これから始まるのは、一つの未来。
祝福と御都合に支配された、平和という言葉に最も近い、明日。
平穏と言える日々は存在しない。
ここに在るのは、大津名という名の都市を覆った、とある子供達のドタバタ喜劇。
今宵語るのはその第十七話。
始まりを告げるのは、ただ常にこの一言。
「それでは、良い夜を」






  スラップスティック・デイズ
            第十七話。もしくは憤怒でも可。


                               
滑稽




「ここは…狭間?」
ライヴハウスに入ったシンは、その光景の異様さに息を呑んだ。
赤を基調とした、迷宮。
「…拙いな…」
こんな場所に関わっている暇はない。
急がねば美麗がどんな目に遭うか。
「ち…」
だが、既に背後の扉は消えてしまっている。
進むしかない。
そう決意したシンの前に、現れるアクイの群れ。
「ちぃ…っ!!邪魔を…するなぁぁぁぁっ!!」
護章から武器を取り出し、走り出す。
この後を考えると、無駄に相手をしている暇はなかったのだ。
何故なら時間の無さもそうだが、シン自身の体力が最早限界に近かったからだ。


美麗が目覚めたのは、自分を昏倒させた男がこの部屋へ自分を連れ込んだ二十分ほど後の事だった。
誰一人助けの入る可能性の無い状況で、最も危険な存在と二人きり。
だが美麗は悲鳴を上げたり無闇に暴れたりする事なく、自分が置かれた状況を理解するように努めた。
そして、その努力が後々実を結ぶことになる。
「おや。起きたかい?美麗」
男―山形馨一が美麗の覚醒に気づいたのは、それから更に十分は経ってからの事だったからだ。
「…」
「おや?何で反応してくれないのかな」
虫唾が走る口調。
だが今の自分では彼に勝てない。それは判っている。
むしろ無闇に動けば汚されるのが早まるだけだろう。
…目の前の男は自分に酔っているのだから。
「…」
憎悪に満ちた視線で睨むが、馨一には通じない。
「やれやれ。二人っきりだから照れているのかな」
小さく、少しだけ嘲るような笑いを漏らす。
「ま、いいや。それでは少しだけ素直になってもらうとしよう」
そっと、馨一がその右手を美麗の額に当てた。
行動の意味が判らず、それでも警戒に体を硬くする美麗。
「…?」
「きっとすぐに僕の事が欲しくて堪らなくなるよ?」
そう馨一が呟いた刹那。
「ぅっ!?」
美麗の体を耐え難い程の疼きが襲った。
「っか…ぁぁっ!?」
「ほら、この術は効くだろう?どんな娘だって素直になる、ちょっとした魔法なんだよ♪」
警戒が功を奏したと言おうか。
昂りはぎりぎり美麗の理性を砕く一歩手前で留まっていた。
「おや?強情だねぇ」
馨一も驚いたような顔を見せた。
「ま、強情な娘は大歓迎だよ」
疼きが広がる。
その全てが全身を這い回り、最後に下腹に集中していく。
耐える。耐え続けるが、段々と思考まで侵されていく。
(…嫌。こんな奴に…こんな男に…!シン君…ッ!!)
「あ…おね…が…」
だが、意思を裏切って、口が『その言葉』を紡ごうとした時―
パリィィィィン!!
扉ではなく窓を突き破って。
何かが馨一に体当たりを食らわせた。
「うぉっ!?」
掌が美麗から離れる。
と同時に、少しだけ疼きが治まった。
「あ…」
そこに現れたのは、最愛の少年ではなかった。
だが、彼女にとっては最愛の少年と同じくらい。いや、もしかしたらそれ以上に信頼しているかもしれない相手。
それは―
「イーちゃんっ!!」
「キュイィーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
真空の刃を操る霊獣、飯綱のイーちゃんであった。


