ぱすてるチャイム
Another Season One More Time
菊と刀


22
a brave and a pride
graved a phrase
on their precious grave stones...




作:ティースプン





最初の魔法カートリッジ銃リュガーP〇六の印象が強かったせいか、今の所どの会社も拳銃と呼ばれるサイズの銃しか一般向けには販売していない。
これらは常寸の刀剣類と同じに考えられ、その様に扱われていた。
武器と言えば長物尺との認識が強いこと、また一般人が武器に対して抱いてる憧れと畏怖を考慮したのだと思われる。
右利きでも左腰に吊るすのが正しいとされ、また鞘(シース)もそういう形のものしか出回っておらず、銃本体を保護するために金属で作られていた。

この風潮を産み出したのはスミス&ウェイランド社である。
草創期、他社との違いを打ちだすために、金属製の鞘と銃をセットにし、多少割り引き価格で販売したのが定着していったのだ。

ここが最初に企画したのは、金属削り出しの筒に鎖、或いはベルトに引っ掛ける金具を溶接しただけという、大変お寒い代物だった。
しかし出荷直前になって社員の一人が現物を見て

「余りにもお粗末過ぎ、ありがたみが無さ過ぎだ」

とクレームを付けた。

とにかくオマケと名のつく物さえ付ければ客が釣れるという神話は崩れた。
販売者側も「オマケなんだから文句を言うな」と横柄にそっくり返っていられる時代でもない。
安物を買って損した者は賢明になるが、無価値な物を餌に利を浚った企業は自らの信用を損ずることになる。
そもそも銃を刀剣類と同じに考えるのなら、鞘も同じ様に見なし、良質の素材を用いて形状の吟味も行うべきだ、と。

同時にこの様な意見も上がってきた。
サービス=粗品とするのも結構だが、今日日それでは頭が悪すぎる。
物に囚われなくても良いのではないか、金属加工業者らしい『サービス』をサービスするのは如何か、と提案したのである。
その『サービス(奉仕活動)』の内容を示す販促文句は以下の通り。

「鋼の鞘に紋章や家紋をお入れするのは、スミス&ウェイランドだけのオリジナルです」

このコマーシャルが流されたのは、他社がコマーシャル攻勢(特許出願ぶっ潰しキャンペーン)を控えはじめた頃である(五月六日は過ぎてたけどな)。
女優の林 輝子をキャラクターに起用し、本体そっちのけで『オマケ』メインのCMをバンバン流しまくったのだ。
「太鼓のマークの世色癌」や、「気力が尽きた〜と泣き付かれたら竜核散」などのキャッチフレーズの様に、「銃の鞘イコール金属製」という図式が民衆の意識に刷り込まれ、腰に吊るすのが公式ということにされていったのである。
我々の世界で言う『パブロフの犬』と同じ物だろう。
いや、『十回クイズ』が如き(憶えてるヒト、居る?)、短絡的発想や無批判な前動続行かも知れない。

それはともかく、現在では鞘だけの製造販売もこの会社では請け負うようになっている。
紋章や家紋に始まったサービスも、いまでは本人の名前やイニシャル、トレードマークと来て、生年月日に血液型、死亡時の臓器提供に同意してる、してないの意思表示。
果ては――恋人にプレゼントする際の愛のメッセージといったフザケた文言に至るまで、客のリクエストに応じて刻んでくれるまでになっている(リア銃暴発しろ)。
そして……、

こちらでのアガリが、結構バカにできない額にまで、膨らんできているのである。

この市場をほぼ独占する格好になっているからである。
もともとルーベンス本土は金属産出量が豊富なため、昔から鞘や柄にきらびやかな飾り付けをするのは極々一般的だったこともその追い風になった(『デコ鞘』がデフォなのはイースタン人以外な、ナナギじゃ鉄は貴重だったから。けど『紋』を入れたがるって部分は四人種共通な)。

こんな中カイトが銃の鞘を革製の、それも腋の下に吊るす形にした(できた)のは個人的な事情が重なったからだが、その土台にあったのは単にこの洗礼を受けなかった(受けられなかった)というシンプルな事実である。
無知は力なりとは、よく言ったものだ。

ダンジョン実習時、カイトの腰には飛燕以下いろいろな道具がひしめき合い、銃を割り込ませる余地はない。
そしてそれらの配置、重量バランスにコイツはすっかり慣れていた。
世間の常識よりも自らの常習を重しと考えた訳であり、革の類なら自分でも出先での修理ができると思ったのである。
それに鉄などの金属は重く、煮ても焼いても人の食用には適さないが、革なら飢えを凌ぐことができる。
古いながらも天然の牛革を使用したのはその為だ(コイツは大航海時代の船員か何かか……)。
だが……

何より重要だったのは、常に学園内で銃を携行できるようにすることだ。
左腋に銃を吊るして詰襟を羽織っていれば、パッと見は誤魔化せるかもという計算があったのである。
もっとも、腋の下が膨らんで腕をピタリと体側に付けられないので、直ぐにダメだなとは気付いたが。
しかし――凶器を身に着けていると絶えず実感していることは今のコイツには必要だった。
自分の生活圏内に敵が居るとの認識を常に心のなかに持っておくためにだ。

カイトとライオット・ワーブはお互いに完全な敵対関係になってしまった(少なくともコイツの方はそう認識していた)。
学内で殺し合いに発展することは流石にないとは思うが、油断はしない。
敵の良識を当てにするのは、命が幾つあっても足りない、危険な行為である。
式堂甲斐那は弟子にそう教えていた。
弟子の本質がお人好しであることを心配したのだろう。
或いは、コイツの常識が世間の常識とはかなりズレた所にあることが他人の迷惑になること(ひいては自分達の不名誉につながることもな)を恐れた為かもしれない。

手持ちの武器で最長射程を誇るとともに、威力があり、一番携帯しやすいのが銃だった。
それに相手は射撃術科の教官なのだから、向こうが真っ先に頼るのも銃だろう。
カイトはそう思っていた。
――この思い込みのために、後々痛い目を喰らうのだが、この時のコイツにそんなことなど判る道理が無かった。

今の所、銃のほかに銃に抗する手段をコイツは思い付けてない。
思い付いたモノはあるのだが、実践できるだけの能力や自信がない。
それでは無意味だ。
少なくとも、銃があれば威嚇、牽制の役には立つ。
もっとも信頼を置いてる飛燕を手にするまでの時間を稼ぎ、道を切り開く程度の用は果たせるだろう。
カイトはそう考えた。
間に連休が入ったことにより、射撃実習はあの時から数えて今日が初めてになる。
それにどうにか間に合わせた訳だ。


射撃演習場に入ってきたその教官は一言も口を利かなかった。
練習用の銃とカートリッジを放りこんだカゴとターゲットの束を演習場の真ん中の机に置くと、隅っこに引っ込む。
小脇に抱えていた蓋付きの木箱を床に下ろして腰掛けると、ズボンの後ろのポケットから得体の知れない干し肉を引っ張り出し口に銜えた。
そして、ナイフと小さな木片を取り出すと、木彫り細工を始めてしまう。
生徒一同から視線が注がれていることに気付くまで――というか射撃術演習に不可欠な銃声がしないことに気付くまでか――たっぷり三分は掛った。
手元から上げた視線と生徒達と視線が合わさる。
しかしそのことで特に教官に面食らった様子は無かった。
ただ一言、

「…………演習開始」

ボソリとそう呟くと、教官はまた自分の世界に戻っていった。

本日六日、カイト達の射撃実習の授業に姿を現したのは、ライオット・ワーブ教官ではなく、ミラー教官であった。
ジョージ・ウォレス・ミラー。
フケツのミラーの名で呼ばれている人物である。


射撃術科の教官六人中四人までが、学園の生徒からも徒手武術科の荒くれ男どもからも侮られ、軽んじられ、残る二人の教官だけが畏怖の眼差しで見られていた。
一人はカイトと因縁浅からぬライオット・ワーブ教官であり、もう一人がこのフケツのミラーだ。

ワーブ教官が侮られたり軽んじられたりしないのは、あの凄まじくアレな言動に加え、貫禄が具わってる為である。
だがこのフケツのミラーにはそんな貫禄や、覇気に溢れた言動などは望むべくも無い。
前にも書いたがミラー氏は小柄であり、また大変寡黙なタチだ。

鼻を衝く異臭にある程度慣れたあと、人は彼の顔色の悪さに目が行くだろう。
土気色としか言いようの無い顔色で、唇はずず黒い紫色をしており、チアノーゼを起しているのではないかと疑う程だ。
顔は皺くちゃで、脂分がまるで感じられぬ、カサカサした感じの肌をしている。
髪の量に問題は無い。
しかし、生まれ付きか後天的な理由に因るものかは知らぬが、それほどの年齢ではない筈なのに髪には大量の白髪が混じり、あちこちにフケが覗いてる。

