空港。 強い風が髪を揺らす。 先程着陸した飛行機から出てきた一人の青年。 「ここが…新天地か」 呟くその瞳には憂いと。 揺ぎ無い決意とが満ちていた。 新天地。もしくは出会いでも可。 滑稽 新天地(と往々にして呼ばれる地)、アメリカ。 未だに発展途上の様を多く見せるこの国土の雰囲気が、人々にここを永遠の新天地と見せるのかもしれない。 とまれ、この地にやってきて三日ほど経って。彼―新開健人は、 「せめて英語をもう少し話せるようになっておくべきだったか」 ちょっとだけ後悔していた。 言葉が通じないというのは、思った以上に厄介なもので。 食べ物はどうにかなったのだが、如何せん宿泊施設がどうにもならない。 日本語が通じる所、というのは得てして高価なものだ。先の見えないこれからを見据えると、どうにも無駄遣いをする訳にはいかない。 「時期尚早だったか…?いや、俺はあの時決めたんだ。俺もあいつ等の様に一歩先へ進むと」 今は遠い、故郷に目を向ける。 向こうには家族が、仲間が、そして愛していた人が、居る。 ―火倉。…俺は行くよ。 ―うん。新開君も元気でね。 ―ああ。…なぁ、火倉。 ―うん? ―行く前に…、お前に言っておきたいことがあるんだ。 ―うん。…でも、聞かないでおくね。 ―…言わせてももらえないんだな。 ―ごめんね。お別れの時に気まずくなるのも嫌だし、それに… ―それに? ―それに、どうあっても私はその想いには応えられないから。 ―…羽村か? ―うん。 ―だが、あいつは祁答院を… ―うん。判ってるよ。 ―なら何故… ―二人とも仲間だもの。困らせるつもりも、割り込むつもりもないの。ただ、想っていられればいいの。迷惑だって、そう思われなければ、それで。 ―辛いぞ? ―うん。でも、もう決めたから。 「…火倉、お前は強いよ」 失恋を、痛みとは感じなかった。むしろ判っていたのだとも思う。 彼女は自分を見ていない。 彼女を手に入れようとして、彼女を汚しかけた自分。振られるのも当然だ。 だが、彼女はそれを理由にしなかった。それだけでも、とても嬉しい。 そして、彼女もまた、自分と同様報われぬ恋に身を投じている。 それを知りながら、悲しい結末さえ覚悟して、ただ想いを抱き続ける。 自分には出来ない―出来なかった。 小さく、溜め息をつく。 と。 そう遠くない場所から、悲鳴が聞こえた。 「…?何だ…?」 自分の状況を鑑みれば、少なくとも厄介ごとに―厄介ごとだろう、ほぼ間違いなく―首を突っ込むべきではない。 だが、悲鳴を聞いてしまった以上、そこに留まっていられるような人間ではなかった。 (羽村のようには行かないかもしれないけど、な) 走り出す健人の背からは、何の迷いも感じられなかった。 やはり動き出せば色々と吹っ切れる人間らしい。 「や、ちょ、イヤ!離して!」 「大人しくしろよレナ!ボスがお前を連れて来いって言ってるんだよ!」 「イヤだって言ってるでしょ!?なんでアタシがテッドなんかと食事しなくちゃいけないのよっ!!」 暴れているのは中々の美女。色素は薄いが、髪は黒に近い。 顔つきも日本人のそれに近く、日系人だというのはすぐ判った。 「おい!よせ!!」 無理矢理車に女性を押し込もうとするチンピラ達の一人に体当たりを食らわせる。 「うぁ!!」 情けない声を上げて跳ね飛ぶチンピラ。女性を抱き起こして、背後へと隠す。 「寄って集って女性を乱暴しようとは、貴様らそれでも男か!!」 「?」 日本語で怒鳴るも、当然向こうには伝わらない。同時に、向こうの言葉も訳が判らないのだが。 「シット!!」 ナイフを抜いたチンピラが二人と、銃を向けるチンピラが一人。 (まずは銃を持ってる奴、次にナイフの奴ら…だな) 殴り伏せる順序を決めて、即実行に移す。 喧嘩慣れしているとはいえ、所詮はチンピラ。 