入れた財布の中身は、最低レベルの武装を揃えるだけで消え失せてしまった。
 腰の戦闘帯には、長剣と短剣が提げられている。
 ロングソードはサリアから譲られた、年代物の魔法剣だった。
 サリアが以前付き合っていたシーダーの、形見として隠し持っていた剣だ。
 そのシーダーは、サリアを身請けする約束を残したまま、迷宮で消息を絶っている。
 火炎剣=フレイムブレイドに分類される魔法剣で、闘気に反応して刀身に灼熱の炎を纏わせる。
 魔法協会認定強度ではプラスT程度の魔法剣だったが、シヴァは有難く借り受けた。
 ラグナロク迷宮を封じている『神魔の巨門』が、シヴァの前に開門した。
 シヴァは身震いを抑えきれなかった。
 それでも、彼には迷宮に降りる、逃げる訳には行かない理由があった。
 捜し物がある。
 例え、如何なる事象と引き替えにしても。
 何が待ち受けていようとも。
 取り返さなければならない。
 一際音高く頬を張ったシヴァは、『神々の黄昏』迷宮へと足を踏み入れた。
 深淵へと続く、煉獄に向かって。








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