「ち、ここも違うようだな」
鏡花に連れられてやってきたのは、とある雑居ビル。
残念だが、凍夜も発現しなければ、アクイの気配すらない。
「それじゃ、俺達も探索にかかろう」
「待って、亮」
美麗の捜索にかかろうとする亮を鏡花が押し止めた。
「おいおい、急がないと…」
「判ってるわ。でもちょっとだけついてきて」
「…おっけ。ただし手短にな」
有無を言わせぬその口調に、折れる。
「サンクス」
雑居ビルに入り、階段を登る。
と。
ふいに妙な気配を感じて亮は立ち止まった。
「…気付いた?」
「ああ。…何だ?この気配…」
「…人間…の筈ですが、これは…?」
サカキも怪訝な表情を見せる。
「…昨日Kidって奴の思考を読んだのは本当。それでその時に『聴いた』の。『肉のストック』ってね」
「…まさか…」
たどり着いたのは、四階のドア。
「行くわよ」
扉を開く、鏡花。
同時に凍夜の気配が三人を覆い。
そして、目に映ったのは―
「ひでぇ…」
肉の塊。
桃色の肉が五メートル四方を埋め尽くしていた。
所々に見える、毛髪や手のような物体。これらは前は人間であったモノなのだろう。
もしもこれが死肉や腐った肉であれば、亮もこんな呟きを漏らす事はなかったに違いない。
だが。
それはドクドクと脈動していた。
即ち、生きているのだ。
凍夜に生かされているとでも言うか。
「…鏡花。これはなんだ…?」
「Kidの予備肉…とでも言えばいいのかしらね」
「予備…肉?」
「アレの再生能力の元よ」
「という事は…」
「アイツはどれだけ削ってもこの肉を消費し切るまでは不死身、って事」
「子供の姿を取っていたのも、再生に必要な肉の量を減らす為か」
となれば、あの姿も本来のものではないだろう。
「…これは…人間なのですよね?」
「ええ。あいつが言ってた『ハンター』って貴方の事よね?」
「恐らく」
「これをどうにかしない限り、アナタは奴には勝てないわ。…取り敢えず今日ここに来たのも、美麗の事よりこっちを優先したからよ」
鏡花の発言は、ともすれば美麗を見捨てたようにも取れる。
だが、亮には判っていた。
「シンがどうにかする…って事か」
「ええ。それにあの子には頼りになる相棒が居るしね?」
「ふむ…」
「まあ、そうは言ってもヨクや新さんなんかじゃ容認できないでしょうからね。アナタ達を連れて来た、って訳」
翼は父親、健人は直情型。確かに鏡花の今の発言を看過する事は出来ないだろう。
「では…これを破壊して、私達もハイジの追撃に移りましょう」
「そうね。…じゃ、チロッ!!」
ぶわ、と鏡花のブレスレットが巨大化する。
鏡花は指先を肉塊に向けた。
「四十八(よそはち)翼よ―」
チロがその翼を大きく広げる。
「流星となれ!!」
翼から放たれた無数の光が肉塊を撃ち抜く。
と。
―ぎゃあああああああ!
―ひぃっぃぃ!
―うぎぇぇぇぇぇぇぇ…
まるで共鳴するように、肉の中から悲鳴が響いた。
「くっ…」
悲鳴は続く。
「…しゃー…」
チロも鏡花の思いに引き摺られたのか、攻撃の手を止めてしまった。
「何つー悪趣味な…」
肉の塊からはどくどくと血が流れ、口もないのに悲鳴は聞こえる。
「これもこの肉塊を護る為の自衛手段の一つですか」
憎々しげに表情を歪めるサカキ。
亮も眉間に皺を寄せ、蒼白になっている鏡花を促した。
「鏡花。…お前は出ていろ」
「…ええ、そうさせてもらうわ。御免なさい…」
鏡花が部屋を出て行く。
「羽村君…君も」
「やるか、サカキさん」
有無を言わせぬ調子で、亮は護章から剣を取り出した。
す、と全身を黒塗りの鎧が包む。
「…判りました」
「ではサカキさん。…これに感覚がまだ残っているかは判らないが、出来る限り短時間で終わらせよう」
「ええ」


