「よう、鏡花」
「あ、亮。呼び出して悪いわね」
「いや、いいけど…。どうしたんだ?」
秋も半ばの休日。鏡花に呼び出された喫茶店に訪れた俺を迎えたのは、鏡花とそのマネージャーだった。
促されて鏡花の隣に座る。
「そうよ。私だって用件聞かされてないし」
と。鏡花はにこやかな笑顔でこう告げた。
「うん。私モデル引退しようと思って」







  二年目の休日に

                               
滑稽




ぶっ、と。鏡花のマネージャーさんが吹き出す。
「な、ななななんで!?」
「だってもうやる理由ないし。亮と会う時間がこれ以上減るのは正直勘弁して欲しいのよね」
「あのねぇ…」
呆れたような口調のマネージャーさん。
俺を値踏みするような目付きで見てくる。正直気分のいい視線じゃない。
「こういう冗談は笑えないわよ?」
「冗談なんかじゃないもの」
「何で!?ちょうど映画デビューの話も出てたのよ!?とっても大事な時期なのに!!」
「関係ないわ。単なる暇つぶしだったしね。映画?大事なのはあんた達にでしょ?」
鏡花も辛辣だ。
「鏡花ぁ…。私は正直このコがアンタに相応しいとは思えないわ」
「別に弓削さんに判って欲しいなんて思ってないわよ。私には亮が必要だもの。亮と仕事のどっちを取る?って聞かれたら迷わず亮を選ぶわ」
マネージャーさん―弓削さんと言うらしいが―は非常に『正直な』人らしい。
まあ、だからこそ鏡花もマネージャーとして信頼していたのだろうけど。
「…亮君、って言ったわよね」
そういえば顔を合わせる事はあってもちゃんと話をするのは初めてだ。
「あ、はい」
「アナタからも言ってくれないかしら。引退するな、って」
今度は矛先が俺に。
「何故です?」
「鏡花は華を持っているわ。出るところに出れば掛け値なしの大スターになれる。アナタだってそんな彼女の方が鼻が高いんじゃなくて?」
「いえ…別に。俺が好きなのは鏡花であってモデルじゃないので」
「あのね。私はアナタがどうやって鏡花をたぶらかしたのかは判らない。だけど、アナタが鏡花に相応しいとはどうしても思えない」
「はぁ。それで?」
相応しくない、とこれだけ連呼されたら流石に頭にくる。
ぞんざいな口調になるのもかくや、って所だ。
「アナタが鏡花と付き合う事に関しては黙認してあげるから、鏡花を縛り付けないで、って言ってるの」
ああ、成る程。
俺が鏡花に引退してくれ、って頼んだと思っているのか。
「申し訳ないけど」
と、前置きして。
「引退するとかどうとか言う話は、鏡花が自分で決めた事で。俺がどうこう言った訳じゃないです」
「なら…」
「俺は鏡花が自分で選んだ道を否定する気はない」
向こうの発言を封じ、断ずる。
「…話にならないわ」
弓削さんは怒りを隠しもせず、立ち上がった。
挑戦的な目で俺を睨みつけ、
「…後悔しない事ね」
そう言い捨てて出て行った。
「ふぅ…」
「悪かったわね、亮」
…鏡花も怒っている。
「私の見立て違いだったわ。まさかあんな事を言うだなんて」
「いや、気にしてないよ」
「ま、いいわ。気晴らしにこれからデートしましょ」
「そうだな」


商店街を歩いている最中。
「…気をつけてね」
ふと、鏡花が口を開いた。
「ん?」
「何かするつもりだったわ。あの人」
「ん」
もくもくと焼き鳥を噛みながら、応じる。
「…まあアナタならどうとでも出来るでしょうけど」
「ん」
基本的に鏡花との会話では言葉を出す必要がない。
大体の意思を鏡花が勝手に拾ってくれるからだ。
「亮」
「ん?」
「…ごめんね」
「んー」
気にするな、と。
そんな思いを込めてくしゃりと頭を撫でる。
「ありがと…」
しがみついてくる鏡花。
あの時、鏡花が見せたとても弱い部分。
それを再び見た。
そんな気がした。