いつ如何なる時も無表情。
常に何かを口に入れ、クッチャクッチャ咀嚼音をさせている。
口が塞がってるということもあってか、どの様な悪口雑言を浴びせられても何も言わず、ただ無感動な眼差しを相手に返すのみである。

肉体の方は筋張って所々に骨が透けて見え、本当に肉が付いているのか疑う気持ちが湧いてくる。
どこへ消えているのかと叫びたくなる程の大食いと言うか、ドカ食いを毎日毎食続けているのに、太る兆候が全く見られないのだ。
そして強制執行されない限りは自分からは絶対フロに入らないという行状も相変わらずである。
時折思い出したかのようにその貧相な身体をタオルで拭っている姿が目撃されたりもするが、それにどれ程の効果があるのかは疑問だ。
身体を拭うのに使っているのは、醤油で煮しめた様な色した手拭い……というかボロ切れなのだ。
そしてこのボロ切れも、持ち主に負けず劣らずの、かなりな悪臭を放っているとの証言が得られている。

これで身体を清潔に保てるのなら、入出国の審査項目から防疫検査は削除されてる。
院内感染も、バイオハザードも、BM兵器(バイオ・マジカルウェポン)による薬物テロも、恐れる必要は無くなる。
黄色ブドウ球菌も、鳥インフルエンザウィルスも、炭素菌も直ぐに駆除可能だ。

悪臭によって恐れられる……と言うか、厭われ、疎まれ、持て余されると言うのならまだしも、氏が畏怖の眼差しを受けているのは何故か。
小兵のミラー氏が――軍の人員にすら――侮られも軽んじられもしない理由。
それは――

この小男が得体の知れない、不気味な雰囲気を漂わせていることにある。


この学園に着任してから徒手武術科の粗暴な大男、オズワルド・グリッペンがこのミラー氏に服装や身嗜みに付いて、激しい注意を行ったことがあった。
どの様なやり方で『注意』したかは判ると思う。

グリッペン氏は闘いの最中、格下の相手を甚振る手練手管に長けている。
恐怖を募らせ、苦痛を長引かせる巧妙且つ残忍な手口を幾つも心得ていた。
彼には拷問係の適性があるのだろう。
流石に生徒相手には(ある程度)抑制しているみたいだが、この時は一切の制限制約を解き放ち、やりたい放題だった。
しかし、フケツのミラーは呻き声を上げるどころか、眉一つ動かさずに相手のやりたい様にさせていた。
その態度にグリッペン氏はますます腹を立て、『注意』はエスカレートしていった。
――徒手武術科主任ヤナチェク・クラスホイがその場に居合わせなかったら本当に殺されていたかも知れない。
にも関らずミラー氏は何も言わず、何事も無かったような顔で、中断させられた間食を再開した。

この時、クラスホイはこの厚汚い小男に不気味なモノを感じた。
冷静さを取り戻したグリッペンも同じだ。

彼らはこれまでに幾度か人の死ぬ様、殺されていく様を見てきた。
それに加担したこともあるし、逆の立場に回ったこと、殺されかけたこともある。
迫りくる死を前にしては、どれ程豪胆な兵士であっても「痛い」、「死にたくない」、「助けて」を連呼するばかりだった。
それ以外の反応を彼らは見たことがない。
彼ら自身がそうだったのだ。
それがここに来て例外、自分達には理解不能なモノを見つけた。

徒手武術科が射撃術科と宿舎を別にしたのはこの直後のことである。


カイトの実習担当者はワーブ教官であり、座学を担当しているのはお祖母ちゃん子、アズサ・P・服部教官である。
それ以外の教官に接するのはこれが初めてだった。
鼻が曲りそうなと言うか、いっそ本当に曲ってくれれば少しはマシでは有るまいかと思ってしまう位、凄まじい臭さだ。
しかも氏が座しているのはカイトの真後ろ。風がなくても臭いが届く距離である。
風聞に聞いていた以上の悪臭であった。

周りが悪臭にせき込み悶える中、カイトは独り静かに標的に向う。
コイツはこの状況を寧ろ歓迎し、喜んですらいた。
と言って、悪臭フェチまで併発してるという訳ではない。

式堂甲斐那はカイトに次の様に告げたことがある。
本番は訓練と同じ様には絶対にいかないと。
どれだけ過酷な訓練を積み、本番に臨んだ所で、本番で出せるのは精々その内の半分だ。
緊張し過ぎるか逆に気が緩み過ぎるかして、くだらない過失を連発し、想像していた半分程の成果も上げられずに終わるのが普通である。
故に訓練は思いつける限り最悪の状況を想定し、可能な限りそれを再現した環境のなかで行うことが望ましい、と。

悪臭を自衛の手段とする生物やモンスターもこの世界には存在している。
兵法の一つとして自ら悪臭を身に纏って生活することを選んだ剣豪も居たと、そのときに聞かされもした。
耐性を付ける為だと思って今は我慢しようとカイトは考えたのだ。
それに、自分でこれ程までの悪臭の素を用意する大変さを思えば、手間と暇が省けて助かったと思うべきだろう。
さすがに感謝しようとまでは思ったりはしなかったが。


カイトはこの演習から自分の銃を使いはじめた。
ナージャに渡したのと同じ、ヒグチ銃器の最新モデルだ。

この時期、授業で使われている銃はリリー&フィールド社の物である。
年度始めで、授業用に充分な数量を揃えられたのが、ココだけだったからだ。
しかし突貫作業で出荷されてきた銃器は、安全基準を満たしているかさえ怪しいうえに、不特定多数のガサツな生徒どもによってバラバラな取り扱い方をされている。
しかもロクな手入れもされぬまま、連続でコキ使われる訳だから、性能はどんどん下降していく運命にある。
おまけにカートリッジに不発(アタリ)が多く、大変イライラが溜まりやすい。

そういった諸々から解放されたのである。
今カイトは授業が本当に嬉しい、と言うか大いに楽しんでいた。
新物と言うのはただそれだけで人の気分を沸き立たせることがあるのだ。

新雪に足を踏み入れること然り。
卸し立てのパンツに足を通すこと然り。
そして、処女地に分け入ることもまた……。

今のところコイツには銃を主要兵装として扱う意志はない。
飽くまでも研究器材、ぶっちゃけ新しいオモチャで遊んでいるのと同じ感覚だ。
もちろん、手にしているのが簡単に人を殺せる凶器だとの認識は、コイツの中にしっかりと存在している。
コイツはそこまでの莫迦ではないし、そんな悪趣味でもない。
指先をすこし動かすだけで渾身の斬撃並の殺傷力を生みだせる銃により大きな魅力を感じたのは事実だが、それ故に恐るべき、忌わしい道具でもあるとの認識もまた新たにしていた。

カイトには何事であれ状況をできるだけ楽しもうとするクセがある、どんな物でも少しでも楽しめる部分を見い出そうとする習性がある。
自らが択んだ行動には責任が付いてまわるという事実を見失わない限り、この性癖が問題となることは無いだろう。

戦場においてカイトの命取りになることはあったとしても。


まだまだ未完成とはいえ、実用品である以上、銃にはある程度の基準が設けられている。
敵の守りを貫けるだけのカートリッジの威力であり、その反動に耐えられる銃本体の強度であり、そして保持し易い形状と大きさである。
カイトが手に入れた銃は、男のコイツには手頃な大きさだったが、女性であるナージャには少し手に余るようだった。
撃つ度に取り落しそうになり、近くで見ているカイトはハラハラした。

異臭が不意にキツくなった。
木彫り細工に一段落着いたらしいミラーせんせいが音も無く立ち上がり、銃と悪戦苦闘しているナージャ・アントノーヴァに近づいていったのである。

「……持ち辛い?」
口に銜えていた干し肉を手で持ち、女生徒にそう尋ねる。
年下とはいえ稀有な美少女を前にしても、その声にも表情にも動揺らしきものはなかった。
「え? はい。少し、握りの部分が大きくて」
ナージャ・アントノーヴァは平然とした顔で答える。
特に無理をしている風はなかった。

「……こっちに」
教官はナージャから銃を受け取って、彼女の掌の大きさや指の長さをざっと眺める。
そして製造メーカーを彼女に確認すると、後は何も言わず、自分が座っていた木箱に戻っていった。
ナージャがその後に続き、周りでその様子を見ていた他の生徒達も好奇心に駆られ、鼻と口元を押さえながら、教官の周りに近寄る。
カイトもそれに続いた一人である。

