正義の味方に憧れていた。
 子供の頃、それこそ物心がつくかつかないか、というとき。
 いや、少し違うか。
 憶えている一番最初の記憶に『彼女』の姿があり、『彼女』こそが理想であり憧れ。
 そして、思い浮かべる正義の味方そのもの。
 つまり、自分に物心という物がついた時とは、『彼女』と出会った瞬間なのだろう。

 だから自分は、あの日からずっと、正義の味方に憧れていて。
 今このときも、あの日に見付けた、正義の味方に憧れている。





Ragnaroku OnLine
ラグナロクオンライン
Side Story






セイギノミカタ



Presented By-月球儀






 深い、深い森の中。
 陽光などは一条すら射させぬとばかりに生い茂った木々を、まるで意に介さないように掻き分けて歩く。
 その足取りに迷いは見られない。
 真っ直ぐに歩く。それだけを胸に、今まで歩いてきた。
 その甲斐あってか、目の前ではようやく鬱蒼とした森が終わりを告げようとしている。
 だから、これからも真っ直ぐに歩いていくだろう。
 例えその道に、どれだけの困難が在ろうとも。
「よ、ようやく出口か。」
 思わず口に上った言葉に、広大な森の終わりを実感して駆けだしてしまう。
 これまでもそうやって、目の前だけを見て真っ直ぐに歩いてきた。
 そして、これからも真っ直ぐに歩いていくのだろう。
 例えその道の先に、求めるものがなかったとしても――。

「ぃやっほおぉぉう……!」

 ――道そのものがなかったとしても。

「……ぅうぉおぉっ!!??」

 その叫び声は、なかなかに大きいものだったのだけれども。
 数瞬後に立ち上った水柱の叩き出した爆音には、惜しくも一歩及ばなかった。



 ――パチパチ、と。薪の爆ぜる音がする。
 それは思いの外近く、まるで耳元で掻き鳴らされているかのようだ。
 心地よい微睡みを邪魔されたようで、気分が悪い。
 僅かばかりの不快感を表情に載せ、寝返りを打つ。
 眠りの深い性質なので、いくらもしないで寝直す事が出来るだろう。しかし。
「良かった、君、目が覚めたの?」
 睡眠の邪魔をするのは、薪の音だけではなかったようだ。
 眠りは深いが、別に寝起きが悪いというわけでもない。
 誰かが傍にいるというのなら、起きた方が無難だろう。
「ん……んん?」
 眠い目を擦りつつ目を開ける。
 最初に飛び込んできたのは、宵闇に映える焚き火の赤。
 寝起きの目に負担を掛けないよう視線を逸らすと、こちらを見て微笑むなかなかの美少女。
 その向こうに見えるのは、湖と言うにはやや物足りない大きさの水場。
 そこまで考え、どうにも重要な事を見落としたような気がして、考えを巻き戻す。

 ……こちらを見て微笑む、なかなかの美少女。艶やかな黒髪が背中まで伸びている。

 よく見ると、彼女は大きめの外套を羽織っているが、その前がはだけないようキッチリと両手で描き合わせている。
 焚き火から少し離れたところに置かれているのは、二人分の衣服ではないか。
 落ち着いて、状況を確認してみよう。そう思って自分の身体を見下ろしたのが、決定打だった。
 俺の身体にはやや小さい上掛けの下は、さすがに下穿きは穿いているものの、それ以外は一糸纏わぬ姿である。
 もはや疑いようもない。この状況では、他の事実など思い浮かべられはしないだろう。
「でも、ごめんね。君の装備が思ったより軽かったから、何とか君は引き上げられたんだけど、荷物までは手が回らなくって。……ねえ、私の声、聞こえてる?」
 頭を抱えて黙り込んでいた俺に文句を言うでもなく、心から心配そうに尋ねてくる。
 決定的だ。俺は自分でも知らない内に、大人への階段を上ってしまったのだ。
 これはもう、男として責任をとらなければならない。
「……ああ。目は覚めたけど、まだ少し眠い、かな。」
 惜しむらくは目の前の女性の記憶がかけらも残ってないことだが、それとて大した問題ではない。
 思い出せないのならば、もう一度繰り返せば良いだけだ。
「大丈夫? 溺れた後遺症かな……。」
 眉を寄せ、額を寄せてくる彼女の頬を、両手でそっと包み込み。
「結婚しよう。」
「へ?」
 小鳥が餌をついばむように、軽々とキスをした。


