ぱすてるチャイム
Another Season One More Time
菊と刀


24
敗残兵




作:ティースプン





「気が付いたんなら、とっとと起きろ。まだタヌキ寝入りを決めこむ積りなら、クソもう一発、今度ぁケツにカマすぞ」
不機嫌そうな声がカイトの足元側から飛んできた。

瞑っていた目を開け、カイトは状況を確認する。
背中に感じる弱いバネの張力、首元まで掛けられた糊の利いたシーツの感触、周囲に漂う消毒液の香り。
以上の点から、自分が保健室のベッドに寝かし付けられていると判った。
身体に掛かる重量の軽さから、武装解除されていることも確認できた。
そこまで来て、ようやく、上体を起こす。

「武器や道具の類は全部外させた。わしには今この場でお前と遣り合う気は無い。
お前が遣りたいってんなら、ここにある玩具も返してやるし、体調を整えた上でと言うんなら、時間から場所から何もかも全部お前に決めさせてやるが、まあ、今は、その、なんだ。訓練教官とクソども、じゃない、先生と生徒の午後のか、か、語らい、か? まあ、その辺から始めようと思った訳だ」
カイトの方を向きながら読んでいたタブロイドをたたみ、射撃術科主任ライオット・ワーブが言った。

苦虫を何十匹も噛み潰した様にサザン人の表情は渋い。
対するカイトもそれほど景気の良い表情をしていたわけではない。
なぜ、どうやって自分がKOされたのか、丸っきり判らなかった。

「で?」
カイトの声には不機嫌さが溢れ出している。
「で?」
大抵この『で』は先を促す合いの手だが、軍隊生活の長いこの相手には解らなかったようだ。
カイトは無愛想にこう続ける。
「俺に一発カマましてここに連れ込んだのはソッチ。語らうと言い出したのもソッチ。なら、話の口火を切るのもソッチからってのがスジ。…冒険者のあいだじゃな」

「……お前、家族は大事か? 他のどんな物よりも」
暫くしてから、相手はそんなことを聞いてきた。

「大事とか大事じゃないとかじゃなく……」
いて当然の存在だと言いかけたところでカイトは口を閉ざす。
自分には当然でも、世の中には天涯孤独の身の上の者だっているし、病気や事故などで家族を失う者もいる。
そういったことがカイトの脳裏を過ぎったのだ。

「ああ、大事だ。少なくとも、へんぺい足のがにまた野郎にファックさせたくないと思う程度には。理由があろうがなかろうが、問答無用で攻撃しようとしてくるクソ野郎が居りゃあ、そのクソ野郎にありとあらゆる手段で反撃し、殲滅を試みようとするぐらいには大事な存在だ。で!?」
カイトは傲然と言い放つ。

「で?」
弾まない会話に嘆息し、カイトはこう訊き返した。
「……で、あんたは大事じゃないのか、家族が? 妹はいなくても、弟や姉や兄ぐらいは居るだろう。少なくとも、あんたをこの世にひり出した母親やら、その母親を孕ませた男親ぐらいはよ?」
「居らんなぁ」
そう言って男は諦念に満ちた溜息を漏らした。
「昔は居たが、みぃ〜んな、失せくさりやがった。どうしようもないクソで、グズで、人殺ししか取り得の無い、ゴクツブシなワーブ一族の家系は、今はもう、わし一人だ」
悪いことを聞いたかとカイトは少し顔を顰める。
それをどう捉えたか、相手は肩を竦めて呟く。
「ウソじゃ無いぞ。なんなら戸籍や住民票を調べても構わん」
「そうするさ」

一切の逡巡も挟まず返されてきた答えに男は哄笑を上げた。

「良いぞ! その疑り深さ! クソ頼もしい限りなクソ野郎振りだぞ、アイバァ。
そうだ。未知のクソ野郎がクソほざくクソ戯言は、クソ絶対に信じるな。クソ軍人はそうでなくてはならん!」
愉快そうな笑みを満面に浮かべてライオット・ワーブは言った。
「俺は軍人じゃない。冒険者だ!」
またしても間髪容れずそう応えたとき、カイトの胸がチクリと痛む。
冒険者と名乗るのは、弐堂流の稽古を付けてくれた甲斐那たちに申し訳無い気がしたのだ。

「何でも同じだ。自分で確かめたクソ以外はクソ絶対に信じるな。それがこのクソ世界で長生きするクソ秘訣だ。
長生きしたければ、クソ長く、クソ苦労を背負い込みたければ、人を信じるな。
クソ短く、クソ幸福なクソ人生を遂げたければ、他者の垂れたクソをクソ何でもクソ素直に信じて、クソとっとと、墓穴に入ることだ」
満足そうな笑みを浮かべて、サザン人はしきりに頷いている。
そんな相手にカイトは白けた表情を浮かべ、昔聞いた言葉を口にする。

「『アゲタ人の占い師が「アゲタ人は皆嘘吐きだ」と言った』」

「あ?」
意外な言葉に面喰ったか、サザン人はアホ面を浮かべた。
「何も信じるなと言っときながら、自分の言うことは信じろと言ってる。
全く矛盾してる。
楽しんで放火して回ってた後になってから、危ないってことに気付いて、放火した張本人が火消しに走り回っているみたいだ」
「……見かけと行動に似合わず、お前、随分と、ムツカシイ理屈を知ってるな」
きな臭い表情を浮かべてライオット・ワーブは眼前の小僧っ子をまじまじ見遣った。


「……で?」
黙り込んでしまった相手にカイトが催促の手を入れた。
「で?」
「……で、何か俺に聞いて欲しい、聞かせたいことが有るんだろう、万州戦争に関わることで?」
相手が話し易いように水を向けるのは癪に障るが、何時までも拘束されているのも遠慮したかった。
「取り敢えず、言いたいこと、聞かせたいこと、何でも良い。思い付くまま、口にしてくれりゃ、こっちも楽だ。聞くに堪えられる話なら聞くし、判らなくなったら、その辺の事情を尋ねる。クソ何時までも、クソドタマのクソ悪い、クソ軍人のクソ話のクソ相手をさせられるのは、クソこっちも、クソ溜まったモンじゃねぇ」


「わしの家族に付いて少し話をする。
わしはお前のことを大体知ってる。家族構成、これまでの成績、趣味、好きな食い物。ま、その辺のことはざっとな。
だがお前はわしのことをそれ程は知らんだろう。それは不公平だ。
原則的に不公平は是正されるべきだ、何事においてもな。
スジは通っているだろう? では、話す」
しばらく首を捻った後、この仁はそう宣言して話し始めた。

「わしは四人兄弟でな、上に兄が二人、下には弟が居た。
全員軍人、兵卒と下士官だった。
親父と一番上の兄が軍曹、二番目の兄が伍長、弟は二等兵だった。
みんな、二階級特進した。場所はバラバラだったが、万州戦争当時、同じ日にな。少なくとも、四人の死亡報告書が軍の人事担当官の眼に留まり、それが現地の指揮官の下に届けられたのは同じ日だった」
ライオット・ワーブは大変陰気臭い、苦々しげな表情を浮かべていた。

