物語


人物紹介

アーク・ストライブ:ギョウキ(暁鬼)
 四年前のある事件により全滅させられた村の唯一人の生き残り。天使とも、淫魔ともつかぬ人間離れした美貌の持ち主で、随時空色のマントとフードを身につけている。腰にさしたクワガタムシの大顎のような大剣は、何か特殊な素材でできているようだ。
 傭兵の中ではある程度知られた存在で、『動く伝説』とまで言われている。しかし、その名を語る者は多く、本人かどうかは定かではない。
 年齢は十八歳、人間ではない別の種族のようだが・・・

 

オァーゲット・イリアリア・フォーレスト(イリア)
 ピシャシャリス王国の、王族護衛団長。流れるような長い銀髪に、黒い瞳。アークまではいかないが、それでも男ならば十中八九振り返るほどの美女だ。
 アークとは、昔、恋仲にあった関係で、今でもその想いは薄れていない。だが、アークの村が全滅させられたのは自分の責だと感じ、その罪悪感との間で揺れ動いている様子。アークが生きていたことに、少し複雑なものを感じている。
 年齢はアークと同じ十八。

 

コートウォル・ミット・スラーシア(スリシア)
 ピシャシャリス王国王女。幼いころから孤独に育ち、八歳までは口も利かなかった。しかし、アークとイリアに出会ったことから、心を開き始め、今では明るい少女に育っている。
 アークに淡い恋心を抱いているようだが、イリアとの関係を知っているため、表には出さない。
 アークの村の全滅のことは聞かされておらず、四年間、アークが何故来なくなったのか疑問に思っている。
 年齢は十四歳。少し幼い感じはするが、基本的に笑顔を絶やさない美少女。

 

コートウォル・ミット・ランガード
 ピシャシャリス王国国王。多くの地域のその名を知られる名君で、年老いてからできた娘のスラーシアを溺愛している。
 アークの村の全滅は、彼の命令のようだが、その理由は不明。ただ、強い罪悪感を抱いてはいるようだ。
 年齢五三。

 

 

 


 

 

物語                          

                                                                            著:エピオス

 

 

序幕 − 喪失
 
 紅かった・・・

 視界に入るものすべてが・・・

 炎の色・・・

 黄昏の色・・・

 血の色・・・

 肉の色・・・

 生き物の燃える臭いと音・・・

 身体を失った死者の声・・・

 死肉を漁る獣の雄叫び・・・

 そんな地獄の中・・・

 唯一人残された生者は・・・
 
 どの感情も読み取れぬ顔で・・・

 火炎に巻かれる時を待っていた・・・

 恐ろしいまでに整ったその顔は・・・

 自分の頬を流れる水滴すらも・・・

 ただの装飾品に変えてしまっていた・・・

 巻き上がる炎に・・・

 ゆっくりと身体を焦がされながら・・・

 天使とも・・・

 淫魔とも取れる美貌の生者は・・・

 自らの頬を・・・

 多くの装飾品で飾りながら・・・

 無へと還るその時を・・・

 今か今かと・・・

 待ち続けた・・・

 永久に訪れぬその時を・・・

 今か今かと・・・

 待ち続けた・・・

 

 四年という歳月は、彼をどのように変えただろう。

 天使とも、淫魔ともつかぬ美貌の少年を、時はどのように変えるのだろう。

 生きているのか、死んでいるのかすらも判らぬ彼を、私が愛した少年を、孤独な彼を、悲しい少年を。

 ・・・・・・・・・・・時は、彼を癒してくれるのだろうか。それとも、復讐という名の油を、怒りの炎に注ぐだけか・・・。 

 運命はいつも残酷で、現実は時として優しくて・・・

 もう一度逢いたい。

 復讐の相手としてでもいい。

 もう一度、今一度だけ、あの美貌に、あの魂に、私は逢いたい。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・逢いたい、逢いたいよ・・・・・・・・・・・アーク・・・・」


 運命はいつも残酷で、現実は時として優しくて・・・
 

 四年の空白は、運命の糸を、どの様に紡ぐのか・・・

 

 

第一幕 − 再会

T

 「ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ・・・・・・・・・・・・・・・」
 
少女は逃げていた。あまり背の高くない木々の生い茂る森の中を。昼でも薄暗く、化け物どもにとって格好の住処を。

―ブウゥゥゥォオオオオオオオォォォォォォォォォォォ・・・・・

 背中に息がかかる。少女の首を狙う死神は、もうすぐ近くまできているようだ。

「ひっ・・・!!」

 少女の口から漏れたのは、その大人になり始めた顔を染めるのと同じ、恐怖色の悲鳴だった。

(死にたくない・・・死にたくない・・・・・・・・・死んでたまるか!!)

 少女の身なりは、それはそれはこの場にそぐわないものだった。宝石や貴金属類が大量に散りばめられた白いドレスに、見掛けだけを重視したハイヒール。どこかの貴族の娘か何かだろうか、大きな城や、屋敷ならばよく似合うであろうその姿も、ここでは自殺行為としか思えない。それでも彼女は必死だった。ハイヒールを脱ぎ捨て、ドレスの汚れも無視して。彼女はそれを勿体無いとは感じない。この世に、命より大切なものなどないのだから。

―グウゥゥゥゥ・・・

 一瞬、彼女の足が止まった。すぐに走り出すが、それは先ほどよりも重い。彼女は、重大で、残酷な事実に気づいてしまった。

(・・・・・・・・・・・遊ばれてる!!!)

 そう、先ほどの化け物が漏らしたのは、間違いなく人間でいうところの嘲笑。追いつこうと思えばいつでも追いつける。捕まえようと思えばいつでも捕まえられる。喰おうと思えば・・・

「う・・・・うううう・っ・・・・うう・・・・・」

 少女からは、先程のような『死にたくない』という強い意志が感じられない。自分の命は、もう既に下賎な化け物の手の中にあるのだ。自分がどんなに走ろうと、化け物が気まぐれでも起こさない限り自分の死は確実だ。それに気づいたとき、彼女の心の希望は薄れ、ただの絶望だけが残った。そして、さらに彼女へ追い討ちがかかる。

「あっ・・・!」

 あまりにも簡単だった。木の根に足を取られ、今までどうにか繋ぎ止めていた光が、完全に砕け散った。

「あ・・・・あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・」

 少女の目からは大粒の涙があふれ出できた。

 恐怖で呼吸ができない。目もかすみ、嗚咽が断続的に流れ出す。

―ブウゥゥゥゥゥゥゥゥ・・・・・・・フウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ・・・・・・・・

 すぐ後ろまできた死神の鎌に、少女は振り向いた。牛を大きくしたような二足歩行に怪物が、どう形容しても気味の悪い笑顔で笑っていた。

「スラーシア様!!」

 少女が生を捨て、死を受け入れた時、その凛とした声が響いた。

 

 

U

 イリアの声に私は堅く閉じた目をあけた。何十メートルも離れた場所、それでいて、その美貌がしっかり確認できるほど綺麗な女性が、長剣を構えて立っていた。

「イッ・・・イリア!!」

 私の心に希望が蘇ってきた。イリアの身に付けているものは、鉄の薄い胸当てと、鎖帷子だけだった。何も知らない人が見たら哀れな死体が増えるだけだと言うかもしれない。でも私は違う!!イリアに強さを知っている。イリアなら、こんな怪物簡単にやっつけてくれる!!

ガッ・・・!!

「えっ・・・・」

 私の体がゆれた。それだけじゃない、今まさにイリアの元に駆けて行こうとした足が、地面についていなかった。

―グゥゥゥゥ・・・・・・・・・・・・・・

 怪物の丸太のような腕が、私の体を吊り上げていた。内臓の潰される痛みが、私の体を突く。

「うっ・・・・あっ・・・・・!」

 私の体を握っている怪物は、牛には似合わない異常に尖った牙のついた口を開けていた。人一人ぐらい、簡単に飲み込めそうな大きな口を・・・。

「いっいやああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・・!!!」

 胸が苦しい、体中が痛い。声がかすれて気が遠くなる・・・・・・・・・・死ぬってこんな感じなのかな・・・・・・・・・・・・・。 

 「スラーシア様!!」そんなイリアの声が聞こえたような気がする。でも、イリアと私までの距離は十五Mは離れてる。イリアがどれだけ早くても、怪物の口が閉じる前に追いつくことはできない。

「アークお兄ちゃん・・・・・」

 私は、自分にも、そして、イリアにも禁句にしてきた人の名前を呼んで気を失った。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後に、懐かしい声が聞こえたのは気のせいだったのかな・・・・
 

 

V

 「間に合わない」それが私の最初の考えだった。スラーシア様の身体が、大牛人に吊り上げられたとき、私と化け物までの距離は二十M弱。どんなに速く走っても、追いつける距離ではない。

「スラーシア様!!」

 無理だと判りながら、それでも私は叫ばずに入られなかった。そうしなければ、自分の今までの人生が無駄になってしまう。スラーシア様だけでなく、自分自身まで失ってしまう。私は約束したのだ。スラーシア様は絶対私が護ると、もう二度と会えない彼と、私は・・・・・・

ダン!

 私の、最悪の考えを断つように、何か、重いもの振り下ろしたような音が聞こえてきた。

―ギギャアアアァァァァァァァァアァァァ・・・・・・!!!

 ひどく耳障りな悲鳴がその後に重なり、目の前に、空色の影が降ってきた。

「なっ何者だっ!!」

 何が起こったのか判らず、意味のない言葉を発する私に、その影は何かを投げてきた。人肌ぐらいに温かく、やわらかなそれは・・・

「スラーシア様!!」  

 転んだときにできたと思われる擦り傷などはあるが、他に外傷は見当たらない。安らかな、どこか安心したような寝顔で寝息を立てるスラーシア様の姿があった。

「・・・・・・・・・・・・良くぞご無事で・・・・」

 スラーシア様を抱きしめる私は、ようやく目の前にいる影に注意を向けることができた。全身を空色のマントで覆い、その顔や体格を見てとることはできない。そして、右手には・・・・なんと言ったらいいだろう、クワガタムシの大顎のように二股に分かれた、影の身長ほどの長さも持つ大剣を手にしている。

 ・・・・・・・・・・・・・・・一瞬で、できる相手だと判った。私以上に強い、それも判った・・・

―グアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!!!

 一際大きな雄叫びを上げると、牛の化け物は、私たちに向かってきた。正確には、化け物に背を向けている空色の影に向かって。

 大牛人には、右腕がなかった。ついさっきまで、スラーシア様を掴んでいた、あの忌々しい腕が、肘から先を切り落とされ、ガラスのような断面を覗かせている。その腕は、影が落としたと考えるのが妥当だろう。影の大剣にも、うっすらと、紅い血の名残が残っている。

―グガッ・・・

 残った左腕を振り上げ、私たちに飛び掛ってきた化け物は、空気の漏れるような苦悶と共に、逆くの字に折れて吹き飛んだ。それは、私にも見えなかった。ただ、気づいたときには、影は私達に背を向け、その手から大剣は消えていた。

 ・・・・・・・恐ろしいことに、逆くの字に折れた化け物は、胴体ではなく、首を支点にして折れていた。

ドス!!

 首を大剣に挟まれ、木々に磔にされた化け物は、空気の切れるヒュッ・・・という音と共に、呻き声一つ発さない、ただの肉塊と化した。

 影は、頭を割られ、絶命している化け物から大剣を引き抜くと、私たちの事など見えていないかのように、そのまま森の奥へ消えようとしていた。

「まっ待て!」

 その背中に向かって、私は声をかけた。影が、足を止める。

「私はピシャシャリス王国王族護衛団長、オァーゲット・イリアリア・フォーレスト。助けてもらった礼をしたい。名はなんと?」

「・・・・・・・・ギョウキ」

 それだけ答えると、空色の影、ギョウキは、森の奥へ歩み去っていった。
              ムーヴレジェンド
「・・・・ギョウキか・・・・、『動く伝説』流石だな・・・・」

「違うよ・・・・・・・・」

「えっ・・・」

 その、今にも泣きそうな声は、私の胸の中から聞こえた。

「スラーシア様、違うとは・・・・・・・?」

「あの人は、本当にギョウキっていう傭兵なのかもしれない。でも、あの人は、本当はアークお兄ちゃんだよ・・・」

「・・・はっ?」

「イリア、気づかなかったの?あの人の声、アークお兄ちゃんだよ」

 そこで私はようやく気がついた。あの声には、どこか聞き覚えがあった。懐かしいような、悲しいような、そんな・・・

「アークお兄ちゃん・・・、元気そうだったね」

 とても嬉しそうなスラーシア様の声を、私は聞いていなかった。

(そんな、あいつは死んだ、死んだんだ!!)

