ぱすてるチャイム
Another Season One More Time
菊と刀


11
母の掌・父の拳・子どもの姓



作:ティースプン





次に有るのは王国暦五六八年四月十一日、日曜日の新聞の一面である。


舞弦学園冒険課、射撃演習場完成

舞弦学園に件の射撃演習場が完成の運びとなり、昨日はその完成記念式典が催された。
確かに最初の山場を無事に越えられたことには違いない。
だが逆に言うと、もう後戻りはできないということであり、山積みになってる問題に取り組んでいかなければならない学園関係者にとっては、必ずしも喜ばしい祝賀会という訳でもなさそうだった。
式典に参加していた工事の関係者等は肩の荷を降ろせたと安堵の表情を浮かべていたが、学園関係者並びに今回軍から指導員として派遣されてきた人材にも余裕の笑顔というものは見られなかった。
サイは投げられたのである。

今回の式典に出席していたのは、国からは教育相の○○氏、法案推進の原動力となった軍首脳部のボー・ベリエフ将軍、地区の教育委員会の面々、今回学園に銃器を提供するメーカー四社からの代表者、冒険者協会のお歴々等であった。
その中で特に我々の目を惹いたのは、徒手武術科に講師として招かれることになった、竜園寺将軍のご令嬢、竜園寺 菊氏。
それと、つい先日今回のカリキュラムに大口の資金援助を申し出てきたユシュトフスキー商会会長、ウラディミール・I・ユシュトフスキー氏が会場に姿を見せたことだった。
これまで公の場に姿を現したことの無い二人に会場は驚きに包まれていた。

竜園寺 菊氏は万州戦争の英雄、竜園寺剣次郎将軍のご長女で、総合格闘技師範の資格を持つ才女であるが、かねてより竜園寺家の属する軍内穏健派は今回の法案には反対の立場をとっていると噂されてきた。
その穏健派の旗頭とも言うべき竜園寺家のご令嬢の参戦に如何なる意図が隠されているのか、我々取材陣は注目した。

軍から派遣されてきた教官の代表として壇上に立った菊氏は、挨拶の席上で先ずこう述べた。
病床の父に成り代わりまして、今回の法案成立に御尽力頂いた政府関係者、関連企業の皆様、そして舞弦学園の先生方には厚く感謝の言葉を述べさせて頂きます。

その後、氏は昨今の悪党冒険者による治安の悪化、軍の人員不足に対する憂慮を語り、現状を打破する為の行動として今回の法案を支持する考えに至ったことを述べられた。
挨拶の中で氏は、銃の持つ戦略兵器としての可能性や有効性に付いても意見も口にし、穏健派が今回の法案に対して深い理解を示していると告げた後、壇上を降りた。

そして氏の直ぐ後、もう一人のウラディミール氏が壇上に上る。
ベルビアの経済を左右するとまで言われている巨大企業ユシュトフスキー商会だが、その傘下に銃器開発部門は無かった。
そのユシュトフスキー商会の会長が何故、今回、このカリキュラム実施に必要な資金を出すことにしたのか、その理由が語られると我々は期待に胸を膨らませた。

しかし、挨拶の後、ウラディミール氏の口から出たのはそんなモノではなかった。

「企業家は、他人に金を払うのではなく、他人から自分へ金を払わせるのが仕事だ。今回の援助について私から何か情報を聞きだしたいのなら、私が払った額以上の金を私の前に積み給え。そうすれば私も一言二言ぐらいは話す気になるかも知れない。それが無理なら、記者諸君、自分達の足で探り当て給え。羽も生え揃わない雛鳥じゃあるまいし、馬鹿みたいに口を開けて待っていた所で私から引き出せる情報など有りはしない」

壇上に上がってきた時と同じ仏頂面のまま、氏は壇上から降りると我々記者団を尻目にそのまま会場を後にした……


ここは舞弦学園から各種交通機関を乗り継いで三時間の所にある相羽カイトの家、いや、カイトの両親の家である。
今は日曜の午前中、丁度食事の用意ができたところだった。
カイトは食卓の自分の席に座って新聞を読んでいる。
父親の声にカイトは新聞から顔を上げた。