「親父と兄弟が全員死んだのは、丁度、王国内で、万州戦争が新聞とかで叩かれていた時期だ。
出兵の是非やら、内政干渉か否か、地位協定だの集団的自衛権の弾力的法解釈だの、今でもわしには判らんことでみんなが騒いどった。
中でも一番騒がしかったのは、王国に於けるサザン人の公民権の問題だ」

「今でこそ、この国では東西南の三人種は平等に扱われるまでになってはいるが、当時のわし達の扱いは酷いモンだった。
公衆浴場、交通機関で乗車できる車両も決められていた。学園もサザン人だけの学園にしか通えなかった。
正学園に通えるヤツなんざ皆無だ。
ロクな仕事に就けないとなれば、イースタンやウェスタンが嫌がるような仕事をするしか、食っていく道は無かった。現場作業員や、工場労働者、汚物処理業、そういった賎業といわれる職種に従事するか、犯罪者になるか。或いは」
諦念に満ちた嘆息が吐かれた。
「軍人に、兵隊になるかだ」

「出兵した王国軍の死亡者の内訳は、サザン人が一位で、イースタン、ウェスタンと続いた。まあ、鈴卒の方が鉦官、鐘官よりも多いし、鈴は半分以上、サザン人で構成されていたようなモンだから当たり前だな。
だがその統計を見た、人権擁護団体とか言うモノの「パシリ」が騒ぎだしたのが切っ掛けらしいが、その辺は怪しいとわしは睨んでいる。職業扇動家か、ベルビアに入り込んでいたビアンキ工作員の後方擾乱か何かじゃないかとな」
そう言って、この軍人は錆を含んだ笑みを浮かべる。

――多分、『走り』と間違えているんだろうな、とカイトは思った。

「兎に角、サザン人の血ばかりが万州戦争で流されるのはおかしい、と誰かがワメき始めた。ベルビアはノーザン人の国だと常日頃叫んでいるのに、戦地で死んだノーザン人がここまで少なくて、ベルビア軍と言えるのかとな。
この声は次第に大きくなり、政府も完全には無視できなくなっていた」

「わしはそのとき前線に居たが、いきなり後方に、母親の元に戻される羽目になった。
一度にだ。良いか? 一度にだぞ。親父も、二人の兄貴も、弟も一度に死んで、ワーブ家の男はわし一人になった。だから、せめて、一人だけでも生かしてやらなければ、母親の元に戻してやらなければという温情が働いたらしい。「プロパビリティー(見込み、公算、蓋然性)」ってヤツだ、政府が世論や民衆の声を憚ったんだな。サザン人だけを犠牲にしてるんじゃない、少しは考えてやってるぞって所を見せたかったんだろう。実際はどうあれな」
そう言ってサザン人は鼻を鳴らす。

――どうやら、『プロパガンダ(宣伝活動、布教)』と間違えてるらしいが、フツー逆だろうとカイトは密かに突っ込んだ。

「四通の死亡通知は重かったが、それでも息子が一人でも帰ってきたのはお袋も嬉しかったんだろう。帰ってきたわしを抱き締めて、オヒョーオヒョー、と泣いてたのを憶えている。近所の連中も、まあ、最初の内は喜んでくれてたんだろうがな、一月もすると、風向きが変ったと言うか、風当たりがきつくなってきた」

「出た死人の数ならわしの家よりも多いのに、ウチの男衆は一人も家族の所には戻して貰えず、全員、向うでくたばった。通販のカタログで物を買うんじゃあるまいし、人死ににも分割か一括かで違いが出るのか。同じ日に死んだから何だと言うんだ、とな。
毎日、そんなことが書かれてるらしい手紙や、うれしくもなんともないモンを詰められた小包が大量に送り付けられるようになった。毎日欠かさずにだ。いい加減それでお袋がノイローゼーになった」
表情を暗め、男は視線を落とす。

「まあ、わしも良い思いはしてなかった。
戦地のいろんな情報が王国に入るようになって、万州帰りは「馬鹿馬鹿しくない」肩書きで呼ばれることが多くなっていた。
犬や猫の死骸やら、首や手足を千切った人形といった、嬉しくないプレゼントを手渡されたり、犬のクソや小便を浴びせられたりしたこともある」

――恐らく、『はかばかしくない』と言いたいんだろうな、と聞いていてカイトは思った。

「国を守るためだと言われて戦場に行き、
王国の敵だから殺せと言われたから、向うで人を、『ベルビアの敵』を殺してきた。
向うじゃそれで誉められもしたし、ピカピカ光る金属板を貰いもした。
しかし、こっちに戻ったら人殺し、子ども殺しと蔑まれる。
未だに以って、なにがなんだか判らん、世論や民衆の声とかいうモンは。
しょっちゅう、白と黒が逆転する。
軍隊のなかでだって白黒逆転理由は、もすこし、判り易いモンだが、娑婆のモラルとか世論の声ってモンはさっぱり判らん。わしに判っているのは一つだけだ」
そこでサザン人は言葉を切り、無感動にこう言った。


「何時でも、誰でも、旗を振れれば大物で、わしらはそれに振り回されるだけ、ってことだ」


「もともとわしは死ぬ運命だった。捨てるに「藪医者な」命じゃない。生きてて住み良い国でも無かったし、何か良いことが待ち構えている雰囲気も無かった。
何よりわしが一番最初にあった筋書き通りにくたばってくりゃあ、お袋への風当たりも少しはマシになるだろう。そう思ってわしは戦地に舞い戻った」

――きっと、『やぶさかな(惜しい)』と言いたいんだろうな、と聞いていてカイトは思った。

「戦地に戻って三ヶ月が過ぎた頃だ。お袋が死んだとの報せがわしんとこに届けられた。
わしが戦地に戻ってから、頭がおかしくなりだしたと後で聞いた。
止める手を振り払って、走ってくるバスの前に飛びだしたというから、多分、自殺だ」
そう語る男の顔には沈鬱な物があった。

「わしが戦地に戻った意味はなくなったが、しかし絶対に生きてクニに戻らなきゃならん理由も消えた訳だ。
やる事もないわしは、戦時下にある軍人の日常業務、大量殺人に励む毎日を送っていた」
そう口にする男の顔に感情と呼べるものは見当たらなかった。

「わしは今でも莫迦だが、当時は大莫迦だった。
戦争があって、男衆全員が出兵したから、わしの家族は皆死ぬ羽目になった。それは間違いない。
じゃあ、何故、戦争が起きた? わしには判らなかった。
わしに判ったのは、上から言われたことだけだ」

ビアンキが先にこの戦争の切っ掛けを作った。
ベルビアは仕掛けられた側で、悪いのは向こう側だ。

「わしはそれを信じた。信じて、敵を殺しまくった」
軍人は不快気に眉を顰めていた。
自己嫌悪の類かとカイトには思われた。

「実際の所、お袋を死なせたのは、殺したのはわしだ。側にいてお袋を支えていれば、もしかしたら、お袋は死なずに済んだかも知れん。少なくとも、お袋の死に目に会えてた可能性は高かった。それだけは確かだ」
やや俯き加減でそう語る男には遣る瀬無さだけが漂っている。

