ぱすてるチャイムは二度、鳴り響く 第4話 「入学試験(中編)」 朝日奈コロ 光陵学園に存在する魔法教室は、端的に言えば大学の講義室の様な造りだ。 黒板の近くに教卓があり、それを取り囲むよう半円状に生徒達が座る机と椅子が設置されている。 無論それだけなら極意一般的な講義室だが此処は魔法教室。 教卓の上にはフラスコやビーカーなど化学で使われる器具が整然と置かれてあり、更にはよく解らない鉱石の結晶や俗にいうマンドラゴラなる奇怪な植物が棚の中に仕舞われてたりする。 そして、この教室の主こと光陵学園魔法教師、倉沢篤胤(くらさわ・あつたね)は現在、今日この時間に試験を受けに来る予定の生徒を静かに待っていた。 グレーのスーツを着こなし、その上から魔法使いの象徴(シンボル)とも言える漆黒のマントを羽織っている。 二十代中盤の倉沢の精悍な顔は自身の腕時計に向けられている。 コンコン。 「倉沢先生、いらっしゃいますか?夕凪くんを連れてきました」 教室の扉をノックする音の後、同僚であるセレスの声が聞こえた。 「どうぞ」 「失礼します」 「……失礼します」 教室に入ってきたのは予想と違わぬセレスともう一人。 銀髪の長い髪に紅い瞳を持つ青年――夕凪ゼロ――が室内に入ってくる。 「予定時刻より随分早いですね、セレス先生」 「あ、はい、夕凪くんがあっという間に試験をクリアしちゃいまして」 凄かったですよー、と興奮気味に話すセレスをよそに篤胤がゼロの方を向く。 「そちらの君が夕凪か?」 「はい……夕凪ゼロです」 ゼロを見て倉沢は内心なるほどと納得する。 確かにゼロからは普通の生徒からは感じられない雰囲気があった。 軍隊で幾度と実戦を経験してきた自分と同類の雰囲気が。 なぜ学園長が中途入学を認めたのか疑問に思っていたが、彼ならば納得できるだけの要素がある。 「私は倉沢篤胤。今回、魔法の試験を受け持つコトになった者だ」 現在、魔法教室では試験の内容について倉沢から説明がなされている。 倉沢は教卓に、ゼロは教卓のすぐ前の席に着いている。 セレスはというと教室の後ろの席に座って二人の様子を眺めている。 頭の中では今後ゼロが相羽カイトの様な無自覚フラグクラッシャーにならぬよう、綿密な夕凪ゼロ矯正計画が既に出来上がり掛けているが、それは又別のお話。 「試験内容は魔法の行使だ。夕凪、君には初歩のフレイムアローを唱えてもらう」 淡々と説明を続ける倉沢。 「評価基準はまず詠唱。詠唱の際の正確さ、速さが一般的な生徒の平均に達しているか評価する」 次に、と言って倉沢が小声で何かを呟くと黒板に複雑な魔法陣が描かれる。 「この魔法陣に向かって魔法を放ってもらう。この魔法陣には特殊な術式が組まれていて、放った魔法の威力で色が変化する。威力に応じて青、緑、橙、赤、白と変化する。青色が最も弱く、白に近くなれば威力が高いというコトになる」 これまでで何か質問は、と聞いてくる倉沢に首を振って答えるゼロ。 それを受け続ける倉沢。 「では今から試験を開始する。夕凪、学園長から一通り魔法は使えると聞いている、フレイムアローの詠唱は大丈夫か?」 「……はい。問題ありません」 椅子から立ち上がり魔法陣の前に佇む。 緊張はしていない。ただ自分の出来る事をすればいいだけなのだから。 「時間制限はこの試験に存在しない。夕凪の好きな時に呪文を唱えるといい」 ゼロの横に立つ倉沢が助言を与える。 頷き、その助言に答える。 前を見据える。 見るべきモノは大気中に漂う魔力(マナ)、その魔力の『流れ』。 通常、魔法使いは体内に大気中のマナを取り込み、詠唱によって世界に働きかけ魔法という超常現象を発生させる。 だが、ゼロは上記の様な手段は使わない。 いや正確には使っていたのだが現在は使っていない。 ゼロが魔法顕現の為に行うプロセスはまず大気中のマナを体内に取り込む、ここまでは従来の魔法使いとなんら変わり無い。 しかし、ゼロは魔力の流れが『見る』ことができる。 