それから二週間ほど過ぎたある日。
俺は道端で五人の男に囲まれた。
「お前が羽村か?」
皆総じて体格がいい。
レスラーか、レスラー崩れか。
取り敢えず新開さん程じゃなさそうだ。
「そうだけど、何か?」
「ちょっと面貸して欲しいんだけどよ」
「ああ。構わないけど」
「んじゃちょっとこっち来な」
口許を歪める男達。
まあ、その体格なら脅しは利くだろうけどさ。
…だからって俺もそうだとは思わないで欲しいんだが。
路地裏。
「ほら。その車に乗りな」
「…?何で」
「いいから乗れって言ってるんだよ!!」
胸倉を掴もうとするその手をわずかに避けて、足を払う。
「うぉっ!?」
そのまま軽く倒れる。
「てめぇ!!」
激昂する男達。
小さく息を吐く。お決まりというか何と言うか。
「取り敢えず…鏡花関係の事だろうな、コレは」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!!」
「ま、一人居ればいいよな」
護章がなかろうが、この程度の相手になら負ける気がしない。
「痛くても泣いたらだらしないぜ?」
「この野郎…!?」
少々強く鳩尾深くに拳を打ち込む。
「え…えぐっ…!?」
うん。やっぱり新開さんほど鍛えてない。
「…やっぱ見掛け倒しか」
倒れて血と汚物を吐き出している男を軽く蹴る。
「このっ…!!」
向かってこようとするも、じろりと睨みつけると意気を失う。
「さて」
「な…何だよ」
「誰に頼まれたのか、キリキリ吐いてもらおうかな」


