ぱすてるチャイム
Another Season One More Time
菊と刀


18
a BloodStained Blue Week-Part Six




作:ティースプン





近づいてくる気配にカイトは振り返る。
月に雲が掛かってはっきりとは見えなかったが、三人の人影が歩いてくるのは判った。
先頭に居たのは(ドジな)『元弓矢』。
次がニコライ・ヴァシリ・ミューシキン。
そして一番後を歩いてきたのは……

「無事かい、カイト君」

相手がほのぼのとした声を掛けてきた。
ピクリとも動かぬフレデリク・クーグバーンを肩に載せて歩いてきたのは、剣術科主任レパード・ウォルシュ先生だった。

「いやぁ、面目無い、カイト君。危ない目に遭わせてしまって」
顔の前でパチンと手を合わせ、先生は謝ってきた。
なぜ先生が、いや、どうして学園職員がこの場に居るのか。
カイトにはワケが解らなかった。

「ずっと君を見守ってたんだけど、どうしてもトイレが我慢できなくなってね」
照れ笑いを浮かべて先生は後頭部を掻く。
そして更にカイトが驚くようなことを口にした。
「カイト君が彼、チーターくんのことを聞きにきた日、然る所から極秘情報が入ったんだ。ここから銃器類の持ち出しを計画している生徒たちが居るみたいだって情報がね。ああ、違うよ、ロニィ先生じゃない、他の先生だよ」
「誰?! どの先生!?」
情報源をかなり特定できるネタをうっかり漏らしてしまった先生にカイトが詰め寄る。
自らの失言に気付いた剣術科主任は、しまったという表情を浮かべた。
「まあ、その辺りはアレだよ、アレ。ほら……」
刑事ドラマなどで良く耳にする台詞を言おうとするのだが、言葉が出てこない。
その時だった。


「捜査の進行状況と情報提供者の安全を守る為、相手の名前と身分は教えられない。ですか?」


カイトの背後から助け舟が出されてきた。
全員が振り向いた先には、御厨七郎太と思しき人物を肩に担いだ人影が立っていた。

「誰です?!」
レパード・ウォルシュから緊迫した叫びがあがる。

学園には警備会社の物とは違う、別の結界が張られている。
それを切り破ってここに侵入できる者など(逆に脱出できる者も)居るハズがなかった。
何より、気付かぬ内にこの距離まで何者かの接近を許したのは、レパード・ウォルシュの人生のなかで数えるほども無かったのだ。

そしてカイトたち冒険課の生徒にも衝撃が走る。
そこに居たのは、生徒たちの良く知る、のんびり屋な剣術科主任などではない。
生徒たちが初めて見る、剣士レパード・ウォルシュだった。
その表情は非常に険しく、全身から陽炎の様な妖気が溢れ出している。
気の所為か目の錯覚か、吹く風もないのにその頭髪が群棲する蛇の様にざわざわと蠢いているようだった。

一瞬、息をすることすら怖くなるような、不気味な静寂がその場を支配する。
それを破ったのは若い男の暢気そうな声だった。


「なに、通りすがりのサラリーマンですよ」


雲間から顔を覗かせた月の光に浮かび上がったのは、人畜無害そうな笑みを張り付かせた、背広姿の男だった。


「まあ、もう少し付け加えさせて頂くなら、親切な、サラリーマンですね。こちらの前をたまたま通り掛ったら、この御厨七郎太君が倒れてるじゃありませんか。風邪を引いたら大変だと思ったものですから、話し声のする方に来てみたって訳ですよ。貴方は、ここの先生でいらっしゃる?」
そう言いながら男はカイト達の所に近づき、気を失っているチーターとフレデリク・クーグバーンの横に御厨七郎太を寝かせる。
地面に横たえられたとき、七郎太はピクリとも動かなかった。

「冒険課で剣術科の主任を務めているウォルシュです。付け加えるのは、親切な、という言葉だけですか? 嘘吐きな、という言葉もお付けになった方が良いように僕らには思えますが」
答えたのは妖剣士レパード・ウォルシュでは無い。
いつもの――怒った時のいつもの――ウォルシュ先生だった。

「ハッハ。誰に何を言われようと気にもしませんが、冒険者養成機関の方々からだけは嘘吐き呼ばわりされたくないですね。嘘吐きと仰りたいのなら、証拠を提示して頂かないと」
相手も、負けず劣らず、嘲弄的な言葉で剣術科主任に応接する。