「イーちゃん、行くわよ…!!」
「キュイッ!!」
美麗を庇うように立つイーちゃん。
巨大化して毛並みを逆立て、馨一に牙を剥く。
「そうか…。ハムラだけじゃないんだね、君を縛り付けているモノは…!!」
馨一の体から沸き立つ、黒い「何か」。
「…やはり…アクイ…」
「ふふふふふ…」
まるで嘲笑うかの様に、火の護章を掲げる馨一。
そして取り出されたのは、ギターの形を彷彿とさせる、巨大な斧。
「さぁ…狂ったパーティを始めようか!!」
ゆっくりと、震える足で立ち上がる。
「死ねっ!!」
ぶん、と馨一が斧を振り回す。
身軽な動きでそれを避け、
「ファング・オブ・スラッシュ!!」
声に応じて飛び掛ったイーちゃんが馨一の肩口に噛み付き、引き裂く。
「あぐぁっ!!」
強引に引き剥がす前にさっさと離れ、間合いを取る。
馨一の瞳が憎悪に燃えた。
「このケモノがぁぁぁっ!!」
「今よ!!」
美麗は続けざまに指示を出した。
「クロー・オブ・スラスト!!」
「ちぃ!?」
死角から突進するイーちゃんを辛うじていなす馨一。
だが突進そのものが刃となり、馨一の脇腹を抉る。
「つぅ!?」


と、馨一が斧を持ち換えた。
だが後一歩でトドメを刺せる。
「トドメよ!!ラッシュ・オブ・キリン…」
言い切る事は出来なかった。
馨一が左手を振った瞬間、辺りに凄まじい音が響いたのだ。
それだけならまだいい、が。
「あ…、あああっ!?」
「キュイ!?」
全身を襲う心地好い怖気。
腰ががっくりと落ちる。
美麗はイーちゃんに最後の指示も出せず、内から突き上げる衝動に耐えるだけしか出来ない。
「まったく、お転婆だねぇ」
ゆっくりと近寄る馨一。
が、再びイーちゃんが立ち塞がる。
「邪魔だよ」
「キュイィッ!!」
唸るイーちゃんを無視し、再び斧をギターのように持つ。
「ヒャハハハハ!!」
今度は曲を奏でる様に、ひたすら斧を撫で付ける。
その度に音が響き渡る。
が、美麗に変化は見られない。
無論変わらず耐えてはいるのだが、新しい刺激を加えられたようには見えない。
「…そうだよね?君は音を美麗から遮断しなければならない」
斧を撫で付けながら、歩を止めない馨一。
「キュイィ…」
「そして、この間合いなら、君はこの斧を受けざるを得ない」
すぐ背後には美麗の体がある。
確かに避ける訳にはいかない。
…例えそれがはったりの類であっても。
音が、止まった。
斧を振り上げる馨一。
「死ね、ケモノ」
「キュ…キュイィッ!!」
イーちゃんは凄まじい声で飛び出した。
真っ直ぐ振り下ろされる、斧に向かって。
「キュイイイイイイッ…!!」
凄まじい衝撃が発生し。
イーちゃんと馨一はともに吹き飛ばされた。
「イ、イーちゃん!?」
「…くぅ…やるな、ケモノ。お陰で刃が潰れてしまったじゃないか」
のろのろと、立ち上がる馨一。
「イーちゃん!?イーちゃんっ!!」
「…」
美麗の近くに落ちてきたイーちゃんは、全く動かなかった。
「少々、頭にきたよ、美麗。僕よりそのケモノを心配するなんてね」
全くの逆恨みでしかないが、馨一は怒りを浮かべて美麗に歩み寄った。
「く、許さないから…!」
「五月蝿い。黙れ」
と、馨一は美麗の服に手をかけた。
「ぁっ!?」
そのまま、手を下に思い切り引く。
「くっ…!!」
服が引き裂かれ、白い胸元が顕になる。
「さあ、僕のモノになるんだ」
ぐい、と右腕を掴みあげ、床にに美麗を投げつける。
「誰がアンタなんかの…!!」
怒りが疼きを凌駕する。
一瞬、睨み合う美麗と馨一。
美麗は純潔と引き換えにしても、馨一を消す事を心に決めた。
が。
結局その決意は空回りに終わった。
「美麗さんっ!!」
扉が勢いよく開け放たれ、
「シン君っ!!」
やっと。
最愛の少年が。
そこに辿り着いたからだ。
「美麗さん、無事か!?…ッ!!」
服の前を無残に引き千切られた美麗は、それでも首を縦に振った。
「私はまだ大丈夫…。でも、イーちゃんが…」
「イーちゃん?」
と、美麗の視線を追うシン。
そこには、うつぶせに倒れて身動ぎもしないイーちゃんの姿があった。
「イーちゃん…」
ふるふると、全身が瘧のように震えるのを自覚する。
「何があったか、とは聞かん」
シンのその言葉は、シンの姿を見てその表情を一変させた一人のアクイへと向けられていた。
「…ハムラ…」
めきみき、と。
馨一の体から吹き出す黒いモノの密度が増す。
「何をしやがったか、とも聞かん…。ただ、な」
「ハムラァァ…」
そしてシンは。
ただ吹き出すような衝動に己を任せていた。
「許さんぞ…」
それは。
「ハァムゥラァァァァァッ!!」
それこそは。
「引き千切って…」
それは自責。
「貴様さえ…」
それは憎悪。
「抉り取って…」
それは悔恨。
「貴様等さえ…」
それは狂気。
「斬り刻んで…」
故に憤怒。
「居なければぁぁっ…」
そして狂喜。
「ブチ殺してやる、覚悟しやがれっ!!」
残存する殺意と殺気の全てを込めて。
「死ぬのは貴様だ、ハムラァァァァァァッ!!」
二つの存在が咆哮した。