「なに、父さん?」
「いや……お前が一面の記事に目を通してるなんてな」
息子の成長を喜ぶというよりかは、面白がってる風な笑みを浮かべながらカイトの父親が言った。
手にはおかずを載せたお盆が握られている。

「俺だって何時までも子どもじゃないぜ、新聞だって読むさ。それに、いま自分の通ってる学園が記事になってりゃ俄然興味だって湧いてくるし、最近は図書館で……」
カイトはそこで言葉を止める。
父親もなんだか決まり悪そうに咳払いした。
「それよりも飯にしよう。母さんを呼んできてくれ」
父親の言葉に息子は頷きを返す。
親子が食卓にそろい、遅朝となった。

「あれ? 父さん、料理なんか出来たっけ?」
料理に二口、三口と箸をつけた後になってからカイトはそんな間抜けな言葉を口にする。
「今頃になって何を言ってるんだ、お前は」
ボリボリ漬物を齧りながら、父親が呆れ顔でつぶやく。
「昨日のご馳走だって、全部、お父さんが拵えてくれたのよ。気付かなかったの?」
汁物の椀から唇を離して、妻も夫に唱和する。
その口調にはなにか面白がってる雰囲気があった。
「え? だって、昔は……」
またしても、カイトは途中で言葉を止めた。

まただ。
どうしても、五年間の消失に話が行ってしまう。
触れたくないのに、考えたくないのに、どうしても、そこに目が向いてしまう。
カイトの中で違和感や孤独感、寂寥感が膨れ上がった。

「まあ、最近はジェンダーフリーの意識が高まってきてるからな。母さんに家事を任せっぱなしって訳にはいかんだろう」
暗くなった雰囲気を盛り上げようと、父は明るい声を上げた。
「そんなことよりも如何だ? 母さんに比べて、父さんの料理は?」
そう問うてくる父の目には純粋な興味の光があった。
「え? ああ。う〜ん、一寸、母さんのに比べたら塩味が足りないっていうか、あっさりめってか、そんな感じ。それ以外では、全然、気付かなかった。昨日の料理も」
昨日はカイトの好きな物ばかりが食卓には並んでいた。
料理を作っている間、風呂に入ってこいと父に言われてカイトはその場には居なかったが、てっきり母親が料理を全部作って、父親は配膳係を務めたのだろうとしか考えてなかった。

あれだけの料理を全部父が一人で作ったとはカイトには信じられなかった。
カイトの知る父は料理はおろか自分でお茶も満足に淹れられない人間だった。
カイトの母が居なければ、自分の靴下一つ探してこられないような人間だった。
建築会社に勤めており、帰ってくるのは何時も夜遅くで、二、三日顔を会わさないのもザラだった。
それなのに、昨日は昼間、自分を駅まで迎えにきていた。
一体如何なっているのかとカイトが考えた時、父が笑いを含んだ声で言った。

「そうか。まあ、薄めの味付けはアレだな、親父の味と言うか、男とオンナの味付けの違いというヤツだな」
息子の言葉に父は大層気を良くしたみたいだった。
「なに? 男と女の味付けの違いって?」
父の言葉は自分と微妙にイントネーションが違うようにカイトには感じられた。
「お前も結婚すれば……いや。女の子に毎日飯を作って貰うようになれば判る」
父はにやにや笑って、息子の質問をはぐらかした。


食事が終わり、両親は五年前の事、それとこの五年間に相羽家を襲った出来事に付いて話を始めた。
カイトの行方不明が本人の勝手な行動に拠るものだと言うことが知れ渡ると、その突き上げは学園と両親に向けられた。
その辺りは本当にいろいろ有ったはずなのだが、父も母もその事は一切話そうとはしなかった。
自宅周りでの騒ぎがやや鎮静に向かった頃、相羽家はここに引越したのだ。
父の伝で信用できる引越し業者を頼み、夜の内に前の家にあった家財道具を持ち出した。
住所はミュウの家と当時の冒険課主任であったバド先生だけに話して誰にも告げなかった。
そして軍が捜索打ち切りを発表した日、カイトの母親が心労の余り倒れてしまったのだ。