「ならばお聞かせ願いましょう。どこからどこへ行く途中で、丘の上の一軒家であるウチの前を通り掛かられたのですか? 学園の前で制服を着ている子が倒れていれば、とりあえずその学園に運び込むのが普通先でしょう。悠長に持ち物を漁って、身分確認を行ったりはしないものです。 ほんとうに(、、、、、) 親切な(、、、) 、会社員ならね。そもそも、この子が気を失ってたと仰ったが、本当は貴方がこの子を襲って気を失わせたのではないんですか? この御厨君はウチでも指折りの剣術遣いです。ただの会社員が『落とせる』相手では無いんですよ!」
先生の目がギラリと光った。

「私もうっかり者で課長だけでなく、その上からも良く馬鹿にされるんですが、剣術科の主任って仕事もアレですね、公用語の用法はバカでも務まる商売みたいですね」
そう嘆息し、男は肩を竦める。
「私はサラリーマンと言ったんです。サラリー、給料を受け取る立場の被雇用者はみんなサラリーマンです。私も貴方もサラリーマン。原則的に、自営業者以外は全てサラリーマンです」
そう言って口に煙草をくわえ、使い捨てライターで火を点けた。
女性の愛好者が多いメンソール系の匂いが周囲に漂い、カイトを初めとする学生達それにレパード・ウォルシュもむせた。
「思い出してください。私は一言も会社員だなんて言っちゃあいませんよ」
その場に居た全員から嫌そうな顔を向けられていることは気にも留めず、男は紫煙を燻らせ続ける。

そんな男の態度にカイトは思った。
『親切な』という言葉は、偽り有りな気がするぞと。
『女性には』とか『自分とカミサンの身内には』といった限定詞が省略されているのかも知れないぞと。
そんなことを考えていたカイトや他の者がみなびっくりする様なことを、この自称『親切な』サラリーマンは口にする。

「自己紹介が遅れましたが、私、山際西署の刑事課に勤務する、刑事の青山ヒロスミです。前の都知事と同じ、青い山と書いて青山です」
そしてにっこり笑って警察の身分証を提示した。
今夜カイトを驚かせたことの一つ目である。


身分証の写真と目の前の人物が同じであることを確認すると、レパード・ウォルシュは携帯を取り出し、相手の言う山際西警察署を呼び出した。
それも、身分証に書かれた番号に掛けたのではなく、番号案内を呼び出し、係のヒトに直接繋いで貰ったのである。
これにはこの青山ヒロスミと名乗る男も、少しだけ、この眼鏡の剣術科主任の評価を改めた様だった。
ウォルシュ先生は携帯の向うにいる相手に幾つか質問をし、この青山ヒロスミなる人物が本物か、そして本当に警察官なのか確認を行った。

「見た目より随分とお年を召しておられるんですね」
そう言ってウォルシュ先生は身分証を返す。
表情はまだ険しく、その声も固い。
「それもよく言われます。どうも、遺伝らしいんですねぇ、母からの。父は、年相応に、老けた顔をしてましたが」
身分証を懐に仕舞いながら青山刑事が答えた。
その表情は明るく、相手の険悪な雰囲気など気にも留めていない様子だった。

「何歳、ぐらい」
ニコライ・ミューシキンが何の気も無くそう尋ねる。
「こちらの方、三十五歳だそうだよ」
ウォルシュ先生は青山刑事の方を向いたままそう答えた。

これがカイトを驚かせた二つ目である。
どう見ても相手は二十歳そこそこにしか見えない優男だった。


「それで、青山刑事。先ほどの質問ですが」
「ああっと。その前に、そちらの生徒さん達の名前もお聞かせ願いたいですね。こちらは名乗ったんですから。それともアレですか? 『そっちが勝手に名乗っただけだろう、こっちは頼んじゃいねえよ』とか仰いますかね? 最近、そんな暴言を吐く学生が多くて実に困ると、生活安全課の連中が嘆いてましたが、こちらでもそうなんですか? そういう教育を学園の先生達の方で行っておられるとか?」
この言葉にウォルシュ先生はじっと相手を見詰める。
その顔には何の感情も浮かんではいなかった。
暫くそうしていたが、やがて溜息を一つ吐き、矢張り顔は青山刑事の方を向けたままこう言った。
「アイバ君から名前と専攻をこの刑事さんにお教えしなさい」
この言葉にカイトが口を開こうとした時、『元弓矢』が待ったを掛ける。
「どっちの?」
「だから、相羽君から……ああ、うっかりしてた。ゴメンゴメン。 カイト君の方(、、、、、、) からだ」
そう笑うウォルシュ先生はカイトの良く知る普段の先生だったが、言っている意味は良く判らなかった。

「青山刑事。貴方の右手。黒尽くめの格好をしている子はアイバ カイト君。人相の『相』に羽根の『羽』でアイバ。冒険課三年、徒手武術専攻。五年前ここのダンジョンで行方不明となり、ついこの間帰ってきた、現代の浦島太郎と週刊誌なんかで騒がれてた子です」