 そんな私の心の中で、あいつの天使のような、そして淫魔のようでもある笑顔が、他のどんな感情より、大きくなっていた。

 

 

第二幕 - 帰郷

T

 キイィィィィィ・・・・・

 そんな音をはきながら、酒場の扉は開いた。まだ日は高いが、酒場の席は大分埋まっている。

「・・・・・・・・・・・」

 無言の圧力が、空色のマントに身を包んだ来訪者に向けられた。その腰に、自分の身長程の長さもある長方形の鞘を携えていることから、ただの旅人ではないと判る。

カツカツカツ・・・

 その来訪者は、そんなプレッシャーをものともせず、店の一番奥、最も壁際のカウンターへ腰をおろした。

「何にしましょう?」

 まだ若い、二十歳ぐらいのバーテンが、愛想笑いと共に声をかける・・・・・・・・・・・・カウンターの下では、いつでも突き出せるような体制で、短剣が握られている。

「・・・・・・・・・・・アクアヴィタエ、後、適当につまみを見繕ってくれ」

 マントと同じ色のフードに隠れ、表情も何も判らない顔から、無表情の声が返ってきた。

「わかりました」

 まったく変わらない愛想笑いで答えると、バーテンは奥の調理場へと消えていった。

♪〜〜♪〜〜〜♪♪〜♪〜〜〜〜♪♪♪〜〜〜・・・・

 店のやや左寄り、来訪者とは正反対の方から、静かな音楽が聞こえてきた。

「・・・・・・・・・・・」

 来訪者が、壁に鞘を立て掛け、チラリとそちらの方に視線を向けると、そこには、臍を出し、脚を大きく露出させた踊り子たちが、リズムにあわせて踊っていた。

 しばらく、その怪しい来訪者を見つめていた他の客たちも、その曲が始まるとそちらの方へ目を向けた。

〜〜〜♪〜♪♪〜〜♪〜♪〜〜♪♪♪〜〜・・・・・・

 不思議な曲だった。いかにも簡単そうなリズムでありながら、どんなに似せようとしても、決して真似のできないリズムだ。今、この曲を奏でている演奏者たちも、生まれたときから聞かされ続け、白髪の混じるような歳になって、ようやく演奏できるようになったばかり。
 
 この曲は、ピアノはもちろんのこと、シンバルやトランペット、フルートに木琴など、オーケストラによって演奏されている。それでいて、堅っ苦しいところがなく、どこか砕けた感じがある。

 もちろん、リズムに合わせるのは演奏者たちだけではない。その音楽と共に踊る踊り子たちも、そのリズムに合わせなくてはいけない。踊り子たちはそろって十六歳の少女だ。彼女たちは皆、誰もが認める美少女だが、そのことが、この曲を際だ出せている・・・・・・・・・と言えば間違いだろう。例えば、これを勇ましい男たちが踊れば、それはひどく勇敢な男たちの物語になる。老婆が踊れば、それは自愛に満ちた感動的な子守唄になる。今踊っている少女たちでは、恋人を想い続ける悲しい恋の歌になる。そんな、まるでこの曲自体に意思があるような、そんな曲なのだ。

♪♪〜♪♪〜〜〜〜♪♪♪〜♪〜〜〜♪〜〜〜♪♪・・・・・・

 悲しい恋の歌を、客たちはそろって聴きふけっている。

 この曲に歌詞はない。いや、本々はあったのだろうが、長い年月に流され、それは、人々の記憶に残らなくなっていた・・・・・・・・本当の所、この曲を人々がある者たちに教えられたとき、そのリズムを覚えるだけで精一杯で、歌詞まで覚えられなかったというのが真実だが・・・

〜♪〜♪〜〜♪♪〜♪♪〜〜〜〜♪♪♪「いたっ!!」・・・・・・

 音楽が途切れ、店の中が静まり返った。

「何するんだ!離せ!!」

 踊り子の中で、最も快活そうな少女が、二M半はあろうかという巨漢にその両手を掴まれ、宙吊りにされていた。

「ひっひっひっ、結構な別嬪じゃねえか、踊りなんか踊ってないで、俺の酌をしろよ」

 その大男は、毛むくじゃらの、どこか熊に似た顔を少女の美貌に近づけると、卑下な笑みを向けた。

「・・・・・・・・・・・踊りなんか・・・・?」

 少女の表情が変わった。そこに恐怖はない。ただ、ふつふつと湧き上がる怒りがあるだけ・・・。

「そうさ、女の胸とか尻は、何も見せびらかすだけのものじゃないだろ?何なら使い方を俺が教え・・・・」

 そこで男の声が途切れた。その代わり、「パンッ!!」という乾いた音が、店中に広がった。

「踊りなんか、踊りなんかだって!!?ふざけるな!!この踊りはこの音楽は、私たちの『友達』が作ったすばらしい曲なんだ!!お前みたいな人間にもなりきれてないような奴は判らないかもしれないけどな、この国のみんなは、敬意を表してこの曲を踊ったり演奏したりするんだ!!それを踊りなんかだと・・・?お前みたいな下賎の奴に、何が判る!!この外道!!!」

 右手だけを巨漢の拘束から解き、その頬をひっぱたいた姿勢のまま大声でまくし立てた少女は、顔を真っ赤にし、肩で息をしていた。

「・・・・・・・・・・・・・・何だとクソアマ!!人が下手に出てればいい気になりやがって!!今ここで犯されてぇか!!」

 しばらく呆然としていた巨漢も、その言葉の意味を理解したのか、少女以上に顔を赤くし、今にも蒸気を吐き出しそうな勢いで、腰の蛮刀に手を伸ばす。

チャキ・・・・

 巨漢が蛮刀の柄を握ったのを合図に、店の中にいた全員が一斉に剣を抜いた。

「ローアが言わなかったか?この国の全員が敬意を表しているって・・・・」

 巨漢と、踊り子の少女・・・ローアに一番近い中年の町人らしき男が、剣を巨漢に向けたまま言った。

 周りの者たちから、「そうだ、そうだ」と声があがる。

「あんたみたいに、脳みそ半分しか詰まってない奴でもね、あの人たちのこと侮辱したら許さないよ!」

 まだ小さな子供を連れた母親や、さっきまで踊っていた踊り子たちでさえ、服の中に隠し持った短剣を、男に向けている。しかし、巨漢に怯えた様子はなかった。むしろその光景を待っていたようにすら思える。

「はっ!そんなにその『友達』とやらを悪く言われるのが嫌か?じゃあいいことを教えてやるよ、俺の名は『ギョウキ』だ!!」

 剣を持つ者たち全員に、緊張が走る。腕を掴まれ、最も怒りを顕にしていたローアでさえ、驚き、顔を青くする。

「ひっひっひっ・・・・、どうした?『友達』を悪く言われるのが嫌じゃなかったのか?ほれっどうした?どうした?」

 厭らしい笑みを浮かべ、手にした蛮刀で、ローアの頬を叩く。

「・・・・・・・・・・・・ッ」

 ローアが無抵抗になったのをいいことに、その、まるでイボガエルのような舌を、ローアの頬に這わせ・・・・・・・・

ヒュッ・・・

 空気の切れる音とほぼ同時に、巨漢『ギョウキ』の鼻先数センチが、宙に舞った。

「びゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 屠殺された豚さながらの悲鳴をあげ、鼻を押さえ床をのた打ち回る巨漢。

カツカツカツ・・・・・・・・

 皆が見守る中、それは、酒場に入ってきたのと同じ音をたて、二つに割れた人並みの中を、ゆっくりと歩いてきた。

「・・・・・・・・・・・奇遇だな」

 それの第一声だった。血を撒き散らす巨漢を見据えながら、凍るような冷たい声で言い放つ。

「同じ名前だ」

 空色のマントの来訪者、ギョウキは、自分の名を語る巨漢を、殺気をこめた瞳で突き刺していた。

 

 

U

 「・・・・・・・・・・・・おっ同じ名前だと・・・・?」

 鼻を押さえ、深い憎しみに染まった瞳を、新しく現れたギョウキに向けると、巨漢『ギョウキ』は、血溜りの中でうめいた。

「バロス・ガンド、何年か前に、同じ手口で辺境の村々を荒らし回った賞金首がいたと聞いたことがあるな」

 巨漢の顔が青ざめる。
            ルード                                         怪物
「賞金は19,000,00R。人間にしてはたいしたものだが、それだけ怨みも買ってるだろう。フリーク専門の俺のところにでさえ、何回か依頼が有った」

 巨漢、バロス・ガンドは、もはや声すら出ない。カタカタと歯を鳴らし、血の気というものがまったく感じられない。

「おおおお、お前は・・・・、ひょっとして・・・・ほほほ本物の・・・・・・・・・・・・・・・・・?」

 合わない歯の根で、どうにか言葉を紡ぐ。もはや抵抗などという意思は、微塵も感じられない。

「うっ・・・・うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 弾けるように立ち上がり、そのままの勢いで出口へと駆け出す巨漢。呆気に取られる客やウエイター達を弾き飛ばし、ドアを突き破るように酒場から姿を消した。

「・・・・・・・・・・・・・」

 しばし無音になった店の中で、その視線が、残ったギョウキに向けられるのは当然だろう。

「迷惑をかけた」

 その場にいた者たちの予想した罵声に反し、ギョウキが発したのは謝罪だった。

「俺やあいつの所為で、こぼれた酒や、料理、汚れた衣服は弁償する。もし、怪我をしているものがいれば名乗り出てくれ。慰謝料も払う」

 腰をほぼ直角に折り、呆然としている客たちへ、謝罪の言葉を続けるその声は、まだ成人していない、若々しい響きが有った。そんな若者に、少なからず、興味を持つ者がいてもおかしくないだろう。

「そお・・・・じゃあ、あいつに舐められかけた私のほっぺ・・・どうしてくれる?」

 先ほどまで巨漢に掴まれていた両手を交互にさすりながら、フードに隠れたギョウキの顔に、背伸びをしながらも、その頬を寄せるローア。

「・・・・・・・・・・・」

 顔が見えないので何とも言えないが、半歩後ろに下がったところから、少しは動揺しているようだ。

「ねえ?」

 ギョウキが下がった分だけ前へ出る。もはや、息のかかるほどの距離に位置する両者の顔。美しい少女に詰め寄られ、ついさっきまで、どんな感情も感じさせなかった声に、多少の戸惑いが混じる。

「どうすればいい?」

 できるだけ少女から遠ざかろうと、仰け反るような格好のギョウキに、ローアは、悪戯好きの猫のような表情のまま答える。

「う〜んとねぇ・・・そうだ、顔を見せて。まあ、ひどい火傷とか刀傷とかが有るなら無理にとは言わないけど、良い男なら、隠してる意味ないでしょ?」

 フードの中から、戸惑う様子が伝わってくる。だが、それは半歩しか離れていないローアだから判ることだ。周りの者たちは皆、新しい酒を片手に、その余興を楽しんでいる。演奏者たちは、戸惑うギョウキを、からかうような曲さえ奏で始めている。

「・・・・・・・・・・判った・・・・」

 少し納得いかないものがあるのだろうが、今にも自分に飛び掛らんばかりの少女に気圧され、 好奇心と期待の詰まった酒場の雰囲気の中、ギョウキは諦めたように自分のフードに手を掛けた。

ファサ・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・どこからも、どんな音も聞こえなかった。フードの下から現れた素顔に、そこにいた者たち全員が、どこか夢を見ているような顔つきになった。

 「予想以上」。一言で表すならばそれだろう。肩口で切り揃えられた溢れるような黒髪、すっと伸びた鼻筋に、小さく開かれた朱色の唇。少し困ったような瞳でさえ、その奥の、ルビーのような紅眼を隠すことはできない。少し子供っぽく見えるかもしれないが、背中に白鳥の羽さへあれば天使に、蝙蝠の翼があれば淫魔に見えただろう。この世の物とは思えない。そんな言葉がよく当てはまる、そんな美貌がそこにはあった。

「これでいいか?」

 耳や目にかかる髪がうっとうしいのか、それらを掻きながら聞いてくる。困ったように歪んだ表情が、どうにかその者を同じ生物だと思わせる。それでも、その美貌はローアや、他の踊り子たちとは比べるまでもあるまい。段違いどころか桁が違う。

「えっ・・・・・?・・・・・・ええ!!それでいいわ」

 一瞬前とは打って変わって、酒場は騒がしくなる。同姓の男ですら見惚れるその素顔に、そこにいた者たちは皆、その 若者に会った事はない。いや・・・・・正確には、『会った事は有るが誰だか判らない』となるのだろうが・・・・

 

 

V

 陽も完全に落ち、空には程よく欠けた三日月が輝いている。 

「ほらほら♪もっと飲んで飲んで♪♪」

「おっおい!!?」

 酒場、『人狼の杯』では、かなり派手な宴会が始まっていた。もちろん主役はギョウキだ。

「ほ〜〜〜ら、お酒をどうぞ〜〜〜♪」

「あっ溢れる溢れる!!」

 ギョウキの席の周りには、昼頃まで、舞台の上で踊っていた踊り子たちが集まっていた。何も、ギョウキが呼んだわけではない。ギョウキは今、空色のフードを被っていない。つまり、あの天使とも、淫魔ともいえる美貌が、大衆の面前にさらけ出されているという事だ。

「そろそろ離してくれないか・・・・?俺も、そろそろ宿を探しに行かなければいけないのだが・・・・・・・・・」

 ギョウキが困ったように言うと、完全に出来上がっている踊り子たちが、自慢の胸や脚をギョウキに押し付けるようにして身を寄せてきた。

「ダ〜〜〜〜メ♪ま〜だま〜だ、こ・れ・か・ら♪」

 それが合図だったかのように、ギョウキの、まだナミナミと酒の入っているグラスに、四方八方から酒瓶が傾けられた。その光景を見て、今現在、舞台で踊っている踊り子たちは、不機嫌を露にしている。

 ここまでなったのには、少なからず理由がある。本々、『傭兵ギョウキ』の噂は、世界各地、どんな小さな辺境の村にも広がっている。その噂からは、今、何人もの踊り子たちに囲まれ、頬を赤くしているような姿は、誰にも想像もできないだろう。

 『残虐』、『暴虐』、『殺戮』、『恐怖』、『破壊』、『破滅』。彼の噂を耳にする時、そんな言葉はつき物だ。フリーク専門の傭兵でありながら、報酬しだいではどんな仕事も受ける。それが殺人だろうと誘拐だろうと強盗だろうと、金さえ払えば眉一つ動かさずにやってのける。これが、『傭兵ギョウキ』の主な噂だ。もちろん、それには具体的な話もある。
 
 最も有名なものだと、ある辺境の村に、突如としてダイヤ(最上級)ドラゴンが現れた。もちろん、人間がいくら束になっても勝てる相手ではない。しかし、その村に、偶然滞在していたギョウキは、20,000,000,00Rという莫大な報酬で、そのドラゴンの殲滅を、村の長へ持ちかけた。もちろん村にはそんな大金はない。それに、ダイヤドラゴンを倒せる人間がいるなど、その時は考えもしていなかったものだから、「ドラゴンと倒し、その首を持ち帰ってこれたら」という条件で、その申し出を受けた。ダイヤドラゴンといえば、大きなもので小さな山ほどの身体をもつ。そんな巨大な、もはや天災としか呼べないようなそのドラゴンを、倒せる者などいない。そう思った村の人々は、ギョウキが村を出ると、逃げる準備を始めた。

 次の日・・・・・・・・・村は血生臭い臭いに包まれた。村の入り口に、民家一個分にも相当する、巨大な爬虫類の生首が置かれていたからだ。透き通った水晶のような堅い皮膚を持ったそれは、間違いなく村を襲ったダイヤドラゴンの物だった。しかし、そこにギョウキの姿はなかった・・・・・・・・・・・・・・・それ以来、ギョウキの名は、世界中に広まることとなる。

 ・・・・・・が、今、この酒場にいるギョウキには、そんな残虐な雰囲気はまったくない。それ故に、こうして踊り子たちに囲まれているのだが。

「うぷ・・・・」

 苦しげな声が、誰もいなくなった酒場の片隅から聞こえてくる。ギョウキだ。踊り子たちに散々飲まされた挙句、彼女たちに開放された後も、酔った男性客たちの愚痴を聞かされ続けたのだ。どうやら、魔人のごとき強さを持つ彼も、肝臓は常人並みのようだ・・・。