光狩と生死を賭けた戦をしていた健人の敵ではない。 「ふん…、壮一の方が余程手ごわいな」 「大丈夫か?」 女性の方に向き直ると、彼女は呆然としていた。 「なぁ…大丈夫か?」 「あ、ああ、ごめんね。ありがと、お陰で助かったわ」 流暢な日本語である。 が、そんな事より、にっこりと微笑むその顔はとても美しくて。 健人は知らない内に顔を赤らめていた。 「あっと…いけない!…ついて来て」 「あ?…ああ」 急に表情を引き締める彼女に、訳が分からないまま。 健人は小走りで彼女について行った。 「…マフィア?」 「そう。そこの次男坊がアタシを気に入ったらしくてサ。あの手この手で言い寄って来るんだけどね」 女性はレナと名乗った。父親が日本人とアメリカ人の混血、母親が日本人らしく、ほぼ日本人と言っていい程だそうだ。確かにその日本語に英語圏特有の訛りは殆どない。 「それで今日とうとう拉致されそうになった…か」 「自分がする事は全て正しいって信じてる奴は大変よね。全く…イヤになるわよ」 二人が居るのは現場とはかなり離れたハンバーガーショップだ。 彼らの行動を邪魔した以上は、健人も間違いなく狙われる。 「ねえタケヒト。アンタ直ぐにこの街離れた方がいいわよ」 「あぁ…そうなんだろうけどなぁ」 「…どうしたのよ」 「…そうも言っていられないみたいだぞ」 「え…?」 視線を周囲に向け、驚くレナ。 既に周囲は銃で武装した人間がぐるりと彼らを取り囲んでいた。見た目も雰囲気も先刻のチンピラと比較さえ出来ない。 「こっちが本筋か」 「アタシが甘かったみたいね」 「いや、まあ厄介事には慣れているよ」 「でもこれじゃ流石に…」 と、男の一人が早口で何事かまくしたてた。 途端に、レナの顔色が変わる。 「どうした?」 「いえ…何でもないわ」 とは言っているが、その表情は全く優れない。どうやら迷っているようだ。 「そんな訳はないだろう。言ってくれ」 「…アタシが一緒に行けば、アンタは見逃してくれるって」 「何だ、そんな話か。聞く必要はない」 「でも、巻き込んだのはアタシだし…」 「巻き込まれたつもりはない。俺が勝手に首を突っ込んだだけだ」 「…」 とは言え、八方塞がりなのも事実だ。 これだけしっかりと囲まれていると、自分一人ならともかくレナを連れて逃げるのは殆ど無理だと言っていい。 (どうする…壁になって逃がすか?) まず考えたのは玉砕だ。まず突破口を作り、彼女を逃がす。 次に追おうとする連中を出来る限り道連れにして、彼女の逃走を助ける。 だが、それは却下だ。 その後の彼女の安全に確証が持てない。 逃げても捕まっては無駄死にでしかない。 「く…」 良策が浮かばない。ち、と舌打ちし、レナを背後に隠す。 銃が構えられる。と、同時にリーダー格の男が何事かを告げて来た。 「…最後の警告ですって。今すぐ私を差し出せば、アンタは助けてやるって」 「駄目だ。君を売って永らえた命に価値なんて無い」 「タケヒト…」 ―良く言った!青年っっ!! 「え!?」 疑問を持った瞬間には、既に状況は動いていた。 「待てええええええいっ!!」 唐突に頭上から響いてきた怒声。 それにつられるように皆が上を見上げ、そして。 時間が止まった。 「…何よ、アレ」 はためくマント、黒尽くめの衣服に、腰に提げた剣。 電柱の上で胸を張り、腕組みをしながらこちらを見降ろしている。 それはそれで良い。だが。 その顔はまさしく虎そのものであった。 「お、お前…いや、アンタは…!」 止まった筈の時間の中で唯一まともに活動していた健人の、全身が感動に震える。 威風堂々と立つその姿は、まさしく、 「タイ○ーマスクッ!」 「ちっがぁぁぁぁぁぁぁぁぁうっ!!」 先程より凄まじい怒号。その燃える瞳に睨みつけられ、己の失策を理解する。 (違う!?違うのか!?