これから始まるのは、一つの未来。
祝福と御都合に支配された、平和という言葉に最も近い、明日。
平穏と言える日々は存在しない。
ここに在るのは、大津名という名の都市を覆った、とある子供達のドタバタ喜劇。
今宵語るのはその第二話。
始まりを告げるのは、ただ常にこの一言。
「それでは、良い夜を」





スラップスティック・デイズ
第二話。もしくは挑戦でも可。


作:滑稽










「ハァ…ハァ…ったく…このガキどもは」
筆舌に尽くしがたい目にあって、撃沈している四人の空手部員。
彼らがどんな目に遭ったのかは不明だが、武道場のほぼ全員が蒼白な顔をしている事から考えても、余程の事だったのだろう。
その間に。
「んじゃ先輩。俺はちっと両方の部に挨拶に行かなきゃいけないから」
「あ、はい。じゃあ待ってますね」
にこやかに微笑む先輩―美麗。
その可憐さに図らずも顔が熱くなるのを自認したシンは、逃げるように武道場の奥、剣道部の区画へ向かった。
「…失礼します」
「ああ、羽村シン君だね?さっきの祁答院先生との組手は見事だった」
応対したのは、剣道部顧問の教師。物腰に隙は見えず、中々の腕だと判る。
「ああ、自己紹介がまだだったね。私は顧問の赤城だ。よろしく」
「どうも」
「流石に見事だ。祁答院先生が掛け持ちでの特待生制度を推奨した理由も判るよ」
「有難う御座います」
「…でも、どうせなら空手一本に絞られたら如何です?」
突然横合いからかけられた硬い声。
「石動?」
「剣の道とは本来真っ直ぐで尊いものです。それを掛け持ちだ等と…勘違いも甚だしいと思いますが」
防具の奥から出てくるくぐもった声は女性のものだ。だが、少なくとも何一つ友好的ではない。
「おい石動…」
「大体武道場に異性を侍らせてやって来るような人間に、まともな腕があるとは思えません」
「侍らせて…って」
阿呆らしさに絶句してしまう。そう見えたのだろうか。
だが、久々に少々癇に障った。
「石動先輩って言ったっけ?」
「はい」
「ならまああなたが判定してくれよ。俺にまともな腕があるかどうか」
そう言って睨みつけるシン。石動はその眼光に少々怯んだようだったが、
「いいでしょう。空手とは違うと言う事を見せて差し上げます」
「おい石動、羽村」
「赤城先生。竹刀と防具を彼に」
「おぅ。誰か―」
「あ、竹刀だけで充分ですよ」
「は?」
「充分です」
「何を言っているんです!?怪我しますよ?」
「怪我…ね?」
今度はニヤリと笑みを漏らしつつ、挑戦的な目を向ける。
「それよりも俺にその竹刀を当てる事が出来るかってところを気にして欲しいね」
「なっ―!!」
「論より証拠、さ。ま、来なって」
言って、竹刀だけを受け取る。
それを構えるに当たって、石動が小さく溜め息をついた。
(侮った…な)
怒りと侮り。それが表に出てしまっている者など、恐れるには値しない。
「始め!」
緊張感が辺りに満ちる。
観戦者は少々の危機感と、スリルに。
石動は恐らく『怪我をさせずにこちらを無力化する方法』の模索と、その成功を導く為の集中に。
緊張感がないのは、唯一シンのみ。
「やあっ!」
痛いだろうが怪我はしない範囲の―それでも充分鋭い―振りが、シンを襲う。
頭上に、圧迫。
避けたようには見えなかった。
だが、石動の竹刀は空を切った。
「で?」
「くっ!!」
更に頭に血が上ったのだろう。
無謀な程に矢継ぎ早に竹刀を振り回してくる。
それでも的確に急所を狙ってくるのは流石だ。
が、当たらない。
「この…っ!!」
「…あなたは先程『怪我する』と言ったが」
息継ぎに石動の動きが止まった、そのかすかな間。
ふっ、と。シンの腕が霞んだ。
次の瞬間にはシンの腕は振り下ろされており。
「斬術。斬捨一触(ざんしゃいっしょく)」
ぱきり。
「…二連」
今度は左下から右斜め上に向けて、目にも止まらぬ一閃。
ぴきっ。