「大丈夫か?あんた・・・・・」

 ギョウキの背中をさすっているのは、この酒場の娘で、踊り子たちのリーダー的存在であるローアだ。

「・・・・・・・・・・・・・・ああ」

 本人はそう言っているが、どうしてもそうは見えない。確かに、初めのころよりはマシになったかもしれないが、それでも、歩けるような状態ではあるまい。

「ギョウキさんとかいったかのう?どうじゃ?今日はここに泊まっていかぬか?」

 声の主は、年の頃四十後半から五十代。この酒場の亭主だ。ローアの父親で、以前はかなり名のある傭兵だったというが、そんな栄光も遥か昔、今では、昔の刀傷や、獣の爪の跡でも見せないと誰も信じないような、優しい雰囲気の男だ。

「・・・・・・・・・悪いが・・・・・うっぷ!・・・・・・・かたじけない」

 込み上げてくる嘔吐感を押し殺しながら、どうにかそう返事をした。

 

 

W

 時刻は深夜二時、虫の音一つしない、ひどく静かな夜だ。

「・・・・・・・・・・・」

 そんな中、一つの影が、ベットから起き上がった。あまり綺麗とは言いがたいその部屋で、影は周りの気配をうかがった。

キィィィ・・・

 軋む音を響かせながら、ドアが開いた。夜の冷えた空気が、部屋の中に逆流してくる。その影は、ゆっくりと部屋の外へ出る。酒場の二階に位置するこの居住空間では、影のほかに、二つの寝息が聞こえるだけだ。

・・・・・・・・・

 無音のまま階段を下りると、その影は滑るように出口へと向かった。鍵は掛かっているが、内側からの物なので問題はない。 

・・・・・・・・・

 こちらも無音で鍵を開けると、そっと外へ抜け出た。その動作は、猫のように俊敏で、蛇のように隙がない。

 影が外に出ると、それを待っていたかのように、威厳のある、それでいて幼さの残る、矛盾した声が響く。

【遅かったですね・・・・・・今日はもう連絡がないのかと思いましたよ・・・・】

「申し訳ございません!少し飲みすぎてしまったようで・・・・・」

 何もない空間と話をする影、ギョウキは、主人を目の前にした番犬のように、直立不動で答えた。

【いえ、怒ってはいませんよ、四年ぶりに帰って来た故郷です。色々と、懐かしいこともあるでしょう・・・】

 いつの間にか、ギョウキの前のは、大地から五十センチほど離れた空間に浮かぶ、大きな木の箱があった。いや、その表現は正しくない。無造作に黒く塗られたそれは棺桶だ。まるで、闇が形を変えたようにも思える。

「いえ・・・・・・・・・・」

 ギョウキの声は暗い、嬉しさを噛み殺したような、今にも泣きそうな・・・・

【・・・・・・・・・そうですか、それにしても、よくおモテになるようですね・・・】

「!!!いっ・・・・いえ!!そんなことはありません!!」

 『主人』の言葉に驚いたのか、慌てて言葉を紡ぐギョウキ。ここまで来ると、番犬というよりただの子犬だ。

【フフフ・・・・ならいいのですが、あなたはどうやら、この王国の王女にまで好かれているようですね】

「・・・・・・・・・・・・見ていらっしゃったのですか・・・・?」

【ええ、でも、やはり酒場のほうが楽しかったですね。あなたがあそこまで戸惑う姿は、私でもなかなか見れる物ではありませんし】

 棺桶は、まるで童女のように笑う。誰かが棺桶の中にいるのは間違いない。

【・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ギョウキ】

 彼女の口調が変わった。それと同時に、今までの、ふざけた雰囲気が消し飛ぶ。

「はっ」

【私は、あなたを止めるつもりも意思もありません。ですが、本当にやるのかどうか、それを聞かせなさい】

 声だけで、人を殺してしまいそうな冷たさがある。

【やるのですね?】

「はい」

【そうですか・・・・・・・・・・・・・・あなたが決めたことです。私に介入する権限はありません、だから、後悔の無いようにしなさい】

 どこか悲しげで、だが、弟の成長を微笑ましく思うような感情も混じっている。

「はい」

【今日はもうお休みなさい、疲れているでしょう?】

 今度は母親のような感情さえ見え隠れしている。
              我が主
「はい、失礼します。My Master」

 ギョウキはそう言って一礼すると、酒場の中に消えていった。

【・・・・・・・・・・・・私はすべてを知っている】

 消えたギョウキの背中へ語るように、小さな言葉を呟く。

【でも、私がそれを教えることはできない。だから、自分で切り開いて。マスターからの命令よ・・・・・・・・・アーク・・・・・・・・】

 小さな一陣の風と共に、棺桶は、元から何もなかったように、その姿を、忽然と消していた・・・・

 

 

幕間 - 夢

 

 懐かしい夢だった。緑溢れる草原に、俺は腰を降ろしていた。隣には、長い銀髪の少女が座っている。

ザバッ・・・

 ・・・っと、草原の海の中から、まだ十歳くらいのかわいらしい女の子が顔を出した。

(アークお兄ちゃん!イリア!見て見て!!)

 小さな手には、黄色や白や赤、色とりどりの花で作られた冠が握られていた。

(ほぉ〜〜、うまいもんだな)

 感心した俺は、心地よい草のクッションから離れ、その少女に向かって歩いて行く。

(へへ、すごいでしょ♪)

 屈託のない笑顔が、俺に向けられる。

(ホントに、ねぇスリシア?私にも、作り方教えてくれない?)

 いつの間にか、俺の隣に立っていた銀髪の少女が、小さな女の子の頭を撫でながら微笑む。

(うん!いいよ!!)

 そう言って、また花の冠を作り始める。

 

 

 夢の中で、私はある悩みを、隣の少年に打ち明けた。

(スリシアは、これからどうなるんだろう・・・)

 母は既に亡く、父も職務に忙しい。まだ十歳にもかかわらず、周りは敵だらけ。しかも、スリシアは聡明な子だ。自分がどんな状況に置かれているのか、判ってしまっている。

 果てのない草原の中で、彼は呟いた。

(スリシアには、俺たちしかいない。だから、絶対に護って見せる・・・)

 私はそれに・・・

(もちろん・・・・・・ねぇ、それじゃあ、私は誰が守ってくれるの・・・・・?)

 少しふざけて聞いてみた。すると彼は・・・

(・・・・・・・・・お前は俺が護る。たとえ俺が死んでも、絶対に・・・・)

 少し赤い顔でそう言った。

(約束・・・・・だからね?)

(ああ、約束だ)

 ・・・・・・・・・・・・・・・あのねアーク、あの約束、まだ、続いてるんだよ?

 

 

第三幕 - 真実

T

 「・・・・・・・・・・・・夢・・・・・か」

 ここ四年、熟睡したことなど一度もなかったが、夢を見たこともなかった。

 懐かしい夢だった。一番幸せだった頃、明日に、何の不安もなかった。未来に絶望などしなかった、あの頃の夢。

「・・・・・・・・・・今更」

 後三日、見るのが早ければ、俺はここにいなかった。これから死ぬ人間もいない。だが、後三日遅ければ、スリシアは助けられなかった。世界は、微妙なバランスでできている・・・・・・・・・その通りだ。

ギッ・・・

 客人用のベットから降り、マントとフードを身に着け、黒の戦闘着を覆い隠し、腰に大剣を刺す。外はまだ薄暗く、他に起きている気配はない。

「・・・・・・・・・・・・・墓参りでも、してくるか・・・・・」

 

 

 「人狼の杯」より歩いて二時間ほど、細い街道や、時には山道すら通ってようやくたどり着く場所に、それはあった。

 木々は焼け、家は崩れ、川は干上がり、幾年か前まで、人が住んでいたことを示す物が転がる廃墟。蜘蛛の巣のように亀裂の入った大地を歩き、廃墟の奥へと向かうギョウキの右手には、水の入ったビンが握られている。歩くたびに「ちゃぷちゃぷ」と音を立てるそれが、なぜか苦しげに聞こえる。

「・・・・・・・・・」

 先客がいた。木を交差させただけの簡単な十字架が多く建ち並ぶ場所、その一つの前で跪いている少女。ワンピースのような寝巻きを着たままのところを見ると、寝起きだろうか?

「気配はないと思ったが、こんなところに居るとはな」

 急なことに驚いたのだろう、慌てて振り向いた顔は引きつっていた。

「安心しろ、捕って食おうとは思わない」

 そう言って、寝巻き姿のローアの横まで来ると、手に持ったビンの中身を、苔の生えた十字架にかけて回った。

「・・・・・・・・・」

 視線だけの圧力が、ギョウキに突き刺さる。「いい加減に答えろ・・・」「どれだけ騙すつもりだ・・・」そんな言葉が、無言で投げつけられる。

 諦めたように、フードをはずす。

「・・・・・・・・・・・・・いつから、気づいてたんだ?」

「素顔を見たときからだよ・・・・・・アーク・・・・・・・」

ゴンッ!!

「いった〜〜〜〜・・・・・!!」

 ローアの頭の上に、アークの拳が落ちる。

「いつから年上を呼び捨てにできるようになった?」

 四年前と、まったく変わらない、何気ないやり取り。このまま、昔に戻れるのではないか?・・・そんな、淡い期待さえしてしまうほど、居心地がいい。

「アーク兄ぃこそ、そのすぐ人殴る癖直せばいいのに・・・」

 ブツブツと小言を繰り返す踊り子の少女に、たった一言、小さな疑問が投げかけられる。

「・・・・・・・・ここを知ってるのは、お前と・・・・あそこに居る護衛団長だけか?」

 「えっ・・・?」という顔で振り返るローアの目に、銀色の胸当てと、それと同じ色の髪の美女が立っていた。

 

 

U

 久しぶりに、朝稽古よりかなり早く目が覚めた。昔の、懐かしい夢のせいだろうか?寝巻きから、いつもの戦闘服に着替え、その上から胸当てをつける。

 ふと、アークの顔が浮かんだ。

「・・・・・・・・・・・・・久しぶりに、墓参りに行くか・・・」

 通いなれた道も、四年で大分変わった。草や木が多くなったのもそうだが、何よりフリークの姿を良く見る。旅の者や、商人などの被害も、年々増加する一方だ。それを聞くたびに、いつもながら自分の無力さを妬む。アークたちのように、どんなフリークにも負けないような力の無さ、そして、国という後ろ盾がなければ動けない心の弱さを・・・・・・

「いった〜〜〜〜・・・・・!!」

 そう遠くない場所で、どこか嬉しそうな悲鳴が聞こえた。これから私が行こうとしている場所からの音のようだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして、私は息を飲んだ。今、私の目の前の光景は、あの忌まわしい出来事の前、いつも、毎日のように繰り広げられていた光景そのままだったからだ。

 ・・・・・・・・・いつも、年上の私たちを呼び捨てにするローア・・・・・

 ・・・・・・・・・いつも、そのイリアの頭にゲンコツを落すアーク・・・・・

 何も変わらない。あの、四年前の光景・・・・・・・・・

「・・・・・・・・ここを知っているのは、お前と・・・・あそこに居る護衛団長だけか?」

 アークの声に、私は固まった。いつの間にか、夢遊病者のように森から抜け出していたらしい。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イリア・・・・・!」

 怒りと憎しみ。それだけしか詰っていない声を、ローアは私にぶつけてきた。・・・・・・・・・・・・・・・・私を姉と慕ってくれた少女の面影は、そこには無かった・・・・。

「よくここに来れたな・・・・・・・自分の父親が何をしたか判ってるのか!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「誰の所為でここが・・・・・この村がこんなになったと――――!!」

 ローアの罵声・・・・・いや、ピシャシャリスの町人ならば、誰もが常識として言うであろうセリフを遮ったのは、アーク・・・ギョウキだった。

「一国の姫を守るはずの騎士様が、どうしてこんな時間にこんな場所におられるのですか?」

 冷たくも無く、暖かくも無い。

 

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここに、知り合いが眠っているからだ」

 一瞬の同様の後、『王族護衛団長オァーゲット・イリアリア・フォーレスト』としての声が返てきた。

「ほぉ、貴女ほどのお方が直々に出向かれるとは、この廃墟に貴女とそれ程親しい人間が居たとは・・・驚きです」

 イリアの眼に、誰が見ても判るような悲しみが走った。

「どうしたのですか?顔色が悪いようですが?」

「・・・・・・・・何でもない。それより、改めて昨日の礼をしたい。あなたが居なければ、今ごろスラーシア様は・・・・・」

 全てを言い終わる前に、その言葉は遮られた。

「約束だからな。昔の・・・・」

 アークとギョウキ。二つの人物を織り交ぜての会話。イリアにとって、最上級の苦しみだろう。護衛団長として接すればアークで返され、イリアとしてならば、ギョウキであしらわれる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いつまで続けるつもりだ・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お前が望むならいくらでも」

 

 

 ローアは動揺していた。いくら相手がイリアであっても、アークとして接すると思っていた。だが、実際は違った。何よりも酷い苦しみ。アークでありギョウキである人物は、イリアにその苦しみを与える術を知っていた。

「それなら・・・・・・・・・・・・・・・・・止めてくれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「判った・・・・・・・・・・・・・・・・・久しぶりだな、イリア」

 そこに、私は居てはいけないような気がした。何年も離れ離れになっていた恋人たちが、今一度巡り会えた再会の場に、私は邪魔のような気がした。

 だから私は逃げ出した。イリアへの怒りも、アークとの再会の嬉しさも、全てを投げ出して、私は逃げた。

 苦しかった。叶わない恋心が、もう一度大きくなってきていたから・・・・・

 

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ローアは、あの娘はまだお前の事を想っていたんだ・・・・・・・・・・・・・」

「知ってる。四年前からずっと気づいてた」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんでもお見通しなんだな・・・・・・・・」

「そうでもない」

 懐かしい感覚だった。愛しい人と話す感覚。でも・・・・・・・・・・・こんなに苦しい物だったろうか?

「夢・・・・・叶ったんだな」

「ええ、二年前に・・・・・・・・・」

 イリアの夢。「スリシアを守ることのできる場所に居たい」それを十六歳で実現させてしまえる実力・・・、どれほどの努力をしたのだろうか・・・・・・

「良かった。もう、他に何もいらないだろう?」

 判ってて聞く質問だ。我ながら思う、酷い奴だ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まだ、私は、一番欲しい物を手にしていない・・・・・・」

「何だ?他のモノは、おまえ自身が捨てたんじゃないか」

 ダメだ・・・・・・押さえ切れない・・・・・・・!

「何十人もの人間を踏み台にして、ようやく手にした願いじゃないか、他に、何を望む?」

 止めろ・・・・・!止まれ・・・・・!!