会社には長期休暇を申請し、父は必死で妻の看病に当たったが、もしミュウとコレットが助けにきてくれなかったら、自分たち夫婦はどうなっていたか判らない。
父は真剣な表情でそう話した。
学園を卒業した二人はカイトの母親が倒れたという伝話を受けると、大急ぎでこの家に飛んできてくれた。
そして慣れない家事に四苦八苦している父を助けてくれたのだと言う。

父は少しずつ家事を覚え始め、ミュウ達は寝込んでいるカイトの母の看病に当たった。
ミュウとコレットが母の心に張りを取りもどす為に何かしようと考えたのはこの時だ。
二人はカイトの母親の部屋から見える庭の位置に種を蒔き、花壇を作った。
ミュウの趣味にガーデニングとフラワーアレンジメントが加わったのはこういう経緯からだ。

植えられた種が少しずつ芽吹いていくにつれて、母の心にも活力が戻っていった。
夫の介添え付きでその辺りを散歩できるようになったのは、カイトが消失してから一年半が経った頃だった。

この頃には、父は完全に会社を辞めて翻訳の仕事を始めていた。
建築関係の原書を王国語に直す仕事だ。
会社に勤めていた頃に妻が少しずつ蓄えてきた貯金とで、夫婦二人がどうにか食べていけるだけの収入があった。
そして丁度この頃、学園からミュウ達二人に教諭補助の仕事に就いて欲しいとの要請が来るようになった。
夫婦は何時までも二人を自分達に縛り付けておく訳にはいかないと考えていたし、二人の方もカイトが戻ってくるのなら真っ先に会いたいとの思いがあった。
カイトが消えて二度目の春、ミュウとコレットはこの家を離れて舞弦学園に赴任した。
火が消えた様な夫婦二人だけの生活が始まった。

翻訳の仕事を続けながら、父は現代の建築力学的見地から見た古代迷宮の構造に関する独自の考えを論文に書いて研究誌に投稿発表した。
息子が消えたという迷宮の仕組みや構造を知りたいという、純粋且つ悲痛な思いから始めたことだった。
素人考えながらも斬新なアイデアが盛り込まれた父の論文は考古学会および建築学会からかなり高い評価を受け、本としても出版されてその年の業界出版物の各賞を総なめにした。
その印税と翻訳の仕事、そして時々舞い込んでくる冒険課や建築関係の講演料などで今は生計を立てている。
それがカイトの両親のこの五年間だった。


カイトはいたたまれない気持ちで一杯になった。
自分が間違ったことをしたとは今でも思ってはいない。
だが、それが両親にここまで迷惑を掛けることになるとは全く想像もしていなかった。
ますます、冒険者になることが虚しいことのように思われてきた。
その時、母がカイトの名を呼んだ。

「お前、学園を辞める気は無いかい?」
母の顔は真剣だった。
「今だって冒険者は社会の害悪になってきているし、これから先もどうなって行くか判らないんだよ。冒険者を目指していく、続ける価値って本当にあるのかい?」
この問いにカイトは「中途退学したその先こそどうなるのだ」と尋ねかえした。
「今、お父さんにね、働かないかって言ってくれてる大学や研究機関が幾つか有るのよ」
母の言葉に驚いて父の方を見ると「確かにそういう話が来ている」と父も答えた。
「それでね、父さんと一緒に働きながら今とは別の道を目指したら如何かって。大学でも、学業や実力面では充分冒険課を卒業したと看做せるだけの物が具わってるって言ってくれてるのよ。お前がその気なら特別に編入を認めても良いって」
母は嬉しそうにそう言った。
大学が息子の学力を認めてくれたことが本当に嬉しいのだろう。
五年前の社会の風当たりを思えば、天にも昇るような心持なのだとはカイトにも判った。
そして、とても有り難い話、夢の様な好条件の申し出であることも。
しかし……