床に胡坐をかくと、フケツのミラーは木箱の蓋を開く。
この箱はこの男が学園に持ち込んだ唯一の私物だ。
実技の時間はこの木箱をイス代わりにして、生徒たちを監督している。
この時、カイト達はその全面に施されている精緻な彫刻に気付いた。
ここまで薄汚い人物にこれほど美しい細工仕事が為せるのかと、驚嘆するほど見事な出来栄えだった。
しかし……

木箱の中は、外側とは正反対に、種々雑多な道具やガラクタで溢れかえっていた。
これはこの男の内職用の道具入れでもあった。
木工、彫金、金属加工、象牙やガラス彫刻の類はお手の物だ。
箱の中からプラスとマイナスのネジ回し、柄が外れたままになってる小刀、そして金属用ヤスリを引っ張り出す。

銃の握りを留めているネジにプラスのネジ回しを差し込むと、柄ではなく軸の部分を親指と人差し指とで力強く捩じった。
ネジ回しはコマの様に勢い良く回り、ネジ釘がせり上がる。
それを数回繰り返すと、握りの木製部品が銃本体から外れて、床に落ちた。
左右を返して反対側の握りも外すと、銃を木箱の上に置いた。

ネジ回しを小刀に持ち替えて握りに食い込ませると、薪割りの様に床に叩きつける。
小さく乾いた音と共に、握りから余分な厚みが削ぎ落とされる。
旋盤に掛けたかの様に少しのズレもなく、真っ直ぐ真っ平らな木片が剥がれ落ちた。
もう一度同じ作業を繰り返して左右両側の握りを薄くする。

小刀を脇に置くと、今度はマイナスのネジ回しに手を伸ばした。
それで何をする積りか見ていると、その切っ先を握りの内側にある魔力吸入口用の穴に当てて力を入れる。
小さな音とともに木屑が舞った。
出た木屑を氏は息を吹いて払う。
眼を凝らして見ると、先端が砥がれて、極細のノミに加工されているのがカイトには判った。

ヤスリの先端を左手で掴み、柄を床に立て掛けて靴の裏で固定する。
そしてネジ先をヤスリに押し当て全面を数往復させた。
ネジ先から削り落とされた長さは、握りから削ぎ落とした厚みに一致している。
ネジの長さを調整し終わると、直ぐ元の形状に組み直す。

戻ってきた銃はまるで誂えたかの様にナージャの繊手にピッタリ馴染んだ。

噂に聞いていた以上の鮮やかな手際だった。
腰を下ろしてから五分と経っていない。
あっと言う間の修理劇だった。


「……手だけは綺麗だ」
さすがにいつまでも周りから離れようとしない生徒達には気付いたのか、顔を上げたミラー先生が誰に対してという風もなく呟いた。
「え? ああ、いえ。そうじゃなくて、本当に有難う御座いました」
ナージャはそう言って先生に感謝の笑顔を向けた。

ナージャ・アントノーヴァは相手の身なりや美醜等で相手を差蔑したり、態度を変えたりはしない。
人の値打ちは身分や経済的な豊かさにはないと親から躾けられてきたし、彼女自身もそう信じていた。
お互いの身分や立場に関係なく、その人の意図や経緯を問わず、相手の行動によって自らが利益を受けた場合、それに感謝して謝意を述べることは話に上る以前の問題だと思っている。
だから素直に感謝の言葉を述べたのである。

生徒達から向けられてくる感謝の笑顔や尊敬の眼差しに対し、ジョージ・ウォレス・ミラーは不思議なものでも見るかのような表情を浮かべていた。


さて、土曜日である。
午前中のカイトの時間割には射撃術の座学が組み込まれている。
カイトと同じ教室に集っているほとんどの生徒にとって、この講座は睡眠学習の時間になっている。
担当であるアズサ教官の授業というのが教科書を音読し、教科書をそのまま板書するだけだからだ。

いや、氏は教科書の語句に色々注釈めいたものを書き加えてくれるのだが、それが一つも生徒達の役には立たないのだ。
「あんな感じ」、「こんな感じ」、「ここはチョッとだけアレ」、「アレする前のアレを、少しだけアレにした様な感じのアレで」といった語句を書き連ねられても、何が何だか判らない。
四つの「アレ」が示すモノが何であるかを問うても、コイツの口から固有名詞や具体的数量を示す言葉などは一切出てこない。
指示代名詞が示す中身を説明するのに更に他の指示代名詞を持ち出してくる辺り、コイツの脳ミソは絶対に溶けてる。

コイツと会話することは頭の悪い辞書を引くのに似ている。
辞書を見るとたまに、「Aの意味はBに同じ、Bを参照のこと」と記載されていることがある。
そして参照しろと言われたBのページを開いたらば「Bの意味はAに同じ、Aを参照のこと」と書かれている場合が。
コイツに質問することは、そんな事例ばかりの辞書(とは呼べない反古紙の束な)で原書を精読することに等しい。

本人に悪気は無い。
それどころか自らの体現している射撃術の秘訣や極意を本当に伝授してやろうと、本人は大いに意気込んでいる。
生徒達にもそれは判るのだが、それが完全に空回りしている。
必死な想いが伝わってくるだけに、その想いをフイにすることが躊躇われる。
だから、邪気の無い満面の笑顔でこの教官(てか、無能な働き者な)に「判ったでしょう?」と尋ねられると、生徒達も「はい、もうバッチリ」と笑顔で答えてしまう。
バッチリどころか、生徒達の理解度は混迷の度を増すばかりだ。

思うに生徒たちのこの反応も例の条件反射の類ではあるまいか。
邪気の無い満面の笑顔を浮かべながら、凶悪極まりない物騒な悪戯をしてくる先生がこの学園には生息してたりするから、その影響だと……。


本来ならアズサせんせーが受け持つ今日の座学の時間に教室にやって来たのは、ベルナルド・バースせんせーだった。
道を踏み誤ったカイト達の先輩の……。

本来担当ではない人物がなぜ授業にやって来たのか。
それはライオット・ワーブが風邪をひいて寝込んでいる為である。
大型連休前日から。
少なくとも、射撃術科ではそういうことになっているらしい。
ワーブ氏が抜けた穴を埋めるので射撃術の授業の人員配置に色々な変更が加わっていたのだ。

「ハンゾ…じゃなかった、服部先生は休みだ。要するに、最先任下士官であり、俺ら射撃術科の主任であらせられるワーブ曹長が風邪で寝ていることになった為の時間割変更で気のいいハンゾー……じゃねえ、二ご……でもない、アズサ先生にシワ寄せが行き、少し休養が要ることになったってことだ」
バースせんせーは教室に入ってくるなりそう言った。

(何で「要するに」の後の方が長くなる)
カイトたちは胸の中でそう突っ込む。

バースせんせーは実に良く喋った。
軽薄そうな笑顔を絶やすことなく、授業時間を目いっぱい使い、引っ切り無しに喋り続けた。
良くそれだけ話せるネタがあるものだと感心するぐらい、話題が豊富だった。
また「詰り」とか、「要するに」とか、「簡単に言うと」といった言葉もよく口にした。
だが、それらの言葉を使いながらせんせーの話は簡単にも、手短に済まされることも、ましてや要約されたりすることなどは一回も無かった。

バースせんせーは生徒達からの様々な質問にもよく答えていた。
とは言っても、正規の授業、射撃術に関する質問ではない。
女生徒から徒手武術科の教官に関する質問が数多く寄せられたのだ。
カイトの中で竜園寺先生以外の徒手武術教官の名前と顔がこの時初めて一致した。
知りたくもなかったが身長や体重、生年月日に血液型、食べ物や女性の好みまで知ることができた。

このバースせんせーの授業は、アズサせんせーの授業と同様、カイトの射撃術の向上には何の進歩ももたらさなかった。
しかし、他のことでカイトの興味を惹いたことが有る。
カイトの隣の席に座るナージャがバースせんせーの言葉に耳を傾けだしたのだ。
熱心に動かしていた手を止め、ノートに下ろしていた視線も前に向けたので直ぐに判った。
試験で出題されることなど絶対にない、徒手武術科の教官達の個人情報に、彼女が熱心に耳を傾けていたことがカイトの興味を惹いた。

カイトの知る限り、ナージャ・アントノーヴァという少女はそういう話題に興味を持つ娘では無い。
授業中、その授業や履修科目とは全く関係の無いことに意識を向けるタイプでもない。
事実、これまでのこの授業のナージャはこうではなかった。
彼女なりに射撃術の考案に勤しんだり、他の授業の予習に励んだり、法術詠唱の工夫を凝らしたり、一週間の献立を考えたりと大変忙しく授業時間を活用していた。
一体いかなる心境の変化なのか、その後の午前中、カイトはずっと不思議に思っていた。