「知らなかったとは言わせない」

 止めろ!!

「知らなかったら、俺を連れ出すことはできなかったはずだ」

 止まれ止まれ止まれ!!

「知らなかったら、俺もここで死んでいたはずなんだから!!」

 ヤメロヤメロヤメロ!!

「お前の父親を含めた十七人の騎士たちに殺されていたはずなんだから!!!」

 止まれ!!ヤメロ!!ヤメテクレ!!!

「何十年もピシャシャリスを護ってきた人狼の一族を!!この村を!!無抵抗な年寄りや乳飲み子さえも!!父さんを母さんを姉さんを!!俺の世界全てを!!貴様らの王が!!貴様の父親共が!!そのくせその十七人を『英雄』と讃えている屑共が!!」

 止まれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

「切り裂かれ!!火を掛けられ!!面影すら残らないまでに虐殺した貴様らが!!まともに生きているだと!!?ふざけるな!!!護る者を奪い取られ、生きる価値を失い、地獄を這い回るまでに追い込んだ貴様らが!!!」

 ヤメロォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!

「今も変わらない日常を過ごしていることが、自分たちが何をやったかすら判っていない無能共が!!!」

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

「貴様らを皆殺しにする事だけが俺の存在理由だ!!!!」

 

 

V

 アークの激昂は、初めて見た訳ではない。過去に何回か、私はその姿を目にしている。

 町に降りて来たフリークが、町人を殺して回った時・・・

 よそから来た傭兵たちが、私やローアに手を出そうとした時・・・
 その度にアークは人間ではない怒りを発した。でも、それが私たちに向けられることはなかった。アークは私たちを助ける時意外、絶対に怒ることはなかった。

 ・・・・・・・・・・・・それが今、私に向けられている。もう、私に、アークを止めることはできない。敵を殺し尽くすまで、アークは止まらない。私が、一番よく知っている。

「・・・・・・・・・・・・・・・今日の夜」

「・・・・・・・・・」

「今日の夜、城の大広間で舞踏会が執り行われる。舞踏会と言っても本当は権力争いの場でしかないが・・・・・・・・」

「それを俺に話してどうする?」
                                          動く伝説
「スラーシア様より言付けを預かっている。「昨日のお礼もかねて『Move Legend』と呼ばれ、最強の傭兵であるギョウキ殿に出席していただきたい」・・・・と」

 ギョウキの口が、苦笑の形に歪む。

「はっ・・・・・、俺に復讐のチャンスをくれると言うのか?自分の王や父親が斬り殺されるかもしれないのに」

 たいした護衛騎士だな・・・

「私の使命はスラーシア様の護衛。その他の人物は対象外だ。・・・・・・・・・・・何より、アーク、お前がスリシアを手に掛けるとは、どうしても思えないんだ・・・・・」

 私の顔は、きっとだらしないくらい涙に汚れていると思う。喜びと悲しみに彩られた、酷い顔だろう。

「何故そう言い切れる?ギョウキの噂を知らないわけではないだろう?一国の姫だろうがなんだろうが、ためらわずに殺すとは思わなかったのか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・お前は、今まで一度もスリシアを殺すとは言わなかった。国王様も、父上も殺すと言ったが、スリシアに対しては一度も言わなかった。・・・・・・・それに、本当に殺そうと思っていたんなら、昨日助けはしなかったはずだ」
                               大牛人
 正直に言うと、昨日、スリシアの乗った馬車がベヒーモスに襲われた時から半ば諦めていた。スリシアが馬車からほうり出され、森の中に逃げ込んだ時から、本当ならスリシアの生涯は終わっていたはずだ。

 そのスリシア様を助けたのだから、アークにスリシアを殺す気は無いはずだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベヒーモス自体、俺の狂言だったとは考えなかったのか?それとも、お前はそんなに俺を信じてるのか?」

「狂言だったら、お前はもっとうまくやってるさ。それに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私はお前を信じてる。信じてるに決まってるだろ!!」

 涙が止まらない。視界が歪んでアークが見えない・・・・・・・・、嫌だ!!

 今目を逸らしたら、アークがずっとギョウキのまま戻らなくなってしまう!!そんなの嫌だ!!私は・・私は今まで・・・・・!!

私は今まで・・ううん、これからもずっと貴方一人を愛し続ける!!だから!私は無条件で貴方を信じられるんだ!!
 私は貴方が好きだ!愛してる!!だからお願いだ・・・・・アークのままで居てくれ!!ギョウキなんかに戻らないで!!私とずっと一緒に居て!!私の所に戻ってきて!!!

 

 


 正直、心が揺れた。このまま、イリアの元に帰っても良いような気がした。

 胸を押さえて、顔を涙で汚しながら、一言一言に想いをこめて投げられるイリアの声は、すごく弱くて、今すぐにでも抱きしめて、安心させてやりたかった。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも

ザッ・・・

 一歩踏み出したアークの歩に操られるように、イリアの体がビクッと震える。

「もう、戻れないんだ」

 すれ違いざまに・・・・・・・・早口で一言伝えるので精一杯だった。

 

 

 「もう、戻れないんだ」

 私の耳元で囁かれた言葉は、私の膝を折るのには十分だった。

「うっ・・・・うっ・・・・・うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 早朝の森に響き渡る絶叫に、木々に止まった鳥たちは、一斉に空へと飛び去った。

 消え行く者の足音だけが、イリアの心には、何よりも大きく広がっていた。

 

 

W

 午後から降り始めた雨は、私の心とはまるで正反対に、青い空を灰色に染めてしまった。

「ふんふんふ〜〜ん♪」

 今日はこのお城の大広間で舞踏会がある。・・・ホントは舞踏会の名を借りた私の花婿探しだけど。

 でも!今日は違う!久しぶりに、正確に言うと四年ぶりにアークお兄ちゃんと会える!!・・・・・・・はず。

「はぁ・・・・早く夜にならないかなぁ♪」

 陽はまだ高い・・・

 

 

 陽がまだ高いうちに、空は灰色に包まれた。

「・・・・・・・・・・・」

 私は、自分の心を代弁しているような空を眺めていた。

「もう、戻れないんだ」

 アークが言った、あのセリフ。それは、私の希望を打ち砕くのには十分だった。

 アークは変わった・・・いや、全然変わってなかった。自分の大切なものを、何があっても守る。そんな意思がはっきりと読み取れた。

「今日の夜が・・・最後になるのかな・・・・・・・?」

 アークに会えるのは・・・

 

 

 今日が最後のなるだろうな・・・

 休むことなく降り続ける雨は、無心の心を崩してしまいそうだった。

「・・・・・・・・・イリアの笑ったところ・・・・見れるのかな・・・・・・・」

 誰に言う訳でもなく、唯ポツリと漏れた戯言に、俺は苦笑した。

 無理に決まってる、笑う訳がない。人一倍自分を締め付けるあいつのことだ。どんなことがあってもそんな自分の弱いところを大衆の面前でさらけ出すわけがない。

「・・・・・・・・氷女だっけな・・・?あいつのあだ名・・・・・・」

 夜は近い・・・・・・

 

 

 「ギョウキ様ですね、お待ち申しておりました」

 門の前に立っていた兵士は、俺を見るとすぐさま駆け寄ってきた。まぁ、王女直々の招待者だからな、特徴くらい知っててもおかしくないか。

 太陽がちょうど真上にある時刻から降り始めた雨は、満月が臨めるほどの時間になると、雲の一欠片もなく消え去っていた。

 ピシャシャリス王国の城は大きい。城下町より少しだけ高い丘の上に立てられたこの古城は、その周りを、城の大きさに比例する大きな堀で囲まれている。普段は上げられている桟橋も、今日ばかりは多くの来城する貴族たちのために降ろされている。

「どうぞ、こちらです」

 城の中に入ると、タキシードを着た、歳相応の貫禄を持つ老紳士がギョウキを迎えた。

「やけに開放的な城なんだな。これじゃあ簡単に下賎な輩が忍び込めるぞ」

 俺は、通い慣れた廊下を老紳士の後について歩いて行く。

「ホッホッ・・・・この城に攻め込んでくる命知らずな者が居たらお目にかかってみたいものです」

 皮肉を皮肉で返されたが、別に気にはしなかった。確かに、普通の人間なら、どんなに自分の力に自信があってもこの城を攻めようとはしないだろう。壁と言う壁には例外なく何かしらの仕掛けが施され、常に四人で行動する兵士たちが、四六時中城内を歩き回っている。まるで、国王の暗殺予告でも受けたかのようだ。

「こちらです」

 そう言って開かれた扉に、俺は何の躊躇いもなく足を踏み入れた。

 

 

 ピシャシャリス王国が誇る名城、クウィート宮殿で行われている、舞踏会という建前の権力争いの場に、静かな動揺が走った。空色のマントに腰には自身の身長ほどもある大剣。更に、目深に被ったフードのせいで、その顔を窺うことができない。

 見るからに、一国の皇子や大商人などが集まるこの場には似つかわしくない人物だった。

 めんどくさげにフード越しに後頭部を掻くと、入り口の大の大人四、五人が大きく手を広げ、ようやく抱えられるか抱えられないかと言う太い柱に、その身を預けた。

 会場内、全ての視線が自分に向けられていることなど、まったく気にもしていないように、その不審者はフードに手を掛けた。

 ・・・・・・・・一瞬、全ての時が止まった。フードの下から現れた、この世の物とは思えないような美貌に、全ての人間が言葉を失っていた。

「何か飲み物をもらえるか?」

 天使のように慈愛的で、淫魔のように妖艶な、どちら着かずの青年は、一番近くに居たメイドに、そう言って微笑んだ。

 

 

第四幕 − 狂戦

T

 「はっ・・・・・はいぃ!」

 俺が声をかけたメイドは、顔を真っ赤にしてどこかに走っていってしまった。

「はは・・・」

 よくマスターに「少しは自分の顔を自覚しなさい」と言われるが・・・・・・・・・・・・・・・今度からは気をつけよう。

「少しよろしいか?」

 俺に声をかけてきたのは、ガタイの良い、服装からして貴族のようだが、軍服のほうがよっぽど似合うであろう男だった。・・・・・・・こんなのがスリシアの花婿候補だと思うと、喉を掻っ切ってやりたい衝動にかられた。

「そなたはどこの国の貴族だ?いくら容姿が良かろうと、招待をされていないものが来るには、ここは上等すぎるが・・・?」

 小馬鹿にしたような口振りの貴族に、ギョウキは視線を合わせた。たったそれだけの動作で、ギョウキよりも頭一つ分ほど大きい貴族が、びくりと震える。嫌味な笑いをゴツイ顔に貼り付けたまま、冷や汗を流す。

(・・・・・流石・・・・・・・か)

 並みの人間ならば失神するであろう程に込めた殺気を受けているはずだが、やはり人の上に立つ者といったところか、硬直こそすれ、失神にまでは至らないようだ。

「なに、昨日南の森でフリークに襲われている姫様を助けた礼としてお呼ばれされただけだ」

「そっそうか・・・」

 貴族はそう言って足早にギョウキから離れていった。その後、飲み物を頼んだメイドが持ってきた酒に口をつけながら、会場を見て回った。一見したところでは、この会場内にこれと言った仕掛けは無い。その代わり、円形の会場を取り巻くように、剣士や魔導士が整列していた。まぁ、厳重な警護と言えるだろう。ギョウキに掛かれば無いのと等しいのだが・・・

 大きなファンファーレと共に、会場中の視線が、ある一点に集まった。主の居ない王の玉座に。
 
 ファンファーレは、その玉座の主の登場を意味していたらしい。ギョウキの居る会場より一段高い舞台にの袖から、白髪の人物が現れた。赤く裾の長いマントに身を包んだ、威厳のある老人だ。

 コートウォル・ミット・ランガード。大国ピシャシャリスの国王にしてコートウォル・ミット・スラーシアの父親。そして、アークの村を全滅させた張本人でもある。

ギリ・・・

 ギョウキの右腕は、知らず知らずのうちに、腰の大剣に伸びていた。

(あいつがオヤジを、お袋を、姉さんを、村のみんなを・・・・・!)

 自分の意思を正確に伝える腕は、今にも刃を抜き放ち、あの威厳に満ちた面を叩き切ってしまいそうだ。

 止めることは無い。自分の欲望に従え、あいつを殺せ、初めに手足を切り落とし、そこで自分が何者か名乗ってやればいい。そして恐怖に歪む顔に切っ先を突き立て、その後でゆっくりと残りの十六人を殺し尽くす。命乞いを聞いたあとで、最も苦痛を感じるやり方で殺そう。簡単に死なせてやるものか、たっぷりと生きている事を後悔させてやる。家族の前で殺すのも良い。そうだ、妻や子供に悲鳴を聞かせてやろう、そいつらが復讐だと言って掛かってくるならそれを殺すのも一興・・・・

「・・・・・・・・・・・・くっ・・・・・・・・・・・・!」

 唇をかみ締め、愛剣の柄に乗った右手を強引にはずす。今回の目的は違う!こいつらを殺すことじゃない!!そう自分に言い聞かせる。

「・・・・・・・・・・・それでは、今宵は楽しいひと時を過ごしていただきたい」

 アークが再び気が付いた時には、既に国王の簡単な挨拶は終わっていた。アークが目線を玉座から離す。すると、キョロキョロと辺りを見回していたスラーシア王女と目が合った。王女の顔が、幸せそうに笑った。それを見ると、つい笑い返してしまう。変なところで、自分はまだ悪魔に魂を売り切れていないようだ。

♪〜〜♪♪〜〜〜♪♪♪〜♪〜〜〜〜♪〜〜〜♪♪・・・・・

 音楽が流れ始め、会場の貴族たち半数以上が、舞台から降りてきたスリシアに集まる。残りの半数は、スリシアの後ろに付くイリアに集まった・・・

 アークは、その光景を、少しはなれた場所で見ていた。周りには、自然と会場中のメイドたちが集まってきているように思えた。

「あ・・・・・貴方様は御行きにならないのですか?」

 顔を赤く染めたメイドの一人が、アークに聞いてくる。彼はそれに苦笑で返すと・・・

「いや、自分から良く必要も無いと思ってね・・・・」

 首をかしげるメイドたちだが、すぐにその理由を知ることとなる。

「もし・・・」

 その声は、この場に似つかわしくないほど若かった。この会場でそこまで若い人物となると・・・

「これはこれは、姫君様」

 ギョウキはその場で膝をつくと、この国の王女に向かって頭を下げた。

「ふふ、そんなに堅苦しい挨拶はいりません。何せ、貴方は私の命の恩人なのですから」

 そう言ってやわらかく笑うスリシアの瞳には、薄っすらと涙が溜まっていた。

「いえいえ、本当は私のような下賎な者がこの場に居ることすら有ってはならない事、それを姫様のご好意によってこの場に居る事を許されている身。誠意を忘れてはあまりにも無礼。それこそ地獄へおち・・・」

「ねぇ、ワザト?」

 言葉を遮られたギョウキだが、その顔は笑っている。

「さぁてね、判らないな」

 そう言って立ち上がると、アークはスリシアの頭を軽く撫でる。その場にいたものたち全員が唖然となった。唯一人、その光景を可笑しそうに見ている護衛騎士を除いては。

「踊っていただけますか、スラーシア様?」

 今度は軽く手を差し伸べただけだったが、スリシアは嬉々としてそれを掴んだ。そして・・・

「もちろん。アークお兄ちゃん!」

 

 

U

 それは立派な絵になっていた。
 
 綺麗な宝石や貴金属類を散りばめたドレスを着た少女が、青いマントと、この世の物とは思えない美貌を持つ青年が、人だかりと言う名の円の中で踊っている。それ程派手ではない音楽が、その静かな光景を際立たせる。

「何年ぶりだろうね、お兄ちゃんとこうやって踊るの・・・」

「そうだな・・・大体五、六年くらいじゃないか?それにしても、結構覚えてるもんだな。まぁ、昔はお前が飽きるまで付き合わされたからな。体が覚えてるよ・・・」

 そこでスリシアはクスクスと笑う。

「どうした?」

「だって、お兄ちゃん昔って、なんかお爺さんみたい」

 アークの顔に影が差す。それは、触れ合うほど近くに居るスリシアにも判らないものだったが・・・

(・・・・そうだな。確かに、俺からすれば昔でも、スリシア達にとっては違うか・・・)

 四年で、あまりに多くのことがあった。だから、時間の感覚が狂っているのかもしれないな。

♪〜〜♪♪〜♪♪〜〜〜♪♪♪〜〜〜〜♪!