それぞれシンが腕を振ったと同時に、面の金具、その一番上が乾いた音を立てた。
そして。
からり、と音を立てて落ちる金具の一部。
「今見てもらったとおり、竹刀でだって人は斬れる」
「なっ…」
絶句する部員達と、赤城。
「真剣だとて木刀だとて、例え竹刀だって持つ者が持てば凶器だ。『怪我』程度の認識で手を抜くのは失礼だと思ってもらいたいね」
「く…」
「さて、ここで状況を整理しよう」
と、再度挑発的な笑みを浮かべる。
「俺は、今この状況でもあなたの命を奪う事が出来る。反面、あなたは俺が防具を付けていたら精々喉笛を突き抜く事でしか俺を殺す術はない」
悪し様な侮辱。石動の顔色が更に紅潮したのが判る。
「判るか先輩?これでやっと…対等なんだよ」
「…いいでしょう羽村君。ならば私も本気を出します」
「りょーかい」
笑みは崩さぬまま、シンは神経を集中させ始めた。
石動の全身を覆う、冷たい殺気。それさえも感じられる。
殺、ただその意を一つ。石動の眼光は、とても冷たいものとなっていた。
「石動さん。…やっぱりあなたはその『覚悟』を持っていたか」
「…ええ」
普通、他人を殺す事は多大な精神的負担を伴う。
それを感情で覆い隠したり、衝動に任せる事に拠って、行動に移すのだが。
中にはこのように、その負担をみずから押し込めて行動する事ができる人間もいる。
彼女の如く。
「お、おい二人とも、馬鹿な真似は止めろ」
言葉は無視されたが、開始の合図にはなった。
「行きますよ」
「来な」
刹那、石動の両手が電光の速さで動いた。
喉笛に圧迫を感じ、反射的に体を反らす。
避けた首の横を突き抜けていく、速く、鋭く、重い圧力。
道を説く。剣道と呼ばれる競技の中で、なお最高の殺傷力を持つ技。
突き。
防具を付けていてさえ命に関わりかねない危険な技であるがゆえ、自らを律する事が出来るようになっていない子供達には決して使わせないのだ。
そして、その突きは的確に喉笛を狙っている。
「嬉しいねえ」
シンにとって、鍛錬は既に趣味の領域だ。
肉体と、精神。その調和から生み出される『強さ』は、憧れる父の姿と相まって自分を高めてくれる実感を伴う。
そして。目の前の剣士は、彼を更に高くにまで押し上げてくれるだろう。
ライバル、と呼ばれる存在として。
「…まずは非礼を詫びておこうか、石動さん」
「…」
無言。それほど集中しているのだろう。
「後の話は終わってからにしよう。…では、行く」
あちらの覚悟は見た。自分も、動く。
振り下ろされる竹刀の横を、わずかだが打たれる。
それだけで、もう軌道がずれてしまって必殺の威力を失う。
打たれて痛い事には変わりはないが、それでも致命的な一撃にはならない。
それであれば、相手は反撃をしてこれるのだ。
集中を寄り合わせて、相手の一挙手一投足をも読む。
笑みは、消えていた。
「はっ…!」
打ち込まれる全てを避けながら、隙を見て打ち込むシン。
圧倒的な手数で打ち込みながら、隙を衝くシンの攻撃を受ける石動。
(腕だけなら互角…いや、それ以上!!)
沸き立つ。
そして同時に、ここでの決着を理性が否定した。
心の中だけで笑みを浮かべる。
「はぁっ!!」
石動の一撃。全身の力を込めた、今までで最も鋭く、力のこもった突き。
狙うは、心臓。
「ふっ!!」
シンは竹刀を振り降ろし―
ドン!
シンの胸は強く突かれ。
シンの竹刀は石動の頭上スレスレで止まっていた。
「あなたの勝ちだね」
「…」
無言だ。何となく察したようだ。
「しかし、そこは一本には―」
と、横から茶々を入れてくる顧問。そちらを冷たく一瞥し、
「…心臓を突かれました。真剣なら俺は死んでますよ」
「む…」
「さて、今日は顔見せだけの予定でしたからこれで失礼します。人も待たせてますしね。それでは」
「あ、ああ」
石動には何を告げるでもなく、背を向けるシン。
石動は下を向いて唇を噛み、黙っていただけだった。

