ぱすてるチャイム
Another Season One More Time
菊と刀


15
a BloodStained Blue Week-Part Three



作:ティースプン





「いったい俺は何をやって、いや、何をやらされているんだろう」
相羽カイトが目の前に垂れてくる『髪』を物憂げにかき上げながら呟いた。
「僕は、なぜ、こんな目に遭わされてばかりいるんだろう」
ミハイル・ベイリュールが天を仰ぎ、目に涙を滲ませながら呟いた。
「私の周りにいる男達って、どうしてこんなにアレな連中ばっかりなんだろう」
ナージャ・アントノーヴァが眉間を揉みほぐしながら呟いた。
「「お前が言うな!!」」
カイトとミハイル・ベイリュールは同時に叫んだ。

三人が居るのは王都の繁華街。
目抜き通りから筋を一つ違えた所にあるオープンスタイルカフェを模したファーストフードレストラン。店内一階の一隅である。
時刻は、更衣室前で誤解しか招けないたわ言を口走ってカイトが気を失った土曜日から、一夜明けた日曜の午後三時だ。
前回直後にまで時間を巻き戻して、冒頭カイト達があの様な発言をすることになった理由を見ていこうと思うが、その前に少しだけ、場所の説明をしておきたい。

ここはユシュトフスキー商会の系列企業がチェーン展開しているファーストフードレストラン、ヤクドナットルの一つだ。
この業種の草分け的存在であり、二大陸のあちこちに出店してきたが、近頃は売り上げが伸び悩みを見せていた。
最近発生した狂牛病や鳥インフルエンザなどの影響で客足が離れたことも原因の一つだが、無計画な出店攻勢を掛けてきたことが要因としては大きい。
そこでユシュトフスキー商会ではリストラ政策を掲げ、店舗数の大幅削減と経営の見直し、更には各店舗に独自色を出させることによる売り場の再編を目指した。
後発企業がそれぞれ独自のスタイルで売り上げを伸ばしてきた事に触発された形になる。
今は各店舗が、おたがい生き残りを賭けて、独自色による差別化を図ろうと必死になっているところであった。

カイト達の居るこの店の独自色は、新鮮な無農薬野菜や果物を使ったフレッシュジュースだ。
最近流行の健康志向やスローフードに着目したというわけである。

今から二十分前、ナージャにここに連れられてきたカイトは、ザクロジュースは無いかと期待してメニューを覗いたのだが、その野望は脆くも崩れさった。
仕方なくアセロラとブルーベリーのミックスジュースに、カッテージチーズを挟んだベーグルを選び、ナージャはキャロットジュースを注文した。
果汁が少し黄色味が勝っているのはハチミツ増量の証だ。

『彼女』達は三時キッカリにここでミハイル・ベイリュールと待ち合わせることになっていた。

では、土曜日のカイトが意識を失った直後にまで時間を巻き戻す。


ワメきたいだけワメき散らして意識を失ったカイトをナージャは、パートナーの娘と二人掛りで、部屋まで運んでやった。
運ばれてる途中カイトの口からは寝言だか、うわ言だか、たわ言だか判らない妄言の数々が垂れ流されていた。
それらを聞かされる羽目になったナージャはある仮説――かなり精度の高い――を導き出すのに成功する。
即ち――

カイトはミハイル・ベイリュールに会いたがっており、彼と密かに、だが早急に会う手筈を自分に付けてもらいたがっている。

聡明なナージャではあるが、流石に何故カイトがミハイル・ベイリュールに会いたがっているのか、会って彼に何をする、何をして貰う積りかまでは判らなかった。
だが意図も脈絡も無さげなカイトの言葉には、それでも聞く者を動かすだけの真剣な気持ちが込められていた。

確かにコイツの目的が何なのか知りたいという好奇心が彼女にもあった。
しかしそんな事よりも、カイトが現実存在としての自分を頼ってくれたという事実がナージャには嬉しかった。
大貴族の令嬢だなんだと言った、有りもしない幻想やら何やらを投影してカイトは自分を頼ったのではない。
舞弦学園冒険課生のナージャ・アントノーヴァには、冒険課のホープと呼ばれた人物と密会の場を設けられる能力が有ると信じ、頼ってくれたことが嬉しかったのである。

その夜、ナージャは学内の知己に連絡を入れた。
明日午後三時、王都繁華街のヤクドで、舞園生や教師には気付かれずに、ミハイル・ベイリュールに会いたい。
彼女はそう相手に伝えた。
この言葉をミハイル・ベイリュールに伝えて欲しいと。

連絡を受けた側は、伝えてやっても良いが向うが来るかどうかまでは保証できないと返した。
しかし彼女はそれだけで充分だと答えた。
そして骨折りに感謝します、ありがとうとも。
それだけ言ってナージャは携帯を置いた。