「だがそれを認める訳にはいかなかった。
自分がお袋を殺した、見殺しにしたのだとは認めたくなかった。
自分に着けるべき落とし前を、他所に押しつけた訳だ。そうすることでしか、わしの中の折り合いは着かなかった。
精神医学で言う『とうひ』って行為だ」

――これは間違いなく『逃避』と言ってるのだろうが、そのイントネーションだと『頭皮』になるんじゃないかな、とカイトは思う。

「敵を敵だと信じて疑わず、ただ狩ってられる内は良かった。
敵即殺。相手は悪者だ。先にこちらから発見し、密かに背後に忍び寄り、速やかにノドブエ掻っ切る。でなきゃ殺られるのは自分だ。
それでずっと戦場を生き抜いてきた。敵と言葉を交わすなど、
そもそも、相手と言葉が通じるなど、思いもしなかった」
このときこの軍人の表情には悔恨めいたモノが浮かんでいた。

「わしは敵兵の間で少しは名が知られるようになっていた。
いつの間にか古参兵と呼ばれるようになり、人殺しの手管にも長け、幾つか武勇伝みたいなモノも囁かれるようにもなっていた。そんな頃だ。
敵の捕虜になったのはな」
たいへん衝撃的な事実を男は非常にあっさり口にした。

「未だに、あの前後のことは良く思い出せん。
わしはどんな巧妙な偽装も即座に見破り、ワナの臭いもすぐ嗅ぎ分け、どれ程息を殺し、気配を断って近づいてこようが、半径一〇メートル圏内に敵や危険を寄せ付けたことがなかった。
そのわしが、気が付いたら、ふん縛られて、敵の居留地に運び込まれていた」
我が事ながら確証を持てずに話してるのを、この軍人は非常にもどかしく思っているようだった。

「捕虜は同国の同じ階級の軍人と同じに扱わねばならんという規則がある。
しかしそんな規則なんてモンは破られるためにある。交戦規定や『ジュヌヴィエーヴ条約』もそうだ。バカ正直に規則を守ってばかりじゃケンカにゃ、戦争にゃあ勝てん。言い逃れる道なんざゴマンとある。拷問に掛けるのも、不法労働させるのも、殺すのも、軍監にさえバレなきゃ何とでもなる。
こちとら玄人だ。
人知れず死体を処理する手管ぐらい幾らでも知ってる。実際、こちらも同じことをしてきた。直接わしが拷問したりしたことはないが、居留地等でそんなことが行われても、見て見ぬフリをしてきた」

「死を悲しんでくれる家族が一人もいなくなってたわしは、捕まっても別段なんとも思わなかった。
死にたいとは思わなかったが、だからって特に生きたいとも考えなかった。
考えていたのは、どれぐらい道連れにできるか。それだけだ」
眼前のサザン人は、一切情動を交えず、淡々と事実のみを告げていた。
それがカイトには不気味だった。

「だがわしは殺されることも、拷問に掛けられることも無かった。その前にわしは解放された。或いは、見捨てられた」
男はそう言って視線を虚空に漂わせた。
「その時、わしを捕まえたであろう敵兵が、最後、わしにこう言い遺して逝きやがった」
軽く溜息を吐いて、淡々と語り始めた。



ここに居る俺たちは、犬死にする運命だけを背負わされた名も無き一兵卒だ。
何処かの誰かの面子や思惑のために、無駄死にさせられることになった哀れな虫ケラに過ぎない。

俺は絶対に救国の為に集った英雄などではない。
お前も救世の為に闘った勇者等とは断じて違う。

この世にその事実を広めることができた時、
その時こそ、俺もお前も偉大な英雄になることができる。
戦争の悲惨さと馬鹿馬鹿しさを、あらゆる国の連中の骨の髄にまで思い知らせることができた時、
そうなって初めて、俺達は英霊として祀られることを受け入れることができる。

それまでは、誰にも俺達を英雄などとは呼ばせない。
今までここで、俺達が殺してきた貴様ら敵国の豚どもも、
今からここで、俺達を殺していく貴様ら敵国のクソどもも、
誰にも、誰のことも、英霊なんかとしては祀らせない。

そのことはお前があいつらに告げろ。
ここに英雄なんかは一人も居なかった。
英雄とは手を血で赤く染めた人でなしのことだ。
その事実をあいつらに叩きつけるのは、生き残ったお前の仕事だ。

俺は、その為にお前らに殺されてやる、哀れな豚。
お前は、その為に俺に命をめぐまれる、惨めな負け犬だ。

お前がこの馬鹿げた遊びを終わらせろ。
今までにここで大勢の命を奪い続けた俺達の同志。
そしてこれから先、あらゆる戦争で死んでいくお前達の仲間。
そいつらを一人残らず平等に扱え。
分け隔てなく、俺達が哀れでちっぽけな虫ケラだという事実をこの世の中に広めろ。
そうすることで戦争という虚しく、忌わしいだけの遊びを終わらせろ。
お前にできないのなら、できる奴にその役目を譲り渡せ。
それが果たされるまで、お前が許可無く死ぬことは許されない。

今までのお前は俺の捕虜。
今からのお前は惨めな敗残兵だ。
無様に生き続けろ、敗北を噛み締めながらな……



「そいつはそう言ってニヤリと微笑うと、わしの左の耳、上側を切り取った」
ライオット・ワーブは自分の左耳を指差す。
「ある民族の風習で、戦いに敗れ、奴隷に繋がれていることの印だそうだ、伍長の話ではな。
勝者の命令、主人の言うことを、右から左に聞き流すことができないこと、絶対服従の義務を負わされた事実を示しているらしい。
わしが敗残兵と名乗るのは、そういう事情もある」
何ともいえない沈み込んだ表情を浮かべ、『敗残兵』はどこか遠くを見つめていた。
そして訝しそうな声で先を続ける。

「何故、あの敵がわしを殺さなかったのかは判らん。
居留地にベルビア側の大部隊が接近中だ、という叫び声は耳にした。
そして、確かに、そいつが姿を消してすぐに、王国軍の兵士がわしを穴倉から助け出してくれた。わしを救出するためにかなりの大部隊が編成され、居留地に派遣されて来たんだ。
……まあ、わし一人の為って訳じゃなく、大部隊を大至急移動させる必要があって、その際に採れる経路の一つ、その近くに居留地があったってのが理由の大部分だったがな。
しかし、何故、わしを殺さなかったのか。簡単に殺せたのに、何故、耳を欠けさせるだけで、命を奪わなかったのか。
降伏も逃亡もせず、何故、重武装した完全編成の歩兵大隊に単騎で真正面から突っ込み、自ら死を選んだのか。
わしには未だに判らん、あの敵が、何を考えていたのか。
そして、あのときまでにあの敵が、戦場で何を見、何をしてきたのか。
だが逆に判ったこともある」
そう言ってライオット・ワーブは深いため息を吐いた。