「終わったぜ、鏡花」
「あ、うん…」
数分後。
元は肉塊であった物体は、無残に解体されて黒ずんだ死肉と化していた。
「結局ここは連中の本拠じゃないみたいだな」
「ええ。Kidなるアクイの予備肉の保管場所。そんな所なのでしょう」
「それじゃ、私達も美麗の探索に入りましょう」
「そうですね」
「…」
が。亮の返答はなかった。
既に甲冑は消えており、何かを考えるそぶりでいる。
「亮?」
「ん?あ、ああ…」
鏡花に問われ、やっと反応する。
が、それも束の間。サカキに向かうと、
「サカキさん。アンタ凍夜を作れるか?」
と問うた。
「え、あ、はい」
「なら作ってくれないか。コレが壊れた事でここの凍夜も終わっちまったからさ」
「ええ、それでは…」
よく判らないままにサカキが凍夜を作り出す。
「有難う、サカキさん」
「何なのよ、一体」
「ちょっとな、試してみたい事があってね」
亮はそれだけ答えると、再び剣を取り出した。
甲冑で全身を包み、少しだけ俯く。
「な、何してるの?」
「ちょっと黙っていてくれ」
亮はそう言って二人を黙らせると、そのまま集中を続ける。
「…これ…は違う、これ…も違う…。…ん、これか!!」
かっ、と顔を上げた亮。
そして次の瞬間。
その姿が掻き消えた。
「!!」
「えぇっ!?」
驚きに目を見開く二人。
「ちょ、亮!?どこ行ったの!?」
慌てて周囲を見回す二人。
だがそこにもう亮の気配はなかった。