 ……いや、いくら非力な少女とは言え、さすがに眉間を的確に打ち抜かれると悶絶どころじゃ済まないんだが。

「ぃえぇっくしゅっ!」
 盛大なくしゃみと共に出てきた、鼻水をすすり上げる。
 風邪でも引いてしまったのか、寒い。
「しんっっじられないっ! 溺れてた所を助けてあげたっていうのに、命の恩人に対してどーゆーつもりなのよ!?」
 未だ怒り冷めやらぬといったところか、少女は先程から怒鳴り続けている。
 こちらといえば、焚き火の傍からは蹴り出され、少女に近付こうとすれば威嚇される始末だ。
 だが、確かに相手の言うことにも一理ある。
 どうやら溺れる前の記憶が混乱していたようだ。
 認めたくはないが、不用意に駆けだしてしまった所為で目の前の水場に墜落したことまで、今ならしっかりと思い出すことが出来る。
 思い出したくなくても、水の底に沈んで無くなったポーション類が、嫌が応にも事実を物語っているのだが……。
 もっとも、勘違いだと分かった瞬間、どこかほっとしたのも事実だ。
 やっぱり、初めての経験くらいは憶えておきたいものではないか。
「けどさ、目が覚めたら裸同然の男と女が向かい合ってるんだぜ。考えることって言ったらひとつだけだろ、ふつー。」
 ぶつぶつと、言い訳とも愚痴とも尽かない言葉を、決して相手に聞こえないような小声で漏らしている。
 我ながら情けない姿だが、身の安全には代えられない。
「そんなことを考えるのは助平な男だけよ! つまり君だけ!」
 だというのに、この女は聞き漏らさなかった。信じられん。
「どーしてこの距離であんな小さな声が聞こえるんだよ……?」
「ふん、甘く見ないでよね。弓手の集中力は、どんな小さな気配でも捕らえるのよ?」
 確かに、そんな話を聞いたことはある。
 あるが、今問題にしているのは耳の良さであって勘の良さではないってーことを理解してるんだろうかこいつは。
 いや、分かっていないのだろう。おそらく、というよりは確実に。
 彼女が自らの言葉通り勘の良さを誇るのならば。
 今この状況で、そんな自慢げに鼻を鳴らしていられるわけがない。

 溜息を、一つ。

 ゆっくりと立ち上がり、焚き火の側に行く。
 装備や持ち歩いていた道具一式の一部を、ここで乾かしていたからだ。
 この少女は、溺れていた俺を助けてくれたことからも分かってはいたが、面倒見は良いらしい。
 助けたからには、最後まで面倒を見ようとでも言うのだろう。
 柳眉を逆立てるほどに怒ってはいるが、俺を見捨てて何処かに行ったりするようなことはしなかった。
 だったら、仕方ない。命の借りは、命で返すだけだ。
「な、なによ急に近寄ってきたりして。言っておくけど許したりなんか――」
 威勢の良いことを言いながら、少女はどこからか短剣を取り出す。
 俺ってそこまでケダモノだと思われたのだろうか……ちょっと悲しくて頭を抱える。
「……少し黙っててくれ。」
 剣を調べる。問題なし。握りに巻き付けていた布も、しっかりと乾いている。
 服を調べる。剣と同様に乾いていたので、素肌に直接レザージャケットを着込んだ。
 靴を調べる。爪先がまだ濡れていたが仕方ない。裸足で立ち回る根性はさすがにない。
 盾は、ない。元々持ち歩いていないのだから、当たり前だ。
 副ギルマスに言わせれば、特攻馬鹿の面目躍如だろう。あの人も他人のことは言えないと思うけど。
 予備の短剣は……無い。今は水の底だろうか。友人に作ってもらった物だったのに。
 事情を話せば許してくれるだろうが、残念なことには変わりない。
 溜息を押し殺し、荷物を漁る手を止め、じっと少女を見る。正確には、彼女の外套だ。
「ちょっと、いったい何なのよ。誤魔化そうったってそうはいかないからね?」
 じろり、と俺を睨め付ける彼女が纏っているそれは、俺のなのに。
 正直なところ返して欲しいのだが、馬鹿正直に口にしたら今度こそ殺されそうな気がしたので止めておいた。
「あんた、武器は?」
「え、あ、弓。だけど、さっき矢を全部落としちゃったから……。」
 さっき、というのは俺を助けたときだろう。
 それは悪いことをした……ちょっと待て。なら、その短剣は?
 疑問に思うが、その銘を見てすぐに納得する。俺のもんじゃないか、あれ。
 まあいいか、俺にはこっちの大剣があるし。
 彼女にも身を守れる最低限の武器が必要だし、都合が良いと言えば良い。
 トレードマークのゴーグルを引っ掛けながら、彼女に注意する。
「んじゃその外套、しっかり身に着けてろよ。少しは攻撃を躱す役に立つから。」
「え、何よ急に……。」
 言いかけた少女の言葉が、途切れる。
 意識しての結果ではないだろう。無意識にそうせざるを得なかった、それだけのことだ。
 息を呑むほど圧倒的な存在感が、突如として眼前に沸き起こっていた。
 青白い炎を纏っているかのような、幽玄さすら覚えるその姿。
 それは、見間違いようもない。
「……来たか。」