「わし達の戦ってきた、殺してきた王国の敵とやらは、悪魔の倅でもなければ、化け物でもない、わし達と同じ人間だということだ」


「生きていてたまに考える、あの戦争で死んだ連中は、一体何のために死んだのかをな。
時代の移り変わりとかいうものと共に、国交の正常化とやらが果たされ、万州戦争で殺しあった国の奴らとも顔を合わせる様になった。
ラスタルや、ビアンキや、ユクサンや、ナナギや、アガメンの奴らも、そして万州の奴らも、わしらと同じ、男と女から生まれた、極普通の人間だ。
ベルビアに暮らしてるわし達の誰とも、どことも、違ってる所はない。それは理解できる」
古参兵は淡々と続けた。

「だとしたらあの時、わし達の前に現れたのは、わし達が戦った連中は、何だったんだ? 
いま言った国で暮らしている奴らの爺ぃや婆ぁ、父親や母親、息子や娘、兄や姉や弟や妹や、叔父や叔母や、甥や姪に当たる連中は? わし達に殺され、わし達の仲間を殺した連中は? 
わし達の世代にだけ、奴らの国に突然変異が大量発生したのか? 
それとも異常発生した時代の異物は、わし達のほうだったのか? 
わし達の仲間は何の為に、奴らに殺された? 
お袋はなぜ死んだ? 
あいつらは何の為にわし達に殺されなければならなかった?」
サザン人の浅黒い顔には断じて納得がいかないという憤懣が表われている。

「万州戦争の発端は、ベルビアとは然程の国交も交易もない国で起こった民族紛争、内乱だ。どちらが勝っても、この国が受ける被害は結局のところバナナか何かの輸入量が少し増えるか減るかする程度だ。国がひっくり返るような事態じゃない、「海岸の親父」だ。その「海岸の親父」に、ビアンキが因縁を吹っかけやがった。ビアンキがヒューマン側に肩入れして振りまわした旗の色が気に入らないからと、この国が文句を付けた」

――多分、『対岸の火事』って言いたいんだろうな、と聞いていてカイトは思った。
そう思いながらも、カイトはこの短躯の古参兵が経験してきた大理不尽に思いを馳せた。
自分には到底耐え切れない不条理であり、平和な時代に生れたことを本当に、心の底から、ありがたいと思った。

「歴史やら政治の世界での戦争は、異常でもなんでもない、極ありふれた物で、外交の一種だそうだ」
氏の言葉にカイトは現実に引き戻される。
「その理屈はわしにも解る。仲の良い者同士でも、日々の生活や長い付き合いの中では、ケンカの一つぐらいするだろう。ステゴロのタイマンなら、ほんのチョッと、げんこつでお互いの顔に色を付け合ったら気が済むか、格付けが終わる。後は、夕日や朝日でも見ながら、互いの肩を叩きあって、馬鹿笑いして、いっしょに朝飯を食いにいくか、酒や女でも買いにいこうかって話になる。長引くこともあるかも知れんが、それほど問題にはならん。一緒に馬鹿をやる仲間か、仕事先の担当係官の一人二人と、疎遠になる程度のことだ」

この人物らしい考えかただなぁ、とカイトは思った、というよりむしろ感心した。
そして、こういう卑近な例を持ち出して相手の理解を促す辺り、結構、刹那さんと話が合うんじゃないか。
甲斐那さんとも非常に上手くやっていけるのではないか。
何となくだが、そんな気がした。

「だが国っていうデカいモノ同士が、大勢の連中が集まってでき上がってるクソどデカい組織同士がケンカするとなると、タダじゃ済まなくなる。
ガタイがでかくなりゃ、痛みを感じるのがニブくなるのはわしも知ってる。
タイマンなら顔に青アザ付けるか、鼻血を出させるぐらいの色付けで済むが、
国家規模のケンカになれば国民の半数近くに黒い服を着させなければならなくなる」

「軍隊規模の組織にもなると、完全な分業化がなされる。
考えるのは後ろに居るお偉いさん、鐘帥、政治家、閣僚、官僚、そう言った連中。
血ヘドの海でのた打ち回りながら、痛い痛いと泣き叫ぶのは、現場にいるわしら鈴卒の役だ。
現場の情報は後ろに伝わるが、痛みや苦しみは伝わらん。伝わっちゃ拙いと言うんで、シャットアウトされる。情勢判断や決断に迷いが生じることは許されんからだ。
その辺もケンカと同じだ。
ひるんだり、躊躇ってたんじゃ、ケンカにゃあ勝てない。
切り刻まれようが、引き裂かれようが、串刺しにされようが、痛みがどれだけキツくても、冷静さを失えば負けだ。だから、まあ、それも判る……理屈ではな」
そう言って男は、チラッと、寂しそうに微笑った。
その笑顔には悲哀が含まれていた。
本当は解りたくない、知らずに済ませられれば良かった事実を知ってしまったという悲哀が。
感情的に怒鳴り散らしたいのに、事実や細かい事情を知ってしまったがため冷静に、理性的になってしまい、感情を抑えることを覚えてしまったという様な。そんな悲哀だ。

「でかい視野に立って見れば、国家の運営も個人の日常生活や人付き合いも、同じ理屈で成り立ってるのは判る。
大規模になり、関ってくる人数もデカくなるから、立ててやらなきゃならんメンツも膨大な数にふくれ上がり、利害関係もフクザツに絡まり合うってだけで、同じ理屈で成り立ってるってのは判る。
格付けが終わり、メンツが立てば後は水に流そうじゃないかというのは、わし達もしょっちゅうやってきた。上がそう考えるのも判る。水に流すのは良い。
だがあの時のことを、万州戦争自体を無かったことにしようとクソ垂れる莫迦が、シャバだけじゃなく、政府や軍上層部のなかからも出始めたのはどういう冗談だ?」
ライオット・ワーブは大きく息を吸い込んだ。


「上が何を考えようと、あそこであったことは、行われた大量殺人は無かったことにはできない!! わし達の前に、上がどれだけ小難しいクソ理屈を並べた所で、わし達がした事は変らない!! それが違うだなどと、時代が下って政治的意義が失われたから、敵でなくなりましたなどというタワゴト、抜かさせてたまるか!! 敵でなかったのなら、わし達があの場でしてきたのは何だ? ただの…人殺しだぞ!」
雷鳴のごとき怒号が炸裂する。


「あいつらはわし達の敵だった! わし達もあいつらの敵だった! そうでなければならない! 敵ではない者を殺し、敵でもない者に殺されただとぉ!? そんなクソ莫迦な話なぞあってたまるか! わし達は敵同士だった! それも、思い付く限り、最低最悪の病気を抱え込んだ腐れマラ同士だった!!! だから殺るしかなかった!! それを曲げられてたまるか!! その事実を、当事者であるわし達を無視して、その事実を勝手に作り変えられて堪るか!! それを変えるってんなら、わし達を納得させてからにしろ!! あそこで、あの戦争が原因で命を落とす羽目になった奴ら全員を生き返らせろ! そして血脂だらけのわし達の手をもと通り真っ白な手に戻してみろ!! 記録を焼き捨てて、新しい書類をデッチ上げりゃあ、心に受けた傷が癒えるだと? 
クソ寝言も休み休みほざけ!!!!!!!」


