「う、うわ…止めてくれよ、なぁ…」
空を蒼い光が包む夜。
高等少年院の、一室。
そこに、四つの人影があった。
その内の二人は、既に身動ぎ一つしていない。
当然だ。
頭蓋を銃弾で撃ち抜かれ、息絶えているのだから。
「なぁ…刑事さんよ…悪かったよ…助けてくれよ…!」
「私はもう刑事ではない」
銃口を向けられた少年と、銃口を向けている男。
「頼むよ…助けてよ…」
「由紀は…、貴様等に暴行されて殺された由紀は…、命乞いをしなかったのか…?」
「ひ、ひぃぃ!」
ともすれば爆発する感情を抑え込み、男は。
引き金を引いた。





  われらに、蒼き、タダシキ、夜を

                               
滑稽





『さ、坂城!大変だ!』
「…どうしました?」
大津名警察署に勤める刑事である彼がその連絡を受けたのは、夜勤が終わって自宅に帰りついた時だった。
既に朝日が昇っており、半ば意識が途絶えかけていたのだが。
『由紀さんが…由紀さんが…殺された!』
「…え?」
呆然とする坂城に、同僚は悲痛な声でまくし立てた。
『会社からの帰りに…、暴行を受けて、殺されたって…!』
意識が一気に覚醒する。
「そんな…」
『今さっき署に連絡があったんだ…。済まないが、今から署に来てくれ…』
「…判りました」
脱力した手で受話器を置く。
と。直ぐにまた電話が鳴った。
『坂城さん!』
「あ、あぁ…由紀の…」
『由紀が…由紀が…!』
「今…連絡を…受けました」
表面上は冷静な坂城の口調に、婚約者の母もある程度落ち着きを取り戻した様子だった。数度咳払いをした後、まだ震える声で気丈に告げる。
『今から警察さんの方に向かいます…。坂城さんも…』
「はい。これから向かいます…」
受話器を静かに置く。
天井を仰いで、彼は。
声を出さずに、涙を流した。


坂城が霊安室に着いた時。
由紀の両親は既にそこに居た。
「御父さん、御母さん…」
振り返る、由紀の父。涙を流しては居ないが、その瞳はこれ以上ないほど赤く充血していた。
「あぁ、坂城君…」
「…どうも」
こういう時、自分に言える事は何もないのだ、と実感する。
由紀の母はこちらを向く事もなく遺体に取り縋って泣いているし、声をかけてくれた彼女の父も、耐えているのが判りすぎるほど判る。
自分だって、気を緩めれば涙が止まらなくなってしまうだろう。
「…済まないね。娘を…君の元に嫁ることが出来なくなった…」
「…っ」
歯を食いしばる。
自分を責めようと思えば、幾らでも責められた。
…何故その時自分がそこに居てやれなかったのか。
…何故彼女の危難に気付いてやれなかったのか。
…何故殺されたのが自分ではないのか。
それはとても理不尽なのかもしれない。だが、ここに居る者は皆、同じ思いを抱いている筈だ。
「坂城さん…」
泣いているばかりだった由紀の母が、ふとこちらを向いた。
「お願いします…。犯人を…犯人を必ず…、捕まえてください…」
嗚咽混じりの懇願。
その目を真っ直ぐに見据え、坂城は頷いた。
「…はい、必ず」


「坂城。申し訳ないが今回の事件に関して君の参加は認められない」
「…はい。判っています」
「済まんな。これもルールだ」
悔しくはあった。だが、きっと犯人をこの目にしてしまったら、自分は殺意を抑えきれない。
正しき裁きを。それが由紀の両親の願いであったし、きっと由紀本人の願いなのだろうと思う。
正義を護るのが刑事としての自分の使命だ。どれほど憎くても、捜査に私怨を絡めてはならない。
「暫く…休暇を下さい」
「当然だ。彼女のご両親を慰めてやれ。犯人を捕まえるより…、それはお前にしか出来ない事だ」
「はい」
一つ深く礼をして、坂城は署を出た。
拳を、血が滲むほどに握り締めながら。


犯人逮捕の報が坂城の元に届いたのは、その十日後の事だった。


「少年?」
「ああ。まだ二十歳前の少年が三人だ。同じような事をしようとした所を現行犯で逮捕した」
「…そうですか。また犠牲者が出るところだったんですね」
やりきれなさが表情に出たのだろう。同僚は慰めるように言ってきた。
「な、坂城。今夜は飲もう!課の連中皆で、何もかも忘れるくらいパーっと、な!?」
「はい…。ありがとうございます」
坂城は知らず知らずの内に、小さく微笑んでいた。
…由紀が死んで以来、彼が初めて見せる笑顔だった。