何が違う…!?………………そうか!古いのか!!) 「愚か者ッ!!貴様、版権というものを―」 「ならば!!」 こちらもかっ、と目を見開き。今にも殴りかかって来そうなほどに激怒している漢に向かって叫んだ。 「マスク・ド・タイガーーーーーッ!!」 「…何が違うのよ」 漢は健人をしばし見つめて、ふと口許を歪めた(ような気がした)。そして、 「ならば良しッ!!」 「いいのっ!?」 不毛なツッコミはひたすらに無視され。 「とぉっ!!」 飛び降りたマスク・ド・タイガーは健人とレナの背後、彼らの背を護るように立ちはだかった。 「青年!!こちらは任せろ!!向こうの雑魚どもは任せたぞっ!!」 「おぅ!」 通称雑魚達が再起動に成功した瞬間。彼らの目の前には、二人の人間凶器が走りこんで来ていた。 「ダァァッ!!」 遠慮呵責のないラリアットと裏拳が、男達を次々とボールのようにふっ飛ばす。 その向こうは、 「これが漢の拳だ!!」 マスク・ド・タイガーが流れるような動きで男達を沈めていく。 「シット!!」 一人の男が銃を構えた。銃口は健人へ。 「ム!?…いかんっ!!」 マスク・ド・タイガーが反応した時には、健人はもう動いていた。 「ふんぬうううううっ!!」 近くで失神していた男を抱えると、そちらに無造作に放り投げたのだ。 「ノォォォォォッ!」 べしゃ。 押し潰された男が、慌てて下から抜け出して、再度銃を構えた時には。 健人の体もまた宙を舞っており。 男を押し潰した。 「うむ、見事だ!!」 マスク・ド・タイガーの賛辞。それが戦闘の終わりを告げた。 安堵の溜め息とともに、健人とレナはマスク・ド・タイガーの元へ。 「ありがとうございました」 「ありがとうマスク・ド・タイガー。アンタのお陰で助かった」 「フ…。漢が漢を救うのに理由など要らぬ」 その言葉に、喜色に染まっていた健人の表情が曇る。 「漢、か…」 「ぬ?」 「俺はそう呼んで貰えるほど大した人間じゃない。…俺は」 「この痴れ者がぁぁぁっ!!」 バキィッ!! マスク・ド・タイガーの鉄拳が、健人の顔面を打ち抜く。 「ぐはっ…」 「己に自信を持て!!過信は己を滅ぼすが、自虐は己を汚す事だ!!」 「マスク・ド・タイガー…」 「娘」 「は、はい?」 「この漢を任せる。身体はともかく、心が傷ついている。暫く支えてやるとよい」 「…はい!!」 「では、さらばだ!!」 悠然と去っていくマスク・ド・タイガー。その背を見送りながら、健人は。 「…俺は俺自身を許せないんだよマスク・ド・タイガー…」 そう呟いていた。 「ふーん。そんな事があったんだ」 二人が居るのはレナのアパート。両親へ類が及ぶのを危険視した彼女が、一人で暮らす為に買ったのだ。 既に時刻は夜。 そこで出されたコーヒーをあおりながら、健人はここに来るまでの経緯を簡潔に―無論、火者の事は隠してだが―説明していた。 「まあ、レイプしかけた、ってのは褒められないけどサ。でもその人がタケヒトを許してくれたんだったら、それでいいんじゃないの?」 「それはそうなんだろうが…」 「ニホンにはジゴージトク、って言葉があるわよね。それなんじゃない?」 「う…」 その通りなのだが、面と向かって言われると少々痛い。 「まあアタシはその場に居た訳じゃないから、あまり大きな事は言えないけどサ」 「いや、随分楽になった。礼を言うよ」 「そう?なら良いわ。取り敢えず暫くここに置いて上げるから、さっさと仕事見つけなきゃね」 「仕事?」 「そうよ。レスラーになるまでの間にどう生活するつもりだったの?」 …考えてなかった。 行けば即レスラーになれる、なんて考えは甘かったらしい。 「…まったく。いいわ。暫くはアタシがイングリッシュの教授をしてあげるわよ」 「本当か!?」 「ええ。その代わり、タケヒトはアタシのボディガードをするの。