「母さんは落ち着いたの?」
カイトが心配そうな声で父に尋ねる。
「ああ。薬を飲んでようやく寝てくれた」
答える父の声にも疲労が濃い。

息子の返事に母は半狂乱になった。
カイトは冒険課を続けたいと両親に告げた。
その結果だ。

何故自分が冒険者に拘るのかは、カイトにも判らなかった。
ダンジョン実習が始まり、今の冒険者の実態を知ってカイト自身、冒険者になることに疑問や虚しさを感じつつあったにも関らず、その答えを出すのに迷いは無かった。
両親を悲しませることへの躊躇いはあったが、冒険者を目指すことを選ぶのに迷いは無かった。

「父さんは反対じゃないの? 俺が冒険課を辞めないことに?」
息子の問い掛けに父はこう訊き返した。
反対だと言えば言ったことを引っ込めるのかと。
「出来ないことを口にするな。有りもしない期待や幻想を相手に抱かせるのは罪だ。それも非常に重い」
明るく軽い口調で父は言っていたが、その言葉に込められていたものはとても重くカイトの胸に響いた。
「それに母さんはああ言ってたが、恐らく大学側の思惑は別の所にあるな」
そう言った後、客寄せパンダの類で自分達を欲しがっているのだろうと父は続けた。

「新設学部や、生徒数獲得で伸び悩んでいる大学。そういった所だ、お前や父さんを欲しがっているのはな。客引きや宣伝効果、或いは探られたくない事から世間の目を逸らすためのオトリだ。お前の学園に来た竜園寺家のお嬢さんみたいな物だな」
「あの娘はそんな娘じゃない!!」
間髪入れず、父の言葉に言い返したのが何故なのかはカイトにも判らなかった。
声を上げた自分を唖然とした表情で見つめている父を見て、自分の言動に気付いたぐらいだ。

「ミュウちゃん以外の娘を、そこまでお前が必死に庇うのは初めてだな」
ニヤニヤ笑う父にカイトは大慌てで弁明する。
竜園寺 菊が初めて行った授業の様子とその時の言動を聞かされて、父は表情を改めてこう言った。

「冗談はさておき、あのお嬢さんが真剣に武術教員を務めようとしているのはお前に聞くまでもなく判っている。昨日テレビでも視たが立派な娘さんだ。流石は竜園寺家の当主、“ベルビアの盾”の娘だ。とてもウチの馬鹿息子と年が同じだとは思えんと、母さんとも話してたぐらいだ」

当主?
あの娘は長女だと新聞には書いてあったが。
それに病気とは言え、お父さんもまだ生きてるのではなかったか。

息子の顔にそんな疑問が浮かんでいるのに気づいたのだろう。
父はこう話した。

「竜園寺将軍は死んでこそいないが、全身麻痺で寝たきりの状態だそうだ。他人との意思疎通も難しいらしい。あのお嬢さんの上にご子息が居られたそうだが、数年前に事故で亡くなられたと今日の新聞にも載っていたぞ」
父に言われてカイトは新聞を読み返してみた。
一面の終わりに中面に関連記事有りとの記載があるのを見落としていた。

「まだまだ新聞の読みができてないな」
笑いを含んだ父の声。
しかしそこに嘲りや揶揄の響きはない。
今の息子の中に五年前、いやもっと以前の自分が知ってた息子と変わっていない所を見付けることができて、安堵し喜んでいる。
その思いが形となって現れた笑いだった。

「とにかくだ。あのお嬢さんが真剣なのは本当だとしても、それを軍の上の方や政治家がどう使おうとするかは、丸っきり別個の問題なんだ」
父の言葉にはカイトにも思い当たることがあった。
「いわゆる現場とこうほうの違いって奴?」
息子の言葉に父は少し眉を顰める。
「イントネーションが違う。「こうほう」じゃなく「こうほう」だ。お前の言い方だと報道なんかの意味の「広報」に捉られてしまうぞ」


壁の時計が鐘を一つ打った。
針は二時半を指している。
休日の運行ダイヤを考えると、そろそろ舞弦学園に戻らなくてはならない時間だった。

「学園に行くまえに母さんに挨拶してこい」
父に言われてカイトは母親の部屋に向かった。

一階に在る母の部屋の窓からは庭の花壇がよく見えた。
和欄陀式とか言われる様式だと父は言っていた。
買ってきた本やネットからダウンロードした画像等と首っ引きで、言い争いながらも賑々しく花壇を作る二人の姿にカイトの母は随分と励まされたのだと。
泥だらけで花壇を拵えてるミュウとコレットの姿が目に浮かぶようだった。
父の言っていた通り、母は薬から醒めてベッドの上に身体を起こしていた。

