ぱすてるチャイムは二度、鳴り響く
  第1話
  「時の牢獄」


                               
朝日奈コロ





―――この世に、切れぬものは無い―――

―――魔も、人も、あらゆる物質も、空間も、神ですら因果という糸で織られた存在なのだから―――






陰鬱な空間、床は堆積した土が湿気を含み、不快な感触を靴越しに伝えてくる。

人がダンジョンと呼称する空間の中で、一人の人間が存在していた。

まだ、青年と呼ぶのに相応しい容貌をした人影である。

青年は、陰鬱としたダンジョンには似つかわしくない神秘的とも言える容姿をしていた。

背中の中程まである髪は、銀糸と呼ぶにふさわしい輝きを放ち、青年のいる空間に確かな輪郭を形作る。

薄暗い周囲の中で爛々と輝く二つの紅玉の正体は青年の瞳。

銀と紅、この二つが彼の存在を幻想的な、と言えるまでに昇華している。

しかし、彼の存在は希薄だった。

暗闇に灯る紅い瞳は、虚ろに中空を泳ぐ。

手には一般的な西洋剣とは明らかに異なる細身の剣―――刀を握っているが、その腕は力なく垂れ下がっている。

辺りは、耳鳴りがするほどの静寂に包まれている。

「……」

彼は無言。

不意に、彼の紅眼に意志の光が灯る。

「…見え…た」

発した声は酷く掠れていたが、粛然とした周囲によく響いた。

手に持つ刀を天高く掲げる。

刀の銘は『富嶽』。

ルーベンス大陸、ベルビア王国に代々伝わる神器、御神刀。

紅の瞳に映るのは、ダンジョンに張り巡らされた一つの封印、その封印を構成する絲の集合体。

『時間封印』―――局地的に時間の流れを遅くする魔法―――の絲は強固で、酷く荒々しく、なのに一点のほころびも無い壁。

中に存在する全てを封印する意志が込められたそれは、何処にも刃を突き立てる余地がないように思える。

しかし、彼は壁のような絲の集合の中に確かな一条の光筋を見つめていた。

時の牢獄の中で見つけた一筋の光。

『富嶽』をダンジョンの天井に掲げ、紅の瞳がより一層力強く輝く。

痛いほどの静寂、『富嶽』の刃が、

『時間封印』を構成する絲を、概念を、切り裂いた。

光筋からあふれ出す光の濁流が世界を覆い、そして、改変していく。

質量さえ感じる光の濁流は彼に襲い掛かり、視界を白く、ただ白く塗り潰していく。

光に飲まれながら、彼―――相羽カイト―――は穏やかな表情のまま意識を手放した。


光が止み、あとに残ったのは変わらぬ陰鬱なダンジョンと、

血臭を振りまく、夥しい程のモンスターの死骸の山だけだった…。






顔を打つ水滴が意識を浮上させる。

目を開けることすら困難なほど、身体は疲弊している。

四肢には力が入らず、仕方なく、生き残っている正常な感覚器で自分の状況を確認しようとする。

聴覚に意識を傾ける。

さっきから、聞こえてくる水の音、大量の水滴が地面を打ち、その中で地面の湿った土の匂い、思い出すのも困難なぐらい昔に嗅いだ草の香りが感じ取れた。

……雨?