 曲が終わった。終始変わらないリズムに、最後だけが強くなる。そこでアークはスリシアを抱き寄せる。

「・・・・・・ラスト、これでよかったよな・・・・・・・・・・・?」

「バッチリ!」

 そっと、スリシアから身体を離し、跪く。

「姫様、今宵は私のような下賎な者に御付き合いくださり、何とお礼を申し上げてよいやら・・・」

「いえ、お礼などと、貴方は私の命の恩人なのですから、私こそ、今日の舞踏会の来て下さって、ありがとう」

 それだけの会話を交わすと、アークはその場を離れ、最初の柱へとその歩を向けた。

「アークお兄ちゃん!」

 その声が響いたのは、アークの前の人だかりが、モーゼの杖のように真っ二つに割れた時だった。

 アークが振り返るのとほぼ同時に、彼の胸にポンッと何かが当たった。

「「あっ・・・」」

 二つの声が重なり、その後、会場中の声も重なった。

 驚いた顔の傭兵と護衛騎士が、御互いの瞳の中に自分を見つけた。

 

 

 私は、スリシアとアークの踊りを、遠くから見ていた。私に踊りましょうと声をかけてきていた貴族たちも、円状になって二人に目を奪われている。

 あまり居心地のいいものじゃない。これが嫉妬と言うものだろうか・・・?

 そう考えているうちに、一曲目が終わった。結局、踊っていたのはアークとスリシアだけだった。

「イリアイリア・・・!」

 アークと何言か話した後、スリシアが小さな声で私を呼んだ。

「はい」

 そう言って近づくと・・・

「アークお兄ちゃん!」

 トンッと軽く押された私は、無防備な格好のまま、つんのめる様に目の前の空色の何かにぶつかった。

「「あっ・・・」」

 アークの顔が、驚くほど近くにあった。軽く背伸びをすれば、唇が重なってしまうほど。

(・・・・アーク・・・・・・・)

 

 

 イリアの顔が、トロンと変わった。どこか甘えるような視線が、俺の視線と絡み合う。

 ヤバイ。本能的にそう感じ、俺は慌ててイリアから離れようとした。しかし、俺が反応を起こす前に、イリア両腕は俺の首に巻きついていた。蛇を思わせる、ゆっくりとした動作。それで居て剥がす事のできない力がこめられている。周りを確認できるほどの余裕は無いが、きっと混乱の渦だろう。自分の意思をあまりにも出さない氷女が、ゾクリとするほどの色香を出しているのだから。

ヒュゥゥゥゥ・・・・・・・・・・・・・・・・・ン

 俺の意識のタガが吹き飛びかけた時、誰にも聞こえないような低い音が漏れた。俺には馴染みのある、ある作業独特の音・・・

(魔法!!?)

 それ程離れた場所ではない。少なくともこの会場の中だ。だが、見当たらない。魔力の大きさからしてかなり大型の魔方陣を利用した物。それを人目につかづ、尚且つその威力を消さずに展開できる場所は・・・

「全員!!壁によれええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ・・・・!!!」

 巨大な魔方陣は、円柱型の舞踏会場。その天井に仕掛けられていた。

 この城の天井は、ある特殊な物が備え付けられている。それは、機械仕掛けの時計。特にこの舞踏会場は、一際は大きい時計がしこまれている。この時計に合うように巨大な魔方陣を描き、ある一定の時刻になると時計の針によってその魔法陣が完成するようにすれば、その魔方陣が発動するまで誰にも気づかれることは無い。そして、要人をいとも簡単に暗殺できる。

 ある意味大胆で、そして失敗の可能性の低い方法だ。

轟音

 

 

V

 爆音と共に、舞台会場が大きく揺れた。仕掛けられた魔方陣は召喚系の大型魔法陣。術者の呼び出したいフリークを模した人形や何かを魔法陣の中心に置き、術者のレベルによって、より上級のフリークを召喚できる。

「ゴーレム!!?そんな、どうしてそんな上級のフリークがここに!!?」

 そう叫んだのは、この城の宮廷魔導士だった。他にも、多くの剣士や魔導士たちが驚愕の色を隠せないでいる。

「止めとけ、死人が増えるだけだ」

 今まさに、魔法陣を展開しようとしていた魔導士は、いつの間にか自分の横に佇む人物に慌てて視線を向けた。

 青いマントから突き出た美貌は、冬の湖のように、冷え切った光を放っていた。

「あの程度の低級フリーク、俺一人で十分だ」

「なっ・・・何を言っている!!相手はアイアンゴーレムなんだぞ!!?生身の人間一人じゃ自殺しに行くようなもんだ!!!」

「普通の人間なら・・・・な、スリシアを頼むぞ、イリアだけでも大丈夫だとは思うが、念のためだ」

 そこで初めて、その宮廷魔導士は、自分の後ろに自らが命をかけて守る姫と、気絶した彼女を抱えた護衛騎士が居ることに気が付いた。・・・・・・・・あの一瞬の間に、いつ・・・?

「本当に、むかつく事しか起こらないな・・・・・」

 そう小さく呟くと、ダイヤドラゴンすら倒す最強の傭兵は、腰のクワガタ型の大剣を抜き放った。

 

 

 アイアンゴーレムは、その名の通り、鉄の体を持つ上級フリークだ。人間を縦に押し潰したような二頭身のシルエットに、それだけが異常に大きく太い二の腕。ごつごつした、岩山のような体からは予想もできないようなすばやい動きを見せる。

 そんな怪物が今、クウィート宮殿の天井をつくように、その巨大な身体を悠然と立たせている。そして、いきなりその大きな岩石のような左腕を振り上げた。

ゴォン!!

 大地をえぐるような一撃が、会場の床に突き刺さった。・・・いや、その大岩の下に、二つの人影があった。一人は床に尻餅をつき、今にも泣きそうな顔のメイド。そして、その前に、自身の身長ほどもある巨大な大剣を両手で支えている青年の姿があった。

「やはりこの程度か・・・・下らない・・・・・・・・・・アァ!!」

 その気合に弾かれたように、アイアンゴーレムの左手の手首から先が跳ね飛んだ。ゴーレムに痛覚が有るのかは判らないが、その巨体が、一瞬揺らいだことは確かだ。

「ふっ・・・!」

 短く息を吐くと、ギョウキはその身を空中へと躍らせた。その跳躍はあまりに高く、一回の跳躍で、ゴーレムの眼前まで届いた。そこから一閃。あらゆる物を切り裂くオリハルコンの刃は、一瞬の出来事に、明らかな驚愕を浮かべているゴーレムの一つ目を横一文字に切り裂いた。

―オオオオオオォオオオォォッォォォォォォオォオォォォ!!!

 声にならない叫びが、大気を震わせる。ゴーレムの巨大な腕が、片方しか残っていない五指が、砂を撒き散らす傷口を押さえつける。

 大地に降り立ったギョウキは、口の無い巨獣に無造作に右腕を向けると、厳かに、そして深い怒りを込めてその言葉を発した。

「圧縮魔方陣展開・・・・」

 ギョウキの右掌に、小さな六棒星が輝く。次の瞬間、その六棒星の魔方陣は、術者の手を離れ、攻撃対象を覆い尽くしてしまうほど大きく開花した。天井を突き抜け、床をすり抜けたそれは、闇色に輝き、発動する。

 「暗黒類・集団虐殺魔法・・・・ジェノバ!!」

 巨大な魔方陣は、その円の中から無数の闇を降らせる。まるで豪雨のように降り注ぐそれは、本来戦のさい、大量の敵兵を瞬時に殲滅する事を目的として造られた物だった。しかし、あまりに大きな魔力を必要とし、尚且つ、最低でも十人以上の大魔導士が、三日がかりで精製する非常にデリケートな魔導式を使用する為に廃れた、いわば消えてなくなった魔法なのだ。

 無限かと思われるほどの数の矢が、槍が、暗黒に包まれたそれらが、巨大なアイアンゴーレムを、唯の砂の粒子へと変えて行く。

―オオォォォォオォォォォオォォォオオオオ・・・ォ・・・オ・・・・・・・・・ォ・・・・・・

 雄叫びが途切れてゆく。どんな音も残さない瞬殺。一撃目で砕かれた破片は、その存在が目に映ることもなく、毎秒数兆発の闇によって消え去る。

 ギョウキが掌を閉じた時、その直線上には何も残っていなかった。アイアンゴーレムだけでなく、宮殿の一部をも、闇の豪雨は食いちぎっていった。地平線の果てまで続く、半月状に抉られた木々が、その威力を物語り、天からは、白く輝く満月が、対照的な美しさを放っていた。

「誰が仕掛けたのかは知らんが・・・・・俺を苛立たせやがって・・・・・!」

 ギリッと奥歯が軋んだ。

 

 

W

 大きな穴の空いた壁が、気がついた私の最初に見た光景だった。いきなりの轟音の後、アーク兄ちゃんの胸の中で意識を失ってから、何が有ったのかは判らないけど、きっと大変なことがあったんだと思う。それをアークお兄ちゃんが解決したんだと思う。

「お気づきになられましたか、スラーシア様」

 すごくホッとしたような顔のイリアが、私を見下ろしていた。

「うん・・・大丈夫、一人で立てるよ」

 私は抱きしめられていたイリアの腕から床に下りた。イリアの腕は、悲しいほどにしっかりしていた。

 イリアは、私のために強くなった。ううん、本当はお兄ちゃんとの約束のために。でも、その約束も私のため。女の、それもすごく綺麗な人なのに・・・

「ギョウ・・キ・・・・ど・・・の・・・・」

 イリアがお兄ちゃんに近づいて行く。でも、その声がどんどん擦れていって、最後は聞き取れない。どうしたんだろう?

「バカ!!何やってるんだ!!」

 いきなり大声を出してお兄ちゃんの目を後ろから押さえつけるイリア。唯満月を見ていただけなのに・・・?

「何やってるんだよ!!あんな物見たらどうなるか判ってるだろ!!!」

 お兄ちゃんの顔を、自分の胸に押し付けるような格好のイリアは、なぜか絶叫していた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだな、どうなる?」

「どうなるって・・・それは・・・・・・・・」

「言えないか?」

 お兄ちゃんの声はあくまで冷静なのに、イリアの声は焦りすぎて、何かメチャクチャだ。

「腹が立つ。殺したい。それを押さえるのが辛いんだよ。もう、我慢の限界だ」

「でも、でも・・・このままだったらまたこの国で暮らせるじゃないか。また一緒に居られるじゃないか・・・・・・・・・」

「不思議だな。お前の声を聞いてると、なんか安心するよ」

「何言ってるんだよ!!そんなことよりも、えっと、ええっと・・・・・・!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前は言えなかったからな。今回は・・・・・」

 さよなら

 二度目の別れは、それが言えただけ、以前よりもマシだったかもしれない。

 

 

 バカな事をしているって?自覚してるよ。でも、これが一番いい方法なんだ。これなら、俺以外誰も死なずにすむ。俺も誰を殺さずにすむんだ。

「ワァオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォ・・・・・・・・・・・ン!!!!」

 一つの雄叫びが、会場内に広がった。イリアの押さえていた青年は、銀色の美しい毛並みの人狼へと、その身体を変えていた。

「じっ・・・人狼・・・・・・・・?」
                                                   いざなう
 誰の言葉だっただろうか、恐怖と驚きに彩られたその呟きは、人々を第二の恐怖へ誘うのに、そう時間は掛からなかった。

―きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

―人狼が!!人狼がああああああ!!

 それが、どれだけ彼を傷つけるかを、人々は知っているのだろうか?

 何年もの間、この国を他の国や、人間では手におえないフリークから護り続けてきたのは彼の一族だ。そして、たった今、この会場中の全員を救ったのも彼だ。

 無視しても良かったはずだ。見殺しにしても彼の責任では無い。だが、彼はそれをしなかった。彼は、村を消滅させられても、恋人と離れ離れにされても、それでも完全に怨むことはできなかったのかもしれない。自分が一度は忠誠を誓った国を。

 いや、唯彼は臆病なだけだったのかもしれない。自分が血に汚れる事を拒んだだけかもしれない。心が恐怖に勝てなかっただけかもしれない。しかし、そのどれもが、今では確認のしようの無いことだ。

 唯一つ、確かなことは、彼が、彼を必要としている人々を悲しませることだけ・・・

 

 

X

 ―掛かれぇ!!!!