判った?」 「ああ。勿論だとも―」 答えた刹那、家のドアがいきなり開け放たれた。 反射的にレナを後ろにかばう健人。 ドアの外から飛んできたのは、長いワイヤー。 勢い良く飛んできたそれは、健人の体にわずかに刺さった。 「ちっ!」 払い落とそうとした、瞬間。 全身に激痛が走った。 「くはっ…!?」 「タケヒト!!」 バチッ、という音が聞こえた。電気ショックの類らしい。 「くぅ…舐めるなぁぁぁっ!!」 言い様、引き攣る筋肉を強引に動員して走り出す。 ドアを出て、振り向いたそこに、 「っっっ!!」 バチィ!! 第二撃。がくがくと震え、それでも意識を断たせずに、健人は痛みの元を睨んだ。 「ノォ…」 スタンガンを持ち、驚愕の表情でこちらを見る人影。視界が霞んで、既に男か女かも判らない。 震える拳に力を集え、やっとの事で振り下ろそうとした健人の背に、三度、衝撃が走った。 「く…そ…」 だが最後の力で目の前の人影を殴り倒し。 健人は意識を失った。 「ふむ。まさかスタンガン三発に耐え切るとはな」 「圧巻よねぇ」 気絶した健人の背に手を置くのは妙齢の美女、そしてその側に立つのは先程の虎頭の漢である。 「う…」 「ほう、もう目覚めたか。凄まじい回復力だな」 「アンタ…マスク・ド・タイガー…」 「ますくど?」 「うむ。青年よ、何があったかは覚えているか?」 「あ、ああ。…レナは攫われたんだな?」 「うむ。どうする青年。助けに行くか?」 「勿論だ。…俺は彼女に約束した」 「良いのか?お前は彼女に惚れた女を重ねているだけではないのか」 「そう…かもしれない。だが!俺は助けると決めた!」 「死んでもか」 「…ああ」 「例え報われないとしてもか」 「ああ!」 マスク・ド・タイガーの虎の眼光を、真っ向から見返す健人。 「…そうか。彼女は南へ1キロ程行った先の工場に拉致されている」 「工場だな?」 「うむ。特に工場が林立している訳ではないから直ぐ判る筈だ。…が」 「が?」 「昼間の立ち回りの所為でマフィアの連中がお前を探している。…だからな」 と、何かを投げ渡される。受け取って見ると、火炎を彷彿とさせるマスクだった。 「それを付けて行くが良い。夜道であれば気づかれまい」 「何から何まで有難うマスク・ド・タイガー」 「構わん。…青年よ。お前の名前を教えてもらえるか」 「ああ。俺の名は新開健人だ」 「行くが良い健人よ。二度と同じ過ちを繰り返してはならん」 「ああ!!」 件の工場。 レナは後手に縛られた状態で、工場の床に座らされていた。 「…テッド。アンタいい加減にしなさいよ」 眼前に立っているのは中々甘いマスクの青年。 「何でだレナ!僕は君をこんなにも愛しているのに!!」 「何度も言ってるじゃない。悪いけど、アンタは趣味じゃないのよね、って」 日本的な価値観の深いレナからすればその様子は非常に大げさではあるが、アメリカ人としては普通なのかもしれない。 「君のご両親に会っても大丈夫なように日本語だって話せるようになった!!君が望むなら日本に行ったっていい!」 「…無駄な努力ご苦労様」 「何故だ!?言っては何だが僕は欠けているものなど何一つないと言い切れるよ!?」 「…そう」 「金も!権力も!栄誉だって!僕が持ってないものは何一つないのに!!」 「…それをアンタが自力で全て手に入れたんだったらね」 「え?」 「アンタは親の威光をかさに着ているだけじゃない。自力で得たもののない人間が何を言っても興味持てないわよ」 「くっ…」 立場的には確かにレナの方が低い位置に居る筈なのだが、何故か言い負かされているのはテッドの方だ。 「それに…」 と、頬を染めるレナ。 「なんだい?まさか…」 「アタシにはタケヒトがいるもの」 「タケヒト…?さっきの男か?」 