「あー!あのクッソ餓鬼どもぉ!」
規定により、取調べにもタッチできない坂城だったが、犯人の少年達の態度については耳にしていた。
「…どんな様子ですか?」
「少年法がどーのこーの、っつってヘラヘラ笑ってやがる!手前のしでかした事がどれだけ重大な事か理解してねえ!」
少年課と懇意にしている関係で取調べに同席していた同僚は、やり場のない怒りをどこにぶつけようか迷っている様子だ。
「…坂城」
「はい?」
それを虚ろな目で眺めている坂城に、上司が声をかけてきた。
「今検察から連絡があった。…初審は十日後だそうだ」
「…はい」
「ご遺族には君から伝えてくれ」
「…判りました」
と、廊下を見慣れない服装の中年男が歩いていくのが目に留まった。
「…あれがその餓鬼どもの担当弁護士だ」
「…はぁ」
この時、課の誰も―当の本人ですら―気付いていなかったが。
坂城の中では、小さな疑問が芽生えていた。


良くも悪くも、少年犯罪というものは話題になり易い。
今回の事件もワイドショーなどで脚色されて取り上げられ、由紀の両親も彼等のしつこい追及を受ける羽目になった。
坂城も被害者の婚約者という事で何度か取材を申し込まれたが、全て断った。
(…こんな、こんな連中の為に、私は刑事をしているのか?)
ワイドショーを作った人間や、それを見て楽しむ人間。
坂城が自分の正義に、明確な疑問を抱いた瞬間である。


そして、判決当日。
「被告人、懲役3年の実刑に処す」
判決は、下った。


(…茶番だ)
坂城は思う。
結局、世論の反発を恐れてか、裁判長は極刑の判決を下さなかった。
幾ら高等、最高裁へと舞台が移っても、結果は一緒だろう。
懲役の長さが変わる、執行猶予の有無、所詮変わってもその程度だ。
(由紀の未来は少年達に狩り取られたというのに…)
虚しさが坂城の心を覆う。
(彼等の未来は法が保護するのか…!)
涙すら出ない。
法廷を出る時の、少年の一人の表情。
(…笑っていた…)
強く噛んだ口の端から、血が滲む。
(笑っていたんだ、奴は…!)
だが。
どれほど納得しようとしても。
その結果は、坂城にとって余りに無残だった。


三日後。
由紀の両親は心中して果てた。
坂城の信じていた「この国の正義」は、この時。
彼の中で完膚なきまでに破綻した。


―すべからく、欲す者に、与えん。


一週間が過ぎた。
坂城は自分の部屋に居た。
何もする気が起きない。
怒りも、憎悪も、振り切れてしまったのか、何の感情も沸かない。
ベッドに横たわり、天井を見上げ、ただ呆然と。
食事すらしなくなって暫く経つ。
あとどれだけここでこうしていれば死ねるのか。
そんな事を考えるようになった。
と。
RRRRRR…
一週間一度も鳴らなかった電話が鳴った。
(課長…かな?)
判決が出た日から署に何の連絡もせず、無断欠勤が続いている。
今日までは気を使ってくれたらしく連絡はなかったが、さすがに心配したのだろう。
(出ないと…)
最後に受話器を取ったのはいつだったか。
ふと、そんな事を思う。
のろのろと電話に近づき、受話器を取る。
「…はい、もしもし」
『君は何を望む?』
「…は?」
聞こえてきたのは少年の声。しかも、「君は何を望む?」だ。
宗教の勧誘か悪戯の類か。
どちらにしろ碌なものではない。
無言で電話を切ろうとしたのだが。
『…自分を取り巻く正義に裏切られた気分はどうだい?』
この言葉に、坂城の手は止まってしまった。
少なくとも、この少年は自分を知っている。その上で電話をかけている。
宗教の勧誘かも知れないが、悪戯ではない。
「君は…?」
『僕は蒼い夜の使者。君に君の信念を通す力と、全ての人に安息を与える為に在る』
「宗教…ですか?」
『似たようなものだね。だが、宗教と違うのは、彼らのように理想を理想で終わらせない力を持っているという事だ』
一瞬、坂城の頭にテロリストの文字が浮かんだが、それも一瞬で掻き消えた。
この少年の言葉は、頭の深奥にまで響く。
上辺だけの慰めや、無意味な同情ではない。
彼は、本気だ。
「…力」
『君の信じる正義とは何だ?世界が作り出した通念か?それとも君の心の奥底に未だ燦然と輝くその理想の事か?』
ぞくり、と。
背筋を走ったものがある。
図星だったのだ。
そう。
自分の無気力を生み出したのは。
愛する人達を失った悲しみと。
自分を裏切った「この国の正義」への幻滅と絶望。
『どうする坂城。このまま絶望と虚無の内に死を選ぶか、僕達の同胞となって自らの信念に生きるか。選べ』
「私は…」
そうだ。選ぶ。
容易く移ろう他者の作った「正義」ではなく。
自分の信じた「正義」の為に生きる事を。
それが例え、自分のエゴであったとしても。


『坂城。僕達は君を歓迎しよう。間もなく迎えが行く。彼に従ってここまで来たまえ』
「はい」
受話器を置く。
不思議と、先ほどまで感じていた虚脱感は無くなっていた。
体は少しふらつくが、空腹によるものだ。腹が膨れれば何とかなるだろう。
冷蔵庫を漁り、残っていたパンを無理矢理押し込む。
「ふう…」
息をつく。
少年は一体何者なのか。
迎えとはどんな人なのか。
疑問は尽きない。
だが、不思議と少年の発言を疑うつもりにはなれなくて。
そして。
十分後、ドアが叩かれた。