推測された事実に驚愕し、いまだ感覚の戻らない体に鞭をうち、重い瞼を開いた。

眼に映る景色に俺は歓喜した。

空は厚い雲に覆われ、鉛色の風景。

しかし、自分が気を失う前にいたあの地下深いダンジョンでは決して見れない風景。

頬を伝う雨がこんなにも愛おしい。

風が運んでくる草木の匂いがこんなにも素晴らしい。

何年、いや何十年、俺はダンジョンで刀を振るい続けたのだろう。

幾度、扉を開けても、

幾度、階段を上っても、

壁を切り裂いても、

床を斬り穿っても、

眼に入るのは、永遠と続く深遠なダンジョン。

動くものと言えば、自身と襲い掛かってくる化け物だけ。

ただ殺し続けた。

アンデッドを、

獣を、

ドラゴンを、

異形を、

キメラを、

悪魔を、

魔人を、

ただ殺し続けた、眼に映る動くものすべてが敵だったから。

髪は長年にわたるストレスで白く染まり、瞳は、死の流れと絲を見続けた為かいつの間にか紅くなっていた。

かつて、俺が殺してしまったあの兄妹と同じ色に。

不意に頬に雨とは違う水がつたった―――暖かい水だった。

それは、悔恨の涙だったのかもしれない。

かの兄妹への罪の意識、自分が背負わなくてはならない業。

再び薄れていく意識の中。

俺は思う。

――――――あぁ、世界は、こんなにも綺麗……だ。








不意に目が覚めた。

眼に映ったのは、一般的な家屋の天井だった。

どうやら、自分はベットの上で寝かされているらしい。辺りを確認する為に上半身を起こす。

掛けられているシーツが滑り落ちるが気にしない。

自分の身体を確かめてみると、眼が覚める前の服装と違うことに気づく。

どうやら自分をここに連れてきた人物が着がえさせたらしい。まあ、前の服はモンスターの返り血やらでとても着れる状態ではなかったのだが。

部屋を見渡すと、本棚や木製の机が置いてあるものの、しばらく使われていなかったのかうっすらと埃が上に堆積していた。

ベットの端には二振りの刀が立て掛けてある。黒漆塗りの鞘に納められている『富嶽』、

そしてもう一つの刀の銘は『震電』―――かつて黒の兄妹の兄が使っていた名刀、使い手が振るうたび、あらゆるもの切り裂いた刀。

……甲斐那さん。

『震電』を見つめている俺の中で複雑な感情が溢れてくるのを感じた。

ふと、部屋の外側から人の気配が近づいてくるのを感じとった。

気配は部屋の扉の前で立ち止まり、ガチャリと音を響かせて、ドアを開けた。

入ってきたのは初老の域に入った老婆だった。

彼女は、俺が起きているのに気づくと、やや驚いたのかわずかに目を見開いた後、すぐに柔和な表情で微笑んでくれた。

人を安心させる柔らかい笑みだと思う。

「おや、起きたいのかい」

「……貴女が、……俺を此処まで?」数十年ぶりの人との会話にどう答えたものか一瞬の逡巡の後、でた返答はひどく無愛想な響きのものだった。

「いやだねぇ、あたしにそんな腕っ節はないよ」彼女は気分を害した様子も無く朗らかに質問に答えてくれた。

「あんたを此処まで担いできたのは、あたしの亭主だよ。あんた、遺跡の入り口で血塗れでぶっ倒れていたんだよ」

覚えてないのかい?と心配げに見てくる彼女。

……遺跡?

自分はどこに出てきてしまったのだろう?