「遅え」
更衣室の扉を開けて入って来た実習の相方に向って、相庭マイトは不機嫌そうな声を上げる。
「うるせえ。人が徒労感に襲われてるときゃあ黙ってろ。こんなとき馬鹿の相手させられると、遣る瀬無さがいや増してくるんだよ」
肩で息をしながらカイトが鬱陶しげにやり返す。
「そいつが肩震わせてる理由がナニかなんて他人に判るわきゃねぇだろう」
相庭マイトはそう言って鼻を鳴らすと更にこう続けた。
「しっかし、ま、ウォーミングアップに時間とられんのだけぁ避けれるみてぇだな。この上チンタラ柔軟が終わるまで待たされたんじゃ、ケツがベンチに根付いちまうぜ」
カイトは膝に両手を着いて肩を落とし、顔や頭や首筋から、ポタポタと床に汗のしずくを滴らせている。
終礼が終わってから今まで、食事も摂らずに、学園中を走り回っていたのだ。


戦利品と手製の鞘を渡した際、「一緒にダンジョン実習をしないか」とカイトはナージャに声を掛けていた。
彼女の不機嫌さに耐えかね、そう思わず口にしてたのだ。
実戦での使い勝手も確かめたいから、『俺達と』組まないか、と。
それに対する少女の答えは「考えておくわ」だった。
あれから三日になるが、ナージャはカイトに対して不機嫌な態度を崩しておらず、その誘いにもはっきり答えてなかった。

三日間コイツはかなり積極的に彼女に話し掛けたのだが、様々な言い逃れをされて、ちゃんとした話ができずにいた。
しかしダンジョン実習がある今日こそは答えを聞くべく、ナージャを探し回って来たのである。
彼女と一緒に潜るのはコイツだけではない。
同行者が、相庭マイトがいた為だ。


カイトが相庭マイトと実習でチームを組むに至ったのは、大型連休初日に戦利品を分配したときにまで遡る。
相手側から「実習で組んで欲しい」とカイトに持ちかけてきたのである。

相庭マイトには目標がある。
その目的達成には、どうしても優秀な冒険者になる必要があった。
冒険に役立つ知識や技術を得るためなら、努力は惜しまない。
だから、カイトに実習で自分とペア、もとい、チームを組むことを願いでたのである。
カイトの行動を間近で見ることは、自分に益する所が多いとの直感が働いた為だ。

持ちかけられたとき、カイトは実に胡散臭そうな視線を相手に注いでこう言った。

「一緒に潜んのは良い、戦うのもな。だが馴れ合いはしない。
トラップや待ち伏せに相手が気付かなくても、自分に被害がかからねぇんなら放置。
稼ぎは独立採算制、トドメを刺した分がそれぞれの取り分。ハイエナ有り。
お互いカギ開けやトラップ解除のスキル持ちだからな、ハコは開けたヤツが七割ベース。
カギをコワしたペナは原則直前のハコの四掛け。
外しぞこないはとにかく先ず一割マイナス。
そっから更にジャック(肉体ダメージ全般)、キング(神経ダメージ)、クイーン(毒/マヒ針)の三役は一割のマイナスで、ジョーカー(モンスター召喚)はマイナス二割。
マネーピット(宝箱減少)一五、バッグドラフト(薬品強奪)一七、エンスカ(気絶によるタイムロス)が一割八分。
グラスラ(強制帰還)は二割で、ローブロー(ダウン攻撃)、セットアッパー(障害増加)、ホワイトアウト(地図消去)は三割のマイナスだ。
治癒神術のお布施は俺の修行量に比例。ダンジョン内でアイテムは全品地上店頭価格の五割増し。現金払いが原則だが、ローンの利息はロクイチ(六登園日で一割)。
ハイブロー(蘇生措置)はヤク代抜きで百二十ザッカ、戦闘中だと三倍に消費税で四百。緊急脱出は五百と一層につき百ザッカの上乗せ……と、まあ、今んとこ、大体こんなトコか。
この条件でなら、構わねぇぜ」

大体の隠語の由来は見当が付くと思うが……ジャックはジャック・イン・ザ・ボックス(ビックリ箱)が由来で、キングはキーニング(キーン音の意)が縮まったもの。クイーンとジョーカーはこの二つに合わせただけだ。
あと、エンスカというのは少年ホップに連載されていた能力者バトル物『ヨヨのエゲツない探究』第五部のボス……

……相手が冗談を口にしてるのでないことはマイトにも雰囲気で解った。
しかし、まさか、コイツが、こんな(自分みたいな)条件を付けてくるとはゆめにも思っていなかった。
予想外の事態に、相庭マイトは一瞬呆気に取られる。が……
「はっ。そっちこそ後んなってそれに文句言ったり、オレに泣き付いてきたりすんじゃ無えぞ」
すぐに冷静さをとり戻すと、カイトに向かって即座にそう言い返していた。


カイトは相手を怒らせて御破算にさせようと企んだのではない(そんなコトのできる知恵、コイツにはない)。
コイツも、万一に備え、同行者を求めていた。
しかし、ただ自分の後を着いてまわるだけのナマケモノや、自分と繋がりを持つことでミュウ達から温情点を期待したりといった打算的なバカ者はお断りだった(『腐臭』ただよう残念な美人とかもな)。
そういう手合いをさばくのには、本当にもう心底、ウンザリしてたのである(「もうHPはゼロよ」って感じな)。

独立独歩の気概のない連中や、他人から何かをして貰うのは当然と思うが、相手への返礼義務があるとは考えもしない忘恩の輩は冒険者になる資格はない(現場にまでそのテの趣味を引きずってイッちゃう悸腐人なんかは絶対にな!)。
カイトは、そう、信じている…………とは言え、

義理人情はあつくても、技量が寒いヤツと組むというのも論外だった。
やる気だけで突っ走られて、自分たちの手に負えない状況に飛び込んでいかれたのでは、命がいくつあっても足りやしない。

自身の身を護れるだけの技術。
要不要を見抜ける知恵。
そして、その時々の自分たちの出来る出来ないが的確にはかれる強靭さに冷静さ。
お互いを補い合える程度にこれらが備わっていなければ自滅するだけだ。
こと冒険に関する限り、カイトは原則的にシビアで実際主義者である。

以上の点を踏まえて判断すると、この相庭マイトは冒険者として有能である(ワリとな)。
実習初日で早くも四層目まで歩を進めたことからもそれは確かだ。
そして後衛としても優秀な部類に入る(ワリとな)。
暴力団とやり合ったとき、激しい混戦状態のなか、キッチリと直接射撃支援をこなしていた。
また先日、初日のことについての謝意も(ぶっきら棒ながら)伝えてきたことから、最低限の礼儀も具わっている(多分な)。
なにより――

こいつは仲間を見捨てなかった。
どちらの場合も身体を張って状況を支えながら、仲間の様子にも注意し、声を掛け続けていた。
カイトはそのことを重視している。

それらが緻密な打算に基づいての行動だったのなら、こちらとしても望むところだ。
計算高い相手とのユニットは緊張を強いられ、自分の注意力、判断力、行動力を高めてくれるだろう。
逆にこいつが義理や人情などの惰性が働くバカ者だというのなら、それはそれで大変よろしい。
どちらであっても問題はない。
それに……

カイトは三度自分のまえに現れたモノは、自分となんらかの縁で結ばれていると考え、受け容れることにしている。
良縁悪縁を選らず、奇縁且つ因縁と観じ、しっかり握って離さないことを心掛けている。
実習初日、銃器横流し事件、そして今回のコレとで三回目。
ここでも問題はない。

そして、相手の眼に宿る、飢えにも似た光には見覚えがあった。
力への憧れ、強さへの渇望だ。
相庭マイトの全身からは、今より強くなりたいという、純粋な想いが滲み出ていた。
しかもその具体的な目標に据えられているのは、どうも自分らしいのである。

自分が目標に置かれる、何か学ぶべきモノが自分の中にあると思われるのは非常に面映い。
そういう眼で見てくれる誰かが近くに居ることは、何事であれ、道を志す者にとって最高の発奮材料だ。
他人から頼りにされている、尊敬されているとの感覚があると、人間は苦労を認識しなくなる。
後進に手本を示すために、その目標で有りつづける為に、信じられない程のやる気や粘りを発揮して、素晴らしい成果をあげられるようになるのだ。
…………たとえ、その尊敬されているという想いが、本人の思い込みや勘違いだったとしても……。