この説明にカイトも青山刑事も少し首を傾げる。
なぜそこまで字にこだわっているのか。
青山刑事の自己紹介に何か対抗意識でも燃やしているのかと、二人ともそう思った。
しかし、次の生徒の紹介で二人とも合点がいった。
成る程、こだわる訳だと。

「そしてカイト君の隣にいる金髪の子は、矢張り冒険課三年射撃術専攻生で、アイバ マイト君。彼は『羽』でなく『庭』の字を書きます。何れもそれぞれの専攻分野では当園トップクラスの実力者です」

このクソ生意気で頭が悪いとしか思われない『元弓矢』、相庭マイトの名前こそが今夜、カイトを一番驚かせた出来事だった。


相庭マイト。
以前にも書いたが、ウェスタン人種とイースタン人種とのハーフである。
髪の毛は金髪だが、眉毛は黒、下の方は不明。
と言うか作者はあまり全然考えたくないので、読者の方々の御想像に全てお任せする。
何色でも好きなのを当ててくれて全然結構だ(コイツのヌードシーンを書く意志も予定も無いけどな)。

黒い目には強固そうな意志の光を宿している。
顔の彫りが僅かに深いかなと思わせる所を除けば、典型的なイースタン人種の顔立ちをしている少年だ。
素質は平凡だが努力家であり、己を高めるという点に於いては諦めるということを知らない。
そういうことも考慮の対象に入れられ、奨学金特待生に選ばれた。

チーターとの闘いでも判るように剣術などの白兵戦の才能はまるで無いのだが、性格は前へ前への前衛型。
この性格が大本に在って、コイツとミハイル・ベイリュール、それにカイトの三人がダンジョン実習初日に出会うことに結び付いた訳だが、それはコイツの性格が災いしてと言うべきなのか、幸いしてと評すべきことなのかは現在のところ不明である。
いや、その辺の評価は永遠に不明かもしれない。

魔術の才能は平均以下だが、魔力許容量は人並み以上の物がある。
手先も器用とは言えないが、動態視力は優れているのでスカウト技能を専攻していた。
目指しているのは特殊技術者ではなく、弓兵や偵察兵の様な戦闘要員。
地下ダンジョンのトラップ発見やその解除、鍵の掛かった扉や宝箱を開けられる技術では無く、戦闘技術や屋外でのサバイバル技能の習得に重きを置いた授業を選択していた。

飲み込みは悪いが、知識欲は人一倍旺盛。
他人の感情変化にはカイトよりも遥かに敏感で察しも良いのだが、日常生活や人間関係には活かしきれていない。
と言うか人付き合いや感情表現がヘタで、よく誤解される。
家庭環境に問題が在って屈折し、非常に負けん気が強くて自己にも他にも厳しい、少々つっけんどんな性格が形作られることになったが、本当は義に生きる、気持ちの真っ直ぐな少年である。
だからこそミハイル・ベイリュールとも親友になれたのだし、カイトに助けられた事を本当に感謝もしていた。

彼は目指している明確な目標が有って、冒険者の道を志した。
理想とする冒険者像に最も近いのがスカウトであるから専攻に選んだのだが、射撃術科が設置されたのでそちらに移った。
コイツの場合、魔力を活用できる分だけ、弓士より生存確率が高まるからである。
その辺に付いては何れ描く折もあると思うので、今回は省略する。

そして今回ご登場頂いた青山刑事の人物背景も省かせて貰う。
その内、その辺の説明はする積りである。
気長に待って頂けるとこちらとしても有り難い。
彼らに付いては以上だ、本筋に戻ろう。


青山刑事はここを「通り掛った」理由を説明し始めた。
舞弦学園から銃器の盗難が行われると「市民」からの通報を得た。
その時、彼は「たまたま」この近くに来ていたのだと。

「まあ、深夜の時間帯ではありましたが、せっかく近くにいるのだから明日、と言うか日が昇ってから寄らせて頂くまえに、ちょっと下見をと思いましてね」
白々しい嘘に対してそれ以上に真っ白な視線を返すカイト達だが、相手にそれを気にしている様子はない。
「犯人の詳しい人相までは判ってません。ただ、こちらの商業課に通ってる眼鏡の美少年だということしか」
「お話はよく判りました。明日正式な形でご足労願いましょう」
固い声と表情でレパード・ウォルシュは青山刑事に学園の敷地内からの退去を求めた。
「彼を引き渡す意志はないと? どう見ても銃を盗み出そうとしてた犯人なのに?」
いやらしいニヤニヤ笑いを浮かべながら青山刑事は食い下がる。
「未然に防げたことでしょう。それにどう言うことなのか、はっきり本人の口から聞いてみないことには」