浮かんできた疑念を解消するために目の前の彼女に聞いてみる。

「……此処は?」要領の得ない質問だったが彼女は俺の意図を汲んでくれたらしい。

「ああ、ここは―――――」







繚乱に咲き誇る桜の木。

競い合うように、その淡く色づいた花弁を散らせていく桜の姿に春の到来を肌で感じる。

頬を撫で過ぎ去ってゆく風は微かな春の香を運んでくる。

小高い丘になっているこの場所にたたずんでいると小さな町の全景がよく見渡せる。

あれから幾日が過ぎた。

俺を拾ってくれた老夫妻―――夕凪夫妻は此処がラスタル王国の片田舎の町だと教えてくれた。

夕凪夫妻の家に運び込まれた当初の俺は酷く疲弊していたらしく、俺を診察した医者も一週間は昏睡状態が続くだろうと判断した。

しかし、その診察してもらった翌日に俺が目覚めて、すでに全快近くまで回復した姿を見て夫妻はとても驚いていた。

それでも数日間は安静にしておけとベットから出させてもらえなかったのだが。

王国歴573年。

夫妻から伝えられた年数に自分が歩んできた年月と、帰ってきた世界の流れた時間の相違に苦いものを感じる。

……十年……か。

伸ばした掌に舞い落ちてきた花弁が降り立った。

手の中にある花弁と同じ髪の色をもつ、一人の少女に想いを馳せる。

ミュウ……。

ミューゼル・クラスマイン―――幼馴染で、いつも傍に彼女が居てくれたあの頃、互いに想いが通じた瞬間、何を犠牲にしてでも守り抜きたかった愛しい人。

身も心も弱かった自分自身、強くなろうと桜の舞う中で彼女に誓った決意。

セピア色に変色してしまった思い出の中で、今も色鮮やかに残っている彼女との想い出。

逢いたい。

心の内にさざ波の様に押し寄せてくる気持ちは慟哭の叫びにも似て、俺を飲み込んでゆく。

風が吹いた。

背中の中ほどまで伸びた銀糸を春風がさらっていく。

夕凪婦人からもらった黒い紐でひと束に結わえてある銀髪。

様変わりしてしまった姿を見たミュウは何と言うだろう、コレットは、ロイは……

逢いに行こう。

ただいまを言いに、あの青春を謳歌した舞弦学園に帰ろう。

決意した後、丘から踵を返そうとすると、夕凪婦人が丘を登ってくるのが見えた。

俺も歩き出し夕凪婦人―――妙子さんと合流する。

「……昼食?」ダンジョンでの年月は俺を口下手にするには十分すぎる時間だったらしい。

しかし、いまいち要領を得ない言葉でも妙子さんは正確に意味が伝わったようだ。

「ああ、そうさね、昼時になってもあんたが帰ってこないから迎えにきたんだよ」と快活に笑う妙子さんに伝えることがある。

「……妙子さん」

「ん、なんだい?」雰囲気が変わったことを察してくれた妙子さんは真剣な面持ちで言葉を待つ。

「俺は……行かなくてはいけない場所がある。待っている人がいるから」

「……そうかい……もう行くのかい」

「…はい」頷く俺に対して、彼女はまた、深い皺の刻まれた笑顔で返してくれた。

「じゃあ今夜の夕食は豪勢にしないとね」

続いた言葉に思わず苦笑が漏れる(と言っても表情の変化は僅かだが)。

「じゃ、家に帰ろうか、早くしないとご飯が冷めるからね」

今日はカレーだよと、嬉しそうに言う妙子さんに並んで帰路の道を歩き出す。

陽は空の真上に高く鎮座し、下界に暖かな光を届けてくれる。

光を一身に受ける草花や人、そしてこの小さな町にやさしい風が通り抜ける。

ベルビアに住んでいた頃の町より、やや古い町並みに近づくほど、遊ぶ子供の声、その子供を呼ぶ親の声といった人里特有の喧騒が大きくなる。

町の至る所に植えられた桜の街路樹は、風と共にその花弁をゆっくりと散らせながら風景を淡く染め上げていく。

「しかし、あんたは本当に嬉しそうに町や風景を見るねぇ」

何が楽しいんだいと、妙子さんは心底不思議そうに聞いてくる。

確かに自分にとって、時間に従い位置を変える太陽や、風に身を任せ漂う雲、新緑の萌えるような香り、遠く聞こえてくる町の喧騒。

停滞した、あのダンジョンと比べるまでもなく美しいと思う。

しかし……そんなに顔に出ていただろうか?

「あんたは無愛想だけど無感動ってわけじゃないからね」といってカラカラと笑う妙子さん。

……むぅ。

「で、どうなんだい?何かしら理由でもあるのかい?」

暫しの逡巡の後に。

「ただ……純粋に綺麗だと思うから」

……?