 イリアは、確かにその叫びを聞いた。次の瞬間、彼が自分を巻き込まないように自分から距離をとったことも判った。急に、体が寒くなる。

「・・・あ・・・・・・・・あっ・・・・・・・ああ・・・・・・・・ああああああああああああ・・・・・」

 両手で、自分を抱くように身を縮める彼女の後ろで、彼と兵士が戦っているのが判る。刃の打ち合わせる音と、魔法による爆音。続く悲鳴は人間の物だ。

―止まるな!大勢で掛かれ!単体で戦っても命を捨てるだけだ!!

 その怒号の後は、一際多くの悲鳴が上がる。無理だと判っているのに、何故彼らは自ら傷つけられに行くのだろう。

「うううう・・・・・うあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 その瞬間、彼女は弓から放たれた矢のように、腰から抜き放たれた剣が、人狼の首元へ、銀光を残しながら滑り込んだ。

「消えろ!!そして二度と現れるな!!!」

 涙に濡れながらも、それを感じさせない気迫が、彼女からは感じられた。

「・・・・・・・」

 人狼は、黙って目の前の兵士に向けられていた、鋼鉄をも紙切れのように切り裂く爪を収めた。
         
「何故止める。殺れ」

 そう言って、イリアが切り抜き易いように膝を折り、更に、その変身も解く。人狼の毛皮の前では、どんな名剣といえど、その皮膚に傷一つ付ける事はできない。

「私は消えろと言ったんだ!!お前に反抗の余地は無い!!!」

「何をやっている!早く殺せ!!」

「黙れ!!!」

 王の横で、指示を出してた自らの父へ、イリアは初めて敬語を使わなかった。

「お前たちがそんな事を言えた義理か!!アークの家族を、村を、皆殺しにして焼き払い。それでもまだ命を狩り足りないのか!!!今ここで殺しあっても、勝ち目など無いと何故わからない!!!引いてもらえるだけで御の字だというのに、そんなに部下を殺されたいのか!!!」

「イリア・・・!」

 小さいが、それでも有無を言わせない声が、静寂を造った。

「それ以上言うな・・・・・・・・・イリアの言う通り。俺はあんたらに全滅させられた村の生き残りだ。どういう理由で村が全滅させられたのか、俺は知らないし知りたくも無い。だが、村を全滅させたことで、それを実行した十六人が英雄として讃えられているのなら、俺を殺した奴もそういう扱いになるんだろう?」

 それは、この国の長に対して向けられた言葉だった。

「・・・・・・・・・その通りだ」

 その威厳の中に、悲痛が混じっているのはなぜだろうか?単なる罪悪間とは異なる、誰かを心配したような響き・・・

「なら、今のイリアの暴言を、俺の命で帳消しにしてもらう」

 軽く親指で自分の首を掻っ切る動作をすると、アークはイリアと向かい合った。

「・・・・・・・何言ってるんだよ・・・・・せっかく逃げられるのに・・・・どうして・・・・・・・・・・?」

 立ち上がったアークは、イリアよりも少しだけ大きい。その彼を困惑の表情で見上げながら、彼女は数歩、後ずさった。

「それが・・・・お前の為だから・・・」

 アークの顔は、とても優しくて、薄く、笑ってさえいた。

「でも・・・・でも・・・・・」

 彼は、イリアの剣を、自らの胸の中心へと置く。絶対に、逸らさせたりはしない。

「・・・・・・突き刺せ・・・・・・・それで全てが終わる・・・・・・・・・俺の恨みも・・・怒りも・・・全て消え去る」

「嫌だ・・・嫌だよ!せっかく会えたのに、もう離れないって信じてたのに・・・・・」

 そっと、その頬に触れる、暖かい感触。

「・・・・・・・・・・・・・ありがとう、会えてよかった」

 そして、泣き顔のイリアを、力いっぱい、それでも、壊れ物を扱うように優しく・・・抱きしめた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 剣は、アークの心臓を目指したまま、動くことは無かった。

 イリアの腕に伝わる、生々しい、死の感触。

 強かった鼓動が、脈打つたびに、どんどん弱くなって行く。

 空色のマントが、別の色へ、紅い、血の色へ・・・・・・・・・

 

 ・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・紅く・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消音

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶叫

 

 

         ぎょうき
第五幕 − 暁鬼

T

 あれから数日が経った。イリアの、英雄である父親への暴言は、反逆者の排除によって帳消しにさたが、それでも今は城内にある自室で謹慎を命じられている。

「・・・・・・・・」

 彼女は、暗い部屋の中にいた。質素な石造りの壁に背を預け、膝を抱えて座り込んでいた。その傍らには、もう一人・・・いや、もう一つの影が有った。胸から背中にかけて、一直線に心臓を貫いた後のある死体だった。

「・・・・・あーく・・・・・・」

 イリアは、ふと思いついたように、生きていた頃の死体の名を口にした。

 本来、騎士の部屋に死体を置くなどありえない話だが、今回ばかりは勝手が違う。王女直属の命令が下されているのだ。

「・・・あーく、あーく・・・アークアークアークアーク!!」

 物言わぬ死体を揺すり、何か答えが返ってくる事を期待しているのだろうか、あまりにもその仕草は弱々しかった。これが、この王国最強の戦士と言われて、信じる者が居るだろうか?

「・・・何か言ってよ・・・・・ねぇ・・・・何かさぁ・・・・・・・ねぇアーク・・・ねぇってばぁ・・・・・・・・」

 死体の肩を揺すりながら、真っ赤になった瞳から、また大粒の涙が流れ始める。目は真っ赤なくせに、その周りは、新雪のように白い。涙を拭うことさえできないのか・・・・・・

 泣きながら、冷たい物に語りかけ続ける姿は、常軌を逸している。その口元に浮かぶのは、壊れた薄い笑み。嬉しさとはかけ離れた感情から漏れ出すそれは、常人には恐怖でしかない。しかし、彼女にとって、この行為せずに、自分の存在を保っていられる自信が無いのだ。唯話し掛けていればいい、それを続けていれば、いつかは何かが返ってくるかもしれない。そう信じていれば、彼の死を実感しなくてすむ。あまりにも簡単な逃避。

 自分の腕に残る、肉を突く感触、伝わる静かな鼓動、頬に触れていた温かみが、ゆっくりと冷めてゆく痛み。その全てから逃げ出せる。自分の心を閉じてしまえば、自分の痛みを消す為に、自分の身体を捨ててしまおう。何なら、死んでしまおうか・・・?

 とても魅力的な考えが、その首を持ち上げた。

「・・・・・・・・・・」

 彼の腰の剣を引き抜く。大きさとは裏腹に、まるで羽のように軽く、鋭く光る刀身は、ほのかに青く光っていた。

「・・・・・・・・綺麗・・・」

 これで死のう。

 彼女は、何の躊躇いも無く大剣を、自らの胸につきたて・・・・・・・・・

「・・・・・誰・・・・・?」

 イリアの腕は、後ろから伸びてきた、細くしなやかな腕に止められていた。黒い手袋に包まれたそれは、闇自体が形作ったようだった。

「貴女が死ねば、彼が悲しみます」

 その声は、何万年も生きた魔女のようであり、生まれたての幼女のようでもあった。

「・・・・・もういや・・・アークが死んで、私が殺して・・・・・なんで?アークが生きてれば、ローアもスリシアも、幸せになれたかもしれないのに・・・・・何で私が生きてるの?・・・・・・・・・アークの村を全滅させた男の娘が・・・・・何で・・・・・・・・・・?」

 イリアは、閉鎖された空間に、後ろの人物がどうやって入ったのか・・・・・・そんな事さえ考えることができなかった。あるのは自責の念と、何より深く傷ついた、真っ黒な悲しみだけ・・・・・・

「・・・・・・・・・・・・私は・・・・・・貴女が羨ましいです」

 今の彼女には、火に油を注ぐ言葉だった。

「何が・・・・私の何が羨ましいって言うのよ!!!」

「彼は、主である私のためには命を張ってくれるでしょうが、一人の女としては、そんなことはしてくれません・・・・・・・・」

 イリアは、初めてその人物の不自然さに気がついた。

(・・・・・・・彼?・・・・・・・主?・・・・・・・)

「あなたは・・・・いったい・・・・・・・・・・・・・?」

 そこで影は、新たに淑やかな女性の姿を作り出した。
                                          マスター
「ブラム・ツェペシュ・ヴァレンタイン。傭兵ギョウキ、アーク・ストライブの主人をしている者です」

 

 

U

 ―どういうことだ!!

―王の暗殺を確実に成功させるからと言うからお前たちに依頼したというのに、何だこのざまは!!

―今回の件で私達の信頼はガタ落ちだ!!唯でさえ民衆の中にはあの人狼供の肩を持つものが多くいるというのに・・・!!どうしてくれるんだ!!

「まあまあ皆さん、そんなに殺気立たなくても良いじゃないですか。チャンスはまだありますよ」

―ほう、確かにそうかもな、しかし、貴様にはもう時間が無いぞ。

―その通り。我等が提示した期日まで後一日。もしそれまでに王の暗殺が成功できなければ、貴様は二度々裏での仕事はできんぞ。

「それはそれは恐ろしい。しかし、いくらなんでも相手が相手でしたからねぇ。傭兵ギョウキ。彼がいるというのなら、もっと速く教えて欲しい物です」

―あれはあの姫君の一存だ。我々の管轄外だ。

「ハハ、まさか。ピシャシャリスの英雄が、自由にできないことなどあるのですか?」

―王はあまりにも姫を溺愛しすぎている。

―それだからあの薄汚い人狼どもを野放しにしてきたのだ。あの一族の中に姫が気に入っている輩がいるそうだからな。

「ほう、あの村にまだ生き残りが・・・・、それは私のミスですね。あなた達の依頼で、王に洗脳魔法を掛けてまで討伐を行ったのに、私もそろそろ引退を考えた方がいいかな?」

―無駄口はいい。それよりも、王の暗殺の件、必ず成功させることだ。

「判っていますとも、唯、今回は私自身のミスが招いたこと。料金は要りませんよ」

―なっ、本当か!?

「ええ、唯、もっと別の物を頂きますがね・・・・」

―かまわん!!では、頼むぞ!!

 

 

 「ちっ・・・・・あのクソ爺供が・・・・・」

 暗い部屋の中、小さな水桶の前に立っていた長身の男は、忌々しげにそう罵った。

「傭兵ギョウキだと・・・?なぜその情報をもっと早く寄越さなかった!!そうすれば、あの城ごと皆殺しにできたのに・・・・!」

 膝まで伸びた黒髪を掻き毟りながら、男は水桶を蹴り上げた。

バシャン!!

 部屋中に水が染み渡る。

「ヒステリーを起こすな、ジュエル」

 一人の少女が、その後ろに立っていた。肩口で切り揃えられた暗黒色の髪は、まるで、全ての闇の産みの親のようだった。

「サムライか・・・・・、貴様のようなガキには判るまいよ」

「そうか?ならばかまわないが、ギョウキにだけは気を付けろ。奴は本当に強い」

 少女には動揺と言う物が無いのだろうか。あくまで淡々とした口調で告げるその声は、まるでからくり人形のようだ。

「ああ、そういえばお前はあいつ“専用”に雇われてたんだっけな。残念だが、あいつなら死んだぜ」

「何・・・?」

「何でも、自分の恋人に剣を持たせて心臓を突き刺させたらしい。まったく、怪物のやることは判らんな」

「そうか・・・・・、残念だ」

 ジュエルと呼ばれた男は、初めて少女の方を向いた。少女の顔は、いつものような無表情の美貌が張り付いているが、それが少しだけ歪んでいる。

「どうした?あの人外に惚れでもしてたのか?」

 卑下な笑いを浮かべるジュエルの顔は、一瞬にして固まった。少女が笑っている。たったそれだけの事で、遠距離からアイアンゴーレムを召喚できるほどの魔術師は、いとも簡単にすくみあがった。

「そうだな、俺はあいつらに惚れているのかも知れないな。奴らの血や肉を見る瞬間、どうしても胸が高まるのを押さえ切れないからな・・・・・・」

 遥か遠く、どこか別の場所で行われた、酷く複雑で、とても恐ろしい会話。全てを飲み込む、悪魔の開口・・・・・・・

 

 

V

 「あれ・・・?」

 クウィート宮殿の正門前。一人の兵士が、小型の馬車を刈りながらやってくる人物を視界の端に捕らえた。

「イリア様、どうなされたんですか?こんな御時間に?」

 陽は既に落ち、空には星一つなく、ランプの光だけが闇を照らしている。そんな闇世の中で、ここ数日部屋に篭りっきりだった護衛騎士が口を開いた。

「・・・・・・・・・・死者の・・・・・・・・埋葬だ」

「そう・・・・ですか、判りました。おーい!橋を降ろせ!!」

 ギギギ・・・と軋んだ音を立てながら、左右合計十人の兵士が、声を張り上げてその巨大なつり橋を降ろしてゆく。

「・・・あの・・・、どうして今になって埋葬を?」

「・・・・・・・こいつは、私の恋人だったんだ」

 イリアは、馬車の荷台に積んである、布を無造作に巻きつけた死体と黒い棺桶に目を向けながら、兵士の質問に答えた。それは、答えになっていないようだが、兵士は黙っていた。

「小さい頃から一緒に遊んでいた幼馴染だったんだけどな、十二、三歳の頃か。思春期に入ると、こいつに対して必然的に恋心みたいな感情を抱くようになった。・・・まぁ当たり前だよな。こいつの顔を一度でも見たら、そうなるのが当たり前だ」

 あの、淫魔とも天使ともつかないような美貌を思い出しているのだろうか?その頬に、ほのかに赤味が差す。

「それで思い切って告白したんだが・・・・・・・・・あまりにもうまく行き過ぎたんだよな、それからの一年は。まるで毎日が夢みたいだったよ。好きな人と毎日毎日、日が暮れても話をしたり出掛けたり。でも、あいつは人狼だった。そして、あいつの村の討伐が、唐突に言い渡されたんだ・・・・・・・」

 イリアの言葉に耳を傾ける兵士は、イリアより少し年下に見える。しかし、その話を聞く姿は、あまりにも子供じみて、あまりにも悲しげだった。人の痛みを自分の痛みのように感じてしまう。きっと、そんな兵士には向かない少年なのだろう。

「それで、私はこいつだけを連れ出した。討伐実行日を父上の部下から聞きだして、その日の夕方、近くの森の中にな・・・・。教えようかどうか迷った。「父上たちが村を襲おうとしている。お前だけでも逃げろ」そういおうとしたんだがな、結局言えなかった」

「・・・・・・・・・・どうしてですか?」

「そんな事を言ったら、こいつは絶対に村へ帰ってしまう。わざわざ殺されに・・・・・。だから、私はこいつが絶対に帰れないこと、帰ろうなんて思わないようにさせる方法をとった」