 ――九尾狐(きゅうびのきつね)
 その名の通り、九つの尾を持つ妖狐。
 密林で最も出会ってはいけない魔物とまで呼ばれるその姿は、人々の口に上る恐怖もまさしく当然であろうと思わせる――。

 少女はこれ程の魔物に出会ったことが無かったのだろう。
 どれだけ感知能力に長けていると言っても、圧倒的な実力差の前には無意味だということが、実感出来たようだった。
「あ……あれ……。」
 言葉を忘れたようにただ震え、九尾狐を指さす少女に頷いてやる。
「ちっ、参ったな。ヤバイとは思ったけど、まさか九尾狐とはね。」
 肩をすくめて、心の中で舌打ち一つ。
 ホロン程度なら、たとえ群で襲ってこられても、殲滅してやる自信があったのだが。
 ツイてないときっていうのは、そういうものか。
 ……なんか、前に誰かに言ったような気がする。
 ああ、そうだ。
 次こそは、次こそは、そう言って山のような残骸に涙を流しながら過剰精錬に勤しむギルマスに言った、かつての自分の台詞を思い出した。

 ――ツイてないときっていうのは、そういうもんだよ。

 溺れかけ、助けて貰った相手を怒らせ、トドメにこれか。
 なるほど、確かに説得力のある台詞だ。
 ……今度会ったら、ギルマスに一言だけでも詫びを入れておこう。
 そんなことを呑気に考えていたら、右腕に少女が縋り付いてきた。
「ちょ、ちょっと君、なんでそんなに落ち着いていられるの!? あんな、私たちなんか勝てっこないのに――!」
「いや待て、落ち着けって。なんで俺まで負けるって決めつけるんだよ?」
 確かに勝率は怖ろしく低いかも知れないが、戦う前から決めつけられるのは、さすがに不愉快だ。
 俺が口を尖らせると、少女はむしろ、俺の反応が信じられないと言った表情でまくし立てる。
「だ、だって、九尾狐よ! 熟練の狩人や騎士ならともかく、私たちみたいな駆け出しに勝てるわけないでしょう!?」
 なるほど。確かに俺は、彼女と見た目はさほど変わらない。
 俺は同い年程度だと思っているが、もしかしたら、彼女には一つか二つくらい年下だと思われているかも知れない。
 装備だって、剣と外套を除けば大したもんじゃない。だから彼女の心配は、当然の物なのだろう。
 けれど、それは間違っている。
「鎧も盾もないじゃない、それなのに……!」
「だったら、一撃も喰らわなければいいんだろ?」
 そう言って、笑ってやる。
 昔、泣きわめく俺を力付けてくれた『彼女』のように。
 上手く笑えたかどうかはわからないけど、どうやら泣きやませることだけは成功したみたいだ。
「え?」
「安心しろって。結果なんて、やってみるまでわからないんだからさ。」
 ギルマスの口癖を借りて、彼女に捕まれていた腕をそっと引き剥がす。
 そうだ、やってみるまで分からない。
 手持ちのポーション類は溺れたときに水の底だし、頼りの外套は少女に渡しっぱなし。
 これだけ不利な状況で笑ってられたら、ただの馬鹿だ。
 そして、自分だけなら逃げられるのに立ち向かおうっていう俺は、もっと大馬鹿だ。

