「始めまして、アスカ・・・惣流アスカです」 教壇に立った女の子はにっこり笑って名前をクラスに告げた。男子生徒の興奮と歓声が教室に広がる。 健介の情報にもひっかからなかった転校生がそう自己紹介した時、僕は安息の日々が終わったことを知った。 「さーて席はと・・・よし、神ちゃんのとなりね!惣流さん、一番右の三番目のお隣ねん」 よりよって!! 僕はうつむいていた顔を上げて美里先生を見た。先生はニコニコと笑いながら僕をみていた。先生は何もしらないんだ・・・僕はまた机を見つめた。 その後彼女は黙って僕の隣に座り、周りにいる生徒達の質問ににこやかに答えていた。 「惣流さん、何でこの街に来たの?」 「家の都合で引っ越すことになったの」 「惣流さんて綺麗・・・ハーフなの?」 「うーん、正確にはクォーターなのよね」 惣流さん、惣流さん。彼女はそう呼ばれる度に楽しそうに言葉を返す。 そう。アスカは僕を見ない。話し掛けようとすらしない。 ひょっとして僕を忘れているのか?偶然なのか? そんなはかない希望にすがってみる。 「そ、惣流さんは、こ、恋人がいるんですか?」 その質問がされた時、よどみなく続いていた会話が止まった。 中学生ながらも、まるでモデルのような体にテレビのアイドルよりも美しい美貌の転校生に、誰がいつこの質問をぶつけるかみんな様子をうかがっていた。 そしてそれを口にしたのは、このクラスでも女生徒の人気が高い男。 彼女はゆっくりとその形のよい唇を開く。 「・・・恋人はいないわ」 「そ、そうですか!!」 そんな言葉が彼女の答えだった。 それまでの会話からしたらとてもそっけない返答。 しかし、質問をした生徒や周りに立つ生徒、はては興味なさげにこちらを見やる生徒達から、ひょっとしたらと、文字通り夢のような期待が沸きあがる。 そして、答えに気を良くした男子生徒はここぞとばかり自分を売り込もうとした。 「よかっ」 「・・・でもずっとずっと好きな人がいるの」 続けられた言葉に男は固まる。 「その人以外の男には興味はないし、付き合う気もないわ」 それまで固唾をのんでやりとりを聞いていた生徒達は、興味をつのらせて更なる質問をする。 その横で。 僕は、ただただ震えていた。 追いかけてきたヒトに。 |
ヒト 01 SINZI:01 作:HIRO |
5年前、僕と父さんは長年住みなれた家を出た。 「神事、行くぞ」 「うん」 時刻は午前3時。 まともな生活をする人間なら、こんな時間に家を出ない。きっと父さんは全てを予測していたんだろう。 「眠いか神事?」 ごしごしと目をこする僕に問う父さん。顎鬚に覆われた顔に夜でもはずさない赤いサングラス。 でも僕にはとてもやさしい父だった。 「ううん、大丈夫」 僕は慌てて手を下ろした。そんな僕に、かがんで背をむけた。 「背中に乗れ」 「で、でも、お父さんそんなにいっぱい荷物をもってるのに」 「乗るなら早くしろ」 「・・・うん、ありがとう」 「問題ない」 父さんの口癖に安心した僕は、その広い背中におぶさった。それを確かめると父さんはゆっくりと歩き出した。 「すまんな神事」 昼間とは違う冷たい空気と、一日でおそらく一番静かな雰囲気のなか。父さんはいきなり僕に詫びた。 「え?」 「私の仕事が失敗したばかりに、お前まで苦労をかける」 「ううん、僕はお父さんといっしょにいられればいい」 「そうか・・・」 しばらく無言のときが流れた。 「唯が生きていたら・・・」 不意に父さんが呟いた。 「私は駄目な人間だな・・・」 「そんなことないよ!お父さんは世界一だよ!」 「神事」 「僕しってるもん!冬月先生がいってた。お父さんは騙されたって!!」 「・・・・・・」 「僕はお父さんが駄目じゃないってしってるもん」 「すまなかったな、神事・・・」 お父さんは荷物を置くと、僕の頭をなでてくれた。そしてまた歩き出そうとした時。 「申し訳ありませんが同行願えませんか?」 「「!」」 「私どもの主人がお呼びですので・・・碇様」 気が付くと、僕達の周りには黒い服の男達に囲まれていた。 「くっ・・・」 「ではこちらへ・・・」 「待ってくれ、息子には関係のない話だ。知り合いの家に預けたら、必ず出向こう」 「申し訳ありませんが、時間も時間ですのでお二人でどうぞとのことです」 父さんはしばらく周囲をうかがっていたが、うめくように呟いた。 「わかった・・・」 あの後僕達は立派な車に案内され、朝になるころに立派なお屋敷に着いた。 そして通された応接間で、初めて惣流キョウコさんと・・・アスカに会った。子供の目にもキョウコさんは見たこともないほど綺麗に見えた。その横でサルの人形を抱きしめ、無表情に僕を見る小さな少女も。 ただ、にこやかに笑って僕を見るキョウコさんの眼と、僕を無表情で見つめるアスカの瞳に僕は震えていた。 