 そこで、イリアは微笑を浮かべた。それは、若さゆえの過ちを悔やむ苦笑に取れたかもしれないが、本当は、一番良い思い出を反芻している仕草だった。

「何か言いかけたこいつの唇を塞いでやったんだよ。私の唇でな。そして、その後はなし崩し的に・・・・・・な。礼を言う。明日、日が昇る前には戻ってくる」

 真っ赤になる少年兵士を横目に、イリアは馬車を進め、完全に折りた橋を渡った行った。

 

 

 「そんな過去があったのですか・・・」

 今しがた、クウィート宮殿から出てきた馬車には、二つの人影があった。一つは銀色の長髪を持った軽装備の美女。もう一つは、全身を黒いマントで覆い、覆われていない場所から覗く白い宮廷着が印象的な黒短髪の美少女。

「ええ、私にとって一番の思い出です」

 そう言って笑うイリアの横顔には、清々しささえ見て取れた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり羨ましい

 そう言って呟いた少女の言葉は、イリアにはしっかり聞こえていたようだ。少しだけ、誇らしげな顔になった。

「でも、アークが死んでいないって、一体どういうことですか?」

「あなたは知ってはいけません」

「・・・え?」

「あなたがそれを知ったら、彼は何よりも苦しみます。だから、私は絶対にそれを言いません。もしそれをあなたが知るとすれば、彼が直接あなたに言ったときでしょう」

 背を伸ばし、真の貴婦人のように佇む少女に、イリアは二の句が告げなかった。

 しばしの沈黙が続き、その間に馬車は人影の無い城下町を抜け、あの廃墟へ続く山道に入った。

「ここだけはね・・・」

 イリアは、どこか懐かしむように話し始めた。

「ここだけは、昔からフリークが出ないんだ。あの村へ続く唯一の道だから、ここだけは四年経っても、あの人たちが居なくなっても、一回もフリークが出ない。それだけで、あの人たちのすごさが判る。この細い小さな道だけだけど・・・・・・・」

 懐かしむというより、苛立ちげに、忌々しそうに、それはその綺麗な唇から漏れた。

「何で人は、そんな簡単なことにさえ気づけないんでしょう・・・・・目の前の、ほかの人の力だけに目を取られ、その嫉妬しか映らない。何で人は、こんなに愚かなんでしょう・・・・・・!」

 その独白を聞いていた少女は、目の端に悔し涙を溜める小さな背中の彼女に、やわらかい笑みを浮かべる。

「あなたのように、そんな考えを持てる人が居る限り、私は人が愚かとは思いません。それは多分、アークも同じでしょう。あなたのそんな所に、彼も惹かれたんでしょうね」

 馬車は進み、廃墟と化した村の中へと入って行く・・・・

 

 

W

 「我が王よ、少し御話が・・・・」

 玉座の前に膝をつく白髪に白髭の初老の男は、その身なりに相応しく、厳かな声色で語る。

「・・・・・・・なんだ?」

 玉座に座るピシャシャリス王国国王、コートウォル・ミット・ランガードは、しばしの沈黙の後、英雄の一人である男に答えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・殺れ」

 男が立ち上がり、腕を上から下へと振るう。次の瞬間、その後ろに控えていた数十人の兵士たちは一斉に弓を取り、矢を番えた。

「なっ・・!?」

 ヒュンヒュンと、空気を貫く音がする。その音のした数だけ、国王の身体に刺さる矢の数は増えてゆく。

「ぎっ・・・あ・・・・・!」

 十数本目の矢が、その体から生えたとき、名君と謳われた王は、まるで罪人のごとく、大地にへばり着いた。

「『何故?』と言う顔をされていますな、我が王よ。あなたが悪いのです。我々の忠告も聞かず、人狼の村を攻めようとなさらないから」

「な・・・ん・・・・・・・だと・・・・・?」

「この世に君臨するのは人間だけで十分なのです。それをあなたはあの薄汚い人狼まで人間と同じように扱う・・・・・。だから私たちも実力を行使するしかなかった・・・・・・・」

 笑うことも無く、おぞましい事を口にする男は、まるで本当の『エイユウ』のようだ。

「あなたを魔術師に洗脳させ、あの村の殲滅を命令させた。忘れていれば良い物を、あの薄汚い人狼のおかげで、あなたはその記憶を取り戻し始めた・・・・」

 王の目は見開かれた。いつも釈然としなかった記憶。自分があの村を攻め落とせといった記憶は無い。そして、その理由は今明らかになった。しかし、もう遅い・・・。

(そうか・・・、そうだったのか・・・・・。スリシア、すまん・・・・・・・・・私の責任だ、私の所為だったのだな・・・・・・すまん、スリシア・・・・・・・・・)

 本当の名君は、自らの娘に謝罪を繰り返しながら、その生涯の幕を閉じた。

 反乱とも呼べない、堂々とした暗殺。名君を失った国は、どのような迷走を始めるのか・・・・・・・

 

 

X

 「ここでいいんですか?」

 イリアが闇色の少女――ブラム――を振り返った。

「おそらく。でも、彼が生きたいと思わない限り、彼は戻っては来ませよ」

 どこか、何かを含んだような言い方をするブラム。それに訝しげな視線を送るイリア。

 二人は、あの廃墟となった村。その中でも、最も荒れ方の酷い一軒の家。屋根は無く、月明かりが差し込んでいる。部屋のいたるところには花や野草がその根を張っている。冷たい亡骸は、既に元が何か判らないほど痛んだベットの上に乗せられていた。

「うふふ・・・、御伽話のお約束ですよ」

 幼女のように邪気の無い笑いを浮かべ、ブラムは後ろから、イリアの背を押した。

「えっ?えっ?」

「王子様は、お姫様のキスで目を覚ますんですよ♪・・・エイ!」

 そう言って、イリアの後頭部を押え、勢い良くアークの唇に押し付ける。

「:S)pKgw”#ty{>vw¥tgp:sg!!!」

 声にならない叫びをあげて、イリアは冷たい美貌に口付けた(させられた?)。

 

 

 アークは、何も無い、見渡す限り赤い荒野の続く場所に立っていた。

 星とも言えない。唯の荒野。もしそのまま進めばすぐに世界の終わりがあるのでは無いかと思わせるような、虚無感の世界。

「・・・・・・また、ここか・・・・・・」

 自分が死んだ時、必ずここに来る。もしこれが、死後の世界だとした・・・・・いや、そんははずは無い。

 アークは、小さく唇を苦笑の形に歪めた。

 これが死後の世界のはずが無い。いや、死後の世界と言えばそうだろうが、普通の人間の来る場所では無い。

(俺には、死ぬことすら許されて無いんだから・・・・)

 世界の全てを敵に回しても生き残れるような力―――――それを手に入れてた代償・・・・・

 もう、二度と戻る必要は無い。なら、終わりがあるかどうか、試してみようか・・・・・・

『・・・・・・ソレハ困ルナ』

 誰も居ないはずの紅い荒野に低く、しゃがれた声が響く。

『貴様ニ死ナレテハ、身体ヲ渡シタ我ノ存在マデモガ消エテシマウ』

「ふざけるなよ・・・・・要りもしない最強の力なんて寄越しやがって。大体、貴様の目的は何だ・・・・・」

 アークは、その美貌を怒りに歪め、後ろを振り返った。

 何も無い。唯、果て無き大地が地平線の彼方まで続いている。在るとすれば、一本の影だけ――――影?

『人ノ心ニ巣食ウ絶望ノ虫・・・・・・・貴様ノ虫ハ何ヨリ美味。己ノ力ニ絶望シ、己ノ弱サヲ呪ッタ心、ソレデモ捨テ切レヌ想イ人ヘノ執着・・・・・・・貴様ホド居心地ノ良イ隅カハ初メテダ』

 影が口を開き、瞳を光らせ、影を形作る主と視線を合わせる。

 人のようで人ではないそのシルエットは、牙の並んだ口を開くと、小刻みに笑う。

「・・・・・・・・・何が可笑しい・・・・!」

『クックックックックックッ・・・・・・・アーク・ストライブ、我ガ身体ノ所有者ヨ・・・・・・・・・・・・・・・・・今宵マタ再ビ、貴様ノ絶望ノ虫ガ、一際大キク成長スル』

「何・・・・だと・・・?」

『モハヤ手遅レ・・・・・・今一度、我ノ力ヲ欲スル事ヲ予言シテオコウ・・・・・・・・・・・・・弱キ心ノ宿主ヨ・・・・・・貴様ノ【闇】、期待シテ待ッテイルゾ・・・・・・・』

 ゆらりと瞬間揺らめくと、影は何も無い、唯の光の従者に戻った。

―貴様ノ最モ大事ナ物ガ、コノ世カラ消エウセルゾ・・・・・・・クックックックックッ・・・・・・・―――――――

 

 

『?何故あなたがここに・・・・・・・・・・』

『!・・・・・・イリアさん、逃げて!!』

『ブラム公?何を・・・・・・・・・・・』

『彼らはあなたの知っている・・・・・・・・キャアァァァァ!!』

『ブラム公!!お前たち、何をやってい――――うあぁぁぁぁ!!』

 

 

 最後の響きと共に、アークの顔色が変わる。怒りは消えうせ、真の恐怖が、その美貌を染め上げる。

「・・・・・イリア!!?」

 次の瞬間には、アークもまた、その紅い世界から消えていた。

 ヒュウ・・・っと、一陣の風が、微量の砂を巻き上げる。

 

 

Y

 紅かった・・・

 視界に入るものすべてが・・・

 炎の色・・・

 朝焼けの色・・・

 血の色・・・

 肉の色・・・

 生き物の燃える臭いと音・・・

 

 

 四年前と同じ場所。

 大地に足を着けている生者は一人だけ――いや、『一人』などと、人間じみた呼び方では失礼だろう。

 空色のマントから覗くのは、黒い戦闘服と・・・・・この世の全ての聖物を掻き集めたかのごとき純白。

 見開かれた鋭く、鋭利な瞳は、全ての炎、全ての血、この世のあらゆる命を溶かし込んだ物より紅い。

 右腕に握られた、切っ先が霞んで見えないほどの長刀は、大地を抉り、雲を引き裂いた。

 荒れ狂う地獄の爆炎になびく煉獄の黒髪は、幾千幾万の毒蟲さえも喰らい尽す。

 そして、額から伸びる二本の角は、闇と月と遥か彼方の星々さえも貫き通す。

 炎色の大地に降り立った、汚れを知らぬ破壊神。

 闇に棲む物たちの王は、怒りも、悲しみも、絶望も、狂気さえも捨てた、激しい感情の雄叫びを上げた。

 

 

 最初見た時、俺は自分が壊れないのが憎かった。

 寝かされていたのは、ほんの少しだが面影のある景色だ。炎に包まれた、俺の生家。

 上半身を起こそうとした俺は、俺の胸に乗っていた“何か”を起きる過程で床に落とした。ドサッと言う音に吊られ、俺はその“何か”に目をやった。

「・・・・・・・・・・・あ・・・ああ・・・・・・・・・・・・・・」

 それはイリアだった。

 ただし、下半身が、何かに喰い千切られたように無くなっていた。

 口と目からは血が流れ、悔しさと悲しみの表情を、血涙で飾っている。

 ベットから転げ落ちるように床に降り、軽くなったイリアを抱きしめる。

 あの暖かかった頬は冷たく・・・

 ほのかに桃色だった顔は、もはや蒼白ですら表現するのには濃すぎる色になっている・・・

「イリア・・・・イリアァ・・・・・!」

 抱き上げると同時に、残った上半身から、内蔵がボロボロと落ち、彼のマントを汚す・・・

 艶やかな銀髪に手を通すと、それだけは生前のまま滑らかだった・・・

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺か・・・俺が戻ってきたから・・・・・・・・・・・お前を惑わしたから・・・・・・・・・・・・・・お前を苦しませたから・・・・・・・・・・なぁ、そうなのか・・・・・・・・?どうなんだよ・・・・・・・、答えてくれよ・・・・・・・・・答えろよ!!イリアァァァァァァァァァァァァ!!!!!!

 死者が答えるはずも無く、涙と、自ら噛み切った唇から流れ出す血液が、絶叫との協奏曲に花を添えていた。

「・・・・・アー・・・ク・・・・・・」

 その声は、イリアの物ではない。だが、慣れ親しんだ、聞き覚えのある声。

「マスター!!」

「・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・私が就いていながら、イリアさんを・・・・・・・・・・」

 「死なせてしまった」そうは続けない己の主人に、アークは駆け寄った。

 イリアの屍を傍らにそっと置き、彼女の右腕を、太い柱に打ち付けていた短剣を引き抜く。

「ッ・・・・!!」

「銀製・・・・・!それじゃあ・・・・・・」

 引き抜いた短剣を見つめ、奥歯をかみ締める。

「ええ・・・・・。彼らは、私が・・・ヴァンパイアだという事・・・・・・を・・知っていました・・・・・グッ・・・・・・!!」

「マスター・・・、もう喋らないでください」

 イリアまでとはいかなくとも、ブラム公の傷もひどい物だった。体中には、銀製の刃物で切られたであろう、焼け爛れた傷が刻まれ、祝福儀礼の施された鎖によって、両手両足を拘束されている。

「速くここから出ましょう」

 腰から伸びた青色の剣線によって鎖は断ち切られ、開放されたブラム公の肩に手を回し、その身体を支える。

「待って・・・・・・・イリアさんを・・・・・先に・・・・・・ッ・・・・・・・」

 アークは、一瞬だけ床に横たわるイリアに目をやり、黙ってそれを抱えた。

「俺は!もう絶対にこいつを残さない!!一人にはさせない!!だけど、命ある者と失った者の重さの違いぐらい、判っているつもりだ!!」

 叫びと共に、半ば灰となっている壁に体当たりをするような格好で、自分の生家から飛び出した。

 

 

Z

 「マスター!大丈夫ですか!?傷は・・・・・」

「大丈夫・・・・・・それより、ちゃんとイリアさんを捕まえていますか・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・はい!」

 転がるように飛び出した彼らは、今だ炎の中に居た。村全体に広がった炎は、手の先が霞むほどの熱量を誇っている。アークは、もう一度自分の腕の中にある大切な者たちを抱え直すと、その華奢な身体を、炎の中に躍らせた。