「あの、母さん。俺……」
言い出し難そうにしている息子に母が声を掛ける。
「学園に行くんでしょう」
嘆息する母にカイトは何と言って良いか判らなかった。
「……カイト」
自分の方を向いて、両手を差し伸べている母にカイトは身体を寄せた。

頬に触れる母の掌の感触は昔とは随分違っていた。
五年前に倒れて以来、家の仕事は夫や昔のお隣の娘さん達に任せきりだった所為で、肌荒れやカサカサした感触は消えて軟らかくなっていた。
ミュウや竜園寺 菊の手よりもずっと軟らかく、すべすべした手だった。
だが――それでもカイトはこれは母親の手だと感じた。
昔、自分の頭を撫で、頬を叩いてきた頃とちっとも変わっていない、母の掌だとカイトは思った。

母はカイトを抱き寄せた。
母の首筋から立ち上る香りはミュウが付けていた香水と同じ物だったが、ミュウとは違う匂いだとカイトは思った。
母親の匂いだと、カイトは感じた。

「……行くんだね……」
母は息子の耳元でそう囁く。
息子が謝ろうとした時、母は腕の力を強めた。
「何も言わなくて良いよ。母さんも、もう、何も言わない。だけど、これだけは言わせて頂戴。どんなことがあっても、必ずこの家に帰ってくること。どれだけ恥ずかしい真似や、卑怯な振る舞いをしたって良い。必ず父さんと母さんのところに戻ってくること。良いわね?」
返事も聞かないまま、母はカイトを送り出す。
ベッドに俯き、顔を見せようともせず、息子を入口へと押しだした。
その姿に何も言えず、カイトは母の部屋を後にする。


駅まで送ると言う父に連れられてカイトは家を出た。
しばらくの間、父も息子も黙って歩いていた。

「お前が冒険課に入ると言いだしたとき、母さんが必死になって反対したのを覚えてるか?」
急に父がそんなことを尋ねてくる。

「母さんのお父さん、つまりお前のお爺さんだが、お爺さんは冒険の旅に出たまま帰らなかったんだ。子供の頃の夢を捨て切れず、竜庭ケンジにでもなったつもりで、同じ様な人達と一緒に大陸に渡ってそれっきり帰ってこなかったらしい」
聞いたことのない名前が出た。
自分の大先輩に当たる冒険者かと思い、カイトは父に尋ねたのだが……

「ああ。大昔の冒険漫画かなにかの主人公の名前らしい。父さんも詳しいことは知らない。とにかく、お前のお爺さんのことがあって以来、母さんは冒険者という人種が嫌いなんだ」
父の言葉にカイトは拍子抜けする。
「だがそれだけお前のことを心配し、大事に思ってるってことだ。そして自分の想い、母親のエゴだけで息子を縛るのがいけないと解ってるからこそ、何も言わず、お前を信じて送りだしたんだ。母さんを悪く思うんじゃないぞ」

父に言われるまでもなく、カイトは母の心配をありがたく思いこそすれ、悪くなど思ってもいなかった。
その気持ちを伝えられない自分がもどかしく、情けなかっただけだ。


「この前の映話でも訊かなかったことだがな、カイト」
父が足を止めて息子の方を向いた。
場所は駅を眼下に望む坂の上である。

「五年前のことをお前は悪いとは思って……いや。なにも悪いことはしてないんだろう?」
真正面から息子を見据えて父が尋ねた。
息子も真っ直ぐ父を見返して答える。
悪いことなどなにもしてないと。

「……なら良い。父さんも母さんも、お前を信じる」
そう言って父はにこりと笑った。
「父さん、心配掛けて御免と母さんに伝えと……」
そう言おうとする息子を父親は笑ってさえぎる。
子を心配するのは親の権利だと。