「どうもこうも、こいつは金が要るんだよ。今夜のこともそれが原因だってさ」
相庭マイトが口を開き、教師と刑事の間になんとも言えない静寂が満ちた。
それには頓着せず、あくびをかみ殺しながら、ミハイル・ベイリュールから送られてきた情報を開示する。
「株で大損した分を家や会社の金を持ち出して穴埋めした所為で、大至急、しかも大金が入用になったらしいぜ」


「じゃあ、まあ、新しい証言も得られましたし、詳しい話はこれから署の方でじっくりと聞かせて貰うということで……」
青山刑事はそう言って携帯を取り出す。
「これでお引取りを」
それに対してウォルシュ先生は鉄の様な声を返す。
「しかしですねぇ」
「ヨランダ法の読み上げや宣誓供述もない状態で得られた証言や自白に証拠能力は無い筈です。ましてや貴方は無許可で当学園の敷地に入った。これは不法侵入に当たる。違いますか?」
最近は盗術科だけでなく、冒険課全体での刑法の基本的な条文の理解が非常に進んでいた。
と言うよりも、補導される生徒達の身柄引渡しの必要に迫られ、憶えざるを得ないというのが先生達の現状である。
冒険課の先生を取り巻く現実もかなり厳しいのである。

「先生、そいつはおかしいぜ」
相庭マイトが異議を唱えた。
「冒険課の敷地での出来事なら冒険者の掟、荒野の法での決着が求められるべきだろう。早い者勝ちっていう鉄則が」
少年からは間の抜けた感じが完全に消えている。
「今度の件に首突っ込んで、最初に犯人捕まえたのは相羽だ。コイツには少なくとも自分の捕まえたそのクソ野郎だけは好きに処分する権利、資格ってモノが存在する筈だ。でなきゃ、俺らがここで習ってることは全部茶番になっちまう。そんなことは俺が認めない。不法侵入でさえ無くなりゃ良いってんなら、今から俺がこのおっさんになり、近くの交番になり連絡を入れりゃあ済む話だろう。ここの銃器保管庫に侵入しようとしたアホが居るので捕まえにきてくれって」
レパード・ウォルシュに反駁の言葉は無かった。
生徒の、相庭マイトの言う通りなのである。

「冒険者は、無法者じゃない筈だ。荒野や密林、ダンジョンでのルール、そして一般社会でのルール。いま自分たちの居る場所にあるルールを蔑ろにしてはいけない。ロニィ先生からも他の先生からも俺らはそう習ってきた」
相庭マイトは真正面からウォルシュ先生を見やった。
「それに見た目や感じこそ違うけど、どのルールも本当はすっごく単純な定理で成り立ってる。弱肉強食の掟。強者は弱者を食らい、弱者は更なる弱者を食らうことでより強者たらんとするっていう事実でさ」
地面に転がってる三人に目を向け断言する。
「コイツらは弱く、相羽の方が強かった。それだけのことさ。相羽はチーターをこの刑事のおっさんに渡す。チーターは自分の罪をより軽くする為、向う行って、洗いざらい、何もかもぶちまける。それで終わりさ」

相庭マイトの表情には遣る瀬無さを感じている様な雰囲気が漂っていた。
言ってることに誤りは無いと思っているが、誰かがそれを強く否定してくれるのを望んでいる。
そんな影が。


「駄目だ」
カイトの呟きに全員の目が彼に注がれた。

「駄目だ、駄目だ、駄目だ! そんな事じゃないんだ! 弱肉強食とか、冒険者の掟とかじゃないんだ! 法律だの何だの、そんなことで体裁だけ取り繕ったって、問題を先送りしたって何の意味も無い! そんなことばかりやって来たから、今みたいな状態になったんじゃないのか? 数字の大小だけで人を計り、合法か非合法かだけで善悪を判断する奴ばかりが増えてきたから、こんな世界になってきてるんじゃないのか?! 今度、また、俺が何年も未来に飛ばされたら、どうなるんだよ? 今度は五年なんて短い時間じゃなく、何十年何百年って長い時間に取り残されたら、今度この世界はどんな風になってるんだよ? 今より良くなるのか? 今よりも悪くなってるんじゃないのか?! そんな世界で、今度は父さんも母さんも居なくなってたら、その時二人とも死んでたら、俺は何処に行けば良いんだよ? どうやって生きていけば良いんだよ? そんなの駄目だ! 絶対に駄目だ!! 採った行動には、いや。自らが下した決断や選択、それがもたらした結果の全てに責任を取るのが人間だ。そう言う事を教えてけるのが人間と動物との違い。人型種族とモンスターとの違いだろう?! なのに、今じゃ、ダンジョンのモンスター達の方がまともな世界で暮らしているみたいに見える。そんなのはおかしいじゃないか! 本当はあってはいけない事なんじゃないのか? 人間が野蛮だとされてるモンスターよりも本当は悪辣な行為をやっているのに、それが賞賛されてるなんて、絶対に変じゃないか! それとも、そんな風に考える俺が変なのか? どう言う事なんだよ、一体? ここは本当に、人間の暮らす社会なのかよ? 俺が昔生きてた世界なのかよ? 俺は魔王の呪いで、別の世界に放り出されたんじゃないのか? 俺の住んでた世界と見た目だけはそっくりで、中身はまるで別物から出来上がってる、上辺だけの世界に置き去りにされたんじゃないのか? ここは本当に何処なんだよ、ウォルシュ先生? ウォルシュ先生は本当に俺の知ってたウォルシュ先生なのか? この人は本当に刑事なのか? 上っ面だけは笑顔で、腹ン中にどす黒いモノを隠しているこんな人間が本当に刑事なのか? 俺には先生もこの刑事もあの御菓子みたいに見えるよ、この間、先生が俺に出してくれたあの七菓子にさ。こんなのは、こんな世界は俺は絶対に嫌だ!!!」