あのころには解らなかったが、今はなんとなく解る。笑顔を浮かべていてる女性のあの目は・・・きっと燃えさかるような憎悪であふれていたから。母に良く似た僕への。 だけど無表情でありながらも狂おしい瞳で僕を見る少女の目。 あれは。 「惣流会長」 「お久しぶりね、原道さん。唯の葬式からだから・・・4年ぶりかしら?」 「・・・ああ、それぐらいか」 「それに神事君に会うのも久しぶりだわ」 「・・・・・・」 キョウコさんが僕を見つめているのをなんとなく感じていたが、僕は出された飲み物にも手をつけないでじっと座ってうつむいていた。父の服の裾をつかみ、早くこの場を出て行けることをずっと神様にお祈りしていた。 ふと目を前に向けると、ぬいぐるみの猿をなでながら僕をじっと少女が見つめている。僕はあわてて下を向く。 「昔話をするために呼んだわけではあるまい。用件を早く言ってくれ」 「ふふ・・・相変わらずせっかちね。時間ならあるはずよ、もう貴方の会社はないのだから」 「・・・神事が疲れているんでな、早く落ち着いた場所で休ませたい」 「あら、遠慮なんて無用よ、すぐに寝室を用意させるわ?」 「結構だ。それより用件を済ませよう」 「そう」 父さんの頑なな拒絶にキョウコさんも笑みを浮かべるのやめた。その瞬間、居間の雰囲気が変わる。 「では貴方の碇グループが今回出した総負債1500億。その負債はすべて私が買い取らせてもらったわ。貴方が唯と作った碇グループは、今や私のもの」 「・・・・・・」 「そして貴方にまわった負債は120億・・・どうにか払い終えたみたいね、私の計算では20億ほど足りないと思ったけど」 「・・・足りない分は冬月先生からお借りしたからな」 「ええ聞いたわ、ふん、あの先生は昔から唯に甘かったからね!」 「なら私が君には何の負債もないことが解っているはずだが?」 「そうね・・・だけど貴方も解っているのでしょう?だからこそ私の前から姿を消そうとしたのではなくて?」 「・・・・・・」 「そう、貴方は私には負債はないわ。けど、碇グループで働いていた約2000人もの社員・・・私は別に必要ないのだけど」 「・・・・・・」 「どう?貴方が私の頼みを聞いてくれるなら彼らにはこのまま働いてもらってもいいわ。なんなら社長に貴方を据えてもいいのよ?」 「・・・そんなに私が憎いのか?」 「憎い?」 いきなりキョウコさんは笑い出した。本当におかしそうに。 「憎い、憎いかですって!?そうよ、私の気持ちを知っていながら貴方と幸せになった唯が憎くて憎くてたまらない!そして・・・今でも貴方を愛しているわ!!」 それまでおだやかに話していたキョウコさんが突然立ち上がって父さんを睨み付ける。隣に座る少女はそんな母親の激昂も気にせずおとなしく座ってる。 そしてその目は僕から片時も離れない。僕は怖くて震えているだけだった。 父さん達の雰囲気が変わっても。 「ええそうよ・・・貴方を愛しているのよ原道さん」 「私は今でも唯を愛してる」 「わかってるわ、でも貴方はこれを断れないわ・・・昔、私を助けてくれたように・・・」 「キョウコ君・・・」 「久しぶりねその呼び方も・・・肉親との繋がりもなく、周りは私に取り入ろうとする連中ばかりだったあの頃、私の身を本気で心配してくれたのは唯と父の秘書をしていた貴方だけだった」 「仕事だったからな」 「貴方はいつもそう言ってたわね、私も最初はそう思っていた。父に群がる蟻の一人だと」 キョウコさんは懐かしげに、そして優しく語りだす。 「でも貴方は父に裏表なく仕えながら、私にも常に気を使ってくれた」 「私は惣流会頭に拾われた身だ。その家族にも当然敬意をはらったまでだ」 そうね、貴方はそうだったかもしれない。だけどそれがどんなに嬉しかったのか貴方は判らなかったでしょうね?そう言って微笑んだ。 僕は恐怖を忘れ、それに見入った。 その笑みに母を重ねたから。 母も・・・僕に笑いかける時、決まってそんな笑みを浮かべていた。 その微笑みは幸せそうで・・・悲しそうで。 父さんは何も言わず、キョウコさんを見ていた。 「小さな頃から私を気遣い、熱を出した時も一人の誕生日も貴方はいつも一緒にいてくれた。寂しくて泣いていた時はなでてくれた。私は・・・貴方がいてくれたから人を愛することができた」 「だが私は・・・妹のようにしか君を愛せなかった」 「知っていたわよ。そして父が事故で死んで私が全てを継いだ時・・・貴方も消えた」 キョウコさんは目を閉じた。再び目が開いた時、その瞳は父さんを静かに見つめる。 「私のような人間が君の側にいると為にならない、そう思ったからな」 「優しいわね、貴方は変らない本当に・・・日本中、いいえ世界中に貴方を探させて、出てきたのはくだらない事実」 「・・・・・・」 「私と貴方の関係に危機感をもった役員の言葉が貴方を惑わせた。