 村から抜けるまで、それ程の距離は無い。普通に走っても、十秒と掛からないだろう。ましてや人狼が――それ以上の存在が、炎があるといってもそこまで掛かるまい。

 しかし、数秒間だけのはずが、それは何時間にも感じる。そして、炎から抜け出したその身体に、横から鋭く巨大な衝撃が走る。

「ぐっ・・・!!」

 その衝撃で、アークは二人から手を離してしまった。放物線を描きながら、アークより少し離れた場所に落ちるブラム公とイリア。

「・・・・火炎類の・・・・攻性魔法・・・・・!」

 右腕を押え、それの来た方向へ身体を向ける。

「・・・・・・・・やはり野蛮だな、人狼は・・・・」

 少なく見積もって、二十人以上の人影。その中の、先頭に立つ初老の人物を、アークは見つけた。

「貴様が何でここに・・・・・・・・・・・・・!・・・・・・・・・・・・・・貴様が殺したのか・・・・・実の娘を!!!」

「子が親の役に立つのは至極当然のこと。子の命など、親の物にほかなるまい」

 蔑む訳でもなく、見下す訳でもない。「唯、当然の事を言っているまで」。そう言い切っている。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「ましてや人狼に心奪われた娘など、もはや娘とも思えん。ただの道具だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・

「だが、道具としては良いできだった。あれのおかげで、今のお前は心身共にボロボロ。我々でも楽に殲滅できる」

「・・・・・・・・・・・・・・・まれ

「人狼が人間のような感情を持つなど、身の程知らずが。所詮は人間の紛い物。出来損ないの集団だというのに」

「・・・・・・・・・・・・・・・だまれ

「だが、貴様が豚のようにおとなしく殺されるというなら、あの娘には立派な墓標を立ててやろう。そうだ、後世にまで残るように「騎士道を極め、汚らわしい亜人の種族を、命を賭けて倒した騎士の鏡」とでも彫ろうか?」

黙れ!!実の娘を殺して、死者まで利用するだと?貴様はそれでも人間かぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

「貴様が人間を口にするな!!もお良い、あの道具ごと獣の餌になるがいい!!ヤレッ!!!」

 武装した騎士と魔導士が、号令と共に一斉に飛び掛る。

 深く息を吐きながら、アークは敵の一閃、一撃を確実に避ける。そのまま移動方向を変え、炎を背負う。普通ならば、自ら罠に入り込んだようなものだが・・・・・・

「魔導士部隊横一列に整列!一斉に攻撃に入る!」

 全員が、魔方陣を展開したのを確認すると、アークは、イリアへと視線を向けた。マスターの姿は無い。あの方のことだ、きっとどこかに隠れているのだろう。イリアは、うつ伏せで倒れ、アークに、顔は向けられていない。

 ちょうど良い。

 あいつに、見られず済む。

放てえええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

『言ッタデアロウ、貴様ハマタ我ノ力ヲ欲スルト』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鬼神再起」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!

 

 

[
 
 「なっ・・・・・・に・・・・・・・・・・・」

 その場は騒然となった。城砦の、最も太い柱をも跡形も無く吹き飛ばせるだけの威力を持った連携魔法が、突如現れた幾千幾万という、それだけの鎖によって止められてしまったのだ。

 突如現れた鎖は、攻撃目標だったアークを完全に覆い尽くし、その姿は欠片も見えない。鎖自体はピンと張っているにも拘らず、その鎖は宙に浮き、虚空から伸びている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「壊束縛」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピシッ・・・・・

 鎖の繭の中から聞こえたのは、確かに彼の声だった。そして、その鎖自体が、内側から発せられる力に耐えかねたように、軋みを上げている。

「何が起こっているんだ・・・・・」

 その場にいいた全員の疑問だった。しかし、その疑問はすぐに氷解することとなる。

 自らの命と引き換えに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暁鬼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最も最初に死を迎えたのは、あの魔導士部隊だった。

 鎖を引きちぎり、雷鳴のように現れた白い何かが、全員の首を持っていった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 十人以上の人間を一瞬にしてくびり殺した右の爪を軽く振るい、血を弾く。

 そいつは、あの嗄れ声で言った。

「・・・・・・・オヤジ、オフクロ、ネェサン、村ノ皆、ソシテ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イリア。俺ノ大事ナ人タチヲ、貴様ハ奪ッタ・・・・・・・・・・・・・簡単ニ死ネルト思ウナヨ」

 たった一人、人間の盾の一番後ろで震える『英雄』に向かって、暁鬼はその真紅の瞳を向けた。

 

 

 「いえぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 奇声を上げて飛び掛ってくる重装備の騎士の頭を突き刺し、そのまま大地を蹴る。勢いを乗せた突きで、更に後ろの騎士を貫く。

 後ろから迫る剣を噛み砕き、その流れで相手の喉元に喰らいつく。骨の砕ける嫌な音と血の味が口の中に広がる。

「この化け物ぉぉぉぉぉぉ!!」

 眼前に迫る灼熱の火球を腕の一振りで弾き飛ばし、逆の腕の一閃で、魔導士の身体を斜めに切り下ろす。

 恐怖に背を向けた一人に飛び掛り、後ろから心臓を抉り出す。

「ギ・・ハアアアァァァァァァァァ・・・・・・・・・・・・」

 最低の気分だ。

 弾け、噴き出る血しぶきは、空色のマントを紅に染めるだけに留まり、暁鬼の染まり易いはずの純白を染めることは叶わない。

 立場は完全に逆転し、狩る側は狩られる側へと移り変わっている。

「わああぁぁぁぁぁ!!」

 絶叫と共に剣を振り上げる人間の顔を握りつぶした。

(ウルサイ、有象無象ガ・・・)

 狂った心のどこかで、投げやりな声が聞こえた。まるで、身体の中に何人も俺が居るみたいだ。

 如何ともし難い実力の差。弱者からすれば悪夢以外の何物でもないだろうが、強者からすれば無駄以外の言葉は当てはまらない。

「貴様は・・・・・!貴様は一体何なんだ!!」

 最後尾まで逃げ、部下を盾に使っている『英雄』が叫んでる。

「何ダッテ?・・・・・・・・・・・・・神様サ、貴様ラカラ見レバ魔神ヤ邪神ミタイナモノダロウガナ」

 そろそろ飽きてきた。そう思った俺は、軽く腕を横一線に振る。

ズシャアァァァアァァァァァァァァ!!

 弱い。たったこれだけの事で皆殺しにできるなんてな。

 もちろん、あいつは残してある。もう少し、恐怖の醜い顔を見るのも面白そうだ。

「なっ・・・なぁ・・・・なぁぁぁぁぁ・・・・・・・」

 ククク・・・・・・・酷い顔だ。

「!来るな・・・!来るなぁぁぁぁ!!」

「ドウシタ?薄汚イ亜人風情、『英雄』様ノ御力デドウニカシテミロヨ」

 無意味に長剣を振り回す『英雄』に近づく。足元でピチャピチャと音を立てる元人間が心地良い。

「う・・うおおおぉぉぉぉォォォォォォ!!!」

 恐慌状態で飛び掛る『英雄』の腕を掴み、軽々と持ち上げる。そのまま大地に叩きつけ、吐き出し、酸素の無くなったに肺に足を振り下ろす。

「ゲェ!」

 嫌いな獣に似た喘ぎを上げ、唇の端からよだれを垂れ流す。

 醜い。

 あまりにも醜い心と肉体。

 それが彼の中の狂気を打ち消し、怒りを呼び覚ます。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな俺に・・・・」

「・・・・・・・・・・!?」

「人でもない、自分を悩ませる原因に・・・・・・・・・・・あいつは抱かれた・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・っぎぃ・・・・・!?」

 己の左腕を肩からへし折り、引き千切る。

「あいつを捨てた俺を・・・・・・・・・・無条件で信じると・・・・・・・・・」

 紅い血の滴る左腕は、徐々にその面影を無くしてゆく。

「生き物でも、この世の物でもなくなった俺にアークのままで居てくれと・・・・・・・・・・・・・・・・ギョウキになんか戻らないでと・・・・・・・」

「・・・・・・い・・がっ・・・・・・・・・・何を・・・・・・・!」

「馬鹿みたいだろ・・・・・・」

 指だった物は柄へ、腕だった物は刀身へ・・・・

「俺がその気持に答えられないと、判り切っていたはずなのに・・・・・・・・・・」

 一振りの天をも突くような長刀。

「ヤッヤメ・・・・・・・・・・・・・・!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな俺を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・愛していると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り降ろされた『左刃』は雲を切り裂き、天を割り、辺りを囲む炎をも巻き込み、大地と共に『英雄』の頭を切り刻んだ。

 


       じゅしん
終幕 − 呪心

 「アークお兄ちゃん・・・・・・・・・・・・・・」

 経った一夜で、あまりに多くのことがあった。アークお兄ちゃんの死。父様の暗殺。イリアの死。

 私の目の前で死んだはずのアークお兄ちゃんが、私の枕元に立っていた時は嬉しかった。

 でも、その胸に抱かれている、下半身の無いイリアを見た時、私はどうしようもなくなった。お兄ちゃんが生きていた事を喜べばいいのか、イリアが死んでしまった事を悲しめばいいのか・・・・・・・・・・・・・・・私にできたのは、何もできずに唯驚くだけだった。

「俺の村に簡単だが小さな墓地がある。そこに埋めてやってくれ」

 泣き疲れて眠ってしまったため、真っ赤になった私の顔を見ながら、今まで見たことも無い冷たい表情で言った。

「でも・・・・えっ・・・?あっ・・・・・・・だって・・・・・・・・・・・・・・お兄ちゃんは?」

「来年、イリアの命日には帰ってくる。それまではお別れだ」

「・・・・・・・・・・・・・また、どこかに行っちゃうの・・・・・・・・」

「ああ」

「でも、帰ってきてくれるんだよね?」

「ああ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃあ待ってる」

 案外簡単に了承した私に驚いたのか、目を丸くするお兄ちゃんに、私は笑いかけた。

「今度は、前みたいにいきなりいなくなるんじゃないし、帰って来る日も判ってる。なら、怖いことなんて無いよ・・・・・・・」

 そう言った私を見て、お兄ちゃんは苦しそうな表情で、

「スリシア・・・・・・お前は強いな・・・・・・」

 って・・・。

 その後、お兄ちゃんが私の目を片手で塞ぐと、またすぐ眠気が襲ってきて・・・・・・・・・

「約束だよ・・・・・お兄ちゃん」

 真新しい木の十字架の前で、その国の王女・・・・・・・・・いや、若き女王は、小さく呟いた。

 

 

 

数日後・・・

 ピシャシャリスから遠く離れた雪国、一人のシスターが待ちの中を必死の形相で走っていた。

「はぁはぁはぁはぁ・・・・!!」

 大きな街道は霧に覆われ、一M先もはっきりとは見えない。だが、そんな中でもはっきりと判る、背後に迫る死の恐怖。

「誰か・・・!誰か助けて!!」

 そう叫んでも、助けが来ないことは判っている。もし自分が逆の立場でも、神に仕える身だとしても、決して助けはしない。

 可愛そうだとは思う。しかし、何より自分の命が惜しい。

「誰か、誰かぁぁぁぁぁ!!!」

 その儚い叫びは、同じ口から漏れた悲鳴に掻き消される。

 背中に迫った巨大な何かが、その腕を振るったのだ。

「きゃっ!!」

 吹き飛ばされるように無様に転がり、レンガ造りの道路にひれ伏す。

「・・・・助けて・・・・・お願い・・・・・・・・・・・・だれかぁ・・・・・・・・!」

 その小さな声に、現実は気まぐれを起こした。

ヒュッ・・・

 空気を切り裂くような音が鋭く広がり、硬い何かに突き刺さる音が耳を突く。

 ゆっくりと晴れる霧の中、少女を襲った存在が、白昼の元にさらされる。

 全身を、白い毛で覆った巨大な蟷螂。その振り上げた右鎌の付け根に、掌大の鉄の板が刺さっていた。

「・・・・・・・・・・・・アアァァ!!」

 首だけで後ろを振り返っていたシスターが前を見据えると、青空を凝縮したようなマントとフードに身を固めた、美しい人影が駆け寄ってくるところだった。

 その人影は、腰からおかしな形の剣を引き抜くと、人間では到底真似できないような跳躍。巨大な蟷螂を、脳天から股先まで一直線に切り裂いた。

 二枚に下ろされた蟷螂が左右それぞれ大地に落ちると、救世主となった人影はシスターに手を伸ばした。

「大丈夫か?」

「えっ・・・・・あっ・・・ええ!!ありがとうございます」

 呆気に取られて数瞬。差し出された手を素直に取ると、ゆっくりと立ち上がった。

「いや。・・・・・・・・・・・・・・・・・・それより、一つ聞きたいことがあるんだが」

「はい、何でしょう?」

 端正な口元に目を奪われつつ、その話を聞く。

「『ジュエル』と言う男を知らないか?」

「・・・・・・・・・ジュエル・・・?いえ、すいませんが・・・・・・・・」

 酷く申し訳なさそうに頭を下げるシスターに、人影は軽く笑い、「あたりまえか」と呟く。

「仇なんだ。両親と、姉と、村の皆。そして、恋人の・・・・・・・・」

 風によって剥がされたフードの中から、この世の物とは思えない、天使のような、淫魔のような美貌が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運命はいつも残酷で、現実は時として優しくて・・・

 唯運命は、人の手によって変えられる。

 現実は、それと思ったときにはもう遅い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

End Or Continue?


 

 


あとがきに変えて

 どうだったでしょうか、戦鬼物語。 一応つながりのある話を目標に書いているんで、もしかしたら続きがあるかもしれません。(短編かもしれないけど)
 とまぁ、こんな事ばかり話していてもしょうがないので、ちょっとした裏話を。
 戦鬼物語は、本来ハッピーエンドで終わるはずだったんです。本当だったらジュエルを倒してイリアとくっつく。そんな話のはずだったのですが・・・・・・どこでどう間違ったやら。(笑)
 また、最初の構想では、イリアの父親ではなく、大臣を登場させ、そいつがジュエルと言う設定を考えていたのですが、思いつくままに書く書き方が災いし、色々な話が混じり、このようなエンドを迎えました。
 俺はハッピーエンド主義者です。ですから、このままで終わらせるつもりはありません。ですが、それまで道のりは険しく、ひょっとしたらアークにはあと何回か死んでもらうかもしれません。(オイッ!)
 イリアの死に文句がある方、主人公がかわいそうだと思われる方、ヒデーぞ作者!!などと思われる方。はっ、現実はこんなもんだ!!(鬼、悪魔)
 ちなみに、大体の話のすすめ方、キャラ、設定などは、ヴァンパイアハンターD、天地創造、FFZ、悪魔狩りなどを参考にしています。
 






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