それだけを一気に言い切るとカイトは大きく肩で息をする。
カイトの叫びはここ数週間彼の中で渦巻いていた不安を言葉に直したものだった。

自分の知る人が一人も居なければ、カイトももう少しは開き直れたかも知れない。
ここまで不安や違和感を感じたりせずに、どっしりと構えていられたかも知れない。

だが五年というのは余りにも微妙で、中途半端過ぎた。

ある部分は全く変わっていないのに、別のある部分はすっかり変わってしまっている。
何よりそれらが混在していることが、カイトの不安や違和感をより強く掻き立てる。
より一層、孤独感や寂寥感を感じさせる。

カイトの不安を掻き立てている一番の原因はミュウ達だ。
彼女達は完全な大人とは決して言えない状態にある。
容姿や言動、振る舞いは確かに成熟した女性その物と言えるが、中身は五年前とちっとも変わっていない。
いや、変わっていない訳ではない。
変わった部分も確かにあるが、それらは表層的な物に過ぎず、彼女達の根幹、大事な部分は何も変わっていない。

人は時代の終わりという物を経験しなければ、次の時代を迎え入れることができない(作者はそう思っている)。
少年時代や少女時代の終わりを告げる何事かの事件や切っ掛けを経なければ、自分でもそうだと認識納得できなければ、その人の精神は何時までも子どものままだ。

ミュウ達の時間は、カイトが消失していた間、ずっと停まったままだった。
彼女達四人は、カイトの消失が少女時代の終焉を告げる鐘の音だとの見方を採れなかった、採らなかったのである。
一人前の教師としての技能や知識があるために周りから大人と見なされ、また自分達でも大人だと思い込んでいるが、ミュウ達の心は、心の一部は、今でも少女のままだった。
そして彼女達にその自覚がないこと。
カイトが時折不安に襲われるのと同じように、ミュウ達の中でも学生時代の心や気持ちが動き出し、教師として行動している時にもそれが表に顔を覗かせてしまうこと。
それがカイトの不安に拍車を掛けることに繋がった一番大きな原因だった。


「無法者であるか否かは判りませんが、ここの生徒には無礼なのが揃ってると言うのだけは判りましたよ。それとも、阿呆と馬鹿と餓鬼しか居ないっていうべきですか? 上っ面だけは笑顔で、腹の中にどす黒いモノを隠している? 初対面の、それも年長者に向って口にすべきことで無いのだけは確かですな」
そう吐き捨てると青山という刑事は短くなった煙草を地面に捨て、靴の裏で踏み潰す。
月が翳った所為で表情は見えなかったが、その煙草を踏みにじっている姿から、ひどく苛立っていることが観じられた。

「……ふみさと……」
レパード・ウオルシュの口から洩れた妙な呟きに、青山ヒロスミは怪訝そうな表情を浮かべる。

「『文里』。僕と貴方を指してこの子が言った七菓子の名です。貴方が落としたミクリヤくんの実家で作ってる細工菓子です」
この言葉に青山ヒロスミが驚くべき答え、否、質問を返してきた。
「七菓子? 芋豆菓子司の三栗屋ですか!? それなら知ってます! 父がそこの芋羊羹が大好きだったものですから!」
彼の顔にはどことなく晴れ晴れとしたモノが浮かんでいる。
「僕は豆菓子が大好きですよ、砂糖で白く固められた、お茶請けに程よい甘さで。ご存知ですか?」
「いや、そんなことはどうでも良いんです。がきの頃からあそこの菓子は良く口にしてますが、『文里』なんてのは聞いたことがありません。第一、七菓子がどうしたんですか?」
何やら変な方向に話が弾みだしかけたのだが、いま自分がどこで何をしているのかを思い出した青山刑事が話を元に戻す。
「新製品。と言うかまだ試作品の段階で、味や値段が手頃かどうかを調査したいからと、ウチの若い先生が頂いてきたんですよ。実家がその向かいでお蕎麦屋さんをしてる娘でしてね」
「はあ……。しかし、それが私や貴方とどんな繋がりがあるってんです? 私としちゃ光栄ですがね。あそこのお菓子は地味だが、一つ一つしっかりと丁寧に作られている。そういうのが嫌いなんですか、今時の子は?」
青山刑事は新しい煙草に火を点けた。