そして、マイトの主要兵装はカイトの関心を惹き、現在の利害と一致した(コレ一番大事な)。
カイトはヒグチ銃器の最新型をチョロまかし、マイトはスミス&ウェイランドとペンガーナの製品をガメてきた。
実戦でそれぞれの性能を比較し、射撃術とそれへの対抗手段を検討するのには好都合な人員だ。
カイトの方でもそういう計算が働いていた。
タダ働きは、するのも、させるのも、させられるのも、大嫌いなのである。

問題は相手が生意気さが鼻に衝きまくるうえにヌケてる部分も目立ち、可愛くなけりゃあ(コレが一番重要な)可愛げもない、男である(コレの順位は知らないがな)ってことだけだ……。

しかし、年長者であるとの自覚から、カイトはその辺の文句は口にしなかった(ヌケてるのはテメーもだ)。
あこぎにも思える条件を付けたのもその自覚(笑)ゆえである。
こういう条件なら自分と組むのにそれほど抵抗も感じなくなるだろうし、なにより――罰金が課せられるとなれば、こいつの真剣さは何倍にも膨れあがると考えたのだ(臨時収入の入ってくる可能性もな。タダ働きはry)
相手のプライドや弱肉強食という信条にも配慮してやったのである(まあ、それなりに、な)。

かくして、コイツらはチームを結成するに至ったのである。


先週二人が初めて実習に挑むまでに到達できていた階層は同じだった。
前回カイトは張り込みの疲れから、直ぐに実習を切り上げたために、探索ができなかった。
マイトの方でも『色々な』障害が発生して、次の階に進むことができなかった。
そして――記念(忌念?)すべきこの一回目のダンジョン実習に際し、先ずカイトが相方にやらせたのは、自分の描き掛けの地図に相手のマピケーの情報を描き足させることだった。

「マピケーがあるのに、何で、方眼紙に鉛筆なんだよ?!」
現代っ子というか、携帯伝話に慣れ親しんで三年目に入ろうとするマイトは相方に喰ってかかる。
「……携帯を何処まで信頼できる? 何時でも、どこでも、どんな場合でも、絶対に使用可能か? そう、断言できるか?」
冷徹な声でカイトは応える。

「俺が武器や道具に求めているのは、純粋な信頼性だ。いつ如何なる状況においても、必ず使用できるという確実な動作性だ」
軽く一呼吸間を置いて、さらに言葉を続ける。
「いま純粋って言ったが、それは単純って言葉に置き換えても良い。紙と鉛筆には『それ』があるが、マピケーに『それ』は無い」
どこかで聞いた様な言葉を口にした後、コイツはすぐ具体例を挙げて補強説明に入った。
「携帯に妨害念波を掛けたり、ニセ情報を読み込ませたりできる器材があると聞いてる。それらへの対策が施された新器種が出てきても、それは一時的なことで、大抵はイタチゴッコになる運命だ」
新器種とイタチゴッコはイコール出費という連想となって、奨学金特待生(苦学生)相庭マイトの理解と賛同を促す。

「たしかに悲観的になり過ぎるのも危険だ。しかし可能性がある状況については、常に対策を立てておく必要がある。深層部に入り込んだあと、何らかの理由でマピケーが使えなくなったりしたら、どうやってウチまで帰る?」
この言葉にはマイトも成る程と感心する。しかし……

「実際のところ、武器なんか無くったって冒険者は冒険者たりえる。だけど手にも、頭にも、心にも、地図を持たない奴、持とうという意識すらない奴を、俺は冒険者とは認めない」
カイトの口から飛びだしてきたこの言葉には不信、不快の念を覚えた。

「童話を思い出せ。外見的特徴から、カカシもライオンも一目見りゃイッパツで「あ、ライオンだ。お、カカシだ」って判る。ヒツジを指差して「あ、プードル」って抜かすアホは居ても、ライオンをキリンやパンダと間違えるバカはいない。麦わら帽子に野良作業の服まで着てるワラ人形をライフセイバーだと言い張るタワケも居ない」
シンミョーな面持ちでここまでタワケた寝言をヌかしてくる相手の思考回路(その正常性って奴をな)をマイトは疑っている。

「だけどブリキの木こりから斧が消えてりゃどうだ? それでもあの人形を木こりだと認識させられるか? 作者がどれだけ熱筆を揮おうが、セリフの語尾に「キコリ」って言葉を付けまくろうが、霧山朝男検事や中森鯱子弁護士を登場させてアレの弁護をさせようが、絶対不可能だ」
カイトへの『疑惑』が『確信』に変わった。

「『斧有らずんば、木こりには非ず。木こり居らずして、斧役立たず』。それと同じように、『地図無くして、冒険者には非ず。冒険者居らずして、地図役立たず』。それが理由の大きな一番目だ」
カイトは自らの完璧な理論(とコイツだけが呼ぶ所のモノな)に腕を組み、一人厳かに頷いてる。
マイトはそんな相方に「コイツ、酸素欠乏症に掛って……」みたいな視線を注いでる。

「また、二つ目の理由は、途半ばにして倒れた場合、マピケーだと、それまでの自分達の行跡、歩んできた道程を証明するものが無くなる可能性がある。マピケーが記憶できる時間とかにも、限界があるだろうしな」
自分がどんな目で見られているかには気付かず、カイトは先を続けた。
「冒険者は死ぬ。それは止むを得ない。もう、誰にもどうしようもない、厳然たる事実だ。だから、それは仕方がない。仕方がないが、しかし後に来る『仲間』を助けないって選択は冒険者には無い。あとの仲間に、必ず、可能な限りの援助の手を差し伸べて、逝かなければならない。たとえやって来るのが、親や恋人を殺した、憎むべき仇であったとしてもだ」

森厳な面持ちでそのように語る相方に、相庭マイトは失念していた事実を思い出す。
この相羽カイトという少年には、多分に、夢見がちな所が存在していることを。
本来なら、自分より五歳年長のハズの同い年であるこの少年は、頭に馬鹿が付くほどのお人好し、否。
非常にお人好しな大馬鹿であるとの事実を、相庭マイトは思い出していた。
どれだけ楽観的に見ても、年々世知辛くなって行くばかりのこの業界で、長生きできるタイプではない。

マイトにとっては、自分が死んだ後で世界がどうなろうと知ったことではない。
後世も来世もある物か、そいつらはそいつらで、勝手にしやがれと思っている。
弱肉強食がこの世の掟だ。
大体、生きている今でさえ「縁があったからといって、誰かを助けてやる理由にはならない」と確信しているのだ。
死ぬ前と後とで、考えがそう急に変化するわけがない。
ましてや、死ねば生き物は土に帰って何も考えられないか、地獄で責め苦を負わされて大忙しでいるかのどちらかだ。
ますます以って、他人を構っていられる筈がない。

カイトの考えは少なからずこの世の定理からズレている。
相庭マイトはそう思った。
前途が思い遣られる相方に、我知らず、溜息を吐いていた。

相手の漏らした溜息がどういった理由に因るものか見当が着いたか、或いは自分でもその甘さに気付いているのか。
それは判らないが、カイトは最後にこう言い添えた。

「自分が生きた証を遺すのは、生きとし生ける諸々の権利であり義務だ。それを達成するためにヒトは万難を排するべきだし、周りの連中だって、その意を汲んで、少しぐらいは手伝ってやるべきだ。少なくとも、代わりに手伝うって奴を探してくる努力ぐらいはしないとな」

この時のカイトの表情には何の感情も浮かんではいなかった。
厳粛さや真剣さは見当たらなかったが、ふざけてる様子や気負ってる風も無かった。
また、衒っている風情や諦念めかした情感も感じられなかった。

相羽カイトは本当にそう思い込んでいる、信じているみたいだった。

この言葉も先刻までの物と同様、コイツ独特の理論やら虚仮の一念とか呼ばれるものかも知れない。
マイトもそう考えた。
しかし、反感を覚えたり、批判めいた感想を抱いたりはしなかったし、そんな心情を面に浮かべたりもしなかった。

正誤はさておき、その人の純粋真率の本音だと判る言葉を鼻であしらえる程、相庭マイトも人間を捨ててはいない。
相手の言葉をただ静かに、無記のまま、受け止めただけだ。
それが、自分からチームを組むことを願いでた者として果たすべき努めであり、最低限の礼儀であると考えたのだ。

こいつも、大概、根っこはかなりの御人好しだ。


――こいつがチームを組んでくれと言いだしたのは、学ぶ価値のあるスキルや、盗むに足るテクニックが相手にあると考えたからではない。
そもそもスカウトの技能レベルや習得テクニックの数はこいつの方が上なのだ。
それはカイト本人にも尋ねて確かめてある。
驚いたことにカイトの修得技能は四職種にわたってはいたが、技の引き出し自体は少なかった。
カイトの持ち技はどれも本当に初歩の初歩として教わるモノがほとんどだ。
中級レベルのモノは申し訳程度しか修めておらず、高等テクニックの持ち合わせに至っては皆無だった。