古参兵は肩で息をしていた。
長年溜め込んできた怨嗟の声というモノなのだろう。
カイトはそう感じた。


「解り難いかも知れんし、解らん所も有るだろうが、兎に角、そう言うことだ。
万州戦争を戦ったなかに、英雄は居ないと言うのはな」
やや経ってから、静かな声で軍人は言った。
「莫迦どもが持てはやしてる英雄ってのは、腕のいい屠殺業者だ、ニンゲン専門のな」

「真の英雄とは、戦わなくても勝てる奴のことだ。血を流すことなく双方のメンツを立てれる、賢い者を指す言葉だ、少なくとも、わしの中ではな。
最低限の費用で最大の効果を上げれる智恵をもった奴を意味する言葉だ。
戦争を、ヒトからそいつを作り上げてる大事な何かを奪い、カエルのクソ掻き集めた程の値打すら無い人でなしに変えてしまう戦争を、この世からなくせる奴を言う言葉だ。
戦争は、それまでヒトがコツコツと積みあげてきた大事な物、美しい物、値打ちのある貴重なものを全てガレキや屍体の山に変え、チリと灰に変えてしまう。
そんなそびえ立つクソを無くせる奴こそ本当の英雄だ。それ以外は英雄などではない」
そう断言したときのこの仁の表情は不快そうに歪めれられていた。
英雄という肩書き、記号ばかりを崇め、その本当を知ろうとしない社会の風潮に辟易させられてきたのだろう。
カイトはそう思った。

「大量殺人者を英雄と言うんなら、確かにわしは英雄だ。
だがわしの様なヤツが英雄だなどと、お前は認められるのか? 
殺した数を数えて英雄になれるのなら、誰でも英雄だ。殺すことなど誰にだってできる。わざわざ他人から教えてもらうまでもない。生れたときから誰にでも、どんな生き物にでも具わってる能力だ。目が見えることや耳が聞こえることと、何ら変りが無い。目が見えるからと言って、お前は自分を天才だと威張る…………お前ならやりそうだな」
そう言って男は少し表情を青褪めさせる。
失礼なクソを垂れる軍人だと、カイトは思った。
「お前は、小賢しい智恵を最大限活用し、様々な成果を上げてきてるらしい。
噂も耳にした、大層な遣り手だとな。
その智恵を使ってだ、死んだ奴を生き返らせることはできそうか?」
相手は真剣な表情で尋ねてきた。
できるのなら、是非とも、そのやり方を教えて欲しいという風情だった。

「生き物を殺すことなんか簡単だ。誰にでもできる。
しかし死んじまった奴を生き返らせるのは不可能だ、少なくとも、人間には。
できるとすれば神、いや。魔王ぐらいのモンだろう。本当にそんなモンがこの世に居ればの話だがな」


「ほんのチョッとだ。生き物の生死を分けるのは、クソほんのチョッとの差だ。
時間や、場所や、部位や、角度や、長さ。そう言ったモンが、ほんのチョッと、違っただけのことだ。
だが、一度でもその差が着いた者は二度と息を吹き返すことはない。
永久に死んだままだ」
生々しい実感と情念に溢れた言葉だった。
そしてこの軍人の口にしている言葉の意味が、こだまの様に、カイトの胸に響いていた。

「敵を完全に無力化するというのは、そいつから何もかもを奪い尽くす、ありとあらゆる可能性を断ち切ってしまうことだ。死んだ敵は、二度とこちらを煩わせも、武器を手に立ち向かっても来ない代わりに、以後、永久に、お互いに解り合える様になることも無い……」
そこまで言ってから、この仁は虚空に彷徨わせていた視線をカイトに向ける。
「別にわしは泣き言を垂れてる訳じゃないぞ。グチを溢してるんでもない。ただ、まあ、その、何だ……」
自分の言葉が何か言い訳じみて聞こえることに内心忸怩たるモノを感じたらしい。
ライオット・ワーブはこう言い添えた。

「わしに残された寿命はもうそれ程長くない。技は若いころのキレを喪い、体力にも翳りが生じている。わしの最後は、もう、目の前まで来ている。
……戦場暮らしが長くなりゃ、死期が近いかどうかは判るようになるもんだ」
非常にあっけらかんとした口調だった。
諦めや悔悟に満ちたというよりも、悟りを開いたというのが似つかわしい、不思議な表情だった。
少なくとも、カイトはそういう印象を受けた。

「わしは大勢の命を奪ってきた。理由は如何あれ、その罪は消えん。
最早、闘いから逃れることはできんし、それは絶対に許されん。
闘いの中で、他者の命を奪うことで自らを生き延びさせてきた者は、闘いの中でしか死ぬことができない。自分と同じ様に、闘いに生きる者と闘い、その中で命を落とすことしか許されんのだ」
矢張り、淡々とした表情でそう述べた後、カイトがギョッとする様なことを口にする。

「闘いに生きてきた者は戦場から遠ざかることはできん。闘争から足抜けすることはできん。自分が奪ってきた命が、手足に絡み付き、戦場に繋ぎとめやがるんだ。何処へも逃がさない、とな。
手足に絡みついてくる命は振り切れても、犯してきた罪の重さは振り切れん。結局、戦場へ逆戻りだ。
重みに圧し潰されずに、戦場から遠ざかれたとしても、今度ぁ行ける場所、安らげる所がない。戦場から、ニンゲンの屠殺場から帰ってきた、ヒトの皮を被った人でなしを、優しく、心から迎えていれてくれる場所など、真っ当なヒトが暮らしてる世界にはない。
大勢の命を奪っておきながら、自分だけベッドの上で往生を遂げようとするなど、断じて許されん行為だ」


「ベッドの上で死ねないことに悔いは無い。むしろ、そうなることを願っている。それは、これまで奪ってきた命に対し、人殺しにできる唯一つの償いだ。
それは、覚悟している」
そう言ってライオット・ワーブは瞑目した。
それはこの人物がこれまで見せてきた騒々しく、猛々しい態度とは異なる、非常に静謐な佇まいだった。


カイトはこの人物に、少しだけ、見所を見出していた。
粗雑ではあるものの、この叩き上げの職業軍人が口にしている言葉は、かつて式堂甲斐那がカイトに諭したことのある武人の所作と、確かに、同じモノを含んでいる。
カイトにはその様に思われた。
そしてこの人物は自分が思っていたのよりも――もう少し位は――奥の深い人物かもしれないぞ、と。


「だが、わしは『敗残兵』としての義務を果たさずにここまで来た。
あの時の戦争を、あの時ばかりではなく、あらゆる戦争の本当を、誰かに伝えねばならん。
それが済むまでわしは死ぬことを許されん。
最近、つくづく、そう考えさせられるようになった」
閉じていた目を開け、感慨深そうにそう述べた後、男はまたしてもカイトがギョッとする様な言葉を口にした。