ナージャから連絡を受けたのは、あらゆる点において、彼女とは正反対の人物だった。
決してナージャの様に色々な才能に溢れている訳ではなく、むしろ凡人より少しマシ程度の才能しか具わってなかった。
優雅さとは対極に位置し、泥臭く、汗臭く、ただ我武者羅に突き進むしか芸の無い男である。

彼らは決して友人ではない。
互いに奨学金特待生の座を賭けて争った間柄である。
ナージャ・アントノーヴァは貴族の令嬢であり、金持ちの遊びや戯れで舞弦学園冒険課に入学したと彼は思い込んでいる。
彼女のせいで親友が、本当に奨学金が必要な苦学生であるミハイル・ベイリュールに奨学金が回らなかったと怒りを抱いていた(時系列を考えると、コイツの考え方や怒り方はおかしいけどな)。
彼女に対して好意的になれるはずが無い。
しかし……

そんな彼らには一つだけ共通点があった。

ナージャ・アントノーヴァは気立ての優しい少女だが、同時に誇り高く、何事であれ他人任せにしたことは一度も無い。
周りから頼られてはきたが、自分から他人に何かを頼んだことは一度も無い。
何事も自らの手でやり遂げるという点に於いて、三人は同じ種だった。
そしてそのことをお互い理解していた。

そんな彼女が自分を頼ってきた。

あまつさえ、こちらはまだ何もしていないにも関らず、それどころか何もしない可能性を暗に仄めかしたにも関らず、先に感謝の言葉まで伝えてきた。
自分だったらその言葉が言えたかを彼は考えた。
恐らく、いや、絶対に言えなかった。
彼にはそう断言できた。
信念や誇りを枉げてまで、嫌ってる(少なくとも好意など抱いてないと解ってる)自分に頭を下げにきた相手に敗北感と、これまで抱いたことの無かった敬意とが湧き起こる。

ルームメイトが残していった直通の携帯を手に取ると、ナージャ・アントノーヴァが明日密かに、だがどうしても会いたがっていることを伝えた。


以上が昨日、土曜の夜に行われた、カイトの知らない出来事である。


日曜日。
余程疲れが溜まっていたのだろう。
カイトはあのまま寝込んでしまって、昨夜は張り込みには行けなかった。
朝早くに目を覚ましてそのことに気付くと、顔も洗わないままカイトは射撃演習場に飛んでいった。
幸運にも倉庫が荒らされた形跡はなく、特に変わった様子も無かった。
ホッとして寮の前まで戻ってきた時である。

「お早う、相羽くん」

カイトはいきなり後ろから声を掛けられた。
振りかえるとナージャが余所行きの装い、要するに制服を着て、立っていた。
ぶり返してきた眠気でややボケ気味であったが、カイトもお早うと挨拶を返す。
するとナージャは、悪戯っぽい笑みを浮かべ、カイトが仰天する様なことを口にした。

「お日柄も宜しいし、「キョウコさん」にご挨拶に参りましょう」

カイトは大急ぎで髪を梳き、念入りにヒゲ(産毛みたいなモンだけどな)を剃り、やはり制服を着させられて、ナージャに引っ張られるまま寮を出た。
どうしたことか、そこかしこに冒険課生の姿が見受けられる。
みんなさり気ない風を装ったり、風景に溶け込もうとしたり、別人に変装しようとしているみたいなのだが、修行が足りておらず、見つけようと意識しなくても直ぐそれと判った(舞弦学園前から尾行るのに変装なんかするな)。
ロニィ先生やルーブラン先生が見たらさぞかし嘆き悲しむことだろう。
カイトはそう思った。
自分達が熱心に、真剣に教えているのに、生徒達がそれに全然応えてくれないと。


冒険課生の殆ど全員が二人のこの外出に張り付いていた。
言うまでもなく彼らの興味はカイトの婚約者らしい「キョウコ」なる女性の人となりだ。
そして、何故ナージャ・アントノーヴァがその仲人を務めることになったかという経緯である。

昨日ナージャがカイトの分も含めて外出届を申請したことは、冒険課中にすぐ知れ渡った。
二人は今日「キョウコさん」の元に赴き、結納を交わすとの未確認情報(デマ)までが駆け巡っていた。
彼らは何としてもその現場に立ち会いと考えていた。
是非とも相羽カイトが選んだその女性を見てみたいとの衝動に駆られたのである。
『花鳥風月』や、今カイトと腕を組んで歩いているナージャ・アントノーヴァすら凌ぐと推測されるその「キョウコさん」なる美女を、一目でいいから、見たいとの想いに駆られたのである。