マナが人体に取り込まれ、世界に働きかける課程でマナがどのように改変され、どういった現象として具現されるのかを総て見て識っている。 つまり。 「……フレイムアロー」 ゼロに詠唱は必要無い。 かつて死闘繰り広げた黒い兄妹の妹のように。 突き出した掌から火炎が発生する。 火炎は螺旋状に広がり目標である魔法陣に向かい、その火蜥蜴の舌を伸ばす。 着弾。 発光。 「馬鹿な!詠唱破棄だと!」 ゼロの隣で一部始終を見ていた倉沢から驚愕の声が漏れる。 その間にも魔法陣の発光は続き、やがて光が収まる。 残された魔法陣には赤い光が淡く灯る。 最高威力の白には一歩及ばないが次点の赤を獲得できた。 これなら何とか及第点を貰えるだろう、そう思いゼロは倉沢の方に向き直る。 「……どうですか?」 いまだ人との会話は苦手でどうにも無愛想さが際立つが気にせず問い掛ける。 「……」 倉沢は返事を返す事無く、眉間に皺を寄せる。 深く何かを考え込むような仕草でゼロを見つめる。 「夕凪、いま君は詠唱をしたか?」 「……?…していませんが」 「つまり君が魔法を行使するのに詠唱は必要無いのかね?」 「……はい」 その答えを受けて再度考える倉沢。 脳裏には軍隊で教えられる高速詠唱がよぎるがあれはあくまで詠唱を素早く唱える為のモノだ。 詠唱の工程を無くせる代物では無い。 「えーと、倉沢先生、夕凪くんの結果はどうなったんでしょうか?」 考え込む倉沢の耳にのほほんとしたセレスの声が届く。 魔法陣の確認をした倉沢が。 「ええ、無詠唱とは些か驚きましたが彼は十分合格のラインを超えています」 その言葉に喜色を露わにするセレスがゼロに賛辞を贈る。 「やりましたね夕凪くん。この調子で次も頑張ってくださいね」 まるで自分の事の様に喜ぶセレスを見て苦笑する。 ゼロは自分が先程行使した詠唱破棄がどれほど常軌を逸したモノなのか知らない。 暗い昏い迷宮の中で一人闘い続けたゼロにとって当たり前にできたモノだから。 そもそも比較する人間が居なかった。 「夕凪」 倉沢がゼロの名を呼ぶ。 「君のその能力は極めて希有なモノだ。だがそのことに慢心せず日々精進に励むといい、そうすれば君は立派な冒険者になれるだろう。……私からは以上だ、では次の試験に進むといい」 倉沢の言葉を聞き、ゼロは一礼して教室から出ていく。 その後をセレスがパタパタと足音を立てながらついていく。 パタン。 扉が閉じ、魔法教室に静寂が覆う。 椅子に深く腰掛け倉沢は静かに黙考する。 考えるのは先程の生徒――ゼロ――の事。 果たして自分が彼とまともに勝負をしたらどちらに軍配が上がるか。 自身が使う軍用の高速詠唱と彼の行使する無詠唱の魔法。 単純な魔法合戦では明らかにこちらが不利だ。 なにせあちらは一工程(シングルアクション)で魔法を発現させるコトのできる。対してこちらいかに高速詠唱を用いたとしても最低でも二工程(セカンドアクション)経なければならない。 ゼロ自身の魔法の練度にもよるが仮に一般冒険者クラスだとしてもあのスキルは凶悪なまでに相手とのレベル差を覆すことができる。 彼に勝つためには……。 そこでふと倉沢の思考が止まる。 何もここまで考え込む必要はない。 今の私と彼も立場は、教師と生徒のなのだから。 今までの考えを打ち切り次の授業の準備に取り掛かる倉沢。 そう……今は関係ない……。 ◆ 「かったり……」 ポツリと今の心境を呟いてみる。 俺の名は薙原ユウキ。冒険者を目指して日々努力を続けてる光陵学生だ。 ちなみに学年は最高学年である三年生。 つい最近までビアンキ共和国にある冒険者学校ファルネーゼASに通っていたが問題を起こし退学。このまま夢潰えるかと絶望したが何とか光陵学園に拾ってもらい今に至る。 光陵学園の授業は大半が選択科目だ。 一般教養も身につけなければならないので普通の学校みたいに授業もあったりするが、そこは冒険者学校。その頻度は極めて少ない。