いつまで経っても呼吸が整わない。
馨一を追いかけてこっち、全く休憩を取っていなかったのだから、仕方ないのだが。
だが現状、それは大問題となっている。
目の前のアクイは、強い。
それこそ、今まで戦ってきたどのアクイよりも。
シンが本調子の状態でも、やっと互角に持ち込めるかどうか。
消耗している今、勝てる目は果てしなく少ない。
だが、退く積もりは全くなかった。
背後には護らなければならない二人が居るし。
何より、今シンを包んでいる激怒は、馨一を絶対に叩き潰せと告げていたのだから。
馨一の武器は刃を潰され、鈍器と化した斧。
だが無論、食らえばただでは済まない威力だ。
殺傷力、と言う点では大して違わない。
それが撲殺か斬殺かという程度だ。
とは言え。
『重ね』の能力を持つシンの前には、どれほど速く振り回そうとも当たらない。
呼吸を整えながら、必殺の一撃を叩き込むだけの力を溜めつつ、相手の攻撃を避ける。
無論、動けない二人に気を使いつつだ。
「うざい、うざいうざいウザイウザイウザイゾハムラァァァッ!!」
と、馨一が斧をギターの様に持った。
「聞きほれろッ!破滅のリズムッ!!」
脳を直接衝撃が襲う錯覚。
シンは思わず動きを止めた。
「うぐぁっ…!!」
大音量によってだけではなく、脳細胞が不可解な程の凄まじい圧迫を受けている。
同時に、全身に激痛が走る。
思考がまとまらない。
疲れと痛みに体が悲鳴を上げている。
だが。
止まらない。
抑えられない。
自分の中から絶えず吹き出す。
目の前に立つその男への。
ただ純然たる怒りだけは。
「これで最後だハムラァァァ!!」
棒立ちになるシンの間合いに歩み寄り、凶器を振りかざす馨一。
音が止み、体が自由になる。
怒りを力に。
力を両腕に。
「ヒャァッハア!!」
頭蓋の中央に、真っ直ぐ。力の流れを感じる。
叩きつけられた斧を。
「はぁぁぁっ…」
颶風帯を絡めた左手で受け止め、握り込む。
みじり、と。握りこんだ部分が潰れ。
「!?」
馨一が戻そうとするが、斧は微動だにしない。
これならもう、避けられない。
シンは刃を馨一の腹部に突き刺した。
「あぎゃあああああああああああああああああっ!?」
吐く息は荒い。
だがそれでも絞りだすような言葉と共に。
シンはその衝動を―
「煉獄の渦に飲まれて消えろっ!!」
一気に刃の先から解き放った。
「劫却一葬ぉっ!!」
「あ、が、ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!」
解き放たれた炎は内部から馨一を焼き尽くす。
「…微塵に、散れぇ!!」
続いて紅色の刃が眩く輝き、無慈悲に爆裂する。
爆圧で刃から抜けた馨一の体は、床に落下するまでに青い塵と化して消えた。
「ぜはぁ…ぜぇ…はぁ…」
大きく息を吐く。
「シン君…。有難う…」
「ああ…」
武器を戻す。いや、勝手に戻った、と言うべきか。
「くはぁ…」
全身を襲う疲れに座り込む。
「だ、大丈夫!?」
「お、俺は…大丈夫…。それより…イーちゃんは…?」
「判らない…。でも、死んではないと思うの…」
「そっか…。なら…、いずみ先生に…早く見せに行こう…」
「え、ええ…」
口を濁す美麗。
怪訝に思ったシンがそちらに目を向け、
「美麗さん?顔が―」
赤いよ?と。
告げようとした所に、唐突に声が割り込まれた。
「くくく…。馨一が完全に敗北するとはな」
「!?」
美麗のイーちゃんを抱く手に力が籠っているのが判った。
「くくく…。流石は火群の後継と言うべきかな?」