剣術、魔術、神術の三つについても問いただしてみたが、返ってきた答えは何れも同じ。
カイトの有しているスキルやテクニックはどれも駆け出し程度。
学園内でゴロゴロしている、正に『オールラウンド』と呼ぶに相応しい、性根の座らぬゴロツキどもと何ら変わらないレベルである。
しかし……

カイトには、何か、としか言いようのないモノが具わっていた。
そんなゴロツキ学生どもとは一線を隔すナニか。
どう評するべきなのか判らない、一種独特の風格がコイツにはある。

ダンジョンや荒野で争ったと仮定して、マイトにはカイトに勝てる自信がなかった。
同学年で各分野に於いてカイトより優れた技量や成績の持ち主にも心当たりはあったが、そいつらでも同じだ。

実際、銃器の横流しを企んだアホどもの尻拭いで、コイツは見事な結果を出してみせたし、自分はその余禄に預かることもできた。
自分はコイツの作戦通りに動いただけで、役に立つアイデアなど一コも出せなかったのだ。
他の優等生連中があの場にいたとしても、やはり、ロクな知恵も捻りだせず、無駄死にするだけに終わっていただろう。
いや、今だってそうだ。
カイトがあのとき立てた作戦に改良すべき点は見当たらないし、アレ以上の代案は考え出せない。

自分達では相羽カイトに勝てない。
相手はプロフェッショナルやスペシャリストという格ではない。オールラウンダーなアマチュアだ。
技量では上回っているにも関わらず、自分達が勝つ光景がどうしても浮かんでこないのだ。

自分とカイトとを隔てているモノは何か。
相庭マイトは個人的好奇心と、職業的(まだ学生だけどな)探究心に囚われた。
故に、チームを組むことを求めたのである。
その、何か、を手に入れれば、自分の目的に一歩近づけると思ったのだ。
それがチームを組もうと考えるに至った動機だった。


さて――

カイトが装備を整え始めたとき、マイトの方はとっくの昔にダンジョンに潜る準備ができていた。
どれくらい昔かと言うと今朝自室を出た時だ。
冗談ではなく、コレは本当の話である。
道具に対して、相方が『絶対の信頼性』を求めているのに対し、この相庭マイトは『可能な限りの万能性』を求めているためだ。

具体的に言うとレザーキャップ、装甲学生服、麻の手袋、ランニングシューズ、そして水晶のピアス。
これがこいつの装備である。
教室に、ダンジョンに、普段着に、葬式に、結婚式にも着ていけて、しかも、イチバン、安い……。
もちろん、武器を始めとして盗術士用七つ道具にファストエイドキットSサイズ、水、マピケー、そして――相方の趣味に合わせて――筆記用具にコンパスも持っている。
こいつの探索用の備えは以上だ。
たしかに軽装ではあるが、必要は充分以上に満たしてる。
食糧や調理器具やシュラフやテントなど実習では使わない道具など、持ち込んだりはしないのだ(誰かとは違うんです)。

マイトは大股を広げてベンチに腰かけ、鼻歌の様なものを口ずさみながら、相方を待っている。
本当に心からリラックスしてる様子だった。
この身軽な、そして気軽そうな相方の姿に、カイトは複雑な感情を抱いている。

カイトが重装して実習に臨んでいるのは、今から本番に慣れておくためだ(道具も、訓練用のウェイトなどではなく、本物を用意していた)。
しかし実際のところ最近は、本番でも、探索効率と生還率を高めるために、我々の世界で言う登山の極地法に似た手法が主流になっていた。
探索中も常にすべての荷物を持ち歩くカイトのスタイルはコレと真っ向から対立しているが、コイツにもちゃんとした理由はある。
もちろん、マイトが採っているのは現代の主流、『極地法』だ。

冒険に対する考えやスタイルは人それぞれであり、コイツもそれは理解している。
その辺をメンバーに口出しする積りはないが、しかし、これだけはどうしても聞いておかねばという点が相方の装備にはあった。
シールドに左腕を通したカイトが口を開く。

「お前がパーティー唯一の盗術士だった場合、カギ開けやトラップ解除、それに小便やクソするときとかは、銃をどこにやる積りなんだ?」

冒険課では「どんな場合でも現場では得物と水筒、コンパスに地図は身体から離すな」と指導している。
そして『二刀流』と極地法をスタイルとするマイトの装備に銃の鞘は含まれていなかった。


軍と企業が資金援助をしていたが、それでも舞園生にとって銃はまだまだ金食い虫だった。
消耗品はカートリッジだけではない。
メンテナンスに必要な器具や触媒、損耗していく部品のスペアも揃えておく必要がある。
個人が練習に使うカートリッジは自己負担だ(弓矢と違ってほんとうに完全な一回コッキリだからマジキツイ)。
ザッカは幾らあっても困るということはない。

それに『能無し点』という問題もあった。
『能無し点』とは俗称で、正式には『冒険準備能力、及び維持能力』と呼ばれる。
寮生は生活に掛かる分のザッカを、通園生も、学園独自の計算式ではじき出された、妥当とされる額のザッカを学園におさめるよう求められている。
生活力や超長期にわたる計画性、辛抱する能力などがどのぐらい具わっているのかを評価するためだ。

これは飽くまでも教育や授業としての措置、シミュレーションだ。
ダンジョン実習での稼ぎが悪くてザッカが払えないからといって、寮でメシが出なかったり、フロの水を抜かれたり、夜に明かりが消されたり、保健室で治療を受けられないなんてことはない。
いくら冒険課でも、『子ども』にほんとうに「働かざる者食うべからず」を強いたりはしない。
生徒の『生命維持費』は事前に保護者が学園に振り込んでいる。
『そんな金』の横領や不正使用など、まともな教育機関のすることではない。
そして冒険課はまともな教育機関なのである。
独立採算制が義務付けられているのは、冒険課での授業についてだ。

……まあ、余ったザッカにも使い道はある。
周りがポークビーンズを食ってるなか、一人だけオムライスを注文したり、
夜中に内風呂を使ったり、
ケーブル放送やペイ・パー・ヴューでアニメビースト・コンチネンツやエンシェント・ストレイトなどを視て教養を深めたり(プロレスを視たり)、
なにより特別講習を受けたりできる。

そして、レートはムチャクチャ低いが、卒業する際ザッカは国内通貨への換金も可能だ(在園中はその逆が可能。レートはそこそこフツー)。
冒険者養成機関で「働かざる者食うべからず」をガン無視することなどはできない。

さて、この『能無し点』だが、実はどれだけマイナスになっても卒業には関わってこない。
関わってくるのは、冒険課を卒業した後である。

窓口振込みで、取り立て屋とかも来ないから溜め込んでしまいそうになるが、ライセンスにも刻印されるこの数値はギルドやカンパニーの人事担当者や依頼人なども注目してくる最重要項目のひとつだ。
生活破綻者や、計画性やこらえ性のない冒険者が本当に信用されることはない。
つまずきを見せれば直ぐに足元を見られ、ロクな依頼も来ないようになる。
これが冒険者の悪党化に一役買ってる訳だが、どこの冒険課も卒業への必須単位に組み込んだり、源泉徴収したりするなどの制度変更の要求には一切応じない考えでいる。

生活能力や『お預け』は、各家庭で躾けておくべき、もっと言えば、生徒一人一人が個人で学ぶべき問題であり、学園や他の誰かが責任を持つような事柄では決してない。
何より、そんなモノは、冒険者やそれ以外の職業に就く就かんとかいう以前に、ヒューマンレベルの問題である、と。
他に教えなければならないことが巨万とあるのに、そんなヒマなどあるか、と。


ミハイル・ベイリュールが初日の稼ぎを全部置いていってくれたので、マイトも銃とカートリッジ、そして防具まではある程度揃えられたのだが、鞘にまでは手が届かなかった。
そしてこれまでの稼ぎは全て、授業料やこの『能無し点』、カートリッジや銃のメンテ費用、残り防具などにつぎ込んでいたのである。

無理からぬ部分も確かにある。
ゴテゴテしいキンピカな鞘など、

「すばらしい、まるでゼェタクの精神が形をとって現れたよーだ(棒)」
としか苦学生の目には映らず、……

「あんなの飾りDEATH! エライ人にはソレが解らんのDEATH−YO!!」
としか弓士には考えようがなく、…………

「鞘? どうでもいい。それよりもカートリッジの確保が先決だ」
と勤勉家で節約家だから切り捨てていた。新たに銃二丁を手に入れたときも……

「鞘がなければ、手に持って運べばいいじゃない」
バカなので即断していた。手も二本あるしな、と楽観していたのだ……。


「それにまだ戦闘の途中で両方とも撃ち尽くした場合、どんな風にカートリッジを込め直すんだ? 盾役が居ないときに?」
鼻歌を止めてこちらに意識を向けてきた相手にカイトは本題を切り出した。
それが非常に気になっていた点である。