カイトがその辺りの事情を聞かされたのは繁華街にむかう魔法バスの中だ。
車内は舞園生で埋め尽くされている(見た目はぜんぜん違うけどな)。
ナージャは符牒とマイムとブロックサインとを駆使して、その辺りの情報をカイトに伝えた。

彼女がカイトのうわ言から推測した依頼、ミハイル・ベイリュールとの会合の場を設けることができたらしいこと。
時間は午後三時、場所は王都繁華街にあるファーストフードレストラン一階のテーブル席であること。
それまでにこの連中をどうにかしてまいてしまわなければならないこと。
そしてその為には、それ相応の手間と、時間と、何よりもカイトの覚悟が必要である。ナージャはそう告げてきた。
真剣な表情で。

少なくとも、その時のカイトにはそう思われたのである。


ナージャは周囲を余りというか、全く気にせずカイトを振り回した。
必要なのだと言ってカイトと腕を組み、ウィンドウショッピングを楽しみ、実際に商品を購入したりもした。
当然カイトは荷物持ち兼財布である。
先日、実家に戻った折、両親からはかなりの額の小遣いを渡されていたので支払いはどうにかなった。

だがもしカイトがこの日オケラであったなら、ナージャのこの計画はおじゃんになっていただろう。
ひいては、この数日後に迫っていた銃器類盗難が未遂で終わったことは間違いないにしても、チーターら四人を襲った運命はまったく別のモノになっていた可能性がある。
潤沢な資金が有るということ……ってか、発起人が貧乏ってだけで計画は失敗する場合があるってことだ。


昼近くである。
ナージャは沢山の紙袋をカイトに持たせ、ある店の前にやってきた。
当然、姿こそ見えないものの、大勢の舞園生が周囲には潜んでいる。
ここは本来の目的地から随分と離れていた。
今から向わなければ約束の時間には間に合わなくなる。
一体彼女がどうする積りでいるのか全く判らない。

しかしカイトにはじたばたする気も、彼女に意図を問う積りも無かった。

経緯は如何あれ、自分はナージャに頼ることを、彼女を信じることを選択した。
ならそれに従うまでだ。
躊躇うのは、実際に行動する前までに済ませておくべきである。
カイトはその様に考えていた。
だから、ナージャに促されるまま、店の門を潜った。
そしてその後の指示にも、一切文句を言わずに従った(ほんとはムチャクチャ言いたかったけどな)。
ゆえに午後三時に目的の場所で目当ての人物と会合を果たすことができた。
朝、学園を出た時とは異なる装いになってはいたが。

カイトは女装させられたのである。


カイトが着ている女物の服は、道中ナージャが買い揃えさせてきた物だ。
ナージャは女性には珍しい優れた空間認識能力を持っていた。
ぱっと見ただけで相手の身長体重スリーサイズを言い当てることができたし、ざっと見ただけで今居る場所から指差された場所までの距離を正確に単位に直すこともできた。
だから、適当に商品を選んでいるように見えて、自分たちの身体に誂えたかの様にピッタリの服を集めさせることができたのである。
そしてそれらを持ってナージャは今いる店に、知り合いが経営している美容院に駆け込んだ。
昨夜の内に自分達が行くことと正確な時間を告げ、変装用の『髪(かつら)』、エクステ(付け毛)、小物類、そして自分たちの身代わりを務めてくれるアルバイトを二人用意しておいて貰った。
店内に入ると大車輪で変装を終えて、堂々と、入ってきた入口から出ていったのである。


「尾行をまくのに変装する場合、顔を隠すのは止めておいた方が良いわ」
まっすぐ前を見詰ながらナージャは、唇をまったく動かさず、ハイヒールに悪戦苦闘しているカイトに言った。
「サングラスやマスクで顔の一部を隠したりすると相手の注意を惹いて、逆に強く印象付けることになるから。追い掛けてる側は、相手がコソコソ逃げたがってる、隠れたがってると思い込んでるでしょう? その心理を衝くの。こんな直ぐに変装を終わらせられるとは誰も思ってないだろうし、堂々と表口から自分達の前に出てくるハズなんか無いって思い込みを利用して、更にバイトの子にも、コソコソとできる限り人目を気にしてる風をして、裏口から出ていって貰ったのよ。背丈や体格、髪型、髪の色、なにより着てた服が同じだから、しばらくは誤魔化せる。この隙に監視網の外へ出てしまいさえすれば、追っ掛けては来られないわ」

ナージャは得意げにそう語る。
また嬉しそう、非常に愉快そうだった。
へその緒を切って初めて足を通したスカートはスースーして頼りなく、吹き付けられた香水はカイトの性に合わず気分が悪くなってきた。
美容院からすこし歩いた人通りの少ない場所に、これも美容院の人に呼んでおいて貰った魔法タクシーに乗り込むと二人は最寄の駅へと向かい、何本か列車を乗り継いで、待ち合わせ場所であるこの店に来たのだ。
過程やカイトの心理(と財布)に与えた影響を抜きにすれば、ナージャ・アントノーヴァはカイトの期待に完全に応えたのである。