「それを抜きにしてもだ、わしに倅は居らんし、娘も居らん。親類縁者の類にしてもクソ一人だって居やがらん。わしが死んだら、由緒正しいロクデナシのワーブ一族の家系は完全にこの世から消える。
まあ、それは別に構わん。
怨念と因業ばかり深い最低の前線豚のクソ家系など、絶ち切ってやった方が世の中の為になる、が、しかし、だ。
しかし、わしはわしのことを知ってる誰かを後に遺して逝きたい。気の迷いか、老けた所為か、ふと、そんなことを想った……
だからと言って、勘違いはするな」
軍人はやや表情を引き締めている。

「わしが自分のことを話したからと言って、こっちから死んでやる積りは無いぞ。敵対する積もりなら、フンドシ締めて掛かってこい。
最近流行りの軍隊格闘技たら言う、ジョーヒンな踊りなんかじゃねぇ。
万州戦争仕込みの戦場格闘技ってモンを、卑劣極まりないインチキ技の集大成を、お前の脳ミソが死ぬほどファックするまで叩き込んで、ケツの穴でミルクを飲むようになるまでシゴキたおしてから、みじめなクソ地獄に叩き落してやる!」
堂々とそう宣言してから男は、少しだけ、しまったと言う表情を浮かべた。

その表情からカイトはふと思い付いた。
さっきからこのサザン人は、このサザン人なりに、自分に謝ろうとしているのでは無いか、と。

「……しかし、まあ、その辺はわしの今回のここでの仕事が済んでからの話だ。先刻ので、多分、解ったとは思うんだが、今のお前ではわしには勝てん。逆立ちしようが、何をしようがな」
そう語る古参兵はやや悲しげな表情を浮かべていた。

「薄々、お前も感づいているとは思うんだが、訓練中、わしはお前一人をマトに掛けてきた。
軍隊で延々と受け継がれてきたやり方だ。
徹底的に貶すことで「脱糞」させて馬力を出させたり、落ち零れを周囲の奴らに援助させることで、団体行動や仲間意識を養わせる。同じものを明確な敵と認識すると、弱っちいウジ虫どもはバラけるのを止めて、団結して抵抗することを覚え始めるからな。本来なら、もう少し、マトを増やしてやるんだが……」

絶対に『発奮』って言葉と間違えてるな、と聞いていてカイトは思った。
しかしこれは存外本気で使ってる言葉かも知れないぞ、とも感じた。

「わしは今の冒険者と呼ばれている連中が嫌いだ。ああ言うクソどもは、冒険者の風上にも置けん、面汚しだ。冒険者ってモンはな…………冒険者の何たるかについては措いておく。今の若いクソどもに話しても意味の無いことだしな」
軍人はそう言って、悲しそうに嘆息した。
「わしはここに派遣される前。もっと以前からお前のことを知っていた。舞弦学園の浦島太郎に祀り上げられる以前からな。
わし達とお前、お前達、この学園の連中には因縁がある。あるんだが……」
そこまで言って、このサザン人は非常に困った様子を見せ始める。
言いたい気持ちはあるのだが、言いだすに言いだせない事情があって板ばさみになっているという風情だった。

「五年前のことだろ? 五年前に起きた立て篭もり……『式堂事件』のときに、チョッとした事故か何か有ったんだろう? それで俺や学園に含む所が有る、その辺じゃ無いのか?」
カイトが口を開いた。

カイトに沈黙を破らせたのは、コイツの長所とも短所とも着かない、男としての度量、人間としての優しさだった。
肝心なとき役に立たない察しの良さ。
妙な所で発揮される気配りの良さ。
相手の一番の泣き所に気付いて自ら身を退き、得ても良い利益を逃してしまう要領の悪さだ。
それが今回も働いたのである。

「知ってるのか?」
軍人は非常に真剣な表情を浮かべていた。
「詳しいことは何も。ただ前にロニィ先生がそんなことを話してくれたことがあった。五年前の件には、今でも尾を曳いてるとこがあるって」
ロニィ先生という言葉に、相手は表情をより一層険しくしたのだが、カイトはそれには気付かなかった
「その辺りのこと、軍機とかいうのになってんだろう? 多分だけど」
カイトは昨日授業で駄弁ってた監督者から仕入れた軍事用語を披露する。
「有事の際、軍の最後の良識、兵隊が真っ先に頼るべき智恵袋として機能するよう、下士官は軍のその辺の複雑な事情を徹底的に叩き込まれる。バースせんせいが昨日授業で話してた」
その言葉に古参兵は「クソ半端者が」と舌打ちした。
「だから話したくない事情は無理に話さなくったって構わねぇよ。余り話したくない、ロクでも無いクソ事情があるんだろう?」
「……まあな」
軍人は渋い顔で頷く。
「じゃあ別に良いさ、話さなくても」


このとき、カイトは大変な思い違いをしていた。
確かにこの古参兵は軍規と軍機に縛られている。
だがこの時ライオット・ワーブが思い遣っていたのは、自らの立場や軍紀などでなく、カイトの精神だった。

『式堂事件』、いや、五年前この舞弦学園で起きた出来事の裏にはある忌わしい、血なまぐさい事件があった。
ライオット・ワーブは様々な伝手から得た情報で、闇に葬り去られてしまったその事件を、かなりの程度まで把握していた。
そしてそれを引き起こしたのはカイトであると結論付けるまでに至っていた(この考えは、或る程度、当たっている)。
しかし……

ここに来てこの仁のなかに様々な疑念や迷い、躊躇いが生じてきた。
いちばん大きかったのは慈悲の心、廉恥心だ。

大惨事の引き金を引いた張本人であっても、子どもを、年下の相手を心の底から憎みきれる大人は居ない(憎み切れるのは、外側がデカくなっただけの、ガキだ)。

つまりそう言うことだ。
ライオット・ワーブが躊躇った理由というのは。
そして後々カイトもこの時のことを思い出し、自らを責めることになる。
この時こそ賢しら口を叩かずにいるべきだった。
黙って、相手の話に耳を傾けていれば良かった。
この時点で情報が得られていれば、自分や、自分の周りに迫りくる敵意や悪意に早く気付くことができ、手を打つことだってできた(かも知れない)のに、と。

確かにこの時この相手の情報を得ていれば、カイトはもっと早くに敵の存在を知ることはできた。
それは間違いない。
しかし、早い時点で。つまり修業が完了せず、心技体の何れもが未熟な段階で敵の存在に気付き、その真の意図を知るということは、カイトの死を意味していた。

まこと、奇異なるは運命の紆余曲折……いや。
すべては因果の流れの中に、と言い換えるべきか。

何れにせよ、すでにカイトの選択は為されてしまっていた。
後はそれに身を委ねるしか、責任の取り様はなかったのである。


カイトの言葉にサザン人はしばらくの間ムツカシイ表情を浮かべていた。
しかし表情を新たにして、次の様な質問をしてきた。

「先刻のは菊お嬢さんがお前に言ったのか? 『軍と言う所は無理と理不尽が通り相場。道理に面子に政治に金。人の世は何事も複雑に絡まりあい、怪奇にでき上がっている』ってクソ道理は?」