「誰だっ!?」
声の方向に振り返るより先に。
衝撃波がシンと美麗を吹き飛ばした。
「つ…ぅ」
「俺の名は死屍解。死者と屍を司る者だ」
「ししかい…」
「もう少し憎悪の成長を待てば馨一はもっと素晴らしいアクイになれたのだろうが」
「てめぇが…」
唸る。
馨一に対して何か思う所があった訳ではない。単に目の前のアクイが黒幕の一人だと察しただけだ。
会話しながら呼吸を整える。
衝撃波は大した威力ではなかった。動くだけであればまだ動けるだろうが、戦闘行動は正直難しい。
「まあ、貴様等が散々俺達の邪魔をしてくれたお陰で、予定を大幅に繰り上げなきゃならなくなっちまった」
「そうかい、そりゃ残念だったな」
ふてぶてしく会話を続けながらも、どうにか美麗を逃がし、自分も逃げ切れる道を模索する。
「だが、それも今日ここで終わる」
能面のような顔で、嬉しそうに語る死屍解。
「…そうかな?まだ俺は足掻けるぜ」
「負け惜しみを言うな。確かに動く事は出来るだろうが、戦える程の余力などあるまい。…ここに一人で来た時点で、貴様の死は決まっていたのだよ」
「ごはぁっ…!!」
「シン君!?」
再び衝撃波。
今度はかなり効いた。
全身が痺れて動けない。
「これで最後だ」
「ち…くしょ…」
指すら動かない。
「くくく…」
腕が、振り上げられた。
「駄目!!」
美麗が圧し掛かってくる。
「壁になろうとでも言うのか?くくく…健気だな。だが、無駄だ」
シンにも判っている。
明確な『終わり』が目の前に迫っているのだ。
(ここで…死ぬのか…)
もう、講じられる手段はない。
と。
死屍解の振り上げた腕が、二人が見ている前で根元から消えた。
「は?」
「え?」
「あ?」
最後のは、手を振り上げたアクイの声。
「あああああああああああああああああああああああああああっ!?」
次の瞬間には、もう片方の腕も消し飛ぶ。
二度目の方は、辛うじてシンにも確認出来た。
背後からの一撃。それで腕を斬り落とし、返しの一撃で落ちる前に消し飛ばしたのだ。
「ふん、やはりハイジを蘇らせていたアクイが居たのだな」
奥から現れたのは、黒い甲冑姿の男。
目深に兜を被っている所為で、殆ど顔は見えない。
「あ、あんたは…」
「『夜の騎士』…とでも名乗っておこうか。シ…少年、よくやったな」
「まだ…敵は残っている」
「ふむ?…確かにそうだな。だがまあ、その状態で奴を狩る事は出来まい?」
嘲ってはいないが、口許に笑みを浮かべる「夜の騎士」。
「ここは私が受け持とう。君は少しでも体力を温存して置き給え」
「あ、ああ…」
「あぐぅ…くそ…。貴様ぁ…」
悶絶していたアクイが立ち直り、振り返った。
「な…!貴様、何故、ここに!?」
「それは無論、貴様を斬る為だ」
凝固したかのように直立するアクイに、「夜の騎士」は平然と告げた。
「く、うう…!?」
「逃げられるとは、思うなよ?」
外に体を向けようとしたアクイ。
その左足首を、剣が貫いていた。
「さて、悪趣味はこれくらいにして…。ここで消えろ。永久に」
「ま、待っ―」
ぞぶ。
命乞いすら無視し、「夜の騎士」はアクイを斬って捨てた。
「史上稀に見る下種のコンビ、と言った所だな」
呆れた様子で呟くと、彼は二人の方に歩いて来た。
「有難う、騎士さん」
「気にしなくていい。君はよくやった。まあ一人で先走らずに仲間を頼れ、と言いたくもあるが、状況はそれどころじゃあなかったようだからな」
「知っているのか…?」
「その辺りは企業秘密だ。…それはそうと」
と、騎士は美麗の顔を覗き込んだ。