先週は、一回の戦闘で全カートリッジ撃ち尽くしてしまう程の大群に囲まれることはなかったし、立てつづけにモンスターと出くわすこともなかった。
そしてマイトは、戦闘終了後に、片方を腋に挟むことで片手を空け、もう片方の銃にカートを込め直していたのである。
両方とも撃ち尽くしてもまだ生き残りがいた場合、どう対処する積りなのか。
その辺をカイトはすっかり聞きそびれていた。

どのタイプのカートリッジを使ったにせよ、短期間で連続使用すると、銃身は極端な温度変化を起こしている場合が多い。
メンテナンスフリーを謳い文句にしているペンガーナの製品であっても、それ程の違いはない。
厚手のズボンを穿いて、膝と膝の間に銃を挟んで片手を空けるという、悠長な真似が常にできるとは限らない。
ここでもカイトが求めたのは単純な信頼性だ。

苦学生は相方に向けていた目を自らの両手に移した。
両手に銃を握ったまま、カートリッジを込めることはできない。
そして一時的に両手を空け、またすぐ手に銃を戻すための工夫も、仕掛けも、装備には組み込んでない。

相庭マイトはガタガタ震えだし、ダラダラ脂汗を流しだす。
手は『二本ある』のではない。『二本しかない』のだ。
無知を噛みしめて相庭マイトはすこしだけ大人になった。

(鏡を前にしたガマガエルか、コイツは)
カイトは眉間をもみ解す。
新兵器の効果的運用法を確立するのに試行錯誤が必要になることはコイツも承知している。
しかし、ここまでの愚行を容認する覚悟まで求められるのは、想定の範囲外過ぎだった。
二、三度、軽く頭を揺すって、カイトは気持ちを切り替える。

「ペンガーナのカートリッジ、あるだけ俺に寄こせ」
カイトはそう言って自分の銃を鞘ごと相方に突き付けた。
そしてベンチに置いてあったマイトの銃を手につかむ。
「今日だけ特別、無利子で、貸してやる。次までに鞘を買うか、自作するか、腕か触手でも生やすか。何でも良い、とにかくカートを込め直すやり方を工夫しろ」

コイツらの体格はほぼ同じだから鞘の兼用は可能だ。
しかしその鞘に銃を流用させるというのには無理があった。
メーカー間でもだが、生産時期によっては同じメーカーの同じ器種でさえ、大きさや形状が異なっている時がある。
そしてコイツの方でも自分の(同時にナージャの)銃をキッチリ採寸し、それだけがピッタリ納まる鞘にしたので、他との――なかでもペンガーナの銃との共用はぜったい不可能だった。
なぜならペンガーナのは『ココのかそうでないかは一般人にも一目で分かる』ぐらい、奇抜なフォルムをしているからだ。

……具体的にいうとココはホルホルのアレみたいな形状のモノを生産している(一番大人しいヤツでな)。
で、コイツのはと言うと「見ろ、まるで人がゴミのようだ!」が使ってた様なソレだ(形状、サイズ、性能。どれも異常なまでにフツーなの想像しとけばいい)。

まぁ、ペンガーナも初めは純粋にパフォーマンスの向上を目指し、そしてその秘密を盗もうとする他社へのオトリや妨害を兼ねてデザインしてたのだが、近ごろはコレで客を集めようとしてるトコロがある。

そして、もう一方のスミス&ウェイランドも本当は流用するのは無理なのだが、銃身の断面や形状、太さ、それに長さなどは『比較的まだ』常識の範囲内なので、『先っちょだけ、先っちょだけ』とカイトは思ったのだ(そんなのらめぇぇぇぇぇぇっ!)。

……序でなので書いておくが、ココも大概ペンガーナに負けず劣らずのヘンタイ企業だ。
銃器メーカーとしてはカンペキに間違った方向に独自性を貫いてる。
ソレはステキ仕様のグリップに集約されてると言って間違いなく、何も知らないトウシロや一見さんでもイッパツで

「判るぞ! 私にもスミス&ウェイランドが判る!」

などというタワゴトを抜かさせてしまう程のイキッぷりなのだが、その変の話はまた別のとき、別の機会にさせてもらおう。


「それを使わせてやる以上、今日、俺に手助けを期待するな。それで助けの手は売り切れだ」
カイトはシールドの裏に銃を括り付けると、その具合と全体とのバランスを確認し、例の如く、鞘から飛燕を十センチばかり抜いて口火を切った。
そして、初めて目にする皮の鞘に驚いている相方をそのままにして、更衣室を後にした。


「お〜そ〜い〜」
ダンジョンに下りる階段までやって来たカイトに明るい笑いを含んだ声が掛かった。
そこでカイトを待ち構えていたのはナージャだった。
少女の表情に、この三日間の彼女の不機嫌さを偲ばせるモノはなに一つ無かった。

「へ!? アントノーヴァさん?! 何で?!」
カイトはマメ弩弓喰らったハトみたいな顔をしている。
「相羽君から誘っておきながら、何で、とはご挨拶ね」
と唇を尖らせるナージャにカイトはおたつく。
「冗談よ、冗談。パートナーの子が別の子と組むって言いだしたせいで、私一人になったの。だから、って訳じゃないんだけど……」
慌てふためくカイトの姿に表情を綻ばせ、ナージャは事情を説明した。そして本題に入ろうとした瞬間……

「なあ、コレ、すっげぇ堅ぇけど、ちゃんとハズれんのか?」
ベルトの金具に悪戦苦闘しながらマイトが相方のところに追いついてきた。

((おのれー))
雰囲気をブチ壊しにされた二人は同時に胸の内で毒づく。
(……おっと)
相方から返事がないことに顔を上げたマイトは二人、いや、ナージャ・アントノーヴァの邪魔をしたことに気付いた。
そして、うまくこの場を切り抜けなければマズい、ヤバイことも。

カイトは手早くベルトの金具を調節し、相方に合わせてやる。
「さてと。自己紹介は必要ないよな? ね?」
二人の奨学金特待生は黙って頷く。
「それで、如何すんだ? 今日これから?」
マイトが、ニヤ付きながら、カイトに尋ねる。
「アントノーヴァさんが来た以上、しょうがねぇ、変更だ」
カイトは肩を竦めてそう言った後、こう続けた。

「戦利品も損害も三人で山分け。アントノーヴァさんも、それで良いよね?」

この言葉に、ナージャとマイトはギョッと驚愕の表情を浮かべた。


カイトからの誘いにお茶を濁すような返事をした直後は、ナージャも大変立腹していた。
だが……時が経つにつれ、彼女の憤怒や激情も和らいでいった。
自分の一寸した仕草一つにも右往左往するカイトの姿は、傷つけられたプライドを癒し、恍惚にも近い、優越感に浸らせてくれたからだ。
しかし、彼女はその心境の変化をカイトに悟らせたりしなかったし、怒った理由を口で説明するということもしなかった。

器量良しの器量人との呼び声も高い彼女にも、控えめだが、歳相応の見栄や女の子としてのプライドはある。
自分が想いを寄せてる男の子が、自分一人を見てくれているという事実は、これまでそういった経験がなかったこともあって、心地良い気分にもさせてくれた。
その少年が全園の女生徒だけでなく、学園屈指の美人教諭補助全員(どの相手も彼女ですら引け目を感じるぐらいの上玉な)からも、秋波を送られてくる程であれば、感慨もひとしおだ。
「人間の最高のよろこびは、人間を支配することだ」という言葉があるが、その言葉の意味はこだまの様に、今の少女の胸に響いた。

とは言え、こんな遊びをながく続けるには、ナージャ・アントノーヴァは幼過ぎた。
彼女は悪女ではなく、少女趣味な女の子である。
経済的に貧しい家庭に育ってきたからこそ、搾取階級や支配者の考え方には嫌悪感がある。
また、行き過ぎの敬意や隔意、邪念を以って他人から接してこられることに、彼女は嫌気が差していた。
それなのに好きな男から、おっかなびっくり、かしづかれて、嬉しいと思っていられる訳が無い。

この頃にはナージャも相手が恋愛事には相当なお子ちゃまだということに思い至っていた。
(相羽君をからかうのもいい加減にして、そろそろ、許してあげないと)
そんな風にも考えていた。
そういう面では大人である私の方が、より積極的に、彼のことをリードしていかなければならない。今度のダンジョン実習は丁度いい機会だ。
非常に不本意ではあるが、仕方が無い、と。