答えた後、しばらくしても反応がないことに違和感を感じ妙子さんの方に顔を向けると。

妙子さん大爆笑。

いったい何が彼女の笑いのツボに入ったのだろうか、しばらくの間、辺りに妙子さんの笑い声だけが響きわたる。

……むぅ、真剣に答えたのにここまで腹を抱えて笑われると少し不機嫌になってくる。

そんな俺に気付いたのか、気付いていないのか―――おそらく前者であろう。肩を震わせながら必死に笑いをこらえる妙子さんが、

「くくく……悪いね、あんたの答えがあたしなんかよりも、よっぽど年寄りくさかったからね、つい」

…なるほど、確かに見た目、十七、八歳の俺がさっきみたいな事を言えば相当な違和感だろう。

「でもね…」といったん言葉を区切り妙子さんは続けた。

「悪くは無いと思うよ、あんたの感性は。たぶん皆が当たり前だと感じている事をあんたはそこまで新鮮に感受できるんだから」

真正面から言われた言葉にどう返していいのか困る。正直ここまで自分の感性を持ち上げられると照れくさい。

そんな俺の顔を覗き込み一言。

「照れているのかい?」妙子さんがのたまった。

「照れていません」

春の日差しの中、快活な笑いがまた響いた。







時折、断続的に揺れるバスの席につき、俺は窓から後ろに流れていく景色をぼんやりと眺めていた。

ラスタル特有の町並みが、記憶にある見慣れた町並み変わって行くのを見て、落ち着かなくなっている自身に気づく。

夕凪夫妻に、自分の生まれ故郷に戻ってみると打ち明けた翌日に出発した俺は、現在、ラスタル王国からベルビア王国に行く長距離バスの中にいる。

『富嶽』と『震電』をもって街中を堂々と歩くわけにはいかないので、今はとある場所に保管してある。

顔を外の風景に向けながら、人差し指で何もない空間を縦になぞる。

指先の通った場所には、一筋の闇色の線が中空に描かれる。

その線は、人間の瞼が開くかのように横に広がり、線と同色の裂け目が生まれた。

裂け目に手を入れる。手はズブリと闇の内部に埋まり、横から見ると手首から先が消えたように見える。

俺は闇色の裂け目の中から目的のものを見つけ出すと手を引き抜いた。引き抜いた後、何事もなかったのように亀裂は閉じる。

掌に握られているのは、銀細工が施された懐中時計。

懐中時計の蓋を開け、時間を確認する。長針と短針が示した時間は9時30分。目的地まで残り数時間はある。

やはり、自分は少し緊張しているようだ。懐中時計を握った手からジワリと汗が滲んでいることに気づいた。

役目を終えた時計を先程と同じ手順で仕舞う。

空間を人差し指で『斬った』後、位相のずれた空間に繋ぎ、その中に時計を放り込む。

この方法で収納できる規模はほぼ無制限なので、この中に『富嶽』や『震電』も納めている。

手持無沙汰になった俺はまた外の景色に目を向ける。

胸中の内では、十年ぶりの再開に想いを馳せたり、会えたら何を話せば良いのかと、様々な事が渦巻いていた。

そして俺は今、時間封印によって閉ざされていた時間の事を思い出していた。








甲斐那さんの躰を乗っ取った魔王ラガヴリを滅した後、俺に残ったのは勝利への歓喜ではなく、自身を蝕む孤独だった。

ダンジョンの中とは思えない吹き抜けの様に高い天井。

部屋の中心には、ラガヴリ復活の為に建設された重厚な祭壇。

目の前には塵と化して消滅した魔王=甲斐那の刀――『震電』が物悲しく床に突き立っている。

全てが静寂に包まれている。

先程まで世界の運命が決せられる死闘があったなど嘘の様に静まりかえっていた。

しかし、壁や床、果ては天井にまで及ぶ破壊の爪痕がその考えを否定する。

床には爆発で出来上がったクレーターが幾つもあり、壁には幾重にも深い溝――刀で『斬られた』跡が在り天井にまで届いている。

他にも、限界を超えた熱量によって融解した柱、魔王の瘴気で腐食した部分が周囲に点在していた。

だが、此処には何も無かった。

傍に寄り添う愛しき人も。

勝利の喜びを分かち合う友も。

傷を癒してくれる仲間も。

杖で頭を小突いてくるあいつも。

俺は一人で、そして、どうしようもなく……孤独だった。


時の流れが停滞した世界。

魔王が呼び出した魔物が、俺の命を喰い潰さんと幾度も襲いかかってきた。

俺はただ刀を振るい魔物の命を刈り取り続けた。

迷宮に食糧などが有る筈もなく、殺した魔物の血肉も貪る事が俺の命を繋ぎ止めた。

何度も、何度も吐いた。

心が、体が、その行為を受け付けなかった。

けれど精神力で必死に吐くのを我慢した。

こんな処で死ぬわけにはいかなかったから、待っていてくれる人達がいたから……耐えた。