二人が店に到着してからきっかり二十分後、ミハイル・ベイリュールが店に姿を現した。

彼も女装して、いや、させられて、ここに来た。

カイトが豊満な胸元をぐぐっと開けたボディコンスタイルであるのに対し、ミハイル・ベイリュールの方は所謂ゴスロリな格好で二人の前に現れたのだ。
彼(いや、彼女だな)が店に入ってきた時から、男性客だけでなく女性客までもがその可愛らしさに騒いでいた。
カイトは彼の変装には気付かなかった(気付かずにハァハァしていた)が、ナージャは直ぐに気が付いた。
流石の彼女も相手まで女装してくるとは思ってなかったらしく、一瞬ゲッという表情を浮かべはしたが。

「ミーシャ! こっちこっち!!」
いち早く驚愕から立ち直ったナージャは椅子から立ちあがり、手を振って「彼女」を差し招く。
こちらも変装している為、ミハイルも相手が誰なのか、また誰を呼んでいるのか直ぐには判らなかった。
だが声で今日ここに自分を呼び出した本人であると気付いた。
そして、たたた、と二人の居るテーブルに駆け寄って来たのである。
かくして冒頭の台詞へと至るというわけなのである。


「こっちは仕方ないとしてもよ、貴方の方までそんな格好で来るなんて思わなかったわよ」
ナージャが投げかけて来た言葉に憤慨し、ミハイルが口を開いた。
「僕だって」
しかし女装美少年の唇をナージャは指で抑える。
「おめかしした意味がなくなっちゃうわよ、ミーシャ。女の子が自分を指す言葉は、わ・た・し、でしょう?」
妖艶としか形容しようがないニヤニヤ笑いを湛えてナージャ・アントノーヴァは言った。

普段は大人っぽいナージャの今の装いは、フリルとレースがふんだんにあしらわれたピンク色の可愛い系ファッション。
ぶっちゃけて言うと、鏡の国のアリス2Pカラーだ(三月うさぎや『カラス』は付いてきてないけどな)。
衣装と表情のミスマッチが超イカス。
そんなナージャへの怒りか、今の自らの姿への羞恥か、女性への耐性が無い為か。
とにかくミーシャ=ミハイルの顔は真っ赤になった。

「それにしても、どうしてそんな格好で来ようと思ったの? ……まさか……そういうのが趣味だったの、貴方?!」
ナージャは椅子を引きながら、白い眼をミーシャ=ミハイルに向ける。
「ち、違う! これは姉達が勝手に!!」
ますます真っ赤になってミーシャ=ミハイルが反駁する。
その言葉に一人っ子のカイトが反応した。
「へぇ。お前の所、お姉さんが居るのか」
その呟きにミーシャ=ミハイルは何故自分がここに呼ばれたのか、何故コイツがここに居るのか、理由をナージャに質した。

「さあ。私もその辺の事情は知らない。とにかく彼、いえ、彼女、相羽キョウコさんが貴方に、ミーシャに会いたいって言うから、彼、貴方の『お兄さん』に言伝を頼んだのよ」
ナージャのこの言葉に一人っ子のカイトがまたもや言葉を漏らす。
「へえ。お前の所、お兄さんまで居るのか」
この言葉にミーシャ=ミハイルがつっけんどんな口調で答えた。
「居ない! 姉達だけだ! それも三人。みんな、ぼく、いや、わ・た・し、を玩具にして、苛めるのが好きな魔女みたいなのばっかりだ!……わよ」
本人としては大いに憤慨しているのだが、その姿はとても愛らしく、魅力的にカイトの目には映っていた。
「お兄さんっていうのは、ミーシャの元ルームメイトの事よ。そんなことより、私もここまで貴方になにも事情を聞かなかったけど、そろそろ話してくれないかしら。何故ミハ、じゃなかった、ミーシャに、学園生や先生達に知られないで会いたがったのか」
ナージャがこの会合を設けさせた理由説明を求めてきた。


「眼鏡をかけたウェスタン人の美少年商業課生と、パセリって仇名の商業課生の情報を知りたい? 一体、何の為に?」
ミーシャ=ミハイルは注文してきた紅茶に口を付ける。
その白い喉がコクリコクリと動く様にカイトは(何故か)刺激的な物を感じている。
崩れてしまいそうになる顔を引き締めるのに、コイツは必死だった。
「キョウコさん。何を見ていらっしゃるのかしら?」
底冷えのするナージャ・アントノーヴァの声にカイトは「オホン」と咳払いする。
「何の為にって、まあ、その、ちょっと、気になることがあって……」
カイトはそこで言い淀む。
自分一人の勝手な思い込みで他人を巻き込むのはマズイと考えたのだ。
しかし……