ここで冒険課では男女交際を禁じる風潮がない理由を説明したい。
と言っても、そんな深遠な理由や大層な秘密ではない。
極めて単純な事実に起因するモノである。

ダンジョン施設はそこそこの安全対策が施されているが、実習する生徒が命の危険に晒されることに変りはない。
いや、その辺りの安全対策を万全にできなくもないが、それをしてしまうと『本番』が危ぶまれる。
実習の目的は、生徒達に危険を察知する嗅覚を養わせ、苦難に対処する方法を学ばせることだ。
リアルなスリルを味わえる娯楽施設を提供することではない。
したがって毎年全国の冒険課併設園で、何名かの死亡者、行方不明者、そして多数の重軽傷者が出るのは当たり前のことなのである。

さて――
死ぬ可能性も在ると教えられているダンジョン施設。
そこに放り込まれる『身体的には健康』な若い男女。
冒険者を志しているのだから、激しい気性の持ち主か、献身的な心性の持ち主がその殆どである。
そんな彼らがお互い助け合い、励ましあい、力を合わせ、たくさんの危機や危険を乗りこえて、死の罠をくぐり抜けて行く……。
そんな状況が長く続けば、彼等の関係は如何なっていくか。

エッチなことで頭が一杯になってるのは、今の年頃の男の子に限った話ではない、年頃の女の子もだ。
いや、男よりも精神年齢の高い女性が、性に抱いている興味関心は男以上のモノがあると言っても過言では無い(多分だけどな)。

お互いを運命の相手と認識してしまう様な、クラッと来ちゃう様な状況が整ってしまい、雰囲気に流されて致してしまうか。
或いは、血の滾りを抑えるため、肉体の火照りを冷ますため発作的、衝動的に仕ってしまうか。
大方はそんな所だ(多分だよ、多分)。

この辺りは生理現象の一種だから、取り締まりようが無い。
取り締まれば精神へ悪影響を及ぼすことも懸念されるので、冒険課では黙認している。
むしろ、そういう方向に発散できてる内は大丈夫だ、殺戮嗜好症に罹られるよりはよっぽどマシだ、と楽観視する向きもある。

中には自分から相手に交際を申し込む勇気のないチキ、いや、ウブでオクテな少年少女達も当然ながら存在する。
また逆に「死線を潜り抜けてく仲間に、男や女を感じてたら、いざってとき判断が鈍る」と考えるハードボイルドな生徒も居たりする(オタクな、オタク)。
「だから冒険で組む相手とは寝ない。プライベートと仕事は分けるモンだ」と、のたまうお子様たちがである(バカな、バカ)。
学園が部活動等で、男女交流できる機会を設けているのは、こういう子ども達のためでもある(もちろん、ちゃんとした技術指導もしっかり行ってる)。

舞弦学園の冒険課が生徒達に求めている男女交際の鉄則、不文律は概ね以下の三つだ。

中で(ダンジョンのな)犯っても、殺られるな(モンスターにな)。
中で出さずに、避妊しろ(挿入者側だけでなく、受容者側もな)。
デキても、絶対、堕胎は許さん(医者任せにせず、産んでから、自分の手でバラせ!)。

以上の三つさえ守られていれば、原則的に、冒険課の先生達はガミガミ言わない(中には例外も居るけどな)。
ダンジョン実習も、クラブ活動も、そういう色事めいた事態へと発展していく可能性があるのは、生徒の間でも公然の秘密になっている。
どちらの場合も、誘う側も、誘われる側も、しっかりした覚悟とハッキリとした態度、何よりも万端の準備が求められるのだ。
その辺の始末はできて当たり前。できない奴はヤルんじゃねぇよ、というのが冒険課全教職員の総意(と言うか、ピンク色の髪した人の独断な)だ。

……言うまでもないが、これらはお互いの合意が在った上でのことだ。
冒険者や冒険課関係者が痴漢や強姦を働くことは、一般人の場合とは異なり、重犯罪に問われる。
他にも悪辣な行為が行われたと判断された、或いは通報があったりした場合、この学園に棲息している優秀な調査員(勿論、髪の色はピンクな)が隈なく実態を暴き立てる。
その結果、実際に悪辣非道が行われていたことが判明すると、とってもコワ〜イことになるらしい。

なぜなら、舞弦学園には特殊な裁判権と処刑執行権が与えられていると言われてるからだ。
学園の敷地内で行われたことに関する限り、冒険課の主任は、他に諮ることなく、独断でその件を裁き、賞罰を与えることができる。
これは学園の創立当初まで遡り、建国王が直々に初代学長に下賜されたという大変な歴史のあるモノだ。
この国の権力者たちでさえ、その裁定と刑執行に介入することは不可能であると王室典範にも記載されている。
時代が下るにつれ、その裁判権と処刑執行権は冒険課主任が有する様になっていったのだ、と。

……学内ではその様な噂が実しやかに囁かれているが、確かめた者はいない。
多分、これも学園の七不思議と呼ばれる与太の類だろう。


とにかく、ここの冒険課に於ける男女交際の考え方や実態は、概ね、そんな感じであった。
さすがにカイトもその辺の事情ぐらい知っている。
そしてナージャに惹かれてもいる。
しかし――

今は色恋よりも、自らの精神と肉体を鍛え、技や術を磨くのが先だ。
弐堂流を修め、富嶽を抜ける様になるのが最優先課題だ、との想いが有った。

また、仲間と行うダンジョン実習には、単独行では得られない緊張感や充実感、達成感があった。
お互いに支え合えると確信しあえる仲間が居ると、心にも張りが生れる。
信頼でき、尊敬しあえる仲間達なら、その感慨もひとしおだ。

何より、新しいオモチャが手に入ったばかりなのだ。
お子ちゃまなカイトには、ナージャの優美な肢体や優雅な姿態よりも、今は銃の方に興味があった。
その辺りの事情、舞弦学園に於ける男女交際の実情、不文律、何より、女のプライドや純情、勇気といったモノを、完っ全に失念してしまう程に……。


相庭マイトはその辺の事情は、実にもう良く、知っていた。
というか、前々回の実習でそういう現場に出くわしてしまい、大変気まずい空気を体験したばかりだったのだ。
未だ記憶に新しい、ナマナマしい経験があるから、彼女がそういう積りだと看じ取れたのである。
先ほど、ナージャがこいつに向けてきたのは、その時ぶつけられた視線とまったく同じモノだったのだ。

故に、彼は今回自分は抜けるべきだと考えたのだ。コイツらを二人きりにするべきだと。
ナージャへの気遣いや、自己保身を図る為だけではない(けっこー大きいけど)。
カイトがミュウ以外の誰かとくっ付くことは、親友のミハイル・ベイリュールにとっても、歓迎できる状況だと考えたのだ。
結果はどうあれ、親友の不利には働くまいと思ったのだ。

相方のノーミソからその辺の事情が丸っきり欠落してるのは、マイトにとっても思案の外にあったが……。


憤りの余り、ナージャは聞き違いをしていた。
カイトは「俺達、組まないか」と誘ったのではない。
「俺達『と』組まないか」と誘っていたのだ。
俺達、詰り、カイトとマイトの二人だ。
ことここに至り、彼女はその事実を思い出していた。

それは彼女のミスだ。
そのことでカイトを責めたりはしない。

しかしコイツの鈍感さは失礼とかいう次元をブッチギリで超越している。

いい加減、そういう雰囲気を感じ取っても良いではないか。
相庭マイトでさえその辺りを察して、サインを送ってくれてたのだ。
にも拘らず、それには気付かず、銃が四丁揃ったと嬉しがり、挙句の果てに鞘の不具合や使い勝手を確認できると喜ぶなど、人間のレベルに問題があるとしか言い様が無い。

(銃なんて道具にも負ける私って、私の肢体って一体なによ!?)

ナージャの怒りが五〇、上がった。
ナージャの切なさが五〇、下がった。
ナージャの恥じらいが五〇、下がった。
ナージャのカイトへの愛情が五〇、下がった。
ナージャのカイトへの友情が五〇、下がった(前回のとで、それぞれ、合計一〇〇を超えたな)。
ナージャは小声になった(って感じな)。

遣る瀬ない想いが、少女の胸中に去来して止まなかった。


今日は王国暦五六八年五月八日。
大型連休明け、最初のダンジョン実習が行われた日。
互いに惹かれ合うモノを感じていた少女と結ばれる三度目の、そして最後の縁が、気付かない内に、少年の指の隙間から零れ落ちてしまった日。
時計の針が二時を回ったころだった。






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