迷宮を彷徨っているうちに見付けた、地下水が湧き出ている場所を拠点として出口を探した。

見つかる筈もないと理性が囁いていたが、感情がその囁きを否定した。

探しても、探しても出口など在りはしなかった。

続いているのは永延と繋がるダンジョンの回廊。

持っていた銀細工の懐中時計が、一日の終わりを示す度、希望が擦り減っていく気がした。

壁に傷をつけ、数えていた日にちが一年を超え、十年を超える内に帰還への希望はもう残っていなかった。

疲弊した心は、死に救いを求めるようになっていった。

魔物の肉で飢えを満たすことを止めた。湧き出る地下水で喉を潤すことも止めた。

衰弱した体なら簡単に魔物が殺してくれるだろうと思ったから。

しかし、幾日が過ぎても俺の体は衰弱しなかった。襲い掛かってくる魔物は腕の一振りで灰燼と化し、彼らの牙と爪は俺の体に傷をつけることは出来なかった。

自分はヒトでは無い何かに変わってしまったのか、絶望が心を喰い千切り、飲み込んだ。


また十年が経った。

十年間もの間、何も食べず、何も飲まなかったが俺自身の体は衰えなかった。

日にちを数えるために壁に付けていた傷は、壁を覆い尽くしていた。

襲い掛かったきた魔物はもう殆ど見ることも無く、この世界は本当の静寂に包まれた。

俺は全てを諦めて、そして、受け入れざるを得なかった。

自分はもう既に人では無いのだと。

水面に映し出される姿は、髪や瞳の色は変わってしまったが、十八歳の頃の自分だったから。




あれから、何十年経っただろう、自身が愛した桜色の髪を持つ少女も、衝突し合い親友と呼べる絆を築いた友も、喧嘩ばかりしていたエルフの少女も、記憶の中では顔も鮮明に思い出せない程になってきた。

みんなは今、どうしているのだろう。

もう死んでしまったのか、まだ生きているのか。

それすらも確認する術を俺は持ってはいない。

このまま孤独の中で悠久の地獄を味わい続ける恐怖に、心が完全に飲み込まれようとした時、誰かに呼ばれた気がした。

顔を上げたその先に、一匹の蝶が羽ばたいていた。

薄暗い空間の中、うっすらと燐光を放つその蝶に俺は不思議と警戒心を抱くことはなかった。

既視感と言えば良いだろうか、その存在がどうしようもなく優しくて、暖かったから。

蝶はしばらく俺の傍に寄り添うように舞った後、名残惜しむように離れていった。

しかし、蝶は一定の距離を保ったままその場に留まっている。

何処かへ案内したいのか……

そう感じた俺は蝶の後を追うことにした。

暗い、暗い、一人の孤独の中で見つけた微かな光を手放したくなかったから。

後を追っている内に、もう見ることも無くなっていたモンスターが姿を現した。

魔人が、斬馬剣士が、クライドラゴンが、ダンジョンに潜むありとあらゆるモンスターが先を行くあの蝶に襲いかかろうとした。

今思えば、彼らも俺と同じ孤独を抱えていたのかもしれない。時の流れから隔絶されたこの場所で、あの蝶に唯一の希望を見出していたのかもしれなかった。

けど、俺は彼らを殺した。それが当たり前だったから。

『富嶽』で一薙ぎする度、蹂躙されてその命を散らせていく魔物達。

その行為に感情が入る余地などありはしない。俺にとってこの行為は単なる作業なのだから。

そんな俺の姿を、どこか寂しそうに、あの蝶が見つめている気がした。



其処に存在したのは亀裂だった。

モンスターを掃討し終え、蝶について行き、辿り着いたのは魔王が降魔する為の祭壇が安置されている部屋だった。

部屋の中央には、『震電』があの日と変わらぬ姿で、墓標のように突き刺さっている。

蝶はこの場所に辿り着いた後、霧散するかの如くその姿を消してしまった。

だが、そんなことも気付かないほど、俺の目の前に佇む現実に呆然としていた。

其の領域には亀裂があった。

時間封印を構成する、流れ、因果の絲。

それらを詠み捉えようとした事は幾千、幾万回もある。

しかし、幾ら観ようとも、眼前にそびえるのは人間の理解出来る許容量を遥かに超えた魔力で編まれた壁の様な絲の繭だった。

ヒトでは無い存在になり果てた自身にさえ、その絲の集まりを断ち斬ることは敵わなかった。

それが今、この瞬間、ほんの僅かだが綻びを捉えることができる。

――この世に、切れぬものは無い――

脳裏にいつか聞いた言葉がよぎる。








そして、俺は世界を『斬り裂いた』。















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