まあ一・二年生はそれなりにあるが。 そんなわけで俺は現在、戦士科目の授業を受けるため校舎の離れに建設された道場に他の生徒と共に来ている。 板張りの床に七凪皇国特有の木造建築、弓術の為の射芸場があったり、魔法科が盛んな光綾学園にしてはかなり気合の入った造りをしている。 道場の一角に敷いてあるモノは『畳』と言うこれまた七凪発祥の敷物だ。 戦士科目の授業は体術や剣術など様々な戦闘技術を磨くのが目的なので、必然的に模擬戦の様な形で進んでいく。 時には担当の先生が技術指導をしてくれるが、概ね生徒同士で剣を打ち合わせたり、先生と戦り合ったりする。 そんな授業形式だから昼飯前に戦士科目の授業が有ると腹も減ってくるわけであって。 「ユウキ……腹減ったな」 こんな台詞を言いながら人の背中に体重をのしてくる奴がいたら殺意が芽生えてくるわけで。 「重い!」 取り敢えず鳩尾に肘鉄をお見舞いしておく。 「ぐほぉっ!」 重心を低くし、足から腰に、腰から腕に、腕から肘に余すことなく力を伝えた理想的な肘鉄を食らい悶絶する男子。 こいつの苗字はサワタリ。 名前は知らない。 サワタリは本人曰く忍者という職業に憧れているらしく、その一環で名前を伏せているらしい。 ……なんともご苦労なことだ。 「薙原、授業中よ。それに私の前でそんなBLちっくなコトしてたらマンガのネタにするわよ」 不意に後ろから声をかけられる。 振り向くと背の低い(だが胸は標準以上にある)ツリ目がちな女子が俺達の方を向いていた。 「ってもなぁ、ただでさえ昼飯前で腹減ってるのにさっきみたいなうっとおしいコトされてみろ。軽く殺意湧くぞ」 「それもそうね」 と言ってクールに俺に同意してくる女子。 名前は鈴木ぼたん。 俺と同じクラスで戦士志望。先程の台詞から分かる通り、趣味でマンガを描いているらしい。らしいというのはまだ一度も鈴木が描いた漫画を見せてもらってないからだ。 少し青みがかった髪を結い上げて大きな青紫色のリボンで固定している。 何より目を引くのがその頭の上に取り付けられている黒い猫ミミ型のアクセサリーだろう。 以上の事を踏まえてかなり個性的な知り合いだと思う。 尤も。 チラリとさっき俺が肘鉄をかましたサワタリを見やる。 いまだ悶絶しながら腹を押さえているコイツも普通とは言い難い。 一言で表すなら忍者かぶれ。 そう言い表すのがサワタリとって最も適している。 しかし、よくよく考えてみると光陵学園に転入してからできた友人に没個性な奴はあまりいない。 というかほぼいない。 口より早く手が出るアイドル兼冒険者志望の蕎麦屋の娘に、霊長類としてその体格はどうよと言いたくなるほど巨漢、さらにはパパラッチ娘などetc. 普通の奴がいねぇ。 ……まあ、それなり楽しくやってるから良いんだけどな。 『ソイツ』がセレス先生と一緒に現れたのは授業という名の訓練が半ばに差し掛かった頃だ。 セレス先生が還暦を過ぎた老教師の真田先生に何やら話しかけている。 それも少し困った様子で。 「あや、セっちゃんの隣にいる美形君は誰なのさ?」 ひょっこりと俺の後ろから現れたのは学園のパパラッチ娘ことナツミ・キャメロン。 緑髪が特徴的なハッチャケ女だ。 つうかお前さっきまで射芸場にいなかったか?何時来た? 「ナツミが知らない生徒がいたなんて珍しいわね」 鈴木が不思議そうにナツミを見る。 ……確かに、ナツミとはまだ出会って日が浅いが、それでもかなりの情報通だと認識していた。 ま、ナツミでも知らない事は幾らでもあるか。 「ナツミにも知らないコトくらいは有るのさ。むむっでもあれだけ目立つ容姿なのに噂も聞かないなんて不可解なのさ。ちょっとセっちゃんに聞いてくるのさ」 言うが早いかそのままセレス先生に向ってカメラ片手にピューと走っていく。 「お、おい。……行っちまいやがった」 「ナツミらしいわね」 呆然とつぶやく俺に対し鈴木が淡々と答えた。 「特ダネ!特ダネなのさーー!」 