『文里』の説明よりも前に、御厨七郎太の実家、芋豆菓子司・三栗屋のことを説明したい。
七菓子の店であることは既に述べたが、ここは芋と豆のお菓子がその殆どだ。
それ以外の材料をメインには使わないという主義を創業当初から守り続けている。

芋と豆を主材料に使っておきながら店の名前に「栗」の字が入っているのは看板に偽り有りじゃないのか。
経営者一族の名前が「御厨(みくりや)」だからと言って、羊頭狗肉では無いのかと問い質したい向きもあると思う。
事実、この店にくる者の殆どは、「芋・豆菓子司」の部分ではなく「三栗屋」の「栗」の字だけを見て、栗を使ったお菓子が看板のお店なのだろうなと考えてやってくる。
そしてその多くはこうのたまう。
「ケッ、芋や豆なんて貧乏臭いものなんか食えるかよ。人騙しやがって。紛らわしい名前を店に付けてんじゃねーよ」と。

この言葉に三栗屋では営業を一時停止する。
客に七菓子を売るのを止めて、客の売ってきたケンカを買いに回るのだ。
暴力沙汰が原因でここが営業停止に追い込まれないのは、この商店街(とその周辺地域)の七不思議の一つにまで数えられている。

『三栗屋』という屋号には意味がある。
芋を使うことに誇りと情熱を注ぎ、自戒の精神を忘れぬようにとの願いが込められている。

この店を開いた初代は芋を心の底から愛した七菓子職人だった。
本当に栗よりも芋の方が美味いと信じていた。
栗よりも手軽に使えるし、嵩も豊富な点では栗以上の素材であると。
気軽に食べられ、安全で、本物の七菓子をということで、芋と豆菓子の店を開いたのである。

さて、芋には十三里という別名がある。
「栗(九里)より(四里)美味い」で「十三里」だ。
初代はこれに自分の名字と自戒と自省の念を合わせて、三栗屋という屋号をつけた。

素材だけなら芋は確かに栗よりも上だ。
しかし職人は素材の良さに胡坐をかいていては駄目である。
その驕りは素材を活かしきれず、駄目な菓子しか作り出すことができない。
芋をただ漫然と使っただけの菓子は栗には勝てない、栗よりマズい代物だ。
自分達の芋菓子を栗よりも美味くするには、謙虚さと研鑽の心が必要である。
その『一理』を心掛けてこそ、自分達の作る菓子は芋本来の『十三里』に初めて届く。
そういう自戒の念を込め、四に一足りない三里、三栗屋の名前ができたのである。

そんな店だから絶対に栗を素材には使わない。
それでずっとやって来たのだが……

この創業者の想いを解さぬ輩の多さに、店の人間、御厨家の人々はほとほと疲れてきた。

ひとつそんな馬鹿どもを煙に巻き、その無知をあざ笑ってやるお菓子を作ろうじゃないかと。
そこからできたのが『文里』である。

細工菓子の粋を凝らしたこの七菓子の形状は 毬栗(いがぐり) そのものだ。
見た目も大きさも、本物そっくりである。
だが、暖簾に染め抜いた芋豆菓子司の文字に偽りは無く、使われている素材は芋と豆だけだ。
栗はカケラも入ってない。
しかも、外側の毬と内側の栗の殻は再現されているが、()は一切入ってない。
スカスカのがらんどうである。

『文里』という名前は捻りだ。
最初に付けられた名前は『虚栗(みなしぐり)』だった。
だが流石に『虚(うつろ)』という縁起の悪い字を使うのは拙かろうと、他の字が充てられることになる。
『三七四九里』だ。
しかしこれは長すぎるということで『二十三里』となり、『二三里』に縮められ、『文里』と詠み換えられた。