「ここまで手間隙を掛けさせて置いて、大事なことにはだんまりを決め込む訳?」
そう言って冷たい眼差しをカイトにぶつけるナージャ。
「何かを隠したままでいる相手とは取引するなと言うのが、ぼ、いや、わ・た・し、の家の家訓。これにて失礼」
ミーシャ=ミハイルも席を立とうとする。
止むを得ず、カイトは他の事情も話すことにした。
図書室で目撃した事、そこで交わされた会話の内容、緩い様に思われる銃器類保管庫の警備状態などである。
だがチーターと御厨七郎太の二人が関わってることは『彼女達』に話さなかった。

「そこまで怪しい状況証拠が揃っているのなら、学園の先生達に話せば済む話じゃない」
ナージャは呆れたという感じで切り捨てる。
「はっきり言って、君のやっていることは無駄の極致。自己陶酔や英雄願望を満たそうとしているとしか思えない。それに親しくないとは言え、知人の情報をみだりに他人に話すというのは相手を危険に晒す行為だし、礼儀にも反する。話すわけにはいかない」
ミーシャ=ミハイルも蔑みの表情を更に強めた。
「俺は名誉を得たいとか、注目されたいとかは思ってない」
仏頂面でカイトは言い返す。
「テレビの特撮ヒーロー物と君の行為のどこに違いを見出せば良いのか判らない。いや、違いがあるとは思えない」
非常に冷たい目付きでミーシャ=ミハイルは言った。
似たような内容のやり取りがしばらく続けられた後カイトは観念し、低声で告げた。
人一人の命に関る大事件になるかも知れないと。

「チーターって、竜胆先生にやられたって言う、あの!?」
やや青褪めた表情でナージャが声を漏らした。
「御厨七郎太も、厳重注意者の告知板で良く見る名前だ。それに二人ともあの先生の実家の入ってる商店街で、両親が店を構えていた筈だ」
ミーシャ、いや、ミハイルも真剣な表情で随分と詳しい情報を口にする。
「でも、それなら尚の事、先生達に報告すべきよ、相羽くん」
ナージャはそう言い、ミハイルもそれに肯く。
「本当ならそうすべきなんだろうけど、それだけはしたくないんだ」
視線を落としてカイトはポツリと呟いた。

あの四人にも何らか理由が有るのかも知れない。
四人で、子どもたちだけで解決しなければならない、深刻で複雑な事情が。
それに……

「アントノーヴァさんが言ったように、いま俺が話したのは飽くまで状況証拠だ。それも俺一人が目撃したことに、主観を交えただけの、根拠に乏しい憶測に過ぎない。それだけで誰かを糾弾したくはない」
その時のカイトの顔に浮かぶいたいけな表情に二人は引き込まれた。

「俺は、なんて言えば良いのか、その……人と人との縁っていうのは、前世とか、魂とか、心とか、人間には判らない何かが惹かれあって結ばれるモノなんだって、昔、ある人達から教えられたんだ。言葉を交わし合うことは無くても、同じとき同じ学園に集まった仲間を、俺はみだりに疑いたくない。同じ時、同じ場所、何かを学ぶっていう同じ目的のために集まった仲間を、何の確証もないまま大人に引き渡して、処罰させたくない。最後まで信じたいんだ。竜胆を守りたいってのと同じぐらいに、あの四人を信じたいんだ」


ナージャ・アントノーヴァは目の前の少年から普段の強さや明るさを感じ取ることができなかった。
『あの時の』竜園寺 菊を前に一歩も退かずやり合っていた意志や負けん気の強さをいまの彼から見出すのは不可能だった。
ミハイル・ベイリュールもこれがあの相羽カイトだとは信じられなかった。
人の世の一面をこれ以上ないぐらい冷徹に言い表してみせたべテランと、いま自分の前に座っている少年が一つに重ならなかった。
非常に純真でとても傷つき易い少年の心が、今のカイトには表われていた。

見返りや被害を計算して躊躇したりすることなく、人を苦難へと立ち向かわせられる力。
何らかの理想を実現したり、他の誰かを助ける為に人に行動を採らせられる純粋な想い。
多感な時期にある少年や少女の心の内にだけ存在し得る喪われ易い、だけどそれ故に喪われてはいけない大切な何か。