「もう、ここで良いよ」
カイトはそう言った。
父も判ったと答えて息子にこう言葉を掛ける。
「じゃあ、しっかりな」
「うん。また来るよ」
その言葉に父は息子に拳を見舞い、そして怒鳴った。


「場所と外側こそ変わったがあれはお前の家だ!! 俺と母さんが、大事な息子の帰りをずっと待ってる場所だ!!! 自分の家に来る、なんて言う馬鹿が何処の世界にいる!!!!」


「お前が居なくなって俺たちがどれほど悲しんだか、無事生きて帰ってきてくれて、どれだけ喜んだか、見せられるんならこの頭をかち割ってお前に見せてやりたいぐらいだ!!」
顔を真っ赤に染めて怒鳴る父の目からは滂沱と涙が溢れていた。
色々な感情が入り混じっているのが判る涙だった。

カイトは初めて父に怒鳴られた。
また、初めて父に殴られた。
父に殴られた頭の痛みと、父に怒鳴られた心の痛みと、父の目から溢れる涙にカイトは胸から熱い物が込みあがってくるの感じた。

何時の間にか、カイトの目からも涙が溢れ出していた。

声もなく、父子して共に涙を流した。


「じゃあ、行って来るよ、父さん」
息子が含羞みながら父に言った。
「ああ」
父親の方もやはり照れ臭そうな笑顔でそう答える。
「俺は母さんが心配だからこれで帰る。勉強をしっかりやれとは言わんが、もうチョッと、新聞はちゃんと読めるようになれ。それと大人の話には耳を傾ける様に。あと、俺たちに迷惑を掛けるのは構わんが、彼女になる娘にだけは余り心配を掛けないようにしろ」
そう言った後、意味ありげな笑みを浮かべてこう続けた。
「ミュウちゃん達によろしく伝えといてくれ、またウチにも遊びに来てくれるようにともな」
最後にしっかりやれよと言うと、父は背中を向けて、来た道を戻っていった。

カイトは父の背中をしばらく見つめていたが、二、三度軽く頭を振ると駅までの坂道をゆっくりと下っていった。
一度も父を振り返らなかった。
振り返らなくても、父の背中はカイトの目蓋に焼きついていた。
しょぼくれて頼りない感じのする背中だと幼い頃はずっと思っていたが、本当はその背中で自分達を守り続けてくれていたのだとカイトは気付いた。

弱くても家族を守るためなら、幾らでも、力を振り絞れる男の背中。父親の背中だとカイトは思った。

自分とミュウ達との関係はどうか判らないが、少なくとも親子の絆に変わりはない。
そう確信できたことで自分のなかの不安や違和感が少し和らいだ。
この時のカイトにはそんな風に思われていた。
それがどれ程馬鹿で、見識の浅い考えであったかをカイトは後々知ることになる。


カイトが実家から戻って二日後。
器材の搬入や指導員の到着、何よりも射撃演習場の完成が遅れた為、延び延びになっていた射撃術の授業がこの日から開始された。
運動場で教官を待つ生徒達の顔は期待で光り輝いている。
どんな教官が自分達に付いてくれるのだろうと。
竜園寺先生のような嬉しい誤算や裏切りという物が現実にこの世にはある、それも身近にあることを知れば生徒達が期待し、興奮するのも無理はない。

可愛い子かな、それとも美人系だろうか。
イケメンかしら、サン様似の眼鏡の似合う微笑みの貴公子なら良いのに。
……そんな感じだ。

カイトはそういう期待で胸を膨らませている生徒たちを(多少)冷ややかな目で眺めていた。
そんな馬鹿な話がある訳が無いと。
竜園寺 菊は徒手武術だからこそありえた例外だ。
徒手武術という既に確立され、広く知れ渡っている技術だからこそ、彼女も幼い頃から学ぶ機会に恵まれ、師範免許を修得するまでに至ったのだ。
それに父の話を聞いて自分でも少し新聞等を読み返してみて、彼女が舞弦学園へ赴任したウラには軍の内外でも様々な思惑が働いていたのだとカイトは考える様になっている。
だからこそありえた、例外中の例外なのだと。