この菓子を振舞われたとき、カイトは先生から屋号の縁起と名前の由来も聞かされた。
そこに嫌な感じを覚えたのだ。

これだけの技術力があるのに、どうしてここの職人達は真っ向上段の剣、直球勝負をしないのか。
なぜ邪道な技や詐術で相手をだまくらかし、陥れようとするのか。
どうして世人になびく様に見せかけておきながら、世人を嘲笑うタチの悪さばかりでできた様な、こんなお菓子が作れるのか。
なぜ創業者の理念や孤高の精神を保たず、面従腹背な行為に走るのか。
カイトはそう考えた。
考えただけで、口に出したりはしなかった。

しかしレパード・ウォルシュはカイトの想いの大体の所を掴み取っていた。
それをこの青山ヒロスミという刑事にも伝えた。

自分達も上辺だけで誤魔化そうとしている。
自分はこの一件を未遂として扱い、何事も無かったことにしようとしているし、青山刑事は確かに腹の中に何かドス黒いモノを隠していると。

「銃器は貴方が恨みを抱いてる相手に横流しされようとしてるのではありませんか? その相手に貴方が自らの手で復讐する為に、取っ掛かりを探しにウチに見えられたのではありませんか?」
微かだが確かに相手は身じろぎした。
「まあ、その辺の事情はどうでも構いません。ウチの子達は確かに無礼かも知れません。ですが、決して馬鹿ではありません。僕や貴方が蔑ろにしようとしていた、ヒトとして一番大事なモノを忘れずに心の中に持っています。未遂とは言え、今回のことは学園内で処理できる次元を遥かに超えています。いや、そんな事でもありません。カイト君の言う通りです。自分で選んだ行動には責任が着いて回るということを、この子達には学ばせなければなりません。今日の朝一番でこの子達は僕が警察に連れていきますので、今夜の所はこれでお引取り下さい」

その時、それまで黙っていたフレデリク・クーグバーンが真っ青な顔をして泣き出した。
警察にだけは行きたくない、自分は悪くない、ほんの出来心でした事なんだ、あの女が悪いんだ、自分はあの女に唆されただけなんだと。
そして、少年が一つの名前を挙げたその時。

「今、何て言った?! もう一度、今の名前を言ってみろ!!!」
青山刑事が泣き喚くフレデリク・クーグバーンに飛び付き、その肩を揺すった。
聞いた名前に誤りが無い事を確認すると、幾つか質問して相手の外見的特徴も確かめる。
「へへへ。咬めるだけの証拠と札が揃ったぜ。おい、ガキィ。お前、助かりたい、いや、生きてたいか? 少しでも減刑されたいと思ってるか?」

「おれに協力しろ。そいつらを取引の現場に誘い出せ。それが出来れば、お前の罪も少しは軽くしてやれるかも知れん」
真剣な表情で青山ヒロスミはフレデリク・クーグバンにそう言った。


「この坊やの話が本当だとすると、銃が流れる先はいま本庁の方で追っている暴力団です。最近特に勢力を伸ばしてきた所でしてね、小所帯ですが、命知らずで凶悪なクソ馬鹿野郎ばかりが吹きだまってる組です。今回、銃を盗ませようとしてたのも、他の組織との抗争に使う為なんですよ。連中を放っておくと、無関係な市民までもが大勢巻き添えを食うことになりかねません。なにより一網打尽に連中をムショにぶち込まないと、この坊やと家族までもが危険になってきます」
真剣な表情をレパード・ウォルシュに向けて青山ヒロスミは言った。
そこに不純なモノや、カイトが感じ取ったイヤな影はない。
それは己の職務、いや正義に忠実たらんと努める男の顔。
テレビで描かれる、カイトの好きな警察官の顔だった。

「やれば死ぬかも知れんが、やらなきゃお前は確実に死ぬぞ」
泣きだしたガキに向かって青山刑事は鋼のような声を掛ける。
そして冒険課の者が見落としていた、ぎょっとする様な、ある怖ろしい事実を告げた。
「先生もそちらの金髪の坊やも、良いですか? この場所は冒険課の敷地じゃない。冒険課が間借りしてる軍の施設の筈ですよ」


「軍事施設から軍事機密、いや国の重要機密でもある銃を盗み出そうとしたことが軍の連中にばれた日にゃ、軍事法廷行きだ。まあ、スパイ行為と国家反逆罪が付いて、縛り首の二、三回は確実だろうな」
青山刑事はそう言って紫煙を吐き出す。
自分達がやろうとしていた事の重大性、深刻性に呆然となっているフレデリク・クーグバーンに向ってニヒルな笑みを浮かべた。