迎えはソウジと名乗る神父姿の青年だった。
「…それでは行こう」
「はい」
坂城は一度だけ部屋を振り返った。
テーブルの上の警察手帳と拳銃。
自分を取り巻いていた正義の守護者である証と、そうであった過去への決別。
ほんの少し、心が痛む。
だが、迷わない。
坂城はドアを閉めた。
もう二度と、振り返らなかった。


「初めまして坂城。僕がコウヤだ」
「初めまして」
案内されたのは、由紀を殺した少年達が収監されている少年院の前。
最初は少々面食らったが、そもそもあれだけ自分の事を判っている連中だ。ここに案内されたのも何となく納得出来た。
ソウジの格好からして、宗教関係の組織だと認識していた坂城は、コウヤと名乗る青年が普通の格好なので少々当惑していた。
「…貴方が、さっき私に電話を下さったのですか?」
「そうだが?」
「いえ、声が違うような気がして」
電話口で聞こえたのは、どう考えても十代前半の少年の声だった。青年の、声変わりした声とは明らかに別物だ。
「それならば。…これでどうかな?」
「!!」
コウヤが小さく微笑むと同時。その体が蒼い光を伴い、あっという間に小さくなった。
「…この声なら、聞き覚えはあるよね?」
頷く。それしか出来なかった。
自分の知る常識を目の前で簡単に覆されたのだ。
「一体…貴方はなんなんですか?」
ようやく言えたのは、何のひねりもない、そんな一言。
「光狩」
「ヒカリ?」
「そう。暗天に蒼く輝く、真の月の使者。人々に終わらぬ夢と、安息の時を齎す者」
「人間では…ないのですね?」
「そうだ。そして君もまた、ここで光狩へと生まれ変わる」
予感はあった。ソウジと名乗る青年の見に纏う空気と、目の前のコウヤと名乗る存在から感じる人間離れした威圧感。
伊達に刑事をやっていた訳ではない。
だが、内心で坂城は、それを当然の事として受け入れている自分に驚いていた。
「さて。それでは先ず、君にして貰いたい事がある」
「はい?」
その先は、判っていたような気がする。
何となく、ここに案内された時から、もしかしたらと思っていた事。
「…君の愛した人を殺した連中を、君の手で裁いておいで」
「え?」
それでも、問い返す。
人としての倫理、道徳、そういった物が、警鐘を鳴らしているのだ。
「しかし…」
「大丈夫」
コウヤは、自分の反応を違う風に取ったようだ。
「上を、見てご覧」
言われるままに、空を見上げる。
「蒼い…?」
蒼い光に満ちた空間。まるで違う世界に迷い込んだようだ。空には真月が照り光り、従来の月をその輝きで覆い隠している。
「凍夜。ここには我々の邪魔を出来る者は誰もいない」
「トウヤ…」
と。見上げる坂城の手に、握らされた物があった。
「コレは…銃?」
見ると、コウヤは微笑んでいた。まるで何もかもを理解しているとでも言うような、鷹揚な笑顔。
「さあ、行ってくるといい」
「しかし…良いのですか?私怨などといった動機で行動しても」
「構わないよ」
たった一言の、許可。それだけなのに。
心臓が跳ねた、そんな気がした。
免罪符を与えられた、狂信者のように。
戦争に病んだ、兵士のように。
心の中にある、制約が解かれていく。
「…はい。それでは行ってきます」
最早受諾以外の選択肢はなく。
坂城は扉を開けた。


三度目の銃声が、彼の人としての終わりを告げた。


「…これで良かったんだよな?由紀…」
答える者はない。
達成感はなかった。後悔も、また。
何も感じない。これが当然の事だったと、心が感動を否定しているのだ。
「…裁き、か」
彼は決心していた。
行きつく所まで行こう。
自分の信じた「正義」の行く先と、結末を。
それを見るまでは、止まらない。決して。
「やあ、来たね」
「…覚悟は決まったか?」
しっかりと二人の瞳を見据えて、頷く。
「うん。僕達は君を歓迎するよ、サカキ」
蒼い光が、消える。
「…われらの目的は夜の女王の降臨だ。真の夜、人々が終わらない夢の中で安らぎを得る為に…」
「君にも手伝ってもらうよ」
もう一度、強く頷く。
迷いはない。
この国が生み出した偽りの「正義」の裏で、悲しみ悶える人々の為に。
誓おう。


―われらに、蒼き、正しき、夜を。











後書き…のようなもの
初めまして、竜園にご来臨の皆様。滑稽と申します。
アリスソフトさんのHP以外では、コレが初めての投稿となります。
色々と拙い所もあるとは思いますが、暖かく見てやって下さいませ。
それにしても、最初の投稿でこんな重いお話で良かったのでしょうか…?
取り敢えずは、この作品が竜園さんのご発展に繋がる事を祈念しまして。
それでは、また。






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