その役員はどうしたと思う?貴方を追い出したら露骨に息子を紹介してきたわ。そんなくだらない人間しかいなかったのよ!!」 「私は」 「そして唯は冬月先生の紹介で国連の研究所で働いていた貴方と再会した。私が貴方を必死で捜していることを知っていながらずっと黙っていた」 そこまで言うと、顔をうつむかせる。信じていたのにという言葉が小さく聞こえた。 「私が頼んだんだ。もう君の前に現れるつもりはなかったからな」 父さんは言葉を続けた。唯もずっと苦しんでいた。悩んでいた。私と暮らすようになってもと。 そんな父さんの言葉に小さく答えがあった。 でも唯には居てくれる人がいた。私は一人だったわ。ずっと。だから。 俯いていた顔をあげる。その瞳は、父さんだけを写し込んでいた。 まるでその目の中に閉じ込めるかのように。 「・・・私はもう迷わない。たとえ貴方が私を恨んでも、憎んでも・・・もう貴方を離すつもりはないわ。貴方が私を愛してくれなくてもいいの、只側に居てくれるだけで、それだけでいい。もう、あの時のようにすべてを呪いながら泣き暮らすより・・・いい」 そう言うと、キョウコさんは父さんにそっとよりそった。 「・・・神事には関係のない話だ、この子には手をださないと約束してくれ」 「いいわよ、もとからその子には何の興味もないわ。私は一切手を」 「ママ」 それまでずっと黙っていた娘は母の言葉をさえぎった。 「なにかしらアスカちゃん?」 不愉快そうに少女を見やる女性。 「その子アタシにちょうだい」 「あら、お人形のくせに人が欲しいの?」 不思議そうな母の言葉に娘は体を一瞬震えさせる。 そう。 キョウコさんはアスカを人として見ていなかった。ひとのカタチをした人形、ヒトをみている。 幼い僕にはそう感じた。 「自分の子供に何を言っている!?」 「この子は私の事業を受け継ぐ為だけに産んだ子よ。精子バンクから適当に選んでね。ただの道具で、私のかわいい娘」 いきりたつ父さんに、穏やかといっていいほどの声で返答するキョウコさん。うつろな表情の娘をなでながら、その顔にどこか作り物めいた笑みを浮かべて。 「それでアスカちゃん、神事君がほしいんだったわね?でも残念ね、その子は私のモノじゃないの。欲しかったら自分で手にいれなさい・・・ね、神事君?」 僕は自分の名前をよばれてもただ父さんにしがみつくばかりだった。 「神事には手を出さないと誓ったはずだぞ!」 「あら心外ね、私が貴方との約束を破るわけないでしょ。まあ最近がんばってたし、それにこれは貴方達の為でもあるのよ。・・・神事君、一度しか言わないわ?」 強い言葉に震えながらもキョウコさんを見上げる僕。 「貴方はお父さんと一緒にいたい?それとも別れて暮らす?」 「何を!?」 「言った筈よ、私はこの子に興味はないわ。むしろ唯の血をひくこの子を憎んでいるといってもいいくらいよ」 「・・・唯は君の親友じゃなかったのか?」 「親友、だったわ。世の中の裏側ばかりを見てきた私の人生で初めての・・・最後の親友」 父さんには背中しか見えないキョウコさんの表情は伺えなかったと思うけど。あの一瞬、僕を見下ろす眼には憎悪以外のものが宿っていたと思う。 そして、絶えず注がれるモノ。 少女の、最初に会った時からそそがれるアスカの瞳は。 そこにこめられた意味を、僕は未だに答えをみつけていない。 今でも思うことがある。 あの時否定的な答えを出していたら、きっと僕の人生は今とはまったく違う道を歩んでいただろうと。きっとそれは、穏やかで、人並みの平穏と幸せとともにあったにちがいないと。そして父やキョウコさんと会うことは会っても・・・アスカとは二度と会うことはなかったに違いない。 二度と深い蒼の瞳の視線を感じることもなかったに違いない。 だけど何度夢想しても現実に選んだ選択は。 「ぼ、僕・・・お、お父さんといっしょに、い、いたいです」 その言葉を言うのに幼い僕はどれだけの勇気が必要だっただろう。 その代償はすぐには訪れなかったけど。僕は確かに自らの運命を自分で選んだんだ。 生きている限り醒める事のない夢を。 夕暮れ。 健介達の誘いを断った僕は、何のあてもなく街を歩いた。散々歩き回り、太陽が赤く色付く頃、やっと自分一人住むマンションへと帰ってきた。2年間、ずっと僕が生きてきた場所。見慣れた扉を前にして、僕は予感とそして言葉にできない感情でそれを眺めた。 鍵を通さないで取っ手に手を掛ける。何の抵抗もなく開くドア。そして。 遅かったわね。 僕を迎える言葉と、変わらぬ眼差し。 ばたん。 <糸売?> |
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