「悪かったね、先輩」
「いえ、凄かったですよ」
小さく微笑むと、美麗は少しだけ頬を染めた。
「もう少し待ってて。空手部にも挨拶をしないと―」
「んー?もうかまへんで?あれで充分やろ」
横合いから口を挟んでくるキララ。
「そう?」
「んー、副部長らも勧誘に出とって居らへんしなあ。二度手間やろ?」
「ん、判った」
「美麗は天文部の勧誘やったな?」
「はい」
「せやったらシンも勧誘しぃや。両親の所属してた部活やからな、断らんやろ」
「親父が?」
「あ、やっぱり羽村先輩の後輩なんですね?」
「せや。取り敢えず部室に連れてってやりぃや」
「はい。じゃ、行きましょうシン君」
「あ、ああ」
手を引かれるまま、出口へ向かう。
「…それでは、失礼しましたー」


校門前。
ようやく一段落した勧誘攻勢。
その中で最も精力的に活動していた部の一つ、空手部。
撤収作業を終えて、武道場に顔を出そうと歩いている部員、部長、副部長。
その話題は、朝方顧問の教師を退けた生徒の話になっていた。
「しかし…何者ですかね?」
「オレの前を歩いていたらしいな。後姿だけしか見えなかったが…」
「副部長でもまだ流星パンチは防げないんですよね?」
空手部で目下最強なのは、今年引退の部長よりも、まだ二年の彼なのである。
「ああ。これで入学以来33連敗だ」
「それを防いだって言うんだから凄いですよねぇ」
「そういえば直ぐ近くに居たって奴が言ってたんすけどね」
「ん?」
「キララ先生を『オバサン』って呼んでたらしいんすよ」
「…何?」
ぴたりと、副部長の足が止まる。
「な・ん・だ・と…?」
世界が凍りつくような声。もしくは、憤怒に燃やし尽くされそうな声。
恐怖が部員達を覆い尽くす。
「ほほう…」
「ふ…ふふふ…副部長?」
「その男…何者かは知らないが、そんな危険な言葉を吐いたのが運の尽きだ」
「ひぃぃ…」
「くくくくくく…」
空手部副部長、新開ホノオ。
父親譲りの恵まれた体躯を活かし、二年にして空手部のトップに躍り出た。
そして同時に、空手部で最も熱烈な祁答院キララの信者である。


「凄かったわね、縁!!」
「…何が?」
剣道部。
嵐のような男が去った後、稽古はそのまま終わってしまった。
目の前であれ程の試合を見たのだから、仕方ないだろう。
事実、五段を持っている顧問でさえ雰囲気に飲まれてしまったのだから。
「さっきの試合よ!面を竹刀で割るような人に勝つなんて、凄すぎじゃない!!」
「…あれは斬ったのよ」
「え?」
嬉々とする周りの部員達とは裏腹に、彼女―石動縁の顔は晴れない。
「うむ、まあ彼も上には上が居るのだと判っただろうな」
まとめる様な顧問の言に、彼女は小さく首を振った。
「判らされたのは…私ですよ、先生?」
「何でだ?勝ってただろうに」
「最後の突きは本気でした。…防具付けてたって一瞬息が止まるような一撃ですよ?」
「実際当たったじゃないか!」
「…いいえ。手応えはありませんでした。だから本当は彼はあれをいなして、しかも私の頭の所で寸止めしてたんです」
「そんな馬鹿な…」
喧騒が、一気に沈む。
そのような事を気にも留めず、縁は歩き出す。
「お、おい石動」
「帰ります」
「け、見当違いの事を言ったのは悪かったと思う」
「そんな事じゃないんです。ただ、このままにはしておけないだけ」
そのまま、振り返らずに更衣室へ。
あっと言う間に服を着替え、そして家路に。
「負けっぱなしも…譲られた勝ちも、私は要らないの!!」
その目には、確固とした決意が満ちていた。


第三話。もしくは騒動でも可。
              に続く










後書き
どうも、滑稽です。
夜が来る!次世代編の第二話です。
都合前後編、とか前回言っておきながら、また続いてしまいました。
しかも今回喜劇調が少ないし。
次回は取り敢えずドタバタになれば…いいなあ。
つくづく構成力のなさを嘆いている滑稽ですが、楽しんで頂けたら幸いです。
それでは、また。






[Central]