だが銃は違う。
射撃術は違う。
使用法どころか、武器その物が未だ完成されたとは言いかねる代物だ。
そんな道具の使用法に精通して、なおかつ客寄せパンダが務まるほどの見た目を持ったお嬢さまや貴公子さまが、そんなにゴロゴロと軍や政府関係者の中に転がっているワケがないと。

(大体、何だよ。あのサン様とか騒がれてるニヤケ面したフレーム眼鏡の兄ちゃんは。藩流だか「冬のフーガ」だか知らないが、今どきあんな話こそ在ってたまるか)
黄色い声あげてる女の子達を見てカイトは胸中毒づいた。

カイトが口にしたのはナナギの藩王国で製作されたテレビ番組のことだ。
それが最近ベルビアに紹介されるや否や、若い女性やオバサンたちの間で一大ブームを巻き起こし、その続編や主演俳優の昔の番組などがこの国で次々と放映されて人気を集めるようになった。
この一連の流れを藩流ブームとか言うのだと、カイトは新聞や雑誌などで知った。

「ねぇねぇ、来たわよ!!」
「本当だ! どっちかな?」
「そりゃ、右側の背がすらっと高いウェスタン系でしょう、決まってるじゃない」

女の子達の声にカイトは思考を中断させられる。
目を向けると二人の軍人がこちらに歩いてくるのが見えた。
一人は、少女たちの言う通り、背の高いウェスタン系のまだ若い軍人である。
だがその軍人は運動場には来ずに、そのまま武術場の方へと歩み去っていく。
そしてカイト達の待つ運動場に来たのは……


「あ〜。うん。わし、いや、自分、でも無い、私が貴様らウジ虫ども、じゃダメだった、き、き、き、君達! 君達のオモチャ遊び、いかんいかん。しゃしゃしゃ、射撃術! そう。射撃術のし、し、指導に当たることになったライオット・ワーブ軍曹、いや、ワーブ先生である!」
カイト達の前にやって来たサザン系人種の特徴が目立つその教官は、厳つい顔に引きつった笑顔を浮かべながらその様に名告った。

年齢は五十絡み。
混血が進んではいるが、中を流れる血は半分以上サザン系の物と思われる。
日に焼けた顔は軍隊暮らしの長さが偲ばれ、顔やら袖を捲り上げた腕は古傷だらけ。
目を凝らして相手を観察していたカイトには、その左耳上半分が欠けていることに気付いた。
短躯だが頑丈そうな肉体の持ち主で、頭髪には白いものが混じり始めていた。

叩き上げ、鉄の軍人、戦争の犬。
カイトがこの人物、ライオット・ワーブを初めて見たときに感じた印象である。
竜園寺 菊とはまた違う、別の、筋金入りという印象をカイトは受けたのである。
今その筋金入りの戦争の犬は、引きつった愛想笑いを浮かべ、泣きだした女生徒達を励まそう、慰めようとしていた。

少女らの泣いていた理由は単純だ。
予想を完全に裏切られた失意で泣いているのだ。

彼女たちのなかで物見高い者が数名、軍から派遣されてきた教官達の仮設兵舎を朝の内に覗いてきた。
そこで流石にサン様とまでは行かないが、充分イケメンと呼べるだけの面子が数名派遣されてきていることを仲間内に報告していた。
そして先程武術場の方へと歩み去ったのが、報告に上がった中でもトップクラスの教官だったのだ。
また一番の醜男だと報告されたのが、いまカイト達のところに来た、このワーブ先生なのである。
盛り上がるだけ盛り上がってしまった期待と興奮を完全に裏切られたのだ。多感な年頃の少女達にはきつかろう。
カイトを初めとする男子生徒達も、流石にこれは可哀想だなぁと憐憫の情を催してしまった程だ。
だが……


「ふざけるな!! クソアマども!! いい加減にメソメソ泣くのを止めんと、その生っちろい首切り落としてクソ流し込むぞ!!」


ワーブ先生のこの言葉にはカイト達も仰天し、言葉を失う。
女の子達も一瞬は泣き止んだものの、言葉の意味が浸透してくると先刻よりも大きな声で泣き始めてしまった。
その状況を前に先生はあーだの、うーだの天を仰いで喚いていたが、視線を戻して生徒達に号令をかける。