情報源を知られていることはカイトにとって驚きであったが、このサザン人下士官が竜園寺先生を菊お嬢さんと呼んだことは、それ以上の驚きだった。
しかし、伍長さんが「この仁と一緒にあの娘のお父さんの下で戦っていた」と聞かされてたんだから、この辺のお約束ぐらいコイツも想像してても良さそうなものなのだが。

「家業ってこともあるが、食いっぱぐれることは確かにないと思ったのが、軍人になった切っ掛けだ。辞める機会は何度かあったが、今日まで続けてきたのは、さっき挙げたほかにも、大事な別の理由があったからだ」
カイトからの明確な返答が無いことには構わず、軍人は先を続けた。

「ろくでなしでも。殺すことしか知らず、また、殺されることしか許されない人でなしであるこのわしでも、国を護る役には立てると思った。また、そんな風に諭されもしたからだ」
厳粛な面持ちで静かに語る。

「わしの言ってる国ってのは土地や、政府や何やらの組織なんかのことじゃないぞ。そこで暮らしてる者たちの幸福で安全な生活、財産、取り分け家族のことだ。そう言ったものを護る為に死ぬのは……」
胸の内をなんとか説明しようとしていたが言葉を止めると、表情を引き締め、居住まいも正して次の言葉を口にした。


「死は無意味だ。無価値だ。クソその物だ。
だが辿り着ける先が『それ』しか無いのなら、そこに至るまでの道程にはそれぞれ意味がある。
そして、どの道を選ぶかには大きな違いがある」


「昔、そう諭されたことがある、命の恩人にな。
わしは確かにこの国の平和と周辺地域の安全に貢献してきた筈だった。その積りだった。
だが、現実に目を向けりゃあ、政治家は汚職をし、会社員はサギを働き、主婦は売春し、餓鬼がイジメをこく世の中だ。
まあ、その辺りは仕方がない。世の中はどうやったって弱肉強食だ。「勝ち馬の金玉をしゃぶる」だけの脳ミソのある奴が勝者になるのはこの世の定めだ。自分の面倒は自分で見るしかない。
だが、これだけは。わしにはこの世で、どうしても、これだけは絶対に我慢できんってモンが一つある」
男はそこで言葉を切り、大きく息を継いで言った。

「クチバシの黄色い小僧っ子が、いっぱしの大人を気取って、聞いた風な賢しら口を叩くことだ」


――多分、『生き馬の眼を抜く』って言いたいんだろうな、とカイトは考えていた。


「ガキの時分はアホな戯言を口にし、馬鹿な遊びに現を抜かし、麗しい妄想を追い、青臭い理想を叫んでりゃ良いんだ、夢を食ってな」
ライオット・ワーブはそう言って鼻を鳴らした。
「それで行きゃあ、大型連休とやらに入るまえのお前は、ワリと良いセン行ってたぞ。
『頭が悪いから、何をするのが一番良いか判らない。判るのは、何をするのが一番駄目なのか。仲間は絶対に見捨てない』ってな」
この言葉にカイトは何故という驚愕の表情を浮かべる。

「何ヘンな顔をしてやがる。わしもあの晩、あの場にいて、この目と耳で、お前の青臭い演説をハイチョーさせて貰ってたんだ。
まあ、厳密に言うと、先にわしらが玩具倉庫の夜警をしてたところへ、ノコノコお前らがやって来たってのが正しいんだがな」

ライオット・ワーブと伍長さんこそが、ロニィ先生の口にしていた『軍側の付けた、笑うしか無い程旧式な見た目だけど、絶対に笑いは込み上げてこない性能を誇る セキュリティ(保安係) 』なのであった。

しかし未熟者のコイツはともかく、腕におぼえのある妖剣士、剣術科主任レパード・ウォルシュまでもが、最後の最後まで、二人もの人間の気配を捉えられなかったというのは尋常ではない。
これはベルビア軍人の全てが恐ろしい実力を誇っているということなのか、
万州帰還兵が化け物揃いだということなのか、
それとも、このライオット・ワーブが抜きん出て凄まじいというこなのか……。

「確かに「男女、六歳にして、割礼してやれ」とは言うが、お前のは行き過ぎだ。
あそこまで馬鹿だったアホガキが、たったの二週間足らずで、あんなにお利口なクソ理屈、さえずれるようになれる訳がない。
第一、お前が口にしたのは、わしが昔お嬢さんの前でコボしたことのあるグチだ。わしのパンツに着いたクソ並のノーミソもないマラ頭のお前に、考えれるハズが無いんだ」


――絶対に『男子、三日会わざれば、刮目して見よ』と間違えてやがる、と聞いていてカイトは心中毒づいていた。


「ガキがガキらしく振舞える世の中。子どもが馬鹿な遊びに、安心して、現を抜かしてられる社会。
わしは、何よりもそんな世界を実現させるために戦ってきた。
その想いこそがわしを戦場に留まらせた、繋ぎ止めてきたハズだったんだ」
そう語る男からは険しいものが漂っていた。
「それなのに、お前みたいにクソ以下の脳ミソすら持ってないバカガキまでもが、利害得失勘定して、大人を気遣う世の中になってきてやがる。そんななぁクソ絶対おかしいんだ」
そう言って男は鼻を鳴らす。

「ガッコを出りゃ、イヤだと言っても、現実ってモンには向かい合わされる。
お前、ガキの頃から、んなモンとの折り合いのつけ方を覚えていってたら、上っ面だけで中身スカスカな、紙フーセンみたいなクソになっちまうぞ。
同じクソなら、火ぃ着けたときセーダイ燃え上がる、中身のあるクソになれ!」
ライオット・ワーブは厳しい表情を浮かべ、先日、ロニィ先生がカイトに語ったのと同じ意味合いの言葉を口にした。

「まあ、お前はどうでも良いとして、菊お嬢さんの方はまだまだ子どもだ。
大人であるわしには、お嬢さんを護ってやる責任がある。年頃の娘らしい生活を送れるよう取り計らう義務がある。
何より閣下には二度も命を救われた。お嬢さんの幸せに繋がるのなら、今の上層部のために、少しは給料分の仕事をしてやるのも仕方ねぇ。
現場がしっかりしてねぇと、お偉方も不安で、悪事を働いてられねぇだろうしな」
そう言って男はちょっとだけ笑い声を上げた。


「わしが、いや、わし達射撃術科のクソ教官全員で、戦場での生き残り方、このオモチャの楽しい遊び方ってモンを考え出し、お前らガキどものケツに突っ込んでやる。明日っからな」


ライオット・ワーブは初めて温かみのある笑顔をカイトに向けた。
そして後の机に置いてあったカイトの銃を掴むと、無造作に投げてよこした。
この時、カイトの視線が、ほんの一瞬ではあるが、相手から外れた。