 けど、それでいい。否、それがいい。

 あの人に会いたくて、追いつきたくて選んだ道だ。
 ここで逃げ出すようなら、最初から正義の味方になんか憧れたりはしてしない。
 最初から、『彼女』を探す旅になんか出ていない。
 九尾狐に正面から向かい合う。
 そして、明日の天気を口にするような気安さで、口を開いた。
「そうだ。いっこだけ安心材料があるけど、聞くか?」
「……なに?」
 俺は振り向かない。背中で答える。あの日に憧れた『彼女』のように。
「確かに、俺は未熟者だけどな。」
 ゆっくりと、手に持った大剣を青眼に構える。
 身体の奥底から湧き出る力――それを、意志の力でこの瞬間だけ解放する!
「駆け出しじゃあ、ないっ!!」
 雷光とも見紛わんばかりの神速の踏み込みを見せ、俺は吠え猛る凶獣の懐に飛び込む。
 ルーンミッドガッツ王国に仕える騎士のみが帯剣を許される、クレイモアを振りかざし――

「幾千万の肉片(かけら)と散れ!」

 雷光をも超える一撃を振り下ろす――それが、死闘の合図となった。


 ……どれだけの時間が経っただろうか。
 いつの間にか、中天にあった月は、既に大分傾いている。
 その時間の経過を裏付けるかのように、俺の身体にも傷が刻み込まれていた。
「はぁ……はぁ……。」
 息が上がる。今の俺には、満身創痍などという言葉も生易しい。
 頬を裂かれた。
 脇腹を抉られた。
 右膝を噛み砕かれた。
 それでいてなお、俺は不敵な笑みを浮かべる。
「どう……したよ、化け物。さっさと、かかって、こい。」
 何故なら、目の前の相手もまた、傷付いている。
 右目を切り裂いてやった。
 左前足は中程から断ち切ってやった。
 九つあった尾は、既に五つしか残っていない。

 互いに、あと一撃。先に叩き込んだ方が、勝つ。

 そう思考し、俺は自分の不利を悟った。
 単純に、体力の差が一つ。相手は魔物、対して俺は人間。
 長引けば、止まらない出血が、意識を保ち続けることすら困難にさせる。
 二つ目は、足だ。痛みは我慢できても、動かない物はどうしようもない。
 身軽さが身上の俺には、致命的とすら言える。
 冷静に思考する。これは、敗北したときの言い訳を探しているのではない。
 己の置かれた状況を、常に冷静に分析する、それが勝利への道。
 僅かでも可能性があるのなら、それを手繰り寄せるための手段を講じる。
 そのための状況分析だ。
 仲間の魔術師が常にそうしていたように、今は俺がそうしなければならない。
 だから、狐を笑ってやる。
 今の俺が勝つために、相手から襲って来ざるをえないよう、嗤ってやるのだ。
「情けねぇなぁ……俺にビビってるのかよ?」
 その言葉は通じなくても、表情と、言わんとするところの意味は通じたのだろう。
 妖狐の纏う殺気が、それまでとは比較にならないほどに膨れ上がる。

 負ければ死ぬ。
 負ければ死ぬ。
 負ければ……死ぬ?

 急速に、その意味が浸透していく。
 怖い。怖くてたまらない。
 戦闘中に相手から目を逸らすなど自殺行為もいいところだというのに、恐怖に耐えきれずに振り返ってしまった。
 その、視線の先に。

 少女が、祈るように。
 両手を組んで、俺を見つめていた。

 ……そうだ。負ければ死ぬ。命を懸けて戦っている以上、それは当たり前のこと。
 ……そして死ぬのは俺だけじゃなく、背中に庇った少女までもが。
 ……それはさせない。死んでも彼女は殺させない。
 ……ならば、殺す。殺される前に、殺す。殺させないために、殺す。
 ……殺してやる。

 殺してやる殺してやる殺してやるころしてやるころしてやるコロシテヤル……!

 流れ出る血と共に、理性までもが失われていき。
 そして瀕死の身体の奥底から、狂気の力が溢れ出る。
 思考は純化し、ただ目の前の敵を葬る、それだけを考えるように……それだけしか考えられないように、なる。
 そう、防御など、二の太刀など考えない。この一撃で決める!
 そしてその考えは、相対する魔物もまた同じ。
 防御をかなぐり捨てた、捨て身の突進。

 それを、待っていた。

 疾風の勢いで飛び込んでくる魔物、その勢いをそのまま利用した一撃で仕留める。
 回避など許さない、必中必殺の一撃で迎え撃つ!