カイトにはそれが存った。
ナージャ・アントノーヴァやミハイル・ベイリュール、そしてここには居ないもう一人の少年からは喪われかけていた綺麗なものが。

だから自分は彼に惹かれたのだとナージャ・アントノーヴァは気付いた。
そしてミハイル・ベイリュールもカイトにこの甘さがあることに、本当は最初から、気付いていた。

彼はカイトの甘さに敗北を憶えたのであり、その強靭な肉体や技、そして冷徹さに恐怖を感じたのではない。
彼がミューゼル・クラスマインのなかに見出し、そして憧れる切っ掛けになったもの。
冒険者になって何年経たとしても、絶対、自分には手にすることができないもの。
――無償で他の誰かを守り、労わり、信じてやれる心。――
このカイトという少年はそれをしっかり握りしめて産まれてきたのだと、ダンジョン実習のときに感じとっていたのだ。
そしてカイトとミュウの二人なら彼が思い描いている理想のカップルになれると、彼自身で認めてしまっていたのだ。
だから冒険者になるのを断念し、他の道に進むことでミュウの心を手に入れよう、あるいはミュウへの想いを断ち切ろうとしたのである。


「フレデリク・クーグバーン。多分、君の言ってる眼鏡の生徒だ」
押し黙っていたミハイルが急に口を開いた。
「成績は優秀で二年のときはずっと主席の座を守りつづけてきた。家は運送業を営んでいる裕福な家庭だったと思う」
自分に注がれてくる視線を気にも留めず、ミハイル・ベイリュールは先を続けた。
「ニコライ・ヴァシリ・ミューシキン。パセリは多分ヴァシリとパシリが合わさった仇名だろう。手先が器用で組み立て模型を集めるのが趣味。実家は……!」
浮かんできた情報にミハイルは思わず息を呑む。

「父親が大手の警備会社、舞弦学園も契約している警備会社で重役を務めていた筈だ」


「それが欲しがっていた情報だ。家に帰れば住所などの情報も判る。だけど……」
ミハイル・ベイリュールは真正面からカイトを見据えた。
「それらが判ってこれから何をどうする積りで居るんだ?」
この問いにカイトは、そしてナージャも、言葉を失う。
住所が判ってもカイト一人で、今から何かが起こるまでに、裏付け調査を行うのは不可能だった。

「クーグバーンが今回の発起人らしいのは、君の中では確かなんだな? これ以上他の者を引っ張ってきそうにない性格で、今度の計画を実行に移すには最低四人は必要だという観察も?」
何を思ったか、ミハイルはそうカイトに尋ねてきた。
自らの判断能力が正確か否かは判らぬものの、何れの問いにも確かだとカイトは答える。
「なら彼らのことはこちらで調べる。保管庫周りでの張り込みも止め給え。四人には僕の方で人をやって見張らせておく。同じ夜に四人が家を出る、若しくは、四人とも家に帰ってこない日があれば、その日に行動を起こすと推測される。そのときはこちらからこれに連絡を入れる」
そう言って、いま自分の使っている携帯と備品をテーブルに置いた。
カイトには知る由も無かったが、ミハイル・ベイリュールは、身体能力よりも、観察眼や分析能力の面でカイトに高い評価を与えていた。
それ故、確かだと言うカイトの言葉を全面的に信頼することにしたのである。

携帯には詳しくないものの、渡されたのが最新式でかなり値が張る機種であるのだけはカイトにも判った。
あとカメラ付きってことも。

「今回の件で僕が被る経済的な出費は以前のことだけでは相殺されない。その差額は身体で払ってもらう。僕の方で君にやってもらいたいことが出てくれば、それに連絡をいれるなりメールを送るなりする。持ち歩く必要はないが、チャージは欠かさずにすること」
渡された携帯伝話(の形をした首輪な)と意地悪そうな笑みを浮かべた目の前の女装美少年とをカイトは暫くの間見比べていたが……

「そんぐらいは当然か。解った。俺の器量でできて、俺の家族や知人には迷惑が掛からない、かつ余り非合法でないことなら引き受ける。まあ、そんな縛りを入れなくたって、俺にできそうなことなんてあんま無いけどな。それと、今日は本当に助かった。心から礼を言わせてもらう。ありがとう、ミハイル・ベイリュール」
表情を改めてそう言うと、カイトはきっちり頭を下げた。

ミハイル・ベイリュールは、親友がナージャ・アントノーヴァに抱かされたのと同じ感慨をカイトの振る舞いに抱かされることになった。
詰まり、敬意と敗北感である。

ボディコンの美人(カイトは中性的な顔立ちで、担当のメイクさんも腕利きだった)なねーちゃんが、ゴスロリな美少女(見かけはな)に頭を下げている光景というのはすこぶる奇観だった。
店にいた客たちも三人のテーブルにじろじろと無遠慮な視線を向けている。
ミハイルが周囲をキッと睨みつけたので、向けられてくる視線の数も減り、居心地の悪さも少しはマシになった。
その後ミハイルはナージャに向かって口を開く。