「そういったことが全部済んだ後だ。
わしが個人的に、本っ気で、お前の相手をしてやるとするならな。
ケツの穴を引き締め、ダイヤのクソ捻り出しとけ。次の授業からは、正真正銘、クソ地獄だ。
たっぷり可愛がって、泣いたり笑ったり出来なくしてやる。
覚悟しておけ、相羽カイト」


その言葉は今までとは若干声が小さく、まったく違う方角から聞こえてきた。
カイトが視線を上げたときには相手の姿はなく、保健室の戸が閉まる音がした。

カイトの視覚と意識に生じさせた一瞬の空白を衝いて、ライオット・ワーブは移動を完了させていた。
先日、ティオ・マーチェン先生が披露したのに勝るとも劣らない鮮やかな手並み、と言うか足並みだった。

またしてもカイトの、完っ全な、負けであった。


舌打ちし、カイトは寝台に背中を投げ出す。
相手に言いたい放題の言わせっ放しにして、自分の方は何も言えずじまいだったことへの軽い苛立ちである。

相手の言葉を鵜呑みにするのは危険だが、なぜとは知らず、あの仁の先刻の言葉に限ってウソは無かろうとの想いがカイトにはあった。
あれだけの戦闘技能を誇る相手が、小僧っ子一人を捻りつぶすのに、心理戦や精神攻撃もあるまいと考えたのだ。
硬軟如何なる術策を以ってしても、今の自分ではあの古参兵を斃すのは不可能なこと。
カイトはそれを悟った。

腹に据えかねる所があるとは言え、是が非でもあの古参兵を敵に回す、殲滅してやるという気分でも無くなっていた。
両親を殺すというクソを垂れたことは許せないが、それは場の勢い、言葉のアヤと言ったモノで、その辺はお互い様だという気持ちが湧き起こりつつあった。
存外、向うも同じ様な考えなのではないか。
話の流れから、カイトはそんな風にも考えた。

それにコイツの中には最初から軍や軍人への負い目があったのだ。
今回このような巡り合せになったのも、五年前に自分がした選択の結果だとの想いが。
また、あの娘の予言(射撃術の授業が上手く回り出す)は、このことを指しているのではと、ようやく考えがそこに至った。
射撃術考案に役立つ授業をしてくれるなら否やは無い。
お手並み拝見という気分にもなっていた。

と言うか、もともと射撃術の考案はコイツ一人の手に負えるような代物ではなかった。
経済的に続かないし、そのことだけに時間を割いてばかりもいられない。
やるべきことは他に山ほどある。

何よりコイツは、銃への対抗手段が知りたいだけで、今のところ銃その物への愛情や情熱が希薄なのだ。
上がってくる成果もイマイチなモノに成らざるを得ない。
他の者がその辺の労苦を肩代わりしてやると言うのなら、これほど有り難いことは無かったのである。



「わたしの診断は正しかったようね、貴方には自殺願望があるって診察は」

ライオット・ワーブとほとんど入れ違いに保健室に入ってきた人物が最初に口にした言葉がそれだった。
カイトは慌ててベッドに上体を起こす。
初めて会ったときとは異なり、水色と白を基調にした、メイド服っぽい看護服(カチューシャ付きな、勿論)を相手は身に付けていた。

「オシメが取れたかどうかも判らないヒヨッコ冒険者が軍人に、しかも、よりによって、万州帰還兵にケンカを売ったですって?」
額に右手を当て、嘆かわしそうに嘆息する。

「良くお聞きなさい、ヒヨッコ冒険者さん。貴方がケンカを売った相手はね、
万州戦争でも最悪の激戦区の一つ、『ホットドッグリッジ』を戦い抜いた数少ないベルビア軍人。
数え切れないほどの勲章を受勲した、紛れもない歴戦の英雄。
大陸中の軍関係者のあいだを探しても、軍歴と軍功であの曹長に比肩し得る人材なんて数えるほども居ないわ。
対人戦闘のスペシャリストなのよ」
カイトの前で身を屈めると、右手の人差し指を立てて、親切にそう教えてくれた。

だがコイツのほうは眼の前でぶるんぶるん揺れてるおっきな胸に目と心を奪われていた。
下半身に甘酸っぱ〜い刺激が走って、大変なことになっていた。
そっちに意識が集中してしまって、相手が言ってる半分ほども理解できていなかった。

「大体、純粋な対人戦闘技術の較べ合いで冒険者が職業軍人に勝てないことぐらい、常識として頭の中に入れておくべき、っていうよりも本能として肉体に染み付いていても良いぐらい、基本中の基本よ。この世界で生きてくうえではね」
そう言って相手は態勢をもとに戻す(またしても、おっきな胸のぶるんぶるんが、カイトの目と心を釘付けにしたな)。
両足は肩幅に開いて胸を張り、背筋を伸ばして両手は腰にという、古典的な「私怒ってます」のポーズを取った。

「いろいろ込み入った事情があったみたいだから、今回だけ大目に見るけど、これから先、身の程も弁えずに猪口才な徒手武術の技前を軍人相手に試そうなんていうバカなマネしたら、わたしの保健室の敷居は跨がせないわ。
そのこと、しかと肝に銘じておきなさい。宜しくて、相羽、カイト君?」
言葉を続けていくうちに不機嫌そうな雰囲気は打ち払われていき、白皙の美貌に笑顔が広がる。

初めて会ったときと同じように、白い頬に嫣然たるえくぼが彫られた。

「わたしの方で貴方に自己紹介してなかったわね。
先生、と名乗って構わないのかどうか判らないけど、明日、五月十日〇八〇〇時付を以ってこの学園の養護教諭補助として着任することになってるマリアンヌよ。
マリアンヌ・モーディフィア・キャッシロヴァニカ。
階級は医療少尉」
そこで大人な理知的印象がやや崩れ、悪戯好きな子猫のような雰囲気が白皙の美貌に漂いだす。

「冒険者としては、あまりお医者さん、お薬屋さんなんかと宜しくしたくはないでしょうけど、これから宜しくね」
軽く握った拳で口許を隠してクスクスと笑った。


カイトのこれからの人生に大きな影響を与えることになる人物のうちの一人。
マリアンヌ・モーディフィア・キャッシロヴァニカの名をカイトが知ったときの、これが、一場面である。

彼女はこれから非常にたくさんの事をカイトに教える。
弐堂流に限らず、式堂兄妹ではどうしても弟子に伝授することのできなかった様々な事象。
戦いの厳しさ。勝つことの業の深さ。そして、敗けた者を待ち受けている恐ろしい、過酷すぎる現実。
そう言ったことも含めた人生の裏側、生きることの本当をカイトに学ばせ、その成長を大いに助けてくれるのである。

本当に『色々』を授けてくれる、師と呼んでも過言ではない人物である。
富嶽伝承者になれるか否か、その一番重要なカギを握る運命の相手である。


今日は、王国暦五六八年五月九日。
少年が今は亡き師匠達の墓前に詣で、そして人生の師と新たな絆を結んだ日。
見目麗しいナイチンゲールが一羽、舞弦学園に舞い降りた。






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