それから暫く鈴木とサワタリと一緒に雑談混じりに各自訓練していると、ナツミが慌てた様子で戻って来た。 「おっ戻ってきたな」 サワタリもセレス先生の隣にいた謎の生徒の事が気になるのかその目には好奇心が満ちていた。 ちゃっかり鈴木も聞く体勢に入ってる。 案外、耳年増なんだな。 「で、何が特ダネなんだ」 実際俺も気になってるから早く聞きたい。 「むふふ、ナギー慌てなさんななのさ。実はセっちゃんの隣にいるのは謎の転入生なのさ!」 ババンと胸を張って得意げに答えるナツミ。 おいサワタリ鼻の下が伸びてるぞ。 「ふーん、確かに中途半端な時期の転入だけど薙原みたいな前例もいるわけだし、そんなに驚くことでもないんじゃない」 「ふふふ、甘いのさぼたん!それだけじゃないのさ、あの転入生、名前は夕凪ゼロって言うんだけど今から編入試験を執り行うらしいのさ」 またまたババンと胸を張るナツミ。 だからサワタリ鼻の下が伸びてるって、馬の方がまだマシな面するぞ。 「でも今授業だぜ」 とりあえず疑問に思った事をナツミに尋ねてみる。 「それは真田先生が試験のこと忘れて授業を入れちゃったのが原因なのさ」 あー、納得。だからさっきセレス先生が困った様子だったのか。 もういい歳だもんなあの爺ちゃん先生。 「今から試験するのか?」 「そうみたいなのさ。他の生徒は自習か、試験の見学らしいなのさ」 「試験の内容は?」 あーそれ俺も気になってた。 「真田先生と試合なのさ」 何気なく発したナツミの言葉にサワタリと鈴木の時間がピタリと止まった。 「……本気(まじ)?」 「……冗談だろ?」 なんか信じられないもの聞いたって感じでナツミを凝視する二人。 「なあ、ナツミ」 「ん?ナギーどうしたのさ?」 「あの真田っていう爺ちゃん先生そんなに強いのか」 転入してきて間もない俺は先生方の事はよく知らない。 なのでてっとり早く自称光陵学園一の情報通にお伺いを立てる。 「強いのさ、噂じゃ真田先生が本気を出せば上位冒険者も太刀打ちできないとか」 「マジか」 「少なくとも真田先生から一本とれる生徒なんて聞いたことないのさ」 あの爺ちゃん先生がねー。 ちらりと噂の人物を眺める。腰が曲がっているからセレス先生より背が低く見える。何より白髭を弄くりながらセレス先生のお尻を触ろうとする姿はとてもナツミが言う人物像と当てはまらない。ただのエロ爺だ。 なにはともあれお手並み拝見といきますか―― ◆ 光陵学園剣術教師の肩書を持つ真田完柳斎は自身の血の滾りを抑えるのに多大な精神力を要していた。 原因は目の前に立つ白髪の青年――夕凪ゼロにある。 一目見た時から凡百な生徒とは一線を画する空気を纏った青年。 それが完柳斎が最初に感じたゼロの第一印象であった。 だが、その印象さえもこうして対峙し、木刀の切っ先を向けられるとあっさりと霞んでしまう。 修羅。 殺気や闘気が迸っているのではない。 唯、存在するだけで周囲の空気を、世界を変えてしまう。 深々と、そう雪が降り積もっていくように完柳斎とゼロを中心に静謐(せいひつ)な世界を作り出す。 それは嵐の前の静けさ。 周りの生徒達のざわめきは既に絶えている。 後は切っ掛けを待つだけ。 その中で完柳斎は思う。 眼前の青年はおそらく自分より格上の存在。 これが試合では無く殺し合いなら自分は一方的に狩られる立場であろうことは予想するに難くない 目の前にいる者はそういうモノだ。 だが、だからこそ血が滾る。 ふぉふぉまさかこの歳になって挑戦者とはのぅ―― もはや試験の事など忘却の彼方に追いやった完柳斎は光陵学園剣術教師では無く一介の武芸者。 求めるものは一つ。 とことん闘り合いたい―― ごくり。 誰かが唾を嚥下する。 その音が合図。 光陵学園史上、最も多くの生徒達の間で語り継がれることになる試合の火蓋が、 切って落とされた―― |
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