「それにバレたのは、銃のことだけじゃない」
自失している少年の胸倉を掴んで、青山刑事は力づくで自分の方に顔を向ける。
「この辺の繁華街で大量に出回ってる粗悪な違法ドラッグ。その密売グループの元締めはお前だろう。上手く隠してきた積りだろうが、ガキの浅知恵で大人をダマしきれると思うなよ。いい加減、組織の連中、それに麻薬課の調べでも明らかになりつつあるんだ。余罪を追及されれば、少年院送致じゃなく、刑務所送りになるぞ。向う行ったら、お前みたいなのは直ぐにオカマを掘られて、三日と持たずに廃人にされちまうだろうな。お前、二度と娑婆の土は踏めないぜ」
青山刑事は背広の内ポケットから携帯用の灰皿を取り出し、吸っていた煙草を放り込んだ。


「フレッド、取引の場所には何人、どの位のブツを持って行くことになってるんだ?」
カイトが地面にへたり込んでいるフレデリク・クーグバーンの前に片膝を着き、真正面からその顔を覗きこむ。

「俺はこいつを死地に追い遣りたかった訳じゃない。考えを正したかっただけだ。目的は果たされてない、まだ途中だ。ここでの選択はこいつをここで放り出すか、こいつと一緒にその組織の連中の所まで行ってカタを付けるかのどちらか。目的が果たされていない以上、また、その目的を俺が諦めない以上、次にすべき選択、採るべき行動も決まってる。俺もその取引の現場に行く」
カイトはウォルシュ先生に自分の意志を告げた。
そして立ち上がると、青山刑事の方を向いて、相手の目を真っ直ぐ見ながら言った。


「俺は頭が悪いから、何をするのが一番良いかなんて解らない。判るのは、何をするのが一番駄目なのかだけだ。ここでコイツを見捨てるのは……冒険者は仲間を絶対に見捨てないんだ。同じ時間、同じ場所に居合わせたことに何らかの意味や理由が有るのなら、学科や所属は違ってたって、この学園の生徒は俺の仲間だ。俺はそう思いたい」




カイトの言葉に、暫くの間、口を利く者は無かったが遂にその沈黙が破られる時が来た。

「俺も行くぜ。ここまで来てオチを見ないってのは落ち着かねぇしな」
舌打ちしながらも最初にそう言ったのは相庭マイトだった。

「生徒が行くって言うのに」
次にレパード・ウォルシュが口を開く。
「教師がお見送りって訳にはいかないでしょう。青山刑事、この子達の安全の保証はどの位ですか?」
チーターの木刀を小脇に抱え込んだその顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。

「こいつらの練度にも拠りますね。それと付き添いの方の腕にも。ですが、今は何より時間が貴重です。移動しながらその辺のことは相談しましょう」
相手の笑みに一瞬ゾクリとさせられながらも、直ぐ落ち着きを取り戻して青山ヒロスミはそう答える。
こちらも不敵な笑みを浮かべていた。
そして……

「ぼ、僕も」
最後にニコライ・ヴァシリ・ミューシキンが同行の意思を露わにした。
二人の大人と二人の冒険課生は説得しようとしたが、ニコライは頑に首を横に振り続けた。
「よ、四人……四人」
ガタガタ震えながらも、ニコは目に覚悟の光を宿してその言葉だけを繰り返す。

チーターに率いられて今夜ここに侵入したのは四人であり、今はチーターとシチロータが抜けてしまっている。
フレッドは絶対に行かなければならないとしても、相羽カイトと相庭マイトの二人では一人足りない。
もう一人居なくては数が合わない。
ニコライ・ミューシキンはそう言っていた。
そしてフレデリク・クーグバーンも、相手から取引場所には全員で来るよう言われた事を口にした。

自分を含めた四人で今回の件を実行する事を訊き出されていたという事も。

この言葉に教師と刑事は顔を顰める。
向うは口封じする積りでいるのではないのかと。
大人たちの胸中に不安が広がる。
しかし……


「行こう」


カイトが凛とした声でそう言い放った。

「ここでこうしてたって時間が移る。目的を選んで、行動も択んだんだ。選択に間違いがない以上、間違った結果も起り得よう筈もない。もし、違う結果がもたらされるのなら、それは行動の途中で躊躇ったり、迷ったり、自分や仲間を信じ切れなかった所為だ」
そう言ってカイトはニコライ・ミューシキンに視線を向ける。

「ニコ」
カイトの声に少年は身体を強ばらせた。

「タマは落としてないよな?」
カイトはそう言って、股間を掴むような仕草をする。
その言葉に怒って首を縦に振るニコライ・ミューシキンを見てカイトは笑った。
少年らしい純真さと男らしい力強さとが見事に合わさった笑顔だった。
全員に向ってカイトは宣言する。


「じゃあ、良い。行こうぜ」


今日は、王国暦五六八年四月二十八日、午前二時二十分。
空は暗く、夜明けは遠く、見通しと言えるものなど何ひとつ立ってはいなかったが、二人の大人と四人の少年の顔と心に暗い影は一つも無かった。






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