「ええ」 「スタンガンを三発食らうまで意識を保ってたって化け物か。三発もスタンガンを食らえば人は死ぬ。そうでないにしても彼はまだお休み中だろうさ」 「…それでも必ず彼はアタシを助けに来てくれる」 「ふん。ならそれまでに君を僕のものにするまでさ」 醜悪な笑顔。整っている割には本気で吐き気を催すものだ。 「近寄らないで」 「イヤだね。君を僕のモノにするんだ」 「…タケヒト…助けて…」 「ちっ…。こんな時までその男の名前を口にするのか!!」 テッドが激昂し、右手を振り上げた。 と。 「うぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁっ!!」 叫び声とともに、工場の外で轟音が響いた。 「な、何だぁぁっ!?」 「タケヒトッ!?」 「許さんぞ…」 扉の前で見張っていたテッドの部下数人を勢い良く叩き伏せて。 一つの影が工場の中に飛び込んできた。 「…罪もない婦女子を己の物とせんが為に攫い、脅し、あまつさえ傷つけようとするなどと…」 流暢な日本語である。 「ふざけるな!!僕達は婚約者同士だ!!」 「貴様こそふざけるな。恫喝による婚約など無意味」 「くっ…!!ボブ!!」 むくりと、右手の暗がりから巨漢が現れた。 黒人だ。 「ボブ!!そこのクレージーな野郎をブチ殺せ!!」 「OK…」 ゆっくりと人影に向かうボブ。 両方の射程に入った瞬間。 ボブの拳が人影を殴りつける。 「…ぬるいな」 「ワット!?」 人影は微動だにしない。 「おおおおおおおおおおおおお!!」 人影が脚を振った。 遠目にも、ボブの両足がへし砕かれたのが判った。 「No!Oh…!!」 じたばたと激痛に転げまわるボブの顔を蹴り倒し、こちらに向かってくる人影。 「て、てめえは何者だ!!」 「俺か?俺の名はな…」 窓から射す光に照らされたその顔には、炎を模した真紅のマスクが― 「マスク・ド・タイガーね…?」 「何が可笑しい?」 「アナタが自分の名前を教えないなんて珍しいな、って」 「ふ、あ奴は自らの魂を賭けて私の事をマスク・ド・タイガーと呼んだ。ならば!!あ奴の前では私はマスク・ド・タイガーなのだ!!」 「惚れ込んだものねえ」 「何に臆する事も囚われる事もなく、ただ己が魂の信ずる正義の為に闘う。あ奴は既に真の漢だ」 満足そうに呟くマスク・ド・タイガー。 「友よ。お前が私の名を刻んだように、私もお前の名を魂に刻もう。新開健人、…否」 「マスク・ド・ファイアーーーーーーーッ!!」 全身の筋肉が盛り上がる。自分でも気づかなかった程の力が、全身を覆っていく。 「おぉぉ…おぉぉぉぉっ!!」 目指すは一点。向けられる銃など気にもならない。 レナを助ける。それだけでいい。 「くそ!」 銃声が響く。 一発。 二発。 だが、銃弾は当たらない。 マスク・ド・ファイアの体を掠るだけだ。 「ぬうううううううあ!!」 疾走の勢いを拳に乗せて、下から腹部を抉りこむ。 「ぐぅぇっ!!」 テッドの体が20センチほど浮き上がり、倒れる。 「おっ…おごぇ…げぶぅ…」 腹を押さえて悶絶しているテッド。それを一顧だにせず、レナの方へ。 「無事か?」 「ええ。有難う…マスク・ド・ファイア」 唯一露出している口許をに、っと歪めると、レナの体を縛っているロープを解いた。 「タケヒトッ!!」 がば、と抱きついてくるレナ。 「おいおい…」 「嬉しい。…助けに来てくれるって…信じてた」 「あ、ああ」 「嬉しいよ。タケヒト」 ますます強く抱きついてくる。 それをどうにか離れさせ、代わりに優しく肩を抱く。 「さあ、戻ろう」 「ええ」 出口へと歩き出す。 だが、まだ一人、意識を失っていない男が居た。 「ガッデム!!」 振り返ると、腹を押さえながらも、銃を構えるテッド。 まだ動くだけの余力があったらしい。 テッドの指は既に引き金にかかっている。 …撃つ気だ。 レナの事など考えていない。 マスク・ド・ファイアは振り返りながらレナを背後に隠した。 銃声がすると同時に、体に衝撃が走る。 「タケヒトッ!!」 びきゅ。 鈍い音がした。 銃弾はマスク・ド・ファイアの右肩口に突き刺さり、止まった。 肉を抉る事もなく、その鋼鉄のような筋肉に防がれたのである。 「つ…」 痛みはわずかだがある。 銃弾を払うと、乾いた音をたてて地に落ちた。 テッドは気づかなかったようだが、レナは背後で絶句している。 マスク・ド・ファイアもまた、銃弾をも防ぐ自分の金剛力に、正直驚嘆している。 だが、それよりも。 「お前は…、曲がりなりにも愛した女だろうが!!」 「黙れ!俺のモノにならないのなら、生きてるだけ無駄だ!」 テッドがそう吐き捨てる。 その様に、ふとある光景がフラッシュバックする。 ―あの日、愛していた少女を傷つけた自分。 自分のモノになって欲しい。 ならないならば、するまで。 穢してしまえば、オレノモノダ― あの日の自分は、きっと目の前のこの男のように、腐ったツラをしていたのだろう。 怒りが浮かぶ。 テッドへ、そしてかつての自分へ。 「死ね!!」 銃を狂ったように乱射するテッド。 みしみしと、何発かが体に当たる。 レナは絶句したままだが、背後で心配そうにしがみついている。 かちかちと、音がしなくなるのを待って、マスク・ド・ファイアは歩き出した。 見える所まで行ってから、すっと銃弾の当たった所を払う。 「…モンスター」 からからと、一発も肉体に食い込む事無く落ちる銃弾。 恐怖に引き攣った顔で後退するテッド。 「おおおおおおおお!!」 全身の筋力を総動員して、マスク・ド・ファイアは走り出した。 「…ジーザス」 「食らえ、必殺…!!」 踏み切り、前方へと大ジャンプ。 塊と化した体の全ての勢いを両足に乗せ、突き出す。 尋常ではない距離を滑空し。 「S・D・D・K!!」 全体重を掛けたドロップキックが、テッドに引導を叩きこんだ。 「見事だ健人。そしてマスク・ド・ファイア」 工場の外の物陰にて、満足げに頷くマスク・ド・タイガー。 「真の漢の魂、見届けさせてもらった」 寄り添って去っていく二人とは逆へと足を向ける。 「連絡はついたか?」 待っていたのは、先程の女性。 「ええ。あの子達もこっちに来てたのね」 「それで?何と言っていた?」 「喜んでたわ。久しぶりに暴れられるって」 彼らの目的はテッドの実家であるマフィアだ。この件によって健人達が狙われる事のないように、元の組織を潰すのだ。 「これは餞別だ健人。後ろなど憂う事無く、存分に栄光を掴め」 「ねえタケヒト」 「ん?」 「S・D・D・Kって何の略なの?」 「何だと思う?」 「スカイ・ダイブ・ドロップ・キック…かな?」 「外れ」 「じゃ、何?」 「シンカイ・ドラマティック&ダイナミック・キックの略だ」 「え…?駄目よそれじゃ」 「む…格好悪いか?」 「そうじゃなくて。『シンカイ』って入れたらマスク・ド・ファイアの時に困るじゃないの」 「む…そうか、そうだな」 「ね?だから、スカイ・ダイブ・ドロップ・キックにしましょ?」 「う、うむ」 腕をしっかりと組んで、夜の街を歩く一組のカップル。 日本からやって来た謎の覆面レスラー、マスク・ド・ファイアと、その敏腕マネージャー兼愛妻がアメリカのショービジネス界に旋風を巻き起こすのは、これから数年後の事である。 Fin 後書き ども、滑稽です。 投稿作品最長のモノとなりました。 でも、これが長編という事ではないのです。 次からは本格的にこの世界観を(一部)踏襲した作品が始まります。 これはその外伝扱い、と言う事で。 …外伝から始まる作品って、少ないだろうなあ。 それでは、次の作品でお会いしましょう。 |
[Central]