「…で?これは何のつもりなのかしら」
「最後の労働交渉よ」
最後の仕事の帰り。
連れてこられたのは事務所じゃなくて、薄暗いコンクリの倉庫みたいな建物。
弓削さんは何かロクでもない事を考えていたみたいだけど。
「労働交渉…ね。とてもそんな大事な話をするべき場所には見えないんだけど?」
「そうねぇ…。モデル七荻鏡花の引退と一緒に、ちょっとしたオーディションをするかも知れないから」
ここまで言われたら、弓削さんの意図も理解できる。
「つまり。私が引退する、って言ったらAVでも撮ろうって事ね?」
「察しが良くて助かるわー♪」
張り倒してやりたいけど、まずは様子を見なくちゃ。
「…それで、鏡花?答えを聞きたいんだけど」
「何度聞かれたって一緒よ。私は引退するわ」
「そう。なら仕方ないわね」
パン、と手を鳴らす弓削。
ぞろぞろと入ってくる男達。
中には事務所の職員まで居る。
「…入る事務所間違えたかしらね」
溜め息をついてみる。
だからといって何かが良くなる訳でもないのだけれど。
「さて。ここで貴方が断れば、ここの皆さんの相手をしてもらうわ。でも、引退しないって言うんだったら…」
と、私の背後のドアを見る弓削。
何となく私への嫌な感情を感じるとは思っていたけど。
私も背後を見る。
「社長…」
「全員のお相手は許してあげるけど、社長のモノにはなって貰うわね♪」
…つくづく、入る事務所を間違えたわね。
「はぁ」
「さ、最後の最後。どうするのかしら?」
「何度も言わせないで、って言っているでしょ?私は―」
「あ、そうそう」
弓削が発言を遮った。
「貴方の彼氏…亮君って言ったかしら?彼も招待差し上げているのよね」
「亮を?」
「ええ。ちょっとくらい顔の形とか変わっちゃっているかもしれないけどね?」
「へぇ…」
可哀想に。
…亮の事を連行しようだなんて、無茶もいい所だわ。
「ほら、そこに…。アレ?居ないわね?」
「…そりゃそうでしょ」
倉庫の外に、とても怒っている気配を感じる。
やっと来た。
その怒りさえも、どこか心地好い。
まあ、こんなどす黒い欲望の真っ只中に居れば、そうか。
「来たわよ?そこに居ない亮君が」
「え?鏡花、アンタそれ一体…」
ドアが開かれた。
「鏡花ぁっ!!」
「えぇっ!?」
扉が蹴り開かれ、いきり立った亮が飛び込んでくる。
「何だてめ…えげぇ!?」
亮の怒りが迸っている。
瞬く間に叩き伏せられる男達。
「無事か!?鏡花!」
「ええ。まだ何にもされてないわよ」
「そうか…良かった」
ほっとした様子も一瞬だけ。
亮は引き摺っていた『荷物』をぽい、と弓削の足元に転がした。
「な、雨田!?」
「ゆ、弓削さぁん…。何なんだよこいつ…!?化け物じゃねぇか…っ!!」
「そ、そんな。ただの学生でしょ!?」
「嘘だ!足立も清水も山木も井手も!こいつ一人に血達磨にされたんだぜぇっ!!?」
「う、嘘でしょ!?」
「嘘だったら何で俺がこんなげべっ!!」
亮がガタイのいい男の頭を背後から踏みつける。
この辺り、容赦ないわ…。
「さて、と。鏡花?こいつらの処遇はどうする?」
本気で怒っているわね。
ま、当然だけど。
私も激怒ってるし。
「そうね。殺してやってもいいんだけど、埋めるのとか手間なのよね」
「だな」
一気に空気が氷点下にまで下がる。特に私を陥れようとした二人の。
「…どうする?」
「取り敢えず、社長の『シンボル』踏み潰して、『弓削』をここの男達に滅茶苦茶にでもさせる?」
「それいいな」
「ね、ちょ、止めてそれはお願い!!」
「た、たのむ七荻!!何でもするから!!」
亮は怖いみたいで、私にすがってくる二人。
「馬鹿にしてる?もし亮が止めに入らなかったら私は一体どんな目に遭っていたのかなぁ?」
「や、やぁね!ちょっとしたお茶目な冗談じゃない!気にしちゃ駄目よ、鏡花ちゃぁん!!」
「そ、そうだぞ七荻!これだって君が本気で引退を考えているかどうかのテストのつもりでだな」
こんな時、サトリって便利。
二人が嘘をついている事がよく判るから。
「こう言っているが、どうする?」
そう聞いてくる亮の口もにやけている。
まあ、私じゃなくても判るわね。これは。
「ヤ、だ♪」
「「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」」


三日後。
私と亮は市役所に居た。
理由?
無論ここで亮を人生の墓場に送る為。
…と言うのは冗談だけど。
社長と弓削に両親を説得させて、亮との結婚を許可させる事に成功したの。
ちょうどいい『引退宣言』にもなるし、亮と大手を振って一緒に暮らせるし。
いい事づくめよね♪
「…そうかぁ?」
「いいじゃない。慰謝料をふんだくって連中の弱味も握って、最早私達を止められるモノは何もないのよ?」
「…んー…」
釈然としていない様子の亮。
こんな美女と結婚出来るんだから、ありがたく思いなさいっての。
「まあ、美人って事は認めるんだが」
「じゃあ何なのよ?」
「この結婚に、俺の意思が何一つ噛んでないような気がしてならないんだが」
き、気のせいよ、気のせい。



…え?社長と弓削をどうしたかって?本当に言った通りの事をしたのかって?
やぁね。そんな無茶な事する訳ないじゃない。
ただし。二度とアイツらは私達に反抗しようって気は起こさないでしょうね。
…そう、二度とね♪


○○年目の…
      に、続く?










後書き
どうも、滑稽です。
プレ八年目の記念日にシリーズその一、と銘打ってはいますが、いやはや。
どうなんでしょうね?鏡花さん暴君化が激しすぎる気もしないでもないんですが。
…取り敢えず、ご要望があればシリーズその二、その三もやっていこうとは思っておりますので、出たら宜しくお願いしますね(弱気)
それでは、次の作品でお会いしましょう。






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