「アントノーヴァさんにも色々と骨折ってもらったみたいだね」
「まあそういうことになるかも。でも、考えてた変装術や追跡者を置き去りにする理論の確認実験もできたし、目の保養もさせてもらったし、色々と楽しい一日だったわ」
そう言って意味ありげなニヤニヤ笑いを浮かべるナージャにミーシャ=ミハイルは「今日ここで目にしたことは、ほかの人には絶対話さないように」と真剣な表情で釘を刺した。そして……
「そう言えば……」
何かを思い出したかの様に店内を見まわす。
「この店舗はどんな感じ? 一般客の視点から見て、なにか気になるところとか無かった? 不満な点や改善点、加えて欲しいメニューとか……」
ミハイルのこの言葉にカイトが反応する。
ザクロジュースがメニューに欲しいと。

「ザクロ?」
ナージャが首を傾げる。
その様子からすると、彼女はザクロを食べたことが無いようだった。
「……前衛的な意見として承っておくよ。それで如何だろう、アントノーヴァさん」
ややその美貌が顰められているのを見ると、ミーシャの方はザクロを食べた経験があるみたいだった。
「ここがこんな風になってるなんて、今日ここに来て初めて知ったから、意見とか聞かれてもねぇ……」

不満はあった。
安全で高級な材料が使用されている分だけ、値段も高めだった。
少なくとも、奨学金特待生(苦学生)ナージャ・アントノーヴァにとっては。

「じゃあしばらくの間、半年。いやこれから卒業するまでの間、君にはこの店舗、いや、ここだけじゃなく、王都内にあるチェーン店全てのモニターを勤めて欲しい。えぇっと、そうだなぁ……ミーシャの知り合い、いや。ミーシャの友達だと店の者に言ってくれれば、支払いは気にせず好きな物を注文してくれて良い。そんな大人数連れてこられたりしても困るけど、友達二、三人ぐらいまでならその人達の分も含めて支払いは僕の家の方で持つ。それで気付いたことはどんなことでも良いから、店の者に伝えて欲しい。的を射た、売り上げに貢献する助言や提言ならその分の特別給与も出すよう手配しておくから」
真面目な顔でミハイル・ベイリュールは彼女にそんなことを申し出た。


家族の元に戻って、彼女の家が本当に貧しい一般市民であることを知ったミハイル・ベイリュールは純粋な善意からこの様な申し出をした。
彼はナージャ・アントノーヴァが才能に恵まれ、機知にも富み、努力する心を忘れない、真の意味での優しさを具えた素晴しい女性であると考えていた。
彼女が誰か好きな男性と結ばれる時の手助けになる、その小道具や演出の一つにでも使ってくれれば良い。
彼女ならこちらの意図している本当の中身を理解し、上手く活用してくれるだろう。
また根拠のない敵意を抱いてきたことに対して、ささやかながらも償いをしたいと思った。
彼は本当にそう思って提案したのだ。

聡明ではあるが若きミハイル・ベイリュールは知らなかった。
人の世がかなりのへそ曲りであることを。
世の中は善因善果よりも、善因悪果に終わる場合の方が圧倒的に多いと言うことを。
まだこの頃のミハイル・ユシュトフスキーは知らなかった。

大陸の経済を左右するとまで言われる巨大企業ユシュトフスキー商会会長、ウラディミール・イリューシン・ユシュトフスキーは彼の父親である。


「あ。そういう仕事なら、俺も何時だって引き受ける」
カイトが胸の前で両手を打ち鳴らした。
「君の家はかなり裕福だろう。父君を教授として迎え入れたいという有名大学が幾つも有るし、大企業や研究所からも引き抜きの話が届いている筈だ。母君が少し病気がちなことを除けば、経済的には、いや。経済的にも家庭的にも恵まれた健全で幸せな家庭だ」
冷ややかな眼差しをカイトの方に向けつつ、ミハイルは呆れ顔で呟く。
「なんで、そんなことまで知ってるんだって、え? 親父は客寄せパンダとしての囲われ者だって言ってたぜ? 誰から聞いたか知らないがデマだよ、その話は」
自分や家族について随分詳しい情報までを知られていることにカイトは驚いたが、直ぐに笑って相手の言葉を否定した。
「客寄せにしか使えない有象無象を、あの父が引き抜こうと考えたりするもんか」
カイトの言葉にミハイル・ベイリュールは唇を尖らせる。
「お父さん? そう言えばミハ、じゃなかった、ミーシャのお父さんって何やってる人?」
ナージャが二人の会話に入ってきた。
「え? あ! えっと、あの、その……」
しどろもどろになる女装美少年に興味津々の二人。