「…術をかけられたようだな」
「何だって!?」
驚愕するシン。そんな話は聞いていない。
「ご、ごめんね。黙っているつもりはなかったんだけど…」
よく見ると、顔は上気して真っ赤だ。息も荒い。
「少年。君が術を解いてやれ」
「ええっ!?じゅ、術の解き方なんて知らない―」
「何。媚薬を盛られたようなものだ。君が彼女をここで抱いてやればすぐに治まるだろうさ」
「だ、抱くって…!!」
シンは真っ赤になるが、騎士の口調はあくまで真面目だ。
「早く何とかしてやらんとその娘が狂うぞ」
「!!」
背中に氷を突然突っ込まれたような、戦慄。
「ごめん、シン君…。我慢するのも…もう限界なの…」
肯定する美麗。すぐさまその言葉が現実味を帯びてくる。
「この飯綱は俺が治療出来る奴の所に連れて行く。お前はちゃんとその娘を癒してやるんだぞ」
「あ、ちょっと!!」
美麗が大事に抱いていたイーちゃんを受け取ると、騎士は窓から外に消えた。
「待ってくれよ、まだ聞きたい事が…!」
立ち上がって追いかけようとしたシンだったが。
立ち上がる前にぎゅう、と美麗に抱き締められた。
「び、美麗さん…!?」
「お…お願い、シン君…。私を好きじゃなくてもいいの…。これを気にして私を好きになってくれなくてもいいの」
しがみつき、下半身をシンにすり寄せる美麗。
その普段とはかけ離れた淫靡さに、反射的に興奮してしまうシン。
―早く何とかしてやらんとその娘が狂うぞ。
「夜の騎士」が告げた台詞が思い出される。
だが、思考とは裏腹に葛藤は止まらない。
(本当は彼女は俺の事を求めては居ないんじゃないか?)
そして葛藤はシンの興奮と動きを封じる。
(俺のこんな考えを察して、敢えてそう言ってくれているだけじゃないのか?)
朴念仁もここまで来れば犯罪なのだろうが。
(俺が美麗さんをこんな所で汚してしまっていいのか…?)
だがまだ、理性が勝っていた。
「で、でもお、俺なんか…」
「私はシン君が好きよ」
「あ…」
「だからいいの。シン君ならいいの。シン君じゃなきゃ嫌なの…お願い」
ぞぞぞ、と美麗の全身が震えている。
それでも、シンの頭に「美麗が早く楽になりたくて自分を誘惑しているだけ」という考えが浮かぶ事は全くなかった。
理性と葛藤が、シンの自由を奪っている。
美麗の口にする「好き」の意味も判っていなかったからだ。
結局、選んだのは消極策。
「やはり、いずみ先生に―」
「お願い…して…シン…ッ」
が、言い切らせてはもらえなかった。
初めての呼び捨て。
そして。
見上げるような美麗の乞う視線をまともに受けたシンは、
「美麗…さん」
覚悟を決めた。
(取り敢えず…、優しく労わるように…)
無論、こんな経験はない。
拙い動きで唇を重ね、服をゆっくりと剥ぐ。
「ああ…、シン…」
この後、彼女に嫌われる事を覚悟して。
ただ今この瞬間、自分を頼ってすがりつくこの少女を救う為に。
シンは美麗を床に横たえ、その柔らかい肢体にゆっくりと覆い被さっていった。

二人が各々の自宅に帰ったのは、その翌朝だった。


第十八話。もしくは波紋でも可。
               に続く。










後書き
ども、滑稽です。
えー、出てきました、助っ人一号、夜の騎士さん。
…まあ誰か、ってのは丸判りな訳ですけれども。
今回も微エロな感じですが、いかがでしたでしょうか。
取り敢えず今回の話は特に賛否両論ありましょうが、お見逃し下さい。
それでは、次の作品でお会いしましょう。






[Central]