「射撃術の訓練を始める前に、先ずは全員体力作りだ!! 泣きながらでも構わん!! 全員、グラウンドを二十周!! 駆け足!!」

先生は前方を指差す。
だが、即座にその命令を行動に移せた生徒は居なかった。
まだ衝撃が抜けてなかったのである。

「さっさと走らんか!! この○○○○○の□□□□□□□が!!! そんなにグズグズしてたんじゃ、万州に行く前に戦争が終わっちまうだろうが!!」
またしてもワーブ先生の口からとんでもない言葉が紡ぎ出された。
その言葉に込められていた怒気に、生徒達はやっとのことで反応できたのである。


生徒達が走っている周りをワーブ先生が随走する。
前へ、後ろへ、右に、左に。
普通に走るカイト達よりも遥かにきつい運動量を、息も切らさず難無くこなしている。
走りながら先生は泣かせてしまった女生徒達を泣き止ませようと口を開きかけるのだが、良い言葉が思い浮かばないらしい。
カイト達男子生徒でさえ、さすがにこれは可愛そうだなぁと憐憫の情を催してしまった程だ。

「ああ、くそ!! おい! 誰か! 誰でも良い! 男子生徒!! 何か歌え! 元気になるヤツだ!」
良い言葉が思い浮かばないので、丸投げすることにしたらしい。
いきなりそんな無茶なことを言い出した。
「陸戦隊じゃあなぁ、訓練中は歌う決まりになっとるんだ! 少なくとも、わしはわしの下に送り込まれたク……生徒を走らせるときは歌を歌わせることにしている。判ったら誰でも良い、何でも良いから歌え!!」
いきなりそんなことを言われても、こんな状況で歌えるような曲など誰も思いつかないし、そもそも誰も歌いたくなどなかった。
「ラチがあかん! 番号順だ! この隊の男子の出席番号一番はどいつだ?!」
一人を除く全ての男子生徒の目がその一人に注がれる。


「アイバ、カイトだと〜。そうか、貴様があの……」
ワーブ先生の声に何やら不穏なモノが混じっているのを出席番号一番、相羽カイトは感じた。
「有名な『浦島太郎』にお会いできてコーエーだぞ、アイバァ。これからたっぷり可愛がってやる。泣いたり笑ったり出来なくしてやるからな」
表情にも不気味なモノが浮かんでいるのをカイトは見た。
「兎に角、今は歌だ、アイバァ。他のクズどもも知っていて走りながら歌え、ワシが知らない最近の流行歌、それで元気が出る様なのを所望だ」
そんなことを言われても、元々芸能や歌謡関係に疎いコイツに最近の流行歌、人気のある曲など判ろうはずも無かった。
恐る恐る、その旨を先方に伝えるが……

「知るか! 貴様の事情など!! さっさと歌わんか! さもないと、これから実技でどれだけ貴様が優秀な成績を収めようと、わしの授業に於ける貴様の考課表にはゼロが並ぶことになるぞ!! それでも良いのかぁ、相羽クン?」
見てると鉄拳をめり込ませてやりたくなる様なニヤニヤ笑いを浮かべながら、ワーブ先生は最後通牒を叩きつける。
「これから五つ数える。クソ五つだ、マヌケ! 五つ数え終わるまでに歌い始めなければどうなるか……。一……、二……、三、……四、……g」
カウントが終わろうとする直前、カイトは大声を張り上げた。
カイトが知っていて、他の者も知っているであろう有名な曲。
カイトが自棄になって歌いだしたのは、ちんけプロデュース、モーニング狼。の「0魔神(ラブマジーン)」だった。

涙がこぼれそうになるのを堪えつつカイトは思う。
あの両親の許に産まれたことを、誇りに思いこそすれ、非難する気持ちはこれっぽっちも無い。
しかし……

どうして自分の苗字は相羽なのだろう、と。


今日は、王国暦五六八年四月十三日。
射撃術の実習が開始された日。
一部の生徒達が状況を選べない我が身の不運を嘆いた日。
その昼前の事だった。






[Central]