「マフィアの親分、いや、大親分、かな」
少ししてから、かなり物騒な答えが返ってきた。
相手の表情からは本気か冗談か区別が付かない。
「まあ、本当のことが知りたかったら父のファミリーになれば良い。アントノーヴァさんも、えっと、今はキョウコさんだっけ? 君にも君の父君にも、父は興味を抱いている様だから年度の終わり頃には話が行くと思うよ、『買い』と判断すればね」
にっこり微笑んでミハイル・ベイリュールは立ち上がった。
「時間に余裕があるのなら、この後も好きなだけ注文すれば良い。テイクアウトや移動時間に拠る味の変化などに付いての意見も参考にさせて貰うから」
カイト達にそう言い残した後、女装美少年は店の人間に何事かを告げて悠然と店から出て行った。


「まあ、何の商売してるにしても、家が金持ちってのは確かなんだろうな」
カイトの感想は随分とあっさりしていた。
コイツにとっては付き合う本人の人格や能力が重要なのであって、家柄や家族、資産状況などは殆ど意味の無い項目なのだ。
「超がその前に三つ四つ付くわよ。あの子が着てきた服、超高級ブランドの完全オーダーメイドよ、ブッタネスカ並の審査基準を設けてあるお店の」
そう言ってナージャは嘆息する。
色々なモノが混じった嘆息だった。

「モニターだって、アントノーヴァさん。アンケートに書いといてよ、ザクロジュースをメニューに入れてって」
「からかわれてるだけでしょ。悪名高さで知られている冒険課の生徒を約一年もの間モニター調査員にするなんて真似、何処の馬鹿がするのよ」
「アントノーヴァさんはそんな所謂不良冒険課生と言われる様な連中とは違うじゃないか」
非常にそっけない彼女の答えにカイトは真面目な顔をして言った。
「あいつもその辺のことを信じた上で、アントノーヴァさんに頼んだんじゃないのかな」
この言葉にナージャもカイトに視線を向けた。
ミハイル・ベイリュールの言葉を少しも疑っていない顔だった。

この後、カイトの判断が正しいことが証明された。
通り掛った従業員にナージャが「ミーシャの友達なんですけど」と話しかけると相手の態度がいきなり変わった。
下にも置かぬという雰囲気で「どの様なご用件でしょう」と尋ねてきた。
確認してみた所、「ミーシャの友達」こと舞弦学園冒険課三年在籍のナージャ・アントノーヴァは約一年間、この店だけでなく、ここの系列全店の特別検査役として登録されておりますと言われた。
来店時の注文には可能な限り応え、支払いはここの本社が持ち、その助言が売り上げに貢献した場合には特別給与も支給されることになっておりますと。
だが……

あのミーシャが何者であるかだけは教えては貰えなかった。
と言うより、ここの店の誰一人として彼、いや彼女が誰であるのか知らない様子だった。
そしてカイトもナージャもここの店の大元がユシュトフスキー商会ということを知らなかった。


「それで、アントノーヴァさん」
時計を気にしながらカイトが口を開いた。
「なに、相羽くん?」
旺盛な食欲を遺憾なく発揮しながらナージャが答える。
彼女はこの店のメニューで自分の嫌いな食材が使われている物を敢えて選び、その不満点を洗い出している最中である。
「そろそろ帰りたいと思うんだけど」
時間以外で気になることをカイトは思い出していた。
「ああ、そうね。じゃあ、帰りましょうか」
食べ切れていない物を折りに詰めてくれる様に従業員に頼んでナージャは立ち上がる。

今日は幸運な一日だった。
気になっている異性の友人とデートできたし、着たいと思っていた高価な服も(必要経費として相手から)プレゼントして貰った。
色々と目の保養もできたし、思い掛けないアルバイトにまでありつくことができた。
言うこと無しの一日だった。
ナージャ・アントノーヴァにとって最高の一日だった。

まるで、今日園外に繰り出していた舞園生全員の幸運を吸い取ったかのように。

「それで、俺の帰りの服は?」
カイトは気になっていたことを尋ねる。
「え? ああ。今からあのお店に戻ってたら門限に間に合わないから、近くの『ユニウェア』かスポーツ用品店にでも寄りましょう」
気軽なナージャの答えに対し、カイトはその意図を確かめた。
「手頃な服、ジャージの上下辺りでも購入して帰りましょう。あっちに残して来た服はクリーニングに掛けて学園に送って貰うか、取りに行くかするから」
カイトは引きつった笑顔でこう言った。
財布にはもう舞弦学園に帰り着ける程度の交通運賃しか残っていないと。

ナージャ・アントノーヴァの顔から血の気が引いていった。


今日は王国暦五六八年四月二十五日。
少女が破格の好待遇のアルバイトにありついた日。
その級友である少年のペルソナ(妄想内仮人格のことな)に変装(ってか女装な)を得意とする刑事が仲間入りを果たした日。
夕暮れ時のことだった。






[Central]