「こおぉぉぉいっ!」






 ――パチパチ、と。薪の爆ぜる音がする。
 それは思いの外近く、まるで耳元で掻き鳴らされているかのようだ。
 心地よい微睡みを邪魔されたようで、気分が悪い。
 僅かばかりの不快感を表情に載せ、寝返りを打つ。
 眠りの深い性質なので、いくらもしないで寝直す事が出来るだろう。しかし。
「良かった……目、覚ましてくれたんだ……。」
 睡眠の邪魔をするのは、薪の音だけではなかったようだ。
 眠りは深いが、別に寝起きが悪いというわけでもない。
 誰かが傍にいるというのなら、起きた方が無難だろう。
「ん……んん?」
 眠い目を擦りつつ目を開ける。
 最初に飛び込んできたのは、陽の光の元でもしっかりと自己主張している焚き火の赤。
 寝起きの目に負担を掛けないよう視線を逸らすと、こちらを見て微笑むかなりの美少女。
 その向こうに見えるのは、湖と言うにはやや物足りない大きさの水場。
 そこまで考え、どうにも重要な事を見落としたような気がして、考えを巻き戻す。

 ……こちらを見て微笑む、かなりの美少女。艶やかな黒髪が背中まで伸びている。

 服装から察するに、恐らくは弓手か。
 森の移動を考慮しているのだろう、身軽で、動きやすそうだ。
 俺も同じ理由で、騎士だというのにレザージャケットにシューズという軽装だ。
 たまに剣士に間違われることもあるが、さすがに密林をプレート着込んで歩き回る根性はない。
 二十四時間フルプレートの殺戮装備で彷徨き回る、どこぞの戦闘狂でもあるまいし。
 そう思って、苦笑しながら起きあがる。
 視線を感じて意識を向ければ、今にも泣き出しそうな潤んだ目で、少女が俺を見ていた。
「なっ、ちょ、ちょっとどうしたんだ、あんた?」
「良かった……もう、目が覚めないかもって……思って……。」
 最後まで言い終えることなく、少女は泣き崩れてしまう。
 ちょっと待ってくれ……。
 落ち着いて、状況を確認してみよう。
 そう思って自分の身体を見下ろしたのが、決定打だった。
 俺の身体にはやや小さい上掛けの下は、何故かボロボロになっているレザージャケット。
 その下は、あらかた塞がってはいるものの、幾つもの怪我の痕が残っている身体。
 ……思い出した。目の前の少女も、そして……。
「あいつは、九尾狐は?」
 口にしながら辺りを見回しても、その姿は見えない。
 地面に飛び散った血痕だけが、昨夜の激闘を物語っている。
 ということは、だ。
「勝てたんだ、俺。」
「……うん。君の勝ちだよ。ありがとう、助けてくれて。」
 その言葉で、実感した。そうか、勝てたのか。
 良かった、俺も誰かを護ることが出来たんだ……。
「ところで、なんで俺の怪我が治ってるんだ?」
 あのままでは、出血多量で危ないところだったと思うんだが。
 そう言うと、彼女は気まずそうに目を逸らした。
「えっと、私、ポーション持ってなかったから、君のを使わせてもらったの。勝手に使ってごめんね。」
 いや、そのおかげで助かったのだから、文句を言う筋合いでもないが、それよりも。
「俺のポーションって、水の底に沈んだんじゃあ……?」
「うん。だから、取ってきたのよ。使ったのは白ポーションで、残ってるのがこっちね。」
 そう言って差し出されたのは、確かに俺のウエストポーチだった。
 わざわざこの湖の中に潜って、取ってきてくれたのか。
 となると、俺はまたもや、この少女に命を救われたらしい。
「ありがとう。これで二回目だな、あんたに命を助けられたのは。」
「私だって、貴方に助けられたもの。おあいこよ。」
 見つめあい、笑いあう。彼女は、とても良い笑顔だった。
 ああ、こんな笑顔が見られるのなら。
 命を懸けるのも、悪くない。

 俺が正義の味方に憧れる理由が、今日、また一つ増えた。




                              〜Fin〜






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