ぱすてるチャイム
Another Season One More Time
菊と刀


承前




作:ティースプン





次にあるのは王国暦五六三年二月二十七日付けの新聞の一面である。

昨日未明、王都郊外に位置する王立舞弦学園が怪物の一団を率いたテロリストに拠って、約半日ものあいだ占拠されるという非常事態が勃発した。
舞弦学園は冒険課、普通課、商業課を併設し、昨日は冒険課の卒業判定試験の真っ最中であった。
生徒の不正を禁じるため、学園側では試験の前日から全校舎並びに施設に結界を張っていたのだが、犯人達は更にその前日から学園内に潜伏していたものと推測される。

この事態に真っ先に現場に駆けつけテロリスト側と交渉を開始し、収拾に当たったのは近衛騎兵第七大隊であった。
指揮官のミコヤン・グレヴィッチ大佐はテロリストからは何の要求も無かったと記者団にはコメントしているが、これ程大掛かりな事件を引き起こした犯人が何も要求しかったとは到底信じられなかった。
また、近隣の警察にも被害や救助を求める連絡が入っていなかったにも関わらず、第七が一番に駆けつけたのには何か裏があるのかとも思われていたが、今朝行われた軍部の記者会見によってその辺りの詳しい事情が明らかになった。

今回の騒動を起こしたのは、終末思想に執り憑かれ自殺願望を持つようになった式堂甲斐那、刹那の兄妹で、政府は予てからこの兄妹の周辺をマークしていた。
第七の早手回しの出動も前日から出動要請を受けていた為による。
では、なぜ政府がそんなにも早く軍の出動が必要になる事が予測出来たかと言うと、この兄妹が聖典としていた古文書、通称『緋の断章』の入手と解読に成功していた為である。
消息筋や古文書収集家の話によると、これは魔王を復活させる手順が記された書物であり、それによれば今年は魔王の復活紀にあたっているらしい。
中でも昨日は魔王復活に最良且つ最後の星並びとなる日であり、この日を狙って兄妹は行動を起すだろうと予測したのである。
しかし時日は特定できても場所の絞込みにまでは手が回らず、第七だけではなく王都近辺に駐屯している他の部隊にも出動待機が命じられていた。

第七の迅速且つ譲歩を見せない対応に式堂兄妹は何を思ったか、学内に仕掛けていた爆弾を爆破させていき、一時現場は大混乱に見舞われたものの、指揮官以下対策に出動してきた軍関係者は誰一人として慌てることなく、終始冷静な対応を続けたお蔭で、被害は極々軽微なもので済んだ。
だが犯人の仕掛けた爆弾の一つがダンジョンの次元連結器構に影響を与えたらしく、最終試験でダンジョンに潜っていた男子生徒一名が事件から一夜明けた今になっても、未だに行方不明のままである。
また、軍と周辺警察合同での必死の捜索活動にも関わらず兄妹の姿はまだ発見されておらず、周辺住民への厳重な注意と警戒が呼びかけられている。……


各紙は連日この事件を取上げていったのだが、事件から四日目にもなると扱いが変わってきた。
まず一面からの撤退。まあ、これは仕方が無い。
被害もほとんど無いとされ、犯人も捕まらず、行方不明となった生徒の着衣の切れ端一つ見つからないのでは、どんな優秀な記者でも書ける事がなくなってくる。

次に事件の早期解決に繋がった政府防諜部門に対する見方が変わった。
それまで持ち上げる向きだったのが、プライヴァシーの侵害に当たるのではないかとの批判的論調が紙面の大勢を占めるようになった。
テロには屈さないとする政府の基本方針は措くとしても、テロの対応は軍の管轄外であるとの声や、今回の犯人も不穏な現代社会の被害者ではないのか、今の社会に適応できない者とは話し合いも持たずに排除するとのやり方は、更なるテロを生むだけではないかとの意見も出始めた。
だが……それらも次々と湧き起こってくる事件の報道に脇へと追いやられていき、事件から二週間経った三月十一日、地方欄の隅に一番小さい活字で、男子生徒の捜索打ち切りという記事が二、三行、載ったのを最後に、事件は殆どの人の記憶から消えていった。

ダンジョン施設に消えた男子生徒の名は相羽カイトと言った。


その殆どの人から忘れられていた相羽カイトが現世に帰ってきた。
本人としては帰ってきたなどという意識はない。
師と仰ぎ兄の様に慕っていた甲斐那の死と、妹の様な可愛らしさと姉の様な包容力を持った刹那の最後に打ちひしがれ、呆然としていた。
甲斐那に託された御神刀、富嶽の重さと冷たさだけが、二人の死が現実であることを少年に認識させていた。

念のためにと担任から渡されていた使い捨て転送器を作動させると、なんとも言えない、まるで細胞の一つ一つを何かが通過していくような感覚に襲われ、気がつくと見慣れたダンジョン施設に立っていた。
一年間何度も上り下りしてきた階段には見慣れない、と言うか、見た記憶のない隔壁が下りている。
試験中止と体育館への避難を命じる担任に逆らい、ダンジョンに潜っていた事をカイトは思い出した。

(これはベネット……先生、かなりキてるなぁ)

早く帰ると約束しておきながら、連絡を入れずに午前様で帰宅したお父さんにでもなった様な気持ちでカイトは防護壁を叩き始めた。
向こうも鬼ではない。
止むに止まれぬ事情があっての事だと説明すれば、きっと理解して貰える。
そう思っていた。

しかし呼べど叩けど扉は開く兆しどころか、向こうに人が居る気配さえない。
お父さんから一転し、悪さをして夜、家の外に放りだされた子どもにでもなった様な心地で、カイトは必死に防護壁を叩き続ける。
痛いという感覚すら手から消え、声も嗄れた頃になって、ようやく防護壁が動きを見せた。

わずかに扉が開かれ、その隙間から何かが投げ込まれる。
何かと目を向けた瞬間、目を灼く閃光と耳をつんざく轟音にカイトはひっくり返った。
更に追い打ちを掛けるが如く、鼻を突く刺激臭まで辺りに漂い出している。
咳き込むばかりで声が出せない。
段々と遠のいていく意識の片隅で、隔壁が大きく開かれていく。
隔壁の向うからわらわら入ってくる人影を見て、モノレダーが小躍りして喜びそうな光景だな、などと言うバカな感想を抱いたのを最後にカイトは意識を失った。

だからカイトはその後にどんな事があったのか全く知らない。
ミュウ達が自分の体に縋り付いて、火の点いた様に泣き叫んでいたことも。
そんなミュウ達を取り囲んで舞弦学園の生徒たちが驚愕の眼差しを向けていたことも。
それら生徒たちの集団から独り離れ、にまぁ〜と嬉しそうな笑みを浮かべているピンク色の髪をしたスカウト女教師が居たことも。
そして……

舞弦学園から遠く離れたところにある建物の一室で、それまでピクリとも動かなかった器械が急に運転を開始し、やはりこの器械をずっと観察していた職員が、大慌てでそのことを上司に報告しに行ったことに至ってはカイトには知る由も無かった。

世界の大部分は少年を置き去りにしたままでも回り続けていられたが、極々一部はその運行を停止させていた。
カイトが帰ってきたこの時までは。


今日は、王国暦五六八年三月十一日。
『式堂事件』でカイトがダンジョンに消えてから、地上では五年もの月日が流れていた。






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